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2025年8月31日日曜日

川崎ストーカー殺人事件の検証はいつ出るのか?

川崎 遺体遺棄事件 神奈川県警本部長“重く受け止めている”(NHK)

 多分もう忘れている人も多いのではと思いますが、今年5月に発覚した神奈川県川崎市のストーカー殺人事件について、発覚当時に捜査の不手際の検証を約束した神奈川県警ですが、発覚から3か月経過した今になっても未だ何も検証報告は出てきていません。
 過去の記事でも述べていますが、検証も何も事件発生当時(去年12月)に現場検証すらせず事件性なしと判断した警官、それを諾とした上司のあまりの低い能力以外に何が原因なのかと逆に聞きたくなるレベルの低次元な問題で検証するまでもないと思うのですが、やるっつった検証についてすら報告がないというのはいかがなものかと思います。


 上の動画は三週間前にフジテレビが配信した事件をめぐるドキュメンタリー番組ですが、発覚前からフジテレビはこの事件を取材していたようで、被害者家族の取材中に捜査にやってきた県警とも接触していました。

 この動画を見て少し印象が変わったのは、被害者の父親です。発覚当時に警察の捜査を激しく批判する姿ばかりが映像や写真として流れていましたが、私個人としては県警のひどい捜査によって娘が殺されたこともあり怒りを覚えるのも当然だと思っていましたが、中にはこの父親の態度を「被害者だからと偉そうに」、「元々粗暴な性格だったんだろう」というネット上のコメントが当時よく見られました。
 しかしフジの映像を見ると発覚前においては警察の捜査に苛立ちを覚えながらも、比較的冷静に粘り強く捜査を訴えており、娘の安否が気になる中で気丈に対応されているという印象を覚えました。前述の通り発覚後にああした批判をするのは当然だと思っていたものの、自分が思っていた以上に発覚前は重圧がかかる中で気丈に対応されていたのだと感じました。

 そんなフジの捜査中の映像によると、被害者が行方不明となってから数ヶ月後に新たにやってきた担当の刑事が家族から話を聞いた後、初動の担当者に対し電話で「現場検証を何故しなかったのか」という点を何度も聞いていたそうです。それこそ自分だったらこの時点で初動の担当者に殴りかかっていたと思うくらいの呆れた対応なのですが、結局がこれがすべてというか、初動の担当者があまりに無能過ぎたがゆえに事件発覚が大いに遅れた唯一の理由でしょう。

 にもかかわらずいまだに神奈川県警は検証報告をまだ出していません。はっきり言ってしまえば検証すると言いながら初めからやる気がなく、誰もがこの事件を忘れるのを待っているだけでしょう。ついでに言えば、初動の対応を誤った担当者への処分もこのまま一切しないまま放置する気だという気がします。
 自分は犯罪都市と呼ばれるマッドシティこと松戸市にまた住もうかと考えることはあっても、神奈川県と兵庫県、栃木県の三県に関しては逆に何が何でも住みたくないと以前から考えています。この三県はかねてより現地県警が度々不祥事起こしていることもさることながら、不祥事発覚後も「だから何?」と言わんばかりに居直り、もみ消そうとする傾向が強く、単純に治安面でこの三県には住みたくなく、それなら松戸のがまだマシだと思っています。

 まぁ松戸もそんな治安悪いわけじゃないんだけどね。一人じゃだめで二人以上じゃないとニュースにならない、バラシは月1ペースな尼崎とかには遠く及びません。

 私自身はこの時の神奈川県警の対応を記事にも書いたので結構根に持つというか定期的に思い出しては報告書はまだかと追いかけていましたが、フジテレビもこうして後追い報道をやっていたのは見直しました。先にも書いた通り前述の三県警は不祥事以上に不祥事発覚後の検証や対応に問題があるから嫌いで、この辺の事後検証をもっと社会が注目することこそ治安の改善につながるものだと信じています。

2025年8月30日土曜日

日本は崇高な目的で二次大戦を戦った

 最近よく思うこととして、日本は二次大戦を本当に崇高な目的で戦っていたという気がします。戦後はあんまり語られることがなくなりましたが、「少年H」などによると中学校の面接試験などでも「何故日本は中国や欧米と戦っているのか?」が聞かれ、きちんと答えなければならなかったそうです。
 では具体的にどんな戦争目的だったのかというと、「日本はアジアを欧米の支配から救うために戦っているとして、中国については欧米と戦うために一時的に占領するだけなのに、中国(国民党)は日本の真意を理解せずに抵抗を続けている」という風に主張していました。

 上記の主張について元外交官の佐藤優氏に言わせると、「中国の立場からするとふざけるなとしか言いようがない主張」だそうです。頼んでもないのに「お前らを救いたいんだ」と言って欧米(主に英米)と戦争をはじめ、しかもその戦いに必要だからと中国の占領を主張するなんて当事国の中国からすれば噴飯ものです。それ以前に、英米と戦争を開始する前から満州以外の中国占領も開始している点について触れないというのもポイントが高いでしょう。

 とはいえ、アジアを植民地支配から解放させるという日本の主張は本当に崇高に感じます。そもそも一体何故日本はこんな崇高な目的で戦い始めたのか、結論から言ってしまうと、どれだけ戦争を続けても日本にとって何もメリットがなかったからこんな崇高な目的を掲げるしかなかったのでしょう。

 仮に日本が二次大戦で大勝して欧米に「参りました」と言わせたところで、そこでどんな結果が末弟いるのでしょうか。中国一つとっても日本より国土も人口も遥かに膨大で、満州ですら馬賊の掃討に相当苦労していたというのに、日本人が中国全土または一部を植民地ように支配しようったってできるはずもなく、その大義ももちろんありません。ほかのアジア諸国についても言わずもがなで、親日的な政権をいくつかの地域で設立させることは可能だったかもしれませんが、それでも多大な兵士や国家財政の損耗に見合うかと言えば到底見合いません。

 言うなれば、日中戦争の時点で日本は戦争をすればするほど国として損が大きくなる状況に陥っていました。勝利を前提としても戦争を続ければ続けるほど損をするような状態で、誰も得しないのに何で戦争を続けたのかと言えば、多分当時誰もたこ足食いな状況であることをわかっていなかったからという気がします。ただ少なくとも、二次大戦を続ける、勝利したとしても日本は国として一切何もメリットがないということには若干気づいていた節があり、だからこそその戦争目的は国家としての利益追求ではなく、むしろ国家としては自己犠牲にしかならない崇高な目的を掲げざるを得なかったのだと思います。

 少し言い回しが面倒なので言い換えると、要するに二次大戦は日本にとって何の合理性もメリットもない戦争でした。だから日本は「この戦争に勝てばこんないいことがある」と国内外に主張することができませんでした。でも軍部と途中からの政府としては戦争を続けたいため、合理性から戦争継続を説明できないことから、「日本はアジアのみんなのために戦っている」という理想主義に走った崇高な目的で主張するよりほかなかったわけです。
 もっともその崇高な目的を掲げた本人らも実際に実行する気は皆無で、今村均を除く占領国での過酷な圧政をみるに、眉唾な主張であったことは明白でしたが。

 この二次大戦期の日本に限らず、行動理由にやたら崇高な理由を挙げる人というのを自分はあまり信用しないようにしています。というのもそうした理想主義的な主張が掲げられるのはその行動に何もメリットがないことの裏返しであり、巻き込む人を損させるだけにしかほぼならないからです。
 逆に言い方悪いですが功利主義的で打算に満ちた主張をする人間というのはある意味信用できます。というのも、損にしかならないとわかったらすぐに手を引くし、メリットがもたらされるということを理解してもらえれば共闘に持ち込むこともできるからです。

 先の二次大戦期の日本も本来あるべき打算的な国家経営に努めてさえいれば、日中戦争が日本に何のメリットももたらさないとすぐ気が付いてその戦闘拡大をすぐ防げたかもしれません。米国との開戦前も、石油供給が止められた時点で「これじゃあなんもメリットがないじゃん」という判断に至れていれば、ああいう無謀な戦争に至らなかったでしょう。
 実際にというか当時の軍部は戦争目的がないまま開戦したことをほぼ認めています。半藤一利の巣鴨プリズンなどでの取材によると、対米開戦理由に着いたらほぼみんな「……なんとなく」、「そういう空気だったから」と答えたそうです。例えるとしたら、買っても払戻金が購入額を下回る競馬の馬券を買うようなものが、日本の二次大戦だったと思います。

 この辺、戦後に総理になった石橋湛山なんかが人道主義的な観点ではなくまさにこうした功利主義的観点から反戦を主張していました。こうした例を見るについて、国家運営で理想主義的なことを口にする人間というのはかえって信用ならないし、マキャベリズムじゃないけど功利主義的な姿勢を堅持することで、かえって反戦や人道主義にもつながるという気がします。

新しい力(エアコン)

 このブログでも散々愚痴ってた突然のエアコンの故障の件ですが、本日ついに新しいエアコンの設置が済んで久々に文明的な温度の中でこれ書いています。温度計によると現在室温は24度で、昨日までの31度と比べると頭がはっきりします。
 今日は日本でも最高気温の更新ラッシュだったそうですが上海もやたら暑く、特に日差しの強さが半端じゃなくてエアコン付けてない間は室内にいても軽く頭痛がするなどやばい天気でした。風はよく吹いていたから窓開ければそこそこ過ごせたけど。

 エアコンの設置は外壁に設置する形なので、設置に来てくれたエアコンメーカー(GREE)の作業員の方もなかなか苦労されていました。暑い中で重労働をしてくれる作業員には頭が上がらず、涼しいところにいるよりはと思ってその作業を傍らでずっと眺めていましたが(盗難予防を含め)、非常に慣れた手つきでサクサクやってくれました。
 その作業員ですが去り際に、「お前の大家はいいエアコンを選定してくれたよ」と話し、一緒に作業を見守っていた大家と私に対し、今回導入した機種はハイクラスモデルで機能も多いと教えてくれました。実際に使ってみるととにかく音が静かで、あとめっちゃすぐ温度下がります。っていうか、前のエアコンは故障前の時点でかなり能力落ちてて、どう頑張っても室温が28度までしか下がらなかっただけに、新品のすごさにビビってます。

 ちなみに今回導入されるエアコンがGREE(中国名:格力)の製品だと最初知った時は内心喜びました。大分前の記者してた頃に使ってた部屋のエアコンがGREEで、この時も効きがいいというか性能の良さを感じてただけにこれまでのエレクトロラックスより期待できると思っていました。
 そんなこのGREEのエアコンの価格ですが約4000元、日本円にして約8万円になります。日本だと私の感覚だと工事費込みで約10万円、高いものだと20万円もすると思うのですが、物価格差がかつてと比べ大きく縮まっているにもかかわらずエアコンについてはまだ大きな差がある、というか中国メーカーが安すぎるという印象を覚えます。

 なおこの4000元という値段、ほかの中国人に聞いても「割と高めの良い奴にしたんだね(´・ω・)」と言われます。実際に通販サイトでざっと眺めると2000元(約4万円)前後がボリュームゾーンで販売機種も多く、作業員の方が言ったように4000元だとハイクラスモデルに入る値段であると思えます。
 なお本来は負担する必要がないのですが、大家とは長年付き合いがあり公私ともにお世話になっていることと、自分がちょっと金出せば話が動きやすいという判断から、あらかじめ大家に対し「エアコンを交換するなら自分も2000元出すよ」と伝えていました。実際に購入後に2000元を払いましたが、この自分の負担分もあったからこそいい機種を選んでくれたのかもしれません。既に晩夏とは言え来年以降を考えるといい方向に物事が動いてくれた気がします。

