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2016年9月8日木曜日

中国の火砲の運用史

 ちょっとブログ記事で洩らしたところコメント欄でリクエストを求められたので、中国の火砲の運用史について昨夜の一夜漬けの成果をお見せします。

 まずそもそも火砲の定義とは何なのかですが、現在では一般的に「大砲」と同義とされています。ただ火器全般のことを「砲」とも呼び、また広義的には「火薬を使った兵器」とも言えるので、今回の記事では近代的な大砲はそれほど取り扱わずに火薬の発明からそれを用いたごく初期の火薬兵器についてその発展段階を追います。

<火薬の発明>
 まずそもそもの火薬ですが、これは中国四大発明に加えられるほど画期的なもので中国発祥であることは間違いありません。ただ発明時期とその瞬間については諸説あり、時期に関しては大体6~7世紀頃とされ(その時代の資料に火薬らしい物品の説明が登場する)、どうやって発明されたかについては説がたくさん分かれているものの、薬剤師が自前の薬を練っている最中に偶然発見した、っていうか急にパンって破裂してビビったというエピソードが個人的に好きだしありそうな気がします。

<それは爆竹から始まった>
 発明された直後はまだ生産量も少なく品質も悪かったためか民用はおろか軍用にもほとんど使用されなかったものの、大体10世紀の宋の時代辺りから徐々に軍事用途として活用が広がっていきました。ではこの時代の中国でどのように火薬が兵器として使われたのかというと、結論から言ってしまうと当初は爆竹として用いられたもようです。

火槍(Wikipedia)

 この時代の火薬兵器は決して冗談でもなく紛れもない爆竹で、竹筒の中に紙で撒いた火薬を仕込み槍の先につけ、敵に突き出したところで破裂させるというまさに爆竹そのものでした。目の前で破裂させてどないすんねんとツッコミが来そうですが殺傷目的というよりは音響による威嚇目的としての意味合いが強く、使用場所も城壁を登ってくる兵に向かって使ったりしたほか、北から馬に乗ってやってくる異民族の軍団に対してその乗っている馬を驚かす目的で使うことが多かったそうです。
 一応、中には物を詰めることで爆発共に発射させて殺傷する兵器もあったそうですが、火薬を詰める竹が構造上脆いこともあってそれほど強くなく、また火薬が悪かったことから一斉射撃も行えなかったそうです。多分当時の人も、これなら弓の方がずっとマシだと思ったことでしょう。

<てつはうという手榴弾>
 もっとも殺傷目的での火薬運用も全くなかったわけではなく、陶器でできた玉の中に火薬を仕込み導火線をつけ、火をつけた後で敵に向かって投げつけることで中の火薬が爆発し、外側の陶器が割れてその破片が飛び散ることで攻撃する兵器、日本風に言えば元寇時の「てつはう」もこの時代辺りから登場したそうです。この兵器は爆発力こそ現代とは比較になりませんが手榴弾そのもので、実質的に直接攻撃する用途で火薬を用いた兵器としてはこれが最初なのではないかと思います。
 しかしこのてつはうも手榴弾として使うよりかはやはり音響による威嚇効果目的の方が大きく、使う相手としても異民族がメインだったようです。なお外側の衣には陶器のほか鉄を用いた者もあり鉄球の手榴弾も存在したそうですが鉄球と聞くと無性に、「祖先から受け継いだ鉄球ッ!」と叫びたくなります

<モンゴル軍による火薬運用>
 こうして徐々に火薬の兵器利用が進みましたが、宋の時代はあくまで支援兵器的な役割が大きかったもののその宋を平らげた元ことモンゴル軍は火薬兵器に着目し、先程出てきたてつはうなどをより大規模に活用し始めました。また非常に原始的ではあるものの金属製の筒の中に石とか物を詰めて火薬で発射する、現代でいう「銃」もこの頃に中国で発明されましたが、生憎この銃の形態はそれほど発展せずに終わってしまいます。
 モンゴル軍が火薬兵器を活用したことは日本も元寇で体験済みですが、それ以上に影響が大きかったのは西洋世界です。遥かヨーロッパくんだりまで侵略したモンゴル軍によって中東、西欧にも火薬が伝わったことで(アラビア商人が伝来させたという説もあり)、西欧でも火薬の軍事利用がこの後ドンドン広がっていく、というかあっという間に中国を追い抜いて行ってしまいます。

<西洋に対する周回遅れ>
 明の時代に移ると、火薬の生産量も高まってきたことから軍事用にもたくさん使われるようになってきます。特に明を建国した朱元璋は戦闘で火薬を率先して使ったと言われており、火薬に関する軍事指南資料もこの時代によく書かれています。
 ただ火薬を使うと言っても、その推進力を使って弾丸を発射する銃はほとんど全く使われず、どちらかといえば攻城戦の際に城壁を破壊したりするために爆発力を利用するケースがほとんどだった模様です。一応、宋の時代に木製大砲(木砲)、元の時代に青銅製の大砲が出ており、元末から明初期にはこの木砲が反乱を起こした民兵がこぞって大量に使っていたとありますが、西欧ではこの辺の時代からマスケット銃を量産してアメリカ大陸を侵略したりし始めたのと比べるといまいち進化が遅いように感じます。

