以前に書いたテレビ業界についての記事(テレビを守る規制)にていくつか質問を受けたので、今回はそれに答える形で私の私見をいくつか述べさせてもらいます。
まず、2011年以後に実施される知デジ化以降に新たにテレビ局の新規参入、放送権の許可はありうるのかという質問ですが、前回の記事でも書いたように、私個人の見方だと最大の後ろ盾であった郵政族が自民党から片っ端から追い出された今だとありうるんじゃないかと思います。地デジ化するとチャンネル数は飛躍的に増え、現状でも一つの放送局が複数のチャンネルを流しているくらいですし、どっちにしろ視聴率のパイは減るので前ほど頑なに規制で守るなんて事はしないんじゃないかと思います。
もっともこれは私の主観なので、実際には地デジ化した後もこれまで通りにぎっしり守られる可能性のほうが現状では高い気がします。もっとも、守るべき放送局のほうが先にパンクしそうなんだけど。
というのも、タダでさえ視聴率が落ちてどの放送局も収入が減っている現状で、地デジ移行に対応するために今、すべての放送局でデジタル放送のための設備投資に非常にお金がかかっています。これは二年前の情報ですが関西の毎日放送なんて比叡山の上に放送装置を持っているもんだから工事費用をどこから捻出するんだとえらく頭を抱えているという話を聞いております。同様に地方テレビ局はほぼすべてそのような設備投資費用を持っておらず、地デジかすると事実上廃業するとまで言われております。
そうして既存のテレビ局が潰れていくので、チャンネル合わせに新規参入もあるんじゃないかなぁというのが私の予想ですが、その場合質問では「アクトビラ」、これはソニーなどの複数の会社でやっているインターネットなどを利用した番組配信サービスらしいですが、こういったIT系のコンテンツ会社が参入するのかと聞かれましたが、私自身このアクトビラなどに詳しくなく(名前すら聞いたことがなかった)、あまりよくわからないというのが正直な感想です。
ただコンテンツを持つメディア会社で言うとやっぱり勢いがあるのはインターネット会社ですし、新規参入があるとしたらこういったところのような気もします。というのも、今漫画業界などもそうですが、大衆のニーズは個人個人ばらばらで、好きなものだけを見たいという人が非常に増えており、動画コンテンツではニコニコ動画やYouTubeなどの利用者が増えており、将来的には見たい番組を指定して配信を受けるというような視聴形態に移っていくのかと思い、そうなるとしたらインターネット会社化という風になるからです。
しかしそう思う一方、すでにUSENがネット上で「GYAO」という無料番組配信サービスをやってますが、始めた当初は多少話題になったものの、その後はこれという話題も聞かず、今でもやっているのかわからない状態です。前述のニコニコ動画もこの前広告収入で伸び悩んでいるというニュースがありましたし、ネット配信だと簡単にコピーされてしまうという弱点もあるので、なかなか頭の痛いところです。結論から言っちゃうと、これまでみたいなコンテンツ産業はなりたたないという風になっちゃうのかな。
こういった新規参入についてともう一つ、ケーブルテレビ界についても質問を受けましたが、これについてはいくつか思うところが前からありました。もともとケーブルテレビというのは電波が届かない地域にも番組を提供できるようにと始められたものだったのですが、いつのまにかケーブルテレビ会社が独自に海外ドラマなどをバンバン流すようになり、かえって都市部でばかり加入者が増えて設備が整えられる一方、地方はほったらかしになるという本末転倒な状況になりました。
しかし最近のケーブルテレビ業界はというと、どうも噂などで聞くと加入者数が伸び悩んでいるそうです。実際に4、5年なんかは前述の海外ドラマの独占放送などですごい話題になったりしましたが、その後は全く話は聞きません。まぁ実際、一過性のような気はしてたけどね。
ただこの一時のケーブルテレビの流行は海外ドラマの放送にあるのが個人的には気になりました。というのも、話せば長くなるので記事を分割しますが、日本のテレビ業界へ最も新規参入を従っているのは実はアメリカなんじゃないかと私が疑っているからです。続きは次回に。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年9月21日日曜日
2008年9月20日土曜日
文化大革命とは~その四、始まり~
前回では毛沢東が一時政治的に失脚するところまで解説しました。失脚後、毛沢東は南方で趣味の釣りにいそしんでいると言われ、毛沢東のかわりに実権を握った劉少奇と鄧小平が実質的に中国の指導者となりました。彼らちゃんとやり方のわかっている指導者の行政手腕により、大飢饉によって混乱した中国経済は徐々にではありますが立て直されていきました。
しかしそうして経済が立て直っていく一方、ある言論がまことしやかに全土で語られるようになってきました。その言論というのも、「今の共産党指導部は修正主義者たちに乗っ取られている」という、今見ても不穏当な言論でした。
この時期、ソ連はスターリンからフルシチョフの時代を経て、中国との蜜月関係も終わりを告げていました。中国共産党はこのフルシチョフによるソ連の第一次デタント(雪解け)といわれる、西側国家との協調路線を打ち出す外交政策を共産主義の精神を根幹から覆す愚挙だとして「走資派」や「修正主義者」と呼んで激しく非難しました。
恐らく当時の考え方としては、共産主義国家の建設は非常に困難が伴うものであるため、この困難から抜け出すためとか、自分だけいい思いをしようと安易に資本主義に走る卑怯な輩がいるという具合で憎悪をたぎらせたのだと思います。この「修正主義者」という言葉が、1960年代の中国の流行語であったのは間違いないでしょう。
当時、中国に流布したのはこうしたソ連の輩のような裏切り者が中国共産党内部、それもかなりの上位階級に潜りこんでいるという言質でした。彼ら修正主義者は謀略をめぐらし、偉大なる指導者である毛沢東を追放したのだ、と毛沢東の政治失脚は彼らに原因があるというような言葉が共産党の機関紙である「人民日報」などのメディアで激しく展開されていきました。
もちろん劉少奇を初めとする指導部はそんなはずはないと否定しつつ、このようなデマがどこから出ているのかなどと調べたそうですが、一向に確たる根源が見つからずにいました。元ネタを一気に明らかにすると、このような言論を広めたのは毛沢東の指示で動いていた彼の腹心たちで、後に四人組と呼ばれる幹部たちでした。皮肉なことに、内からの敵に当時の指導部は気づかなかったのです。
こうした言論を一番真に受けたのは当時の大学生たちでした。北京大学では壁新聞が張られて公然と指導部が批判され、精華大学では孤立無援の毛沢東閣下を救えとばかりに、後に中国全土で猛威を奮い、この文化大革命の代名詞となる「紅衛兵」という、青年たちによる私兵団が全国で初めて組織されました。
