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2009年11月24日火曜日

個人主義とモラルは対立するか

 前回の記事にて私は近年の日本人のモラルの低下について自分の考えを披露しましたが、かいつまんで言うとお互いに仲間だと意識しあえる共同体の数や範囲、枠の強さが揃って低下したために、日本人のモラルが大きく低下する事になったのではないかと主張しました。

 しかしこうした考えに対するいい反例なのが、ほかならぬ私自身であります。こう言ってはなんですがかれこれ20数年も生きていながら未だにどの集団の中でも孤立しつつ、一匹狼的な生き方を生まれてこの方ずっと貫いてきております。当然所属する共同体も非常に少なく、一般人が強く持つであろう家族関係ですら非常に希薄で地域との結びつきに至っては皆無に等しい、っていうか地元の人間からは厄介者のように見られている程です。
 その分、個人個人の付き合いで言うなら非常にしっかりとした信頼関係を持つ友人は割と多い気はします。特にこのブログで普段展開しているようなわけの分からない濃密な話をお互いに理解しあって話しが出来る友人らに対しては、こうした人間にめぐり合えて自分は本当に幸せだとすら感じるほどです。

 話はモラルの話に戻して、このように所属する共同体、またその共同体への意識があり得ない位に希薄な私ですが、世間一般のルールやモラルに対しては他人より厳しいと周囲からよく言われます。待ち合わせに遅れない事はもとより、学生時代にしろ留学中にしろ授業というものを基本的にサボる事はなく誰も誉めてくれないのにいつも皆勤賞で、またこれは自分でもやりすぎたなと思うエピソードですが、買い物をした際にレジの人が間違って自分に多くのつり銭を渡していたことを一日後に気がつき、レシートも捨ててしまっていた事から仕方なく多く受け取った400円を募金箱に放り込んだことがあります。

 私が前回の記事で展開した仮説ですと所属する共同体が少ない人間はそれに比例してモラルが低いはずなのですが、私自身は危険人物だと後ろ指を差されながらもモラルが悪い人間だと言われた事はなく、また私の友人にも共同体への帰属意識が低い割には下手な人間よりずっとモラルが良く、振る舞いもきれいな人間も少なくありません。果たしてこれは如何なものかと友人に振ってみた所、私の場合は恐らく、他人と比較して「個人」への意識や条件を特段に強く持っているからだと言われました。

 言われてみると全く思い当たる節がないわけでもなく、やはり他人と比べて個人の概念というものが私の場合は非常に特別な形をしているように思えます。この点について私を語る上で外せないものに、多分本邦初公開ですが、洗礼こそ受けないまでも以前に私は熱心にキリスト教を信奉しておりました。宗教自体が最初の議論における重要な「共同体」の一つに当てはまるのですが、私の場合は個人的な信仰ながらもその後の生き方を占う上でキリスト教は最も大きな影響を与えたものの一つです。
 そのようなキリスト教にのめり込んでいた時期に私が強く考え、また実行していたものというのも、恐らく大多数の日本人がその生き方を、「どうすれば周りに評価される人間になれるか」と考えるのに対して、「どうすれば自分自身は善い人間になれるのか」と考えていました。ここまで突き抜けてると、我ながら面白いなぁ。

 偏見かも知れませんが、私は一般の日本人の生き方というか思考は先ほどにも書いたとおり、如何に周りに評価されるかというのが中心にあり過ぎる気がします。それは逆に言えば集団の中で評価される人物ほど善い人間だと考えてしまうという事で、その集団(共同体)が社会全体に貢献しようという集団であればまだしも、自己利益の確保しか考えない集団であればそこに属す人間が高いモラルを持ちうるとは考え辛いです。

 近年の日本の場合ですと何度も書いてある通りに共同体の拘束力が弱まっている事もあり、「何が善い行動なのか」の価値判断基準を集団に置いている日本人からすると一体何がその社会で正しい行動なのかが分かり辛くなっているのではないかという気がします。要するにしかるべきモラルの指針が分からないために、みんな好き勝手に自分、もしくは自分を含む小集団に都合のいいモラルを設定し合って、低次元の個人主義化が発達した結果モラルが低下したのではないかと私は思います。

 とはいっても、私みたいな個人主義的価値観が必ずしも正しいと言い切るつもりは全くありません。確かに日々の行動やモラルへの社会意識については人並み以上に強いと自負しますが、そのかわりに自分自身で間違っていると思う事に対する並外れた攻撃性や、正しいと思う事への徹底した意固地さも身についているために見方によっては非常にテロリスト的です。そもそもテロリストやマフィアが宗教的価値観を強く持つというのも、こういう考え方をするとごく自然なのかもしれません。

 回りくどい言い方になりましたが、私の結論は個人主義の発達が必ずしもモラルの低下に結びつくわけではないという事です。現状の日本でモラルが低下している原因というのは集団に価値判断基準を丸投げする日本人が共同体の力の低下によってその基準を失った事による、言うなれば中途半端な個人主義化が起きた事が原因で、真に個人としてどのような生き方をするべきかと模索している個人主義者が悪いわけじゃないのではと思います。
 実際に私の友人らもはっきり言って個人主義の塊のような人間もいますが、そんな友人でも「個人として集団における最低限のルールは守るべきだ」と称して、下手な集団主義者よりずっとモラルの高い行動を取っております。

 仮にこの考えが正しいのであれば、日本人全体のモラルを高めるには単純に二者択一になります。一つは集団主義をこのまま持たせながら共同体の力を再び盛り返させる。もう一つはこの際集団的価値観をひっくり返して、真の意味での個人主義を日本人に根付かせるという方法です。
 私はどちらがいいのかと聞かれるのであれば、私自身はあまり好ましくないもののまだやりやすい前者の方法がマシなのかと思います。そうなったらなったで、私自身は日本社会で生き辛くなるのですが。

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