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2013年11月26日火曜日

部活動での拘束の是非

 昨日は緊急的に中国の話題を記事に書くこととなったので、当初予定していた一昨日の記事の続きを今日書きます。
 おさらいをすると一昨日の記事では公立中学校での朝練の廃止を長野県が検討していることを取り上げ、日本の部活動はやや勝利至上主義に走りすぎていてかえって青少年の心身の成長、ならびに学業に悪い影響を与えているのではないかという私の意見を紹介しましたが、今日はさらにアクセル踏んで日本の部活動に対して私が不満に思う悪口を書いてこうと思います。ちなみに「迷ったらアクセルを踏め」というのはコリン・マクレーというレーサーの言葉ですが、この言葉をベストカーという雑誌で引用した山路徹氏は二年前の不倫騒動を振り返って、「この言葉を思い出してアクセルを踏みました」と述べています。いい意味で懲りない人です。

 話は本題に入りますが、まず率直に言って私は日本の部活動文化が自分自身が中学、高校生だった頃から嫌いでした。その理由というのも単純に拘束が多いという一言に尽き、どうして課外活動であれやこれやといちいち細かく指示されないといけないんだよと不満で仕方なく、結局週三日だけ放課後の練習に出ればいいという緩さから中学校時代と高校の始めまで水泳部に所属しました。

 その過剰と思える部活動の拘束ですが、やや凝った言い方をすると文化系の部活ならともかく、運動部系の部活だと入部した時点で学校生活が部活動中心になってしまうというのが腑に落ちません。月から金のウイークデイの放課後は必ず練習に参加。そして土日も練習のため登校せねばならず、日常生活の大部分の時間を部活動に取られることとなってしまいます。
 もちろんその運動部で行っているスポーツ種目が大好きで仕方のない人はいいでしょうが、みんながみんなそうというわけでもなく、本当はサボりたいけどそのスポーツ種目をやるためには仕方ないからいやいや参加しているという子も少なくはない気がします。下手すればそのように練習づめにされて拘束されるのが嫌で、そのスポーツ種目自体は大好きなんだけど部活には参加しないって子もいるかもしれません。

 厳しいことを言えば、日本の運動部の部活動は多少は体を鍛える効果があるかもしれませんが、少なくとも生徒の競技に対するやる気を伸ばしているかといったら全く伸ばしていないと言っても過言じゃないでしょう。少し興味はあるんだけど必死こいてまでやりたくないという生徒は最初の段階で切り捨ててしまっており、その切り捨てによってもしかしたらその競技に非凡な才能を持っていたかもしれない人間の多くを無駄にしてしまっているのかもしれません。
 仮定の話が続きますが、最初は週二日くらいの練習でいいやと思って練習に参加しているうち、どんどんとやる気が湧いてきて最終的には週五日フルに参加してくる生徒もいるかもしれません。しかし日本の現在の部活動は週二日しか参加しない奴なんて初めから相手にせず入部を認めない可能性もあり、そう考えるとなんかもったいない指導しているなという気がしてなりません。

 私が何を言いたいのかというと、少なくとも中学までの部活動に関しては学校側は練習を強制せず、あくまで生徒の自主参加という形で指導するべきだということです。月から金の放課後練習には参加するが土日の練習には来ない生徒もいれば、土日も含めて全参加、はたまた逆に土日だけ参加するっていう生徒があってもいいような気がします。また一つの部活だけで活動するわけでなく月火水は陸上部、木金は水泳部の練習に参加するという選択肢もあっていいと思うのですが、こんなやり方を認める学校なんて私の知る限りではありません。
 恐らくこういうやり方を提案したところで多くの指導者並びに関係者からは、それじゃ団結力が生まれないだとか生徒によって運動能力にばらつきが出て指導し辛くなるとかいう意見が飛んできそうですが、私としては一緒に長く運動すれば必ずしも団結力が生まれるとは限らないと思うし、普通の部活でも生徒個人個人によって運動能力にばらつきは出るのだから、練習メニューを工夫すればどうとでも対応できる気がします。

