2010年8月31日火曜日

先月に死刑執行を受けた受刑者

 先月に千葉景子法相が従来の自説をひっくり返して二名の受刑者の死刑執行を行った事で議論を起こし、私も当時にパフォーマンス的要素が強い上に直前の参議院選挙で千葉法相が落選している事を受けて批判しましたが、今日ちょっと思うところがあって死刑が執行された二名の来歴を調べてみたところ、下記のサイトで詳しくまとめられていました。

宇都宮・宝石店放火殺人事件
熊谷男女4人殺傷事件(どちらも「事件史探求」より)

 思えば私もそうでしたが、死刑執行当時は千葉氏への批判ばかりで受刑者がどんな人物でどんな事件を起こして死刑判決を受けたかについてはあまり議論にならなかった気がします。
 こうして改めてみてみると、篠沢一男は宝石店にて店員を脅して貴金属を奪うと、店員らを縛りつけた上で店に火を放ち六人もの人間を殺害しています。尾形英紀は付き合ってた女性の要請を受け女性の二股相手だった男性を殺害し、さらには同じアパートに住んでいた何の関係もない男女三人を口封じのために殺傷しています。

 両方の事件とも調べなおすまではすっかり忘れていましたが、改めて上記サイトの記事を読んでみると、「そういえばこんな事件、あったなぁ」と記憶が持ち上がってきました。私が十代の頃、死刑執行が行われて受刑者がどんな人物だったかについてニュースで解説が行われるものの大抵の事件は私が生まれる前に起きていた事件だったためいまいち実感が覚えなかったのに対し、さすがに二十代の今ともなるとリアルタイムで事件を見ていることもあり刑罰の実感が感じられるようになってきました。

 それを踏まえた上で正直な感想をいえば、千葉氏が死刑執行を行った事について当然の行為を行っただけだったのではという思いが浮かんできました。それとともに、数ある死刑受刑者の中からどうしてこの二人が選ばれて死刑が執行されたのかも少し気になりました。まぁ恐らくは法務省が順番つけたリストを渡しただけでしょうが。

 死刑についてはまた連載で詳しく書こう書こうかと考えていながら未だになかなか書けないでおりますが、死刑が何故必要なのかという意見の一つに、「犯罪行為に応じて重い刑が課されることで、犯罪への抑止効果を作ると共に国民に公平感、納得感を持たせる」というものがありますが、かねてから日本の死刑は事件発生から執行まで時間がかかり過ぎ、そのような抑止効果は生まれないのではという批判がありました。図らずも今回の死刑執行ではまさにそのような印象を私は覚えたので、やはりこういったものは執行という事実報道共に死刑までの背景も詳しく取り上げておくべきでした。

円高の別の側面

 ちょっと前にこの関連で記事を書いたので、一つ私と同じような意見が書かれたこの記事を紹介しておきます。

「円高」で得をしているのは誰か?(msnマネー)

 書かれている内容は円高円高と大騒ぎの現在の日本ですが、円高で損だけではなく得する日本人もいるということが書かれ、実際にはそこまで問題は大きくないという主張です。私もこの意見にはほぼ同感で、記事を抜き出すと

 まず、日本のメディアについてはもう「為替病」としか言いようのない状況と筆者には見えます。もはや円高の損得や、はたして今の状況が円高なのか円安なのかまったく吟味せず、単純に(名目の)米ドル/円レートが過去と比べてくらべて数字が小さくなってきたので、条件反射的に「円高=日本にとって損」と決めつけ、何も考えずにそういっているだけのように思えます。

 あんまり持ち上げすぎてもしょうがないですけど、経済の原則論から言えば私は今の円高といわれる状態の方が自然だと思うし、むしろこの円高を食い止めようとするほうが史上をゆがめる事になるんじゃないかとすら思います。

 さて今回取り上げた記事の本題である「円高で得する人」についてですが、私が挙げるとしたらやっぱり中国から商品を輸入している小売業の人たちがメインかと思います。実際に大手スーパーなどではこのところ円高ということで円高還元セールなどをやっておりますが、私はこういうときくらいはいちいちこういうセールをせずに小売業の人間は利潤を稼いだ方がいいような気がします。

 その理由は二つあり、ひとつは現在の小売業は「バイトじゃなきゃ無理」と就活生にまで言われるほど厳しい競争でお互いでお互いが淘汰し合う共食い状態にあることと、円高セールを行う事でよりデフレが加速していく恐れがあるからです。
 二番目のデフレ加速についてはこれまでにも何人かが指摘しておりますが、国民も悪いですが波に乗る小売業も問題で、もはや自分達が稼ぐというよりは如何に他店を潰すかという経営方針では共倒れになる事は自明です。とはいってもデフレ下ではなかなか抜けられないもの事実なので、せめて円高で利潤が増えると言うのならお互い黙ってもらっとく方が全体にいいというのが私の意見です。

 あと前回の記事でも書きましたが、円高で損する人もいれば得する人もいて当たり前なのです。それをなんでもかんでも損損と後ろ向きに見ないで、もっとポジティブな面に目を向けないと日本全体で暗くなってしまいます。もう一つ突ついておくと、円安になると今日ここで取り上げた小売業の人はもちろん苦しくなりますがたとえそうなっても彼らが可哀想だとは誰も言いません。その一方、円高になると自動車産業の連中は大変だ大変だと言われ、わざわざ国からお金を出してもらって購買補助がなされます。いつまでもこんな事続けてちゃいけない気がするのですが、経団連はおそらく購買補助政策の継続を訴えてくんだろうな。

2010年8月29日日曜日

カー雑誌の悲哀

 私自身はそれほど自動車は運転しませんが(、暇な時や長時間の移動をする際にはよくカー雑誌を購入しては読んでたりします。そんなカー雑誌を読むたびにこの頃思うことなのですが、記事に登場する車がどれも古くてこれでは新規の読者、年代的には中学、高校生は手に取らずにおっさんにしか読まれないだろうと強く感じます。

 雑誌の種類にも由りますが、一般的にはカー雑誌はスポーツカーを多く取り上げる媒体です。しかしながら最近はスポーツカーに憧れる若者が減っており、またそういったかっこよさを追い求める車以上に燃費のよい車に注目が集まるようになり、どうにも読者の関心が雑誌のスタイルと適合していないように思われます。さらにいえば自動車メーカー自体がこのところ余力がなくなってきて、スポーツカーの販売数を減らしてきております
 カー雑誌編集部の方からすると取材で取り上げる車の数が減る事はそれだけでも大変なことでしょう。では現在のカー雑誌は主にどんな車を取り上げて記事を書いているのかというと、書いてて笑っちゃいますが全ページの半分以上にすでに生産が中止されている車の名前が出てきております。

 私がよく買っているのは「ベストカー」という雑誌ですが、この雑誌がよくやる特集記事に「○○対××」というように二台の車の性能を評論家が多方面から比較するものがあるのですが、こういった特集記事に頻出してくる車は「マツダRX-7」や「ホンダインテグラ」、果てには「トヨタAE86」など走り屋に愛されていたもののすでに生産が中止され、現在までニューモデルが出ていない生産中止車ばかりです。まぁ「ベストカー」について言えば明らかに他社の車より贔屓されて持ち上げられている「三菱ランサーエボリューション」が未だにニューモデルが出され続けている事は救いですが。

 カー雑誌記者の方でも特集するスポーツカーがメーカーから新規に販売されないために記事の書きようがないのはわかりますが、ただこういった特集する車に普通に「日産スカイラインGTR(R32)」が出てくるほど古いのばかりだと新規の読者はなかなか獲得できないでしょうし、おっさんばかり相手してても先細って行く一方でしょう。
 そういう意味では、ようやく発売日が今年の11月に決まった「グランツーリスモ5」といったゲームや「頭文字D」などといった漫画は、こういった古いスポーツカーなどを比較的若い世代に親しませられることができ、おっさん向けの雑誌を私のような20代でも手に取るきっかけになる事が出来ます。

 まぁこういうものはいくらメーカーや雑誌社がプッシュしてもヒット作が出るものじゃないので登場を期待するのは酷ですが、自動車業界に限らず現在何処の業界でもファン層の拡大よりターゲット顧客層の絞込みが行われてばかりなので、こういった夢が広がりそうな分野くらいはどんどんと外に訴えて行ってもらいたいものです。

 余談ですが、漫画の「頭文字D」で「三菱ランサーエボリューション」は大抵ガラの悪い敵役の車として登場し、ちょっと調べたらトヨタ系やマツダ系と比べてランエボだけ悪く書かれすぎじゃないかという意見まで出ているそうです。私個人の意見だとやっぱ良い意味でモノがモノだけにランエボは主役機にはなれず、こうした敵役の車にならざるを得ない気がします。ランエボでシビックとかに勝ってもだから何って話になるし。

2010年8月28日土曜日

石川啄木と金田一京助

  働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る

 格差社会、といってもそれ以前から何かしら貧困エピソードが出るたびに引用されておなじみのこの有名な和歌ですが、作者は言うまでもなく明治の詩人である石川啄木です。この和歌を始めとして暮らしの困窮について表現する和歌を多く作っていたことや、死後になって友人らから作成、出版された「一握の砂」によって名を残したという事から、石川啄木は生前には全く評価される事のなかったゴッホと比較されるなど一般的には不遇の詩人としてよく紹介されます。
 しかし事実はさにあらず、近年には大分浸透して来ましたが石川が生前に貧乏な生活をしていたということは本当ではあるものの、その困窮は不遇というよりは彼自身の放漫な性格による行動の結果だったと言われております。

 石川は元々、岩手県にある寺の住職の長男として生まれており、当時としては比較的裕福な家庭の出でした。しかもこの家での待望の長男であったために両親からは大いにかわいがられて食事なども一番良いものが優先して振舞われ、子供の頃からわがまま放題に育てられていたために妹の光子の証言によると何か気に入らない事があるとすぐに蹴ったり叩かれたりしたそうです。それでも妹はそんな兄が好きだったそうですが。

