また更新が少なくなっていますが、相変わらず仕事が忙しいせいです。今日午後昼過ぎなんか疲労からか右手の握力が出ず指に力が入らなくなり、マウスをクリックするのもなんかすごく辛かったくらいです。山場自体は乗り越えてはいるものの、2月くらいから疲労がたまってきたせいか今が一番しんどい状態です。
そんな疲労でいっぱいの状態ですが、先週末はまた次のJBpress記事のために取材と執筆を行っており、この作業もそこそこ疲労をためる要因になってる気がします。もっとも今回書いたのは統計記事で、グラフさえ作れば後はその解説文書くだけなのでまだ楽でしたが。
その統計記事ですが、はっきり言って自分には適性があります。ライターの間でもこの手の統計関連記事は、書くのを得意とする人とそうでない人にはっきり分かれる傾向があり、後者の方は逆にインタビュー記事を得意とする人が多いです。自分は別にインタビュー記事を苦手としていることはありませんが、統計に関しては自分一人で一通りグラフも作れれば、数字を読み解く方面の分析も割と苦にせず行え、記者時代もこの方面では周りより得意にしていました。もっとも記者時代より、今の方が確実に統計に強くなっていますが。
この統計に強いという特徴ですが、今思い返すと自分は子供の頃からその才能の片鱗は見せていました。数学自体は得意ではなかったもののデータの羅列から無視すべきデータと、着目すべきデータの区別は明らかに周りより早く、且つ私自身がそうした大量のデータをさばく作業を好んで行っていました。データの収集や閲覧方法は大学に入ってから学び始めたものの、比較的統計を取り扱う同じ社会学系の学生に比べても、自分は割と頻繁に統計局のサイトに入りびたってはいろいろデータを漁ったり、気になった分野とかをよく調べていました。
本格的に開花するようになったのはもちろん記者になってからですが、早くて中学、遅くても大学生時代から統計方面に関する才能の片鱗ははっきり見られ、案の定というかこの分野では比較的高い実力を持つに至りました。
何が言いたいのかというと、意外と先天的な才能というのは早いうちからその片鱗を見せるのではということです。統計に関するセンスに限らなくても、情報に対する感度や、微細な変化に対する観察など、今思い返すと自分は子供の頃からこうした方面の片鱗が見られていました。一部に至っては当時の自分自身ですらも自覚していたほどで、周りの人間はもっと自分の才能の片鱗に気付いて、それを育てるべきだとすら本気で思っていたほどです。
才能の片鱗などと大仰な言い難しなくても、単純に育成期において適正と感じられるものはやっぱり成人になってもその方面では強い力を発揮しやすいのではないかと思います。はっきりとした実力を備えなくても、興味や関心が周囲より高い分野や方面で訓練を積むなり、係るような業務を選択して就くということは、それもまた単純に自身の有利につながることでしょう。
もっともそうした適正に自分自身、または周囲が気付かなければ全く意味はありません。この辺は進撃の巨人のシャーディス教官じゃないですが、各個々人について周囲とは異なる、一歩前にある分野を気付いて教えてあげられる人間がいるかいないかによって左右されるでしょう。
ここで話を変わりますが、統計や分析方面で自分は子供の頃から明らかに才能の片鱗を見せてはいましたが、こと文章の執筆に関しては、はっきり言ってそんなものは全くありませんでした。今でこそ実質的に物を書く仕事で生きてはいるものの、小学生から中学生にかけては自分の作文力は子供のレベルであっても話にならない水準で、実際に夏休みの読書感想文とか凄い億劫な気持ちでいつも書いていました。
それが中学二年くらいから小説を書き始めるようになってからはこの方面の実力を高め、前にも書きましたが高三の時点では教師相手でも決して劣らないくらい文章が上手くなっており、実際ガチで「お前らに教わることなんてないんだけどな」なんて本気で思ってました。こうした見方は今の自分から見ても、あながち傲慢な見方ではなかったと考えています。
何が言いたいのかというと、私の文章力に関しては先天的な才能によるものではなく、完全に後天的な訓練によって獲得した能力だと自分で考えています。センスがあったのではなく一からセンスと技術を磨き続け、現在そこそこ人にも指導できる水準に至ったと考えています。
無論、飽きっぽい自分がそこまで続けられたのも一つの才能と言えるかもしれませんが、やはりどう考えても子供の頃はこの文章方面で周囲とは異なるセンスや、一歩前にある実力というのは一切見られなかった気がしてなりません。凡庸、下手すりゃ劣位にある水準にあり、そこから現在の水準に至ったのはやはり後天的な訓練の結果なのだろうと分析しています。
ただ自分にとって幸運だったのは、反対に先天的な才能が見られていた統計や分析に関するセンスが、後天的に得た文章表現力と上手く結びついたことで、数字や統計を苦にせず記事を書けるライターになれたということです。よく就職関連とかで「スキルセット」という単語が出てきますが、個別のスキルを組み合わせる以前に、個別のスキルを形成する適正要因を如何に組み合わせるかの方が根源的に重要なんじゃないかとも思います。まぁそこまで自分や他人を分析できる人間は多くないでしょうが。
最後にこの記事の見出しですが、「ゼノブレイド2」のあるキャラクターのスキルに「聖杯の片鱗」というスキルがあって、これ見て「片鱗」という言葉を使いたくなって見出しを決め、そこから内容を考えてこの記事書いてます。こういうところは無駄に器用というか、自分らしい気がします。
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