この時期ともなると、都会に行けば就職活動中の学生がちらほら見えますが、よく企業がこうした学生相手の募集広告には、「リーダーシップのある人材を求む」などと書いてありますが、そもそもリーダーシップとはなんなのでしょうか。そのまま言うならば、リーダーとして率なく集団を率いられる能力の事を指すと思いますが、そんなの言ったら集団の種類ごとに違うのではないかと、社会学の一学士として疑問に思います。
たとえば、これなんか社会学の初歩でやる内容ですが、逸脱論の中で刑務所内の格付けというものがあります。一般に前科というものは娑婆の世界では目を背けられるものですが、刑務所内では逆に、その前科がどれだけ大きいかで格付けが決まるといいます。たとえば、窃盗で捕まった人間よりも、強盗を働いた人間の方が牢名主になるというような、不思議な事に割と世界中でこれは共通しているらしいです。
また企業の社長や会長でも、ベンチャー企業などではとかく企業家自身の行動力が重要となってきますが、複合企業などではグループ内の連帯を保つため、権力や調整力が必要になってきます。それを一まとめにリーダーシップと言っても、やはり認知の齟齬が生まれるのではないかと思います。そこで今日は広く使えるような、一般的なリーダーの条件について書きます。
まず、どういった能力が求められるかです。リーダーというと普通の概念では決断を下すような人物として捉えられがちですが、それは独裁体制やライン&スタッフ型に強く当てはめられた組織のみだと思います。もしその集団がある程度機能分担が行えていたというのならば、トップがわざわざ決断を下さなくとも専門の担当部署で決断が行えるはずでしょう。実際に、アメリカの企業では現在、下位の部署に権限委譲がよく行われていると聞きます。また、非常に決断力が高い人間がトップの横にいるのならば、そいつに任せればいいだけの話だし。
では、単純に行動力や遂行能力は必要でしょうか。これも私は疑問です。行動力が必要とされる先ほどのベンチャー企業などならともかく、いくらトップとはいえ、組織が個人の能力で作業効率が変動するようでは機能分担が行われていないも同然で、それではたいした組織とは言えないでしょう。昔の人も、「たった一機のオーラバトラーで戦況を変えられるとつけあがるな」と格言を残しています。確かにあるに越した事はないのですが、必ずしも必要とは言えないと思います。同様に、遂行能力もありすぎては困りものです。遂行能力がやけに高いトップがいる組織でそれこそ突然トップが変更する事態になれば、途端に機能不全に陥りやすくなります。官僚制を多少勉強すればわかりますが、組織は構成員の代替が行えなくては一人前とは言えないでしょう。
じゃあリーダーシップとは何ぞやですが、私が一番必要とされるリーダーの能力はやはり「夢を見させる能力」だと思います。これは確か、経営家でもあり社会学者でもあったドラッカーが述べた内容ですが、企業などの組織のトップは、如何に組織の構成員の意識を、組織の行動目的に近づけさせるかに心血を注ぐべきだと言っています。例を出すと、企業内で労働者に対し社長が、「私がいい暮らしができるように、みんな頑張ってくれ」と、言うのより、「会社の業績をみんなであげれば、みんなの給料も上がるから頑張ろう」といった方が効果があるようなことを指します。要するに、組織の行動目的と構成員の行動動機を合致させるように理由付けを行うということです。
ある意味で、日本の天皇制などはこれに当ると思います。天皇という象徴を守る事が国を、ひいては自らの家族を守る事になると戦前で教育した結果、日本軍は果てしない逆境にも関わらず強い士気を保ったといいます。このように、組織のトップは自らが象徴となったり、構成員のやる気を引き出す事が唯一に求めれる仕事だと、ドラッカーは主張しました。このドラッカーの意見に私も同意します。組織のトップ自身が有能であるに越した事はないのですが、やはり一番に求められる能力はシンボリックで、構成員の結束を強めさせる能力だと思います。言ってしまえば、遂行能力やら決断力はトップになくとも組織は何とか回ると思いますが、これだけはトップでしか執り行えなとと考えています。
最近の日本では前のトヨタ会長の奥田碩氏がこれを非常に重視していたような気がします。彼なんか社長時代の口癖が、「大企業病になるな」、「国内シェア一位に甘んじるな」などと、社員に対して非常に危機感を煽っていました。大抵、大組織の綻びは慢心から起こるので、トヨタという企業に対してこれらの激は効果的だったと私は思います。
なんか話が途中から組織論になったし、次は構成員に求められる能力でもやろうかな。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年2月17日日曜日
2008年2月13日水曜日
日本人の欠点
前回、というよりたった今、日本人の民族性について書きましたが、今度は真面目な話で日本人の欠点について書きます。意味としては、日本人としてマイナスな特徴であるにも関わらず全く改善が出来ない点ですが、過去この点について様々な人が議論しています。
