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2009年12月16日水曜日

英語の特殊性と日本の英語教育について

 前回の記事にて私は日本語のマルチ言語という特殊性について書きましたが、今回は英語の特殊性について書こうと思います。確かこの内容の記事は以前にも書いたことがあると思うのですがいくら検索しても見つからないため、もしかしたら再掲載になってしまうかもしれませんがしょうがないです。

 まず何故英語が特殊な言語なのかです。国際標準語としてこれだけ世界中でも使われているのだから一見合理的で覚えやすそうな言語として捉えられがちですが、英語は文法としてみるならともかく発音にいたっては実際には例外法則が異常に多い言語です。一例を出してみますが、例えばアルファベットの「I」という文字が含まれる以下の二つの単語を発音してみてください。

「Ice」 「Internet」

 両方とも頭に「I」が来ていますが、前者はカタカナにすると「アイス」という発音になるのに対して後者は「インターネット」という発音になります。英語というのはこの「I」のように単語によって「アイ」と読んだり「イ」と読んだり、実は発音方法が複数あることが非常に多い言語なのです。しかもまだ「I」なんてかわいいもので、「P」に至ると、

「Pink」 「Phone」

 と、「ピンク」と「フォン」がどうして同じ文字から始まるんだよと言いたくなってきます。

 何故英語がこの様に同じ文字でも複数の発音方法がされるようになったのかと言うと、これは以前にどっかの本で読んだ内容なのですが、英語発祥の地のイギリスには元々ブリテン島にはウェールズやスコットランド、アイルランドの人たちが居住していたのですが、それが北欧から来たバイキングに所謂ノルマンコンクエストこと征服されてしまいました。しかもその時期にフランス側にいた民族も一部移住してきて、今のアメリカじゃないですけど相当な民族が混在して住むこととなったわけです。
 ところが彼らの言語は全く同じものではなかったものの、「あれ」とか「それ」とか言っている間にそれなりに通じてしまう程度の違いだったそうで、そんなもんだから各民族の言葉がそれこそごちゃ混ぜになっていき、ある単語ではノルマン人の発音、ある単語ではウェールズ人の発音、そしてまたある単語ではフランス人の発音がなされるという形で英語は整備されていったそうなのです。

 いわば日本語とは別の意味でのコングロマリットな言語なのが英語で、こうした点は現在に至るまで同じ英語話者の間でも意思疎通の妨げを生んでおります。最も代表的なのはブリティッシュイングリッシュとアメリカンイングリッシュの違いで、これに限らなくとも発音方法がきちんと定まっていないせいで世界各地地域ごとに好き勝手に発音が為されてしまっております。

 そんな言語として多少不便さを感じてしまう英語ですが、実はこれがまた日本人には相性が最悪ともいうべき言語であるから始末に終えません。
 これは私のロシア語の教師が言っていた言葉なのですが、英語というものはその用法から文法の組み立てに至るまで日本語の精神性とはかけ離れており、日本語の思考で使おうと思っても必ずうまくいかない言語だそうです。だからまだ日本語に近いロシア語を使うロシア人とはうまくやれるんだと、その先生のいつもの講釈に続くわけなのですが。ロシア語を専攻したのも、アメリカ憎しからだったとも言ってたしなぁ。

 実際に私も英語を使ってて、日本語の文章の形だとまず成立しないなと日々感じます。日本語では目的語が先頭にきてから主語や述語が後に続く形も少なくないのですが、英語だとこの用法はまずほとんど使えず、また単語の活用も少ないので言いたくともなかなか言えない構造になりがちです。

 まぁこんだけ英語の悪口書くのも私が英語を苦手としているからだからですが、中学高校と六年間も同じ言語を勉強しておきながら私同様に大半の日本人が英語を苦手とするのはやっぱり相性が悪いのも大きな理由だという気がします。もちろんそれ以上に日本の英語教育のカリキュラムが良くないというのもあり、前にも書いたと思いますが未だに中学生に向かって、「is=です」という教え方をしているのは本当に不思議に思えます。私なんかこれを真に受けちゃって、be動詞のない文章だと語尾がなくなるじゃないかとえらく悩まされました。
 作家の佐藤優氏も近年の外務省職員の英語のレベルの低下は激しく、以前からそうだったらしいですが外務省は日本の大学における英語教育には何も期待しておらず、入省後に自分のところで職員に英語を教えなおすそうです。

 ちょうどタイミングよく日本の英語教育について外国人が討論するという記事を見つけたので、リンクを貼っておきます。

「ここがヘンだよ日本の英語教育」を外国人が語るスレッド(誤訳御免!!)

 言ってははなんですが、英語というのは現在の状況から必要最低限は学ぶ必要はあるかと思いますが、日本人とは相性が悪そうなので必死こいてまでやる必要はないかと思いますし、やるのなら全く効果を上げていない今の教育システムを根本から作り直す必要があると思います。またよく英語が苦手だったから語学は向かないのだろうと敬遠する人も居ますが、英語が苦手でも別の言語では波長が合う事もあるので、英語だけで変に苦手意識を持たないように意識する必要もあるでしょう。現に私も、中国語は肌に合ったし。

 そういう意味で最低限の英語教育は中学までにして、高校からは生徒みんなが好きな言語を選択して勉強するというやり方もあってもいいかと思います。みんなが英語が出来なくとも誰かが出来ればいいのだし、また多種多様に言語を覚えている人間がそこらかしこに居るという事は国家全体にとっても無駄ではない気がします。まぁこんなの、誰も賛同しないと思うけど。

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