 もちろん試合などに参加できるのは熱心に練習に参加している生徒でいいと思いますが、私自身がそうだったのですが試合とかに出なくてもいいから自分のペースで練習したいという生徒のニーズをもうちょっと汲んでもらいたいと思います。また同時に、一つのスポーツだけでなく複数のスポーツを楽しみたいという生徒もいるのであればなるべくしてその希望を叶えるように動くというのが本来あるべき学校の形じゃないでしょうか。
 少なくとも中学校の部活動に関しては、進学できる学校を生徒自身が選んでいることはほとんどないため、試合で勝つことを目的としてはならずあくまで生徒のスポーツに対する興味を育てることに重点を置くべきでしょう。ただ高校は生徒も進学先をある程度選べるし、熱心にスポーツやりたい子はそういうスポーツが盛んな学校に向かうことを考えると、多少は勝利を優先して部活動での拘束もあっていいとは思いますが。

 結論をまとめると、日本の部活動はやや硬直的で幅がなく、それがために高いポテンシャルを秘めている生徒を無駄にしてしまっているのではないかというのが私の意見です。こういう風に思うのも私自身が生来から協調性がないのが最大の要因ですが日本の部活動になじめず、同じような友人と一緒に「好きな時に好きなだけ運動したいよねぇ」とよく語っていたからというのと、サッカーは異常なほど大好きだけど部活の練習が嫌でサッカー部に入らなかった友人が身近にいたからです。

 それにしてもというか、また日本人批判になってしまいますが日本社会はどこを見回しても幅の狭い人生しか送れない仕組みになっているような気がしてなりません。この部活動一つとっても最初に書いたように日常生活が部活動中心になってしまう可能性が高く、また社会人も仕事を取るなら家庭を捨てなければという概念が未だに半端なく強いです。まるで「何か一つを選択するならほかのすべてを投げ捨てろ」と言わんばかりの価値概念で、何の根拠もなくこういう事を平然と要求してくる日本人のカビの生えたような思想が大っ嫌いです。「あれもしたい、これもしたい」というのは一見贅沢に見えるかもしれませんが、見方を変えればあらゆることにチャレンジしようとする心の表れでもあり、そうした可能性を摘み取るろうとする日本人は本当に自分の敵だと思います。

4 件のコメント:

上海忍者 さんのコメント...

根本的言えば、部活動はある意味の合コンですわ。
合コンが第一、練習が第二、そう思いませんか?

花園祐 さんのコメント...

 男女一緒だったらありかもしんないけど、日本の部活って男女別々が多いよ。

若生わこ さんのコメント...

宇都宮病院事件の記事から何か過去に部活動についての言及でもあるのかな…と思って検索して参りました。
中学時代の部活動が楽しくてしょうがなかった私からすると悲しい記事ですねぇ…。考え方も思考の理も人それぞれなのでしょうがないですけど。

私は中学の間だけ野球をしていたのですが、部での朝練がないのに早朝から後輩捕手につきあってもらって投げ込みしてたぐらいですので。
おかげで一日二試合完投を度々任される程度にはスタミナはつきましたね(案外壊れないもんです)。今じゃ30球も投げればバテてしまいますが。
以下記事を読んで考えたことを少々。


>>少し興味はあるんだけど必死こいてまでやりたくないという生徒は最初の段階で切り捨ててしまっており

これはそんなに悪いことだとは思えないのですよね。そりゃあ必死こいてやりたくないのであれば自分達で遊びなりレクレーションとしてやれば良いので。それなりにやる気がある人用に部活動ってのはあるのではないかなーと思います。顧問の先生の方針によるところも大きいでしょうけど。