私が知っている中で作家の司馬遼太郎、彼の出身大学はこの前吸収合併受けたけど、彼は日本の歴史を見て、どうも日本人は優秀な人材が表に出てくると、周りがその人に嫉妬して引きずり下ろしてしまうというのを嘆いていましたが、私に言わせるとこんなの、どこの国でもあることだと思います。
中国の歴史書の史記に至ってはこんな話のオンパレードで、むしろ最後まで大成した人の方が珍しい。同様に、西洋でもダーウィンやらガリレオなども憂き目にあっているし、今更な事を言っているような気がします。
では私の意見はどうかと言うと、日本人の民族としての最大の欠点はその暴力性にあると思います。暴力性自体はどこにもあるものですが、日本人の場合に怖いのは、自分の立場が相手より上だとわかると、猛然と暴力を振るう点にあります。古くは、二次大戦中の陸軍などの体罰です。これは各証言者達、現在でも声高に主張しているのは漫画家の水木しげる氏くらいになりましたが、その誰もが陸軍内でのリンチの凄惨さについて語っています。無論海軍でも同様だと思いますが、本来不必要であるにも関わらず理由なくビンタの嵐が飛んでいたと証言しています。
そして皮肉な話に、これがそのまま戦後にも続いて、この前起こった時津風部屋でのリンチ殺人など、体育会系では「しごき」と呼ばれるむやみやたらな暴力がまだ続いているようです。それでスポーツの試合に勝てるのならともかく、実際にこのようなしごきは運動生理学上で何の効果も表さないといいます。代表的なのは、足腰が強くなるという理由で70年代から80年代に広く行われた「うさぎ跳び」です。これで何人の若者の脚をダメにしたか。
まぁこういうのが残っているのはそういう場所だけ、と思っていたら大間違いです。実は他国にはなくて、日本にだけ異常に多い暴力事件があります。何を隠そう、駅員への暴力です。
私の友人がある私鉄でバイトしていた時、電車が遅延するなど何かしら問題が起こると大抵駅員などが文字通り殴られていたようです。その友人は発車確認をするバイトだったのですが、列車の発車時間を聞かれた際に戸惑うと、彼の友人らはすぐに殴られていたと言っていました。その私の友人自体は背が非常に小さかったのもあり、あまり殴られなかったようですけど。
なにもこのようなバイトたちだけでなく、日本人の駅員への暴力は突出して多いです。またクレーム対応の係員もよく暴力を受けるという話を聞きます。このように、相手が自分に逆らえない力関係にあるとわかるや、普段は大人しいくせに日本人は異様に暴力的に変わる気がします。その代表的なものは言うまでもなく、学校や社内でのいじめになるでしょう。もっとも、これはアジア圏内でも多少同じような傾向があるようです。韓国でも軍隊内のいじめ問題は根深く、また中国でも一部学校内でそのような問題が起こっていると聞きます。
しかしこれは非常に卑屈としか言いようがありません。アメリカ人にはぺこぺこするくせに、同じ日本人同士だと無茶な要求やら暴力をふるうという。しかも、私が見ている限り自覚症状があまりないように見えます。私自身も中学高校の部活動の最中に、そのような無用な権力を振りかざして変なことを言う先輩に会った覚えがあります、その部活はすぐ辞めたけど。
こうして年を食ってみると、なぜあの時の部活で、十四のガキが十三の後輩に対してあんな偉そうな態度が取れたのだろうかと疑問に思います。たかだか学年の関係で上にいるだけで、あれだけ偉そうに何でも言いつけるというのは馬鹿馬鹿しい気がします。逆に、学年が上でありながら自分たちと同じ目線に立ってくれた先輩に対しては今でも折に触れて懐かしく思う事が多いです。
はっきり言って、このような暴力性はすぐに改善させるべきでしょう。一番手に負えないのは、このことを自覚していない日本人が多い点です。なのでこれ読んでる皆さん、嫌な上司に会ったらさりげなくこのブログを紹介してみてくださいね。
私が知っている中で作家の司馬遼太郎、彼の出身大学はこの前吸収合併受けたけど、彼は日本の歴史を見て、どうも日本人は優秀な人材が表に出てくると、周りがその人に嫉妬して引きずり下ろしてしまうというのを嘆いていましたが、私に言わせるとこんなの、どこの国でもあることだと思います。
中国の歴史書の史記に至ってはこんな話のオンパレードで、むしろ最後まで大成した人の方が珍しい。同様に、西洋でもダーウィンやらガリレオなども憂き目にあっているし、今更な事を言っているような気がします。
では私の意見はどうかと言うと、日本人の民族としての最大の欠点はその暴力性にあると思います。暴力性自体はどこにもあるものですが、日本人の場合に怖いのは、自分の立場が相手より上だとわかると、猛然と暴力を振るう点にあります。古くは、二次大戦中の陸軍などの体罰です。これは各証言者達、現在でも声高に主張しているのは漫画家の水木しげる氏くらいになりましたが、その誰もが陸軍内でのリンチの凄惨さについて語っています。無論海軍でも同様だと思いますが、本来不必要であるにも関わらず理由なくビンタの嵐が飛んでいたと証言しています。
