昨日書いた「懐かしい曲を聴いて思うこと」の記事のコメント欄に新たに私も書き加えていますが、はっきりこそ書きませんでしたが前の記事で私が提起した問題というのは、良い曲に当時の良い思い出が重ねられるのか、良い思い出がその当時の良い曲に重ねられるのかという、卵が先かひよこが先かというような議論でした。ま、人それぞれにどっちもあると思うけど。
まぁそんなことはさておきやっぱり古い曲だと思い起こすことも多く、特に映画やゲームに使われるような曲だと作品のストーリーを一挙に思い出させる力があり、私なんかもゲームのサントラをよく集めていたこともあって時折それら引っ張り出しては悦に入ることがあります。さらに言えば同じ映画やゲームに触れたことがあるもの同士でそれらの曲を聴くと、相乗効果に近いようなものがあるのかいろいろとその母体作品について話に華が咲くことも多い気がします。
私の実体験だと、かつてエニックスが出したスーパーファミコンゲームソフトの「天地創造」のゲームミュージックサントラを私が持っていたこともあり、何故だか知らないけど下宿で友人が遊びに来ている最中に脈絡なく流したらその友人も「天地創造」をやったことがある人間で、「懐かしいなぁ、これ」といってはゲームのエンディングやら内容やらでえらい勢いで盛り上がり、CDのトラックが変わるたびに「この曲の流れるところは……」といっては、そのゲームをやったことのない別の友人を一人置いて始終二人で盛り上がったことがありました。
また「天地創造」以外にも、かつてSNKが出したファミコンソフトの「怒」というゲームについても、友人と何気なくお茶を飲んでいる最中にまたも脈絡なく私が、
「ちゃっ、ちゃっ、ちゃらら、ちゃっ、ちゃっ、ちゃららー、たーららー、らーらー……」
と、メインBGMのメロディーを口ずさむとやっぱりやったことのある友人なら反応を示したりしていろいろと面白かったです。
この手の話をすると本当に際限なく広がってしまうのでいい加減やめますが、その一方でこうした聴き方とは別にちょっと特殊な使い方をしている曲が私にはあります。その曲は只のポップスの歌なのですが、その歌をよく聞いていた時期は私にとって非常に辛い時代で、それこそ毎日家に一人でいてはめそめそ涙を流していた時期でした。なのでその歌を聴くとやっぱりその時代を思い出すのですが、徳川家康が三方原の敗戦後の肖像画を後年に何度も見つめたというエピソードじゃないですが、私も現在に至るまで一週間と間を空けさせずにその歌を聴いては辛かったあの時期を思い出し、当時よりマシな今の境遇に感謝するとともに身体に冷水を浴びせさせるように気を引き締めなおさせています。
2 件のコメント:
家康の味噌事件ですね。それから、八町味噌が流行ったなんてことはないか笑。自分への戒めですか。僕は、そういうことはあまりしてないなぁ。でも、それは自分のためになると思ってしているんでしょうね。いいと思います。
前の記事は花園さんのおっしゃる問題提起には気づいていたのですが、今社会が暗いということに目を向けると就活最前線にいる自分たちの状況を前向きに捉えられない気がして、なんとなく目を背けてしまいました。。。
しかし、僕はくらい時代にこそがんばろうという曲がヒットするのではないかと思うんですよ。ZARDの「負けないで」とかハイテンションな歌ばかりがヒットするとは限らないのではないですかね?
今だったらバラード系の曲とかがはやりそうな気がするんだけど、あんまりそういう気配は見ませんね。
良くも悪くも音楽というのは時代を反映するものなので、サカタさんの言われることにもよく納得できます。
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