ここ数年、監視社会によるパノプティコンを描いたジョージ・オーウェルの「1984」という小説が話題に挙がることが増えている気がします。考えられる理由としては村上春樹氏の「1Q84」とか、これを題材にとったとされるゲームの「メタルギアソリッド5」による影響などを候補に入れていますが、それ以上に世界全体でこうした監視社会に対する見方が現実化してきたせいもあるかもしれません。
現在、世界で最も「1984」の世界に近い国はどこかと言ったら、恐らくは北朝鮮になるでしょう。また私が現在住んでいる中国もこの分野においては世界的にも上位に食い込むことが予想され、このほかだったら有名どころだとロシア辺りが来そうです。
ただ、こうした監視社会先進国(?)に限らずとも、電子機器とネットワーク社会の発達に伴ってどの国でも監視社会の程度は年々増してきていると言っても過言ではありません。自由の国を標榜する米国ですらNSA(最初、「NSC」と書き間違えた)が通信を傍受していたことがスノーデンに暴露されましたし、またFacebookやtwitterも、ユーザー情報を官公庁に提供というか売り買いしているのもほぼ確実でしょう。っていうかFacebookはユーザーのパスワード情報などを大量に流出させたことがほぼ確実なのに何も補償もせず処分も受けていないのがむかつく。
ただ、これらの企業を批判しても意味がないというか、現実には報じられたりしないだけでそこら辺にある小さい企業とかでもユーザー情報をガンガン売買しているのが現実です。また売買しなくても、ビッグデータとしてあらゆる行動が観察、収集さているのが現実であり、こうした米国や日本におけるこの現況が監視社会でなければなんだといったところです。
逆接に逆接を重ねますが、しかし、Facebookのパスワード流出はともかくとしてこうした監視社会の発達は一方で、一般市民にメリットをもたらしている面もあります。一番大きなメリットとしてはやはり治安面で、何も「密着!警察24時間」を見ていなくても、近年は監視カメラの映像が決め手となる検挙が増えていることはほぼ間違いなく、また個人レベルであってもドライブレコーダーの普及によってかつてであれば起訴まで持ち込めなかった案件も起訴に持ち込め、危険な運転や自己責任の実体がかつてと比べるとよりはっきり証明できるようになってきています。
こうした治安面に限らずとも、ビッグデータの活用による新システムの開発や分析、情報の共有やマーケティング活用など、いわば行動が逐一監視されることによって生活が豊かになっている面を否定することはもはやできないでしょう。
以上を踏まえた上で私見を述べると、監視社会というと「そんなの良くない(; ・`д・´)」と頭から否定する人間や団体が多いですが、現状既に半ば監視社会へ入っており、ここから監視のない世界に戻ろうとするとデメリットの方が大きくなります。それであればむしろ、社会上のメリットを享受するためには一体どこまでの監視を許容し、逆にどこまでを認めるべきではないのかという区切りを考える方がより建設的だというのが私の見方です。
先にも述べた通り、現状では既に多くの企業や団体、政府が市民の了解なしに勝手にその行動を監視、収集しており、限度については誰も何も持っていません。いわば無法地帯のような野放し状態なのですが、これについて「ここまでなら無許可での監視OK」というラインを作るべきだと言いたいわけです。
例えばこの前閉鎖した漫画村についても、既存の法律上ではあれは完全に通信の秘密を侵害しています。しかしああしたサイトを規制することによって表現者のところにお金が回り、文化が進行されることを考えると、やはり規制することが社会にとってはプラスです。
このように監視範囲と対象、そして規制区分についてもっと、「どこまでならOK」という議論をすべきだと思います。どんなことであれ監視はされたくないというのはもはやナンセンスで、ある意味治安上では危険な概念であると思います。まぁこうして挑発するには私なだけに裏があるわけですが。
さすがにこのテーマを一回で終わらすのはもったいないので、しばらくこのテーマで思いつくことを書いていこうと思います。
4 件のコメント:
カメラがあることで防げることもたくさんあると思います。犯罪もそうですが、ゴミのポイ捨てや不法投棄まで、ルールを守らないことを取り締まれるのは大きいと思います。
ドライブレコーダーも必須であると考えられますし、もうこの際、全員がボイスレコーダーでログを取ったほうがいいようにも感じられます。
めちゃくちゃなことを言っていると自分でも思いますが、それくらいしないと、アホみたいな煽りやハラスメントはなくならないでしょう。
何もログがないと言った言わないの水掛け論にしかならないので、証拠として必要不可欠になると思います。
ただの感情論で馬鹿馬鹿しいと思われそうですが。
結論から言うと監視カメラがあるのとないのとではある方が絶対にいいんですよね。見張りに立つ警備員や警官のコストが丸々浮く上に、証拠能力も持ちますので。ただ監視カメラがトイレの中や、個人の邸宅の中にもあっていいのかとなると多分みんなはイヤでしょうし、その辺の区切りというか限界点をこの連載で考えてきます。
何気に言及されているボイスレコーダーによる録音ですが、これが結構面白い内容につながると私は考えてます。
とあるジャーナリストが某国の総領事館の中に入ったこと、そして総領事館の関係者が死亡した
ジャーナリストになりすまして彼が生存しているようにみせかけた事件も、監視カメラの映像
によって明らかになりました。 公的機関でも監視カメラからは逃げられない時代になりました。
ちなみに私は、この事件の犯人は大物だと考えます。総領事館の関係者が偽装工作までして
犯人をかばおうとしたわけです。 犯人は関係者たちにとって人望があり、権力と実力のある
人間だと思っています。
(諸事情により本投稿では人名・国名は名指ししません。ご理解ください。)
以前、大相撲の八百長問題の時、「私が思うにある日本人大関が怪しいと思う」と書いたことがありましたが、すぐに「日本人の大関なんて一人しかいないじゃん(´Д`)」ってツッコミが来てくれました。
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