 実際、明が成立して戦争が減ると中国の火薬の兵器利用は西洋にますます後れを取り、それどころか火縄銃が伝来した日本にすらも運用面で遅れてしまっていたように見えます。実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に明軍も戦っていますが、朝鮮軍ともども日本軍が集中的に運用する火縄銃の前に序盤はずっと苦戦しっぱなしでした。

<西洋伝来の大砲で>
 極めつけは明末期、満州族が中原に侵略し始めた際に山海関の防衛戦で袁崇煥という元文官の武将がポルトガルから大砲を取り寄せ防衛を行い、敵軍を散々に蹴散らすという大活躍を収めています。なお満州族を束ね後の清王朝の太祖とされるヌルハチはこの戦闘で負った傷が元でそのすぐ後に亡くなっています。
 この戦闘が示す事実としては、大砲の製造、そして運用面で中国は西洋に対しこの時点で大きく劣っていたということです。自前で作れるのなら輸入なんてしないし、また敵軍である清軍も対抗策がなかったということは中国本土でこのような火砲がほとんど運用されていなかったとも考えることが出来ます。

 非常に残念な話ですが火薬の発明こそ中国であるものの、その火薬の軍事利用においては伝来先の西欧の方が格段に早く進んでしまいました。この理由についてはまた次の記事で書こうかと思いますが、百年戦争を始め軍事的需要が高かったことと、大砲を作る鋳造技術が上回っていたことが大きいのではと思います。
 その後、清によって中国が統一されて平和な時代が訪れるとますます火薬を使った軍事研究が西洋に比べて遅れ、後のアヘン戦争時にはどうにもならないほどの大きな差をつけられることとなったわけです。

2016年9月6日火曜日

遼寧省のGDPマイナス成長要因について

 最近現場から離れてめっきり中国経済をチェックしなかったのを反省して少し本腰入れてこれまでに出ている経済指標を細かくチェックし直しておりましたが、ほんと今まで全く気づいていなかったのですが私の知らないところで遼寧省のGDPがマイナス成長していました。

一季度GDP排行出炉:东三省仍垫底 辽宁首现负增长(中国経済網)
辽宁经济增速连续第二个季度负增长 短期转正无望(鳳凰網財経)

 リンク先はどちらも中国語のニュース記事ですがその内容はというと、遼寧省の第1四半期GDP成長率が-1.3%、上半期も-1%というマイナス成長を記録したことが報じられています。なお地方別GDP成長率でマイナスを記録したのは遼寧省だけで、このニュースはメディアの反応を見る限りだとかなり衝撃的に受け止められているようです。

 一体何故、遼寧省だけがマイナス成長となったのか。いくつか出ている報道の中には中央政府から派遣された査察官が厳しくチェックしたことによりこれまでのように成長率を水増しすることが出来ず、逆に今まで水増ししていた分が足かせとなってマイナスとなったという指摘が出ている辺りは中国らしいです。
 ついでなので解説しておきますが、中国の全国GDP成長率は北京の中央政府によって測定されるのに対し、地方別のGDP成長率は各地方の統計局が測定して出されており、地方政府は自分たちの功績を高めるためにこの値を水増ししていることはほぼ間違いありません。根拠としては発表された地方別のGDPの合計を出すと全国のGDPを毎年上回っているためで、「これは俺が初めて指摘してやったんだぞ!」と、新聞社時代の上司が自慢げに言ってたのを「はいはい」って聞き流していました。逆を言えば、全国のGDPはある程度の誤差はもちろん存在するかもしれませんがそれほど大きくは弄られてはいない一方、地方別のGDPは弄られている可能性が高いと言え、よく中国の統計発表は信用できないと言われますが全国GDPはそこまで疑わなくてもいいのではと私は考えています。外資系シンクタンクも一応予測してるんだし。

 話は本題に戻りますが、遼寧省がこれまで数字を弄っていたのがばれたから今回マイナス成長に陥ったと見ることもできますが、実態としても遼寧省を含む中国東北地方の経済状況は悪化しているように見えます。
 その理由はいくつかの記事でも指摘されていますが、遼寧省は石炭や鉄鋼といった重厚長大な大規模重工業産業が中心の地域で、現在世界を覆っている製造業全体の不況の直撃を受けていることは疑いようもない事実です。特に、もはや「中国経済の癌」といってもいい鉄鋼業の業績悪化は大きく、中国国内でも屈指の鉄鋼メーカーである鞍山鉄鋼を始め財務諸表を見るだに胃が痛くなるような惨憺たる真っ赤な業績を各社揃って叩き出しています。

