2011年8月6日土曜日

自分の判断への信頼性

 自分がほかの人と比べて良くも悪くも特徴として際立っているのは、思い切りの良さだと思います。そもそもの前提として私は、「自分の判断はたまには間違えることもあるけど、基本的には正しい」という前提を持っており、自分が行けると思ったことは必ず行けると思ってあまり迷うことなく実行に移そうとします。
 恐らくここだけ読むと、あながち間違いではありませんが私のことをさも傲岸な人間のように思われるかもしれませんが、たとえば日頃からハイキングに行っている友人と行かない私のどちらかがハイキングの途中でルートを決めなければなったとすると私は、「友人の方がハイキング歴も長く経験も豊富なため、自分より正解の判断をする確率が高いだろう」と考え、無条件で友人の意見に従うことでしょう。これは一見すると自分の判断を放棄して他人の判断に任せているように見えますが、社会学士らしくひねくれた考え方をすると、「友人の考えに従う」という判断を自己判断していると解釈します。

 かなり七面倒な理屈を自分でも言ってると思いますが、「何故他人の判断を優先するのか」という過程を意識することは私は非常に大事だと考えております。あくまで私の観点からですが、大概の日本人は自分の判断より他人の判断の方、もしくは合議での判断の方が正しいという前提を持っており、自分が考える判断を表では主張せずに押しとどめる傾向があるように思えます。自己主張をしたら集団の中でハブられるという日本人特有の社会的資質も影響しているでしょうが、内心ではこう考えるんだけどほかの人の言うことに従っておけば無難、という考え方をする人が非常に多いように思え、これはそろそろ日本人は脱却した方がいいのではないかとみています。
 もちろんこうした日本人の価値観によって団結力とかその辺は高くはなるのでしょうが、近年は単純作業においてすらもパターンにない例外事態が発生する仕事が多く、もう少し自主性というか「俺はこう思うからこうするんだ」というくらいの身勝手さをその都度発揮して行動した方が社会全体での動きもよくなるのではないかと感じます。

 とは言ったって勝手にやったら怒られるというのが大半の意見でしょうが、このままでは何も変わらないとばかりに私は普段から自分が正しいと思ったことは結構すぐに口に出したり勝手に行動したりしてます。そりゃもちろん多少の妥協はして指示されたことには反発を口にすることはあってもちゃんと指示通りには行動するようにしてはいますが、こうした考え方が社会で一般的になるよう孤軍奮闘しているつもりです。そのせいか前の会社を退社する際に上司から、「花園、お前は本当に人の言うことを聞かない奴だったが仕事だけは確かに早かった(*´∀`)」と、妙なお褒めの言葉を受け取りました。こう言うのもなんですが、自分の上司になってさぞ苦労したかと思うと感謝に耐えません。

 現在でもこの傾向は変わらず、たとえ両親を含む他人から助言や勧めを受けたとしても私自身がその相手の言うことに道理がないと考えたら一顧だにしませんが、そのかわり相手の言うことがその通りだと感じた場合はそれまでの判断とは逆でもなるべく素直に、可能な限りは従おうと努力しています。さしあたって友人から今強く言われているのはレンタルサーバーの取得ですが、こちらは確かに必要性は感じつつもずぼらな性格が災いしてまだ手が出せておりません。
 ただ唯一といってはなんですがある友人の言だけは例外扱いしており、たとえその友人の言う内容に対して私が間違っていると判断しても、「この友人が言うのだから自分の方が間違いだろう」と完全無条件でその友人の意見に合わせます。このところまた文章が荒れ気味でオチらしいオチがまたありませんが、私が読者の方に言いたいことは「他人の意見を信じるのもまた自分の判断」ということで、どんな点においても自分が判断するのだという責任と、自分の判断力がどれだけ正しいのかを普段から認識してほしいということです。

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