 ともあれ裕福な家ということで石川はきちんとした学校に通わせてもらうも遅刻、欠席、果てにはテストでのカンニング行為の結果、卒業を待たずに退学させられてしまも、その後はいろいろと転々とするもののある年に家族を置いて東京に向かい、朝日新聞社へ就職します。この東京での生活は彼自身が残したローマ字日記によって行跡が辿られるのですがその日記の内容となると破天荒そのもので、就職した朝日新聞社では遅刻、欠勤、給料前借は当たり前で、貧乏だといいながらもいろんな人間から次々とお金を借りてはすでに借りた借金の返済には殆んど使わず、娼妓との遊興費に惜しみなく費やしたということが赤裸々につづられております。ただ石川の変な所というか、お金を殆んど返そうとしないにも関わらず会う人皆が石川の新たな借金の申し出に答えており、石川の方でも律儀に日記でどこそこで誰からどれだけ借金したかを事細かに記録しています。

 そんな石川に最も金づるに使われたのはほかでもなく、彼と同郷で東京での生活も一緒だった金田一京助でした。金田一京助というといろんな辞書に編纂者として名前を連ねており、また小説のキャラクターである「金田一耕助」の名前のモデルとなった人物であるため皆さんもよく知っている人物でしょうが、彼は若い頃から石川の才能を買って東京に来た石川を自らの下宿に招き寄せては生活費など一切合財面倒を見ていました。

 ただこの金田一京助もあの放蕩三昧の石川を囲うだけあって相当な人物だったらしく、ことあるごとに借用を申し出る石川の願いに首を横に振ることなくいつも快く応じ、彼の希望をかなえるために次々と家財道具を質屋へ持って行ったそうです。そうやって献身的に支えられているにもかかわらず遊んでばかりの石川に対して金田一の妻の方が怒り、またも石川に金を貸して欲しいと言われて何か質草があるかと金田一が妻に尋ねると、「もうそんなものはありません」と一度、突っぱねたことがあったそうです。すると金田一は、

「お前の今着ている着物、まだ質屋に出せそうだな( ´ー`)」

 と言って、奥さんの着ていた服をひっぺはがして質屋に持って行きお金を受け取るとそれをそのまま石川に渡し、そして石川はそのお金を浅草で使い切ったそうです。そんな話を妻からよく聞かされていた金田一京助の息子である金田一春彦氏は、石川という姓だけに石川啄木は石川五右衛門の子孫に違いないと子供ながらに考えていたと語っています。

 こうした石川との絡みもさることながら金田一京助にはそのほかにも逸話が多く、前述の辞書の編纂者名についてもお人よしな性格ゆえに、権威付けのために人から頼まれるそばから二つ返事で快諾していただけで、実際には一冊の辞書にも編纂に携わった事がなかったそうです。
 またこれ以外にも自身のスピーチも予定してあった知人の結婚式に出席し、出された食事を平らげたもののなかなかスピーチの出番がなくて係員に確認すると、なんと赤の他人の結婚式に出席していた事が分かって慌てて帰ってきたという話や、息子の春彦氏に来ていた原稿の執筆依頼を自分宛に来ていたと勘違いして慌てて原稿を書いて出していたなど、お人好しで慌てん坊だったという人柄が窺える話が数多くあります。

 最後に蛇足かもしれませんが、知名度で言えば圧倒的に金田一京助の方が息子の金田一春彦氏より上ですが、私の中国語の恩師によると言語学における功績で言えば春彦氏の方が遥かに勝るそうです。本日この記事を書くために春彦氏の略歴を調べてみた所、なんと中国語発音で基本となる四声の研究を初め日本の方言などを詳しく調べており、すごい人物だったのだということに気づかされました。
 これは私の邪推ですが春彦氏は一年だけ京都産業大学に在籍していたそうで、京都なだけにもしかしたら私の恩師はその時期に春彦氏の知遇を得ていたのかもしれません。今度あったら聞いてみよう。

アントン・ヘーシンク氏の逝去

 本日、東京五輪柔道無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク氏が母国オランダで逝去されたとの報道がありました。

ヘーシンク氏が死去=東京五輪柔道金メダリスト(時事通信)

 ヘーシンク氏については過去に書いた「柔道の精神」の記事ですでに取り上げていますが、改めて彼の柔道国際化における功績や東京五輪で見せた柔道精神を考えるにつけ惜しい人物を亡くしたという気持ちが湧いてきます。

 自分はそれほど柔道の試合中継などを見ることは多くありませんが、一時代を彩るスポーツのエピソードとなると話が違ってあれこれ必死で覚えようとしております。ヘーシンク氏の東京五輪決勝もその一つですが、非常に引用しやすく含蓄のあるエピソードなだけに、当人がなくなった今後も出来うる限り語り継いでいきたいと思います。

  おまけ
 「柔道の精神」を書いたのは2008年ですが、その頃と今とを比べると随分とこのブログの記事の書き方も変わってきております。書いてる側の言い訳ですが、私は元々400字詰め原稿用紙に手書きで小説を書いてきており、句読点などのリズムもその頃に培いました。見ている側からすれば文字なんてどれも一緒に見えるかもしれませんが、フォントの大きさや縦書きか横書きか、そういった種々の要素によって案外文章というものは見方が変わってくるもので、比較的小さい文字で横書きで表示されるブログでは句読点は少なく流し読みしやすい形のがいいと思って現在の形になってきました。誤字、脱字は未だに多いけど。

2010年8月26日木曜日

小沢一郎氏の代表選出馬について

 前々からいろいろ取りざたされてきておりましたが、本日ついに小沢一郎氏が来月に行われる民主党代表選に自身が出馬する事を表明しました。のっけから私の意見を言わせてもらうと、またくだらない事が始まったなぁという風に感じました。

 そもそもの話、今の菅首相が総理職についたのは鳩山前首相の突然の辞任を受けた六月の事でした。それから今までまだ約三ヶ月、間に選挙を挟みましたがこの時点で総理がまた変わるかもしれない代表選を行う事自体まともな状態ではありません。
 第一、民主党は三ヶ月前の代表選で菅氏を自ら選んだにも関わらず選挙が終わるやまた引き摺り下ろしかねない行為を現在行っており、これでは民主党が政権を私物化していると言ってもおかしくないでしょう。民主党の中ではそれは問題ないかもしれませんが、自民党政権時以上に総理をかわるがわる変えてくるというのは国際的な信用をなくさせるだけで、さすがの私もこの始末にはいい加減にしろと言いたくなってきました。

 それで次回の代表選ですが、下馬評ではやはり小沢氏が有利とされています。私自身も現時点では小沢氏が勝つだろうと見ておりますが、まがいなりにも自ら担ぎ上げた菅総理を選挙で勝てなかったからという理由だけで自ら引き摺り下ろそうとするなんて組織として、人間としても民主党は疑わしく感じますし、資金問題で全く説明責任を果たしていない小沢氏がこうして堂々と総理になろうとする事一つとっても異常な気がします。

 私は何も菅総理を支持しているわけでなく、むしろ過去に彼が起こしたカイワレ騒動から資質を疑ってはおりますが、それ以上に小沢一郎氏の資質と人間性を私は疑っております。人間性については言わずもがなで資金問題から岩手めんこいテレビの私物化などからですが、資質についてはもう少し詳しく説明しておきます。

 この辺は姉妹サイトの「陽月旦」にも書いてありますが、かつて彼が導入を主張した政策は小選挙区制を始めとして現時点で大部分実現しております。では現在小沢氏はどのような政策を主張しているのかと言うと、はっきり言いますが小沢氏はここ数年は何一つ政策について公で発言した事はありません。政治的に何を導入したい、変えたいといった考えは恐らく、現在の小沢氏は本当に何も持っていないんじゃないかと思います。

 では小沢氏が総理になったらどうなるか。私の予想では多分すぐに自民党と大連立して主な政策運営は自民党の連中に任せて、本人はその政策の進行に合わせて私腹を肥やしていこうとすると思います。すでに沖縄普天間基地の移設先付近の土地は購入済みだそうですし。

 悪口ばっかであまりまとまりのよくない記事になりましたが、また政治が政策ではなく政局によって停滞する事となったのは非常に残念です。まだ政策論争で代表選が行われるならともかく、今回は初めから数取りゲームだしなぁ。

2010年8月25日水曜日

住宅ローン破産の増加について

 先日、つっても二週間前の朝日新聞の記事で、近年住宅ローン破産が増加しているとの報道がありました。

住宅ローン破綻増加、競売6万戸 甘い審査が落とし穴(朝日新聞)

 私がこのブログを始めた当初に書いた「日本版サブプライム問題」の記事にて、経済評論家の荻原博子氏が「ゆとりローン」の問題性を指摘しこのような住宅ローン破産が今後増えると指摘していた記事を紹介しておりますが、その予想は見事に当たり、その後のリーマンショックを受けて景気が大幅に悪化したのを受けてこのような住宅ローン破産は増えているそうです。

 今回朝日新聞の記事にて取り上げられたローン破産者のケースは住宅購入以前に消費者金融に借金があったにもかかわらずローンを組んでおりお世辞にも計画性があるとは思えず私はそこまで同情を覚えませんが、実態的には堅実な人生設計をされていた方でもローン破産に追い込まれて家を手放さざるを得ない人が多数いるかと思います。
 ただこれら住宅ローン破産で本当に怖いのは、家を手放さざるを得ないと言う事以上にその後も手放した住宅のローンを支払い続けなくてはならないという事です。