そして皮肉な話に、これがそのまま戦後にも続いて、この前起こった時津風部屋でのリンチ殺人など、体育会系では「しごき」と呼ばれるむやみやたらな暴力がまだ続いているようです。それでスポーツの試合に勝てるのならともかく、実際にこのようなしごきは運動生理学上で何の効果も表さないといいます。代表的なのは、足腰が強くなるという理由で70年代から80年代に広く行われた「うさぎ跳び」です。これで何人の若者の脚をダメにしたか。
まぁこういうのが残っているのはそういう場所だけ、と思っていたら大間違いです。実は他国にはなくて、日本にだけ異常に多い暴力事件があります。何を隠そう、駅員への暴力です。
私の友人がある私鉄でバイトしていた時、電車が遅延するなど何かしら問題が起こると大抵駅員などが文字通り殴られていたようです。その友人は発車確認をするバイトだったのですが、列車の発車時間を聞かれた際に戸惑うと、彼の友人らはすぐに殴られていたと言っていました。その私の友人自体は背が非常に小さかったのもあり、あまり殴られなかったようですけど。
なにもこのようなバイトたちだけでなく、日本人の駅員への暴力は突出して多いです。またクレーム対応の係員もよく暴力を受けるという話を聞きます。このように、相手が自分に逆らえない力関係にあるとわかるや、普段は大人しいくせに日本人は異様に暴力的に変わる気がします。その代表的なものは言うまでもなく、学校や社内でのいじめになるでしょう。もっとも、これはアジア圏内でも多少同じような傾向があるようです。韓国でも軍隊内のいじめ問題は根深く、また中国でも一部学校内でそのような問題が起こっていると聞きます。
しかしこれは非常に卑屈としか言いようがありません。アメリカ人にはぺこぺこするくせに、同じ日本人同士だと無茶な要求やら暴力をふるうという。しかも、私が見ている限り自覚症状があまりないように見えます。私自身も中学高校の部活動の最中に、そのような無用な権力を振りかざして変なことを言う先輩に会った覚えがあります、その部活はすぐ辞めたけど。
こうして年を食ってみると、なぜあの時の部活で、十四のガキが十三の後輩に対してあんな偉そうな態度が取れたのだろうかと疑問に思います。たかだか学年の関係で上にいるだけで、あれだけ偉そうに何でも言いつけるというのは馬鹿馬鹿しい気がします。逆に、学年が上でありながら自分たちと同じ目線に立ってくれた先輩に対しては今でも折に触れて懐かしく思う事が多いです。
はっきり言って、このような暴力性はすぐに改善させるべきでしょう。一番手に負えないのは、このことを自覚していない日本人が多い点です。なのでこれ読んでる皆さん、嫌な上司に会ったらさりげなくこのブログを紹介してみてくださいね。
日本人の民族性
恐らく、私は一般の日本人と比べては海外に滞在した経験が長い方だと思います。初めて海外に行ったのは5歳の頃でハワイに行ったのを皮切りに、、ワシントンに一ヶ月、ロンドンに一ヶ月、北京に一年と長い滞在も経験しています。その際には言うに及ばず現地の人間と幾分か交流しますが、大抵よく聞かれるのは日本人の民族性についてです。
なにもこんな民族性とか堅い言い方でなく、日本人はどんな生活しているのというような聞かれ方をします。この際、大抵一緒にいる人間は「無宗教だ」とか言いますが、個人的にこれは間違いだと思います。現在ですら元旦には日本人の九割が初詣に行くというので、多かれ少なかれ仏教なり神道なりが混ざった状態で信仰と呼べると思います。
この他、日本人は行列によく並ぶともよく周囲で言っている人はいますが、まぁ間違いではないですが、自分の経験からするとイギリス人には遠く及ばない気がします。連中、本当にきしっと並ぶし。
ただ、この行列の仕方を民族性やら、日本人の全体のルールを守る精神性に結びつけるのはまた間違いだと思います。一説によると、日本人が行列にきちんと並ぶようになったのは戦中期以降で、その時の配給制からこの並ぶ癖がついたようです。さらに調べてみると、どうやらイギリスでも同様で、配給制が原因との事。
意外と、こういう習慣というのは古くからのものではなく、割合に新しく作られたものが多いような気がします。先ほどの行列と同様に、日本人は地域社会が強いとも言いますが、これも戦中の隣組制度が影響しているのではないかと思います。農村などでは話は違いますが、都市部ではそうなんじゃないかな。最近は弱っているけど。
では、真の日本人の民族性とも言うべきものはなんでしょうか。私が外国人にこう聞かれた際に答えるのは清潔性です。
自分から見て、これほど臭いやら汚れに気を使う民族は見た事がありません。海外に行けばわかると思いますが、他の国では多かれ少なかれ体臭などがあり、それをかき消すために香料やらなんやらを使っているので何かしら、街中で匂いがします。ところが日本では本当に無味無臭。おまけによく風呂に入る。毎日入るというのだから相当なものです。