 またこれは私の視点ですが、遼寧省を含む東北地方には政府が所有権を持つ国有企業が多いことも要因として大きいのではないかと思います。国有企業は現在、日本語で言えば親方日の丸体質が影響して非効率な経営や設備の老朽化によってどこも経営がおかしくなっており、中国政府も民営化を含めた国有企業改革が喫緊の課題だと述べ対策に乗り出していますが、今のところ大きな効果はまだ出ていません。

经济负增长,东北人幸福感并不低(新京報)

 上は今回調べている最中に見つけたニュースですが、マイナス成長ではあったものの東北地方居住者の平均収入、消費額は落ちるどころか上昇を続けており、幸福感も低くないということを報じています。この記事を見てどう思うかは人それぞれでしょうが私としては「あかんなぁ」と思える記事内容で、その理由はというと企業業績が落ちているにも関わらずリストラが全く行われていないのではと思えるからで、日本の「失われた十年」こと1990年代が頭をよぎったからです。
 これらの報道を総合するに、遼寧省では経済の構造転換が進んでおらず国有企業改革もうまくいっていないからマイナス成長となったのではと私はみています。構造転換の必要性は中国メディアも厳しく指摘しており取り組むべき課題はしっかりと認識できているものの実行にはまだ至れておらず、端的に言えば非常によくない状況だという気がしてなりません。

 一応、遼寧省大連市なんかはソフトウェアパークを作ってIT産業を盛り上げようと頑張ってはいますが、日本もかつて同じ失敗してますが二次産業の売上高を三次産業で埋めようったって規模が違うためそうは簡単にはいきません。なおそのソフトウェアパークには日系企業も数多く進出しており、旧満州に含まれる遼寧省全体は日本にとっても非常に重要な中国の進出先であるためこのGDPマイナス成長のニュースはもっと日本でも報じられてもいいと思うのですがあんまり報じられてなかったのか私もチェックしきれていませんでした。なんで報じひんねん。

 なもんだから自戒を込めてこうして記事書いて紹介しようと思ったのですが、最後に中国の今の景況感について述べると実は掴み辛い環境に自分は置かれているなとこのところ思います。というのも今、サービス業界に身を置いていて製造業を始めとした不況の影響を全く受けない立場にあり、社内においてもそうした景況感が反映され辛くいまいちピンと来なかったりします。
 一方で、自分のセンサーというか社会に対する感覚は年々その鋭さが増しており、内心やばいんじゃないかと思うくらい細かい核心的な情報をかっさらうかのように拾ってくる回数は増えています。なのでちょっと中国経済ニュースに対して勘は鈍っているもののすぐに追いつくだろうという妙な確信を持っており、今日書いたニュースもそういった方面の何かのきっかけだろうなと考えています。

  補足
 ふと疑問に感じて調べてみましたが、日本って都道府県別GDP成長率の四半期ごとの統計を出していないようですね。よく中国のデータが捏造だなんだいいますが、自分もデータ出してから言えよってちょっと思いました。アジア人は総じて統計に弱いとはいえ、頑張る努力位は見せてもらいたいものです。

2016年9月5日月曜日

西郷隆盛を取り扱う難しさ

 歴史記事を最近書いてないなと思って何か書くネタはないかと今日の昼間くらいから思案に暮れていましたが、最近だとどの程度のレベルが普通の人に歴史ネタとして受け入れられるのかちょっと自分でも境界がわからなくなっており、東北地方の貨幣流通時期とか中国の火砲の運用史とかやろうかなと思う度にマニアック過ぎるだろうと思い直して書くのをやめるというのをこのところ繰り返しています。
 そんなわけで、2018年の大河ドラマにも堤真一氏主演で決まったわけなので西郷隆盛についてその歴史上の立ち位置に関する話を今日はすることにしました。

 西郷隆盛といえば鹿児島県民からすれば神に匹敵するほど崇められている存在で、真面目な話、鹿児島のキリスト教徒は神、イエス、マリア、西郷の四位一体説を唱えてるんじゃないかと思うくらい地元で崇拝されています。もっとも鹿児島県民に限らなくても歴史の教科書では重要人物扱いされてて普通に教育受けていればまずその名前は聞き覚えがあるほど有名な人物であることは間違いありません。
 実際、明治維新において西郷は最重要人物の一人として扱われており、これは戊辰戦争後に行われた論功行賞(賞典録)で藩士としては最高となる2000石を得ていることから、当時としても維新の最高功績者として見なされていました。また現在においてアンケートを取れば最も人気のある歴史人物としては恐らく織田信長となるでしょうが、戦前においては西郷隆盛が常にトップだったそうです。

 そんな西郷ですが、彼を日本史においてどのような立ち位置の人物として捉えるかは非常に難しかったりします。というのも単純に彼の行動や思考、目的が生前の行動からだと掴み辛いということに加え、人気が高いゆえか虚実入り混じったエピソードが枚挙に暇がないからです。恐らく私以外でこんな話を引っ張って来れる人間はまずいないでしょうが、文豪の芥川龍之介もこうした西郷を取り扱う難しさを「西郷隆盛」という短編小説に書いており、大正期においても根強く生存説が唱えられていたほか歴史学として扱うには非常に難しい人物であることを紹介しています。

