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2020年8月27日木曜日

日本人はニッチ市場に強い?

 今日の帰りの電車の中、ふと緊急用設備に「マイク(麦克风)」という文字が書かれているのを見て、

    マイク→マイケル→マイケル・ジャクソン→マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー

 まで発想が飛んだところ、「あの頃は日本のゲーム業界は開発力も競争力もあったどうして今こうなったヽ(゚Д゚)ノなんてこった」という風に考えた際、真っ先に思いついたのはゲームハードが進化したらカモという可能性でした。
 これは私だけじゃなく他の人も一部で行っていますが、かつてのゲーム開発はハードの性能が低かったことから非常に制約が多く、容量一つ、プログラム処理一つとっても可能な限り無駄を省く工夫が必要だったとされています。スーパーマリオの芝生と雲は、実は色を変えただけのだ同じ画像だったというのも有名なエピソードです。

 また特にスーファミ時代なんかは画像描画能力の限界が低く、高品質なグラフィック、それこそ1枚絵なんてバンバン出せる時代ではなく、演出においては非常に厳しいハードルとなっていました。その分、プレイヤーを楽しませるためにストーリーなどで工夫が測られるようになったことからJRPGは発達したとも言われますが、プレステ、プレステ2などとハード性能が発達していくにつれ、こうした開発における制約はどんどんとなくなっていきました。同時に、和製ゲームの世界的評価もどんどん落ちていき、海外製ゲームと比べ「時代遅れ」とまで言われるようになっていきました。

 ハード性能の進化と和声ゲームの凋落が歩調を共にしたのは偶然なのか。多くの意見を聞いている限りだとやはり偶然だとは思えず、その原因は日本人は制約のある環境での開発に強い一方、制約のない自由な開発環境となると弱くなる特徴があると私自身考えています。これはゲーム開発に限らずあらゆる技術、成果物の開発において日本人の共通する特徴と言われていますが、「予算も人材もあるから誰もがあっと驚くようなすごいの作って」というと弱くなる一方、「この限られた枠の中でどうにかして」とか言われると、何故かその枠の中で完璧なものを作ってしまうということが日本はかねてから多いです。

 いくつか例を挙げると飛行機のゼロ戦なんかまさにその典型で、「火力もあって、俊敏で、おまけに航続距離の長いのを作って。予算はないけどな」とか言われて、本気でそんな戦闘機を作っちゃいました。もっとも開発要求で言及されなかった、防御力に関してはその分完全に犠牲になりましたが。
 また現代における技術面で見れば、自動車の燃費なんか最もいい好例だと思います。こちらも画期的な技術とかそういうのではないですが、「とにもかくにも枠を小さくして言って」的な開発方針の中、世界的にも驚異の燃費水準を日系車はどこも確立させています。もっとも、「燃費下げられないのなら、数値を弄ればいいじゃない」的な三菱自動車も存在しましたが。

 ここまでくるともう日本人のメンタリティ的なものがあると私は考えており、基本的に徳川吉宗に始まる倹約精神が重きをなしているように感じます。ともかく今あるものを最大限有効活用してブレイクスルーを起こすというようなメンタリティで、やはり制約のある環境では圧倒的に強いものの、逆に全く枠のない新規の発明とかそういうのでは西欧人には及ばないというのが自分の見方です。そんなわけだから、ゲームハードが進化してなんでもゲーム内で反映できるようになったから、日本人は途端に開発が弱くなったとみています。

 以上の考えは以前にもこのブログにも書いたし、他の人も同じように言っている人はよく見ます。ただ今回なんでブログに書き起こしたのかというと、ここから今回はさらにもう一歩進んで、「日本人はニッチ市場に強いのでは?」と思い至ったからです。

 ニッチ市場の定義についてはいちいち解説しませんが、改めて考えると日系企業は基本的にマーケティングが下手だと思う一方、自分が先週取り上げたマヨネーズなど食品系企業は、食文化のハードルがありながら海外市場でもマーケティングに成功し、市場を自ら開拓するに至っています。
 同様に調味料を細かく見ていくと、日本の調味料は非常に多品種、それこそカロリーゼロとかハーフとか、濃口とか薄口とか様々に分かれていますが、それぞれに対してきちんと市場が出来ててちゃんと商売が成り立っています。