これは日本が温暖多湿の気候にあり、湯水に事欠かなかったのと、湿気のために一度汚れると非常に臭いを放つ事が原因だと思います。そのため、私は日本人としての感覚は清潔すぎるのだから、海外では多少他の人の臭いなどが気になっても口に出さないようにしています。また、乾燥した北京ではシャワーは二日に一回に切り替えたり、なるべく現地にあわせようと努力していました。まぁ向こうは乾燥してるから、実際におわないけどね。
なにもこんな民族性とか堅い言い方でなく、日本人はどんな生活しているのというような聞かれ方をします。この際、大抵一緒にいる人間は「無宗教だ」とか言いますが、個人的にこれは間違いだと思います。現在ですら元旦には日本人の九割が初詣に行くというので、多かれ少なかれ仏教なり神道なりが混ざった状態で信仰と呼べると思います。
この他、日本人は行列によく並ぶともよく周囲で言っている人はいますが、まぁ間違いではないですが、自分の経験からするとイギリス人には遠く及ばない気がします。連中、本当にきしっと並ぶし。
ただ、この行列の仕方を民族性やら、日本人の全体のルールを守る精神性に結びつけるのはまた間違いだと思います。一説によると、日本人が行列にきちんと並ぶようになったのは戦中期以降で、その時の配給制からこの並ぶ癖がついたようです。さらに調べてみると、どうやらイギリスでも同様で、配給制が原因との事。
意外と、こういう習慣というのは古くからのものではなく、割合に新しく作られたものが多いような気がします。先ほどの行列と同様に、日本人は地域社会が強いとも言いますが、これも戦中の隣組制度が影響しているのではないかと思います。農村などでは話は違いますが、都市部ではそうなんじゃないかな。最近は弱っているけど。
では、真の日本人の民族性とも言うべきものはなんでしょうか。私が外国人にこう聞かれた際に答えるのは清潔性です。
自分から見て、これほど臭いやら汚れに気を使う民族は見た事がありません。海外に行けばわかると思いますが、他の国では多かれ少なかれ体臭などがあり、それをかき消すために香料やらなんやらを使っているので何かしら、街中で匂いがします。ところが日本では本当に無味無臭。おまけによく風呂に入る。毎日入るというのだから相当なものです。
これは日本が温暖多湿の気候にあり、湯水に事欠かなかったのと、湿気のために一度汚れると非常に臭いを放つ事が原因だと思います。そのため、私は日本人としての感覚は清潔すぎるのだから、海外では多少他の人の臭いなどが気になっても口に出さないようにしています。また、乾燥した北京ではシャワーは二日に一回に切り替えたり、なるべく現地にあわせようと努力していました。まぁ向こうは乾燥してるから、実際におわないけどね。
2008年2月12日火曜日
日本が核兵器を持てない理由
大阪の橋本府知事はこの前の選挙戦の際に、「日本も核兵器を持つべきだと発言した事がある」と書かれたビラが選挙地域内で撒かれたそうです。ま、結果はというとあちこちで言われていますが逆効果だったようです。どうも日本人はネガティブキャンペーンをすると逆効果になりやすいな。
それはともかくですが、この核武装論は若い世代を中心に結構熱が高まってきています。それこそ昔は政治家がこの手の事を言い出すとそっ首が飛ぶくらいのタブーだったのですが、随分とそのタブー性も薄れたと思います。私はこれ自体はとてもいいことだと考え、やはりあれこれ自由に議論を行うべきだとも思っております。一部の政治家も、「持たないのではなく、持とうと思えば持てるが敢えて持たないという立場が大事なのだ」と主張していますが、なかなかに一理ある言葉だとは思います。
しかしっ、はっきり言わせてもらうと日本は未来永劫、とまでは言いすぎですが、実際には核兵器を持つ事が不可能な状態にあるといわざるを得ません。というのも、ぱぱっというと、もし日本が核兵器を持つと、核兵器不拡散条約、通称IAEAから脱退しなければなりません。そうすると何が起こるかと言うと、核技術を平和利用にしか使わないという限定の上でこのIAEAに加盟し、日本は原子力発電に使うウランの海外からの輸入が許可されています。そのため脱退すると当然、ウランの輸入は禁止されて現在も日本の電力事業の一角を担う原子量発電所はすべて停止に追いやられる事になります。日本国内じゃウランは採れないし。
ま、ここまで言えばわかるでしょうが、そうすると日本なんてすぐにパンクします。つまり物理上、日本は核兵器を持てないということになります。これはどっかで読んだ本にかかれていた内容ですが、日本の核武装論について私にとって最も説得力に満ちた内容でした。
それはともかくですが、この核武装論は若い世代を中心に結構熱が高まってきています。それこそ昔は政治家がこの手の事を言い出すとそっ首が飛ぶくらいのタブーだったのですが、随分とそのタブー性も薄れたと思います。私はこれ自体はとてもいいことだと考え、やはりあれこれ自由に議論を行うべきだとも思っております。一部の政治家も、「持たないのではなく、持とうと思えば持てるが敢えて持たないという立場が大事なのだ」と主張していますが、なかなかに一理ある言葉だとは思います。