 わざわざ説明するまでもないかもしれませんが車にしろ住宅にしろ、新品で購入した時点でその財産の資産価値はどれも半減します。ですので2000万円で住宅を購入して500万円までローンを支払った後で手放したとしても、販売価格は多く見積もっても1000万円で、差し引き500万円を最初の住宅購入者はその後も支払い続けなくてはなりません。しかもローンは三者は家を手放したのだから今度また新たに自分が住む部屋を借りなくてはならず、その部屋の賃貸料も合わせて支払っていかねばなりません。これは姉歯元建築士の強度偽装事件でも同様で、強度の足りていない住宅を出た元居住者には二重ローンという大変重い負担がのしかかり社会問題となりました。

 そんな住宅ローン破産ですが、つい最近に知ったのですがアメリカではこのような事態は起こらないそうです。というのもアメリカでは住宅ローンが払えなくなった場合、居住者は担保となっているその住宅をローンを貸し付けている銀行に差し出す事で一切の返済を免除されるそうです。

 最初これを聞いた時は私も少し驚きましたが、後から冷静になって考えてみると日本の制度、というより日本の銀行が行っている住宅ローンのやり方のほうがいびつな様に思えてきました。
 日本の住宅ローンの場合ですと、銀行は住宅購入資金を購入者に貸し付けた時点で利息分の儲けがほぼ確定します。それゆえに今回の朝日新聞の記事で取り上げられた例やかつての住専問題のように、実際には支払能力のない、将来ローン破産を起こしかねない人間を半ば騙す形で貸し付けたとしても全く損害を受けるどころか安全に利益を得られます。それに対し住宅購入者はローン破産というリスクを持たされた上で銀行に対してローンの支払いと共に利息を払い続けねばなりません。

 私は商道というものは基本的に、リスクを持つ者が利潤を得るべきだという風に解釈しております。然るに日本の住宅ローンの場合はリスクを全く抱えない銀行が安全に利息を稼ぐ一方で、巨大なリスクを抱える住宅購入者が銀行に利息を払っており、どう考えても銀行がずるい商売をやっているようにしか見えません。実際にこのような制度ゆえに日本の銀行はローン開設者への審査が甘いといわれ、ローン破産者の発生を誘発させているという指摘もあります。

 こういう風に考えるのであれば、不用意に支払能力のない人間にローンを組ませると銀行がしっぺ返しを食らうというアメリカの制度の方がずっと理に適っている気がします。まぁそれゆえにサブプライムローン問題では銀行が一気に不良債権を抱える事となって大混乱となったわけですが、私はこの際日本の銀行もアメリカを見習って、ローン破産が起きた場合には残った債権額を破産者と折半させるくらいのリスクを持たせた方がいいと思います。

 こういうところがあるから、銀行屋はどうも好きになれない。

2010年8月24日火曜日

円高株安と日銀の対応について

 ちょうど昨日一昨日と友人とこの話題について話をしたので久々に時事ネタとばかりに、今日のトップニュースを飾った円高株安と無策と批判されている日銀の対応について私の意見を書こうかと思います。

 まず円高株安についてですが日本円は昨日の時点で1ドル85円と、まるで1ドルが100円以上だった時代が遠い昔のように感じられるまでに値上がりしております。言うまでもなく日本は自動車を始めとして工業製品の大量輸出によって経済を成り立たせており、対ドルレートが1円変動するだけでもその影響は凄まじく、去年くらいの情報ですが確かトヨタは1円円高になるたびに200億円、ソニーは40億円くらい差益が減少すると報じられてた気がします。任天堂はどうなんだろうか、イチローの給料は安くで済むようになるだろうけど。

 そんなわけで日本は建前としては円安に、それも1ドル100円前後で推移する事が一番望ましいとされているのですがここまで円高になってしまうとにっちもさっちも行かず、円高につられる形で株価も下がって今日はとうとう日経平均が9000円を割りました。このような事態を受けて日銀や政府が何かしら為替介入などといった強い経済対策を出すのではないかと取りざたされましたが、今に至るまで具体的な発表がなく市場関係者からも落胆する声が上がってきております。

 ここから私の意見になりますが、まず現段階で日本人はやや大騒ぎしすぎな気がします。確かに企業経営者にとっては頭の痛い事態ではあるでしょうが一般庶民はトレードでもしてない限りは株価がいきなり実生活に影響するわけでもなく、日本経済の行く末をいちいち心配しててもしょうがないでしょう。また円高についても確かに輸出については不利になりますがその逆の輸入に対しては全く逆で、円高となれば日本はこれまでより安くで外国から物資を購入する事が出来ます。日本は工業製品輸出国である一方で化石燃料といった資源の大量輸入国でもあり、それを反映してか今年上半期は円高が続いていたにもかかわらず貿易収支は一貫して黒字が拡大し続けておりました。まぁこれは一時的なものかもしれませんが。

 あくまでこれは私のざっくばらんな見解ですが、私は今の日本経済の実態に近い日経平均株価は実質的には8,800円くらいと見ております。この数字ははっきり言ってほぼ私の勘で出してますが、この数字を出した根拠としてはデフレが続いている事と、日本の財政に対して信頼性が減っている事、そしてなによりも未だに市場において排除と淘汰が進んでいないという事を考慮してのものです。なもんだから、今のこの株価の状況についても実態に近づいてきていて、8,800円を下回ったらむしろ日本株は買いかなぁとか呑気に思っています。

 円高についても似たような感覚で、日本と中国が必死で買い支えしてきたドルがようやく化けの皮が剥がれたというか、日本としては困るかもしれないけど本来あるべき数値になりつつあるという風に見ております。
 またこの円高に対して日銀の対応がよく批判されていますが、確かに日銀は五年位前から偉そうにしている割には何一つまともに動いておらず、利上げを行わなかった事で当時に竹中氏からもこっぴどく批判されていました。私もここ数年の日銀の対応には給料泥棒だと言いたくなる点が少なくありませんが、昨今の急激な円高については友人の、「今回のはFRBの発表を受けて起こった世界的な動きだから日銀一人が逆立ちした所で食い止められるものではない」という意見に同感で、日銀を攻めたところでしょうがない気がします。

 またすでにゼロ金利政策を長年やってきている事で日銀が取りうる手段がないというのも事実ですが、昨日の「テレビタックル」で勝谷誠彦氏が、

「日本には未だに大量のタンス預金があると言われているのだから、聖徳太子の肖像画が描かれている一万円札は今年までにしか使えないと期限を切ってデフォルトを行うと宣言すれば皆急いで銀行に預金するのでは。そうすれば一気に大量の資金が流通するようになるだろう」

 という意見を言っていて、これは聞いてて少し面白いと感じました。
 まぁ円高傾向はまだしばらく続くでしょうし、あんまり慌て過ぎずに嵐がやむのをゆっくり待つ落ち着きも必要かと思うのが今日の私の意見です。

2010年8月22日日曜日

未来を見る視点距離

 人間誰しも、人それぞれに未来を見る視点というか視野に入れている未来があるかと思います。例えば大学受験を控える受験生であればどの大学に入ってどんな生活をしたいか、就職を控える就活生ならばどんな会社でどんな仕事をしていきたいのか。またこうした進路に限らず漠然と何歳くらいで結婚して、何歳くらいで部長になって、何歳くらいで引退するなどの未来でも構いません。
 こうした未来を見る時間軸はそれこそ千差万別で同じ個人にとっても状況によっては違った未来図があるかと思います。ただこの時間軸はいうまでもなく長短があり、ありていに言えば遠い将来を見越して行動している人もいればその日をどうするかだけしか考えずに行動している人もいるでしょう。

 一般的には五年先、十年先など将来を遠く見越せる人の方が偉いような言われ方をしていますが、私に言わせるならば何でもかんでも予想通りに上手くいくことなんてほとんどないんだし、あんまりにも先のことを細々予想し過ぎる人もどうかと考えています。諸葛亮みたいにピタリピタリと当てられるなら話は違うけど。
 特に近年は社会変化がただでさえ早く、そういう意味では現代人は今と言うか近い未来に集中して素早く対応するようになってきて、十年先といった将来に対して強いビジョンを持たない人、特に若者の間で多くなっているような気がします。

 ただこの傾向は若者に止まらず、穿った見方をすれば社会全体、それも政治の世界でこそ強いのではないかと私は考えています。これはどういうことかというと、今の日本の政治は突き詰めていえば「バブル崩壊前のあの栄光の時代を如何に取り戻すか」という議論ばかりで、日本を今後どのような国に変えていくかという意見が全く見当たらないからです。

 バブル崩壊前の栄光の時代というのは言うまでもなく「経済力の強い日本」というイメージで、経済力が国として大事なのは間違いありませんがそれにしても他の国と比べて日本は経済力に対して強い執着がある気がします。これなんか以前に会った人が言っていたことですが、日本の株価や為替が一般的な庶民の生活にはほぼ直結しないにもかかわらず日本人はいちいち大騒ぎしすぎるきらいがあるとして、なんだか言われた自分も少しドキリとしました。

 私も何度かこのブログで書いていますが、人口が減り続けている社会は労働力がそれだけ減るので自然と経済力も低下していきますが、その分社会を支えるために必要とされる労働力も減るので日々の生活が即貧しくなっていくということはありません。ただ年金を始めとした社会保障などは計算方法が変わっていくので制度をいじる必要はありますが、ゼロ成長にはゼロ成長に対応すればいいだけで成長がないからといってすぐ国が破綻するわけではありません。
 それを今の日本の政治家はなんとしても昔のあの良かった時代を取り戻そうとしてあれこれ金をつぎ込み、結果的には借金だけを残してしまったのですが。

 この話が最初の未来を見る視点距離とどう関係しているのかと言うと、私は今の日本の政治家、並びに大半の日本人はもう失って取り戻す事の出来ない過去を無理に取り戻そうとして破滅しかかっている、言うなれば未来を見ずに過去だけしか見ていない状態なのではと言いたいわけです。また個人レベルでも何も考える必要のなかった子供時代、気楽にできた学生時代ばかりを懐かしんでは未来の幸福を追わないという、これは今に始まったわけじゃありませんが過去へのしがみつきがちらほら見られます。