 改めてこの辺りに着目してみると、先ほどにも述べた通り、日系企業はマーケティング、特にマスマーケティングは全体として上手くなく、この点では韓国企業に大きく遅れていると私は思っています。一方で狭い範囲のマーケティング、敢えて言うならニッチマーケティング分野においては、非常にごく限られた市場の中で如何にシェアを取り、既存ユーザーの満足度を高め、他社製品と同差別するのかという点では、日系企業はそこそこ成功を得ているように見えます。先ほどの多品種に渡る調味料市場なんかまさにそうで、「こんな味誰が求めてるの?」と思うようなものでも、結構がっちりした固定消費者層を形成していてロングセラーだったりしますし。

 特にユーザー満足度の面に関してみると、幅広い層に受け入られるようなマーケティングはそれほど見るべく物もないですが、狭い範囲の特定ユーザー層に対するアプローチや維持の仕方は、工業製品分野でも日系企業は比較的よくやっているような気もします。工業製品でもニッチな部品とかデバイスなんかで強い日系企業は少なくないですが、これはやはりその限られた市場の中でのマーケティングが上手いのではと示唆しているようにも見えます。また、ユーザーがほとんどいないような市場で、一からユーザーを広げていくような方面でも意外と強いかもしれません。そうしたニッチ市場の強さは、「制約下で力を発揮する」というさっきの日本人のメンタリティにも通じるのではないかと考えました。

 こう考えると日系企業は世界の表舞台ではなく、「こんなんどこに需要あんだよ?」的なニッチ市場こそがメンタリティ的に最も相性がいいかもしれません。先ほどのゲームに関しても、なんか最近見ていると、最近日本はインディーズゲームの方がなんか面白いの増えてきているように思え、やはり開発人員とか予算が潤沢にあっても日本出は良いもの出来ないんだな、国家プロジェクトが良く大失敗するのもそういうところなんだなとか一人で納得しています。
 唯一例外を出すと、元コナミの小島監督なんかは潤沢な予算に対してきっちり売れる対策を作れる日本ではレアな欧米型開発者だったと考えています。もっとも同業者からは、納期は守らないは開発人員を横から奪っていくわであまり評判は良くないですが、エジソンとかあのあたりの人間の話聞くとやっぱそういう人多いから、欧米型なんだろうな。

2020年8月25日火曜日

正しい情報ほど信じられなくなる理由


 また例によって上の羽根田治氏の山岳遭難本を買って読んでいるのですが、こちらの「十大事故から読み解く 山岳遭難の傷痕」では、かつて井上靖が小説「氷壁」のモデルにしたいわゆるナイロンザイル事件も収録されています。

ナイロンザイル事件(Wikipedia)

 この事件は知っている人に早いですが日本山岳史、ひいては製造物責任法の観点においても非常に大きな足跡を残した事件です。

 概要をかいつまんで説明すると、1955年当時、従来の麻製ザイルに比べて軽くて丈夫な上位互換製品という触れ込みで世に出たばかりのナイロンザイルを使用して穂高岳の登山を行っていた登山家パーティで、このナイロンザイルが突如切断したことによって滑落死が出るという事件が起こりました。1トンの荷重にも耐えるとされるナイロンザイルがどうして切断したのか、またザイル確保者が特に衝撃も感じずに切断したことからナイロンザイル自体に何か問題があるのかと考えた、滑落死したメンバーが所属していた岩稜会という山岳会メンバーが実験を重ねたところ、ナイロンザイルは岩角など鋭利な面に接触した状態で荷重をかけると簡単に切断するという事実を突き止めました。

 登山においてザイルが尖った岩肌に触れて支点となることはごく当たり前であり、この欠陥ともいえる特徴は登山家を大いに危険にさらすと考えた岩稜会は、直ちにこの事実を世間に周知して注意喚起を行い、こうした岩稜会の活動を受ける形で、ロープメーカーの東京製綱と大阪大教授であった篠田軍治はナイロンザイルの公開実験を行いました。その実験の結果、ナイロンザイルは麻製ザイルに比べ数倍の強度を持っており、岩稜会の主張は技術不足による滑落をナイロンザイルの責任に転嫁するものだと報告されました
 一体何故こうも主張が真っ向から食い違ったのかというと、実は公開実験では支点となる岩角をあらかじめ削って丸くさせておき、ナイロンザイルが切れないよう工作が行われていたからでした。やったのはもちろん東京製綱と篠田軍治です。