 あくまで私個人の実感で述べると、世間に伝わっている西郷に関するエピソードのうち約半数は尾ひれがついたもの、言い換えれば伝説とか神話のように事実に基づいたものではないと考えています。西郷のエピソードは探せばいくらでも出てきますが、それらに対する出典等の裏付けはよくよく見てみるとどれもはっきりしないものばかりに見え、ついでに言えば断片的な話ばかりです。
 また確実に西郷が行ったという発言や行動を取ってみても、どうもはっきりしないというか本当はどっちの立場にいたのかよく見えない不気味さがあります。いくつか例を出すと山形有朋を支援して徴兵制を推し進めておきながら士族救済のために私学校を設立したり、征韓論においても急進派を抑えるためだったのか本気で朝鮮に乗りこむつもりだったのか、研究者の間でも未だに意見が割れています。もっとも、大久保利通は江華島事件を見るだに初めから征韓論は実行に移す気であり、慎重論を唱えたのは西郷を含む一部政府メンバーの追放が本来の目的とみて間違いないでしょうが。

 こうした西郷の一種の不気味さは取り上げる題材にも現れており、大半の小説や漫画では許容力のある人格者として描かれるものの一部作品では暗殺を含む非合法手段も冷徹に実行する参謀として描かれることがあり(大河ドラマ「新撰組!」など)、本当は一体どんな人物像だったのか、出会った人間は皆、「どっしりとした大人物」と述べていますがそれすらも仮面であったのではないかと疑ってかかるべきでしょう。

 現時点で私の西郷評を述べると、薩摩人というよりは京都人のようなイメージで、本音を一切表に出さず腹の底が見えないタイプだったのではないかと見ています。征韓論に関しても交渉が決裂して自分が朝鮮側に斬られればそれで戦争の口実にできると述べていますが、いくら当時の情勢であっても外国の使者を朝鮮王朝が殺害するとはとても思えないだけに何故このような発言をしたのか、一種のブラフではないかと思う節があり、本当の狙いというか目的を絶対に見せないしそれを平気で覆い隠してしまうようなものを西郷には感じます。もっともそれを言ったら明治維新も尊王攘夷を旗頭に徳川を倒しておきながら、維新後は開国政策を採って徳川のみならず廃藩置県で全士族を滅ぼしていますが。
 最後の西南戦争においても、初めから政府軍に負けることがわかっていながら大将に担がれたと言われていましたが近年の研究では少なくとも大阪までは進軍する気満々だったとも言われ、これまた本音はどっちだったのか全く見えてきません。やはり人気が高すぎる故、踏み込んだ検証や批判を行い辛い面があり下手に歴史学で取り扱えば火傷する対象であることには間違いないでしょう。

 最後にここまで記事を書いて本音が見えない人物だと何度も書いてたら、「メタルギアソリッド」というゲームに出てくるリボルバー・オセロットみたいな人物だったのかなと変な想像をするに至りました。結構しんどそうで書くのを一旦あきらめたんですが、こっちのメタルギア関連でこの前浮かんだテーマ記事もまた今度書こうかなぁ。

2016年9月4日日曜日

姉に謝りたいこと

 昨日また昆山まで50km自転車乗って移動し、そっから周庄という観光地まで往復75km自転車で走ってきました。先月と比べて気温が大分緩くなったこともあって昆山着くまでは余裕でしたが、そっから周庄まではかなり遠く、最後の方は自然と口が勝手に空くなどきつかったです。ほかのサイクリング部メンバーも同様で、「ケツ痛い」とか「足つりそう」だとか言いながらなんだかんだ完走してしまう50代、60代の先輩方にはただただ敬服するだけです。

 さて話は本題ですがあまりこのブログで話題には挙げないもの私には姉が一人おりますが、正直言って仲は物凄く悪くここ三年間くらいは一言も会話すらしていません。もっともそれ言ったらほかの多くの親戚も同様で、諸般の事情から三年前に縁を切って以降は親父以外だと懇意にしてもらっている奈良魔人みたいな親戚以外とは全く付き合いがありません。
 姉弟の兄弟だとうちの家に限らず大体こんなもんかなとは思うのですが、そんな仲の悪い姉に対して実はひとつ可能ならば謝っておきたいなと思うことがあり、今日はその事件について紹介します。

 その事件が起きたのは私が中学一年生だった頃で、家族旅行で確か長野辺りに行った帰り道、途中にあったことから釣り堀に寄ることにしました。私は子供の頃にそれほど釣りに親しんでわけではなく近くの江戸川で何回か体長10cm前後の小っちゃい魚くらいしか釣ったことがなかったのですが、釣り堀ということもあって竿を垂れてからしばらくすると持つ手への手加減とともに糸が水中に引き込まれたので、当たりが来たと思い竿を引き上げました。
 記憶を辿るとその時針に引っかかった魚は体長20cm位のもので、水中で引っ張ってた際はそれほどでもなかったものの水面を飛び出して空中に引き出すや、思ってた以上に重たかったため持ってた竿が手前から奥へ、ガクンと逆方向へ引っ張られてしまいました。