 私は何も遠い将来を見越せとまでは言うつもりはなく、家に火のついたような状態であれば今をどうやって生きるかに集中する事の方がずっと大事です。ただ一番まずいのは過去を省みるのではなくしがみつくということで、これは時間だけを消費して何も残るものはないでしょう。

 ちなみに私は今、とある事情で「今」をどう生きるかに強く集中するようになっております。何もサバイバルな状況にあるというわけじゃありませんが、五年後、十年後をあまり考えず、今年と来年をどうやっていくかだけを考えて行動を取っております。まだまだ冒険したい年頃なのかもしれません。

2010年8月21日土曜日

中国工場でのストライキ続発について

 これまたちょっと古いニュースですが今年に入って中国の外資系工場でストライキが多発している事が報道されるようになり、中でもホンダの部品工場の例は日本の大メディアなどでも大きく取り上げられていましたが、この中国で起きたストライキに関する報道を見て私が感じたのは他のメディアが言っているような中国人労働者の待遇問題とかそういったものよりも、中国政府が外資に対して対応を変えてきたなという考えが一見して浮かびました。

中国、外資でスト多発 日系が7割、ネット・携帯で連鎖(朝日新聞)

 今月の文芸春秋でもこの中国のストライキ問題が取り上げられており、内容を簡単にまとめるとストライキの主役は20代前半の若者たちばかりで、彼らは上記リンクに貼った記事に書かれているように携帯電話やインターネットなどを駆使して互いに連携を取ってストライキを起こして雇用側に給料や待遇改善を要求した。これらのストライキが起こるようになった背景として中国での一般の若者の教育水準が上がり、労働に対価が見合っていないと感じると以前以上に不満を覚えるようになっている……といった感じです。
 この記事は実際に現地で取材された方が書いていて決して記事の内容が的外れだと言うつもりはありませんが(何故か記事の冒頭に記事を書いた女性記者の笑顔の顔写真があったのが気になったけど)、もう少し掘り下げた見方があってもよかったという気がしました。

 私もあまり偉そうに言える立場ではありませんが、このストライキ事件の報道を見て私がまず最初に気になったのは、ストライキが起きたとされる工場が全部外資系だったということです。
 当初の報道では外資系工場では本国の社員(ホンダだったら日本人社員)に対して中国人労働者の給料は著しく低く、そういった賃金格差からくる不満がストライキに繋がったと一部では言われていました。しかし賃金格差なんて何も外資系に限らず中国では沿岸部と内陸部では本当に同じ国かと思うくらい差があり、中国系工場であっても監督を行う工場長と労働者の間では中国人同士でも大きな差があるとも聞きます。それにもかかわらずどうして外資系だけでストライキが起こったのか、言ってしまえばどこかの外資系工場が発端となったとしても中国系の工場に波及することも十分考えられます。

 結論を言うと、今回のストライキ騒動は中国政府が格差に不満を覚える底辺労働者たちへのガス抜きとばかりに外資系工場でわざと誘発させたのではないかと私は考えました。もしくはストライキ自体は中国系工場を含めかねてから各所で起こっていたものの中国政府はこれまでそれを一切報道させなかったが、今回やはりガス抜きのために外資系工場でのストライキに限って報道を認めたのではないかと思います。

 そもそも中国ではストライキに対してちょっと特殊な事情があります。現在の中国は紛れもない資本主義国家ですが一応は社会主義国という建前のため、労働者主役の国でストライキが起こることはありえないと言い張ってて憲法でもこういう論法でストライキ権が認められてないそうです。そのため断言してもいいですがこれまで中国でストライキが起きたということは公式的にはないとされ、報道も「違反をした雇用者に対して労働者が対抗した」という事例以外は一切ないと思います。

 それが今回どうして報じられるようになったかと言うと、同じ中国国内であまりにも広がった格差とそれに対する不満を少しでも和らげるために、労働者側がスカッとできるようにストライキが一部成功したというニュースが必要だと中国政府が考えたのではないかと思います。ただそれが中国系企業だとやっぱりまずいので敢えて外資系に絞り、「ずるい外国人が中国人から搾取していた」という組み立てで報道を認めた、というのが私の大まかな見立てです。

 私がこう考える根拠はというと、最初にリンクを貼った朝日新聞の記事の内容です。見出しにもある通り今回のストライキはホンダを初め外資は外資でも日系の企業に七割も集中しています。これは何故かと言うと先ほどの考えに則ると、中国政府としては日本は叩きやすい存在で、元々中国国民は一部で反日感情を持っているからガス抜きに使いやすく、またストライキが大きな問題となっても欧米と比べてあまり文句を言って来ない、という風に中国政府が考えたんじゃないかなと。

 あくまで今日ここで展開した話は私の意見で必ずしも正しいという可能性はありませんが、仮にこの考えの通りであれば中国政府はこれまで割と積極的に受け入れてきた外資に対して対応を変えてきた、ストライキを誘発させてくるようになったとも考えられ、今後の日中貿易を考える上でも見捨てては置けない事件だったのではないかというのがいつもの通り回りくどい今日の私の意見です。

中学校時代の友人の作文

 私が中学生の頃、国語の授業でこれまでに何か感動した内容をテーマに作文を書かされたことがありました。この時に私がどんな作文を書いたのかは覚えていないのですが、当時の私の友人が書いた作文の題と書き出しは未だによく覚えています。その内容というのも、以下の通りです。

  K君の頭
 ある朝、学校に行くとK君の頭がウドカットになっていた。


 この話の内容を簡単に解説すると、作文を書いた友人と私とで共通する友人であるK君が日曜日に床屋に行って髪を切ってもらっている間に寝ていると、なんと起きてみたらお笑いコンビのキャイーンのボケ役であるウド鈴木氏と同じ髪型、俗に言うウドカットにリアルにされていたのです。もちろん当時からキャイーンは人気でしたから学校に来るなりK君の突然のイメチェンはあっと言う間に学年中に知れ渡り、噂を聞いて見に行ってみるとマジでウドカットだったので私も爆笑してました。

 しかもそのK君、かねてから眼鏡をかけている点などでキャイーンのツッコミ役である天野氏によく似ていると言われていたので、この時ウドカットになった際は「頭はウドで顔は天野」だということで、「一人キャイーン」というあだ名が一時期付けられる事となりました。もちろんK君も望んでウドカットになったわけじゃないので髪を元に伸ばしてからは二度とウドカットになる事はありませんでしたが、あの一時期限定のインパクトは今でも強く印象に残っております。

 それはさきほどの作文を書いた友人もそうだったらしくて、事件から一年位後に「お前どうしてあんな内容で作文書いたんだよ」と私が聞いたら、「だって俺、あの髪型に感動したんだもん!」と強く言い返されてしまいました。

2010年8月19日木曜日

韓国、中国とは対話が出来るか

 大分期間が空きましたが、菅首相が村山談話に続く形で菅談話を行って韓国に対して戦前の日本政府が行った行為を謝罪した一件を題材に取って、今日は東アジア外交の話を簡単にしようと思います。菅首相の談話の中身については私自身が詳細に検証していないので敢えてここでは触れずに謝罪をした対象の韓国、ひいてはこの関係でよく一緒に揉める中国が果たして対話が出来る相手なのかどうか、その点について自分の知る範囲で書いていきます。

 まず韓国についてですが、言ってはなんですが対話ができるかどうかとなると私はあまりこの国を信用しておりません。残念なことに韓国政府はこれまで一巻として日本を仮想敵国に仕立て上げ、そんな日本を批判することで政権の支持率維持をどの政権も図ってきている節があります。もちろんこのような政策は韓国に限らずどの国でも行っており、かくいう日本も小泉政権の頃は意図的に中国を相手にやっていた節がありますが、韓国に対して私が最も呆れたのは今も揉めている戦前の個人賠償請求問題についてです。

 内容をざっくばらんに話せば戦前の日本の統治下で強制連行といった非人道的行為(なかったという人もいますが、私はこういう行為はあったと考えております)を受けた方個人に対して日本政府が賠償をするべきだという韓国側の主張なのですが、日本側としては国交回復の際に結んだ日韓基本条約内にて、「日本政府は韓国政府に対して援助を行う変わりに、韓国政府は個人賠償請求を放棄する」という文言があるとして言い合いを続けてきました。
 少なくとも日本は国交回復後に韓国に対して当時の韓国のGDPの三倍にも及ぶ経済援助を行っているのは事実でそれにもかかわらずどうして韓国側は個人賠償請求をかたくなに主張するのかと疑問に思っていたら、なんと韓国側では支持率低下を恐れてこの文言を国民に対してひた隠しにして、つい最近の2005年になってようやく公開したそうです。でもって案の定支持率が落ちたそうだけど。

 そりゃどの政権だって支持率が落ちるようなことをわざわざしたくないという懐具合も分かりますが、これまで援助を行ってきたにも関わらず一方的に本来される必要のない請求で文句を言われ続けてきた日本人の私からするとやっぱり納得がいきません。第一国家同士で結ばれた正式な条約を国民に隠してきたなど言語道断、と言いたい所ですが、沖縄返還時や核持ち込みに関する密約の事を考えると日本もあながち強くは批判できないものです。

 ただ韓国は、これは中国でも同じですが日本が行ってきた経済援助やODAの事実を意図的に隠す政策を取っており、これまでの外交の経緯を考えると政府から政府への謝罪や賠償を行ってもなかった事にされてほとんど効果は望めないと私は見ております。
 これは実際に私が知り合いの中国人から聞いた話ですが、彼が言うには中国人は日本が一言謝ってくれさえすればいいのに日本は日中戦争をまるでなかったことにしようと振舞っているのが我慢できないと考えていたそうで、そんな彼に例の村山談話からこれまで日本が中国に対して行ってきたODAの話をするとこれらの事実を全く知らなかったために非常に驚いていました。ちなみにその中国人は日本に五年以上住んでて、自らを「京橋のキムタク」と自称していましたが。