 とはいえそんな事情など露知らない世間からすれば、大学教授のお墨付きを得たことからナイロンザイルは安全だと信じられ、その後も登山において使用され続けました。一方、でたらめを吹いたとされた岩稜会は公開実験の細工を指摘しつつ、その後もナイロンザイルの危険性を訴え続けましたが、日本山岳会にもこうした主張は無視され続けました。
 なお篠田軍治は日本山岳会の名誉会員にもなっています。

 しかしその後もナイロンザイル切断による滑落事故、そして滑落死は相次ぎました。こうした連続する事故と岩稜会の長年の周知活動もあって、最終的には山岳会よりも先に通産省が先に動く形で、1975年にザイルの安全基準制定とメーカーへの遵守義務が法律で定められました(消費生活用製品安全法)。なお同法の制定までに、ナイロンザイルに起因する事故で20人以上が亡くなったとされています。
 日本山岳会はその後もナイロンザイルに問題性はないと主張し続けました、抗議が相次いだことから1977年にようやく過去の主張の誤りを認めるに至っています。

 結果から言えば、最初の岩稜会の注意喚起がすぐ信じられていれば、約20人の登山家は死なずに済んだと言えるだけに、やりきれない所は少なくないと言えます。ただそれ以上に注目すべきは、再現検証も難しくない実験だというのに、どうして篠田軍治らのインチキとも言える公開実験が信じられ、正しかった岩稜会の実権結果が世間に受け入れられなかったのかという点が、自分の属性からするとより興味が持たれます。

 結論から言うと岩稜会の実験結果は、正しかったからこそ世間に受け入れられなかったのではという風に見えます。正しい情報がどうして信じられないのかというと普通に考えるとおかしいですが、現実には報道の現場でも、正しい情報だからこそ世間の一般大衆は信じず、受け入れようとしないと感じることは非常に多いです。
 何故受け入れられないのかというと、正しい、というより真実な情報というのは往々にして耳の痛い内容であることが多いからです。そのため聞く人からすれば最初に浮かべるのは、「信じたくない」という感情で、信じたくない厳しい内容ほどその情報の真偽を疑います。

 逆にというか、耳障りのいい情報というのは誰もが信じようとしてくれます。そのため、厳しい現実という正しい情報よりも、胡散臭いし根拠もないけど、耳障りが良く自分にとって有利となる情報の方が誰もが「こちらの方が正しい」と判断しがちです。極論を言えば、正しい情報よりも耳障りの言い虚構の情報の方が流布しやすいというのはこの世の絶対的事実です。

 その上で付け加えると、その情報の内容が誰にとって、というよりはどれだけ多くの人間にとって有利となるかも、その情報が受け入れられる上で非常に大きなファクターとなります。
 先ほどのナイロンザイル事件を例にとると、ナイロンザイルが危険か、安全かで、どっちが有利となる人間が多いかとなると、断然後者です。前者で有利となるのは、ナイロンザイルは危険であることを実験結果で理解している岩稜会メンバーくらいなものです。一方、安全だと信じられることで有利となるのは、メーカーの東京製綱の社員らと篠田軍治のほか、麻ザイルより手軽で安全なザイルと思って使える登山家など、利益共有者は圧倒的にこちらの方が多いです。

 となると多数派が多い方が勝ってしまうというか、多数派が信じる内容が事実となってしまうわけです。これまた極論を述べると、情報というのは基本、正誤以上に利益の共有者と相反者の比重で世間に受け入れられるかどうかが決まります。それこそ、中国は高い実力を持っていると考えることで有利になる人よりも、実は見掛け倒しで実力を伴っていないと考えることで有利になる人が多ければ、具体的なデータ検証そっちのけで後者の方が世間では事実として受け止められるわけです。

 唯一、情報が受け入れられるかの判断でこの利益バイアスの壁をぶち破る唯一の手段こそが、ナイロンザイル事件でもみられた科学的な比較検証です。しかしその科学検証すら、利益バイアスは途中までのナイロンザイル事件のように、覆い潰してしまうことが少なくありません。

 グダグダと長く書いてしまいましたが何が言いたいのかというと、結局その情報が多くの人にとって望ましくない、耳の痛い、ストレスに感じる情報であれば、その情報がどれだけ正しく、裏付けるデータや根拠があったとしても、真実の情報としては絶対に受け入れられないということです。なら報道なんて意味ないじゃん、部数上げれるよう耳障りのいい適当な情報だけ流してればいいじゃんって結論にもなるわけですが、そういう情報の流し手にも受けてにもなりたくないなと思っているから、自分は今のこの立場にいるるのだと思います。