 いまいち表現し辛いのですが、要するに釣った魚が重くて持ち上げきれなかったのです。その結果、水中から引っ張り出したまではよかったものの空中に出すや竿が逆方向へ引っ張られ、釣られた魚は空中を泳ぎ、そのまま少し離れた右斜め向かいで同じく釣りをしていた姉の顔面目掛け一直線に飛んでいきました
 念のため言っておきますが、いくら仲が悪いたってわざとやったわけではありません。普通に竿を引っ張ったら持つ手がよろけてしまい、釣り針を咥えた魚が振れた先にたまたま姉が立っていただけです。とはいえあれが赤の他人だったら結構やばかったというか、振れた先が姉だったのは何かしらの神の思し召しがあったのかもしれません。

 釣った魚が何故か姉の方へ飛んでってその後どうなったのかというと、空中を泳いで目の前に飛んでくる魚を視認したのか姉も「ぎゃー」って悲鳴を上げて顔を仰け反らせましたが、惜しいかなそれでは避け切るには足りず、大体左肩と顎の中間にある鎖骨のあたりにびたーんって感じで見事に衝突しました。くれぐれも言いますが、わざとやったわけじゃありません。
 普通、何か飛んできたとしてもぶつかれば跳ね返ってそれっきりですが、その時の魚は依然と釣り針を咥え続けており、私もよろけながらも竿を握り続けていたため、姉に魚が衝突した当たりで竿を持つ手がぶれなくなったというか安定しました。その結果どうなったかというと、ちょうど姉の顔面付近で魚は空中にいながらビチビチと跳ね続けることとなったわけです。

 自分も当時はちょっとパニクったというか目の前の光景に見入ってしまい、竿を引いたり揺り戻すという判断が出来ずに何故か固まってしまいました。姉貴も姉貴で普通に釣りしてたら突然魚が空中を一直線に飛んできたためパニックとなったのかしゃがんだり移動したりすることも出来ず、そのまま魚にビンタされ続けるだけでした。それは時間にして30秒、下手したら一分くらいあったかもしれませんがかなり長く、姉貴は最低でも30回以上はビンタされてたと思います。私も私で目の前の異様な光景に固まってしまい、なんか物凄い時間が長く感じました。
 最終的には魚も延々跳ね続けた甲斐あってか釣り針が抜け、また池に落ちたため姉は解放されたのですが、姉の目線で考えたらどれだけとんでもない体験だったか想像に余りあります。もちろん当時も姉には何度も謝りましたが(爆笑しながら)、今でも折に触れてはこの時のことを思い出し、あの時は本当に悪いことしたなぁって申し訳ない気持ちにさせられます。

 ただあの時の光景は本当にすごかったというか、引き上げた魚が一直線に姉貴向って飛んでったのはマジで神がかっていて、私の人生の中で最も近くまで笑いの神が下りてきた瞬間だったと今でも思っています。もしこの時の様子を映像に撮影していたら投稿ビデオ番組で年間大賞ですら獲得できたのではないかと思うくらい有り得ない光景でした。そういうわけで姉貴に対して面と向かってはまだ言えてませんが、ネタにしちゃってメンゴって感じです。

2016年9月2日金曜日

人切りのプロ

 ネット上でよくある人材紹介会社の広告に、「採用のプロがあなたに最高の職場を」という謳い文句が付けられていますが、人材エージェントでそんなに実力の差とか出るのかななんて内心疑いの目を持って見ています。

 ただ人事関連職では所属する企業によってその実力ははっきり分かれると言われ、名古屋に左遷された親父の受け売りですが大手メーカーの人事部の職員は間違いなく実力者でありエース級の人材ほど人事部へ配属されると聞きます。理由はごく単純で、場合によっては数万人単位の従業員の配置を計画し、数年後を見据えたジョブローテーションまでも組まなければならないからです。
 一方、逆に従業員数の少ないメディア系や商社系企業の人事部となると今度は駄目な人間の引受先になると言われ、自分のこれまでの経験から言ってもあながち間違っていないというか扱う人数によって同じ人事部でも能力が大きく変わってくると思います。

 そうした人事部職員の中で、あくまで人伝に聞いた範囲ですが地味に重宝される能力というか経験として真っ先に挙がってくるのはクビ切りのノウハウだそうです。日本はバブル崩壊以降は常に不況と言われるだけあってどの業界でも多かれ少なかれリストラの必要性があり、特に従業員の多い会社ほどそうしたクビ切りならぬ人切りのプロの需要が高く、そのレアリティの高さもあって転職市場の中でも一際需要が高いカテゴリーだと聞きます。