 さすがに韓国人の知り合いは少ないのでこのような話をしたことはないのですが、どうも韓国人も中国人同様に日本の政府発表による謝罪や経済援助の事実を全く知らないんじゃないかと思います。これだけインターネットが発達した時代ではありますが私自身も日本語での情報しか常日頃は殆んど見ませんし、仮に相手側が正しい情報を主張していたとしてもそうは簡単に信じず母国側の情報に頼ってしまう可能性が高いでしょう。そうなるとここで私が展開する話もぼろぼろと崩れて行ってしまうのですが、国際政治をやるとなるとここら辺をどう料理するかで実力が決まってきます。

 話は戻って果たして対話ができるかどうかですが、やはり現時点でも韓国、中国共々この辺の問題ではあまり期待は出来ません。ただ以前と比べるのであれば、私は両国とも大分やりやすい相手にはなってきたとも考えております。
 韓国の李明白大統領は日本同様に北朝鮮に対して強硬派であり、前盧武鉉政権と比べても感情的というかその場凌ぎのような発言が少なく慎重で、ここしばらくの韓国大統領の中でもまだマシな交渉相手ではないかと見ています。ただ日本に対してはやっぱり厳しい目を持っているようなので、隙を見せずにやっていく必要があるでしょう。

 それに対して中国の胡錦濤総書記ですが、聞けば驚かれるかもしれませんが私はこの人は日本に対して相当我慢してくれているなといつも感心します。確かに靖国問題などで揉めはしましたが、仮にあの問題が江沢民前総書記(日本嫌いの日本語上手)の時代であれば反日デモはあんなもんじゃすまなかったでしょう。またガス田問題、領海侵犯問題などこのところ中国は日本に対し強硬な姿勢を見せていますが、これらの中国の行動は中国からしたら「付け入る隙があるから付け入っているだけ」とでもいうべきか、非常に合理的で利益に則して行動しています。これは逆に言えば日本側に付け入る隙がない、このような行動を取ると利益よりも損の方が大きいと思わせれば控えてくるのではないかと楽観的かもしれませんが私は考えております。
 元来中国の政治家は利に対して非常に貪欲で感情的な行動は少なく、譲歩に対して相応の見返りを用意する事でまだ話し合いが出来る相手ではないかと見ております。しかしこれまた逆に言えば、何もデメリットがなければ中国は国際常識を無視していくらでも日本に圧迫をかけてくる可能性も高いという事ですが。

 結論を言うと、韓国も中国も政府相手となるとあまり信用が出来ない相手で、政府も変な友愛精神とかで譲歩してもなにも日本の利益に結びつかないのではないかと私は考えています。ただ近年は昔と違って政府だけでなく民間レベルの交流がしやすくなり、本当に小さなエピソードとかで国民感情ががらっと変わってきたりするのでそういったところから攻めて行くのも悪くない気がします。
 そんな手段の一つとして以前に私が考えたのは、中国のアイドルは鶏がらのように痩せている女性が多いので、ここは一つグラマーな日本のアイドル陣を大挙して中国に送り込めば一気に見方が変わるのではと提案しましたが、友人らからは相手にされませんでした。
(ノД`)

2010年8月18日水曜日

記録に残る外国人野球選手 後編

 昨日の前編に引き続き私的外国人野球選手の特集です。今回は現役選手も何人か入れてきます。

6、宣銅烈(中日)
 韓国の至宝とまで呼ばれて鳴り物入りで中日に入団するも一年目は不調でしたが、二年目以降は日本のプロ野球に馴染んで当時横浜にいた大魔神こと佐々木主浩氏とともに38セーブの記録で最多セーブ賞に輝き、その後も中日の優勝を牽引するまでの活躍を見せてくれました。

7、ロバート・ローズ(横浜)
 今回私がこの記事を書こうと思ったきっかけとなった選手で、横浜ファンにとっては未だ忘れられないほどの活躍を残した名選手です。このローズ氏がいたころの横浜はまさに黄金期で、マシンガン打線とまで呼ばれた継ぎ目のない打線の中で鈴木尚典氏と共に中軸を担って98年の優勝に大きく貢献しました。
 ローズ氏を語る上で外せないのはプロ野球史上唯一の三度のサイクル安打という大記録で、その長打力はもとより確実にヒットを打つ打率も半端ではなく、99年には打率.369、打点153、本塁打37という恐ろしい記録を残しております。またこの打点153という記録が示している通りにチャンス時の勝負強さは圧倒的だったらしく、塁に走者を置いた状態でローズ氏を打席に立たせる場合は押し出しとなってでも敬遠する価値があるとまで解説者に言わしめております。

8、ロベルト・ペタジーニ(ヤクルト、巨人、ソフトバンク)
 かねてから外人スカウトの力量に定評のあったヤクルトが引っさげてきたのが、現在ソフトバンクに在籍するこのペタジーニ氏です。
 ペタジーニ氏は二度のホームラン王に輝いた長打力ひとつとっても特筆に価するのですが、それ以上に恐ろしいと言えるのが異常な出塁率です。よく日本にやってくる外人長距離打者は前回にも紹介したラルフ・ブライアント氏が「三振か本塁打か」と言われたようにその長打力に比して三振数が多いといわれがちですが、ペタジーニ氏はそのような外人長距離打者の割には選球眼が非常によくて四球を得て出塁する事が多く99年と01年には最高出塁率タイトルも獲得しております。またそうした選球眼のよさが効いているのか比較的直球を好む傾向が強い外国人打者の中でも変化球に強く、日本にいた時代は毎年安定した成績を残してスランプらしいスランプがないのも立派なものです。
 そんなペタジーニ氏ですが、2004年に巨人を退団してから六年後の今年になってまさかソフトバンクに移籍してくるとは夢にも思いませんでした。しかも移籍後初ホームランがサヨナラだし。

9、タフィ・ローズ(近鉄、巨人、オリックス)
 阪神に在籍したランディ・バース氏と並んで「史上最強の助っ人」との呼び声の高いこちらのローズ氏ですが、バース氏同様にその打撃力は驚異的と言わざるを得ません。01年の本塁打数は最後の試合がまた王監督のいるソフトバンクに当たったために記録更新こそならなかったもののシーズンタイ記録の55本を打ち、その他の年もシーズンを通して出場した年はほぼ毎年ホームラン王争いに絡む活躍をしております。特に近鉄時代は現楽天の中村紀洋氏と共に「いてまえ打線」を作り、持ち前の長打力を生かして見事優勝を勝ち取っています。
 ただローズ氏はこうした打撃面以外の記録と言うか、やや不名誉なものですが退場記録数が通算で14回とこちらは日本歴代最高記録です。悪い人ではないのでしょうが、やや血気盛ん過ぎるための記録と言えるでしょう。

10、ホセ・フェルナンデス
 多分私だけでしょうが、よくフェルナンデス選手のことを「球界渡り鳥」と呼んでおります。
 その打撃力はどの球団も認めるもののそれを失って余りある守備の稚拙さゆえにチーム構想から外れるや次々と球団を渡り歩き、その回数なんと日本球界だけでも五回という陳記録を作っております。ちなみにその移籍の経過はと言うと、

ロッテ→西武→楽天→オリックス→西武

 と、ある意味便利と言えば便利な存在ですけど、近年の日本球団はどこぞの馬の骨を連れてくる位なら日本で実績を残した外国人選手を招聘するようになっていることがこのフェルナンデス氏の移籍数に影響しているでしょう。

11、アレックス・ラミレス(ヤクルト、巨人)
 野球をあまり知らない人にとってもすでにおなじみのラミレス氏ですが、十年にも渡って日本球界で長くに安定して活躍するその実力はさすがいう他ないでしょう。ホームランは毎年30本前後打ち、また安打についても右打者としては史上初めてシーズン200本安打を打つだけあって抜群の成績ですが、その一方で外国人選手にありがちな三振数の多さも半端でないために出塁率が低いという欠点もあります。
 ただラミレス氏はそうした試合での活躍のほかに自ら率先して行うファンサービスやパフォーマンスの面での球団への功績は計り知れず、もはやお馴染みとなった「ゲッツ」がダンディ坂野氏の持ちネタとは思えないほど定着しております。それにしてもダンディ坂野氏もまさかプロ野球選手に持ちネタを奪われることになるとは思わなかったろうな。

2010年8月17日火曜日

記録に残る外国人野球選手 前編

 以前に「記憶に残る外国人野球選手」という記事にてこれまでに日本プロ野球にやってきた印象的な外国人野球選手を紹介しましたが、今回は「記憶」ではなく「記録」にこだわり、これまたインパクトの強い外国人選手をここで何人か紹介しようと思います。

1、チャーリー・マニエル(ヤクルト、近鉄)
 1973年、当時のヤクルトは補強として大リーグからジョー・ペピトーンという選手を獲得したものの、この人物は一癖ある人物でシーズン中にも関わらずしょっちゅう勝手に試合を休み、果てには来日してから二ヶ月で勝手に帰国してしまう問題人物でした。このペピトーン氏の行動に当時の日本球界も怒り、補強とはいえ今後は大リーグの選手を迂闊に呼んでいいものかという大騒動になったのをアメリカにも伝わり、ペピトーン氏の行動に対するお詫びを込めてドジャースが人物、能力ともに安心して任せられる人物としてヤクルトに送り込んできたのがこのチャーリー・マニエル氏です。
 その期待通りにマニエル氏の参加を受けてヤクルトは急成長し、マニエル氏は来日二年目には打率.316、42本塁打、97打点という成績を残してヤクルト悲願の初優勝に大きく貢献しました。しかしその年のオフに当時の広岡監督のチーム構想から外れて近鉄にトレードとして放出される事となりましたが、移った先の近鉄ではかねてから不安のあった守備でなくてもいい指名打者で大活躍して見事近鉄は優勝しています。
 因みにヤクルト、近鉄共にマニエル氏が退団した翌年は最下位に転落しており、如何にその実力が抜きん出ていたかが分かるエピソードです。