2020年8月24日月曜日

時代劇X仮面ライダー

 DMMの電子書籍購入ポイントが余っていたので何の気なしに「GANTZ:E」を購入したところ、意外と面白かったです。この漫画は、デスゲーム系漫画の金字塔である「GANTZ」に「江戸」を足した時代劇漫画で、江戸時代を舞台にGANTZをやるという漫画です。マジで本当にこの通りな内容です。
 これ以前にも「GANTZ:G」という女子高生を主役にGANTZする漫画もありましたが、作画は綺麗だったものの、一回の戦闘が毎回長くて読んでてだれて、その結果短期で終了してしまいました。まぁ当初から短期連載の予定だったのかもしれませんが。

 今回の「GANTZ江戸」は元々チャンバラ要素が強かった作品なだけに割と舞台設定にもマッチしていて、敵キャラも妖怪とすることでストーリ的にも妙に整合性があります。また作画の人もアクションシーンは比較的上手に描く人で、読んでてそこそこ臨場感を感じました。
 ただ背景が実写取り込みの江戸時代風の背景であることから、描かれるキャラクターとの描画の差がやや目立ってしまっている場面がいくつかあり、この点は本家と比べどうしても劣ってしまうところに感じます。むしろ本家がその辺の作画と実写CGの溶け込ませ方が異常過ぎて、終盤のGANTZロボもどうせ3DCGだろうと言われてしまっていたのですが。

 作者の奥浩哉氏もその辺は気にしてたのか、「ロボはちゃんと頑張って描いている」と珍しく発言していました。もっともこの発言を聞いても、あのロボはマニュアルと書いたとは思えないくらい書き込みが綿密で逆にびっくりするのですが。

 話を戻すと、野菜不足なせいか爪の白い部分が全くと言っていいほどなくなってしまい、仕方ないので今日何気なくサブウェイで飯食いながらガンツ江戸を読んでいると、「そうだ、時代劇と仮面ライダーがコラボすればいいんだ」と思うに至りました。
 時代劇というともはや大河ドラマくらいしかないくらい、最近は新作が作られなくなってきています。この時代劇を復興するためにはどうすればいいかという点で、ガンツ江戸みたく仮面ライダーを江戸時代に登場させればいいんだという結論に0.3秒くらいで到達しました。

 改造人間とかどうすればいいんだという疑問もあるでしょうが、そんなのは平賀源内がどうにかしたということにして、御家人ライダーとか町火消しライダー、歌舞伎ライダー、相撲ライダー、公家ライダー、副将軍ライダーみたいなのをどんどん登場させて、江戸時代の謎の怪人とガンガン戦ってイケメンを出せば時代劇がまた盛り上がるかもしれません。
 そこまで考えたところでふと気が付いたのは、「ライダーっていうけど江戸にバイクないじゃん」ってことでした。代案はないかと考えたところ、「そうだ、馬に乗ればいい」とスーツアクターに無駄に負担を強いる解決策を思いつくに至りました。

 しかしもう一つ、「ライダー」という呼称がまた難問となりました。この点は無理やり当て字で「雷達」と名乗らせればいいと考え、そしたら漢字的にも平賀源内のエレキテルで変身しそうな感じになって、いい解決案になったと自負します。なお「雷達」とかくと中国語で「レーダー」という意味になります。
 でもマジな話、相手を怪人じゃなく妖怪とすればそこそこ話を広げられる気がします。しかもその妖怪を作っているのを幕府とか特定の藩(何故か真っ先に加賀藩が浮かんだ)にすれば歴史の勉強にもなるし、どっかお江戸ライダー作ってくんないかなぁ。

2020年8月22日土曜日

三億円事件奇譚 モンタージュ (・∀・)イイ!!

モンタージュ (漫画)(Wikipedia)

 例によって漫画の紹介ですが、先日読み終えたこの「三億円事件奇譚 モンタージュ」は近年稀に見るくらい面白かったです。作品自体は2015年、何気に自分が第二次どん底期でどんぶらこしていた頃に連載を終えていますが、当時も人気が高かったようでテレビドラマ化などもされています。

 内容はタイトルの通り昭和未解決事件としては恐らく最も有名であろう三億円事件をテーマにしていますが、作中世界の時間は現代こと2010年頃となっています。なんでそんな時間間隔空いているのに三億円事件と私も当初思いましたが、少しだけさわりを書くと、主人公の少年が偶然出会った死ぬ間際の刑事が「お前の父親は三億円事件の犯人」と言われ、その直後に父親が溺死体で死に、その後高校生になった後で父親の遺品から三億円事件の証拠となる通し番号付きの500円札を見つけるといった流れになっています。その後、近親者の謎の失踪などが続き、三億円事件を巡る騒動に主人公とヒロインが巻き込まれていく形となっています。