 現実にリストラ旋風が巻き起こった2000年前後ではあちこちで数千人単位のクビ切りが起こり、先程出てきたうちの親父も取引先で仲の良かった知り合いがまさにこの担当となり、数千人を切りながらも上司からはもっと切れ、まだ足りん、何をしていると言われ続け、「お前こそ切りたいわボケ!」と内心思っていたという話を聞いたことがあります。口でいうのは簡単ですが数千人単位のクビきりとなるとその精神的プレッシャーも相当なもので、切られる従業員の家族も数万人単位で人生に影響を与えることとなりますし、社内外で無用な恨みを買うことも予想に難くありません。
 実際、こうしたリストラの実行者はリストラの完了後はその一身に恨みを買うことから社内にはおられず退職するケースが多いと聞きます。上記の親父の知り合いも、クビを切るだけ切った後で最後に自分も切られる羽目となったと話していました。ただそうして辞めてったクビキラーはやはり人材需要は高いだけに、「次は是非うちで人を切ってくれ」という感じでオファーは殺到するそうですが。

 真面目な話、こうした人切りに関しては確かに専門的な分野であるだけにその道のプロというか経験者にぜひお願いしたいなというのはよくわかります。現時点でそういったプロが活躍しそうなのは思いつくのだとシャープですが、募集をかけてやってきた人切りのプロは面接とかで、「私はこれまでに三千人を切ってきました」とか「私に狙われて生き残った人間はいません」などと、幕末の人斬りみたいなピーアールをするのだろうかと思うとちょっと楽しく感じます。
 ただ最近思うのですが、この辺の人事という業務はもっとアウトソーシングした方が案外効率良いのではとこのところよく思います。実際一部で昇給管理とか海外拠点を含めた勤怠管理を行うアウトソーシング業者が存在しますが、外部の人間の方が評定とかその当たりである意味公平だし、実際の人柄とか見ないで判断するのはどうかと思う人もいますが、そうした人柄や普段の行動も含めデータ化して人事を行うのが普通じゃないかと思う当たり、まだまだ多くの日系企業は人事業務をサボっていると前から考えています。

 プロ野球などは空振り一回、アウト一回、ヒット一本ごとに査定が入ってその年俸も上下するほど事細かに見ており、球団社長を経験した人物も通常の企業の人事査定が甘いように思えてきたと話しているのを見て、そうした年俸や人切りも丸ごと請け負う人事のプロ集団によるアウトソーシングに任せた方がいいのではと思うようになりました。流行んないかなぁ、こういうサービス。

2016年9月1日木曜日

築地移転議論の論点


 上の椅子はこの前近くのスーパーで買ってきたものです。展示品だったためいきなりボキッとフレームとか折れたりしないか心配だったものの120元(約1800円)だし思い切って買ったところ、その座り心地のあまりの気持ちよさにここ数日、座る度に物凄く眠気を誘発されてブログを書く気力を大幅に奪っていました。左のボックスはパソコン使う時に座る収納椅子ですが、ちょうどここに伸ばした脚も載せられるので相性抜群です。でもって右下にあるオレンジ色の物体は以前に知人からもらったPILOTのボールペンでちゃんと大事に使ってます。今回写り込んだのはたまたまだけど。

 毎回しょうもない話題からえらく真面目な議論に移りますが、先日私も記事で取り上げた小池百合子都知事が築地市場の豊洲への移転延期を発表して以降、様々なメディアがこの問題を再び取り上げるようになりました。ただニュースの論調は全体として、以前は豊洲への移転に不透明な点が多いと批判していながらも延期発表後はやや小池都知事に対して批判的な報じ方が多くなっているように見えます。
 もっともその報じ方自体は公人である小池都知事を叩き台、言い換えればサンドバックにして問題を敷衍するので別に問題だとは思っていませんが、記事の中身として移転推進派、反対派の人物の発言や意見をそのまま丸写しで書いていることが多く、こういってはなんですが議論の論点が全く整理されていません。何故推進なのか、何故反対なのか、何でもめているかがほとんど書かれず、強いてあげればこれも確かに重要ではありますが水質検査の最終結果が出ていないという事しか書かれてません。

 となるとここは俺の出番かt思う当たり、自分は自意識過剰なのかサービス精神旺盛なのか考えどころに至ります。ちなみにマージン率に関しても同じノリで、誰も調査しないのなら自分がやろうと思い立って調査し始め、「こんなんやらんかったらよかった……」と何度も調査中に公開する羽目となりました。
 そういうわけなので、築地移転問題について議論の論点を如何に整理します。ただ私はこの移転に対し反対派の立場であり、どちらかといえばこの立場からの移転の必要性を問う論点を中心にして挙げます。

1、移転延期に伴う維持費
 これは移転推進派がこのところあちこちのメディアで主張している問題ですが、移転延期に伴い豊洲市場の方では光熱費などで一日につき700万円の維持費が無駄に発生してしまうもので、延期により財政負担が広がるという意見です。ただ率直に言ってこの意見には疑問があり、そもそも光熱費や設備管理、警備費だけでそこまで発生するものなの。また推進派は「冷蔵庫の電気代」をよく口にするのですが、市場が開いてもいないにもかかわらず何故冷蔵庫を起動する必要があるのか、何か背景があるのかもしれませんがこの辺をもっと記者がツッコまないのか記事読んでて不満に覚えます。
 なお、高速増殖炉もんじゅの維持費は1日当たり5500万円です。全く役に立たずに妙な関連事故を引き起こすこの物件と比べたら700万円くらいいいんじゃないかって気になります。ないに越したことはないけど。

