先日、電車に乗っていたら隣に座っていたおばさんがまだ駅についていないにもかかわらずやおら立ち上がり、ドアの前まで移動する場面に出くわしました。一体何だろうと思ってそのおばさんを見ていたらカバンから携帯電話を取り出して、「ごめん、今電車だから」といってつなげた着信をすぐ切っていました。
別に何のことはない、むしろマナーのいい場面といえるかもしれませんが私からしたらちょっと違和感を覚えます。というのも、そのまま出ちゃって会話すりゃいいじゃんとか思うからです。念のために言っておきますが私は日本だと電車の中では電話を取りませんが、これが舞台が中国だと遠慮なく取り、「今電車で移動中だから大きい声で言ってね」なんてセリフも吐いたりします。
私が先程の場面に違和感を覚えたのはいうまでもなくこの中国の体験が原因です。説明するまでもなくというか多分想像つくと思いますが、中国だと電車で移動中だろうが職場だろうが、会議中であろうと余裕で着信音を警戒に鳴らしつつ携帯電話を取ります。でもってナチュラルにプライベートな会話も続けてくるし。
この辺は文化の違いで片づければそれまでですが、そもそもなんで日本では電車で携帯電話はマナー違反となるのでしょうか。ペースメーカーへの影響などもあるでしょうがそれ以上に現代では電車の中、下手したら往来の中で携帯電話で会話する姿に不快感を感じる人間が多いためということが大きいでしょう。では何故不快に感じるのか、声が大きいだとか周囲への注意力が落ちるとか言い訳はいくらでもあるでしょうが、メタ的に言えば「電車で携帯電話を使ってはいけないというルールを破っているから」というのが最も大きいように私は思います。いわばその行為自体というよりもその行為がルールを逸脱しているということに日本人は腹が立つのではないかと思います。
上記の携帯電話に近いネタに車のクラクションがあります。これも中国ではプップカプップカ鳴らされているのですが、仮に中国と同じノリで日本で鳴らすと周囲からひんしゅくを買うばかりか、下手したら喧嘩にまで発展しそうです。しかし中国で暮らしてみてこのクラクションの嵐を経験してみると、最初はいら立って運転手を睨み返したりしましたが、向こうとしては「後ろにおるでー」というノリで、どちらかというと安全を喚起する親切心で鳴らしているということに段々気が付いていってからは腹も立たなくなりました。それどころか後方への注意は視覚ではどうにもならないだけに聴覚を使う方が明らかにいいわけで、教習所で「不用意にクラクションを鳴らしてはいけない」と教える日本の方が間違っているんじゃないかと逆に思うようになってきました。
この電車の中の携帯電話、車のクラクションはともに「やってはいけない」というルールがあるからこそやられると腹が立つわけで、逆を言えばこれらのルールがなければ無駄にイラつくこともないんじゃないのかなとちょこっと思うわけです。現にルール無用の中国社会で暮らしてきた私としては全く意に介しておらず、実害もないわけなんだしこんな細かいことでいちいち苛立つのは損じゃないのか、社会がちょっとギスギスしてやしないかとも思うわけです。もっともルールが無さすぎる中国では逆ベクトルでイラつく機会も多いですが。
要するに何が言いたいのかというと、本質を考えずただルールで駄目だからということにとらわれて、逸脱者をただ白眼視する傾向が日本にはあるのではないかと言いたいのです。それこそそのルールが正しいのかどうかを考えず、実害があるのかどうかを考えず。
逆説的に言えば、上記のようなルールを取っ払ってしまえば日本人は無駄にイラつくこともなくなるんじゃないかとも思うわけです。現在、携帯電話のペースメーカーへの影響はほとんどないとの報告も出ているわけだし、車のクラクションも暴走族みたいなのが鳴らすのならともかく安全喚起のためならガンガン使った方がいいわけなんだし、こういうルールは社会全体で無視した方が精神衛生上にもいいと主張したいというのが今日の私の意見です。
おまけ
電車の中で携帯電話を使うのくらい大目に見てやれよと言っているそばでなんですが、今朝股電車に乗ってたら同じ車両で馬鹿でかい音でくしゃみするおっさんに出くわしました。おかげで折角うとうとしていたのに目が覚めたし、近くでおしゃべりをしていた女子高生もピタリと会話を止めてました。しかもそのくしゃみ、一回だけじゃなくて5秒おきに三回連続で鳴らされたので、「口くらい押えろこのボケ。なんなら俺が紙袋でも突っ込んだろか」って思いつつ、自分も軽くそのオッサンを睨んでしまいました。まだまだ自分も心が狭いな。
2 件のコメント:
東京電車はホンマにストレスが溜まりますわ。何とかしてくださいね。
俺もほんま東京の電車は嫌や。あれで精神病にならないって方がおかしい気がする。
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