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2021年11月13日土曜日

日本企業がしてきた言い訳のツケ

日本の製造業「技術はあるのに売り方がヘタ」は本当か? 数字から見えた「意外な真実」(現代ビジネス)

 上の記事は自分が密かに尊敬している加谷珪一氏の記事ですが、見出しの「技術はあるのに売り方がヘタ」というのは10年くらい前は飽きるくらい使われてきましたが、この数年間はあまり見当たらず、割とデジャビュ感のある言葉となっています。
 この言葉と同時期によく使われていたものに、「日本は人件費が高すぎる」というのもよくありました。結論から言うと、両者ともに的を外れた言い訳であり、その結果が今の現状に直結している気がします。

 特に後者の人件費に関しては、最近やたらあちこちのメディアで見られるようになりましたが、今の日本の人件費は先進国中最低クラスにまで落ち込んでおり、且つ直近10年間で一切成長していない唯一の国となっています。無論、東南アジアなどの発展途上国と比べれば人件費に格差はありますが、同じ条件である先進国と違ってどうして一切成長がないのかって話にもつながってきます。
 はっきり言えば、途上国への生産移転は今や一般的であり、日本国内の人件費が高いから経済が好転しないという理由にはつながりません。また前述の通り日本はむしろ先進国としては人件費が安い国となっており、その上で、ハイクラス職種に関しては正直もう中国のが上に来ている職種も多い気がします。でも商売に勝てないわけです。

 ではなんで勝てないのか。単純に競争力、能力がないに尽きます。突き詰めれば10年前によくわからない言い訳をしていた時点で競争力を失っており、自身が頼みにしていた技術力も実際存在しなかったと私は見ています。
 この辺は当時の記事にも書いていますが、自分がこうしたからくりに気が付いたのは当時やたら日本が自慢していた環境対応技術です。実際にこの手の博覧会とか回ってみて思ったこととして、日本が世界的に高い技術があるという省エネ・環境技術の大半は金をかければ誰でもできる程度の水準で、際立ったパフォーマンスはごく一部を除いて感じられませんでした。日本はこれらの誰でもできる技術を国内の環境規制で導入しているだけで、技術そのものはほとんど空洞だと気が付き、言うほど日本は技術はなく、商売がうまくいないことを上記の言い訳で逃げているに過ぎないと感じていました。

 この辺の実態が段々と自分たちでも理解できて来たのか、この数年は加谷氏の記事を読むまですっかり見なくなってきていたのですが、ふと気が付くと人件費云々の言い訳も鳴りを潜めてきています。
 特に人件費関連の言い訳については、本来人件費の介在要素が低い設備型製造業企業もアホみたく言ってて、あの矛盾に当時誰も突っ込まなかったことが非常に不思議です。具体的にはプシャーっぽい会社とかその類です。

 今更かもしれませんが、負けを認めるところから始まるものも少なくない気がします。もっともそこまでに至るには、あと10年の時間が必要だろうと私は見ています。

ニートを生む教育法

天才なんJ民「過干渉な母親には、ある日"子育ての大変換"が起きる」(暇人速報)

 上のまとめ記事は先月見たものですが、非常に納得感があるというか金言だと感じる内容が書かれてあります。直接抜粋すると、

32 風吹けば名無し 2018/10/17(水) 04:34:04.69 ID:fBdqdJ6Yd
子供をいつまでも幼児扱いする過保護過干渉な母親と、寡黙で子育てに無関心な父親
ことあるごとに母親が口を出してくるので、子供はどんなことでも母親に意見を仰ぐようになる

入る部活から、家庭科で使う裁縫道具のケースのデザインまで何でも口出しされる
母親に反対されそうなことは怖くてできないので、行動力の無い子供になる

また、こういう母親は往々にして他人の悪口を平気で子供の前で言うため、子供も人嫌いになったり、対人関係における好き嫌いが激しくなり友達もできない
しかし、人生の出来事において全て母親が過保護とはいえしっかり面倒を見切れるのならニートになることはないかもしれない

問題は、高校大学受験や就活などの人生の大きな節目になると、母親がビビって急に口出しをやめることである

それまで何においても干渉してきたくせに、子供の人生を大きく左右するそれらのイベントに直面すると途端に怖じ気づき、「自分の人生なんだから自分で決めなさい」と一切の口出しをやめてしまう(子育ての大転換)

突然母親という羅針盤がなくなった子供は、どうすればいいかわからず受験や就活に失敗し、ニートになる
ここに来て、ようやく重い腰を上げた間抜けな父親が叱責を始めるが、自分に無関心だった父親が今更何を言い出すのか、と子供は反発し、更にニートの地位にしがみつくようになる

