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2009年12月22日火曜日

北京留学記~その二六、NEC中国人社員②

 前回の記事に引き続き、NECの中国人社員との会話をした時の話です。読者の方がどのように思われるかはわかりませんが、書いてる本人からするとこの場面が留学記全体における最大のハイライトだと私は考えております。

 すでに前回にも書いたとおりに議題が自由と言う事もあってかなり好き勝手に話をしてきたのですが、レッスン時間の後半に差し掛かる頃にもなるとさすがに話すネタに困ってきてしまい、この連載の過去の李尚民の記事でもあったように日本と中国で、お互いの国で知っている相手国の有名人を挙げることにしました。

 まず私から日本人がよく知っている中国の有名人となると真っ先に毛沢東が来ると話した上で、ほかの日本人にはあまり馴染みがないだろうけど、私個人が高く評価している人物として張学良氏がいると話しました。
 張学良氏についてはかつて私も記事にして書いたように、日中戦争における最大のターニングポイントであった(と私が考える)西安事件の立役者であり、西安事件があってもなくとも戦前の日本軍が広大な中国大陸を占領する事は不可能であったとしても戦況が全然変わっていただろうと話しました。

 すると一人のレッスン参加者がこの私の意見に対し、張学良がそれほどの人物だとは思わないと返してきました。この過程については先ほどリンクを貼った過去の記事にも詳しく書いてありますが、中国に留学する前に聞いた話だと台湾ならともかく、中国本土で張学良は救国の英雄として扱われていると聞いていただけにこの返答には正直驚かされました。元々中国では歴史人物の評価が時の政権によって大きく変わることも珍しくなく、もしかしたらそういった年代的な関係もあって資料とこの参加者の認識の間に齟齬があったのかもしれませんが、今度機会があったらこの点について中国人に聞き回りたいものです。

 そんなショックを受けている私に対し、今度は別の参加者が、「中国人ならこの人を、小学生ですら知ってますよ」と言って、広げているノートの上にこの名前を書いて見せてきました。

「明治天皇」

 私はてっきり、日中国交回復を行った田中角栄とか、当時の日中関係を悪化させているとして中国メディアでもよく取り上げられていた小泉純一郎元首相が来るかと思っていただけに、この明治天皇という文字を見て一瞬呆気に取られました。しかしこの日の私は自分でもびっくりするくらい頭の回転がよく、本当に頭の上で電球(交流)がピカって光る具合に相手の意図や背景をすぐに類推し、レッスン参加者にこう返してみました。

「この人は日本の改革に対して、何一つやっていませんよ」

 私がこう言うや、レッスン参加者らは案の定明らかな驚きの表情を浮かべました。

 明治天皇を中国人みんなが知っていると聞いてもしやと思っての返事でしたが、大体推察した通りでした。私はきっと中国人は日本の明治維新を、侵略者である日本の端緒となった一方、短期間で西欧列強とも伍す程の実力にまで育てることに成功した改革だったと肯定的な評価をしていて、その上で皇帝専制色の強かった中国のことだから明治維新は明治天皇の主導によって行われたと考えているのではないかと読んだのですが、これがピタリと当たっていました。

 詳しく話を聞いてみるとやはり明治天皇が一連の改革をすべて主導していたと思っていたようで、確かに改革の象徴として自ら前に出て振舞ったものの、政策やプランといった方面にはほとんど手を出していないと私が説明した所、では誰があの改革を行ったのだと続けて聞かれ、ちょっと答えに困ったものの、

「とりあえず明治維新初期の主要なメンバーとなると、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三人が非常に有名です」
「(西郷隆盛と書いたじノートを見て)ああ、この人か」
「この三人が大きな路線を作り、私は嫌いですが特にこの大久保利通が一番重要な役割を果たし、その大久保の構想を完成させたのが韓国人はみんな嫌いな伊藤博文です」
「(伊藤博文と聞いて)うんうん」

 ここでも確認をこめて敢えて冗談めかして言ったが、どうやら中国人も韓国のアンチ伊藤博文の意識を知っていたようです。

「じゃあ、明治天皇は何をしていたのですか?」
「言うなれば飾りです。彼が国の政策に口を出したのは私が知る限り一回だけで、にっし……日本と、当時清だった中国との戦争(日清戦争と言いかけたのを言い直した)を始めた時、自分はこんな戦争を望んでいないと伊藤博文に文句を言ったことくらいです。ロシアとの戦争の時は納得していたらしいですが」

 ここまで一気に説明すると、さすがに向こうもしばらく言葉が出せずにボーっとしていました。かくいう私も似たようなものでしたが。

 彼らの話から察するに、中国では小学校でも日本の明治維新を取り上げてこの明治天皇の事を学んでいる可能性が非常に高いと思われます。しかしその内容はいわば明治天皇による改革だったとやや誤解があるということになりますが、何故この誤解が起きているのかについては先ほども言った通りに中国は基本的に皇帝専制という歴史が長かった国という事情もありますが、明治の日本が海外に対してそのように宣伝と言ってはなんですが、天皇の下に体制を大きく改革したと喧伝しており、それも一つの一因となっているのではないかという気がします。

 そんな風に考えながら未だ呆然としているNECの社員達を見ていると、またすぐ閃くものがありました。すでに深入りし過ぎではないかという懸念もありましたが、この機会を逃したら絶対に後悔するという好奇心が勝り、続けざまにこんなことも敢えて話してみました。

「明治天皇同様、昭和天皇も日本と中国との戦争を主導したわけではありませんよ」
「では、誰が戦争を起こしたのですか?」
「それは恐らくあなた方が嫌いな、私もあまり評価していませんが、東条英機を始めとした軍人達です」

 そういって、東条の名前をノートに書いて見せた。

「昭和天皇はむしろ戦争には否定的な気持ちを持っており、それが最後の最後で戦争を続けようとする軍人を抑えて終戦に結びつけたのだと私は考えております」

 個人的な意見として、よく日中の歴史問題となると南京大虐殺があったのかどうなのかばかりが議論となりますが、こうした大きな問題を議論する以前に外堀とも言うような基本的な歴史的事実の点においても双方誤解している箇所が少なくなく、まずはこうした溝を埋めるのが先なのではないかと考えています。

 話は戻り、やはり昭和天皇は中国で嫌われているのかと聞いたところ嫌われていると返って来て、明治天皇に関しては欧米列強が押し寄せる中で、急速な日本の近代化を指導したとして高く評価する一方、その後の軍国主義の基礎を作ったとして半々の評価だそうです。

 こうして歴史認識の差異について盛り上がっている中、唐突にレッスン終了の時間がきてしまいました。知識層にあたる相手とゆっくり話す事が出来たので本音ではもっとあれこれ情報を引き出したかったのですが、さすがにずっと話しているわけにはいきません。
 レッスン参加者は最後にレッスンの報告書みたいなものを書くのですが、ちょっと後ろから盗み見した所、レッスンの先生に対する評価において五段階でみんな一番高い五をつけてくれていました。本人からすると、やはりうれしいものです。

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