2、レロン・リーレオン・リー
 この二人は実の兄弟にして日本球界に大変長く貢献してくれた二選手です。
 兄のレロン・リー氏は実働11シーズンで、4000打数以上の打率は.320でこれは日本人選手を含めた歴代最高の記録で、外国人としての通団打数1579本はタフィ・ローズ氏に抜かれるまでずっと一位でした。
 対する弟のレオン・リー氏は兄のように本塁打王といったタイトルこそ縁がなかったものの実働十年間は終始安定した成績でロッテ、大洋、ヤクルトといった三球団を渡り歩き、それぞれの球団でシーズン30本塁打以上を打ったという特殊な記録を残しております。

3、ランディ・バース(阪神)
 未だ「史上最強の外国人助っ人」との呼び声も高く、阪神ファンにとっては神にも等しいこのランディ・バース氏ですがその在籍中の記録もその異名に違わず桁外れの記録を持っております。
 阪神が優勝した1985年はいわゆる「バース、掛布、岡田」のバックスクリーン三連発が語り草ですがこの年は打率、打点、本塁打、出塁率、勝利打点となんと打撃五部門で最高成績を残して実に五冠王となっております。本塁打については最終カードがあの曰くつきの巨人戦であったために王貞治氏の持つシーズン55本塁打に一本届かなかったものの、日本シリーズでもシーズン同様の活躍でMVPを取っております。
 翌1986年も打率.389、47本塁打、109打点という記録で前年に引き続き打撃主要三部門で三冠王となり、特に打率については未だ破られていない日本記録として君臨し続けております。

4、ウォーレン・クロマティ(巨人)
 巨人の黒くて強い人といったら未だに印象の強いこのクロマティ氏ですが、彼の特筆すべき記録はシーズン規定打席数を終えた時点で夢の打率四割を達成していたものの、その後の試合でこの四割を保てず.378でシーズンを終えたという事実でしょう。仮に規定打席数を達成した後の試合に出場しなければクロマティ氏は打率四割というシーズン記録を残していたということで、その長打率と相まって当時のピッチャーからは恐れられていたのだろうというすごい記録に思えます。

5、ラルフ・ブライアント(近鉄)
 ホームランか三振か、これほどまでに極端なバッターは恐らくブライアント氏以外には今後も出てこないかと思います。近鉄に在籍してチームの顔から優勝の立役者となり大いに球団に貢献したブライアント氏ですが、その記録を見ると実にとんでもない珍記録を連発しております。
 まずホームラン数についてはやはり異常な量で三度の本塁打王獲得はもとより、ここぞという打席でホームランを打ってくるその圧倒的な勝負強さには目を見張ります。まずその第一例目はプロ野球史に残る1988年の伝説の「10.19ダブルヘッダー」の第二試合でのホームランで、これはもはや試合自体が伝説なので今後も語り継がれていくでしょう。
 そして近鉄が優勝した翌1989年、この年もシーズン終盤まで優勝争いがもつれてまさに天王山となった西武とのダブルヘッダーの第一試合では郭泰源氏から二打席連続ホームランを放ち、変わってスクランブル登板した渡辺久信氏からは更にホームランを放ちこれがこの試合の決勝点となっております。しかもブライアント氏はこの年にすでに五度も一試合三本塁打を打っていたため、王貞治氏の記録を抜いてこのシーズンは合計六回という大記録を樹立しています。続く第二試合目は一打席目は四球で歩かされるも二打席目ではまたもホームランを放ち、なんと四打席連続ホームランを一日で達成しています。たださすがに四度のホームランは体への負担も大きかったらしく、その晩はブライアント氏の肩が上がらなくなったそうです。
 そうした華々しいホームランの記録の外で三振の数もまた異常な量で、なんと現在に至っても歴代シーズン三振記録では一位から四位までブライアント氏の記録です。見ているファンの側としては非常に楽しみな選手ですが、使っている監督からしたら扱いづらい選手この上ないでしょう。それにもかかわらず優勝に導いた故仰木彬氏はさすがと言うか。

 まだリストアップしている選手が何人かいますが、続きはまた明日にでも書きます。

2010年8月16日月曜日

「真相報道 バンキシャ」が続いている理由

「真相報道 バンキシャ」が何で続くの?

 上記リンクは去年に書いた記事ですが、何故だが今でも時々拍手を受けたりして読まれている不思議な記事です。まぁ書いた内容についてはどうにもならない日本の放送倫理についても触れているので満更でもないのですが、この記事で私が疑問に挙げた内容についてその後続報を受けているので折角なので紹介しておこうかと思います。

 この記事で私が疑問に挙げた内容というのは、この番組が大々的にも報じたにもかかわらず結局は根も葉もないデマだった岐阜県の裏金疑惑について、誤報道の責任を取って当時の日テレの社長が引責辞任をしたのですが問題のある放送を行ったこの番組事態は何故か続けられ、一年経った現在も報道が続けられております。普通に考えるなら社長が引責辞任するくらいの放送をしたのであれば番組自体が潰れて当然なのですが、どうしたわけかこの「バンキシャ」は続けられて結果的にはこの番組の打ち切りよりも日テレ社長の首のが軽かったわけですが、この奇妙な日テレの責任の取り方はちょっと裏があったようです。

 前回の記事を書いた直後にある放送関係者にこの問題を振ってみた所、なんでも当時の日テレの社長をナベツネこと渡辺恒夫読売新聞会長が気に入っておらず、あの岐阜県の裏金疑惑の誤報にかこつけて社長職から飛ばしたというのが実情だったそうです。
 日本のテレビ局と新聞会社は資本関係から他国と比べて別メディアながら密接な関係にありますが、日テレ読売グループに至ってはかねてよりその意見方針などの点で他局と比べても強い関係にあると言われておりました。しかしそれにしたって、かつてのプロ野球巨人軍の原監督の左遷を含めてこんなめちゃくちゃな人事がまかり通って問題ある番組が存続してしまうというのはもはや看過出来るレベルじゃないでしょう。まぁ誰かさんが老衰でくたばれば丸く収まる話かもしれないけど。

 ついでに書いとくと「バンキシャ」のメイン司会者の福澤朗氏ですが、この人は「バンキシャ」で自分のキャリアを潰してしまったんじゃないかなとこのところ思います。一応日テレからフリーに転進してからは「ピンポン!」など報道番組を持っていたけどこれも去年で終わっちゃったし、その後も何か特別番組などで司会を任されることもなければ他の番組でゲストとして出てくる姿もほとんど見ません。っていうか、「バンキシャ」でしか見ないし。

 ちなみにアナウンサーと言うかテレビ司会者業界はこれから結構荒れてくるような気がします。大分年いっているけど読売新聞の本来は解説員だけど司会を任せれば一流の辛坊治郎氏がとうとうフリーに転身したし、これまで全く主流にいなかった池上彰氏が各番組に引っ張りだこになっている点といい、これら新人材へのキャスター入れ替えを狙って各局で報道番組の再編が行われるかもしれません。
 ちなみ最後の大物とされているのは言わずと知れたTBSの安住紳一郎氏で、彼がフリーに転身する時が現状で予想しうる最大のビックバンになると私は見ています。

2010年8月14日土曜日

自分のクローンを作りたいと一緒に思った友人

 私が高校生だった頃、ある日の生物の授業で遺伝が取り上げられておりました。教師は遺伝の概要を説明するとともにすでにクローン羊を生み出す事に成功している事に触れ、理論上はもう人間もクローンを作れる状態にあると説明し、仮に作れるなら自分のクローンを作ってみたい人はこの中にいるのかと尋ねたところ、手を上げたのは私と私の友人の二人だけでした。

 この時何故私が自分のクローンを作ってみたいと思ったのかというと、仮に自分のクローンを自分で育てた場合、自分と同じ性質の人間に成長するのかどうかを試してみたいと思ったからでした。要は人間の性質は先天的な要素か後天的な要素、どちらの方が影響度が高いのかを試してみたいと率直に考えたからです。まぁ自分で育てたらあまり意味ないかもしれませんが、その辺も含めて比較しようと。

 ところがこんな風に考えるのはやっぱり少数派だったようで、案の定と言うか授業の後には見事に友人らから気味悪がられました。

「お前なんでクローンなんか作りたいと思うんだよ?」
「面白そうでいいじゃん。別にこんなの人それぞれじゃないか、気味悪がる事ないだろ」
「いや、お前がクローンを作りたいと思った事よりも、お前とあいつ(私と一緒に手を挙げた友人)の二人だけがクローンを作りたいと思った事が気持ち悪いんだよ」

 こういうのもなんですが、この時に私と一緒にクローンを作ってみたいと手を挙げたその私の友人は控えめに言ってもかなり変わった友人でした。性格ははっきり言ってわがままそのもので、よく授業が終わった後は資料集を持って延々と教師に対して質問を通り越して個人指導を申し込み、あんまりにもしつこくやるもんだから終いには教師に怒られる事もあった生徒でした。
 そんなこの友人ですが、何故だか私と馬が合って高校時代はよく一緒になって行動を起こしていました。確かセンター試験会場を下見に行く時も一緒に行った覚えがあります。

 現在、この友人は社会人経験を経て国立大学の医学部を目指して勉強をし続けております。この経歴自体が特筆に価するほどその友人は面白い人生を歩んでいるのですが、今思うとあの時私と一緒にクローンを作りたいと考えただけあって好奇心が人一倍強い性格は未だに変わりがないようです。対する私は理系ではなく文系に進みましたが、好奇心はともかくクローンを作ってしまえという無鉄砲さは未だに持ち続けているような気がします。

2010年8月11日水曜日

続、児童虐待致死の厳罰化機運について

母親を殺人容疑で再逮捕 2幼児遺棄 「食事与えず死んだ」(産経新聞)