こうした中、これは出所が明らかでなくちょっと確証に欠けるどこかで聞いた話ですが、何でも劉少奇らが北京にてこうした動きに対し、自分たちは決して修正主義者ではないということを説明する一般人を交えた会合を開いて弁舌をしている最中に、なんとその場に南方にいるはずの毛沢東が予告なしで突然現れたそうです。このような演出はこれだけでなく、これは陳凱歌の「私の紅衛兵時代」で書かれていますが、北京四中での会合の際も、毛沢東は劉少奇が弁舌を終えていないにもかかわらず突然壇上に出てきたそうです。そうなってしまうと観衆は大喝采してしまいますので、まだ弁舌を終えていない劉少奇はどうすることもなく、かといってそそくさと壇から降りるわけにも行かなくなり、このように毛沢東は相手を追いつめる演出が非常にうまかったと陳凱歌は評しています。
そのうち毛沢東も公然と、「共産党の指導部内に裏切り者がいる」と主張するようになり、先ほどの紅衛兵という少年少女らで組織される私兵団も毛沢東の応援を受けて各学校ごとに作られて増加の一途を辿り、自体は徐々に深刻化していきました。
今回はちょっと短いですが、ここで終わりです。なぜなら書いててそろそろ、毛沢東思想の解説を始めないとまずいなと思い始めたからです。私なども全然毛沢東思想を勉強していませんが、多少なりともこの思想の骨組みがなければこの文化大革命はただの騒動で終わってしまうので、次の回ではつたないながらも毛沢東思想をやります。せっかく話が盛り上がってきたところなんだけど。
しかしそうして経済が立て直っていく一方、ある言論がまことしやかに全土で語られるようになってきました。その言論というのも、「今の共産党指導部は修正主義者たちに乗っ取られている」という、今見ても不穏当な言論でした。
この時期、ソ連はスターリンからフルシチョフの時代を経て、中国との蜜月関係も終わりを告げていました。中国共産党はこのフルシチョフによるソ連の第一次デタント(雪解け)といわれる、西側国家との協調路線を打ち出す外交政策を共産主義の精神を根幹から覆す愚挙だとして「走資派」や「修正主義者」と呼んで激しく非難しました。
恐らく当時の考え方としては、共産主義国家の建設は非常に困難が伴うものであるため、この困難から抜け出すためとか、自分だけいい思いをしようと安易に資本主義に走る卑怯な輩がいるという具合で憎悪をたぎらせたのだと思います。この「修正主義者」という言葉が、1960年代の中国の流行語であったのは間違いないでしょう。
当時、中国に流布したのはこうしたソ連の輩のような裏切り者が中国共産党内部、それもかなりの上位階級に潜りこんでいるという言質でした。彼ら修正主義者は謀略をめぐらし、偉大なる指導者である毛沢東を追放したのだ、と毛沢東の政治失脚は彼らに原因があるというような言葉が共産党の機関紙である「人民日報」などのメディアで激しく展開されていきました。
もちろん劉少奇を初めとする指導部はそんなはずはないと否定しつつ、このようなデマがどこから出ているのかなどと調べたそうですが、一向に確たる根源が見つからずにいました。元ネタを一気に明らかにすると、このような言論を広めたのは毛沢東の指示で動いていた彼の腹心たちで、後に四人組と呼ばれる幹部たちでした。皮肉なことに、内からの敵に当時の指導部は気づかなかったのです。
こうした言論を一番真に受けたのは当時の大学生たちでした。北京大学では壁新聞が張られて公然と指導部が批判され、精華大学では孤立無援の毛沢東閣下を救えとばかりに、後に中国全土で猛威を奮い、この文化大革命の代名詞となる「紅衛兵」という、青年たちによる私兵団が全国で初めて組織されました。
こうした中、これは出所が明らかでなくちょっと確証に欠けるどこかで聞いた話ですが、何でも劉少奇らが北京にてこうした動きに対し、自分たちは決して修正主義者ではないということを説明する一般人を交えた会合を開いて弁舌をしている最中に、なんとその場に南方にいるはずの毛沢東が予告なしで突然現れたそうです。このような演出はこれだけでなく、これは陳凱歌の「私の紅衛兵時代」で書かれていますが、北京四中での会合の際も、毛沢東は劉少奇が弁舌を終えていないにもかかわらず突然壇上に出てきたそうです。そうなってしまうと観衆は大喝采してしまいますので、まだ弁舌を終えていない劉少奇はどうすることもなく、かといってそそくさと壇から降りるわけにも行かなくなり、このように毛沢東は相手を追いつめる演出が非常にうまかったと陳凱歌は評しています。
そのうち毛沢東も公然と、「共産党の指導部内に裏切り者がいる」と主張するようになり、先ほどの紅衛兵という少年少女らで組織される私兵団も毛沢東の応援を受けて各学校ごとに作られて増加の一途を辿り、自体は徐々に深刻化していきました。
今回はちょっと短いですが、ここで終わりです。なぜなら書いててそろそろ、毛沢東思想の解説を始めないとまずいなと思い始めたからです。私なども全然毛沢東思想を勉強していませんが、多少なりともこの思想の骨組みがなければこの文化大革命はただの騒動で終わってしまうので、次の回ではつたないながらも毛沢東思想をやります。せっかく話が盛り上がってきたところなんだけど。
2008年9月19日金曜日
中国粉ミルク問題についてのおまけ情報
報道によると、何でも中国にて人体にとって有害なメラミンが含まれた粉ミルクが大量に流通し、それを服用した幼児が死亡したりするなど大きな問題になっているようです。なんていうかこういうニュースを見ると日本の事故米なんて問題なんてどうでもよくなるくらい大きな食中毒事件が頻発する中国ですが、こういうニュースは報道するくせに、何でアレにはノータッチなんだろうといつも思うことがあります。
これは最近解説ばっかでめっきり少なくなった私オリジナルの情報ですが、私が中国に留学中、いつものようにスーパーを歩いていた時でした。私は当時スーパーでよく買っていたのは、まずは朝食用の食パンです。何故だかプレーンな味にこだわろうとして滞在中は常にバターもジャムも何もつけずに食べていました。次に飲料。向こうは一年を通して日本より乾燥しているので、とにかくよくのどが渇くので大きいサイズのペットボトルの水をよく買いました。そして、夜に楽しむためのお菓子。いろいろありますがどれも中国テイストで一部の味が濃いものばかりなので、無難に万国共通の味であるプリッツが多かったのですが、留学の後半は飲むヨーグルトもよく買ってました。
そんな具合にいつものようにスーパーをまわっている時、ちょうど今問題になっている粉ミルクなど何かに溶かして飲むような栄養剤や粉末状の食品を回っているコーナーで、それを見つけました。
Σ (゚Д゚;)<肉骨粉!?