>>少なくとも中学までの部活動に関しては学校側は練習を強制せず、あくまで生徒の自主参加という形で指導するべきだということです

流石にそこまで行くと個人主義に傾きすぎているかな…と思いますが。何より揃う人数如何でやれる練習が変ってくる競技も多いと思うので。


文章を読む限り、乱暴な言い方をすると「学校の部活動でそこまでガチるな」というまとめ方で良いのですかね?(見当違いならすみません)
ただ前述しましたけど顧問の方針等々で実際の部活動のガチ具合ってのは結構変ってくるもんですし、「もっとガチりたい」とか「もっと緩くやりたい」というのであれば自分の希望する程度の目的意識でやっているスポーツクラブ等を利用するというのが妥当ではないのかなと思います。それがないのであれば自分達で同好会を設立するでもいいですし。これなら好きなときに好きな競技を…というのも可能なはずです。

>>少なくとも生徒の競技に対するやる気を伸ばしているかといったら全く伸ばしていないと言っても過言じゃないでしょう

私の経験からすると、それは人次第でしょうね。毎日練習に参加しなくてはいけない…もしこうでなかったらサボり癖が強い私は「野球が心底楽しい」と思うことは無かったかもしれません。なぜなら「自分が上手くなった」というのを認識できたり、試合に勝ったり、それが一番やる気を出させてくれましたから。もっとも私はお世辞にもセンスがあるとは言えませんでしたし、勝率も二割程度の弱小チームでしたが。

>>日本の部活動はやや硬直的で幅がなく、それがために高いポテンシャルを秘めている生徒を無駄にしてしまっているのでは

これは全くもってその通りだとは思います。ただ日本の部活動、特に運動部というのは恐らく「競技者を育成する為のもの」というよりは「社会性を身につけさせる為のもの」という点に主眼が置かれていてだからこそ全体主義信仰は根強いのではないでしょうか。ひどい言い方をすれば世の中では「周りに合わせられる」のが社会性みたいに考えられてる節がありますし(必ずしもそうではないと思いますが)。


確かに大体の運動部は拘束が多かったり、先輩に嫌な人がいたり、後輩に生意気なのがいたり、顧問の先生に説教食らったりと嫌なことも多いです。しかし何事も、やられ過ぎなければ良い経験だったと思えるものです。何より私も相当に協調性がない人間ですが「野球部を通して少しは丸い性格になったな」等と父から言われまして、あの中学生時代に少しだけ成長したのかも知れません。

学校部活動の全部を良しとは私もしませんが、少しは良いと思われる点にも注目をして欲しいと感じます。

花園祐 さんのコメント...

 いつもながら忌憚のないコメント、ありがとうございます。言ってる内容で言えば明らかに自分の方が乱暴極まりないことを常に言っているので、言い方や内容など気にせず批判も含めてフリーに語ってもらっても大丈夫ですよ(^_^;)
 最後に書かれてある「部活の良いと思われる点にも注目してほしい」というお言葉ですが、実はこの記事はその真逆を突いてやろうと思って書いた記事でした。というのも日本では誰もが「部活はやらないよりやった方が良い」と述べてそのメリットしか話しませんが、光ある所には陰も必ずあるというのに、デメリットには全く見向きもしないどころか口に出すことすら阻む雰囲気があります。もちろん私も部活はやることによって得られるメリットも多いとは考えていますが、デメリットを教えずメリットだけ語って部活をするように仕向けるのはちょっと違うのではと思い、ほかの誰も主張しないというのであれば自分が主張しようと書いたわけです。
 その上で述べると、こうしたデメリットをもっとみんなが認識した上で対策を講じるのであれば部活動教育はより価値が出てくると思います。記事中ではかなり過激な書き方となっていますが、自分も部活動を全否定するつもりはなく、若生様の様に部活動が楽しい思い出となる人間を少しでも増えればという思いで批判的スタンスを取った次第です。

 ……と言いつつ、「部活動がいじめの温床になってんだから、とりあえず部活動教育は全面廃止した方が良い」とココスで吠えてました。友人からも、「なんでそうすべて潰すところから話が始まるんだ」と注意されましたが、この辺の詳しい内容はまた別の記事で……。