2、水質汚染調査
 小池都知事も移転延期の根拠として挙げた水質汚染調査ですが、こちらの最終結果は来年1月に出る予定です。逆を言えば何故移転計画を起ち上げる前に最低限のこうした調査が行われていなかったのかが問題で、豊洲市場は東京ガスの工場跡地ということもあって先の土壌調査では様々な汚染物質が見つかり土壌改良もわざわざ行われているだけに、この水質調査は絶対に避けてはならない調査でしょう。
 むしろ、こうした事前調査をせずに移転計画を認可して建設工事を始めた責任者をまず名指しで更迭すべきで、それなくしてこの移転を実行してはならないというのが私の立場です。

3、豊洲市場内の荷受け口道路の狭さ
 こっから移転に関する疑問点をバンバン挙げていきますが、築地と比べ豊洲市場はトラックによる輸送力を強化した設計と謳われていますが、一部の専門家によるとトラックの荷受け口に致命的な欠陥があると指摘されています。具体的には、豊洲市場の荷受け口は運送会社の集荷所みたいにコンテナのバックドアを建物に対し後ろ付けするようできているのですが、その荷受け口手前の道路がめちゃ狭く、現状では一台のトラックが荷受け口に付けようと転回するだけで後ろのトラックは前に進めなくなり、渋滞を誘発すると言われています。
 実際現場見てみないとわかりませんが、そもそも豊洲市場は青果市場のブロックと分けるために十字に道路が走っており、素人目にもこれどうなんって思う節があります。この辺、実際にトラック出して実証実験をまずしてみるべきでしょう。

4、床の積載荷重
 3番と同じく設計問題ですが、私としてはこれが一番気になります。
 平屋建ての築地市場に対し移転先の豊洲市場はビル上の建物となっており、鮮魚市場も1階ではなく上の階(何階か忘れた)に置かれる予定です。ただこの豊洲市場の建物ですが、床の積載荷重が何と1平方メートル当たりたったの700kgしかなく、実際に市場がオープンしたら床が抜けるのではないかと各方面から指摘されています。

 現在の築地市場ではターレというフォークリフトの一種である自動運搬車が市場内を駆け巡っているのですが、これの重量は大体1トンを超し、なおかつ鮮魚を乗せた場合は2トンも越えることがざらだそうです。言うまでもなく、最大積載荷重700kgじゃ心もとないです。
 この積載荷重は設計書などでもはっきりとそう書かれており、間違いのない事実です。そもそも何故こんな設計にしたのか、誰もチェックしなかったのかが問題ですが、変な事故が起きる前に設計者か許可責任者辺りで実際にターレを走らせて見て床が抜けないか実証させるべきでしょう。変な事故起きる前にやっとかないと。

5、高過ぎる施工費
 3番、4番の様に素人目にも明らかに疑問に思える設計の不備があるにもかかわらず、豊洲市場の施工費は無駄に高いです。詳しくはこちらのサイトで検証されていますが、建物の一坪当たりの単価は200万円と、これは故黒川紀章デザインの建物を除けば実質ナンバーワンの高さで、イオンモールが一坪当たり30万円以下ってことを考えると以下に法外な金額かわかるかと思います。
 関係者は建設需要の高まりから人手不足で高騰したと言っていますが、なわけないだろう。高騰するったってここまで上がって不審だと思わなければ会計不正はこの世からなくなるっていいたうなるような値段で、釣りあがった要因は必ず存在するはずです。この点がまさにこの移転問題における最大の闇で小池都知事にはぜひ切り込んでもらいたいのですが、うまくいけば施工費搾取で立件できるかもしれず、そうなれば1番の維持費もペイできるんじゃないかと思うだけに世間も応援する必要があるでしょう。

2016年8月31日水曜日

死亡認定の必要な過去の流行語

 先日友人と会話した際、「日経トレンディって雑誌名がもはやトレンディじゃないよね」ということを話しました。なんとなく加齢臭がするというか。
 この「トレンディ」という言葉に限らず、言葉というものはひとたび時間が過ぎればあっという間に死語と化していきます。ただ死語として扱われるのはまだいい方で、中には死語になったことすら言及されずに使い捨てられ忘れ去られていく言葉も少なくありません。敢えて言うなら「行方不明」扱いで死亡認定が出されないままの状態なので、今日は一つ死亡認定をするべき言葉を思いつく傍から書いてきます。っていうか早く寝たい。