そう、例のBSEの発端となったアレです。なんかの見間違いなんじゃないかと思ったり、中国語の意味と日本語の意味が違うのじゃないかといろいろパッケージを見てみましたが、表面にはもろに牛の絵が描かれているし、裏面にはきちんと牛のホルモンなどを粉末状にしたものだと説明され、水に溶かして飲む滋養強壮剤として売られていることがきちんと書かれてました。
さすがに、イギリスのように狂牛病となった牛とか使ってないよなとか考えましたが、中国にそんなことを期待するのが間違っていると、すぐに考えを改めました。
狂牛病というのは、アスベストを原因とする肺気腫のようにすぐさま症候がでる病気ではありません。なので後十何年もしたら、中国でなにかしら問題が明らかになってくるかもしれません。もちろん、当時の私の中国語が未熟で読み間違っているとか、安全な牛が使われたものだと信じたいのですが……。
これは最近解説ばっかでめっきり少なくなった私オリジナルの情報ですが、私が中国に留学中、いつものようにスーパーを歩いていた時でした。私は当時スーパーでよく買っていたのは、まずは朝食用の食パンです。何故だかプレーンな味にこだわろうとして滞在中は常にバターもジャムも何もつけずに食べていました。次に飲料。向こうは一年を通して日本より乾燥しているので、とにかくよくのどが渇くので大きいサイズのペットボトルの水をよく買いました。そして、夜に楽しむためのお菓子。いろいろありますがどれも中国テイストで一部の味が濃いものばかりなので、無難に万国共通の味であるプリッツが多かったのですが、留学の後半は飲むヨーグルトもよく買ってました。
そんな具合にいつものようにスーパーをまわっている時、ちょうど今問題になっている粉ミルクなど何かに溶かして飲むような栄養剤や粉末状の食品を回っているコーナーで、それを見つけました。
Σ (゚Д゚;)<肉骨粉!?
そう、例のBSEの発端となったアレです。なんかの見間違いなんじゃないかと思ったり、中国語の意味と日本語の意味が違うのじゃないかといろいろパッケージを見てみましたが、表面にはもろに牛の絵が描かれているし、裏面にはきちんと牛のホルモンなどを粉末状にしたものだと説明され、水に溶かして飲む滋養強壮剤として売られていることがきちんと書かれてました。
さすがに、イギリスのように狂牛病となった牛とか使ってないよなとか考えましたが、中国にそんなことを期待するのが間違っていると、すぐに考えを改めました。
狂牛病というのは、アスベストを原因とする肺気腫のようにすぐさま症候がでる病気ではありません。なので後十何年もしたら、中国でなにかしら問題が明らかになってくるかもしれません。もちろん、当時の私の中国語が未熟で読み間違っているとか、安全な牛が使われたものだと信じたいのですが……。
太田農水相辞任について
帰宅が遅い日に限って、あれこれ書く話題が多いというのも因果なものです。しかし今日は私が今最も熱中して読んでいる「ノノノノ」の単行本三巻が発売されて、先ほど読み終わったところで非常に気合が入っているので、調子よくバンバン書いていけそうです。昨日なんか結構難しい話題とはいえ、非常に表現が悪かったし……。
それで早速本題です。いちいちリンクを貼るまでもないのでこのまま解説に入りますが、本日太田誠一現農水大臣が辞任を発表しました。辞任理由は自己米問題で消費者を混乱させたためと述べていますが、結論から言うと私は絶対にこいつの辞任を認めません。
既にいくつかの解説でも書かれていますが、今回辞任したのは明らかに世間の批判から自分の身を守るためでしょう。事故米問題が起こり、保身のために農水省が行った流通業者リストを公開によってで批判から身をかわすどころか逆批判が起こり、恐らくその反応を見て怖くなって辞任したというのが本音でしょう。福田首相が辞任して事実上内閣が機能していない現在、この段階で職務放棄するなんて呆れて物が言えません。また農水省の不手際の責任を取っての辞任といっておきながら、その同じ会見で農水省の役人は頑張って働いているなどと彼らを弁護するあべこべの発言もしており、それだけ頑張りを認めているのなら貴様もしっかりと働けと言いたいものです。
自民党にとっても、この辞任は毒薬のように悪影響を強く残すでしょう。せっかく総裁選が盛り上がって福田首相の突然の辞任の悪いイメージが払拭してきたこの中でまた問題を起こしての辞任ですから、もし十月に総選挙が行われるとしたら今回のニュースも必ず影響してくるでしょう。
物事の責任の取り方というのはその状況次第にあると思います。たとえば大きな失敗をしてしまい、その失敗を取り返すのに他によい人材がいるなかでその人材に後を任せるというのは正しい責任の取り方です。しかし大きな問題が起こり、自分は知らないよとばかりにすぐさま身を隠すのは責任を取るのではなくただの逃避です。今回の太田農水相の行動は後者です。絶対にやめること認めず、世間の批判を存分に受けるくらいの仕事は無能でもできるんですから、しっかりとお役目を果たすべきでしょう。
それで早速本題です。いちいちリンクを貼るまでもないのでこのまま解説に入りますが、本日太田誠一現農水大臣が辞任を発表しました。辞任理由は自己米問題で消費者を混乱させたためと述べていますが、結論から言うと私は絶対にこいつの辞任を認めません。
既にいくつかの解説でも書かれていますが、今回辞任したのは明らかに世間の批判から自分の身を守るためでしょう。事故米問題が起こり、保身のために農水省が行った流通業者リストを公開によってで批判から身をかわすどころか逆批判が起こり、恐らくその反応を見て怖くなって辞任したというのが本音でしょう。福田首相が辞任して事実上内閣が機能していない現在、この段階で職務放棄するなんて呆れて物が言えません。また農水省の不手際の責任を取っての辞任といっておきながら、その同じ会見で農水省の役人は頑張って働いているなどと彼らを弁護するあべこべの発言もしており、それだけ頑張りを認めているのなら貴様もしっかりと働けと言いたいものです。