というわけや

 簡単に言いなおすと、子供の進学や進路について小さい頃から細かく口出す母親の元で育つと、子供は自らの方向性や将来について考えられなくなるのに、大学神学者就職などの重要なシーンになって母親が怖気づいて急に指示しなくなると、子供はニートになりやすくなる、といったところです。この主張ですが上にも書いてある通り私としてはまさにその通りだと感じるとともに、まさにこういうケースだと感じる人を実際に何度か見ています。それまで過干渉だったのに突然干渉をやめ、ある意味悪い場所で突き放されることで躓くような人がまさにそういう人でした。

 先日に私は「日本人の自我形成における大学教育の重要性」という記事も書いていますが、実はこの記事を書くきっかけとなったのも上の書き込みです。上の書き込みを読んで、またかねてより日本の教育は大学を除いて自我を叩き潰すことが目標になっているという前提を掛け合わせたところ、結局のところ日本人の自我はどこで形成されるのかというと大学在学シーンで、だからこそ各大学の学風というかスクールカラーも成人において比較的わかりやすくみられるのではという結論になりました。

 話を戻すと、仮にニートになる人の一部原因がまさに上の書き込みの通りであるとしたら、その対策はやはり子供の節目節目で、自らに自分の生き方や価値観を自己決定させ、自らが判断する重要性とその責任をはっきり自覚させることに尽きると思います。具体的にはまとめ記事にも書いてある通り習い事や高校などの進学先については強制はせず、本人が望むものを取捨選択させたり、誤った選択であることをわかっていながら本人が望むのなら敢えて選択させて、失敗の経験を敢えて積ませるなどが対策となりうるのではないかと思います。

 その上で、前の記事で主に取り上げた自我について、地味に日本人とその教育を分析する上でかなり重要なワードじゃないかとこのところ思うようになってきました。突き詰めれば自我が未発達の状態で突き放されるということが上の書き込みの内容で、自我をどのように形成させるか、またその自我が暴走しないようにどう抑えるかをもっと日本は考えるべきだと思います。
 具体的には、小中高の自我を叩き潰す教育は早くやめるべきだと思います。この教育法の中で自我を発達させるには既存権力(両親や学校)への反抗しかほぼないように見え、仮に家庭教育の中で自我が育成されなければ本当にもうどうしようもなくなります。

 一方で、現在の大学教育はやはり日本だと非常に重要だと思います。カリキュラムに関してはもっとどうにかしてほしいという気持ちがありますが、授業出席を強制せず、本人の自主性にある程度委ねる姿勢はやはり維持されるべきでしょう。真面目に日本の自我教育における最後の砦な気がします。

2021年11月9日火曜日

中国のケンタッキーのオーダーの取り方


 上の写真はみんな大好きケンタッキーの店内ですが、友人に「这个在日本也有吗?」と聞いたら「ない」と言われました。なんでいきなり中国語書いているのかというと今日いきなり日本語から中国語の翻訳やらされて色々疲れてるからです。

 話を本題に戻すと、現在の中国でケンタッキーをはじめとするチェーン系飲食店では、店員に直接オーダーすることの方がもはや珍しくなっています。基本はテーブルや壁などに貼られているQRコードを読み取ってアプリを起動した後、そこから注文、決済まで済ませます。テーブルのQRコードはテーブル番号と連動しているため、店員も注文来て品物が用意できたら運ぶだけで、決済はオンラインで既に済んでるためレジすら動かしません。

 でもって上の写真ですが、ケンタッキーの場合はアプリか店内のタッチパネル式注文機械に注文出すと上の表示パネルに書かれてある番号がアプリに表示、若しくは感熱紙で出されます。左の画面が準備中を意味するのですが、自分の番号が右側の「出撃可」に表示されたら、手前のロッカーについているQRコード読み取り機にアプリか感熱紙についているQRコードを読み取らせると自分のが入ったロッカーだけがパカッと開く仕組みになっています。
 これデリバリー業者も同様で、自分が運ぶ品物に連動しているQRコードを読み取らせることで間違いなく自分の運搬対象だけ持って行くことができます。むしろこっちの方が本命な気がします。