 こうしてエアコンの交換が済んだわけですが、前から室外機に直射日光が当たる問題を気にしており、これをどうにかできないものかと今回改めて検討しました。
 室外機はやや壁が突き出た箇所に掛ける形で設置されており、午後なら周辺の建物の影響で日陰になるものの、午前中に一部が直射日光にさらされるようになっています。実際に今日取り付けたばかりの室外機に触ってみると、日光が当たる箇所はフライパンのように熱くなっており、午前中だけとはいえ少し庇があれば違うのにと思うのと、前の室外機は長期の風雨に晒され天板の金属が腐食していました。


 そんなわけで何かいいものがないかと淘宝で探したところ、いい感じに上のアルミシートを見つけました。これなら日光だけでなく雨風に対する一定の防御にもつながると思え、今から来るのが楽しみです。ちなみにお値段は約20元(約400円)です。

2025年8月27日水曜日

直接戦っていない国ほど末端の兵士を批判しようとする

中国、台湾を非難 抗日戦争での共産党の役割否定は「冒涜」(ロイター)

 暑くてほかにやること浮かばずゲームもする気ないので記事を書き続けますが、上の記事を読んでというか前からちょっと思うところがありました。

 大分前に何かの記事で読んだのですが、硫黄島の戦いに参加した日本、米国の元兵士が何かのイベントで対面することがあったそうですが、彼らは互いに会うなり大泣きして抱き合ったそうです。それだけこの硫黄島の戦いは双方の兵士にとって苦しい戦いであったと記憶されており、敵味方を超えてあの時あの場に立っていたという事実のみで深い共感と同情を持ちあったと言われています。

 以上のような話は何も硫黄島や日米間に限るわけじゃなく、ほかの国とかでもよく聞きます。同じ日米だと日本のエースパイロットの坂井三郎が戦後に自分を撃墜し損ねたパイロットと会うなり「このへたくそ!」と言って互いに大笑いしたと言いますし、米独や独仏とかでもそういったことがあるというのを聞きます。
 なんでそうなるかというと国同士の戦争とはいえ末端の兵士からすればどちらも高級士官によって戦場に叩き込まれるだけで、敵同士として戦ったとはいえ戦場で戦った兵士同士からすれば「同じ場所で戦い合った者同士」という共感が得られるのではないかと思います。

 実際にというか、戦争を起こした相手国の政治、軍事指導者が恨まれることはあっても、相手国の兵士そのものをその後も憎み続けるというのは案外少ない気がします。日本ですら原爆を落としたB-29のパイロットやその家族を批判したりする話は聞かないし、米国側も勝者の余裕もあるでしょうが、軍事指導者などを除けば現代においてそこまで日本を批判することなく、一兵士に至っては自分も記事を書いた藤田信雄のように、戦後に称賛するにも至っています。それもこれも、「戦争というのは指導者の責任であって、末端の兵士には責任がない」という前提があるのと、前述の通り苦しい戦場を共に共有したからでしょう。

 それに対してというのもなんですが、中国も韓国も戦争指導者以前に末端の日本人兵士を殊更批判することが多い、というか近年ますますこの傾向が強くなっている気がします。以前はそれこそA級戦犯への批判が多かった気がしますが、なんか最近は日中戦争に関して「どこそこで日本の兵士がこんな残虐行為をした」などと並べ立てたりして、批判がそうした行為を指示した士官ではなく、どんどん末端の兵士へと向けられるようになってきていると感じます。
 なんでこうなるのかというと冒頭のロイターの記事でも指摘している通り、現在の大陸の中国が日本と戦争をしたという実感を持っておらず、近年はその傾向に拍車がかかっているからじゃないかと前から思うところがありました。韓国に至っては日本はそもそも戦争しておらず、だから指導者よりも末端の兵士をあげつらうのだとはっきり感じます。

 実際のところ日中戦争で日本軍は解放軍とも戦闘をしていますが、やはり主力として戦っていたのは国民党軍です。中国共産党自身も一昔前はあの時代は国民党との戦闘を中心に語っていましたが、近年は「中国として日本と戦っていた」という主張が強まってはいるものの、前述の通り日本と戦っていた実感を連中も持っていないように見え、だから「日本の兵士にこんなひどいことされた」と被害ばかりあげつらい、解放軍がどのようにして日本軍との戦闘を優位に進めたりとか勝利したとかにはあんま触れないんじゃないかと勝手に考えています。
 マジでこの辺の話は見ない、っていうかその辺は国民党軍の話になってしまうだけでしょうし。それだからこそ、被害の話に終始するんでしょう。

 実際に戦っていないのだから兵士同士の共感もなく、大所高所での判断ができず無駄に指示されるだけだった末端の兵士への批判を強めるようになっており、こうした傾向は「実際にはあんま戦っていない」という事実を側面的に証明しているかのようにすら見えます。そもそも何度も書いていますが、末端もそりゃ現地で略奪や残虐行為はしたでしょうが、真に責任あるのは指導者たちで、そこを批判せず末端だけ批判してもしょうがないというか未来につながりません。その辺を今の中国政府や韓国の運動家は理解していないから、膨れ上がったヘイトが変な方向に向かうんじゃないかとやや皮肉っぽく見ています。

暑い……苦しい……:(;゙゚''ω゚''):

 先日に大雨が降ったおかげで上海の気温やや下がったのですが、それでも最高気温は37~38度を常に維持し、毎日が熱帯夜となっています。ちなみに熱帯夜って英語でなんて言うんだろう、バーニングナイト?ってかそんなこと思ってたら「バーニングナイトF91」という懐かしい単語を思い出す。

 さすがにこんな暑さが続いているので冷房が手放せないのですが、昨夜シャワー浴びてリビング兼寝室に戻ってくると、室内と室外で温度委ほぼ差がないのを感じました。しかし、エアコンは動いています。気になってエアコンの風に触れるとこれがまた見事に生暖かく、恐らく送風機能は残っているものの冷却機能が吹っ飛んだのだと推理しました。
 思い当たる節はあるというか、昨夜シャワーを浴びる前にパソコンしてたらなんかプラスチック内をかけらが走り回るような音がしました。何か落ちたのかと思って床を見ると、小さい氷のかけらが一つ落ちており、これを見て冷房内の冷却機(チラー?)に付着していた氷が落ちたのかと思っていました。ただ実際には、チラー内部で何かが吹っ飛んでその振動で付着していた氷が落ちてきたんだと思います。

 そんなわけで現在、31度の室内でこれ書いています。つい先日、「こんな毎日冷房を使えて最新のパソコンを使う日々なんて学生時代に考えられなかった」などと考え、学生時代の自分が見たら怒られるだろうなと思っていたのですが(学生時代は冷房を来客時にしか使わなかった)、まさにあの頃の自分のような環境に叩き落されるとは思いもしませんでした。
 っていうか去年もガスが抜けて冷房が使えなくなることがあり、故障発生を今年も懸念していました。そもそもこの冷房、自分が引っ越す前から使われていたもので、自分が入居直後からリモコンがほとんど効かないため万能リモコンを買わざるを得ないほど古い機体でした。それだけに、今中国で家電買い替え補助金があるから冷房屋が忙しくない秋口にも大家に話して買い替えを提案しようと思っていた矢先でした。

 すでに大家には壊れてしまい、この際新品に買い替えないかと話して「わかった」と返事をもらっています。言葉少なげに対応が早いのでしばらくしたら取り換えてくれると信じていますが、数日間はバーニングナイトをこのまま過ごすことになりそうです(ヽ''ω`)

2025年8月24日日曜日

大阪万博の電通外しは今後影響するか

 結論から言うと、今回電通なしで無事開催に至れた大阪万博は今後の大規模国際イベントに影響するのかもとみています。

 開催前こそ本当に大丈夫かと心配され続けていた大阪万博ですが、いざ実際に開催してみると懸念されていた問題はおおむねクリアし、来場者の反応も良く、何よりも目標としていた採算ラインも無事クリアできそうな見通しも立ってきていて、現時点においてもほぼ成功だったと言える結果を残しています。私自身、開催前の報道を見ていていろいろ不安でしたが、こうした結果を見るにつけ自分の不明を恥じるあまりです。
 実際に来場した友人らの反応も良く、特に開催間もなく訪れた中国人の友人から絶賛されていたのを見て、外国人ですらこれほど好反応を見せるとはと大いに驚きました。私自身はずっと中国にいるため閉会までに行けそうもありませんが、前評判の悪さを払底したこの結果には目を細めています。

 そんな大阪万博ですが、先の東京五輪の汚職問題の影響を受けて国内最大のイベント兼広告会社の電通は、開催や運営に一切関与していないとされています。この電通不参加が先の前評判の悪さにつながっているというか、電通なしで国際大規模イベントなんて開けるわけがないという意見も見られました。私自身も電通自体は親の仇もあって嫌いで伏見稲荷の鳥居もいつか爆破したいとすら思っていますが、開催前は電通がいないからうまくいっていないのだろうと感じていました。

 しかしふたを開けてみると前述の通り大阪万博は好評を得ており、電通なしでもきちんとやれるっていうのを証明して見せました。これまではどれだけ電通のことを嫌ってようが、大規模イベントでは電通以外には頼めないということから巨額の報酬を積んで依頼するのが日本におけるイベント業界であったものの、今回の大阪万博が教訓となり、「無理して電通に頼まんでもええんや(∩´∀`)∩」みたいな動きが広がるかもしれません。っていうかそうなれ。


 そんな最中、それほど注目集めているように見えませんが電通はここにきて業績悪化、リストラを発表しています。実際のところはどうなのか財務諸表とかもきちんと見ていないので断言こそできないものの、もし仮に上記の私の願望通りに大阪万博の成功を受けての電通離れ、特に国家イベントの電通外しが今後広がれば、この会社も少なくない影響を受けるのかもしれません。
 ぜひそうなってもらいたいだけに、大阪万博関係者は何故今回成功に至れたのか、電通ではないどの会社が頑張って運営を果たしたのかなどそのノウハウを惜しみなく公開してもらいたいものです。以前にも記事で言及してますが、大阪はこのところ梅田周辺開発の素晴らしい成果を含めやたら行政が優秀に感じるだけに、こうした仕掛人こそプロジェクトXで取り上げてほしいです。


  追記
 コメントにて指摘があり調べなおしたところ、電通単独ではないもののコンソーシアム形式でいつの間にか万博に噛んでいたようです。自分の勘違いからこういう記事を書いてしまって大変反省するとともに、電通は万博に関与していないという主張が間違っていたことを改めて明記させていただきます。

石破政権はいつまで続くのか?

