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2017年2月13日月曜日

流行り物なき近現代

 最近社会批評書いてないので今思いついたものをありのまま(れりごー)に書くと、日本に住んでないでいうのもなんですが、最近日本で流行り物ってないなぁって気がします。一応日経トレンディとかが毎年まとめていますがブームと呼べるような商品やサービスは報道を見る限りだとほとんど見られず、また流行語大賞もここ数年の反応を見ていると満場一致というか誰もが「流行っている」と頷くような言葉がなく選考する側もやや苦心して選んだような跡が見られます。

 流行り物がないのは社会が多様化したからだという風に説明することも一応は可能ですが、内心ではそうでもないんじゃないのかなというのが私の意見です。というのも中国で暮らしていて市民が関心を持ったり誰もが興味を持って流行るものというのが毎年きちんとあったりして、たとえば最近だとどこでも乗り捨てできるレンタサイクルの「mobike(モバイク)」が話題で、中国人と話しをしていてもよくこの単語が出てきます。
 なんていうか、日本人と話をしていてもよく話題になる単語がどうしても出てこないという感じがしてなりません。誰にでも共通できる話題が少ないというか、各人それぞれの趣味や嗜好に合わせて話題を選ばなければならない煩わしさが少しあり、だから人間関係とかも日本だと偏りがちになったりするのかななどとも思うところがあります。もっとも私の場合、どんな話題にも対応して食いついていく自信があるのでその限りではありませんが。

 時たま私はこのブログで「平成史考察」という見出しで近現代史を取り扱いますが、単刀直入に言って現在に近い年代になればなるほど書き辛くなるという違和感を覚えています。理由ははっきりしており上記の通り各時代を映す鏡のような話題がないためで、直近だとせいぜい言って「STAP細胞」くらいしか書けないのではないかという気すらします。
 それこそ90年代くらいであれば酒鬼薔薇事件とか神奈川県警の不祥事、アムラーやコギャルと援助交際問題など題材に取り上げるテーマは枚挙にいとまがありませんが、2010年代に入ってしまうと東日本大震災など大規模災害を除けばほんとに書くネタがありません。もう少し熟成するのを待てば「イナズマイレブン」とか「妖怪ウォッチ」が書けるようになるかもしれませんが、現時点で近現代史として取り扱うにはやや無理があるでしょう。

 なんでこのようなことを記事にするのかというと、単純に危機感を覚えるからです。流行り物がない即ち社会に活力がなくなってきていると言い換えてもよく、流行る商品やサービスを企業が作れないことはおろか大衆消費者行動に結びつかない点でも社会として弱っているのではないかと思えてならないからです。
 そう考えると、流行りだした頃は正直いい気分しなかった恵方巻きなんかはまだ年度の消費者行動として定着させただけでもマシだったかもしれません。個人的には納豆巻きの方が好きだから太巻きじゃなく納豆巻きだったらもっと応援していたのですが。

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