 なんでこの漫画を急に手に取ったのかというと、作者の渡辺潤氏の最近のニュースを見たことに始まります。知ってる人には有名ですが、この人はこれまで反社会系の漫画をずっと描いてきた人なのに何故か50代に入ってからやたら萌えキャラを模写、研究し始め、それをTwitterに上げたところやたらバズって急激に知名度をあげています。自分もそのニュース見て、また各萌えキャラの特徴の見方などがさすがベテランと思うほど着眼点が面白く、それで興味を持ったことから比較的直近の作品である「デカウザー」から読み始めて、こちらの「モンタージュ」に至りました。
 渡辺氏の作品を読んでて感じたのはやはり反社会系の漫画を描いてきただけあって悪人の顔がとにもかくにも悪どい、それでいて近年は萌え絵研究の甲斐あってか女性キャラはかわいく書けるようになってて、その辺がとても器用に感じます。ただそれ以上に、これはやはりベテランであるからだと思いますが、コマ運びが非常に上手で、コマを追いながら疑問に感じるところはほぼなく、また激しいアクションシーンの動きの見せ方も秀逸でした。特に「デカウザー」のボクシングシーンは本当に動きが流れるようで無駄がなく、これがベテランの業かと嘆息を付けられました。

 話はモンタージュに戻りますが、一応ミステリー漫画に属すので内容のネタバレがない範囲で感想を述べると、まずミステリーとして非常にストーリーのレベルが高いです。主人公はトラブルに次ぐトラブルに巻き込まれて、しつこく追跡してくる殺し屋をかいくぐりながら何度も死ぬ思いをしますが、それらトラブルの脱出方法が、都合の良い展開とも揶揄されているものの、少なくとも説得力が全くない強引な要素は私には感じられず、単純なアクションものとしても十分読めます。
 またそうしたトラブルを経て徐々に三億円事件の真相に迫っていくのですが、その真相に迫る過程で特筆すべきは、回送シーンの入れ方が神がかっています

 三億円事件をテーマにしていることから1968年の事件当時の場面が何度も回想シーンとして作中で入るものの、その回想シーンは一度にすべて流れるわけでく、事件前や事件後、果てには事件中に至るまでいくつかか分割されて入れられています。その入れ方が秀逸で、また現代において回想シーンの中の人物が登場するにつれて真相が徐々に明らかになるなど、読者をぐいぐいと引き込む見せ方がなされています。
 また長期連載であったことから登場人物も非常に数多いのですが、ほんの些細なわき役に至るまでキャラが非常に立っているのは驚きでした。具体的には、ハードな内容のため苦渋の決断を迫られることが多いのですが、どの登場人物もなし崩しで決めるのではなく、悩んだ末に犠牲を覚悟で厳しい決断を下すことが多いです。そのあたりの心理描写も非常に細かく、一読しただけで細かいわき役のセリフなどを私なんか覚えてしまいました。

 また主要登場人物、特に悪役側に至っては、その行動理念というか信念のすさまじさがやばいです。どのキャラもそれぞれが確固たる信念を持って行動しているように描かれており、それ故に妄執の如く主人公を追い続けたりするのですが、信念の内容はともあれその意志の強さは漫画で読んでても迫力を感じます。そのあたり、血の通ったキャラクターを非常によく出せているように感じます。
 特に、主に回想中に出てくるある重要キャラクターについては、「ああ、覚悟を決めた犯罪者というのはこのような顔をするのか」と、非常に迫力を持った絵で書かれてあり、しばらくそのコマを眺めたほどです。この辺は反社系漫画家の腕の見せ所というべきか、 凄みのある顔については他の漫画家の絵を遥かに凌駕しています。

 などと好き勝手書きましたが、真面目にこの漫画はここ数年読んだ漫画の中でも一番印象に残っており、ぜひ他の人にも手に取ってもらいたいです。


2020年8月20日木曜日

コロナ対策のチャンスをピンチに変えた日本

 中国の武漢ででコロナが発生したのは昨年12月末とされていますが、翌月の旧正月開始直前に中国は武漢市の完全な都市封鎖を決断、実施しました。その結果、春節中に旅行を予定していた人や武漢への帰省を考えていた人たちは大いに影響を被りましたが、結果論で言えばこの過激な決断は功を奏したと言えるでしょう。直前での発表、もっとも事前予告していたら逃げ出す人も多かったのでこうせざるを得ないのが実情ですが、あのタイミングでの決断は実は時期的にも非常に都合がよかったという伏線があります。それは何故かというと、春節という長期休暇のシーズンをそのまま利用できたからです。