 なんでこんなの紹介したのかというと、日本ではこういうのはないと聞いたからです。友人によるとアプリで注文して番号を店頭で言って品物を受け取る店はあるそうですが、上海だとむしろそれがデフォで、その機能がない店の方がもはや少なくなっています。
 何が言いたいのかというと、地味にこういう草の根の現場における技術差は笑えないということです。ロケットとかステルスなどのごく一部の最先端分野の技術以上に、市井に溢れている技術力の差の方が本当の実力差を示すものだと自分は考えており、この辺で日中間の差が先ほどにも書いたように笑えなくなってきていることを示すのが上のケンタッキーの写真だと私は考えています。

2021年11月8日月曜日

新エネ車ベンチャー記事の裏側

この4社に注目せよ! 中国EV市場を牽引する新興メーカー(JBpress)

 いつものように自分の記事紹介ですが、前回の第3四半期中国自動車統計記事で新エネルギー車のベンチャー企業がかなり大きくなっており、こうした存在を知らない日本人にも紹介しておこうと思ってこの記事書きました。書いてる間、というより4社について調べている間は興味ある分野であるだけに楽しく、また写真も、自宅からチャリで10分の距離にどのショールームもあったので撮影しやすく、尚且つ被写体の車がどれもいい感じなので撮ってて楽しかったです。

 こんな具合で楽しいこと尽くしでしたが、アクセスはあんま伸びてないようです。その辺は想定内でしたが、アクセスがないとはいえこの記事はまさに今日本が必要とする情報をまとめたという自負があり、読んでくれた人の一助になればと考えています。

 記事内容に少し付け加えると、読んでみてわかるかもしれませんが一番肩入れして書いたのは3番目の哪吒汽車です。記事でも触れている通りこれまでは蔚来汽車、小鵬汽車、理想汽車がベンチャービッグ3と呼ばれていたのですが、突然この3社に割って入るかのように哪吒汽車が今回のし上がってきました。自分も先月までこの会社の存在すら知らず、改めて調べてみたらこの業界には珍しくプロパーの自動車業界エンジニアで、しかも昔から新エネ車を研究していた人だと知って興味が湧きました。

 その創業者の経歴についてはたまたま見つけた中国語記事に細かく書かれてありましたが、2000年頃に試作したEVが途中で止まってしまい、20キロくらい仲間とともに車を押して帰ってきたとか、大学で研究したりとかそういう話が載っていました。中でも面白かったのは出身の奇瑞汽車から独立する際に奇瑞汽車のトップから、「この恩知らずめ!」と言われたそうなのですが、「あなたは40歳近くで独立して奇瑞汽車を作りました。私の年齢は今それに近く、あなたに学んだだけです」と言い放ったセリフなどからも人間的魅力を感じます。


 なお哪吒汽車のホームページ行くと、上記の「魔童版」と称する電動カートも紹介されています。お値段2999元(約5.5万円)で一瞬「買ってみようかな?」とか思いました。iPhoneより安いし。

 勝手な想像ですが、やはり自動車業界出身なだけあって資金調達では他のベンチャーに後れを取ったものの、開発から量産に至るまでの過程は経験者なだけに早いと感じます。また量産中のコストダウンにおいても知見があるのではと期待されるだけに、個人的にはこの哪吒汽車はかなり推したい会社です。

 なお今回ショールームを回っていて感じた点として、どのメーカーも自動車のショールームというより、なんとなく高級家電のショールームみたいな雰囲気を感じました。唯一、これまた哪吒汽車だけ狭いスペースにおばちゃん一人で案内していて、街のディーラーっぽい雰囲気を感じましたが、やはりこの辺は会社の成り立ちがはっきり出ている気がします。

2021年11月7日日曜日

中国滞在10年超にして初の……

 本題と関係ないけどたまに漫画でトランプなど本来武器じゃないものを武器に使って戦うキャラがいますが、こういう意表を突く武器として他に何があるだろうかと考えた際にふと「下剤」が浮かんできました。キャラ的にも嫌すぎますが、対峙したらすごい嫌な相手となる気がします。



 話は本題ですが、本日このPC用ゲームコントローラーを受け取りました。一体なんでこんなのを受け取ったのかというと、これまで使っていたエレコムのゲームコントローラーが壊れたからです。3日くらい前に家で遊んでいたら突然接続が切れ、コードを揺らすとたまに接続されることから、恐らくコード内の電線が断線したのではないかと思います。
 っていうか勝手から2年程度で壊れるなんて、マジで最近の日本製品の品質低下が笑えません。そもそもボタンからしてLRボタンが購入当初より押したらへこんだまま戻らないということが異常に多かったし。