自民党にとっても、この辞任は毒薬のように悪影響を強く残すでしょう。せっかく総裁選が盛り上がって福田首相の突然の辞任の悪いイメージが払拭してきたこの中でまた問題を起こしての辞任ですから、もし十月に総選挙が行われるとしたら今回のニュースも必ず影響してくるでしょう。
物事の責任の取り方というのはその状況次第にあると思います。たとえば大きな失敗をしてしまい、その失敗を取り返すのに他によい人材がいるなかでその人材に後を任せるというのは正しい責任の取り方です。しかし大きな問題が起こり、自分は知らないよとばかりにすぐさま身を隠すのは責任を取るのではなくただの逃避です。今回の太田農水相の行動は後者です。絶対にやめること認めず、世間の批判を存分に受けるくらいの仕事は無能でもできるんですから、しっかりとお役目を果たすべきでしょう。
2008年9月18日木曜日
文化大革命とは~その三、革命前夜~
文化大革命についての三回目の連載です。そろそろ書いててしんどくなってくるところです。
さて今回は文化大革命が起こる前の、中国が置かれていた状況について解説します。
まず第二次大戦後、現中国を支配している中国共産党と現在台湾を支配している国民党との間で戦闘が始まりました。当初は双方共同で国を治めようという話もあったのですが、もともと戦闘しあっていた者同士で、目下の敵の日本軍がいなくなるやすぐさま内戦を始めました。因みに、その際の戦闘に使われた兵器の大半は日本軍が置いていった兵器だったようです。北京にある軍事博物館によると、中国で初の戦車は日本軍からの分捕り品だったくらいですし。
そうして戦い合う中、恐らく組織戦としては相当早い段階でゲリラ戦を確立した共産党の人民解放軍が徐々に勝利していき、最終的に国民党を台湾へ追い出して1949年に現在の中華人民共和国が成立します。戦争に勝利後、文化大革命の主役である毛沢東は天安門広場にて「中華人民共和国、成立了!」と宣言して、この時を持って正式にこの国は建国されたとされます。
もっとも建国直後に朝鮮戦争が勃発し、当初はソ連一辺倒ではなくアメリカとも交流を続けようと考えていた指導部は悩んだ末に北朝鮮に味方してアメリカと袂を分かつ羽目になるなど、いろいろと困難もありましたが、当初は共産党内部の高い士気とともにそこそこうまくやっていきました。この歯車がおかしくなり始めるのは1950年代の後半からです。
この時期から中国はソ連の「五ヵ年計画」を真似た、あの悪名高き「大躍進政策」を行い始めます。これはその名の通り、数年の期間内に農業や工業の分野で一気に先進国に追いつくという国家政策のことです。ソ連の五ヵ年計画も内実は結構ひどかったらしいですが、一応は工業面で大幅な前進が見られて二次大戦でドイツと戦うだけの土台ができたのに対して、中国のこの大躍進政策は破壊と荒廃しかもたらしませんでした。
ソ連では「コルホーズ」といって、農民を一箇所に集めて強制的に作業をさせる集団農場を作りましたが、それに対して中国では「人民公社」といって、事実上個人の自由を奪う集団体制へと国を整えていきました。
この大躍進政策の中で工業政策では鉄鋼の生産量でイギリスを追い抜くという目標があったのですが、各地域の責任者には目標生産高の達成が義務付けられたため、実際には鉄を作ろうにも鉄鉱石が不足するもんだから、片っ端からまだ使える鉄製の農具などを溶かして粗鋼を作っていき、確かにイギリスの鉄鋼生産量を追い抜いたものの、その作られた鉄のほとんどは役に立たないくず鉄ばかりだったそうです。更に鉄の精製技術も低いものだから延々と土方高炉という、原始的な精製方法でその燃料として木材を燃やし続けたため、今に至る中国の水不足、環境破壊という問題を作る羽目となりました。
農業政策でも、なんと言うか今の北朝鮮のように明らかに農業について知識がないにもかかわらず、素人の浅知恵のような政策が強行されてしまった例があります。最も有名なのは雀の駆除で、雀は稲穂をついばむから害鳥だといって毛沢東の指示の元、中国全土で一大雀駆除キャンペーンがこの時期に行われました。これなんか私も中国の博物館で見たことがあるのですが、雀を驚かしたり追い詰めたりするわけのわからない器具が全国に配られ、結果的に雀の大幅な駆除に成功するのですが、その代わりに雀が食べていた害虫が異常繁殖してしまい、収穫期になるとすべての作物が大不作になるという事態を引き起こしてしまいました。
一説によると、この時の大飢饉で数千万の人間が餓死したと言われています。昔読んだ記事によると、誰だか名前を忘れましたが、確か李鵬だったけな、子供の頃は夢の中で満腹になるまでものを食べては目を覚ますという事がこの時期何度もあったと言ってました。
「ワイルドスワン」の作者によると、当時の人間でもこの大飢饉が天災によるものではなく、明らかに人災によるものだとわかっていたそうです。それでも共産党政権の転覆、そこまでいかなくとも民衆の反乱が起こらなかったのは先ほどの作者によると、この飢饉の時期には共産党員も一般民衆同様に飢えていたからだと分析しています。
なんでも、国民党がブイブイ言わせていた時代は飢饉だろうと何だろうと、国民党の人間は毎日大量のご馳走を食べて贅沢な暮らしをしていたそうです。それに対してこの時期の共産党は先ほども言ったとおりに士気は高かったらしく、横領や独占が非常に少なかったそうです。もしかしたらそんなことをするほどの食料すらなかったのかもしれませんが、今の共産党からするととても信じられない話ですがそうらしいです。
このようにシャレにならないほどの政策の大失敗を犯してしまい、さすがの毛沢東もしょげていたそうです。自身の食事にも国民が飢えているのだからといって豚肉の量を減らしたそうですが、これは確かアメリカの記者の評論ですが、国民が飢える中で毛沢東は個人的なダイエットをしていたと、何の問題の解決になっていないことを指摘されていました。
そして共産党の幹部も、この惨状に対して毛沢東を追及するに至りました。これは先ほどウィキペディアを見ていて私も始めて知ったのですが、後に実権派として名を馳せる劉少奇が、この時に毛沢東に対して、