 多分歴代クソゲーの中でも、デスクリムゾン、四八などといっしょに四天王くらいには入ると思う「星をみるひと」の勝手にリメイク作にあたる「STARGEZER」を遊んでいますが、最近こういうのんびりやれるRPGゲーム内からなんかほっとします。ゲーム内容は元のクソゲーよりだいぶマイルドらしいが難易度そこそこ高いけど。

 話は本題ですが前回選挙から1ヶ月近く経つものの、いまだに石破政権は続いています。選挙前からの不人気と選挙での時効過半数割れを受けてすぐに辞めるのかなと思ってましたが、かつての大平正芳の如く結構粘っています。選挙直後こそ自民党内で長老会議が開かれるなど石破下ろしの動きも積極的でしたが、現在に至ってはあまり目立つ動きは見られなくなっています。
 私は当初、石破下ろしが急に沈静化したのは辞任時期を石破総理自信が示したからではないかと推測しました。具体的には慰霊関連イベントが集中する八月中旬を過ぎたころで、本人も思い入れがありそうなのでこの時期が卒業旅行となるのではとも見ていましたが、8/24の現在においてはあまりそれらしい動きが見られません。それどころか世論も前ほど、石破総理への批判を口にしなくなってきています。

 そんなわけでいつまで政権が続くが読めない状況ですが、自民党の有力者にとってもこの状況の方が案外都合がいいように見えます。支持基盤が弱いことから石破総理に後ろから働きかけることもできるし、また仮に石破総理が辞めるとしたらその後釜でも揉めることが確実です。具体的には高市氏が現在の最有力候補ですが、彼女だと保守意識が強いあまり既存支持者が離れる可能性もあって、それが先の選挙戦にも影響しています。
 ほかの候補で今高市氏に対抗できるものとなるとやや人数が少なく、また今後の別の野党との連立も含めると敵を作りやすい高市氏だと任が重く、この点でも懸念となります。となると、何かしっかりした連立体制が出来上がったら、そこで石破総理はお役御免となる可能性もあるかもしれません。

 連立先としては既存の公明党のほか、維新の会か国民民主の名前が何度も出てきています。どちらもやや弱り目にあり、また小泉農相が維新の吉村代表とも歓談するなど、何となくにおわせムードも出しています。国民民主は玉吉が先の公認問題で党内への影響力が低下しているように見えるので、この辺がネックになるでしょう。

2025年8月23日土曜日

歴史に残るような漫画の一コマ

 私がここで語るまでもなく日本の漫画の中にはその後長く読み継がれ、伝説的とされる作品が数多く存在します。ただ数多くある漫画の中で、「この一コマはヤバい」などと、漫画内の特定の一コマを取り上げて評価するということはあんま聞かないので、ここでいくつか自分がすごいと思う一コマを切り取って紹介します。

・「あしたのジョー」のラストシーン

 ボクシング漫画の金字塔こと「あしたのジョー」ですが、いわゆる真っ白に燃え尽きちまったなラスト一コマはその後、多くの作品で模倣されていることから、原作を読んでいなくともこのシーンについては知っている人も多いと思います。超人気作品のラストシーンであることもさることながら、当時の時代背景なども踏まえてみると含蓄の深い一コマであると自分も感じます。

 なおこのラストシーンですが、原作に口を出されることを極度に嫌っていた原作者の梶原一騎に対し、作画のちばてつや氏は例外的に「あしたのジョー」の展開に口を出すことを許されていたそうです。もっとも力石を殺すかどうかで梶原一騎は一歩も譲らず、「力石は俺が殺す!必ず殺す!」と喫茶店で叫んだら警察呼ばれたそうです。
 話を戻すと、最後の締めをどうするかに関してちばてつや氏から「自分に任せてほしい」と言って、このようなラストにしたそうです。梶原一騎も何も言わず任せたとのことで、こうした背景を知って読むとまた見えてくるものがあります。

・「ブラックジャック」の本間先生逝去シーン

 これは正確には一コマというより名言に入るのかもしれませんが、ブラックジャックが師の本間丈太郎が老衰で亡くなろうという時、あらゆる手段を使って治療を試みるも叶わず逝去した後、打ちひしがれるブラックジャックに霊体となった本間丈太郎が「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という言葉をかけるシーンがあります。
 医療の限界そのものにも向けられた名言で引用する人も多いのですが、それ以上に「ブラックジャック」はこの回以外でもラスト一コマが印象的なものが多く、そうしたドラマの見せ方における手塚治虫の上手さが感じ取れます。

・「げぇっ関羽!」

 もはや説明不要でしょうが、横山光輝版「三国志」で関羽に遭遇した際に曹操が叫んだこのセリフのシーンも非常に多くパロディに使われています。下手すりゃ同作品の中で一番有名なコマじゃないかとすら思え、セリフの妙な絶望感と小気味よさ、そして関羽の恐ろしさが一言でわかる名シーンじゃないかという気がします。

・「ジョジョの奇妙な冒険」のスタープラチナ初登場シーン

 これもほかの多くの人も指摘していますが、「ジョジョの奇妙な冒険」の第3部から「スタンド」という超能力が具現化した状態で描かれるようになります。これはそれまで目に見えない超能力を初めて絵で表現するという画期的手法とされており、その意味を踏まえてみるとスタープラチナが初めてその姿を現すシーンは文字通り歴史的なワンシーンであるかのように思えます。

・「俺が鎧の巨人で、こいつが超大型巨人ってやつだ」

 ぶっちゃけこれ書くためだけにこの記事仕込んだわけなのですが、「進撃の巨人」でライナーがエレンに対しこのセリフを言うあのシーンは、まじめに歴代漫画の中でも最も衝撃的な一コマとして認定してもいい気がします。二度見しない読者はいないとすらされるほどの衝撃的な展開が、さほど大きくないコマで通常のセリフのように物語の核心に迫る真実がぽんと投入されたこのコマは、文字通り「進撃の巨人」を代表する一コマである気がします。

 このほか挙げるとしたら、「ドラゴンボール」のスーパーサイヤ人覚醒シーンとか、「デビルマン」のヒロイン死亡シーンなんかも十分歴史的と言える気がします。ミクロに見すぎな気もしますが、本当に優れたワンシーンを選ぶこともたまにはありなんじゃないかと思います。

2025年8月22日金曜日

ニンジャガイデン3はマジクソ

ニンジャガイデン3(NINJA GAIDEN 3)(ゲームカタログ)

 自分が初めてゲームのグラフィックの美麗さに感動したのは、PS3で発売された初代の「ニンジャガイデン」でした。このゲーム、忍者を使って画面上の動くものすべてを切り倒す3Dアクションゲームなのですが、半端なく難しく第1ステージをクリアするまでにマジで100回くらい死にました。まぁ第1ステージが実は最難関ともいわれるのですが。
 ただ、それだけ死ぬことを繰り返すゲームながらキャラクターを動かしているときの爽快感が素晴らしく、また死ぬたびにだんだんと自分の腕が上がっていると実感でき、なんだかんだ言いつつ難易度イージーながら最後まで無事にクリアすることができました。

 その後、続編の「ニンジャガ2」のPS3版もプレイしましたが、こちらは1に比べさらにアクションが派手になり、尚且つ難易度も少しマイルドになって(それでも難しいが)、1以上に楽しめるゲームでした。真面目に3Dアクションゲームとしては自分が遊んだ中でも1、2を争うくらい面白いゲームだったと思います。

 それだけに2の後に3が出たときも遊びたかったのですが、発売時に自分は中国におり、手元にゲーム機がなかったため購入することができませんでした。その後も気になりつつも手を出していなかったものの、Steamで123がセットになったソフトが売られていると聞き、以前から購入を検討していました。ただ3は2に比べ武器種類が大幅に減少したり、アクションやストーリーが劣化しているという評判も聞いてて若干尻込みしていたのですが、それでも非常に気に入っていたシリーズなだけにやってみようと思ってこの前とうとう買ってしまいました。でもって、開始5分で「これマジクソだな」とつぶやきました。

 いきなりやばいと感じたのは、地味に音量です。ノーパソでプレイしているのですがほかのゲームでも音量はパソコン本体の音量に左右されることからやや大きめに音量を設定しているものの、ニンジャガ3だと音が異常に小さく、会話の声なんかほとんど聞き取れないくらいのレベルでした。ほかのゲームでこれほど小さいことはなく、一体なんでこれほど小さいんだと驚愕するレベルでした。
 なのでゲーム内で音量を上げようとしたのですが、コンフィグ画面を開いてみるとデフォルトで音量は最大になっており、それ以上はもはや上げられない状態でした。っていうかデフォルト音量を50%くらいに設定しておけば上下に調整できるのに、なんでこんな小さい音量で設定音量100%なのかと意味が分かりませんでした。

 こんな感じで開始からいきなりグダグダで始まりましたが、実際にプレイを開始するともっとグダグダでした。ほかの人も書いていますがキャラクタ-のアクション動作が過去シリーズと比べものすごい悪くなっており、ものすごいよたよたした動きになってました。なのでコントローラーを動かしてもよたよたよたよたして、思うように動けなければ敵をうまく攻撃できず、敵の攻撃もうまくよけられず、ある意味リアルかもしれないけどゲームとしては爽快感が全くありませんでした。
 武器は刀なのですが、なんていうか刀を振るうというよりは刀にキャラクターが振り回されているかのような動き方をしていて、忍者というか動きの鈍いおっさんを動かしている感覚がありました。2なんかはマジで動きが早く、「これが忍者だ(・∀・)」と感動するくらい動かしてて楽しかったのに。

 その後最初のボス戦に入ると、やたらガードが固くてなかなか攻撃が通らず、ようやく攻撃が通ったかと思ったら何故か攻撃を連続している最中に急にガードしてこちらの攻撃をはじき返し、逆に攻撃してくる始末です。敵のガードを解く投げ技とかあるのかもしれませんがまだそこまで動かし方わからないのに、敵はこっちのガードを無視する投げ技をガンガン使ってきて、めっちゃ不公平感満載でした。
 それでいて、敵ボスの動きは非常に単調というか2パターンくらいしか攻撃方法がありません。なのにこっちの攻撃はなかなか通らず、戦ってる最中もずっとうんざりしていました。

 それでようやく攻略に成功して倒したところ、画面が移ったムービーで敵の体に深々と刀を刺しこむのですが、これみて「( ゚Д゚)!?」となりました。というのも、そのボス戦で自分は鉄爪を使って戦ってたのに、一瞬で得物が刀に変わってたからです。なんで武器種類すらムービーで変更できないんだよ。

 こんな感じで、世間の評判の通りニンジャガ3はマジクソだと自分も認識しました。2までは本当に好きだったシリーズなだけに、どうしてこんなクソゲーでシリーズを台無しにしたんだとこのゲーム作った人にはマジ死んでほしいとすら思うくらいのクソっぷりで、ステージ1クリアしたけどもう続きをやる気が本当に出ません。っていうか2をまたやり直そうかな。


 そんな風に思ってたらなんか10月にニンジャガ4が出るそうです。開発チームにはプラチナゲームズも入っているそうですが、この3の体たらくを見ると若干疑惑の目があるというかすぐに買おうという気は起きません。


 逆にというか2Dアクションだけどこっちの「フロンティアハンターエルザ」は非常に面白かったです。いわゆるメトロイドヴァニア系のゲームですが難易度が程よい上に、キャラクター3人を切り替えながら攻略できるので遊びの幅が広く、クリアまでほぼ中だるみなく遊べました。

2025年8月21日木曜日

中間層消滅に伴う日本政治の分散化

 このところ「日本にはもう中間層はいない(# ゚Д゚)」と主張する記事を連続で投稿していますが、この中間層が消失したにもかかわらず政府や政党の政策は中間層を軸に立てられており、それが結果的に政治離れにつながっているのではないかというのが今日の結論です。

 まず前提として、昭和から平成にかけての日本の内政は基本的に中間層を如何に拡大させるかがすべての肝でした。中間層が拡大することによって生活水準が上がり、税収も増えることもさることながら、社会主義運動の勢いを削ぐことが昭和においては重視されました。また中間層を拡大させる政策は、金持ち優遇とは受け取られず、それでいて大衆の生活水準向上につながる風に見えるため耳聞こえもよく、支持拡大の上でも都合がいいところがありました。
 ではそうした中間層拡大政策は具体的に何があったかというと、

・大学入学定員の拡大
・サラリーマン(正社員)向け税務優遇
・児童手当

 こうした中間層拡大、優遇政策は昭和の成長期にはプラスに働きましたが、不況が続いた平成中期以降は少なくとも昭和ほどには効果を発揮せず、現代においてはマイナスとまでは言わないにしても支持拡大にはもはやつながらなくなってきていると私は思います。
 というのも、少子化対策として子供のいる世帯向けの優遇政策が何本も作られていますが、そもそも各世代の子供のいる世帯自体がかつてと比べ大幅に減少しており、これら優遇の恩恵を受ける世代は明らかに限られています。また以前の記事でも書いたように、現代においては「マイホーム+家族持ち」はもはや上流世帯とみなされるようになっており、こうした子供のいる世帯向けの優遇政策は上流優遇とみられている節すら感じ、実際に子供のいない独身世帯からすれば「俺たちの税金が( ;∀;)」みたいな感情を少なからず持っている気がします。度々話題に上がる独身税への反発なんか特に顕著だし。