 そんなわけで困った困ったとなり、上海市内のPCパーツ屋が集まっているエリアとかにも行きましたが何故だかこの手のゲーム用コントローラーって中国だとやたら手に入り辛かったりします。エレコムのを日本滞在中に買ったのも、中国じゃ手に入らなかったからだし。
 散々探し求めても人の夢のように結局手に入らず、かといってこの手のコントローラーないとPC上でアクションゲームは無理だし、RPGゲームも移動とかでやっぱりキーボードよりこっちのが使いやすいだけに困ったわけで、最終的にネット通販で買うしかないと決断しました。

 実をいうと、中国でネット通販を使ったのは中国滞在暦が10年超であるのにこれが初めてでした。日本ではもちろんネット通販は使っていましたが、何故だか中国だと使う気になれず、また身近なお店で大概のものは購入できることから利用する機会もありませんでした。そうこうしているうちに長い年月が経ち、あとから来た赴任者にタオパオの商品画面を見せられて、

赴任者「これで買いたい物が購入できるんですか?」
自分「ええ、これで問題ないはずですよ(多分)」

 などという、なんか妙で不毛なやり取りをすることも増えてきており、さすがに一度も使わないってのはどうなんだろうかと前から自分でも少し思っていました。ついでに書くと、どうしても必要なものはたまに友人に代理購入してもらっていました。

 今回、どうしても店頭で買えないゲームコントローラーであることから、新しい自分への第一歩として初めてタオパオことアリババこと「天猫(TMALL)」を利用し、上記のゲームコントローラーを購入するに至りました。なおXbox用コントローラーとしても対応しており、PCに差したらいろいろ画面表示出てきてびっくりしました。
 あと前のコントローラーが黒だったのと、窓際に置くため黒だと日光吸収し過ぎてやばいだろうと思って数あるカラーバリエーションの中から白を選びましたが、改めてみるとボタンや十字キーの配色と合わせてすごくダサく、なんでこの色選んだんだろうとちょっと思いました。まぁ持ってみた感じとしては悪くないけど。

 なお、今回購入するに当たってゲームコントローラーだけだと寂しいと思い、何故か会社用にとロジテックの有線マウスも購入しました。今回検索してみて思ったけど、なんか中国だとマウスのブランドがやたら少なくほぼロジテックしかない気がします。

2021年11月6日土曜日

日本人の自我形成における大学教育の重要性

 このところ少し見どころのある若い子といろいろ話すことが多く、先日も同じ大学出身者に共通するカラーというか学風について話すことがありました。これまでの社会人経験からして、やはり慶応出身者はどの人も安心して頼れるというかおかしな人はおらず、どうして慶応出身はこういうところで共通するのか見たいな話をしました。
 なお私の出身の関西私学出身者に関しては、はっきり言って仕事面においては全く信用が出来ません。どの人もポテンシャルは高いのですが独断専行型が多く、課題突破的な仕事だと頼りになるけど、自分を含めチームで連携して物事に取り組むというのはみんなして苦手です。これマジで不気味なくらい出身者に共通してるから怖い。

 話を戻すと、多かれ少なかれこういった同じ大学出身者に共通する大学カラーというか校風は存在するかと思います。しかし何故同じ大学出身者でこうした性格面の特徴が共通するのかこの点について少し議論したところ、日本の教育においては大学学部で初めて自我形成が進められるからではないかという結論に至りました。

 かねてからこのブログで私は、日本の教育は究極的には各人の自我を磨り潰すことが目的となっていると公言しています。自主性を重んじるとか豊かな発想を鍛えるなどという耳障りのいい文句がたまに主張されますが、こうした言葉を真に受けた人間からむしろ排除していくシステムとなっており、如何に集団に身と心を捧げ、自己を捨て去るかがあらゆる方面で強調されている教育システムだと考えています。部活動なんかまさにその典型ですし。
 ただ、こうした特徴は高校レベルまでで、大学以降になるとなりをひそめます。日本の大学教育に関してはその言葉通りに自由性が尊ばれ、単位取得条件なども緩いところが多く、それまでの束縛的教育から一転して開放的な感覚を恐らく誰もが感じるのではないかと思います。

 ここで自我形成の話に至りますが、基本的には裁量がないと自我は形成されません。そのため高校レベルまでは基本的には学校側や両親の影響が強く、その本人の主張や思想はむしろ学校側や両親の思想が大半となるのが自然かと思います。
 それが大学に入ると一転して自由な環境に置かれることから、意図せずに各自で自我を持つことが求められるようになります。また大学入学以降であればいわゆる教育ママも子供にあれこれ要求してくることもなくなり、こうした家庭面においても自由度が俄然高まります。そのようなそれまでにない自由な環境を得ることで、日本人の大半は自らの自我を大学学部時代に形成することが多いのではないかというのが私の見立てです。

