いつも電車に乗っている間にその日のブログに書く内容を決めているのですが、今日は何を書こうか、また「時間の概念」の続きでも書こうかとあらかじめ考えていたものの、夜になってまたアクセス数を稼げそうなニュースが入ってきてしまいました。
・石川知裕議員を逮捕 4億円不記載 東京地検特捜部(産経新聞)
上記ニュースで報じられているように、かねてから持たれていた小沢氏の秘書時代に提出されていた政治資金収支報告書の収入不記載疑惑から、石川知裕議員が今夜東京地検によって逮捕されました。この石川議員、並びに小沢一郎民主党幹事長の疑惑については私もこれまで何度か記事にして状況を追ってきていたので、まずはこれまでの記事のリンクを貼っておきます。
・小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について
・小沢一郎政治団体、家宅捜索について
簡単におさらいすると、この事件は小沢氏の政治団体「陸山会」がかつて購入した四億円の土地の購入経緯について、その購入資金の出所がはっきりしなかったことから当時小沢氏の秘書であった石川議員などへも疑惑が持たれ、ゼネコン(鹿島建設)からの献金で購入したのではないかと現在は主に報じられています。
しかし私の予想はというと、もちろんゼネコンからの献金もあったのかもしれませんが、それ以上にこの購入資金の出所とされている小沢氏の財布に何故それほどの資金をぽんと出せたかに注目しており、それは文芸春秋一月号にて報じられたようにかつて小沢氏が率いていた自由党が国から受け取っていた政党助成金をまんま着服していたのではないかと見ております。この政党助成金の着服について詳しくは上記の「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事を読んでもらいたいのですが、先日に放送されたテレビ朝日の「テレビタックル」にて三宅久之氏もこの記事について言及しており、藤井裕久前財務省の突然の辞任はこの小沢氏の政党助成金の着服にあたり迂回ルートとして藤井氏の口座が使われていたことが原因だろうと述べていましたが、三宅氏が言うほどなのだからと私もちょっと自信を持ちました。
今回の石川氏の逮捕理由についてテレビや新聞はやはり鹿島建設との絡みの疑惑と報じていますが、私は鹿島建設の問題はあくまで入り口こと突破口で、検察の本当の狙いはやはり先程の政党助成金の着服の件だと思います。あまり知りもしないでいろいろ言うべきではないのですが、今月の文芸春秋に載ってある石川議員の元秘書の金沢敬氏のインタビュー記事を見る限りだと石川議員は性格的にやや軽いきらいがあり、おまけにすぐ動揺する素振りもあるので検察にしめられたら案外すぐに全部吐くんじゃないかと思います。
それにしてもこの一連の事件で私がつくづく感じたのは、どうして小沢氏はここまで資金集めに執心したのだろうかということです。もちろんお金はあって困るものじゃないし、将来どんな風に政治が展開するかもわからないのだから集めておくに越したことはありませんが、小沢氏ほど名の知られた政治家であれば普通に議員活動を行っていく上で資金に困ることはないだろうし、今回のゼネコンからの献金といい政党助成金の件といい、あの手この手でここまで資金を集める必要は正直な所なかったのではないかという気がします。
私が思うに、小沢氏のこうしたある種の政治資金への異常な執心癖は彼の父親代わりだった田中角栄元首相の影響によるものではないかと思います。言うまでもなく田中角栄も政治資金集めにおいてやや常軌を逸しているかのようなほど執心し、各ゼネコンや団体から献金を受け付けるのは当然であの手この手でそれこそ金の亡者の如くかき集めておりましたが、ついにはそれが自らの仇となってロッキード事件での逮捕によって自らの政治生命を大きく縮めてしまいました。
ただ田中角栄はこの自身の執心癖をいくらか自覚していた節があり、田中角栄の政治秘書をやっていた鳩山邦夫氏が佐野眞一氏によるインタビューにおいてこんなことを述べています。
なんでも当時秘書をしていた邦夫氏に対して田中角栄は今のうちに自分を反面教師としてよく見ておけといったそうなのですが、当時は田中角栄の人気も絶頂の頃で、一体どこを反面教師にするところがあるのですかと邦夫氏が聞くと、
「俺はこの地位に来るまで相当無理をしてきた。苦労は重ねた方がいいとは言うが、無用な苦労は重ねないに越したことはないんだ。そういうところをちゃんと見ておけ」
こうしたやり取りのあった後にロッキード事件が起こり、邦夫氏はこの事件を目にしてあの時の言葉はまさにこのことを指していたのではないかと佐野氏に話しています。
ちょっと解説を加えておくと、要するに田中角栄は自身が政界でのし上がるためにあの手この手、違法合法を問わずに資金をかき集めて見事総理の椅子を射止めましたが、そうした行為がいつかは自分の命取りになることが自身でもわかっており、今もいろいろ騒がせている鳩山家という資金に苦労しない出自の邦夫氏にはそうやって無理して資金集めに奔走するなと言い聞かせたということです。
なかなか含蓄のある教えでこれ以上ない反面教師と言えるのですが、惜しむらくは田中角栄はこの教訓を教える相手を間違えていたということです。田中角栄は自分の早死にした息子と出生年が同じだったことから特に小沢氏を可愛がっていたそうで、小沢氏も竹下派クーデターの際に裏切りますが、それまでは非常に慕って文字通り親子同然の仲だったそうです。
そんな関係だった小沢氏が民主党が与党についてからというものは影で政権を操る闇将軍と呼ばれ、権力絶頂のこの時期にまさに第二のロッキード事件とも呼べるような疑惑が持ち上がっているのは一つの歴史の巡り合せかもしれません。
最後にすでに四日前の記事ですが、松浪健四郎氏が小沢氏を評している記事があるので紹介しておきます。なかなか読んでてなるほどと思わせられるところがあるので、興味のある方は是非一読をお勧めします。それにしてもこの人って、ポツリと面白いことを語ることが多いな。
・【松浪健四郎が語る】(3完)小沢氏は「和製金正日」(産経新聞)
参考文献
「鳩山一族 その金脈と血脈」 佐野眞一著 文春新書
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年1月15日金曜日
2010年1月14日木曜日
朝日新聞のこんにゃくゼリー報道について
今日は夕食時に朝日新聞の朝刊と夕刊を合わせて読んでいたのですが、夕刊の一言コラム「素粒子」にてハイチで起こった大地震について言及してあり、同じく地震国である日本も救援に手を貸すべきだという意見が挙げられていました。型通りといえば型通りの意見ですがちょうど十五年前のこの時期に阪神大震災が起きたことを思い出すといろいろ考えさせられ、いつもとんちんかんなことを言ってるけどたまにはやるじゃんとすこし感心しました。
そのままの勢いで朝刊も手に取りまず社説面に目をやると、性同一性障害から性別を女性から男性へと変えた夫と妻が第三者からの精子提供による人工授精で産んだ子が嫡出子として認められなかった問題を取り上げており、今後嫡出子として認められるように方針を変えていくといった千葉法相を大きく持ち上げる内容が書かれていました。この問題も内容の割にはあまり大きく報じられていない気がしたので、なかなかいいところをついているように感じました。
こんな具合で今日の朝日新聞は手放しでいい内容だったとまとめられるかと思っていたのですが、社会面にてこんな見出しの記事があるのを見て一変しました。
「こんにゃくゼリー危険度 餅に次ぐ事故頻度と推測」
当初の朝日新聞のネット配信の記事では、「こんにゃくゼリー 事故頻度、アメと同等 食品安全委」という見出しだったのですが、一体どこをどう間違えてこんな風に変わってしまったのかいろいろと残念でなりません。