 真面目な話、官僚や政治家はこうした日本における家族構成や世帯の変化にマジで気づいていないのではないかと思う節があります。彼らとしては普遍的な支援策を打ち出しているつもりながら、実際にはごく一部しか恩恵が得られない偏った政策にもなっている節があり、だからこそ少子化対策は必要とみられつつも、政府の少子化対策政策が支持されない現状になっているように見えます。

 同様に、労働者に対する政策もどこかピントがずれてきている気がします。基本的に政府の言う労働者は正社員が対象で、下手すりゃ大企業の正社員に限定されます。しかし現実には今やかつての中間層のような正社員は少数派で、実質的にはそうした層は今や上流に属します。そうした上流層への生活支援策とかやられても中間層が拡大するかと言ったらそんなことはなく、見方によっては上流層をさらに肥えさせているようにも見えるかもしれません。

 本気で中間層を拡大しようというのなら、やはり派遣などの非正規社員の支援が必要となるでしょう。近年の政策ではフリーランサーを支援する政策なんかはまさにそうした方向性に適っているし実際に価値ある政策だと私も思うものの、大多数の非正規雇用への支援策は先の103万円の壁こと基礎控除の引き上げ議論で自民党は乗り気じゃなかったなど、現政府はやはりまだ熱心でない気がします。
 ただ、政府がこうした非正規雇用への支援策に乗り気でないことについて私は内心深く理解できます。というのも、こうした非正規雇用者層を支援をしたところで一切票につながらないからです。自分も以前に派遣マージン率を調べてたときに痛感しましたが、どれだけその待遇改善を応援しようとしても多くの非正規雇用者自身は政治に関心を持たず、自分たちを応援してくれそうな人たちへ投票で行動を示すことはまずありません。それだったらちゃんと票くれる人を支援しようと政府や政党が考えるのも、無理ないかなと考えています。前のインボイス制度に関しても無駄に騒ぐだけだったし。

 そもそも中間層が消失して上流と下流に分断され、政治に関心持たない下流層の浮動票化がますます加速し、妙な陰謀論とか実現性のない政策や主張の扇動を受けやすくなっているのが今の日本政治な気がします。
 各政党もこうした浮動票を取り込もうと色々知恵を練っているように見えますが、彼ら自身の中間層信仰がそれを妨げており、特に社民党や共産党などは彼らの支持母体がもはや上流層となっていることに気づかずにちぐはぐな主張を繰り返すからその支持を失っているように見えます。

 その一方、上流も層を拡大したことによってかつてと比べると、特に財界で顕著ですが特定の思想や方針に対するこだわりが薄れてきている気がします。それこそ昭和の時代は護憲、対米重視、反共、反米、天皇制などについて政党が主張や方針を変えようものならすぐにもその支持を投げ捨てる団体や企業が数多くいましたが、現代においてはこうした団体はかなり減り、一言で言えばかなりマイルドになってきています。
 政党としては綱領に縛られずに以前よりも柔軟に政策や方針を打ち出しやすくなっている一方、いわゆる岩盤固定支持層がなくなり、議席の維持というか票を固めづらくなってきている気がします。逆を言えば、固定支持層を作るだけの綱領を今の政党はあまり作れなくなってきているように見えます。安倍晋三なんかは意識してその辺を作ろうとしたけど結局戦前の天皇制崇拝の焼き直しで、「美しい国」というよくわかんない表現したから結局固まらなかったのが私の見方です。

 以上が大体の自分の言いたかったことですが、一番言いたいことを軽くまとめると、中間層が消滅して上流、下流に二極化した結果、双方ともに票の流動化が加速してきているというのが今の日本政治の特徴だと思います。なので10年単位の長期的政策を打ち出しづらいし、打ち出しても票につながらなく、それどころか実現性無視した耳当たりの良いこと言った方があと腐れなく票が取れちゃうから、今後日本政界はさらに流動化が進むかもしれません。
 その上で今一番求められているのは、中間層をターゲットにするのではなく、上流にも下流にも「せや、それでええねん(*‘∀‘)」と世代や階層を超えて支持される方針というかビジョンだと思います。池田勇人なんかは所得倍増計画で日本人全体の目標を復興から豊かさへ一気に転換したうえで統合させることに成功しましたが、まさにこう言うビジョンが今欲しい気がします。

 なお平成前半は「物質的豊かさはもう極めたから、国際社会での影響力を高めよう」というのが政府方針であったものの、現代においては米国同様、むしろ国際社会のわずらわしさから避けたいのが日本人の本音な気がします。平成中期は「バブル期再来」がビジョンというか願望でしたがこれは実質的に叶うことはなく、国民全体であきらめている状態です。
 日本をどんな国にしたいかというのなら、自分としてはマイノリティという自覚が強いのでやはり多様性を重視するマレーシアっぽい寛容な社会が希望です。

2025年8月19日火曜日

大学進学はもはや上流に入る条件にあらず

 先日書いた「中間層が消滅した日本」の記事で私は、日本にはもはや中間層と社会で認識される集団がほぼ存在していないと主張しました。これは中間層がいなくなったというよりは、それまで中間層と認識される条件となっていた終身雇用制やマイホーム観念が焼失したことによる影響が大きく、また中間層がそのまま下流層に落ちたというよりは、上半分を上流層、下半分を下流層が上下から吸収しただけで、社会における資産配分自体はそこまで変化はなくボトムダウンでみんな揃って貧しくなっただけじゃないかという見方を紹介しました。
 基本的な主張は以上の通りですが前回記事でこうした階層意識、そして古今から階層移動の重要手段とされた教育こと大学進学について、準備していたにもかかわらず触れるのを忘れていました。大体この手のネタは通勤途中の上海地下鉄の中で考えることが多く、家に着いた頃には大体忘れるのがよくない(;´Д`)

 そういうわけで大学進学ですが、昭和後期から平成初期の中間層を構成するかなり重要な要素だった気がします。というのも

・上位大学に入る
↓↓↓
・大企業に入る
↓↓↓
・結婚してマイホームを持つ
↓↓↓
・老後は退職金で老人ホームに入る

 というのが中間層の理想的人生とされ、中間層が中間層足りうる条件の大きな要素となっていました。しかし平成中期以降、就職不況で最初の上位大学→大企業のルートが閉ざされ、いきなりファーストステップでこける形となりました。そして令和となった現代、はっきり言えば自分の目から見て、学歴が持つその価値は年々低下してきているように見えます。

 そうはいっても大企業は学歴フィルターなどがあると言われ実際そうだと私も思いますが、かつてと比べると大学のブランド力だけで就職が有利になるということはかなり少なくなってきているように見えます。具体的にはようやく日系企業もジョブ型雇用を始めるなど、学生が持つスキルを採用で重視するようになってきており、今後この動きはさらに加速すると思います。
 実際はどうだかわかりませんが高専出身者も優遇されると聞いており、私が専攻した社会学や心理学など、産業に一切寄与せず余計なことを言って社会を惑わす学部の出身者は上位大学であってもあまり就職では有利とはならなくなるでしょう。っていうか自分の時代もあんま有利じゃなかった気がするし、実際自分でもこれら文系学部の出身者は役に立たない気がする(´・ω・)

 さらに続けると、日本の最高学府の東大そのもののブランド力も近年低下してきていることも、大学の学歴が中間層、ひいては上位層へのランクアップに寄与しなくなっている要因としてかなりデカい気がします。
 こんなこと言うと東大出身者に怒られるかもしれませんが、総理就任者の学歴を見てもかつては東大が常連であったのに近年はほとんどおらず、最後の人物もよりによって鳩山由紀夫氏だったりします。またかつてと比べ社会で活躍する東大OBもなんか減ってきているように見え、むしろ早慶出身者の方が目立つというか、私自身も大した人だと感じる人が多いです。逆に、メディアなどで知性や教養を一切感じさせられない発言や振る舞いをする東大出身の芸能人は増えており、東大の権威は年々落ちてきているように感じ、そのこと自体に東大も気づいていない気すらします。

 そもそもかつてと比べるとグローバル化で留学もしやすくなり、先端研究も大学より企業で行われることが増えてきているため、東大の存在意義自体がかなり揺らいできているのは間違いない事実だと考えています。昔は東大に入れば一流企業入りは確定、企業内でも出世が約束されてされていましたが、前述の通り今やその後のスキルの方が重要となってきており、東大の学歴だけで上流入りにとはもはや成立しないでしょう。良くて中流層入りと言いたいところですが、中流層の定義がほぼなくなった現代においてはそうも言えない、つまり下流として認識される可能性も出てきている気がします。

 こうした大学進学の価値喪失の背景理由としては、上記の東大ブランドの低下もさることながら、単純な大学進学率の頭打ちこそが最も大きいでしょう。すでに世代の過半数が大学に進学するほど普及しており、「大学進学=エリート」とはもはや言えません。採用する企業の側も大学生が溢れているので、もはや少数派となっている高卒と比較してそこまで優先して採用する必要もなく、より優秀な人を得るためには前述の通り学歴よりスキルを重視する方が有利に決まっています。

 最初に書いたように、大学進学は昭和から平成初期までは中間層、ひいては上流層に入るためにはかなり大きな条件の一つとされていました。しかし上記のような社会の変化を受けて今や上流層はおろか中間層に入るうえでもそれほど威力を持たず、現実に大卒でありながら自らを下流層と意識している人は少なくないでしょう。その点を踏まえると、階層を逆転する手段として教育が日本ではもはやあまり機能していないところがあります。

 それもこれも、日本政府が中間層を拡大しようと大学の定員を拡大した失策によるところが大きいです。結果的に、下手に大学に進学しなかった方がもっと幸福な人生を送れたかもしれない人をたくさん路頭に迷わせることになったと思うし、社会に求められていた技術系学部の定員などをもっと調整していれば、ここまで大学進学の社会的価値が日本で低下することはなかったでしょう。それ以前に、拡大しようとした中間層が消滅することとなる逆の結果も生まなかったでしょう。

 以上あまりまとまりのないことを書き連ねましたが、シンプルに一言でまとめれば「大学進学で社会で有利になる」という中間層を構成する重要概念が消失したことで、上流層と中間層を分ける定義もあいまいとなって、結果的に中間層の概念が消失することになったというのが自分の見方です。

 ちなみに中国も、今若干同じような動きが出つつあります。ただ日本の東大と違うというか、中国トップの北京大学の出身者に関しては自分が会った相手はいずれも優秀な人しかいません。
 一人例を挙げると、短納期で対応の難しい依頼を私にメールで伝えてきたため「無理!(# ゚Д゚)」とすぐ返事したら、「じゃあここだけやってもらえますか?」と、ギリギリ断り切れず、しかも何とか対応できそうな範囲だけを正確に提示しなおしてきました。その修正範囲のあまりの正確さと、依頼メールの丁寧で且つ断りづらい日本語での文面はすさまじく、後にも先にもメール文を見るだけで冷や汗をかいたのはあれきりです。

2025年8月17日日曜日

中間層が消滅した日本

 結論から書くと、かつて「一億総中流」と呼ばれた日本ですが、もはや中間層塔子という言葉は消滅したと自分は考えています。

 最も象徴的なのはほかの人も言っているように「クレヨンしんちゃん」における野原家こと野原ひろしの立ち位置です。連載当初でこそ中間層、さらに言えば自宅のローンに苦しむ中の下として位置づけられていたものの、現代においては上流層として見られるように変貌しました。ここで言う上流層の条件としては、