 上記リンクに貼った大坂での二児放置事件の詳細についてはすでに各所で報じられているのでわざわざここで説明しませんが、何度もこんな事は繰り返してはならないと事件のたびに報道されるもののまたもこうして痛ましい事件が起きてしまったというのは残念な事この上ありません。

 さて以前に私は「児童虐待致死の厳罰化機運について」という記事にて近年次々と明らかになる児童虐待事件を受けて、社会的にも虐待を行った親に対して厳罰化、具体的にいうなら現在主に適用される「保護責任者遺棄致死罪」ではなく「殺人罪」、もしくはもっと重たい刑が課されるような法改正をすべきだという機運が高まっており、早晩法改正が行われるのではという意見を書きましたが、すでに現時点で司法界もそのように認識が切り替わってきているようです。

 先にも述べました通り、これまでの幼児や児童の虐待致死事件では上記リンク先のニュースにも書かれている通りこれまでは「保護責任者遺棄致死罪」という刑法によって虐待を行った親は裁かれるのが一般的だったのですが、今回のこの大坂の事件では幼児らに対して明確な殺意があったとして(死ぬとわかってやっていた)初めから「殺人罪」で起訴される事となりました。またこの事件が目立ってこちらはやや隠れがちですが、

女子高生、乳児殺害容疑で追送検へ 神戸・側溝遺棄事件(朝日新聞)

 こちらの事件は女子高生がトイレで生んだ赤子を放置して死なせたという悲しい事件ですが、こちらも大坂での事件同様に殺人罪で起訴される運びとなっております。

 なんだかんだ言って、検察も昨今の社会的影響を考えてか児童虐待に対して厳罰を以って望もうとしているように感じられます。全部が全部、社会的の空気に影響されて物事の基準が変わるというのは問題ではありますが、私はこの児童虐待については倫理上でも社会的観点からでも厳罰化は歓迎すべきだと考えております。

 ここで話は少し変わりますが、今回の大坂の事件とよく似たケースとして1988年にこんな事件がありました。

巣鴨・置き去り事件(オワリナキアクム)

 この事件は主演の柳楽優弥氏の好演で話題となった「誰も知らない」という映画のモデルとなった事件ですが、今回の大坂の事件同様に母親が幼い子供五人を部屋に残したまま殆んど家に帰らず、たまに長男にだけお金を渡して何年にも渡って置き去りにしていたという事件です。結果から言えばこの五人の兄弟のうち二人は死亡していたのですが、この事件の最も奇妙というか理解しがたいというべき点として、近所に住む大人たちが誰もこの家族の存在に気がつかなかったという点です。同じく親に見捨てられた子供の話でも死刑判決を受けた永山則夫の例では見かねた近所の住人が福祉事務所に連絡を行っていますが、大坂の事件でもこの巣鴨の事件でもそういったことはついには起こりえませんでした。

 別にそれで近所の連帯がどうたらこうたら言うつもりはありませんし、いまさらそんな牧歌的な時代に立ち戻ろうとするよりも目下の虐待を防ぐためにも児童相談所といった行政の権限を強める事の方が大事だと私は思いますが、100歳以上の高齢者で行方不明者が相次いでいる件と絡めて考えると、今の日本社会は誰とも付き合わなくともそれなりにやってけるようになったと感じます。それを退化と取るか進化と取るかは人それぞれですが。

 最後に巣鴨の置き去り事件について、この事件の裁判で子供を置き去りにした母親には「懲役3年、執行猶予4年」の判決が下りていますが、仮にこの事件が今年に起きていたらまず間違いなく執行猶予はつかなかったでしょう。この差についてちょっと表現し難い感情を持ちえますが、時代の違いだと言って割り切るしかないでしょうね。

2010年8月10日火曜日

日本の首相の選ばれ方

 近年、日本の首相は猫の目のようにめまぐるしく一年ごとに変わっておりますが、そもそも日本の首相はどういった基準で選ばれるのでしょうか。法的には日本の首相は国会議員の中から選ぶという制約以外は自由ですが、憲政の常道という事で与党の代表者が就任する事が戦後では慣例となっているため、日本の首相は基本的には与党の代表者とイコールだと考えてもいいです。ではその与党の代表者が選ばれる基準は一体何なのかというと、結論から言えば選挙を有利に運べるような知名度があってイメージのいい人間ということだけしかなく、この事実こそが近年の日本政治を最も混乱させている原因の一つだと私は考えております。

 話は昔に遡って戦後から平成に至るまで首相はどう決まっていたのかですが、この頃は数の力というか、自民党内の派閥の人数が首相を決める上で大きな指標となりました。それでも佐藤栄作の頃までは前任者が在任中に暗に後継者を指名するような形で決まっていましたが、田中角栄が首相になったあたりからは派閥を構成する力こと資金力が徐々に物をいうようになって行き、竹下登内閣でのリクルート事件発覚を受けてこうした金権政治に対して国民の倦んでいったような印象を覚えます。

 その後自民党の下野や社会党との村山富一連立内閣を経て橋本龍太郎内閣に至り、また元の自民党政治こと派閥で大勢が決まる政治体制に戻りかけたのですが、小渕敬三の急逝を受けてこの流れが大きく変わることとなりました。小渕敬三の後はこれまた派閥の兼ね合いから密室の談合を経て森喜朗氏が首相となったわけですが、これがまた結果が悪くかつてないほどの支持率を受けて当時はリアルに自民党は次の選挙でまた下野するだろうとみんな考えていました。そんな世論を自民党側もよく理解しており、ここで最大の奇手こと、従来の価値観からすると最も首相から遠いと思われていた小泉純一郎氏を総裁とすることでこの危機を見事に脱す事に成功しました。

 ここまでいえば分かると思いますが、日本の首相が国民受けがいいかどうかで決まるようになったのはまず間違いなく小泉内閣からです。ただ仮にこの小泉内閣が失敗していればこの動きはその後も続かなかったのかもしれませんが、皮肉な事に小泉内閣ががけっぷちだった自民党を見事に立ち直らせてしまったのでその後釜にも国民的人気の高かった安倍晋三氏が後継につくこととなってしまいました。

 もうそこからはあまり語る必要もありませんが安倍氏以降の日本の首相は、福田康夫氏は多少微妙ですが、どれだけ知名度が合って国民受けがいいかの基準でもってしか選ばれず、言ってしまえばそれ以外の面にについては全くと言っていいほど問われる事がありません。麻生太郎氏に至っては明らかに政治家としての資質が非常に疑わしかった人物にもかかわらず自民党は総裁に立て、案の定その資質のなさから自民党を本当の意味で壊してくれました。
 その麻生氏を選挙で下した民主党からは鳩山由紀夫氏が出て首相となりましたが、こちらの在任中は惨たるもので、政権末期には思わず「どうしてこうなった……」と言いたくなるような状況でした。この鳩山氏も麻生氏と同じく政治家としての資質、というよりも毎年1500万円も母親から金をもらっていながら知らぬ存ぜぬと言い張る辺りかねてから一般人として見ても相当に疑わしい資質の人間ではありましたが、そんな人間でも首相になってしまっています。まぁこの人について言えばその金の力でなれたんだろうけど。

 そんな鳩山前首相の後継が今の菅直人首相ですが、こちらも私の目からするとかつての「O-157カイワレ原因説」を過去に不用意に口にしているなど、やはり政治家としての資質に疑わしい点が多い人選だという気がします。もちろん他に首相を張れる様な政治家が現在いないというのも原因かもしれませんが、それにしたって知名度以外にももう少し選ぶ基準という物がある気がします。また知名度や国民受けがいいというだけで首相が選ばれるというのであれば、その時点で「選挙のための政治」というより他がない状態でしょう。

 かつての派閥の力関係で首相が決まる自民党のやり方が正しいと私はいうつもりはありません。ただ知名度だけで選ばれるという今の状況よりは、以前のやり方のほうが確実にマシだったとは主張します。またこうした議論となるとすぐ「首相公選制」の導入が叫ばれますが、首相公選制ではますます知名度だけで決まりかねないために私は反対です。

 さらに苦言を呈すと、日本国民も知らず知らずのうちに知名度だけで首相が選ばれる事に慣れてしまっている気がこのところします。ちょっと前に菅氏の後には誰が来るのかという論評をどっかのメディアが行い、仕分けで名を挙げた蓮舫氏を挙げたらそれに対してネット上でいくらなんでもそれはありえないなどと反応が起こり、なんだかんだ言って盛り上がっていたのを見たことがあります。
 別に蓮舫氏が悪いと言うつもりはさらさらありませんが、そのネット上の反応を含めて彼女がどのような政策案を持ってこれまでどのようなスタンスを取ってきたかについて言及がなく、ただ仕分けについてだけでしか議論がなかったのをみて私には物足りなさをどうにも感じました。中には蓮舫氏が台湾系日本人だからという意見を言う人もいたけど。

 じゃあ私は誰なら首相にいいかといえば、この際日本のためにまともにやってくれる人なら男性だろうが女性だろうが、少年だろうが年寄りだろうが、なんだったら外国人であっても構わないという考えをしています。そもそも戦後の日本で最も偉大な政治家を挙げるとしたら、いつもダグラス・マッカーサーを挙げてる位だし。

2010年8月9日月曜日

エコカー補助終了について

経済ナビ:エコカー補助9月終了 景気回復に影響も メーカー各社減産検討(毎日新聞)

 麻生政権の頃に実施されたエコカー購入補助が今年九月に終了するということで、このところ自動車の駆け込み需要や景気への先行き不安といったニュースをよく見ます。このエコカー補助が始められた理由は環境保護や景気対策といえば聞こえはいいですが、始まった当初に中部大学の武田邦彦氏が、

「このエコカー減税やら補助は結局は車を買う人間にしか恩恵がなく、車を買わない、もしくは買えない人間の方からすると取られた税金が一方的に使われる制度で不公平極まりない」