いちいち説明するまでもないですが、このニュースの内容はそれぞれの食品の喉を詰まらせる頻度を分析した所、最も喉を詰まらせる食べ物が餅だとわかり、その他の食品の頻度とまとめると以下のようであったと報じられています。なおこの頻度は一億人が一口食べるとして、喉を詰まらせて窒息死する人数として計測されています。
・餅:7.6人
・アメ:2.6人
・こんにゃくゼリー:0.33人
・パン:0.25人
・肉類:0.15人
こうやって並べるとこんにゃくゼリーは喉を詰まらせない食べ物だと十分に言えそうなのですが、さすがは食品安全委員会というか、「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」という項目をわざわざ用意しており、こちらの頻度は、「最大で5.9人」であるとして、餅に次ぐ危険度だとまとめられています。
こういうのもなんですが、これは明らかな統計トリックです。私自身も過去に幾度かこの様な処理をして都合のいい統計データを出していたから言えるのですが、この調査自体がこんにゃくゼリーを悪者にしようとしてなされている可能性すらあります。
まず問題なのは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」とありますが、一体どこからどこまでをこの枠に収めているのかという定義が見当たりません。場合によっては「ゼリー状の物質」ということで固形シャーベットも含まれているかもしれませんし、第一こんにゃくゼリーの危険度を測るのであれば0.33人というデータだけで十分でこんなわけのわからない項目を用意する必要もありません。
そして極め付けが、これは朝日新聞の記事中の記述ですので答申で出したのかまではわかりませんが、「最大で5.9人」というこの記述です。最大というからには最低は一体どの程度なのか、そもそも最大と最低って結果に幅があるのかということになってしまいます。
おそらくこれは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」の項目に含める食品の適用範囲が、幾段か設けられているのかと思います。適用範囲が広けりゃ頻度も上がるのは当たり前で、そうやって幅のある統計を作っておくとイザって時にいい逃げ道になります。
そうした記事中の内容もさることながら、見出しにおいても「アメと同程度」と書くにしろ「餅に次ぐ」と書くにしろ、どちらも誤解を招きかねないようなひどい見出しです。アメの頻度が2.6人に対してこんにゃくゼリーは0.33で、どうしてこれが同程度なのか、むしろパンの0.25人の方が絶対値的に近いのではと考えさせられます。
さらに「餅に次ぐ」に至っては明らかに数値に隔たりがあり、恐らく「こんにゃく入り以外も含めたゼリー」の頻度に対して言っているのかと思いますが、それでもこの見出しだとこんにゃくゼリー単体が餅と同じくらい喉に詰まらせてしまうと普通に読んだら思うでしょう。
それにしても朝日新聞はどうして記事中の内容、執筆者は同じなのにネットと紙面で見出しを変えたのかがかえって気になります。なおこの件でネットで検索をかけたら先に読売新聞の方が引っかかり、こっちも同じ見出しですが記事の内容はさらに薄くてより悪質です。
・こんにゃく入りゼリー「餅に次ぐ窒息事故頻度」
かばうつもりではないですが、こんにゃくゼリーを販売しているマンナンライフはこんなに官民揃って叩かれるなんて、なにか恨みでも買ったのでしょうかね?
そのままの勢いで朝刊も手に取りまず社説面に目をやると、性同一性障害から性別を女性から男性へと変えた夫と妻が第三者からの精子提供による人工授精で産んだ子が嫡出子として認められなかった問題を取り上げており、今後嫡出子として認められるように方針を変えていくといった千葉法相を大きく持ち上げる内容が書かれていました。この問題も内容の割にはあまり大きく報じられていない気がしたので、なかなかいいところをついているように感じました。
こんな具合で今日の朝日新聞は手放しでいい内容だったとまとめられるかと思っていたのですが、社会面にてこんな見出しの記事があるのを見て一変しました。
「こんにゃくゼリー危険度 餅に次ぐ事故頻度と推測」
当初の朝日新聞のネット配信の記事では、「こんにゃくゼリー 事故頻度、アメと同等 食品安全委」という見出しだったのですが、一体どこをどう間違えてこんな風に変わってしまったのかいろいろと残念でなりません。
いちいち説明するまでもないですが、このニュースの内容はそれぞれの食品の喉を詰まらせる頻度を分析した所、最も喉を詰まらせる食べ物が餅だとわかり、その他の食品の頻度とまとめると以下のようであったと報じられています。なおこの頻度は一億人が一口食べるとして、喉を詰まらせて窒息死する人数として計測されています。
・餅:7.6人
・アメ:2.6人
・こんにゃくゼリー:0.33人
・パン:0.25人
・肉類:0.15人
こうやって並べるとこんにゃくゼリーは喉を詰まらせない食べ物だと十分に言えそうなのですが、さすがは食品安全委員会というか、「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」という項目をわざわざ用意しており、こちらの頻度は、「最大で5.9人」であるとして、餅に次ぐ危険度だとまとめられています。
こういうのもなんですが、これは明らかな統計トリックです。私自身も過去に幾度かこの様な処理をして都合のいい統計データを出していたから言えるのですが、この調査自体がこんにゃくゼリーを悪者にしようとしてなされている可能性すらあります。
まず問題なのは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」とありますが、一体どこからどこまでをこの枠に収めているのかという定義が見当たりません。場合によっては「ゼリー状の物質」ということで固形シャーベットも含まれているかもしれませんし、第一こんにゃくゼリーの危険度を測るのであれば0.33人というデータだけで十分でこんなわけのわからない項目を用意する必要もありません。
そして極め付けが、これは朝日新聞の記事中の記述ですので答申で出したのかまではわかりませんが、「最大で5.9人」というこの記述です。最大というからには最低は一体どの程度なのか、そもそも最大と最低って結果に幅があるのかということになってしまいます。
おそらくこれは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」の項目に含める食品の適用範囲が、幾段か設けられているのかと思います。適用範囲が広けりゃ頻度も上がるのは当たり前で、そうやって幅のある統計を作っておくとイザって時にいい逃げ道になります。
そうした記事中の内容もさることながら、見出しにおいても「アメと同程度」と書くにしろ「餅に次ぐ」と書くにしろ、どちらも誤解を招きかねないようなひどい見出しです。アメの頻度が2.6人に対してこんにゃくゼリーは0.33で、どうしてこれが同程度なのか、むしろパンの0.25人の方が絶対値的に近いのではと考えさせられます。
さらに「餅に次ぐ」に至っては明らかに数値に隔たりがあり、恐らく「こんにゃく入り以外も含めたゼリー」の頻度に対して言っているのかと思いますが、それでもこの見出しだとこんにゃくゼリー単体が餅と同じくらい喉に詰まらせてしまうと普通に読んだら思うでしょう。
それにしても朝日新聞はどうして記事中の内容、執筆者は同じなのにネットと紙面で見出しを変えたのかがかえって気になります。なおこの件でネットで検索をかけたら先に読売新聞の方が引っかかり、こっちも同じ見出しですが記事の内容はさらに薄くてより悪質です。
・こんにゃく入りゼリー「餅に次ぐ窒息事故頻度」
かばうつもりではないですが、こんにゃくゼリーを販売しているマンナンライフはこんなに官民揃って叩かれるなんて、なにか恨みでも買ったのでしょうかね?