・正社員
・社内で肩書持ち(係長とはいえ)
・マイカー、マイホーム保有
・子供が二人以上

 ぶっちゃけこの条件揃えれば今の日本においては上流層として立派に扱われるでしょう。逆を言えば、最後の子供数を除くこの条件を一つでも満たさなければ、下流層として扱われることになる気がします。

 この中間層がなくなった背景ですが、恐らく大半の人は富の二極化こと上流と下流の乖離拡大が原因だと考えると思いますが私は逆で、上流と下流の差が狭まったがゆえに中間層が消滅したと考えています。そういうと上の条件でも少し触れていますが「昔は派遣社員なんてなかった」などと、現代の方が格差が広がっているという人もいるかと思います。
 ただ昔は確かに派遣社員はいなかったものの、その分日雇い職は今より多くありました。また努力じゃどうにもならない格差や差別も当たり前で、一例を挙げると昭和の頃は片親の時点で大企業の採用からは門前払いされていたのが当たり前でした。そのころと比べると、現代日本はまだ本人の努力で逆転できる余地も広いと思います。

 さらに加えるとかつては金利が10%近くあった時代もあり、定期預金だけで生きていける層も潤沢に存在しました。いわゆる不労所得で生きている人が当たり前に存在しましたが、現代でもアパート経営で暮らす人も多いものの、逆に騙されて資産取られる人も少なくありません。ただでさえ金利が0.1%も行かない時代なので資産だけで悠々暮らすのは難しく、実際には資産を削りながら働かずに暮らす人も少なくなく、そうした背景を考えると上流層の質というかランクはかつてより下がってきていると私は見ています。
 言うまでもなく失われた10年を経て下流層の暮らしも悪くなり、平均所得も大きく目減りしています。しかし前述の通り、この間に上流層の生活や資産の質もダウングレードしており、それらを踏まえると「ボトムダウン」というのが平成期における動きとしては一番適切だと思えます。

 そんな平成のボトムダウンを受け、かつての中間層からは収入減などを受けて下流に落ちる人がいた一方、それ以前の中間層の暮らしを維持できた人もいたでしょう。その結果、落ちた人は自分が下流と認識し、逆に維持した人は上流と認識するようになったことから、中間層という概念が消滅して上流と下流の二極化が起きたというのが自分の見方です。言い換えれば、上流も下流も、双方でその定義する対象範囲が広がった結果、中間層が上下から浸食されて消えたという考えです。

 またその定義の拡大に関しては、社会前提が崩れたことも大きいと睨んでいます。具体的には終身雇用制の崩壊とマイホーム意識の変化で、前者は言うまでもなく大企業が終身雇用制を完全に放棄し、「大企業に就職できたら一生安泰」という概念がなくなったことに加え、過重労働やパワハラの概念も出てきて将来に対する保障意識が弱まりました。
 これを受けてというかマイホーム保有の意識も、以前は一つの通過点的なものだったのが将来の収入が必ずしも保証されなくなって買いづらくなったうえ、大地震や建築偽装などの事件を受けて保有そのものにリスクが付きまとうようになり、私見ですが「持家派VS賃貸派」の議論は年々激しくなってきている気もします。

 かつての中間層の条件で非常に重きをなしたのがこのマイホームでしたが、マイホーム保有が絶対ではなくオプションに切り替わったことで、中間層そのものの概念が揺らいだと自分は考えます。この結果として社会上で自分はどの層に属すのか、またどの層を「中間」と捉えるのかが段々とあいまいになり、中間層の上流と下流への分化が進んだというのが私の意見です。
 ついでに書くと、家族の概念も変化というか崩壊したのも定義崩壊の一因でしょう。婚姻率低下に少子化で中間層のモデル崩壊に拍車をかけており、ぶっちゃけ現代では「結婚しているだけで勝ち組」という雰囲気すら覚えます。

 と、ここまでならそんな大した意見じゃないですが、この自分が社会でどの層にいるのかというのは政治意識、特に票取りで大きな要素になります。こうした資産をバロメーターにした社会意識の変化が地味に日本政治の変化の要因になってきているともにらんでおり、この辺はまた今度書きます。

 今日は熱中症の頭痛ないからちゃんとした記事書ける( ´Д`)=3 フゥ

床板をアイロンがけ



 手軽に作れることからFREEDOMから発売のMig-21のデフォルメ版をまた作ってました。割と楽しく作れたものの、作っている最中に熱中症からの頭痛が起こり後半はきつく、結局昨夜はブログも書けずに夜7時から必死に晩飯食べてずっと寝込んでいました。
 なおこのキット、出来は悪くないんだけどデカール(シール)の指示表が何故か中国版Mig-21こと殲7の物が入っており、全く参考になりませんでした。こんな間違いってあるんだ(´・ω・`)

 話は本題ですが先日ふと窓際に接する床板をみたところ、何故かそこが普段よりどす黒いことに気が付きました。明らかにそこだけ周囲と比べ陰影が濃く、まるで水にぬらして墨がにじむような感じとなっていました。
 これを見て思い当たることがあったというか、先日に台風が来てほぼ1日中激しい雨にさらされたことがあり、これが原因じゃないかと考えました。実際はどうだかわかりませんが、中国の建材やコンクリの質は結構悪く、隙間に水分が浸透して部屋中常にかび臭いのがデフォです。幸い、今の部屋はリフォーム後に借りたのでこれまで自分が中国で済んだ部屋と比べカビ臭さは皆無なのですが、今回は窓際ということもあり並の雨なら影響ないものの、台風級の豪雨を受けてコンクリを通して水分が床板にまで浸透してきたのではないかと推測しました。

 となれば乾燥させることが一番手っ取り早いのかと考え、クソ暑い中で冷房切って窓から入る日差しがそこに入るように仕向けました。しかし窓際、しかも高低差があるため正午くらいにしか日差しが当たらず、そこまで黒さが改善もしなかったことから、日光以外の何か別の熱源を当てる必要が出てきたわけです。その際、

「せや、アイロンかけたらええねん!」

 と、仕事猫的な発想が突然閃き、10年近く前にめちゃうきうきで買ったアイロンを早速セットしてみました。自分の人生で、床板にアイロンかけるのはこれが初めてでした。

 で実際にやったところ、めちゃくちゃ効果あってビビりました。アイロンかけたところだけ見事にくっきりと白い元の床板の色を取り戻し、自分の推測通りに水分が原因でアイロンが効果的だということが証明されました。

 ただ原因の水分は思った以上に根深く、しばらくは白い床板の色を維持するものの少し放置して時間を置くとまた黒くにじんだ色に戻りました。恐らくこれは表面の水分がアイロンで一時飛んだものの、床板の裏の水分がまだたっぷり残っていて、アイロンが去るや再び水分吸収し始めて元に戻る円環の理によるものだという風に推理しました。
 そんなわけでアイロンかけるにしてもすぐ終わるだろうと思ったものの、床板裏の水分を全部消し飛ばすまでアイロンをオンのまま長々と放置することとなりました。しかも範囲が大体アイロン8個分に及ぶことから、アイロンを置いては移動させ、またにじんできたら再び置くという無駄にめんどい作業を要求され、ちょっとめんどい思いをしました。

 ただこの過程というかアイロンかけて大正解と思う節がありました。特定の個所でアイロンをしばらく置いてから持ち上げたところ、びっくりするくらいのカビ臭さが鼻を突きました。恐らく床下、または床板そのものに水分とともにカビ菌が付着しており、アイロンによる乾燥で一気に霧散したのではないかと思います。もしあのまま放置していれば床板の裏でカビがさらに繁殖していた可能性があっただけに、アイロンをかけるという我ながら暴挙に近い発想と無駄な行動力により住環境の悪化を今回は未然に防げたような気がします。

 最後に結論をまとめると、中国の住宅は日本とは比べ物にならないくらいカビ対策が重要で、その対策ツールに今回アイロンも加わるということが一つ勉強になりました。ブリリアント(´・ω・)

2025年8月15日金曜日

歓迎すべき中国の反日主張の過熱

中国外相、日本は歴史直視し「正しい選択」を(ロイター)

 先日自分も感想を書いた「南京照相館(南京写真館)」に言及する日本語記事も増えていますが、それに合わせるかのように上のリンク先記事のように、このところ中国政府が日本を非難する発言や主張を増やしてきています。トランプ大統領就任時には「一緒に戦おう」的な親書を送ってきたのを考えるとかなりの転向ぶりですが、これはトランプ関税がそれほど中国にダメージを与えておらず、「日本と仲良くしなくてもいいじゃん」的に思い直したせいもあるでしょうが。
 もっとも、こうした中国の対日批判に対して日本人はもっと歓迎すべきで、「もっと言え!щ(゚Д゚щ)カモーン」的に叫んでもいい気すらします。何故かというと、対日批判しないといけないほど中国が追い詰められてきている証左でもあるからです。

 中国の現状ですが、貿易に関してはそこそこ好調で、第一次トランプ政権の頃とは違って米国への輸出依存を避け、半導体も必死になって自分で作るようになったことから前述の通りトランプ関税でそこまで深刻なダメージは負っていません。むしろトランプ関税はカナダやブラジルなど米国の同盟国ほど痛手を受けており、米国に対するデカップリングは今後ますます進むだろうし、それが回り回って中国にも追い風になってきているのかもしれません。

 ただ輸出は好調ではあるものの、中国経済自体はかなり危険というか不穏な空気が徐々に強くなってきています。一例を出すと、先日クリーニング屋の店員に「景気はどうだい?」と尋ねたところ、「去年よりはいい」という答えが返ってきました。深読みすると、「去年は最悪で、今年は好調とは言えないがまだマシ」というのが本音だったんじゃないかと思います。


 上の記事は自分が一目置いている王青さんの記事ですが、ここに書かれているようにこのところ中高級飲食店の閉店が本当に目立ちます。自分の家の近くにあったランドマーク的な高級料理店も閉店し、その跡地は解体されることもなく放置されています。ショッピングモールとかも空きテナントが絶賛増加中で、新たに入るとしてもリーズナブルで安価な飲食店ばかりです。
 前々から書いていますが、中国は景気浮揚のために家電や自動車の買替補助金をばらまいていますが、かつてとは違い市場がある程度飽和した現在においてこれらの補助金政策は数年先の需要を先食いする悪手としかなりません。以前から2年後の2027年あたりに副作用が出てえらいことになると予言していますが、このところその予測に対しますます確信を強めているというか、足元の景気の悪さが徐々に顕現してきているように感じています。

 そこで話を戻すと、そもそも余裕がある状態なら他国をいちいち批判したりしません。米国もそうですが国内で社会不安が広がっているからこそ政治家というのはそのヘイトを他国に向けるものです。日本も景気が悪化した90年代が、自分の知る限り最も反米意識が強かった時代だったように思えます。00年代はそれが中国、韓国に向きましたが。
 中国も、この1年くらいでなんか急に対日批判を強めるようになってきた気がします。日本人襲撃事件が起きるたびに一旦ストップしますが、去年の蘇州の事件の前辺りもなんか急に日本批判を強めていったような気がしており、つくづく反省しない連中だなという気がします。

 もっとも前述の通り、対日批判を強めるということは中国国内の経済、社会不安が増大していることの表れと判断していいです。いくら日本を批判しようが、中国の影響力は低下していくことになるのだから日本人はあまり気にしなくて構わないし、何なら冒頭に書いたように「苦しいんだね、もっといいなよ(´∀`*)ウフフ」的な態度を取った方がいいと思います。それこそ日本が中国の批判に言い返すどころか逆にこうした態度を取っていると、中国側も「なんやねんこれ(;´Д`)」みたいに次第に馬鹿らしくなって、かえって対日批判を収ていくような気がするし。