 それこそ4月のど真ん中当たりで2週間都市封鎖するのと、あの春節直前に都市封鎖するのとでは大きく意味が変わってきます。というのも春節期間中は学校も工場もあらかじめ休みとなることが決まっており、休業期間が1週間、2週間延びるとはいえその影響は平時と比べると段違いに小さくなります。だからこそ中国政府もあのタイミングで封鎖を決め、その後の状況を見て他の都市でも経済活動の停止などを強制し、結果的にコロナ流行から一抜けを果たしたと私は考えます。
 なお一抜けというのは先ほど連絡を取った友人の言葉からです。なんでも最近二度目の転職をしたとのことで、「二度目ということは上級職?バトルマスター?せいけんづき?」という妙な質問をしました。

 めちゃくちゃ間の良い人ならもうわかるかもしれませんが、日本はこのお盆の時期をコロナ対策において無為に消費しました。それこそこのお盆の時期であれば学校も会社も工場も止まっているのだから、少なくとも本来被るはずだった1週間分のロスをゼロにできたので、前後半年において最も都市封鎖を行う上で都合のいい、チャンスでもあった時期でした。しかしこの都市封鎖に最も都合のいい時期に日本政府は、真逆とも言っていいGo toキャンペーンをやって、PCR検査数の増加もあるとは思うものの、各地の発表を見る限り感染者数の増加をむしろ促していたかのように思えます。

 コロナウイルスの特性から言って、2週間完全に都市封鎖を行って発病者を隔離することは流行予防において非常に効果がある、というより現実面で最も且つ唯一効果的と言えるのですが、中途半端な自粛要請だけやって流行蔓延を半ば黙視しているようにしか見えないのが今の日本の状況です。
 予言すると、多分今度の年末年始になってようやく諦めがついて上記の都市封鎖を日本もやるのではないかと思いますが、この結論に至るまでの時間の差がすべての差というとこでしょう。

 またコロナの感染確認アプリですが、報道を見る限り私が予想した通りに何の感染防止にも役立っていないようです。はっきり言えばあのアプリの仕様で承認した担当責任者は無能もほどが過ぎるので直ちにその職を辞すべきでしょう。愚かしいという言葉では済まないほど無意味に無駄なことにリソースをかけ過ぎており、私には到底正気を保っている人間には見えません。もっともそれを言ったら、自分を含め正気を保っているのは何人やらですが、政府発表とか見ていると日本の官僚の質はここまで低いのかとやはり中国と比較していて感じます。

2020年8月18日火曜日

日本でマヨネーズが普及した背景


 というわけで無事に終日一位だった昨日の記事ですが、ヤフコメ見ているとやたらと「中国には生野菜を食べる習慣がない」という私の記述に噛みついてくる奴がいて、世の中くだらない奴が多いんだなと本気で感じました。キュウリは生で食べるとか、地方には生野菜の料理があるとかいろいろ言ってましたが、別の「日本も戦後すぐまでは全く同じで生野菜はほとんど食べていなかった」というコメントがすべてを物語っているでしょう。もう少し補足するなら、1か0かではなく10か100かの話をこちらはしており、また双眼鏡で見える風景を話しているのに顕微鏡の中の世界の主張を繰り出すなど、彼らは自分が主張することによって見えることとなる事実を恐れないという点には恐れ入ります。

 話は本題ですが、先ほど引用した通り日本も戦後すぐまでは生野菜を食べる習慣はほとんどありませんでした。基本的には加熱するか漬物に加工して食べるのが一般的であり、取れたてをそのままかじることはあっても、現代の様にマヨネーズやドレッシングなどを付けて一般家庭で食べるという行為は一般的ではなかったでしょう。
 ではそこでクエスチョンですが、一体どういう風にして日本人はサラダ料理を一般的な水準にまで食べるに至ったのか。これは昭和のその時代をリアルに生きていない私からすると想像の範囲でしか述べられませんが、一つはもちろん食の西洋化で、西欧のライフスタイルを取り込んだことがあるでしょう。ただそれ以上に大きい理由としては、やはり今回取り上げたキユーピーなどの関連食品メーカー、そしてそれに付随した広告企業などの長年にわたるマーケティングが最大の原動力であったのではないかという気がします。何故このように思うのかというと、リアルタイムで今中国でその姿を見ているからです。