2010年1月13日水曜日
小沢一郎政治団体、家宅捜索について
すでに各所で報じられていますが、本日小沢一郎民主党幹事長の政治団体「陸山会」と鹿島建設の事務所などが、かねてより以前に購入した四億円の土地購入資金の入手経路に関する疑惑から東京地検特捜部の家宅捜索を受けました。私は小沢氏の疑惑についてある意味発端となった去年の西松建設による政治献金疑惑はそれほど問題性はないと見ていましたが、今回のこの土地購入資金の疑惑は前回に書いた「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事で書いたように私は小沢氏は政党助成金の流用を行ったと見ており、仮にそうであれば悪質性は非常に高く、今後検察に逮捕されることとなっても仕方がないと考えております。
さてこの以前の記事にて私は文芸春秋一月号の記事を引用しましたが、昨年末の天皇の特例会見問題で私は小沢氏は菊の尻尾を踏んだと評しましたが、やはりというか右翼系雑誌の文芸春秋は今月二月号においてこれでもかと言わんばかりに小沢氏への批判記事を並び立ててきました。中にはやや感情的なだけとも見れる内容も含まれているのですが、ちょうど今回の家宅捜索に関係する記事として田村建雄氏の、「消えた五箱のダンボール」という記事は非常に面白く、折角ですのでこの場にて引用、並びに紹介をしておこうと思います。
まずこの記事全体の内容ですが、ほとんどの部分は今回の小沢氏の疑惑で検察にもマークされており、すでに何度も事情聴取を受けている石川知裕民主党衆議院議員の元秘書である金沢敬氏(実名、顔写真もあり)のインタビューで作られています。この金沢氏はこのところあちこちでこの小沢氏、並びに石川氏の疑惑について証言しており、私の友人によると今日の夕方のニュースでも早速登場して語っていたそうです。
簡単にこの金沢氏のことを説明すると、この人は北海道で不動産業を営む会社社長で、自身も国会議員になりたいと思っていたことから伝手の出来た年下の石川議員の秘書となり、主に北海道で彼の活動を手伝っていたそうです。
そんな金沢氏がどのようにして今回の疑惑に関わったのかというと、去年三月に西松建設絡みの違法献金疑惑で小沢氏の周辺に捜査が及んだ際、石川氏の東京の事務所にも検察が捜査資料の押収にやってきました。その際に金沢氏は検察がやってくる前に、石川氏らとともに検察に見つかったらまずい資料をあらかじめ移動して隠す作業を手伝ったそうです。
本当に知らないのか、それとも敢えてぼかしているのかまではわかりませんが、インタビュー記事において最も重要な資料とされるものを隠した際に、以下のような会話をしたと証言しております。
「ダンボールの中には鹿島の資料も入っているし、西松建設なんか問題じゃないよな」
「西松なんて一番金額がちっちゃいんですよね」
この会話の前には見つかったらまずい名刺を抜き取る作業の場面も書かれているのですが、西松建設関係の「ナ行」とともに鹿島建設の「カ行」の名刺を中心に四、五十枚取り除いたと金沢氏は述懐しております。
こうしたことのあった後、金沢氏は結局選挙での民主党の公認が得られないことがわかり、自分が石川議員にいい金づるとして利用されているのがわかったとして袂をわかったそうなのですが、このインタビューには自分も証拠隠滅に関わったという負い目と公共の利益の観点から実名での報道に応じたとしています。
言ってることは全くわからないでもないですが、それでも私の目からするとこの金沢氏の証言は選挙での公認が得られなかった意趣返しために行っているように見えますし、またそうであれば実際にはなかったことも言って石川氏、小沢氏を敢えて不利な立場に追い込もうとする可能性も捨て切れません。ですのでこれらの証言をまるごと鵜呑みにするのは危険なのですが、西松建設絡みの捜査の時点で証言通りこれだけばたばたとしていたとなると、どうも検察は去年三月の段階で今回の鹿島建設と合わせて捜査を行っていたのではないかという気がしてきました。
またまた仮定の話ですが、もし本当にここまでの視野を初めから持って検察があの時に捜査をしていたのであれば、当時は私も国策捜査だと検察を強く批判しましたが、その認識を改めてなかなかしっかり仕事をしているのではないかと見直そうと思います。
その逆に、西松建設の件で無理やり捜査していく途中でこの鹿島の問題に気がついて今回の捜査に至ったのであれば、どうして前捜査の段階でそこまで掘れなかったのか、一度にまとめて調べることはできなかったのかとまたまた批判することになります。
どちらにしろ、さすがの小沢氏も今回はタダじゃ済まないでしょう。この一連の捜査を鳩山首相が裏で支持しているのであれば、いろんな意味で楽しいのですが。
最後に、引用ばかりして私も負い目を感じるので、この記事で興味をもたれた方は是非今月の文芸春秋を購入して元の記事を読んでくださいo(_ _)o
さてこの以前の記事にて私は文芸春秋一月号の記事を引用しましたが、昨年末の天皇の特例会見問題で私は小沢氏は菊の尻尾を踏んだと評しましたが、やはりというか右翼系雑誌の文芸春秋は今月二月号においてこれでもかと言わんばかりに小沢氏への批判記事を並び立ててきました。中にはやや感情的なだけとも見れる内容も含まれているのですが、ちょうど今回の家宅捜索に関係する記事として田村建雄氏の、「消えた五箱のダンボール」という記事は非常に面白く、折角ですのでこの場にて引用、並びに紹介をしておこうと思います。
まずこの記事全体の内容ですが、ほとんどの部分は今回の小沢氏の疑惑で検察にもマークされており、すでに何度も事情聴取を受けている石川知裕民主党衆議院議員の元秘書である金沢敬氏(実名、顔写真もあり)のインタビューで作られています。この金沢氏はこのところあちこちでこの小沢氏、並びに石川氏の疑惑について証言しており、私の友人によると今日の夕方のニュースでも早速登場して語っていたそうです。
簡単にこの金沢氏のことを説明すると、この人は北海道で不動産業を営む会社社長で、自身も国会議員になりたいと思っていたことから伝手の出来た年下の石川議員の秘書となり、主に北海道で彼の活動を手伝っていたそうです。
そんな金沢氏がどのようにして今回の疑惑に関わったのかというと、去年三月に西松建設絡みの違法献金疑惑で小沢氏の周辺に捜査が及んだ際、石川氏の東京の事務所にも検察が捜査資料の押収にやってきました。その際に金沢氏は検察がやってくる前に、石川氏らとともに検察に見つかったらまずい資料をあらかじめ移動して隠す作業を手伝ったそうです。
本当に知らないのか、それとも敢えてぼかしているのかまではわかりませんが、インタビュー記事において最も重要な資料とされるものを隠した際に、以下のような会話をしたと証言しております。
「ダンボールの中には鹿島の資料も入っているし、西松建設なんか問題じゃないよな」
「西松なんて一番金額がちっちゃいんですよね」
この会話の前には見つかったらまずい名刺を抜き取る作業の場面も書かれているのですが、西松建設関係の「ナ行」とともに鹿島建設の「カ行」の名刺を中心に四、五十枚取り除いたと金沢氏は述懐しております。