 ただ真面目に、今は嵐の前の静けさみたいな状態ですが、今後の中国はマジ茨の道が待っています。若者の雇用問題も全然好転していないし、不動産不況はむしろ色濃くなっているのに何の対策も打ち出せておらず、無駄に放置して時間を経過させて事態をむしろ悪化へと導いています。
 それ以上に本当の意味での導火線になると自分が思っているのは年金です。日本以上に膨大な人口を抱えて、日本以上にハイペースな少子高齢化が進む中国で、既存の年金政策が維持できるとはとても思えないし、制度にメスを入れようものなら若者の高齢者も揃って大ショックを受けてそれこそ暴動にも発展するのではないかという気がします。まだあまり言及する人もいませんが、中国人自身も薄々年金に対する不安を持ち始めており、それが今の社会不安につながっているように見えます。

 恐らく今後としては90年代の日本みたく少年犯罪が激化して、それが社会不安を強めることになると予想しています。すでにその萌芽は見られており、先の女子中学生いじめ事件のように、社会、家庭内の不安が子供にも影響してきている気がします。
 もっともこの事件に関して中国は素晴らしいというかいいなと思ったのは、いじめ被害者に対しその家族だけでなく、周辺の大人たちも一緒になって学校などに抗議しているという点です。まだ中国は子供の教育は社会(コミュニティ)が共同で担うものだと認識しているように思えます。

 日本は先の広陵高校の事件でも被害者の家族は当初孤独な戦いを強いられ、大ごとになった今も自分を含めネット上でソイヤ!ソイヤ!と騒ぐのが主で、広陵高校に集まって顧問や校長をみんなで引きずり出すところまでいかないあたりは中国人ほど熱く激しくないなという気がします。まぁどっちがいいのかってなると議論の分かれるところですが、自分はどちらかと言えば中国のようにみんなで悪い奴を物理的にとっちめる方が好きです(´∀`*)ウフフ

2025年8月14日木曜日

その死に衝撃を受けた財界人(西川善文)

 お盆だし誰が読んでるかわからないこの一連の死亡記事ですが、政治家、漫画家と続いて財界人という枠で考えた際、真っ先に浮かんできたのは三井住友銀行の初代頭取で且つ郵政公社トップを務めた、ラストバンカーこと西川善文でした。

 彼については以前にもこのブログでその著書の「ラストバンカー」の紹介などで触れていますが、2020年の逝去の際は人知れず衝撃を受けていました。かねてよりアルツハイマーで表舞台から遠ざかっていたとはいえ、自民党内部の守旧派による巻き返しのあおりを食らう形で放逐された顛末は知っており、放逐した自民党の議員ら(鳩山邦夫や亀井静香)たちからも「悪いことした(でも反省しない)」と口にするほどの不幸っぷりもあって、以前からも同情心を覚えていました。

 私が彼の名前を初めて覚えたのは郵政公社社長就任時でしたが、ちゃんと興味を持つようになったのはたしか田原総一郎氏の講演会でした。その講演会で田原氏が、「ヤクザ相手に取り立てをやってきたような昔ながらの銀行家」として西川氏を語っており、当時は銀行と闇社会の関係がいまいち取れず、なんで銀行員がヤクザ相手にするんだろうとマジで疑問に思うとともに、「公権力横領捜査官 中坊林太郎」のワンシーンでそれらしいのがあったのを思い出したりしました。
 この話を聞いてから昭和から平成、特に銀行再編期にあたる90年代について興味を持つようになって調べたのですが、当時はまだそこまで詳しく調べるには至らず、むしろ西川氏の訃報を聞いてからますます興味を持って「金融腐蝕列島」シリーズを読むなどちゃんと調べるようになりました。

 話を戻すと、政治や社会の見方を覚えたころからみていた人物の訃報であり、また最後の郵政公社の改革半ばでの追放劇への同情もあって、逝去報道は自分にとって結構衝撃的でした。ほかの人物にも当てはまりますが、一時期活躍しながら晩年の頃に不幸や落ち込みの激しい人生を送った人物ほど自分はその訃報を感じ入る傾向があり、同様にダイエーの中内功、パナソニックの中村邦夫などもその訃報の扱いのあまりの小ささに思うところがありました。西川に加えこの二人についても、もっと現代の評価は高くてもいいと思うのですが、晩年だけで評価されがちな現代の見方にちょっと反逆心を持ってたりします。

2025年8月12日火曜日

甲子園、宝塚、ジャニーズという聖域

【疑問】広陵高校校長「寮に爆破予告があったから辞退します」→寮に生徒を戻す(ガハろぐ)

 相変わらず燻り続けている広陵高校の事件ですが、上のツッコミの通り寮に爆破予告があるっていうのに生徒を寮に戻す当たり如何にこの学校の運営者がクズなのかが見て取れます。ただ甲子園常連校は広陵に限らず多かれ少なかれリンチや隠蔽は当たり前ですが、一部でも指摘されている通り、大手メディアはそれらに対し一切報じません。

 一部報道によると、今回の広陵高校の事件被害者は新聞メディアにも接触していたものの、各社ともに対応こそすれど記事化は見送られていたそうです。朝日新聞に至っては、対応すらしなかったということですが、ほかのいじめ事件は取り上げるしいじめはよくないというのにこういうダブルスタンダードはやっぱどうかなと誰もが思うことでしょう。
 その報道姿勢のダブルスタンダードと言えば近年最も大きく騒がれたのがジャニーズ事務所の事件で、この事件について大手メディアは自戒を込めた発表を出しています。もっともどうせ口先だけで中身のない反省だと私は思っていましたが、この広陵の事件を見ていても自分の見立てに狂いはないと言い切れます。またこっちはちょっと古いですが宝塚歌劇団の自殺事件に関しても、あれだけニュースになるネタながら大手メディアの報道姿勢は非常に慎重だった気がします。

 元メディア関係者の自分に言わせると、ニュースメディアというのは倫理観以前にそのニュースが大衆に注目されるかどうかで報道するかしないかを決めるべきであり、それ以外の要素を考えること自体がナンセンスです。大衆の知りたい欲望を叶えることを突き詰めることでかえって報道というのは消化されるものであり、ジャニーズ事件など誰もが注目するネタを持ちながら放出しないというのは愚の骨頂です。
 もっとも、上記の姿勢は報道は真実を前提にして虚報を流してはならないというのが大前提です。ぶっちゃけこの二つさえきちんと守れば、若干のプライバシー侵害も自分は無視してもいいと思います。

 話を戻すと、改めて考えるにつけ甲子園、宝塚、ジャニーズというのは報道における一種の聖域であるように思います。この中でどんないじめや性犯罪が行われようともメディアは必ず黙殺してくれるので、中で権力もつ人間としては非常にやりやすいでしょう。もっとも平成から令和にかけてこうした聖域が徐々に弱まったことでどれもスキャンダル化しており、甲子園も今後人気が下がっていけばより聖域の力が失われるのではないかという気がするし、私自身もその方がかえって日本の野球界にとってもいい結果につながると信じています。

 その上で上記以外にも日本にも聖域はあるのかと少し考えたところ、天皇家に関しては言うまでもないのですが、それ以外だとパナソニックやニデックなどの一部大手企業が当てはまるような気がします。どちらも社内外パワハラのきついことで有名ながらどのメディアも一切報じず、なにも知らない学生がクリーンな会社だと思って入ろうとする悪循環が続いています。
 私はかねてより情報というのは公開されれば公開されるほど世の中は良くなっていくという心情を持っており、そうした立場からももっと社会中で情報はオープンであるべきだと思います。逆に、変にクローズドにすることでデマが入り込む余地が生まれるだけに、メディアも余計な忖度せずみんなが注目するネタは周りを気にせずどんどん暴露していってもらいたいものです。

2025年8月11日月曜日

英国のタワーブリッジの攻撃機通過事件

 今日も頭痛でヘロヘロになって帰宅した後、自宅で冷房あっけならYoutubeを見ていたところ、下記の事件内容を紹介するこんな動画がおすすめに入ってました。


 内容は動画を見てもらった方が早いのですが、1968年に英国では空軍の削減方針が出ていて冷遇されており、設立50周年にもかかわらず何の記念行事も行われなかったそうです。これにキレたアラン・ポロックというパイロットがホーカー・ハンター攻撃機を勝手に持ち出し、ロンドン中心部へと飛び立つと議会周辺で騒音をまき散らしながら飛び散らし、挙句にタワーブリッジを見かけるやその欲望を抑えきれず、橋の下を爆速で通過するという快挙を成し遂げたそうです。
 もちろんこんな行動を軍も見過ごせるわけはないのですが、軍法会議にかけないため彼を除隊処分にして放免にしたそうです。また世論も破天荒な行動を取ったとはいえアランを支持する声が大きく、結果的に英空軍にとって大きな追い風になったと紹介されています。

 そんなアランのその後ですが、除隊後はビジネスで成功し、英空軍とも良好な関係を維持していたそうなのですが、なんとつい先月の7月1日に亡くなっていたそうです。恐らくそうした縁で上のショート動画も作られたのではないかと思いますが、江戸っ子的に言うと粋な行動を取る人だと私にも思え、そうした歴史上ともいえる人物がつい先ごろまで生きていて亡くなったという事実に何かの縁を感じ、こうして記事を書くに至っています。
 やはりパイロットというのは、絶対服従を求められる軍の中にあっても空を飛ぶ自由を求めてなんぼでしょう。自由という翼なくしてパイロットにあらずです。

2025年8月10日日曜日

映画「南京照相館(南京写真館)」の感想

 昨日も上海は最高気温35度で暑く、家にいたくない一心で何か見に行く映画がないかと探すもこれという映画がなく、もうそれだったらこうしてブログの記事ネタにもなるだろうという判断から南京大虐殺をテーマとする「南京照相館(南京写真館)」を見に行ってきました。


 本題と関係ないけど上のリンク先の中島恵氏はJBpressで書いた自分の記事によくコメントしてくれていたので、当時「もしあったらアイスくらいおごんなきゃ(´・ω・)」ということをブログに書きましたが、いまだその宿願は果たせずにいます。

 話は本題ですがこの映画、あらすじを簡単に説明すると日本軍の南京占領に始まり、街中のいたるところで虐殺が行われる中、日本軍に殺されそうになった郵便配達員の主人公が保身のために自分は写真館の従業員で、写真の現像ができると偽ります。これを聞いてちょうど記録写真の現像先を欲しがっていた日本兵が彼を保護し、彼とともに市内の写真館へと赴いてフィルムの現像を依頼するのですが、主人公は前述の通り配達員のため現像なんて出来やしません。
 翌日までに現像を依頼されながら困っていたところ、写真館の地下に家族とともに潜んでいた本来の写真館の主が現れ、主人公に現像技術を伝授します。これを受け主人公も日本軍から支給される食べ物を家族と分けながら彼らを匿い、占領下における南京市からの脱出を図っていくという筋立てになっています。

 まず映画全体の感想を述べると、上の記事でも観客の評価が高いとされているだけあり非常によくできた作品であると感じました。俳優の演技からカメラワークまでどれも素晴らしく、またBGMも重苦しいものを使う一方、全く使わない無音の場面も効果的に使っていて、上映時間中に中だるみすることは一切ありませんでした。
 ストーリーに関しては上記の通りで、私個人の印象を述べると占領下で外に出たりばれたりすると殺されるという緊張感ある展開はかつての「ホテル・ルワンダ」とか、ユダヤ人迫害系の映画に近い印象を覚えました。こうした映画同様、隠れ潜む家族らの存在がばれそうになる展開は緊張感があるとともに、写真館の外で繰り返される虐殺場面はさらにそれを引き締め、先に展開がどんどん気になるような仕上がりになっていました。