「地方では人肉を食べて飢えをしのぐ者まで現れたことを記録に残せ」と詰め寄ったらしいです。
こうして毛沢東は実権を追われることになり、その代わりに経済政策などに実績のある劉少奇と鄧小平が政権の中枢に立つことになりました。彼ら二人のコンビの活躍もあり、大飢饉の後は穏やかではありますが、比較的政治的にも社会的に安定した時期が過ぎていったのですが、それを毛沢東が快く思うわけありません。
これは陳凱歌やその他大勢の人間が評していますが、毛沢東というのは生まれながらの反逆児で、常に何かに抵抗しなければ気がすまない性格だったそうです。歴史的に見ても、最初は両親、次に初期共産党内のリーダー、そして日本、国民党と抵抗相手を変えていき、最後には自らが関わった共産党を抵抗相手に選んだと見るべきでしょう。
この時期、毛沢東は政界を引退して中国の南方で優雅な年金生活のようなものを表面上は送っていました。しかしその間、未だ中央に残る腹心を使って徐々に、それも目立たずに工作を続けていました。続きはまた次回に。
追記
本文中で「雀」と書いてある箇所をアップロード時は「燕」と間違えて書いてしまっており、コメントでの指摘を受けて修正してあります。なんで間違っちゃったんだろう……。
さて今回は文化大革命が起こる前の、中国が置かれていた状況について解説します。
まず第二次大戦後、現中国を支配している中国共産党と現在台湾を支配している国民党との間で戦闘が始まりました。当初は双方共同で国を治めようという話もあったのですが、もともと戦闘しあっていた者同士で、目下の敵の日本軍がいなくなるやすぐさま内戦を始めました。因みに、その際の戦闘に使われた兵器の大半は日本軍が置いていった兵器だったようです。北京にある軍事博物館によると、中国で初の戦車は日本軍からの分捕り品だったくらいですし。
そうして戦い合う中、恐らく組織戦としては相当早い段階でゲリラ戦を確立した共産党の人民解放軍が徐々に勝利していき、最終的に国民党を台湾へ追い出して1949年に現在の中華人民共和国が成立します。戦争に勝利後、文化大革命の主役である毛沢東は天安門広場にて「中華人民共和国、成立了!」と宣言して、この時を持って正式にこの国は建国されたとされます。
もっとも建国直後に朝鮮戦争が勃発し、当初はソ連一辺倒ではなくアメリカとも交流を続けようと考えていた指導部は悩んだ末に北朝鮮に味方してアメリカと袂を分かつ羽目になるなど、いろいろと困難もありましたが、当初は共産党内部の高い士気とともにそこそこうまくやっていきました。この歯車がおかしくなり始めるのは1950年代の後半からです。
この時期から中国はソ連の「五ヵ年計画」を真似た、あの悪名高き「大躍進政策」を行い始めます。これはその名の通り、数年の期間内に農業や工業の分野で一気に先進国に追いつくという国家政策のことです。ソ連の五ヵ年計画も内実は結構ひどかったらしいですが、一応は工業面で大幅な前進が見られて二次大戦でドイツと戦うだけの土台ができたのに対して、中国のこの大躍進政策は破壊と荒廃しかもたらしませんでした。
ソ連では「コルホーズ」といって、農民を一箇所に集めて強制的に作業をさせる集団農場を作りましたが、それに対して中国では「人民公社」といって、事実上個人の自由を奪う集団体制へと国を整えていきました。
この大躍進政策の中で工業政策では鉄鋼の生産量でイギリスを追い抜くという目標があったのですが、各地域の責任者には目標生産高の達成が義務付けられたため、実際には鉄を作ろうにも鉄鉱石が不足するもんだから、片っ端からまだ使える鉄製の農具などを溶かして粗鋼を作っていき、確かにイギリスの鉄鋼生産量を追い抜いたものの、その作られた鉄のほとんどは役に立たないくず鉄ばかりだったそうです。更に鉄の精製技術も低いものだから延々と土方高炉という、原始的な精製方法でその燃料として木材を燃やし続けたため、今に至る中国の水不足、環境破壊という問題を作る羽目となりました。
農業政策でも、なんと言うか今の北朝鮮のように明らかに農業について知識がないにもかかわらず、素人の浅知恵のような政策が強行されてしまった例があります。最も有名なのは雀の駆除で、雀は稲穂をついばむから害鳥だといって毛沢東の指示の元、中国全土で一大雀駆除キャンペーンがこの時期に行われました。これなんか私も中国の博物館で見たことがあるのですが、雀を驚かしたり追い詰めたりするわけのわからない器具が全国に配られ、結果的に雀の大幅な駆除に成功するのですが、その代わりに雀が食べていた害虫が異常繁殖してしまい、収穫期になるとすべての作物が大不作になるという事態を引き起こしてしまいました。
一説によると、この時の大飢饉で数千万の人間が餓死したと言われています。昔読んだ記事によると、誰だか名前を忘れましたが、確か李鵬だったけな、子供の頃は夢の中で満腹になるまでものを食べては目を覚ますという事がこの時期何度もあったと言ってました。
「ワイルドスワン」の作者によると、当時の人間でもこの大飢饉が天災によるものではなく、明らかに人災によるものだとわかっていたそうです。それでも共産党政権の転覆、そこまでいかなくとも民衆の反乱が起こらなかったのは先ほどの作者によると、この飢饉の時期には共産党員も一般民衆同様に飢えていたからだと分析しています。
なんでも、国民党がブイブイ言わせていた時代は飢饉だろうと何だろうと、国民党の人間は毎日大量のご馳走を食べて贅沢な暮らしをしていたそうです。それに対してこの時期の共産党は先ほども言ったとおりに士気は高かったらしく、横領や独占が非常に少なかったそうです。もしかしたらそんなことをするほどの食料すらなかったのかもしれませんが、今の共産党からするととても信じられない話ですがそうらしいです。
このようにシャレにならないほどの政策の大失敗を犯してしまい、さすがの毛沢東もしょげていたそうです。自身の食事にも国民が飢えているのだからといって豚肉の量を減らしたそうですが、これは確かアメリカの記者の評論ですが、国民が飢える中で毛沢東は個人的なダイエットをしていたと、何の問題の解決になっていないことを指摘されていました。