こうしたことのあった後、金沢氏は結局選挙での民主党の公認が得られないことがわかり、自分が石川議員にいい金づるとして利用されているのがわかったとして袂をわかったそうなのですが、このインタビューには自分も証拠隠滅に関わったという負い目と公共の利益の観点から実名での報道に応じたとしています。
言ってることは全くわからないでもないですが、それでも私の目からするとこの金沢氏の証言は選挙での公認が得られなかった意趣返しために行っているように見えますし、またそうであれば実際にはなかったことも言って石川氏、小沢氏を敢えて不利な立場に追い込もうとする可能性も捨て切れません。ですのでこれらの証言をまるごと鵜呑みにするのは危険なのですが、西松建設絡みの捜査の時点で証言通りこれだけばたばたとしていたとなると、どうも検察は去年三月の段階で今回の鹿島建設と合わせて捜査を行っていたのではないかという気がしてきました。
またまた仮定の話ですが、もし本当にここまでの視野を初めから持って検察があの時に捜査をしていたのであれば、当時は私も国策捜査だと検察を強く批判しましたが、その認識を改めてなかなかしっかり仕事をしているのではないかと見直そうと思います。
その逆に、西松建設の件で無理やり捜査していく途中でこの鹿島の問題に気がついて今回の捜査に至ったのであれば、どうして前捜査の段階でそこまで掘れなかったのか、一度にまとめて調べることはできなかったのかとまたまた批判することになります。
どちらにしろ、さすがの小沢氏も今回はタダじゃ済まないでしょう。この一連の捜査を鳩山首相が裏で支持しているのであれば、いろんな意味で楽しいのですが。
最後に、引用ばかりして私も負い目を感じるので、この記事で興味をもたれた方は是非今月の文芸春秋を購入して元の記事を読んでくださいo(_ _)o
2010年1月12日火曜日
世代別ストライキ案について
昨日昔からの友人と会ってきましたが、その友人と現代における若者の苦境について簡単に意見を交わしてきました。これはその友人に限らずうちの親父にもよく言っていることなのですが、どうして我々二十代のいわゆるロストジェネレーションは上の世代に反抗しないのか、返って不思議だとその時も話題に出てきました。
すでにいくつかの統計で出ていますが、同じ年収でも現在の三十代の平均年収は十年前の三十代と比較すると数百万円(二百万円だったかな?)も下回るそうです。また現代の若者の勤労時間の増大も計り知れず、私も直接話を聞く範囲でもどうしてそれでやっていけるのか不思議に思えるくらい働かされているのも数多く、これでどうしてうつ病にならないのかと思ってしまうほどです。
もちろん我々若者の側も上の世代に文句言われても仕方のないところも多少はあるかと思いますが、私はそれでも現代の若者は過去かつてないほど虐げられている世代なのではないかという気がします。にもかかわらず、私も含めてですが若者がこれという運動なり抗議なりを直接の行動で示さないというのが不思議に感じるわけです。まぁそれが今の若者が「覇気がない」、「無気力だ」と言われる所以だと言われたら、言い返す言葉もないのですが。
ではどうして我々若者は行動を起こさないのか、一つの原因としてその友人との会話で挙がってきたのは確たるリーダーがいないからではという意見でした。こうした若者の貧困や失業問題について強く主張しているのとなると、実際に比較的年齢が低い世代では雨宮処凛氏くらいしか出てこず、後はもう五十代や六十代の大学教授や評論家となってしまいます。
なにかこう若者をまとめ上げる確たるリーダーがいないため、行動一つ起こすにしても個人がバラバラにやっていて全然見えてこないのではと私と友人は話し合ったわけですが、実際にこういっている自分こそ集団行動がありえないほど苦手で、こういった「集団より個人を好む」という我々の世代の性格も影響しているのかもしれません。では仮にリーダを祭り上げるとしたら誰がいいとなり、
「リーダー言うたらTOKIOの城島やん」
「城島ももうええ年やで」
「ええやん、奈良代表やんけ」
「奈良かー。ほなしゃあないな」
というわけのわからない会話をしました。
そうしたことは置いといて、同じ会話にて具体的に行動するとしたらということで私が出したのが、表題にある「世代別ストライキ」です。
具体的に今の我々の世代で何が問題なのかというと、どこの企業でも同年代の社員数が非常に少ない一方で上の世代は大量におり、部下はいないのに上司がたくさんいるという首根っこが掴まれた状態なのが問題だと常々私は思っていました。何気にタイミングよくいい図があるので、下記のリンク先が非常に参考になるかと思います。
・JR西日本の年齢構成(アルファルファモザイク)
また非正社員の問題も同じ構造で、基本的に雑務から営業の前線など、下働きと言われるような仕事をずっとやらされる一方で上の世代がたくさんいるせいで出世もできないという悪循環がこうした年齢構造から生まれているのではないかと思います。言ってしまえば、いつも上の世代にとやかく言われるが俺達若者が下支えしなかったらお前らなんにもできなくなるんだぞ、って言うのを実は前から見せ付けてやりたいと思っていました。
では具体的にどうすればいいのかというと、そこで私が考えたのが世代別ストライキこと、全業種において40歳以下の社員、パート職員、バイトが一斉に仕事を休んでみてはどうかと思ったわけです。いわば若者のうちしか出来ないストライキですが、ロストジェネレーション世代が如何に社会の底辺を支えて、また裏返して言うならどれだけその貢献を上の世代に奪われているのかをはっきりと世に知らしめるにはいい案なのではないかと考えたわけです。
もちろんそんなのうまくいくわけではないと思いますが、なにかものを考えるきっかけになればと思って一応このブログでも書いておくことにしました。
すでにいくつかの統計で出ていますが、同じ年収でも現在の三十代の平均年収は十年前の三十代と比較すると数百万円(二百万円だったかな?)も下回るそうです。また現代の若者の勤労時間の増大も計り知れず、私も直接話を聞く範囲でもどうしてそれでやっていけるのか不思議に思えるくらい働かされているのも数多く、これでどうしてうつ病にならないのかと思ってしまうほどです。
もちろん我々若者の側も上の世代に文句言われても仕方のないところも多少はあるかと思いますが、私はそれでも現代の若者は過去かつてないほど虐げられている世代なのではないかという気がします。にもかかわらず、私も含めてですが若者がこれという運動なり抗議なりを直接の行動で示さないというのが不思議に感じるわけです。まぁそれが今の若者が「覇気がない」、「無気力だ」と言われる所以だと言われたら、言い返す言葉もないのですが。
ではどうして我々若者は行動を起こさないのか、一つの原因としてその友人との会話で挙がってきたのは確たるリーダーがいないからではという意見でした。こうした若者の貧困や失業問題について強く主張しているのとなると、実際に比較的年齢が低い世代では雨宮処凛氏くらいしか出てこず、後はもう五十代や六十代の大学教授や評論家となってしまいます。
なにかこう若者をまとめ上げる確たるリーダーがいないため、行動一つ起こすにしても個人がバラバラにやっていて全然見えてこないのではと私と友人は話し合ったわけですが、実際にこういっている自分こそ集団行動がありえないほど苦手で、こういった「集団より個人を好む」という我々の世代の性格も影響しているのかもしれません。では仮にリーダを祭り上げるとしたら誰がいいとなり、