しかしっ、はっきり言わせてもらうと日本は未来永劫、とまでは言いすぎですが、実際には核兵器を持つ事が不可能な状態にあるといわざるを得ません。というのも、ぱぱっというと、もし日本が核兵器を持つと、核兵器不拡散条約、通称IAEAから脱退しなければなりません。そうすると何が起こるかと言うと、核技術を平和利用にしか使わないという限定の上でこのIAEAに加盟し、日本は原子力発電に使うウランの海外からの輸入が許可されています。そのため脱退すると当然、ウランの輸入は禁止されて現在も日本の電力事業の一角を担う原子量発電所はすべて停止に追いやられる事になります。日本国内じゃウランは採れないし。
ま、ここまで言えばわかるでしょうが、そうすると日本なんてすぐにパンクします。つまり物理上、日本は核兵器を持てないということになります。これはどっかで読んだ本にかかれていた内容ですが、日本の核武装論について私にとって最も説得力に満ちた内容でした。
アメリカの大統領選について
ちょっと情報を貯めていたので、結構盛り上がっている最中を通り越しての投稿です。
さてアメリカの大統領選ですが、オバマ対ヒラリーでそこそこ盛り上がっています。友人などとも何度かメールしていますが、今回の選挙ほど有色人種層が取り上げられた選挙はなかったでしょう。黒人層はオバマを支持し、ヒスパニック層はヒラリーをと、同じ有色人種層でもこれまでのようにアメリカの下層階層として一枚岩で語られているわけではありません。なんとなく、江戸時代の日本のえた、ひにんのような感じもします……ってか、えたもひにんも自動で漢字に変換しねぇし。
それはともかくとして、やはり見ているとヒスパニックよりは黒人層の方がまだ裕福そうに見えます。人間、どうしても生活していると視野が狭くなってくるもので、大きな違いよりも小さな違いの方が憎悪は高まりやすいといいます。それが今回の選挙に反映されているかどうかまではわかりませんが、今後のアメリカの選挙は今回以上にこれら各有色人種層対策がとられるようになるでしょう。以前の投稿でも書きましたが、後十年もすればアメリカの人口比は白人層を有色人種層が追い抜きますし。
恐らく、このまま行けばオバマが勝つでしょう。これは関西ローカルのワイドショーにて青山繁晴氏が語っていましたが、この前のスーパーチューズデーまで、当初は圧倒的な支持のあったヒラリーに対してオバマが猛追してきてその日の選挙に引き分けるまで持ってきた。この追い上げは現在進行形で続いており、以降の選挙もオバマが勝つだろうと予想していましたが、見事にそれは的中し、昨日も四つの州でオバマが非常に有利な結果で勝ちました。それに対してヒラリー陣営は選挙対策委員長を取り替えたり、また資金不足からヒラリー自身のポケットマネー五億円が追加投入されるなどと、あまり景気のよくないニュースが続いています。
いちいち書く事が断片的になっているのですが、やはりアメリカの保守層、特に力の強い退役軍人層は軍の最高責任者である大統領に女性がなるのはどうしても我慢ならないと聞きます。かといっても黒人なら大丈夫なのかと心配していましたが、やはり女性よりは男、それなら黒人でもいいというような情勢でしょうか。確固とした自信がありませんが。
ではもう一つの共和党はと言うと、どうもこのままマケイン氏に候補は決まりそうです。確かに早くに決まれば本番の大統領選挙戦は有利になりますが、どうもこの人だと個性がないというか、なんせ今年で72歳にもなる長老でオバマが47歳と考えるとやはり見劣りします。そしてアメリカの情報でも次の大統領は閉塞感を打開するようなリーダーシップのある人物を求めているようですし、対抗馬としては力不足なんじゃないでしょうか。まぁ私の勝手な予想だと、オバマがなった後で暗殺されて、また伝説を作った後でアメリカは元通りになるんじゃないかと思ってます。
そして最後にこの大統領選の日本の反応ですが、どうも日本のメディアは各候補が対日外交にどう影響するのかをあまり報道していません。ヒラリーは中国に対して肩入れが強いからオバマの方が日本にはいいだろうとは断片的に言っていますが、これも果たして確証があるかどうかは非常に疑わしいです。大体、伝統的にアメリカのアジア外交は民主党は中国寄り、共和党は日本寄りですし。あとあと、福井県の小浜市で「オバマ候補を勝手に応援する会」というのが出来たそうです。ここまで激しい便乗商法は見た事がありませんが、まぁ見ていて面白いのでありなんじゃないかと思います。ちなみに、オバマ氏と今回書かなかったのはこの小浜市と変換を混ぜないためです。
追伸
今、Caramelldansenにはまってます。
さてアメリカの大統領選ですが、オバマ対ヒラリーでそこそこ盛り上がっています。友人などとも何度かメールしていますが、今回の選挙ほど有色人種層が取り上げられた選挙はなかったでしょう。黒人層はオバマを支持し、ヒスパニック層はヒラリーをと、同じ有色人種層でもこれまでのようにアメリカの下層階層として一枚岩で語られているわけではありません。なんとなく、江戸時代の日本のえた、ひにんのような感じもします……ってか、えたもひにんも自動で漢字に変換しねぇし。