 その結果というか、副次的にその自我は通った大学の影響を受けやすくなるのではないかと思います。社会学的な主張をすると、自我というのは本人のこうなりたいという「希望」以上に、周囲に求められる「役割」によって形作られやすいと言われています。そのため日本の教育システムにおいて唯一と言っていい自我形成の場である大学において、その大学が周囲から見られる特徴(校風、カラー)が各人の自我に取り込まれる面も少なくない気がします。
 この辺、「ファイアパンチ」っぽい内容ですが、事実そうだと思います。

 さらに付け加えると、それまでの人生にない初めての自我形成の場において、同じ大学の先輩や同級生からも直接的な影響を受けることとなるため、この辺でも同じ大学出身者の同質性が高められるのではないかと思います。さらにさらに付け加えると、そうして形作られた大学の評判が世間一般にも校風として定着し、受験時の段階でそうした校風を目指して(元より適性がある)入学してくるというサイクルもあるのかもしれません。

 ざっとこんな感じが私の意見ですが、改めて述べると日本人の自我形成に関して大学は非常に重要な場であるのではないかと考えるに至りました。特に女子学生に関してはいわゆる「大学レビュー」といって急に化粧やおしゃれに目覚める子が多いですが、この辺も通っている大学によって化粧パターンに違いがあるのかとか調べると結構面白い研究になる気がします。

 なおこの自我形成に関して、敢えてヤンキーについて言えば反抗的なだけ一般日本人よりも自我形成が早いのかもという気がします。そういう意味では不良が集まる学校は高校の時点で校風とかそういうものが出来上がっているかもしれません。

2021年11月4日木曜日

外国には同調圧力はないという誤解

石井慧「死にかけました」──忘れられた金メダリストが語る激動の1年

 上の記事を読んだ際、記事中で石井氏がクロアチアだと日本みたく同調圧力がないのがいいと話している点が引っかかりました。先日にもノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏が米国で研究を続けていることについて日本の同調圧力に合わせられないといったようなことを口にしてましたが、なんとなく石井氏の乗騎の発言はこれを受けたものじゃないかなと思います。

 では外国には本当に同調圧力はないのでしょうか。結論から言うとそんなわけではないと自分は考えています。

 まず、日本国内の同調圧力は「ムラ社会」という言葉に代表されるようにかなり圧が強いことは確かです。この辺はいくつか社会学でも研究が出ていたと思いますが、一気飲みやイベントへの共同参加、しごきなどこうした儀式体験を共有することで日本人は親睦や連帯感を高めようとする文化は明らかに濃く、比較平均的に言えば私自身も同調圧力が高い方だと考えています。
 ただ、だからと言って他の国には同調圧力が全くないと言ったらそうでもないと考えます。やはり中国人に話を聞くと早く結婚しろとか、周囲の人間関係などとかいろいろ言ってきますし、上記の一気飲みに対する習慣に関してはむしろ日本よりも強い部分もあります。ついでに書くと中国人はプライバシーの意識も弱いため、日本人からしたらプライベートなところにもガンガン入り込んでくるところもあります。

 それにもかかわらず外国にいる日本人は、「日本と違って外国は同調圧力がないからいい」と言いますが、これは本質的には「外国人扱いされると同調圧力にさらされない」というのが実態ではないかと見ています。

 日本国内でも中国人やタイ人と言った外国人に対し、日本の風習や文化、仕草などを完璧には求めないでしょう。それこそ外国人に「七五三をやったことないの!?」なんていう人いたら、逆にそいつの方がおかしいです。
 やはり外国人相手だったらどの国でも自国民に比べ同調圧力は弱まります。感覚的には「まぁこいつは外国人だから仕方ないか」みたいにみられ、多少集団に外れた行為や発言をしても大目に見てもらえます。そういう意味では、日本の同調圧力から逃れたいっていうのなら外国に住むのは間違いではありません。

 ちなみにこの例に属すかどうかやや測りかねますが、以前にテレビ番組で明石家さんまがデーブ・スペクター氏を指して、「あいつホンマずるい」と愚痴を言っていたことがありました。何がずるいのかというとデーブ氏がダジャレを使うことを言っていて、「日本人やったらしらけるところをあいつは外国人だから許されてウケを取る」などと話しており、実際そうだろうなと私も思いました。こうしてみるとお笑いにおいても、「自国民には許されないネタ」の一部は外国人には許されるところがあると言えるでしょう。ボビーオロゴン氏なんかもそういうところある気がする。