「リーダー言うたらTOKIOの城島やん」
「城島ももうええ年やで」
「ええやん、奈良代表やんけ」
「奈良かー。ほなしゃあないな」
というわけのわからない会話をしました。
そうしたことは置いといて、同じ会話にて具体的に行動するとしたらということで私が出したのが、表題にある「世代別ストライキ」です。
具体的に今の我々の世代で何が問題なのかというと、どこの企業でも同年代の社員数が非常に少ない一方で上の世代は大量におり、部下はいないのに上司がたくさんいるという首根っこが掴まれた状態なのが問題だと常々私は思っていました。何気にタイミングよくいい図があるので、下記のリンク先が非常に参考になるかと思います。
・JR西日本の年齢構成(アルファルファモザイク)
また非正社員の問題も同じ構造で、基本的に雑務から営業の前線など、下働きと言われるような仕事をずっとやらされる一方で上の世代がたくさんいるせいで出世もできないという悪循環がこうした年齢構造から生まれているのではないかと思います。言ってしまえば、いつも上の世代にとやかく言われるが俺達若者が下支えしなかったらお前らなんにもできなくなるんだぞ、って言うのを実は前から見せ付けてやりたいと思っていました。
では具体的にどうすればいいのかというと、そこで私が考えたのが世代別ストライキこと、全業種において40歳以下の社員、パート職員、バイトが一斉に仕事を休んでみてはどうかと思ったわけです。いわば若者のうちしか出来ないストライキですが、ロストジェネレーション世代が如何に社会の底辺を支えて、また裏返して言うならどれだけその貢献を上の世代に奪われているのかをはっきりと世に知らしめるにはいい案なのではないかと考えたわけです。
もちろんそんなのうまくいくわけではないと思いますが、なにかものを考えるきっかけになればと思って一応このブログでも書いておくことにしました。
都会と田舎の時間速度の違い
実に三ヶ月ぶりに「時間の概念」のカテゴリー記事です。始めたはいいけど北京留学記の記事の連載と掛け持ちだとやっぱり大変で、ひとまず留学記を終えてから再開しようかと思っていたら最後の記事からもう三ヶ月も経ってしまいました。いくらなんでも、いい加減な計画だったと反省しきりです。
ただ元々このカテゴリーの記事は内容的にあまり連関は少なくなく、今日のこの記事から読んでもあまり影響はないかと思います。ただこれまでの記事は単体でも我ながらよく出来ていると思うので、興味があれば上記のリンクから読み返していただけると幸いです。
それでは本題に入りますが、よく「田舎に帰ると時間がゆっくりと流れる」という呟きを日常で聞くことはないでしょうか。私自身もお袋の実家の鹿児島県に帰るとやはり同じように感じ、同じ一時間でも関東での生活と比べると随分と長く感じてしまいますし、実際に周りに聞いても同じような返事が返ってきます。
では都会での生活より田舎での生活の方が時間が長く感じると仮定した上で一体どうしてそのような時間間隔に差が生まれるのか、もったいぶらずに考えられるその要因を明かすと、私はまず雑音の量や大きさが大きく影響しているかと思います。
雑音、というよりも最近の日本語だと「ノイズ」と表現することが増えていますが、これがどうして時間間隔に影響を及ぼすのかという、ひとつこの様な状況を連想してみてください。ある場所で友人が帰ってくるまで30分ほど待たなければならないとして、車や人が激しく往来する雑踏の中で待つのと、人どころか獣も通らないような山道で一人ぽつんと待ち続けるのとでは一体どちらの方がその30分間という絶対時間を長く感じるでしょうか。あくまで私の感覚ですが、私は後者の方が圧倒的に長く感じるかと思います。
またここまで極端な例をとらなくとも、外から雑音が入ってくる部屋と完全に防音が保たれる部屋とで同じ十分間椅子に座っているのを比べれば、感覚的には何も音が聞こえない部屋で座っている方が長く感じるのではないかと思います。出来ればこういう実験を100人単位くらいでやってみたいところですが、どこかやってないかな。
この様にいろいろ比較してみると、雑音があるかないかで同じ一分や一時間に感じる長さの間隔が変わってくるのではないかという気がしてきます。またこれまた私の体験談ですが、同じ勉強をするにしても静かな図書室でやるのと音楽を聞きながらやるのとではなんとなく勉強した時間が違ってくるような気もします。
私が思うにこれらの感覚の差異は、一つのものに集中するか複数のものに集中するか、ということから来るのではないかと思います。
雑音が聞こえない環境で勉強をする場合、その本人が横着しないことを前提にすればその意識は勉強科目へ集中して注がれます。それに対して音楽を聴いたり、雑音の入る環境ではよっぽど周りを気にせずに出来る人以外は勉強科目とともに耳に入ってくる情報こと雑音、なんだったら車の音とか人の咳の音とかに意識が分散してしまいます。
もしそういった周囲の雑音が時間感覚に影響するとこれまた仮定すると、私の解釈では意識の集中対象の数がそれら時間間隔に影響を与えているのではないかと考えます。例えば意識が向かう対象が少なければ時間はゆっくりと感じられ、逆にたくさん雑音があったり道路を走ったりする車に注意しなければならないなど、意識する対象が多い環境では時間が早く流れるように感じる……といった具合で。
都会と田舎の時間間隔の違いは、恐らくここにあるのではないかと思います。もちろん大分以前の「社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編」にて私は、「物事が変化するのを見て初めて時間の流れを感じる」という一つの定義を出しましたが、建築物や人の流れの変化の量も都会と田舎では雲泥の差があり、そうしたものもそれぞれの時間間隔に影響を与えているというのも非常に大きいでしょうが。
ただこの記事ではそうした変化量の度合いは小さく扱い、都会と田舎を引き合いに出して敢えて雑音というものを大きく取り上げました。今の私はいちおう都市部に居住していますが、やはりこういったところで生活していると一切無音になる時間が非常に少なく感じます。逆に以前に京都に住んでいた頃は一つ辻を曲がると昼間でもどこも驚くくらいに閑静になり、下宿にいた頃も夜なんか街灯が少なくて真っ暗な上に無音なもんだから、恐いくらいに夜の時間が長く感じることが出来ました。私の友人などは逆にその夜が長いのが辛かったらしく、夜な夜な町内を徘徊して立ち読みの常習犯としてその名を轟かせていましたが……。
最後に次回への引きとして、この記事で私は、「一つのものに集中するか複数のものに集中するか」が時間間隔を左右するとして、集中の対象が少なければ時間は長く感じるのではと書きましたが、恐らくこれを読んで、「でも時間を忘れるくらいに何か一つに集中するとも言わない?(・д・)」、という風に思った型もいるのではないかと思います。事実私もそう思いますし、集中対象が一つでも時間を短く感じることも少なくないと思います。