そして共産党の幹部も、この惨状に対して毛沢東を追及するに至りました。これは先ほどウィキペディアを見ていて私も始めて知ったのですが、後に実権派として名を馳せる劉少奇が、この時に毛沢東に対して、
「地方では人肉を食べて飢えをしのぐ者まで現れたことを記録に残せ」と詰め寄ったらしいです。
こうして毛沢東は実権を追われることになり、その代わりに経済政策などに実績のある劉少奇と鄧小平が政権の中枢に立つことになりました。彼ら二人のコンビの活躍もあり、大飢饉の後は穏やかではありますが、比較的政治的にも社会的に安定した時期が過ぎていったのですが、それを毛沢東が快く思うわけありません。
これは陳凱歌やその他大勢の人間が評していますが、毛沢東というのは生まれながらの反逆児で、常に何かに抵抗しなければ気がすまない性格だったそうです。歴史的に見ても、最初は両親、次に初期共産党内のリーダー、そして日本、国民党と抵抗相手を変えていき、最後には自らが関わった共産党を抵抗相手に選んだと見るべきでしょう。
この時期、毛沢東は政界を引退して中国の南方で優雅な年金生活のようなものを表面上は送っていました。しかしその間、未だ中央に残る腹心を使って徐々に、それも目立たずに工作を続けていました。続きはまた次回に。
追記
本文中で「雀」と書いてある箇所をアップロード時は「燕」と間違えて書いてしまっており、コメントでの指摘を受けて修正してあります。なんで間違っちゃったんだろう……。
2008年9月17日水曜日
事故米自殺事件に見る農水省の無自覚
まだ民放などは細かくチェックするに至っていませんが、今日は昨日に引き続きリーマンブラザーズ社やAIG社のニュースばかり取り上げられ、ここで紹介するニュースの扱いが非常に小さい気がします。なので、ここで私が思いの限り文章に起こすことにしました。
・「事故米」流通先社長が自殺…奈良(YOMIURI ONLINE)
リンク先の記事によると、すでに私も「三笠フーズ事件の再考」の記事の中で取り上げている事故米事件において、事故米の流通先として農水省によって公表された奈良県の食品販売会社社長が自殺に追い込まれてしまったようです。この事件について私の感想を素直に述べると、農水省への怒りで何も言えないというのが本音です。
政府は先週頃から、今回の事故米事件で三笠フーズが事故米を流出させた業者を次々と公表していきました。何故政府、というよりもこの場合は農水省ですが、彼らは業者名を公表するに至ったのかと言うと、あまり他のメディアなどでは言及されていませんが、まず間違いなく自分たちの保身のためでしょう。
どういうことかというと、今回の事故米事件において前回の私の記事でも既に言及して、先週末によってメディアによって明らかになったように、案の定農水省にて本来これらの流通を監督する部署にいた元課長が三笠フーズから接待を受けていたことが明らかになりました。本人は安い食事をしただけだと言っていましたが、公務員服務規程によって一般人から食事等の接待を受けることは割り勘を含めて基本的に禁止されており、外務省にいた際に佐藤優氏などはこの規定によって人との夕食では自分が毎回おごる羽目になったと言っているくらいなので、職務に関係する企業ともなれば言語道断ともいえる行動です。
恐らく、この事件が業者名の公表に至った一つの契機であったと私は見ています。なぜなら、事故米を使用したなどと衝撃的な言葉とともにこれらの業者名を上げることによって世間の耳目をそらし、この事件による農水省への批判をそらすのが連中の目的だからです。この農水省のもくろみは見事に当たったのか、今日になるとこの農水省の元課長のニュースはほとんど上がってきません。しかしその代わり、本来農水省が職務を果たさなかったばかりに流通することとなった事故米をつかまされて、被害者であるはずなのに名前を挙げられた業者の方々は風評被害によって大きな打撃を受けることになりました。マスコミもマスコミで、さっきもNHKが、「有名なお店でも使われてた」、などとくだらないことを報道しています。
しかも、この業者名公表は相当に急いで行われたという事実も明らかになりました。
・業者名公表めぐり混乱=事故米転売問題で農水省(時事ドットコム)
リンク先に貼ったニュースによると、なんと農水省が最初に発表した業者名のリストは九十箇所以上も間違いがあり、中には実際には流通していない企業名まで含まれていたそうです。もしこれが民間の報道機関であれば、風評被害を与えたとして社長以下役員が記者会見で頭を下げて謝罪をしなければならないほどの大問題です。何故こんなに間違いがあったのか、それは私が予想するように農水省がなんとしても批判の矛先をかわすためでしょう。
思えば農水省は昔からこういうことをしょっちゅうやらかしています。かつてBSE問題が発生した際も、牛の全頭検査をやる傍から感染牛が見つかった場所を大々的に公表し、そのあまりの報道の過熱振りに感染牛を割り出した何の罪もない検査者が自殺に追い込まれています。
こういった健康被害に関する情報を隠すのは間違いです。しかし、報道があまりに過熱する可能性があるような情報の場合、誤解を与えずにかつ正確な情報で公表することが大前提です。何も難しいことを言っているわけじゃありません。普通に考えて、公表すべきものを公表し、公表すべきでないものは公表しなけりゃいいだけです。そういった目で見るならば、今回の業者名公表は明らかに公表すべき問題ではありませんでした。なぜなら風評被害が確実に起こることが目に見えており、またその事故米は農水省側の不手際によって流通してしまったからです。第一、農水省側の発表では、この事故米を食べても健康被害はないというのだから、なおさら業者名を公表する理由がわかりません。
それでも公表に至ったのですから、ここは是非農水省の側も今回の公表を決めた課長級以上の関連する人物名をはっきりと公表するべきでしょう。同様に、最初に三笠フーズから接待を受けていた元課長の名前と現在の部署もです。このブログでハンドルネームを使っておきながら私もこんなえらそうなことを言うべきではないかもしれませんが、批判を恐れて名前を隠すなら発言自体するべきではありません。私は中間をとって、メールアドレスは公開してますが。
