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2010年6月17日木曜日

書評「劇画ヒットラー」

 なんかこのところずっと体がだるくて頭痛も激しく、おまけに目眩までするもんだからすっかり健康に自信をなくしてしまっていたのですが、さっき体温計で計ったら36.9度の微熱でした。風邪気味だから体調が悪いと言えば聞こえはまだいいですが、こんなのがここ二週間くらい続いているというのもまた問題です。

 そんなわけでどうにもまた文章を書き起こす気力がわかない日々が続いており、元から誤字脱字が多いブログですがこの所は書いてる本人ですらなんだか心配になってくる量です。書こうと思う内容は幾つかあるのですが、なんというか一気呵成に書ききる自身がなくて伸び伸びで、折角関連する記事を書いて引きまでしておきながら続きを書かないまま放っている記事を量産するのが続いとります。

 そんなわけなので比較的書きやすい趣味の話題で今日の穴埋めを図ろうと思うのですが、先日、かねてから気になっていた水木しげる氏による「劇画ヒットラー」という漫画を購入しました。
 確か漫画評論家の夏目房之介氏だったと思いますが、彼は日本の漫画について、「九割は手塚、一割は水木」と評していましたが、この比較からも分かる通りに手塚治虫氏が存命中だった頃からも水木氏はよく引き合いの対象とされていました。そしてお互いにやはりライバル意識が強かったそうで、ある日手塚氏が出版社のパーティで水木氏を見つけるや、

「あんたねぇ、私の地元の宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントなんてやらないでもらえます。こっちはいい迷惑なんですよ(#゚Д゚)ゴルァ!!」

 と、言い放ったそうです。もちろんその遊園地でのイベントは出版社が開いたもので水木氏はノータッチだから手塚氏の逆恨みもいい所なのですが、水木氏も相当根に持っているのか、事あるごとにこの話をあちこちでしているのを見受けられます。また手塚氏の子供は水木氏の漫画を、水木氏の子供は手塚氏の漫画を幼少時によく読んでいたそうで、どちらも親としては複雑な心境を持っていたそうです。
 そんな日本漫画界最大の巨匠二人ですが、お互いの作品内容も同じテーマでありながらまるきり正反対とまでは言わないまでも実に対象的な内容となっております。

 一般にヒトラーの漫画と来れば手塚氏の「アドルフに告ぐ」が真っ先に来るでしょうが、先に挙げたように水木氏も「劇画ヒットラー」というヒトラーを題材にした漫画を出しております。手塚氏の「アドルフに告ぐ」では二人のアドルフという名の少年が主人公で、ヒトラーは実はユダヤ人の血を引いているというフィクション的要素の強い作品となっていますが、水木氏の「劇画ヒットラー」では逆に、徹頭徹尾史実に基づいて書かれており、作中の解説もどこか客観めいた書き方がなされております。

 そんな「劇画ヒットラー」を読んでまず私が注目したのは、ヒトラーと来たら大抵の物語では彼とは切っても切り離せないユダヤ人虐殺の描写が多くなる、っというかメインになるのですが、水木氏のこの作品だと虐殺に関する描写が非常に少なく、その代わりにヒトラーがどのようにして権力を獲得して行き、どのように戦争が推移し、どのように追い詰められていったのかという場面に重きが置かれていました。特に世界史では習っているものの内容には詳しくなかった「ミュンヘン一揆」に関する場面や、それまで全く知らなかった彼の姪の「ゲリ・ラウバル」の話など興味深いものが数多く載せられており、ヒトラーに対してこんな見方があったのかと素直に感心させられました。

 水木氏は同じくヒトラーについて書いた短編の「国家をもて遊ぶ男」(「東西奇ッ怪紳士録」に収録)にて、「これほど強い”個人”は歴史上マレであろう」とヒトラーを評しております。私がこの「劇画ヒットラー」のことを話し、先ほど出した姪っ子のゲリが自殺した際にヒトラーはわざわざゲリの墓の横に自分の墓穴を掘り、部下がくるまでその穴の中にうずくまり続けたという話を紹介すると友人は、「ヒトラーは何よりも純粋過ぎた人間だったのでは」と話していました。

 自分が子供だった頃、まだナチスというのは現実味のある言葉で、ヒトラーについても「現代最悪の独裁者」というような書かれ方をしていたように思えるのですが、2000年代に入って十年も経った現在に至るとなんだかすっかり過去の歴史人物のような扱いへと移っているような気がします。
 私個人は歴史を作るのは歴史家ではなく、実際には物語を作ったりまとめたりする作家だと考えています。恐らくこれからヒトラーもタブーがそろそろ解けて、様々な観点から取り上げられて歴史となって行くような気がします。


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