それはともかくとして、やはり見ているとヒスパニックよりは黒人層の方がまだ裕福そうに見えます。人間、どうしても生活していると視野が狭くなってくるもので、大きな違いよりも小さな違いの方が憎悪は高まりやすいといいます。それが今回の選挙に反映されているかどうかまではわかりませんが、今後のアメリカの選挙は今回以上にこれら各有色人種層対策がとられるようになるでしょう。以前の投稿でも書きましたが、後十年もすればアメリカの人口比は白人層を有色人種層が追い抜きますし。
恐らく、このまま行けばオバマが勝つでしょう。これは関西ローカルのワイドショーにて青山繁晴氏が語っていましたが、この前のスーパーチューズデーまで、当初は圧倒的な支持のあったヒラリーに対してオバマが猛追してきてその日の選挙に引き分けるまで持ってきた。この追い上げは現在進行形で続いており、以降の選挙もオバマが勝つだろうと予想していましたが、見事にそれは的中し、昨日も四つの州でオバマが非常に有利な結果で勝ちました。それに対してヒラリー陣営は選挙対策委員長を取り替えたり、また資金不足からヒラリー自身のポケットマネー五億円が追加投入されるなどと、あまり景気のよくないニュースが続いています。
いちいち書く事が断片的になっているのですが、やはりアメリカの保守層、特に力の強い退役軍人層は軍の最高責任者である大統領に女性がなるのはどうしても我慢ならないと聞きます。かといっても黒人なら大丈夫なのかと心配していましたが、やはり女性よりは男、それなら黒人でもいいというような情勢でしょうか。確固とした自信がありませんが。
ではもう一つの共和党はと言うと、どうもこのままマケイン氏に候補は決まりそうです。確かに早くに決まれば本番の大統領選挙戦は有利になりますが、どうもこの人だと個性がないというか、なんせ今年で72歳にもなる長老でオバマが47歳と考えるとやはり見劣りします。そしてアメリカの情報でも次の大統領は閉塞感を打開するようなリーダーシップのある人物を求めているようですし、対抗馬としては力不足なんじゃないでしょうか。まぁ私の勝手な予想だと、オバマがなった後で暗殺されて、また伝説を作った後でアメリカは元通りになるんじゃないかと思ってます。
そして最後にこの大統領選の日本の反応ですが、どうも日本のメディアは各候補が対日外交にどう影響するのかをあまり報道していません。ヒラリーは中国に対して肩入れが強いからオバマの方が日本にはいいだろうとは断片的に言っていますが、これも果たして確証があるかどうかは非常に疑わしいです。大体、伝統的にアメリカのアジア外交は民主党は中国寄り、共和党は日本寄りですし。あとあと、福井県の小浜市で「オバマ候補を勝手に応援する会」というのが出来たそうです。ここまで激しい便乗商法は見た事がありませんが、まぁ見ていて面白いのでありなんじゃないかと思います。ちなみに、オバマ氏と今回書かなかったのはこの小浜市と変換を混ぜないためです。
追伸
今、Caramelldansenにはまってます。
経済指標の不透明性
毎年年末になると「今年の経済成長率は~」ってな感じでGDPについて何かしら語られます。このGDPはこれ以前のGNPにかわる指標とし、て恐らく世界で最も使われる国力の指標でしょう。
しかし、私自身はこの指標について非常に疑問を持ちます。いきなり例証から行きますが、たとえば現在の日本はこのGDPに照らしてみると、神武景気を越えるほどの戦後最長の経済成長の真っ只中にいるはずですが、実際はというと失業率は増加し、格差問題も表面化しています。実際に、各ニュースなどでは「蜃気楼景気」や「実体の見えない経済成長」と評されており、その景気のよさを実感している人はほとんどいないでしょう。またお隣の韓国も、GDPの経済成長率で見るならば日本以上ですが、どうも留学生などから伝え聞く状況を聞いていると、日本以上に貧しい暮らしを庶民は強いられているような気がします。
言ってしまえばこのGDP、一般民衆から搾取をすればするほど上がる仕組みになっています。たとえば、ある製品がその価値が1000円あるとして、そのうち人件費が500円いるとします。この段階だとこの製品の付加価値は500円ですが、人件費が100円に下がると、その価値は900円にまで跳ね上がり、GDPにも反映されます。
そんなあほな、と言いたい話ですが、今実際に日本で起こっている経済成長というのはこれが実態でしょう。一般労働者の平均給与は下がりつづけ、その分コストが減って製造効率が上がったと見なされ、結果的にGDPに反映されていきます。この状態を見据えてか、去年にEUは日本の経済成長について、実際の生産力はなにも変わっていないと評していますがまさにその通りでしょう。
ですが国家や経団連のお偉方はこのGDPを指標に使い、自らの成果を強調しています。はっきり言わせてもらうと、「私はこれだけ労働者らが本来受け取るべき報酬を奪い取った」と言っているのと同義でしょう。厚顔極まりない発言です。