・「事故米」流通先社長が自殺…奈良(YOMIURI ONLINE)
リンク先の記事によると、すでに私も「三笠フーズ事件の再考」の記事の中で取り上げている事故米事件において、事故米の流通先として農水省によって公表された奈良県の食品販売会社社長が自殺に追い込まれてしまったようです。この事件について私の感想を素直に述べると、農水省への怒りで何も言えないというのが本音です。
政府は先週頃から、今回の事故米事件で三笠フーズが事故米を流出させた業者を次々と公表していきました。何故政府、というよりもこの場合は農水省ですが、彼らは業者名を公表するに至ったのかと言うと、あまり他のメディアなどでは言及されていませんが、まず間違いなく自分たちの保身のためでしょう。
どういうことかというと、今回の事故米事件において前回の私の記事でも既に言及して、先週末によってメディアによって明らかになったように、案の定農水省にて本来これらの流通を監督する部署にいた元課長が三笠フーズから接待を受けていたことが明らかになりました。本人は安い食事をしただけだと言っていましたが、公務員服務規程によって一般人から食事等の接待を受けることは割り勘を含めて基本的に禁止されており、外務省にいた際に佐藤優氏などはこの規定によって人との夕食では自分が毎回おごる羽目になったと言っているくらいなので、職務に関係する企業ともなれば言語道断ともいえる行動です。
恐らく、この事件が業者名の公表に至った一つの契機であったと私は見ています。なぜなら、事故米を使用したなどと衝撃的な言葉とともにこれらの業者名を上げることによって世間の耳目をそらし、この事件による農水省への批判をそらすのが連中の目的だからです。この農水省のもくろみは見事に当たったのか、今日になるとこの農水省の元課長のニュースはほとんど上がってきません。しかしその代わり、本来農水省が職務を果たさなかったばかりに流通することとなった事故米をつかまされて、被害者であるはずなのに名前を挙げられた業者の方々は風評被害によって大きな打撃を受けることになりました。マスコミもマスコミで、さっきもNHKが、「有名なお店でも使われてた」、などとくだらないことを報道しています。
しかも、この業者名公表は相当に急いで行われたという事実も明らかになりました。
・業者名公表めぐり混乱=事故米転売問題で農水省(時事ドットコム)
リンク先に貼ったニュースによると、なんと農水省が最初に発表した業者名のリストは九十箇所以上も間違いがあり、中には実際には流通していない企業名まで含まれていたそうです。もしこれが民間の報道機関であれば、風評被害を与えたとして社長以下役員が記者会見で頭を下げて謝罪をしなければならないほどの大問題です。何故こんなに間違いがあったのか、それは私が予想するように農水省がなんとしても批判の矛先をかわすためでしょう。
思えば農水省は昔からこういうことをしょっちゅうやらかしています。かつてBSE問題が発生した際も、牛の全頭検査をやる傍から感染牛が見つかった場所を大々的に公表し、そのあまりの報道の過熱振りに感染牛を割り出した何の罪もない検査者が自殺に追い込まれています。
こういった健康被害に関する情報を隠すのは間違いです。しかし、報道があまりに過熱する可能性があるような情報の場合、誤解を与えずにかつ正確な情報で公表することが大前提です。何も難しいことを言っているわけじゃありません。普通に考えて、公表すべきものを公表し、公表すべきでないものは公表しなけりゃいいだけです。そういった目で見るならば、今回の業者名公表は明らかに公表すべき問題ではありませんでした。なぜなら風評被害が確実に起こることが目に見えており、またその事故米は農水省側の不手際によって流通してしまったからです。第一、農水省側の発表では、この事故米を食べても健康被害はないというのだから、なおさら業者名を公表する理由がわかりません。
それでも公表に至ったのですから、ここは是非農水省の側も今回の公表を決めた課長級以上の関連する人物名をはっきりと公表するべきでしょう。同様に、最初に三笠フーズから接待を受けていた元課長の名前と現在の部署もです。このブログでハンドルネームを使っておきながら私もこんなえらそうなことを言うべきではないかもしれませんが、批判を恐れて名前を隠すなら発言自体するべきではありません。私は中間をとって、メールアドレスは公開してますが。
米FRB、AIG救済について
本当は昨日こっきりのサブプライム話でしたが、なんか大いに盛り上がっているので続きを書きます。
さて昨日は風評だからあまり信じちゃいけないけど今じゃ信じられないことすらも起きちゃうからねと言っていた米保険業界大手のAIG社について、本日、案の定滅茶苦茶に株が売られて下がるところまで株価が下がったところ(一時一ドル台まで落ち込んだ)で、アメリカのFRBがなんと日本円にして約九兆円もの融資をして救済すること発表しました。
先日のリーマンブラザーズ社はFRBに同じく融資を申し込んでいたにも関わらず拒否されて、今回AIG社は逆に救済されました。簡単にネットで検索をかけてみましたが、まだあまり日本の報道社などはリーマンブラザーズ社と違って情報を集めきっていないようでやや情報不足ですが、その中でもいくつかこの対応についてコメントしている記事を読んでみると、やはり証券会社と比べて保険会社は公益性が高く、その影響が大きく広がることを懸念したためだという風に書かれていました。
実を言うと、私も三年前にこのAIG社の保険に加入しておりました。どんな保険かというと、留学生保険です。
外国に留学している間というのは日本国内のように健康保険が適用されず、ちょっとでも病気をしようものなら現地でものすごい額の治療費が必要になってきます。私が加入したのはそのような場合を想定して、何かあった場合にその分の費用を補填してくれるという保険でした。もっとも先々週に突然倒れて意識を失った私ですが留学中にはこれといって病気をすることはなく、この保険は一回も活用することなく満期終了に至ることになりましたが。