 歴史考証については自分も専門家ではなくここで行うつもりはありませんが、少なくとも南京が占領され、市外への外出が制限された当時の住民の状況はこんなものだったのだろうという印象は覚えました。生殺与奪権が握られ、食料を含む物資もほぼ全て取り上げられ、残って生きていくことはできないのに脱出もできないという閉塞感は想像に難くありません。
 特に私の場合、あの2022年の上海ロックダウンを生き延びた経験があります。命の危険が脅かされたわけではなく南京の例とは大違いではあるものの、外出や物資の制限がされる環境がどれほど厳しいかという一端を見ているだけに、当時の南京市の住民を思うと胸の痛い思いがしました。

 またリンク先の記事でも書かれているような残虐描写に関しては、これは指摘の通りだと思います。日本兵が生首を掲げるシーンもあれば河畔で大量に機関銃掃射するシーンもあり、流血シーンは枚挙に暇がありません。この辺はソフトにするかハードにするかはそれぞれメリット、デメリットがあると思うだけに、どっちがいいか悪いかは一方的に決めつけられないでしょう。「プライベートライアン」も、あの冒頭のシーンがあってこそと言われますし。
 ただ子供の視聴に関しては確かに避けた方がいいのではと思う節があります。具体的には小学生以下にはちょっときついシーンが多いと思え、その辺のレーティングであれば必要な気がします。

 このほか今回自分が見に行ったのは午後の上映回でした。いつも早朝にほかの人が見ないような映画ばかり見ているため、館内はいつも10人以下というごく限られたマニアの集いみたいな感じで映画を見ているのですが、今回は話題作で時間帯もお昼時とあって8割がたの席が埋まっており、普段と違う環境で若干緊張感がありました。それとともに、上映開始日から日が経ってるのにこれだけ見に来る人が多いということは本当に人気であると感じました。

 最後に、映画のラストシーンで主人公が日本語で日本兵に対し、「あなたたちは友達じゃない」というセリフを述べるのですが、このセリフが中国政府の主張なのかなと邪推したくなる気になりました。そもそもこの映画、中国政府が作った国策映画と言ってもいい布陣であり、民間が作るのならともかく政府がこういう映画を作るあたりが中国らしいなという覚えをします。
 なおこのセリフについて自分の中国人の友人は、「過去のことであり未来の私たちには関係がない」と自分に行ってくれました。ちなみに今回この映画を見に行く前にその友人に見に行ったかと尋ねたら見ていないと話しており、自分が見に行ったことを話すと「日本人なのによく見に行くな(;´・ω・)」と言われました。

婚活漫画を読んで


 最近重要度増しているのでホーネットベースの電子戦機ことEA-18Gグロウラーを今日作ってました。マジで今日は朝起きて、グロウラー作って昼寝して1日が終わりました。これでやっと我が家のプラモ在庫はゼロになり、新しいプラモをまた買うことができますε-(´∀`*)ホッ

婚活バトルフィールド37(くらげバンチ)

 先日、完結記念記事を見たのと友人が自分に隠れて読んでいたことから気になり、上記の「婚活バトルフィールド37」という漫画を読みました。あらすじを簡単に説明すると、37歳独身派遣社員の女性が婚活に参加しててんやわんや系といったところですが、これ読んで思ったこととしては、幸せを追い求めてたことで余計に不幸になるのが婚活の真髄なのだろうかという感想でした。

 この「幸せを追い求めてたことで余計に不幸になる」というのは水木しげる哲学の最重要なところと言っていいもので、

金持ちになっていい暮らししたい
↓↓↓
金持ち印あるため死ぬほど働いて睡眠時間が削られる
↓↓↓
仕事以外の余暇が持てない
↓↓↓
無事金持ちになったけどその間に多くの物を失っている

 といった具合に、幸福を求めたことで逆にいろんなものを失って全然幸せになれていないケースが多々あることを前提に、「適当に仕事して、日々たくさん食べれてたくさん寝れることだけで十分幸せだよ」的なオチにもっていくのが水木しげる哲学だと自分は考えています。考え方によっては荀子の唯足論こと「ただ満足を知るのみ」とばかりに、現状に対する満足感を持つことこそが最大の幸福への近道という考えに近いと思います。

 話を戻すとこの婚活漫画、作者も婚活経験者で時折見せる無駄にリアル調な絵柄と相まって、婚活というのが夢や希望に満ち溢れたものではなく、現実や打算に満ちた厳しい戦場であるというのがよくわかりました。具体的には、相性や性格の一致以前に容姿、年収、年齢の三要素でマッチング相手の条件がほぼ決まり、はこれを打破してより上位ランクを狙おうものなら、別のマイナス条件を率先して受け入れるしかないことを何度も繰り返し説いています。この辺は手持ちの札で対決するカードゲームとかと全く一緒でしょう。

 本来なら結婚という幸せをつかむための婚活なのでしょうが、なんかこの漫画見てるとあんま幸せに向かっているように見えず、ネタとしては面白いけど結婚するまで大変なんだぁという印象しか覚えませんでした。もちろん漫画ゆえに誇張されてはいると思うけど、マジで一番に感じた感想が「幸せってなんなんだろう?」で、こうしたイメージを払しょくできないというのが今の日本の未婚晩婚化に拍車をかけているのでしょう。それならいっそ、「結婚=幸せ」じゃないと割り切り、「老後の生活のため」などと保険商品売るような打算的な感じで売り出した方が親切だしいいような気すらします。

2025年8月9日土曜日

広陵高校事件はいじめの重大事態として届けられているのか?

 阪神の久保田元選手みたく連投となるこのネタですがふと今回の案件について、いじめの重大事態として学校側は届け出ているのかという点が気になりました。

 いじめの重大事態についての説明は省きますが集団での暴行やら退学に至った点などと言い、今回の案件は確実にその認定条件を満たしていると断言できます。軽く調べたところ、いじめの重大事態については教育委員会や文部科学省に届け出ることが義務付けられているのですが、仮に届け出られていなかった場合、学校側が隠蔽を行おうとしたと判断するしかないでしょう。

 この点について広陵高校側の発表を見よても確認できず、報道を見ていても誰も言及していないというかメディアの人も気づいていない節があります。ぶっちゃけ学校側の責任判定を左右する重要な点だと思え、もし報告していなかったら前述の通り隠蔽、報告していたとしら何故それで甲子園を辞退しなかったという話になります。
 また広陵高校同様、高野連もいじめの重大事態を知っていたかどうかで責任が問われるでしょう。事前にくぎ刺す上でも、野球部内でいじめ重大事態があった学校はどうするのか、今のうちに聞いておく方がいいのではという気がします。そもそも論ですが、果断に出場取り消しを決断できなかった高野連も今回の事件ではその責任が重い気がします。

2025年8月7日木曜日

広陵高校野球部はこの際廃部にすべきでは?

「広陵はなぜ辞退しない?」「夏の甲子園はもう限界」開幕早々、批判が“Xトレンド入り”の高校野球…“ネットのおもちゃ”となった必然(東洋経済)

 本当は書くつもりなかったものの、上の記事のようにみんな「なぜ辞退しない?」とは言うものの、私のように「なぜ廃部にしない?」と言わないのかが不思議なのでこうして筆を取るというか腱鞘炎に痛む両手を使ってキーボード叩いています。


 騒動の背景についてはもういちいち触れませんが、上のまとめ記事にもある通り、広陵高校では長年にわたり「ブッチ」、「闇娯楽」と言われる集団リンチ行為がミャクミャクと受け継がれているそうです。これは上の記事の証言者のみならず複数のOBが共通して証言していることからも、その真実性について疑う理由は見当たりません。

 何気に自分の祖父も甲子園の理事やってましたが、そもそもの前提として甲子園というのは野球を通した青少年教育を目的に行われるイベントであるはずです。しかし今回の暴力事件を含め、ほかのスポーツでもそうですが運動部内でのいじめや暴力事件はかねてから後を絶たず、その甲子園の教育目的とは真逆に暴力性をはぐくむ温床となっているように見えます。特に問題なのが生徒同士であれば個人の行動ととれる節もあるものの、コーチや教師がそうした暴力行為を黙認する、それどころか率先してしごきを行うなどして助長する例も枚挙に暇がありません。学校側も生徒を呼び集められることからこうした運動部でのいじめや暴力事件に見て見ぬふりすることが多く、ここまでくると「教育って何?」って言いたくなってきます。

 その上で今回の広陵の事件についてですが、OBらの証言によるとリンチともいえる集団暴行事件は血まみれになる生徒がいても教師を含め誰も問題視せず放置されているという熾烈さもさることながら、こうした行為が長年にわたり続けられていて広陵では完全な伝統となっていると感じます。
 現オリックスの福田修平選手のみがその在籍時に、自分がターゲットになることも恐れずこうした暴力行為を終わらせようと努力していたものの、その後こうして復活しているあたり、たとえ今回の騒動で一旦はおとなしくなったとしても、その後再び行われるようになる可能性が高いとしか言いようがありません。

 そもそもこういったことは学校側が見張ってやめさせなければならないのに、広陵野球部の監督も学校側もどこか他人事というか、騒動に対し「やることやってます、何も問題ありません」と言わんばかりな無責任に感じる態度しかとらないあたり、暴力の根絶を彼らに期待するのは不可能だと断言できます。
 その上で、こんな暴力が蔓延する教育機関なんてそもそもあってはならないし、子供同士が激しく傷つけあうことが伝統になっているという歪さは異常な狂気としか思えず、あらゆる手段を使ってでも即撲滅しなければならないと思います。その手っ取り早い方法となるのは単純に野球部を廃部することに思え、ほかの学校でだっていくらでも野球部はあるのだから、広陵高校の野球部なんてとっとと廃部にすればいいと考えます。

 本音を言えばこれほどの暴力行為を長年にわたり放置してきた広陵高校という学校こそが最も責任が重いように思え、廃部と言わずこの学校を廃校にしてしまう方が後の世のためになると確信しています。ただいきなり廃校というと抵抗強いので、廃部、さもなくば廃校という感じで迫るべきじゃないかと思います。っていうかこんな学校、そもそも教育機関を名乗るべきじゃないでしょう。

2025年8月6日水曜日

中国アニメ映画の最大の弱点

羅小黒戦記紹介サイト

 以前にも少し紹介しましたが先日この「羅小黒戦記」という中国産アニメ策人の1と2を見たのですが、今まで見た中国産アニメの中でも最も面白く、その表現方法にもかなり驚かされました。具体的には非常に線の少ない作画と少ない枚数でキャラクターをダイナミックに動かしており、たとえて言えば80年代の日本のロボットアニメのように工数を減らしつつ魅せる工夫がされていて、よくできた作品だと感じ入りました。
 また2のヒロインの鹿野というキャラクターについては、一見して「NARUTOに出てきそうな女だな(´・ω・)」という印象を覚えたのですが、このキャラの声優の演技は中国人声優で初めて「うまいな(;´・ω・)」と感じました。外国人の自分に聞き取りやすい発音だったのもあるでしょうが、感情を入れるところ、入れないところの出し入れが素晴らしく、中国もいい声優が育ちつつあるのかもしれません。

 そんなわけで1に関しては既に日本で吹き替え版も公開されており、恐らく秋くらいに2も日本で公開されるんじゃないかと思います。自分としては文句なしにおすすめできる作品なのでよければ見てほしいのですが、この作品を見て、「あ、これが中国産アニメの最大の弱点だ」とはっきり気づく点がありました。それは何かもったいぶらずに言うと、ストーリー構成がほぼワンパターンな点です。

 多少ネタバレになってしまいますが、この「羅小黒戦記」は1、2ともにオチがほぼ全く一緒です。具体的に言うと、「味方だと思ってた奴が実は黒幕だった」という落とし方で、2も冒頭の時点で「多分こいつが裏切るんだろうな」という予感がマジプンプンしてました。
 この味方(仲間)が黒幕オチですが、ほかの中国産アニメ作品でもほぼ共通しているというか、このパターン以外見たことがないくらい使われています。王道と言えば王道で、日本の作品でもよく使われる構成ではあることは間違いないのですが、ほかにもストーリーの王道は存在するにもかかわらず中国産アニメではこれ以外の構成はほとんど使われていません。

 思うに、中国人としては起承転結の転として、観客の意表を突く展開にしようとしてやっていると思うのですが、それにしたってワンパターンすぎるというかほかに引き出しがないのかというくらいストーリー構成が共通しているというか似たものばかりです。オチに至るまでの展開は悪くないもののオチが使い古されたものばかりで、今後も広げずにこうしたパターンがさらに続く場合はちょっと思いやられるところがあります。

 なんでこのストーリー構成ばかり中国は使うのか敢えて深読みすると、敵というのは「外部よりも内部に潜むもの」という中国人の意識の表れだったりするのかなという気がします。逆に日本は最近、「進撃の巨人」をはじめ「主人公が実は悪の側だった」というオチが増えてきており、これも「自らを正義の側にあると信じ切れない」日本人の意識の表れかなと勝手に深読みしています。

 最後に余談ですが「羅小黒戦記」の日本語版では主役の声優を花澤香菜氏が演じていて、中国人の友人も「2もまたやってくれるのかな(´∀`*)ウフフ」と言っていました。なので「俺が一番好きな花澤香菜の写真(´・ω・)」といって、以下の画像を送ってあげました。








2025年8月4日月曜日

プロ野球球団を買収するとしたらどんな企業がいい?