 と主張していました。
 この武田氏の主張に私も同調し、うちの親父から「ダイハツのコペン買いなよ( ・∀・)←自分が乗りたい」と再三誘いをかけられたものの、奪う側でいるよりは奪われる側にいようと思って拒否し続けました。まぁそれ以前に貯金がなかったのが原因だけど。

 またこのエコカー補助ですが、名前こそ「エコカー」であるもののそもそも現在日本で販売されている新車はどれも燃費性能が高く、一部のスポーツカーを除くと大体が補助や減税の対象となっております。確かに古い車から買い換えるのであれば燃費性能が上がって環境にもいいかもしれませんがわざわざ税金を使ってまで一挙に買い替えを勧めるべきかといったら私はそこまで優先順位は高くなく、むしろ介護や医療といった逼迫している分野へ投資する方が未来があったのではないかと思います。

 また景気対策として考えてみても、確かに自動車産業は裾野が広い産業ではあるものの、どうしてこの業種にのみ購買補助が行われたのかについて公平さがありません。言ってしまえば自動車とは関係ない繊維や不動産、IT関係には一切お金が配られないのに対し、自動車産業だけは税金からお金が配られたという事で、こりゃやっぱり政治的な力関係で決まってしまったとしか思えません。

 そんな感じで初めから気に入らなかったこの制度もようやく終わるそうですが、何気に自動車産業はこれから物凄い再編が行われるような気がします。というのも今後はハイブリッドエンジンに変わってモーターこと電気自動車がますます増えて普及していく事が予想されるのですが、仮にそうなった場合に劇的な産業転換が行われる必要があります。

 あくまで私個人という素人の意見ですが、聞く所によると自動車部品で重きをなすのはやはりエンジン周りの部品だそうで、その部品点数も複雑な構造ゆえか非常に数が多くて自動車産業に属す企業の中でもエンジンパーツのメーカーが相当の割合を占めているそうです。
 これに対して電気自動車の動力となるモーターは非常に簡単な構造をしており、組み立てに必要な部品もエンジンに比べるとはるかに少ない点数で間に合ってしまうそうです。電気自動車で今後重要になってくるのは一にも二にも電池部ですが、動力がエンジンからモーターに移り変わるだけで現在自動車産業に属す中の相当数の企業が廃業か転進を迫られる事になるかと思います。

 そういう風に先を見越すと、影響を受けそうな部品メーカーは下手に延命させるよりも早くに産業転換を図っていかなければならない気がします。まぁ電気自動車が普及しなけりゃそれまでだけど。

2010年8月6日金曜日

最近のニュースの雑感

 昨日はまたもやる気が出ずにブログ更新をサボってしまいました。私は中国に留学中も他の生徒がしょっちゅうズル休みをするのに対して始業から毎日遅刻もせずに授業に出席していたのですが、ある日寝坊をしてしまい一年間の授業でたった一日だけ遅刻をすると、その日教室入るなり教師生徒揃って大爆笑されました。このブログも他の方のブログと比べると更新数が異常に多いため、人によっては休んだりすると「あれっΣ(゚Д゚;)」っと思われてるかもしれません。

 さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。

 そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。

首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
 8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
 発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
 別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。

杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
 日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
 図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。

元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
 上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。

2010年8月4日水曜日

過剰な消費者保護によって起こる弊害

 最近元気のない記事が続いているので、久々に手のかかる記事を書こうと思います。
 さて世の中経済々々とそれしかこの世にはないのかって言いたくなるくらいにみんなして経済を良くしなければと口々に言っていますが、単純に経済を良くする為にはどうすればよいのでしょうか。この経済を良くするための処方箋は時代によって異なり、戦前の日本であれば如何にして生産力を上げるかが最も重要視されましたが、近現代の日本においてはいかに消費力(主に国内の)を上げるかに注力されました。

 この生産力と消費力ですが、言ってしまえばこの二つのうち片方だけが良くとも経済が好転するわけでもなく、効率よく力強い経済システムをつくるためにはこの生産と消費が二つ噛み合って高い水準になければならず、これは言い換えるなら物やサービスを作って付加価値をつける生産者、それらを購入して消費する消費者それぞれが成長しなければ経済も成長しないという事です。先ほど近現代では消費力を上げる事に政府は注力していると書きましたが、これは現代日本の生産力に比して消費力が不足しているという考え方からの処方策です。

 このように消費と生産は車の両輪のよう揃っていなければいい経済にはならないのですが、生産者側、言い換えると物やサービスの売り手側の努力に対して近年の日本人消費者の行動や反応ぶりがこのところいささか目に余るというか、かえって全体利益を損なわせているのではないかと思うところがあります。もう早いところ結論を述べると、ちょっとこのところは政府や世間は消費者を甘やかし過ぎなんじゃないかと言いたいわけです。

 私がこのように思うようになったのも、先日に政府で100円ライターの販売禁止が検討されている事が一つの大きなきっかけになりました。
 事の起こりはこうで、小さい子供らを車の中に残しておいたところ、所有者である子供の親が置いていたライターを子供がいじくったのか車が炎上してしまい、そのまま数名の子供が火傷で死亡した事件が今年にありました。この事件が起こるや設立の初めからきな臭くは感じてはいましたが消費者庁が飛びつき、子供が遊ぶと危険だからしっかりとした対策がなされない限りは現行の100円ライターは全面禁止にしようと言い出しました。
 しかし100円ライターを子供に渡しても平気なほどの対策を行うとなると明らかに製造コストが跳ね上がり、現製造メーカーらは規制が作られれば廃業してしまうと主張したものの消費者庁はだったら廃業してしまえと言わんばかりに、今でも聞く耳を持っていません。

 そもそもの話、私はライターを子供の手の届く所に置いていたことこそが一番問題だと思います。厳しい意見となりますが子供が死亡した先ほどの車の炎上事件ではライターが置かれていた車内、さらには燃えやすい可燃物も置かれていたそうで、寝ていたとはいえ子供をそんなところに置きざりにしていたのですから同情こそするもののそれでライターを置いていたことが事故の原因とするのにはおかしさを感じます。

 またこの100円ライター同様、二年前の秋葉原連続殺傷事件で両刃のナイフが使われたことを受けてすぐさま一定の長さ以上の両刃ナイフが販売はおろか使用まで禁止されましたが、牡蠣の養殖業を携わる方によると閉じた牡蠣の殻を割って中身を取り出す際に細身の両刃ナイフが長年使用され続けてきたのですが、この新しい規制によってこのナイフまで使用禁止となり、使用していた場合には罰金刑が課されるようになってしまったそうです。

 100円ライターにしろ両刃ナイフにしろ、絶対的多数の人間、それこそ99%以上の人間が本来の生活上役に立つ使い方をしていたにもかかわらず、1%にも満たない不心得物が間違った使い方をしたのを受けて正直者99%に使用を禁止するなんて、どれだけ馬鹿な世の中なんだと言いたくなってくる話です。
 特に100円ライターについては私は煙草を吸わないものの、家で逝去した祖父母に線香を焚く際によく使いますし、突然の大地震やバイオハザードが起きてゾンビが街に溢れたりするサバイバルな状況下では非常に有用なツールになるので禁止されるなんてふざけるなと声を大にして言いたいです。まぁバイオハザードはともかくとして、線香に火を点けるのであればチャッカマンでもいいのではと言う声もあるかもしれませんが、それだとライターが駄目でチャッカマンがいいという論理がまたおかしい気がします。第一、煙草に火を点けるのもチャッカマンに変えたら余計に危ない気がするし。

 このように近年は何か事件や事故、しかも明らかに使用者側に問題があると思われるケースが起こるたびにすぐ規制がかかって関係のないほかの使用者も使えなくなるということが増えているように思えます。消費者保護といっては聞こえはいいですが実態的には単なるメーカーやまじめな使用者イジメにしかなっておらず、メーカー側もこうしたわけの分からない規制やクレームに対応しなければならないことを考えると社会全体に対して重いコストにしかなっていません。
 もちろん商取引上、生産者(販売者)の方が消費者に対して偽装や欠陥を秘匿することができるため基本的には消費者保護の姿勢を社会は持たねばなりませんが、過剰な消費者保護は生産者はおろか真っ当な消費者の利益をも阻害しかねないと私は考えます。

 特に近年は脅迫まがいのわけの分からないクレームをつける人間も増えており、消費者を保護する一方で真面目な生産者を社会が保護する必要性も現れてきたかと思います。生産者の側も商品やサービスを提供するからと言ってなんでもかんでも頭を下げても結局はそういったクレーマーを助長させることにしかならず、そろそろ正当なクレームと脅迫はしっかりと分けて、脅迫をしてくる人間に対しては「帰れボケッ( ゚皿゚)キーッ!!」って、時には怒鳴り返すことを社会も認めるべきでしょう。あくまで時にはだけれど。

2010年8月3日火曜日

最近ハマッている漫画

 土曜日曜は一日十時間眠っていたのに対し月曜と昨夜は5時間くらいしか眠れなかったのがたたって、どうにも頭がボーっとします。通勤がもう少し短ければなぁ……。
 そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。

 そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。

 弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
 「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。

2010年8月2日月曜日

組織拡大と綱領について

 イギリス元首相のトニー・ブレアとなると日本ではジュニアブッシュに追従してイラク戦争に参戦したことからあまりいい評判ではありませんが、こと内政に関しては長く続いたイギリス病と呼ばれる長期不況から脱するなど目覚しい功績を残しております。そんな彼の経歴ですが、労働党の党首に若くして就任するやそれまでの労働党が持っていた社会福祉の絶対重視という綱領を一部捨て、保守党のマーガレット・サッチャーに始まる「第三の道」こと新自由主義路線の政策を採って中産階級にも支持を大きく広げることでなんと44歳という若さで英国首相という地位に上り詰めております。

 トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
 同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。

 私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
 では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。

 なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
 何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。

 翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。