ではそうしたことは何故起こるのか、次回はその集中対象と集中度の関連について算数的な話を書こうと思います。
ただ元々このカテゴリーの記事は内容的にあまり連関は少なくなく、今日のこの記事から読んでもあまり影響はないかと思います。ただこれまでの記事は単体でも我ながらよく出来ていると思うので、興味があれば上記のリンクから読み返していただけると幸いです。
それでは本題に入りますが、よく「田舎に帰ると時間がゆっくりと流れる」という呟きを日常で聞くことはないでしょうか。私自身もお袋の実家の鹿児島県に帰るとやはり同じように感じ、同じ一時間でも関東での生活と比べると随分と長く感じてしまいますし、実際に周りに聞いても同じような返事が返ってきます。
では都会での生活より田舎での生活の方が時間が長く感じると仮定した上で一体どうしてそのような時間間隔に差が生まれるのか、もったいぶらずに考えられるその要因を明かすと、私はまず雑音の量や大きさが大きく影響しているかと思います。
雑音、というよりも最近の日本語だと「ノイズ」と表現することが増えていますが、これがどうして時間間隔に影響を及ぼすのかという、ひとつこの様な状況を連想してみてください。ある場所で友人が帰ってくるまで30分ほど待たなければならないとして、車や人が激しく往来する雑踏の中で待つのと、人どころか獣も通らないような山道で一人ぽつんと待ち続けるのとでは一体どちらの方がその30分間という絶対時間を長く感じるでしょうか。あくまで私の感覚ですが、私は後者の方が圧倒的に長く感じるかと思います。
またここまで極端な例をとらなくとも、外から雑音が入ってくる部屋と完全に防音が保たれる部屋とで同じ十分間椅子に座っているのを比べれば、感覚的には何も音が聞こえない部屋で座っている方が長く感じるのではないかと思います。出来ればこういう実験を100人単位くらいでやってみたいところですが、どこかやってないかな。
この様にいろいろ比較してみると、雑音があるかないかで同じ一分や一時間に感じる長さの間隔が変わってくるのではないかという気がしてきます。またこれまた私の体験談ですが、同じ勉強をするにしても静かな図書室でやるのと音楽を聞きながらやるのとではなんとなく勉強した時間が違ってくるような気もします。
私が思うにこれらの感覚の差異は、一つのものに集中するか複数のものに集中するか、ということから来るのではないかと思います。
雑音が聞こえない環境で勉強をする場合、その本人が横着しないことを前提にすればその意識は勉強科目へ集中して注がれます。それに対して音楽を聴いたり、雑音の入る環境ではよっぽど周りを気にせずに出来る人以外は勉強科目とともに耳に入ってくる情報こと雑音、なんだったら車の音とか人の咳の音とかに意識が分散してしまいます。
もしそういった周囲の雑音が時間感覚に影響するとこれまた仮定すると、私の解釈では意識の集中対象の数がそれら時間間隔に影響を与えているのではないかと考えます。例えば意識が向かう対象が少なければ時間はゆっくりと感じられ、逆にたくさん雑音があったり道路を走ったりする車に注意しなければならないなど、意識する対象が多い環境では時間が早く流れるように感じる……といった具合で。
都会と田舎の時間間隔の違いは、恐らくここにあるのではないかと思います。もちろん大分以前の「社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編」にて私は、「物事が変化するのを見て初めて時間の流れを感じる」という一つの定義を出しましたが、建築物や人の流れの変化の量も都会と田舎では雲泥の差があり、そうしたものもそれぞれの時間間隔に影響を与えているというのも非常に大きいでしょうが。
ただこの記事ではそうした変化量の度合いは小さく扱い、都会と田舎を引き合いに出して敢えて雑音というものを大きく取り上げました。今の私はいちおう都市部に居住していますが、やはりこういったところで生活していると一切無音になる時間が非常に少なく感じます。逆に以前に京都に住んでいた頃は一つ辻を曲がると昼間でもどこも驚くくらいに閑静になり、下宿にいた頃も夜なんか街灯が少なくて真っ暗な上に無音なもんだから、恐いくらいに夜の時間が長く感じることが出来ました。私の友人などは逆にその夜が長いのが辛かったらしく、夜な夜な町内を徘徊して立ち読みの常習犯としてその名を轟かせていましたが……。
最後に次回への引きとして、この記事で私は、「一つのものに集中するか複数のものに集中するか」が時間間隔を左右するとして、集中の対象が少なければ時間は長く感じるのではと書きましたが、恐らくこれを読んで、「でも時間を忘れるくらいに何か一つに集中するとも言わない?(・д・)」、という風に思った型もいるのではないかと思います。事実私もそう思いますし、集中対象が一つでも時間を短く感じることも少なくないと思います。
ではそうしたことは何故起こるのか、次回はその集中対象と集中度の関連について算数的な話を書こうと思います。
2010年1月11日月曜日
このブログを二年間やってきて
まず最初にちょっと違和感を覚えた時事通信社のニュースがあったので、それについて一言書いておきます。
・小沢氏側に23億円移動=新生、自由党解散時に-多額の公金流入(時事通信)
この記事の何が問題なのかと言うと、書いてある内容というのが私が「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」で紹介した文芸春秋一月号に書かれている松田賢弥氏の記事そのまんまだということです。特に自分でこれという取材をした、新たな事実がわかったという痕跡もなく、一ヶ月前にすでに同内容を報じている松田氏の文芸春秋の記事を伏せてこの様な記事をさも自分達が得たニュースかのように見せるこの書き方には、あなた方に記者としてプライドはないのかと強く言いたいです。
これまた私が前回に書いた「菅直人氏の財務相就任について」の記事にて突っ込んだ「藤井財務相続投」と伝えた誤報といい、時事通信社の政治部は一体どうしているのか疑わしいものです。
そうしたことは置いといて、そろそろ本題に入ります。
この陽月秘話は2007年の12月からスタートしており、先月までで実質二年間、ほぼ毎日一本記事を書きながら続けて来れました。当初は二、三日に一本くらいでいいものかと思っていましたが元から文章を打つことにそれほど苦労を感じないので、気がついたら習慣の様になってこのペースを維持して来れました。
ただこの一日一本のペースにはちょっと迷いもあり、毎日一本ずつ書くことでリアルタイムで時事解説などを行える一方で、ネットでの簡単な調査をやった上での世相分析のような記事が書き辛くなっております。現在でも休日とかにそういったものをいくつか取り扱っておりますが、それでもこう細かく記事をアップするよりも内容のしっかりした記事を隔日で出す方がいいのではないかとも以前から感じており、それを考える上で更新回数についてどう思うのかというアンケートを本店に作った所、現在まで4票すべてが「普通」と書かれて、なんかどうしようもないなと感じてしまいました。まぁこのアンケートは「多すぎる」、「普通」、「少なすぎる」の三択で聞き方が悪かった気がしますが。
