どうにかこうにかでこの北京留学記も最後の記事です。
約一年間の留学を終えて私が日本に帰ってきたのは2006年7月15日でした。成田空港に着く前には何か感慨などがあるかと思いましたが実際に何もなく、帰国して三日目には早くも京都へ向かって新たな下宿を探しに行くなど忙しかったのを憶えています。
その後旧知の知り会いとなどと会うと毎回の如く聞かれたのは中国における反日運動についてで、日本人もこういうところが一番期になっているのだと言う気がしました。
留学以前と以後で自分に起こった変化といわれると、まず真っ先に思い浮かぶのは相撲を見るようになった点でしょう。留学以前は全く相撲など見ることのなかった私が今や場所のある時期はテレビにくっついて取り組みを確認し、実際に国技館にも足を運ぶほどとなってしまいました。
そうした相撲というような趣味が広がる変化の一方、あまりよくない変化と言えるのは昼寝の習慣です。一日の過ごし方のところで触れていますが、授業が午前で終わるものだから毎日午後は昼寝をする癖がつき、現在に至っても休日は二時から三時くらいまでは昼寝をするようになっております。いくら昼寝をしても、夜も眠れるというのだからなぁ……。
こうした点を踏まえてこの私の中国への留学を振り返ると、この時期に留学をしたということをなによりも強く感じます。ちょうど中国語の需要が高まっていく中、日本の中で中国の存在感が高まっていく中、そして北京オリンピックが行われる前のあの時期に留学を行ったと言う事は、恐らく後年になればなるほど価値が高まるような気がします。現在の所私は直接的に中国と関わる事はまだ少ないですが、これもまた今後の話となるとわからず、また中国と関わる環境に変わることがあれば、この時期に留学をしたものゆえの感覚のようなものがはっきりと出てくるのではないかと思います。
最後に、これはあくまで私の感覚なのですが、私は今に至るまで2005ねんと2006年の区別が曖昧なところがあります。ちょうどこの二つの年に跨って留学を行ったが故というか、2006年のサッカーWカップが2005年にあった日本の事件らと時間的に一致しているとよく誤解する事があります。
一体何故この様な感覚になったのか、結論を言えば私が中国に行った一年間という時間がそのまま日本で生まれ育って生活した時間とは独立して存在しているのが原因かと思われます。この様に考えた事がきっかけとなり、もう随分と放置している「時間の概念」の連載にて話している話題につながってくるわけです。
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