 昨日一昨日はこれまでの疲れからかずっと頭痛で「トムとジェリー」の映画を見に行った以外は寝込んでました。冷房の当たり過ぎだろうか。

 話は本題ですがプロ野球は最後の補強期間も終わりいよいよ後半戦が熱を帯びてきています。セリーグは阪神が独走状態ですがここにきてヤクルトで三冠王の村上選手が復帰してすぐにホームラン連発しており、各球団にとってボーナスゲームだったヤクルト戦がシビアな戦いになってきています。パリーグは日ハムとソフトバンクの二強に対しオリックスがどう食い込むかという争いで、こっちはこっちで面白いです。

 そんなプロ野球ですが、前年の状態から改善はみられるもののパリーグは西武、セリーグは中日が以前としてチームとして厳しい状態にあります。そもそもこの二球団、親会社自体があまり球団経営に真剣ではなく、どちらかと言えば球団を売却したがっているようにすら見えます。特に西部に至っては球場が半屋根という誰得な構造していて、夏暑くて春寒く、夏は虫が入ってくるなど史上最悪の球場として名高いです。親会社の西武グループ自体も決して業績が良くないだけに、もし球団売却があるとしたら現状で最有力候補でしょう。

 ただ仮に売りに出されるとしても、買収しようとする潜在的企業数は多いのではないかと思います。というのも日ハムのエスコン球場周辺の都市開発が非常に大当たりしていて、球団経営で黒字を出すのは以前ほど難しくはなくなっているからです。日ハムに至ってはエスコンの大当たりもあってか、二軍の新しいホーム球場選定においても北海道の各自治体(札幌市を除く)が誘致合戦を繰り広げるなど、自治体も歓迎ムードを出しています。

 エスコン球場の成功に関しては言うまでもないですが、ボールパーク構想というか球場を中心とした都市一体設計にあり、かつては鉄道会社が主にやっていた事業です。北海道という土地においてもあれだけ成功するのであればほかの地域でも十分成功の目があるだけに、球団買収とともにこうした事業を手掛けたいという企業は少なくないでしょう。

 では実際に買収するとしたらどんな企業が向いているのか。まず球団買収の最大のメリットこと知名度向上に関しては、業績が良いけどあまり一般知名度が高くないB2C企業が一番メリットがあります。この辺、既に社会人野球チームを持っている会社だと買い辛く、この一点でトヨタをはじめとする自動車系企業は候補から外れます。
 そうした候補を除いた場合、友人なんかは「ニデック辺り買いそう」と言ってましたが、確かにニデックなんかは候補になる気がします。私個人としては健康食品とかだとスポーツとのイメージ相乗効果も狙えるだけに、ツムラとかもありなのではないかという気がします。このほか業績一択ならキーエンスもいいように思え、もし実現するとしたらリリーフカーにはぜひトヨタ・プロボックスを使ってほしいです。

 もっともこうした企業以上に事業的に一番有利となるのは、先のエスコンを例にすると不動産系企業かもしれません。財閥系はあまり球団を持ちたがりませんが、住友不動産なんかが都市開発と一緒に球団経営とかするのも意外とありな気がします。近くにマンション作っても、買うファンは絶対いるだろうし。

 なんでこんな記事を書いたのかというと、やはり既存企業に対して球団経営に興味ないなら早くやる気のある企業に売ってもらいたいからです。日ハム以外にもDeNAもTBSから買収するや熱心な球団経営により大幅な黒字を叩き出したうえ、人気も向上しています。やる気のない企業が球団を経営すると人気も下がり、プロ野球全体の人気にも影響するように思え、だったらどんどんと売却を繰り返した方が先の例を見ていてもいいように感じます。

 なおロッテに関しては既に千葉市が新球場の計画を立ち上げており、ロッテ自身も今年は成績は振るわないけど球団経営に意欲を持ち続けているので、売却の線はまずないでしょう。そもそもマリンスタジアム自体が海風でホームランが出づらくなるというファン泣かせな球場なだけに、今度の球場移転でいい方向に変わってもらいたいものです。松戸辺りに移すといいことあるかもよ(´・ω・)

2025年8月1日金曜日

中国蘇州市の日本人襲撃被害事件について

 気のせいかもしれませんがなんか最近ニュース多くて、ほぼ毎日ブログを書かされているような気がします。6月とかマジでブログで書くネタなくて一時期困ってたほどなのに、なんなんだろう今年の夏は。


 それでちゃっちゃと本題に移ると昨日起こった蘇州市で日本人が襲撃された事件についてですが、この事件を私が知ったのは今朝で、蘇州に知り合いの多い同僚が「なんか昨日また事件が起きらしいよ」と教えてくれました。そしてこの段階で、また後出し孔明になりますが襲撃内容は殴打の可能性が高く、被害者は大人だろうと推測していました。
 なんでこのように思ったのかというと、もし刺傷であれば日系メディアや現地コミュニティがもっと大きく反応して、友人に教えられるまでもなく私のところにも情報が入ってくるはずだと考えたからです。同様に、被害者が子供であればその辺が大きくクローズアップされるはずで、特に年齢層に言及されていない時点で大人だろうとここはかなり強く確信を持っていました。

 事件内容については上のリンク先にあるようにすでに下手人も捕まったとのことなので私の方から特に語ることはありません。なのでこの事件に絡めて同僚から聞かれた質問とその回答を書くことにします。

 まず「何故また蘇州なのか?」というのが大方の日本人の疑問じゃないかと思います。蘇州とくれば先の日本人親子が刃物で襲われ、かばった中国人女性が亡くなるという痛ましい事件の記憶がまだ新しいだけに、今回の事件を受けてまた蘇州かと多くの人が思ったことでしょう。蘇州でこうも立て続けに日本人への襲撃事件が起きたことは単純に偶然としか言いようがありませんが、その偶然の確率を高めている要素は確実に存在します。
 第一に、蘇州は日本人が非常に多く住んでいるエリアで、その規模は上海に次ぐ水準です。何故かというと単純に日系企業が多く、また沿岸部で交通の便が良くてそこそこ発展しているため住みやすく、日本人向けの病院や学校も比較的整備されているからです。ただそれは上海や北京も同じ条件なのに蘇州ばかりでこうも起きるのかという別のファクターとしては、

・上海や北京ほど警察力が高くない
・上海や北京以上に流れ者が多い

 というのが大きいと私は考えます。蘇州も大都市ですがそれでも上海や北京ほどには重要度は高くなく、治安を管轄する警察への政府の力の入れ方も一段低いものになります。またもう一つの流れ者が多いという点ですが、上海も地方から上京してきた労働者がたくさんいますが、比較的頭脳労働者が多いのに対し、蘇州とかだと工場も多いだけに素性の知れない人間が寄り集まりやすい傾向があります。こうした要素が重なって、蘇州でこうも事件が繰り返し起こっているのだと思います。

 次にほかの人が語らない話をすると、恐らく今回の事件を受けて中国の政府や警察は日本人を守ろうとしていないのではと思う人もいるかもしれません。実態はどうなのかについて意見は分かれるでしょうが、私個人の見解としては中国の警察も傍観しているわけではなく、相次ぐ通り魔事件に対して対策を一応は実施しているのではないかとみています。

 そもそも先の事件も今回の事件も完全な通り魔的犯行で、未然に防ぐことは不可能であるし、日本国内でもなんか最近やたらと通り魔事件が起きており、根絶は無理としか言いようがありません。それでも中国、少なくとも上海で私が見ている限り、何となく以前に比べて街中で治安維持に動く警察官が増えているとはっきり感じ、特に目立つのが地下鉄です。

 上海の地下鉄ではどの駅の改札前にもXメン、じゃなくてX線装置があってそこで荷物チェックしなければなりません。以前はこの荷物チェックが結構なぁなぁで、装置に通すそぶりをして通さずに通過する人も多く、駅員もあまりそういう人をとがめていませんでした。
 それが去年の年末辺りから、朝のラッシュ時間帯で数日おきに警察官がわざわざ改札前に立ち、きちんと駅員が荷物チェックをしているか細かく見張るようになりました。それを受けて駅員も以前よりも厳しく荷物チェックするようになり、警察官がいる場合は心なしか礼儀正しく「荷物チェックをお願いします」、「ありがとうございました」と言うようになりました。以前はけだるそうに腕動かすだけだったのに。

 たまたまですが今日の帰宅時も、改札前でどうも荷物を通さずに無理やり通過しようとした人がいたようで、警察官が大声で「おい、お前!」と言って制止していました。普段ないから自分を含めみんなその警察官の方に向いていました。

 こうした荷物チェックが果たしてどれだけ犯罪抑止に効果があるのかは未知数ですが、少なくとも依然と比べると上海の警察が通り魔犯罪抑止としての対策を実施ているの見て取れ、相次ぐ事件に対し傍観しているわけではないと思います。車を暴走させ何人も亡くなった事件が起きた広州でも、同僚によると事件後は街中にたくさん警察官が立ち、ピリピリした雰囲気だったと聞きますし。

 もちろん対策しているからと言って事件が起きても中国警察に責任はないというつもりはなく、私個人としても自分も他人事じゃないだけに、治安維持に頑張ってほしいというのが本音です。ただ先にも言った通り、どれだけ対策しても通り魔事件を根絶するのは不可能であり、被害を受けるかは神の采配としか言いようがありません。
 それでも敢えて気になる点を挙げると、日本人以外の外国人もこうした被害を受けているのかという点です。もし自分が見ている報道の通り昨年以来日本人ばかりが通り魔事件の被害を受けているとしたら、日本政府ももっと強気になって中国政府に抗議すべきでしょう。逆にほかの外国人もこうした被害を受けているとしたら、最近中国メディアが「日本人優先」という言葉で「日本人ファースト」という排外主義が蔓延ってきていると報じていますが、あんま人のことばかり言ってんじゃねぇぞという文句も付け加えていいかもしれません。

 もっとも中国のことだから、「中国で中国人を優先して何が悪い」、「これからも今までも中国人第一」、「むしろ世界全体で中国人優先」と開き直ってくるかもしれませんが。