アクセス数については現在の所、本店の方では30人強、出張所の方では50人前後の方に毎日アクセスしてもらえて書いている側として非常にありがたいのですが、なんていうか本店が出張所に追い抜かれるとは最初は想像もしておりませんでした。恐らく原因はグーグルなどの検索サイトの検索で、自分でもいろいろなトピックスで検索を掛けているのですが、このところは同じ話題でも本店より出張所が引っかかりやすくなっており、リピーターはともかく新規アクセス者の差がこの差を生んだものかと見ております。
本音を言えばこれだけ毎日書いているんだし、内容もそこそこ面白いのではと自負する記事もいくつかあるのでもう少し伸びてくれないものかといつも思うのですが、そこらへんはやっぱり思うようには行かないものです。とはいえこれだけ堅い内容でだらだらとした文章でも、リピーターが何人かついてもらえるかだけでも本当にありがたく思えます。
そうした中、去年一年で一つの手ごたえを掴んだと言うか、ちゃんと書き続けていればそれなりに評価してもらえるのだというような確信を得ることは出来ました。その理由というのも過去の記事でも書いていますがどこかのサイトで紹介してもらったのか、「日本の法人税は本当に高いのか」の記事が書いてから約一年も経っているにもかかわらず去年の十月にやけにヒットし、下記の掲示板にて議論の対象となったからです。
・はてなブックマーク
・コッソリアンケートβ
書いた本人に言わせると、この記事は「新聞赤旗」さんの記事の引用でそれにプラスαこと経団連の悪口かいただけで、こんなのでアクセスを増やすというのには内心悪いような気がしたのですが、この記事でこれだけアクセスが増えるのであれば、もっといい分析の行えている記事も時間が経つことによって評価されるのではないかと前向きに思えるようになりました。
おかげさまでこの記事は「ガジェット通信」さんにも取り上げてもらえましたが、まぁまた本音を書くとこんなのよりももっと他の記事を取り上げてくれよという気持ちもありましたが……。
こんな具合で手ごたえを得る一方、当初は連動して運営するつもりだったホームページサイトの「陽月旦」を放置することになってしまったのは我ながら残念です。言い訳をするとデータ管理が非常に面倒で、総理や総裁など役職が変わる度にいちいち人物項の記載を直さなければならず、また私自身がhtmlに慣れていないのもあってなかなか集中して作れなかったのが失敗要因です。もう少しマクロを勉強したらどうにかなるかもしれないけど、再開はまだまだ未定です。
あとこれも企画倒れになるかもしれませんが、そろそろ隠れた本願であった小説をこれまた専門のブログを新たに作って書いていこうかなとも計画中です。元々私はこういう政治、社会問題の分析よりも小説が書きたいとずっと考えており、こっちの更新を減らして小説の連載もやっていくべきかと現在悩んでおります。ただ私は日本語のリズムは縦書きでなければ表現しきれないとも考えており、htmlの制約からくる横書きでまともな小説が書けるのか、そうした問題も未だ抱えております。
ひとまず実験的に何か短編でも書いてアップしてみようかと思いますが、この三連休はちょっと調子が悪くてブログ自体の文章も張りがないので、それもいつになることやらと先が思いやられる始末です。
・小沢氏側に23億円移動=新生、自由党解散時に-多額の公金流入(時事通信)
この記事の何が問題なのかと言うと、書いてある内容というのが私が「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」で紹介した文芸春秋一月号に書かれている松田賢弥氏の記事そのまんまだということです。特に自分でこれという取材をした、新たな事実がわかったという痕跡もなく、一ヶ月前にすでに同内容を報じている松田氏の文芸春秋の記事を伏せてこの様な記事をさも自分達が得たニュースかのように見せるこの書き方には、あなた方に記者としてプライドはないのかと強く言いたいです。
これまた私が前回に書いた「菅直人氏の財務相就任について」の記事にて突っ込んだ「藤井財務相続投」と伝えた誤報といい、時事通信社の政治部は一体どうしているのか疑わしいものです。
そうしたことは置いといて、そろそろ本題に入ります。
この陽月秘話は2007年の12月からスタートしており、先月までで実質二年間、ほぼ毎日一本記事を書きながら続けて来れました。当初は二、三日に一本くらいでいいものかと思っていましたが元から文章を打つことにそれほど苦労を感じないので、気がついたら習慣の様になってこのペースを維持して来れました。
ただこの一日一本のペースにはちょっと迷いもあり、毎日一本ずつ書くことでリアルタイムで時事解説などを行える一方で、ネットでの簡単な調査をやった上での世相分析のような記事が書き辛くなっております。現在でも休日とかにそういったものをいくつか取り扱っておりますが、それでもこう細かく記事をアップするよりも内容のしっかりした記事を隔日で出す方がいいのではないかとも以前から感じており、それを考える上で更新回数についてどう思うのかというアンケートを本店に作った所、現在まで4票すべてが「普通」と書かれて、なんかどうしようもないなと感じてしまいました。まぁこのアンケートは「多すぎる」、「普通」、「少なすぎる」の三択で聞き方が悪かった気がしますが。
アクセス数については現在の所、本店の方では30人強、出張所の方では50人前後の方に毎日アクセスしてもらえて書いている側として非常にありがたいのですが、なんていうか本店が出張所に追い抜かれるとは最初は想像もしておりませんでした。恐らく原因はグーグルなどの検索サイトの検索で、自分でもいろいろなトピックスで検索を掛けているのですが、このところは同じ話題でも本店より出張所が引っかかりやすくなっており、リピーターはともかく新規アクセス者の差がこの差を生んだものかと見ております。
本音を言えばこれだけ毎日書いているんだし、内容もそこそこ面白いのではと自負する記事もいくつかあるのでもう少し伸びてくれないものかといつも思うのですが、そこらへんはやっぱり思うようには行かないものです。とはいえこれだけ堅い内容でだらだらとした文章でも、リピーターが何人かついてもらえるかだけでも本当にありがたく思えます。
そうした中、去年一年で一つの手ごたえを掴んだと言うか、ちゃんと書き続けていればそれなりに評価してもらえるのだというような確信を得ることは出来ました。その理由というのも過去の記事でも書いていますがどこかのサイトで紹介してもらったのか、「日本の法人税は本当に高いのか」の記事が書いてから約一年も経っているにもかかわらず去年の十月にやけにヒットし、下記の掲示板にて議論の対象となったからです。
・はてなブックマーク
・コッソリアンケートβ
書いた本人に言わせると、この記事は「新聞赤旗」さんの記事の引用でそれにプラスαこと経団連の悪口かいただけで、こんなのでアクセスを増やすというのには内心悪いような気がしたのですが、この記事でこれだけアクセスが増えるのであれば、もっといい分析の行えている記事も時間が経つことによって評価されるのではないかと前向きに思えるようになりました。
