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2025年8月30日土曜日

日本は崇高な目的で二次大戦を戦った

 最近よく思うこととして、日本は二次大戦を本当に崇高な目的で戦っていたという気がします。戦後はあんまり語られることがなくなりましたが、「少年H」などによると中学校の面接試験などでも「何故日本は中国や欧米と戦っているのか?」が聞かれ、きちんと答えなければならなかったそうです。
 では具体的にどんな戦争目的だったのかというと、「日本はアジアを欧米の支配から救うために戦っているとして、中国については欧米と戦うために一時的に占領するだけなのに、中国(国民党)は日本の真意を理解せずに抵抗を続けている」という風に主張していました。

 上記の主張について元外交官の佐藤優氏に言わせると、「中国の立場からするとふざけるなとしか言いようがない主張」だそうです。頼んでもないのに「お前らを救いたいんだ」と言って欧米(主に英米)と戦争をはじめ、しかもその戦いに必要だからと中国の占領を主張するなんて当事国の中国からすれば噴飯ものです。それ以前に、英米と戦争を開始する前から満州以外の中国占領も開始している点について触れないというのもポイントが高いでしょう。

 とはいえ、アジアを植民地支配から解放させるという日本の主張は本当に崇高に感じます。そもそも一体何故日本はこんな崇高な目的で戦い始めたのか、結論から言ってしまうと、どれだけ戦争を続けても日本にとって何もメリットがなかったからこんな崇高な目的を掲げるしかなかったのでしょう。

 仮に日本が二次大戦で大勝して欧米に「参りました」と言わせたところで、そこでどんな結果が末弟いるのでしょうか。中国一つとっても日本より国土も人口も遥かに膨大で、満州ですら馬賊の掃討に相当苦労していたというのに、日本人が中国全土または一部を植民地ように支配しようったってできるはずもなく、その大義ももちろんありません。ほかのアジア諸国についても言わずもがなで、親日的な政権をいくつかの地域で設立させることは可能だったかもしれませんが、それでも多大な兵士や国家財政の損耗に見合うかと言えば到底見合いません。

 言うなれば、日中戦争の時点で日本は戦争をすればするほど国として損が大きくなる状況に陥っていました。勝利を前提としても戦争を続ければ続けるほど損をするような状態で、誰も得しないのに何で戦争を続けたのかと言えば、多分当時誰もたこ足食いな状況であることをわかっていなかったからという気がします。ただ少なくとも、二次大戦を続ける、勝利したとしても日本は国として一切何もメリットがないということには若干気づいていた節があり、だからこそその戦争目的は国家としての利益追求ではなく、むしろ国家としては自己犠牲にしかならない崇高な目的を掲げざるを得なかったのだと思います。

 少し言い回しが面倒なので言い換えると、要するに二次大戦は日本にとって何の合理性もメリットもない戦争でした。だから日本は「この戦争に勝てばこんないいことがある」と国内外に主張することができませんでした。でも軍部と途中からの政府としては戦争を続けたいため、合理性から戦争継続を説明できないことから、「日本はアジアのみんなのために戦っている」という理想主義に走った崇高な目的で主張するよりほかなかったわけです。
 もっともその崇高な目的を掲げた本人らも実際に実行する気は皆無で、今村均を除く占領国での過酷な圧政をみるに、眉唾な主張であったことは明白でしたが。

 この二次大戦期の日本に限らず、行動理由にやたら崇高な理由を挙げる人というのを自分はあまり信用しないようにしています。というのもそうした理想主義的な主張が掲げられるのはその行動に何もメリットがないことの裏返しであり、巻き込む人を損させるだけにしかほぼならないからです。
 逆に言い方悪いですが功利主義的で打算に満ちた主張をする人間というのはある意味信用できます。というのも、損にしかならないとわかったらすぐに手を引くし、メリットがもたらされるということを理解してもらえれば共闘に持ち込むこともできるからです。

 先の二次大戦期の日本も本来あるべき打算的な国家経営に努めてさえいれば、日中戦争が日本に何のメリットももたらさないとすぐ気が付いてその戦闘拡大をすぐ防げたかもしれません。米国との開戦前も、石油供給が止められた時点で「これじゃあなんもメリットがないじゃん」という判断に至れていれば、ああいう無謀な戦争に至らなかったでしょう。
 実際にというか当時の軍部は戦争目的がないまま開戦したことをほぼ認めています。半藤一利の巣鴨プリズンなどでの取材によると、対米開戦理由に着いたらほぼみんな「……なんとなく」、「そういう空気だったから」と答えたそうです。例えるとしたら、買っても払戻金が購入額を下回る競馬の馬券を買うようなものが、日本の二次大戦だったと思います。

 この辺、戦後に総理になった石橋湛山なんかが人道主義的な観点ではなくまさにこうした功利主義的観点から反戦を主張していました。こうした例を見るについて、国家運営で理想主義的なことを口にする人間というのはかえって信用ならないし、マキャベリズムじゃないけど功利主義的な姿勢を堅持することで、かえって反戦や人道主義にもつながるという気がします。

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