では一人当りGDPで見るとどうでしょうか。これも自分は指標としては不適格だと思います。これも高所得者層が現在の日本のように増えていってしまうと、どうしても数字が偏り全体の構図が見えづらくなります。まぁ労働分配率などで多少弄くればまだ見れたものにはなるかもしれませんが。
まだマシなものとして、国連開発計画ではHDIという指標を使っているようです。これは、
①基礎医療の充実度を測る出生平均余命
②基礎教育の充実度を測る成人識字率と高等教育就学率、
③物価の違いを考慮に入れた実質購買力である実質所得
の三つを計算した数値の事です。ちなみにこれの1位はノルウェーで、日本は13位に入ってます。
何もこれに今すぐ変えろとはいいませんが、少なくともGDPで成果を現したり、なんでもかんでもの指標に使うのはやめて欲しいです。指標というのは重要で、問題を分析するのも改善するのもこの指標自体ともいえます。自分で言っていてなんですが、何故こんな当たり前の事を素人の私が言わねばならないのかが不思議です。
しかし、私自身はこの指標について非常に疑問を持ちます。いきなり例証から行きますが、たとえば現在の日本はこのGDPに照らしてみると、神武景気を越えるほどの戦後最長の経済成長の真っ只中にいるはずですが、実際はというと失業率は増加し、格差問題も表面化しています。実際に、各ニュースなどでは「蜃気楼景気」や「実体の見えない経済成長」と評されており、その景気のよさを実感している人はほとんどいないでしょう。またお隣の韓国も、GDPの経済成長率で見るならば日本以上ですが、どうも留学生などから伝え聞く状況を聞いていると、日本以上に貧しい暮らしを庶民は強いられているような気がします。
言ってしまえばこのGDP、一般民衆から搾取をすればするほど上がる仕組みになっています。たとえば、ある製品がその価値が1000円あるとして、そのうち人件費が500円いるとします。この段階だとこの製品の付加価値は500円ですが、人件費が100円に下がると、その価値は900円にまで跳ね上がり、GDPにも反映されます。
そんなあほな、と言いたい話ですが、今実際に日本で起こっている経済成長というのはこれが実態でしょう。一般労働者の平均給与は下がりつづけ、その分コストが減って製造効率が上がったと見なされ、結果的にGDPに反映されていきます。この状態を見据えてか、去年にEUは日本の経済成長について、実際の生産力はなにも変わっていないと評していますがまさにその通りでしょう。
ですが国家や経団連のお偉方はこのGDPを指標に使い、自らの成果を強調しています。はっきり言わせてもらうと、「私はこれだけ労働者らが本来受け取るべき報酬を奪い取った」と言っているのと同義でしょう。厚顔極まりない発言です。
では一人当りGDPで見るとどうでしょうか。これも自分は指標としては不適格だと思います。これも高所得者層が現在の日本のように増えていってしまうと、どうしても数字が偏り全体の構図が見えづらくなります。まぁ労働分配率などで多少弄くればまだ見れたものにはなるかもしれませんが。
まだマシなものとして、国連開発計画ではHDIという指標を使っているようです。これは、
①基礎医療の充実度を測る出生平均余命
②基礎教育の充実度を測る成人識字率と高等教育就学率、
③物価の違いを考慮に入れた実質購買力である実質所得
の三つを計算した数値の事です。ちなみにこれの1位はノルウェーで、日本は13位に入ってます。
何もこれに今すぐ変えろとはいいませんが、少なくともGDPで成果を現したり、なんでもかんでもの指標に使うのはやめて欲しいです。指標というのは重要で、問題を分析するのも改善するのもこの指標自体ともいえます。自分で言っていてなんですが、何故こんな当たり前の事を素人の私が言わねばならないのかが不思議です。
2008年2月11日月曜日
漫画の話
三日ぶりの投稿だ。内輪ネタですが、先週の水曜から土曜日まで友人がうちに泊まりにきていて、でもって出てったその日からは今度は親父が遊びに来て、やっと今日になって一人で過ごす夜となった。別に寂しくなんかないもん。
それはそうと、私は自他共に認める漫画マニアです。雑誌などをそれこそ麻生太郎氏ほど勝ってチェックしているわけではないですが、この年代にしてはそこそこ以前の漫画を見ているので、上の世代から下の世代まで漫画の話をあわせられる自信もあります。
一番好きな漫画、というより影響を受けたのは横山光輝氏の「三国志」で、今連載中の漫画で好きなのは岩明均氏の「ヒストリエ」としげの秀一氏の「頭文字D」。あと個人的にバイブルとして使っているのは水木しげる氏の自伝「水木しげる伝」です。ちなみに、鳥取の小学校で使われている教科書には地元出身の有名人として「名探偵コナン」の青山剛晶が紹介されているらしいです。さらについでに言うと、自分の労働経済学の師は鳥取の境港出身で、その先生の路線に当る大御所は東大名誉教授の宇沢弘文氏で、この人も鳥取出身。この他にも何かと、自分の周りは鳥取出身者がやけに多い気がします。自動車免許を合宿で取ったのも鳥取だし……。