おかげさまでこの記事は「ガジェット通信」さんにも取り上げてもらえましたが、まぁまた本音を書くとこんなのよりももっと他の記事を取り上げてくれよという気持ちもありましたが……。
こんな具合で手ごたえを得る一方、当初は連動して運営するつもりだったホームページサイトの「陽月旦」を放置することになってしまったのは我ながら残念です。言い訳をするとデータ管理が非常に面倒で、総理や総裁など役職が変わる度にいちいち人物項の記載を直さなければならず、また私自身がhtmlに慣れていないのもあってなかなか集中して作れなかったのが失敗要因です。もう少しマクロを勉強したらどうにかなるかもしれないけど、再開はまだまだ未定です。
あとこれも企画倒れになるかもしれませんが、そろそろ隠れた本願であった小説をこれまた専門のブログを新たに作って書いていこうかなとも計画中です。元々私はこういう政治、社会問題の分析よりも小説が書きたいとずっと考えており、こっちの更新を減らして小説の連載もやっていくべきかと現在悩んでおります。ただ私は日本語のリズムは縦書きでなければ表現しきれないとも考えており、htmlの制約からくる横書きでまともな小説が書けるのか、そうした問題も未だ抱えております。
ひとまず実験的に何か短編でも書いてアップしてみようかと思いますが、この三連休はちょっと調子が悪くてブログ自体の文章も張りがないので、それもいつになることやらと先が思いやられる始末です。
2010年1月10日日曜日
組織の腐敗とは
以前に組織論と称して、集団を大中小それぞれに区分した上でどのような構成が最も効率的に活動できるのか等をいろいろ考えていたことがありました。別に社会学の定義を出さなくとも、大体5人以上の構成員を持った集団ができるとその5人の思考や人格とは別に集団という独立した擬似人格というものが生まれ、そういったものを社会学や集団心理学は取り扱うのである意味専門にあったことを構想していたと思えます。
もちろん集団を如何に機能的にするかはその集団がどのような目的を持っていてどのような状況にいるかによって変わるので一概に言い切れるものはないのですが、唯一と言っていいくらい言い切れる法則として、比較的大規模な組織は基本的に腐敗していくものだと考えました。
たとえ組織の結成当初はどれだけ崇高な志を持って結成されていたとしても、またその精神を綱領なり憲法にて書いておいたとしても、組織ごとに速度に差はあってもいつかは腐敗して汚職や不正行為といったような本来の目的とはかけ離れた行動を取るようになると言えると思います。日本政府の官僚組織を引き合いに出すまでもなくソ連や中国共産党、日本の仏教は奈良時代や平安時代に結構好き勝手やったやんちゃな時期を終えているのか現代では大分大人しくなりましたが。
ではこの組織の腐敗化を根絶できないにしても、いかにすればその腐敗するのを抑えて高いモラルを保てるのか、いわば組織に対する防腐剤のような手段はないのかですが、いろいろあるでしょうが敢えて最も効率のいいものを私が挙げるとしたら、換骨奪胎こと組織の外見を維持して中身を挿げ替える手段が唯一の方法ではないかと思います。言うなれば、名前だけ残して古い組織を潰し、新しい組織に変えてしまうというやり方です。
そのように中身がすげ変わった代表的な組織をいくつか歴史上の中で取り上げると、まずは日本の鎌倉幕府でしょう。当初は源頼朝の専制色の強かった武士団でしたが、頼朝の死後に彼の子である頼家と実朝が早くに亡くなると有力御家人の合議制へと変わり、さらには北条義時と政子の活動によって三代目執権の北条泰時の題に至って再び執権による専制色の強い組織へと舞い戻っております。
はっきり言って鎌倉幕府は設立してまもなく起こった天皇家の巻き返しこと承久の乱の際は非常にピンチでしたが、最初の合議制の移行が比較的うまくいったために乗り切れた感があります。
この様な組織の中身が入れ替わると言う事例は何も昔に限らず現代でも起きており、また一例を出すと元松下電器こと現パナソニックなんかその例だと思います。
松下は失われた十年末期に深刻な経営不振に陥り、その際に社長に就任した中村邦夫氏(現会長)がドラスティックな改革を行い、見事経営を立て直しました。なおその際の社内改革は苛烈を極め、当時から中村氏は「幸之助精神の破壊者」と呼ばれていました。そして実際に人伝に聞くと現在のパナソニックはすっかり以前とは社風が変わり、松下幸之助の会社であった松下電器は中村邦夫のパナソニックに名前だけでなく組織全体が変わったと評されております。それがいいかどうかは別として。
もちろん集団を如何に機能的にするかはその集団がどのような目的を持っていてどのような状況にいるかによって変わるので一概に言い切れるものはないのですが、唯一と言っていいくらい言い切れる法則として、比較的大規模な組織は基本的に腐敗していくものだと考えました。
たとえ組織の結成当初はどれだけ崇高な志を持って結成されていたとしても、またその精神を綱領なり憲法にて書いておいたとしても、組織ごとに速度に差はあってもいつかは腐敗して汚職や不正行為といったような本来の目的とはかけ離れた行動を取るようになると言えると思います。日本政府の官僚組織を引き合いに出すまでもなくソ連や中国共産党、日本の仏教は奈良時代や平安時代に結構好き勝手やったやんちゃな時期を終えているのか現代では大分大人しくなりましたが。
ではこの組織の腐敗化を根絶できないにしても、いかにすればその腐敗するのを抑えて高いモラルを保てるのか、いわば組織に対する防腐剤のような手段はないのかですが、いろいろあるでしょうが敢えて最も効率のいいものを私が挙げるとしたら、換骨奪胎こと組織の外見を維持して中身を挿げ替える手段が唯一の方法ではないかと思います。言うなれば、名前だけ残して古い組織を潰し、新しい組織に変えてしまうというやり方です。
そのように中身がすげ変わった代表的な組織をいくつか歴史上の中で取り上げると、まずは日本の鎌倉幕府でしょう。当初は源頼朝の専制色の強かった武士団でしたが、頼朝の死後に彼の子である頼家と実朝が早くに亡くなると有力御家人の合議制へと変わり、さらには北条義時と政子の活動によって三代目執権の北条泰時の題に至って再び執権による専制色の強い組織へと舞い戻っております。
はっきり言って鎌倉幕府は設立してまもなく起こった天皇家の巻き返しこと承久の乱の際は非常にピンチでしたが、最初の合議制の移行が比較的うまくいったために乗り切れた感があります。
この様な組織の中身が入れ替わると言う事例は何も昔に限らず現代でも起きており、また一例を出すと元松下電器こと現パナソニックなんかその例だと思います。
松下は失われた十年末期に深刻な経営不振に陥り、その際に社長に就任した中村邦夫氏(現会長)がドラスティックな改革を行い、見事経営を立て直しました。なおその際の社内改革は苛烈を極め、当時から中村氏は「幸之助精神の破壊者」と呼ばれていました。そして実際に人伝に聞くと現在のパナソニックはすっかり以前とは社風が変わり、松下幸之助の会社であった松下電器は中村邦夫のパナソニックに名前だけでなく組織全体が変わったと評されております。それがいいかどうかは別として。
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