 突き詰めると食というのは習慣で、嗜好ではないというのが私の持論です。みんなが食べるから私も食べるであり、個々人の味覚や価値観なんてほとんど影響せず、結局は食文化の枠に入れられるか否か、そこへ至るまでにアプローチできるかにすべてかかっていると考えます。
 ではどうやってそこまで持って行くかというと、やはりマーケティングにかかってくると思います。もちろん味の調整など食品本来の研究開発も重要でしょうが、それ以上にマーケティングによって、如何にその食品を食べることが当たり前だと思わせることの方が重要でしょう。

 現に今、中国で日系食品メーカーがカレーやサラダドレッシングなどの普及に努めており、あの手この手でマーケティングが行われています。そうした甲斐もあって10年前と比べるとこの手の食品も中国で食されるようになってきましたが、やはりこういうのを見ていると日本でサラダ料理が食べられるようになったのも、関連食品企業のマーケティングによるものだったのではないかと思うに至りました。逆を言えば、具体的にどういったマーケティングで現在の成功を勝ち得たのかなどが個人的には気になるし、それらは中国市場でも応用されているのかについても興味があります。

 その辺、今回の記事で恩に着せてキユーピーとかに聞いてみたいものですが、そう考えると食品系企業はなかなか夢があるなというか、無印とか東急ハンズよりずっとライフスタイルつくっているようにも思えます。生憎就活中は食に関心がないことからこれら企業を受けることはありませんでしたら、今のような境地に至っていたらまた別の行動をとっていたでしょう。

2020年8月17日月曜日

調味料記事の裏側


 というわけで今日配信された自分の記事ですが、今のところのアクセスランキング速報で1位になっています。終日1位も狙える位置にあり、最近ずっとトップ取れなかったので素直にめちゃくちゃうれしいのですが、朝一でランキングを確認したら昔書いた「日本にしかない『中華料理』、中国人はどう思う?」が何故か1位になってて、「あれ?(;´Д`)」とか思ってみてました。

 さてこの記事ですが配信前からトップ狙えると思っててそこそこ期待値が高かったです。というのも職に対するこだわりどころか欲求すらほとんどないのに自分が書くグルメ系記事は当たりやすいのと、お盆で他のライターさんが休みなのか記事投稿本数が減っていて、トップ狙うなら今のうちだと狙っていたからです。真面目に最近全くランキングトップが取れなかっただけに、今回のこの結果はマジうれしいです(^_-)-☆

 この記事ネタこと調味料ネタですが、構想自体は1年くらい前から持っていました。記事化するタイミングがこの時期になったのはたまたまで、先月の会社での激務が一段落してようやく生を実感できるようになったのだから手早くちゃっちゃと書ける記事をと考えて選んだのですが、そんな経つつも実はこの記事を脱稿するまでは非常に難産でした。
 具体的に述べると、実は2回ほど全面的に書き直しています。以前に書き上げたものの面白くなくて自分で没にしたことはありますが、2回も書き直したのはJBpress向け記事としてはこれが初めてです。真面目に第一稿は自分でも面白くなく、あのまま出してたら箸にも棒にも引っかからなかったことでしょう。

 何故2回も書き直す羽目に至ったのかというと、単純にプロット段階でミスったためです。今回の記事ではキユーピーとそのマヨネーズ及びサラダドレッシングが日本代表みたいに主役となっていますが、実は最初に主役にした調味料はウスターソースで、中国にはたこ焼きの伝来とともにウスターソースが伝わったようだとかそういうこと書いてました。
 しかしウスターソースは現在においても中国ではとんかつやお好み焼きなど日本料理にしか使われておらず、味と名前はある程度認知されてはいるものの、調味料としての発展性がやや低く、且つ話題が日本料理限定となるなど広がりがありませんでした。折角知り合いに初めてウスターソースを食べた時の感想とか聞いてたりしたのですが。