それはともかく、今や日本の文化を代表する漫画ですが、やはり往年と比べるとややその価値が下がった気がします。名前は忘れましたが、アメリカの日本文化研究者の女性学者が日本の漫画の特徴について、「何気ない日常が終わりなく続いていくストーリー」と述べていますが、非常に的確な分析でしょう。
この手の漫画作品の大家と来れば「らんま1/2」、「犬夜叉」の高橋留美子氏でしょう。何も高橋氏だけでなく、これまでに出ている傑作作品の「ブラックジャック」や「ゲゲゲの鬼太郎」もこれに当てはまります。基本、アメリカなどでの文化作品というのは初めから終わりまで一本のストーリーがあり、途中で話が膨らむことはあっても、普通は一直線に話が進んでいきます。これに対して日本の漫画は延々と日常が繰り返され、物語の終盤になってようやく止まっていた時が動き出すかのような話が非常に多いです。
これは言うまでもなく作品の長期連載に繋がります。「こち亀」などもこの例で延々と話が続いていますし、また「美味しんぼ」やさっき挙げた「名探偵コナン」のように、まとまったひとくくりの話が連続するというものもあります。これらの日本の漫画の特徴は確かによく出来たものだと思いますし、日本人の精神性も表しているのではないかと私は考えています。そして、このような話の形態を逆手に取った、傑作とも言うべきアニメ作品もあり、名前を出すと「うる星やつら」の映画版「ビューティフルドリーマー」という作品があります。監督は「攻殻機動隊」の映画版で今をときめく押井守で、素晴らしい出来です。ぜひ一見してもらいたい作品です。
しかし、残念ながら近年ではこのような形態の漫画は非常に少なくなっています。自分が確認する中では、週間少年ジャンプでやっている「銀魂」くらいしかこの形態で成功している作品はないのではないかと思っています。近年はやはりアメリカ同様、一本筋道の通った話が人気になりやすいのかもしれません……「ワンピース」はどっちになるかなぁ、もう延々とやっているけど。
それはそうと、私は自他共に認める漫画マニアです。雑誌などをそれこそ麻生太郎氏ほど勝ってチェックしているわけではないですが、この年代にしてはそこそこ以前の漫画を見ているので、上の世代から下の世代まで漫画の話をあわせられる自信もあります。
一番好きな漫画、というより影響を受けたのは横山光輝氏の「三国志」で、今連載中の漫画で好きなのは岩明均氏の「ヒストリエ」としげの秀一氏の「頭文字D」。あと個人的にバイブルとして使っているのは水木しげる氏の自伝「水木しげる伝」です。ちなみに、鳥取の小学校で使われている教科書には地元出身の有名人として「名探偵コナン」の青山剛晶が紹介されているらしいです。さらについでに言うと、自分の労働経済学の師は鳥取の境港出身で、その先生の路線に当る大御所は東大名誉教授の宇沢弘文氏で、この人も鳥取出身。この他にも何かと、自分の周りは鳥取出身者がやけに多い気がします。自動車免許を合宿で取ったのも鳥取だし……。
それはともかく、今や日本の文化を代表する漫画ですが、やはり往年と比べるとややその価値が下がった気がします。名前は忘れましたが、アメリカの日本文化研究者の女性学者が日本の漫画の特徴について、「何気ない日常が終わりなく続いていくストーリー」と述べていますが、非常に的確な分析でしょう。
この手の漫画作品の大家と来れば「らんま1/2」、「犬夜叉」の高橋留美子氏でしょう。何も高橋氏だけでなく、これまでに出ている傑作作品の「ブラックジャック」や「ゲゲゲの鬼太郎」もこれに当てはまります。基本、アメリカなどでの文化作品というのは初めから終わりまで一本のストーリーがあり、途中で話が膨らむことはあっても、普通は一直線に話が進んでいきます。これに対して日本の漫画は延々と日常が繰り返され、物語の終盤になってようやく止まっていた時が動き出すかのような話が非常に多いです。
これは言うまでもなく作品の長期連載に繋がります。「こち亀」などもこの例で延々と話が続いていますし、また「美味しんぼ」やさっき挙げた「名探偵コナン」のように、まとまったひとくくりの話が連続するというものもあります。これらの日本の漫画の特徴は確かによく出来たものだと思いますし、日本人の精神性も表しているのではないかと私は考えています。そして、このような話の形態を逆手に取った、傑作とも言うべきアニメ作品もあり、名前を出すと「うる星やつら」の映画版「ビューティフルドリーマー」という作品があります。監督は「攻殻機動隊」の映画版で今をときめく押井守で、素晴らしい出来です。ぜひ一見してもらいたい作品です。
しかし、残念ながら近年ではこのような形態の漫画は非常に少なくなっています。自分が確認する中では、週間少年ジャンプでやっている「銀魂」くらいしかこの形態で成功している作品はないのではないかと思っています。近年はやはりアメリカ同様、一本筋道の通った話が人気になりやすいのかもしれません……「ワンピース」はどっちになるかなぁ、もう延々とやっているけど。
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