・Web 2.0
 これに限らずIT用語は流行り廃りが非常に早いのですがこのWeb 2.0は言われ始めてから一年二年はそこそこ使われましたが、ムーアの法則と違ってこの概念は現実には実際起こり得ないということが認識されるやあっさりと廃れました。
 Web 2.0の概念を私なりに説明すると、インターネット上でサービスの発信者に対しそのサービスの受益者が利用、応答することによって当該サービスの付加価値が高まったり、あらたなサービスへと発展してくいわゆる双方向的な発展を意味しました。代表例としては書籍になった「電車男」で、これは2ちゃんねるというプラットフォームに利用者が掲示板にコメントを書きあうことで一つの作品に昇華した例ですが、Web 2.0の提唱者とその周りの人間ですら、「ネット上にはアホとカスしかしない」と言い切り、双方向的なアプローチを開いたところで付加価値の増大には何もつながらなかったと反省してます。実際、電車男以降はそんな聞かないしな。

・ユビキタスネットワーク
 同じくIT用語ですが、一時期はパナソニックがやたらと自社の家電に「ユビキタス」という言葉を使って宣伝していて、なんかムカつくから自分が各記事には一切「ユビキタス」という言葉を使わないでおいたら上司に怒られたことがありました。
 この言葉の概念も私の言葉で説明するとしたら、「全方向アクセスネットワーク」といった意味です。要するに誰でもどこでも何使ってもアクセス可能で、前述のパナソニックは携帯電話から接続、操作できる冷蔵庫を作って「ユビキタスネットワーク」などと主張していましたが、携帯から冷蔵庫に対し何を操作するのか今を以ってしても意味不明で、案の定、今の冷蔵庫にはそうした機能がついてないことから無意味な機能だったのでしょう。

 なお最近は家電メーカーを含めやたらと「IoT」って言葉が多用されますが、これも同じような末路を辿ると予言します。というのもこの言葉は「Internet of things」の略ですがそもそもこの一文自体かなり意味不明だし、和訳も「モノのインターネット」とよく書かれ、記事書いてた私ですら「意味わかんねぇし主張してる奴らは馬鹿じぇねぇの」と内心思ってました。変な横文字でいまいち意味がわからない言葉は流行りやすいですが廃れやすく、なおかつIoTの具体例を挙げるとすればプリンタが紙を印刷するといったもので、要するに電子データの出力以外の何物でもありません。この言葉を使っている連中は言葉を使っているつもりで、逆に言葉に使われているのだろうとみています。

・NISA
 IT用語から経済・金融用語に変わりますが、一応現役の制度ではあるもののもう死語認定してもいいんじゃないかと思うのがこのNISAです。これは非課税となる投資枠制度で新規投資家を増やすために作られた制度であるものの、通常の投資講座とは別に口座作る必要があったり、投資枠に上限があったりなどとやたらと制限多くて見ていてかえって複雑な気がしてなりませんでした。開始当初でこそ証券会社がCM作って口座開設を訴えましたが現在に至っては何のPR広告も見かけず、そもそもまともに運用されているのかどうかすら疑問です。
 上にも書いている通り、変に横文字使うのはすぐ廃れるし、あと制度関連だと「ホワイトカラーエグゼンプション」を始め何か意図的な隠蔽要素も見受けられるので疑ってかかるべきでしょう。

・ピケティ
 本人はもちろん死んでいませんが、去年もしくは一昨年に日本で流行ったという経済学者です。時期の記憶が曖昧なのは私が去年も一昨年もほとんど日本にいなかったからです。
 彼の名前があちこちに出始めた頃、恐らくこのブームは一過性で終わると考え有名どころの経済学者の理論は一応はチェックする私ですが、このピケティ氏については一切ノーチェックで済ませました。何故一過性で終わると判断したのかというと、「ピケティ」という名前はあちこちで報じられながらも、彼がどのような主張や理論を持っているか中身について誰も言及していなかったからです。要するに名前だけしか見えず、こうしたブームは往々にして中身を伴っていないのだからどうせ翌年には誰もがこの名前を忘れるだろうと思っていたら本当にそうなりました。

・~過ぎる~
 これも一時期流行りましたが「美人過ぎる市議」とか、「美人過ぎる店員」等、今思うと安直なネーミングだったなぁと思えてならず、時代が建ったのもありますが古臭さと共にそこはかとないダサさを感じます。同時期には「~王子」という言葉も出ましたがもはやこのニックネームは日ハムの斎藤投手(ハンカチ王子)専用といってもよく、ゴルフの石川遼選手は「ハニカミ王子」から卒業したのと比べるといろいろとこみ上げるものがあります。
 ほんとどうでもいいですが、日ハムの大谷投手兼打者も時代が時代なら「二刀流王子」と呼ばれてたのかな、もしそうだったらホモネタが好きな腐女子はどんな反応してたのだろうか気になります。実際、「さばげぶっ!」という漫画の作者の松本ひで吉氏が女子会で、レズの友達が野球の話で大谷選手の二刀流や補殺について触れるや、「それってレズ的な意味で?」とみんなしてツッコんでたそうです。でもって女子会終ったらそのレズの子からメールで、「おつかれず」と送られてきてじわじわ来たとツイッターで書く当たりこの作者すごいなと戦慄を覚えました。