しかし後から調べてみると、中国では企業などの雇用先が病院等を経営していることが多く、そうした雇用先に属していない人間が治療を受ける場合は相当な治療費が必要になるそうなのです。何も病気せずに保険代を無駄にしたかなと思っていましたが、そんなリスクを改めて考慮するとこの保険は無駄ではなかったと思うようになりました。
昨日、AIG社が相当やばいという話を聞いた時、すぐさまこの際の保険のことを思い出しました。それこそAIG社が破綻したら、加入している保険も恐らくは有名無実化されていたでしょう。そんな時、私のように留学生保険をかけている留学生などは大きな被害を被るでしょうし、ましてや中国で非常に多い交通事故にそんなときにででもあったら、本当にえらいことになるのではないのかと思ったので、今回のFRBの対応もまぁ確かにわかる気がします。
今横でやっているNHKのニュースでも、救済された理由は影響力の大きさとコメントしています。私なんかは疑り深い性格をしているので、単純に国への献金額が多かったからではないかとすら類推してしまいます。どちらにしろ、今回の救済は決して安いものではないことです。
なにしろ本来市場に出回るはずのなかったお金が九兆円もばら撒かれるのです。今後ドル価格はどんどん下がり、昨日の私みたいにユーロや人民元が買いだという人間がこれから続出すると思います。日本としては唯一利益を上げている輸出産業が打撃を食らうので、巻き添えを食うことは間違いないでしょう。まぁその分、原材料コストは下がってくるかもしれませんが。
そしてもう一つの懸念が、救済はまだ続くかということです。恐らく、FRBとしては先週の政府系銀行の救済で締め切って、後はリーマンブラザーズ社のように見捨てていくというシナリオだったはずでしょうが、今回のAIG社でそう行かなくなりました。今後も救済を続けるのか、それとも後は市場に任せるのか。日本の過去の経歴だと、大枚をはたいておきながら実質ほとんど効果のなかった日本長期信用銀行などの例があり、見切りをつける時期が今後の一つのポイントとなると思います。
さて昨日は風評だからあまり信じちゃいけないけど今じゃ信じられないことすらも起きちゃうからねと言っていた米保険業界大手のAIG社について、本日、案の定滅茶苦茶に株が売られて下がるところまで株価が下がったところ(一時一ドル台まで落ち込んだ)で、アメリカのFRBがなんと日本円にして約九兆円もの融資をして救済すること発表しました。
先日のリーマンブラザーズ社はFRBに同じく融資を申し込んでいたにも関わらず拒否されて、今回AIG社は逆に救済されました。簡単にネットで検索をかけてみましたが、まだあまり日本の報道社などはリーマンブラザーズ社と違って情報を集めきっていないようでやや情報不足ですが、その中でもいくつかこの対応についてコメントしている記事を読んでみると、やはり証券会社と比べて保険会社は公益性が高く、その影響が大きく広がることを懸念したためだという風に書かれていました。
実を言うと、私も三年前にこのAIG社の保険に加入しておりました。どんな保険かというと、留学生保険です。
外国に留学している間というのは日本国内のように健康保険が適用されず、ちょっとでも病気をしようものなら現地でものすごい額の治療費が必要になってきます。私が加入したのはそのような場合を想定して、何かあった場合にその分の費用を補填してくれるという保険でした。もっとも先々週に突然倒れて意識を失った私ですが留学中にはこれといって病気をすることはなく、この保険は一回も活用することなく満期終了に至ることになりましたが。
しかし後から調べてみると、中国では企業などの雇用先が病院等を経営していることが多く、そうした雇用先に属していない人間が治療を受ける場合は相当な治療費が必要になるそうなのです。何も病気せずに保険代を無駄にしたかなと思っていましたが、そんなリスクを改めて考慮するとこの保険は無駄ではなかったと思うようになりました。
昨日、AIG社が相当やばいという話を聞いた時、すぐさまこの際の保険のことを思い出しました。それこそAIG社が破綻したら、加入している保険も恐らくは有名無実化されていたでしょう。そんな時、私のように留学生保険をかけている留学生などは大きな被害を被るでしょうし、ましてや中国で非常に多い交通事故にそんなときにででもあったら、本当にえらいことになるのではないのかと思ったので、今回のFRBの対応もまぁ確かにわかる気がします。
今横でやっているNHKのニュースでも、救済された理由は影響力の大きさとコメントしています。私なんかは疑り深い性格をしているので、単純に国への献金額が多かったからではないかとすら類推してしまいます。どちらにしろ、今回の救済は決して安いものではないことです。
なにしろ本来市場に出回るはずのなかったお金が九兆円もばら撒かれるのです。今後ドル価格はどんどん下がり、昨日の私みたいにユーロや人民元が買いだという人間がこれから続出すると思います。日本としては唯一利益を上げている輸出産業が打撃を食らうので、巻き添えを食うことは間違いないでしょう。まぁその分、原材料コストは下がってくるかもしれませんが。
そしてもう一つの懸念が、救済はまだ続くかということです。恐らく、FRBとしては先週の政府系銀行の救済で締め切って、後はリーマンブラザーズ社のように見捨てていくというシナリオだったはずでしょうが、今回のAIG社でそう行かなくなりました。今後も救済を続けるのか、それとも後は市場に任せるのか。日本の過去の経歴だと、大枚をはたいておきながら実質ほとんど効果のなかった日本長期信用銀行などの例があり、見切りをつける時期が今後の一つのポイントとなると思います。
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