 第一稿を書き上げたところでようやく上記問題点に気が付いて、やはり今後の市場拡大と食の西洋化につながることからサラダドレッシングを主役にしようと思って第二稿を書き上げましたが、今度は話の焦点が見えなくなって失敗しました。というのも知り合いのインタビュー内容を中心に取り上げ、日本はテーブル調味料が多いけど中国は台所調味料が多く、味付けの完成を調理前にするか調理後にするかで日中の料理文化に差があるとか、そういう話をメインに書いていました。
 なお「テーブル調味料」という言葉は実は今回作った私の造語で、恐らくこれまで存在していなかった単語で、「食卓調味料」も候補でしたが音的にテーブルにしました。「台所調味料」という単語は前から存在していましたが、今回記事を書くに当たってその対となる単語が必要となることから編み出しましたが、ヤフコメとか見ると誰も疑問に思ってらず素直に受け取っているあたりは仕込みは成功と言えるでしょう。

 話を戻すと、友人のインタビュー内容や日中料理文化比較論がメインとなり、今度は日本の調味料種類が如何に豊富であるのかという説明や主張が極端に薄くなってしまいました。これは書いてる段階から薄々気が付いていたものの、かといって折角まとめたインタビュー内容を出さないのはなぁという変な欲を書いて大失敗こきました。
 そんなわけでまた書き直した第三稿では、徹頭徹尾に日本の調味料は多いという話題を書きつつ、中国の調味料事情、そして最近のキユーピーの浸透という流れにして、ようやくまとまりを得ました。といってもあともう一回書き直せばさらに良くなったかもしれません。

 その書けなかったインタビュー内容ですが、先ほど述べた通り日中で調味料に対する感覚はやはり異なります。中国は台所調味料がやはり重視されるのに対し、日本は個々人の味の好みを反映させられるようにテーブル調味料が発達しています。これはそれぞれの料理の味の濃淡も影響しており、中華料理は初めから濃いめ、日本料理は逆に薄めという全体的特徴にもつながります。そういう背景から、中国はテーブル調味料は黒酢、醤油、辣油くらいしかないけど、台所調味料はそこそこ充実しています。

 ただ台所調味料で比較したとしても、恐らく日本の方が種類や量で勝っているのではという気がします。ヤフコメで逆の主張書いてる人もいましたが、単純に日本人は何でもかんでも味付けしたがるほど調味料に対する偏重が強く、味の素を筆頭に化学調味料の消費量はかなりすさまじいと感じるところがあります。そもそもアミノ酸を見つけたのも日本だし、台所調味料分野をひっくるめても日本は世界トップ水準にあるとは思いますが、この辺の話をすると3000字でまとめ切れるはずもなく、わかりやすくて読者受けしやすいテーブル調味料に敢えて話を限定しました。この判断は優れていたと自負しています。

 あと書くべき点としては、やはりちょっとキユーピーを持ち上げ過ぎかなという気もしましたが、日本マヨネーズ代表といったらここだし、尚且つ財務諸表できちんと中国エリアのセグメント業績も出しててくれたので、応援を込めて書きました。今日の株価は16円下落(-0.80%)だったけど。
 ただまじめな話、前からもこのブログで書いているように日本の食品系メーカーはその日本に対する貢献に比して世間の評価が低すぎる気がします。前述の味の素、醤油のキッコーマンなどは下手な機械メーカーとかよりもずっとグローバルに商売しており、相当量の外貨を日本にもたらしています。またその国際競争力も決して低くなく、機械や車なんかより中国ビジネスにおいては実は競争力が高いと私は睨んでいます。政府も飛ばない飛行機を応援するより、外国でマヨネーズ売ることをもっと応援するべきです。

 しかし依然と日本では重工系メーカーばかりがもてはやされ、経団連幹部も重工系メーカーに占められているのが現状です。個人的にそれが非常に納得いかず、ヤクルトなど食品系メーカーも中国で頑張ってるんだぞと前から訴えたい気持ちは強かったです。もっともヤフコメ見ているあたりそのあたりまで読み込んでくれていた人はおらず、この方面では私ももっと努力を続ける必要がありそうです。

 最後に関係ないけど重工ときたら三菱重工ですが、なんで次期国産戦闘機(F-3)の単独受注先はここで決まりみたいになっているのが内心納得いかないです。最近だって飛ばない飛行機しか作ってないし。
 じゃあどこがいいのかっていうと実は川崎を応援しており、なんでかっていうと旧軍の戦闘機で川崎が作っていた飛燕と五式(飛燕改)が好きだからです。なのでF-3は飛ばない飛行機を作っている三菱重工ではなく川崎に、「飛燕エボリューション WRX-STI」を作らせるべきだと考えています。この名称なら三菱、スバルが開発に参画しても全く遜色ないし。