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2014年5月1日木曜日

中国四大美女について

 また中国のウルムチで一騒動があったようですが、当局はともかく日本がどうこう騒ぐほどの事件なのかなと思うので自分はスルーしようかと思います。中国当局側の立場に立つなら、こういう事件が散発的に起きている間は事件捜査はしっかりしなければならないものの、組織的で連続的に起こらない限りはまだ安心できると言ったところじゃないでしょうか。

 話は本題に移りますが、中国四大美女と言ってすぐに四人全員の名前を挙げることが出来るでしょうか。多分楊貴妃と貂蝉の名前は出てきても西施と王昭君の名前とエピソードは出てこないと思うので、いい機会だしこのブログで簡単に紹介しようと思います。

中国四大美人(Wikipedia)

1、西施
 西施は中国の春秋時代(紀元前5世紀?)の人物で、「呉越同舟」という言葉の元になるほど仲の悪かった呉と越という国の抗争史に出てきます。呉と越の国は昔からしょっちゅう争っていましたが呉王が夫差の時代に越王の勾践は一度大敗し、降伏の条件として勾践は夫差の奴隷として働く時期もありました。ただ勾践はその後に罪を許されて国に戻り、呉の打倒を目指して富国強兵に励むのですが、その傍らにはある意味で中国初の軍事参謀ともいうべき范蠡という人物が常について勾践を助け続けました。
 この范蠡が呉を弱体化させるために考えた作戦というのも、「美女を使って呉王夫差を骨抜きにしちゃえ」というもので、夫差の好みを徹底的に調べ上げた挙句に西施という女性を選び出し、夫差の下へ献上します。この策は見事に当たり夫差は西施にメロメロとなって政治が疎かとなっていき、これ以外にも様々な策謀をめぐらした挙句、最終的に越は呉を打ち滅ぼすことに成功しました。
 呉が越によって滅んだ後、西施がどうなったのかについては諸説あります。その美貌が今度は勾践に悪影響を与えるとして送り主の范蠡が即座に殺したという説もあれば、越の覇業達成と共に范蠡は政界を引退し、西施も范蠡と共に余生を過ごしたという説もあり、どっちかと言えば後者の方が真実味あるかなと私は思います。もっとも実在したかどうかも怪しい人物であるのですが。

2、王昭君
 この人は前漢の時代(紀元前1世紀)で、楊貴妃と共にこの四人の中で確実に実在したと言える人物です。
 前漢と対立していた異民族の匈奴から和睦の条件として、皇帝の後宮にいる美女を一人を分けてくれ(節操ないなぁ)と言われたので、当時の皇帝の元帝は折角だから一番ブスを選んでやろうと後宮の美女たちの似顔絵を見比べた上で王昭君を選ぶことにしました。匈奴に送り出す前に元帝は折角だからと王昭君を一度呼び出してみたところ、出てきたのはびっくりする位の美人で思わず、「なんで俺こんな美人選んじゃったんだろう」と洩らしたそうです。
 というのも後宮に入る美女たちは画家に賄賂を贈ってわざと自分を美人にして描かせていたのですが、この王昭君はそうした賄賂を贈っていなかったため実際には物凄い美人なのにブスに描かれてしまい、匈奴の地へと送られることとなってしまったわけです。この悲劇性が彼女を際立たせており、こうして数ある後宮の美女たちの中でも唯一後世に語られる人物にはなれました。

3、貂蝉
 三国志を知っている人間にはお馴染み、後漢時代(紀元後2世紀)の人物です。貂蝉は元々、王允という当時の文官としてはナンバーワンの人物の養女だったのですが、当時の朝廷を専横していた董卓を排除するため自ら敢えて董卓の囲い者となります。ただ董卓の囲い者となる一方、董卓の配下で最強、もとい化け物揃いの三国志においてすら最強であると誰も疑わない呂布という将軍に対して事ある毎に色目を使い、「董卓がいる限り私たちは一緒になれないわ」なんて言って叛意を煽り、最終的に呂布を王允側へ引き込み董卓の暗殺を成功させます。
 結論から述べると彼女は物語の三国志演義の登場人物であって架空の人物ですが、実際の歴史でも董卓の侍女(名前不詳)を巡る争いが呂布と董卓の仲違いの一因になったと書かれてあり、モデルとなる人物は実在したとみられます。なおゲームの「真・三國無双」に貂蝉は皆勤賞で登場してますが、シリーズを重ねるごとに衣装が薄くなってきており、このゲームのお色気路線と共に歩んできた人物と言っていいでしょう。

4、楊貴妃
 この人は唐代(紀元後8世紀)の人物で、平安時代の日本の貴族たちがやたら唐代の歴史や詩を愛好した結果、中国以上に日本人に親しまれるようになった人です。あんま説明は要らないと思いますが、元々は玄宗皇帝の皇太子の夫人でしたがその美貌を目に止めた玄宗が略奪する形で自分の夫人にした挙句、楊貴妃の従弟である楊国忠も棚ぼた的に政治の要職につけてしまいます。
 最初の方はよかったのですが、中国史を代表する妖怪の様な人物である安禄山が楊国忠と次第に対立した挙句に反乱を起こし、一時は首都の長安まで攻め落とすに至ります。もちろん長安が落とされる前に玄宗は脱出していたのですが、逃亡先で官僚たちはそもそもの反乱の原因となったのは楊国忠だとして勝手に殺害し、さらには皇帝もたぶらかされているとして楊貴妃の処刑も上奏されたために玄宗は泣く泣く楊貴妃の処刑します。
 先にも書いた通りに日本人は平安朝に白居易の長恨歌という玄宗と楊貴妃のエピソードを謳った詩集が大流行したため、勝手に楊貴妃を世界三大美人の一人に数えちゃうくらい贔屓にしてます。けどエピソードを見る限り自分からしたらうざい女だなと思うような人物像で、正直好きにはなれません。

 以上がざっと四人について簡単にまとめた内容ですが、西施と貂蝉に関しては架空の人物なれど、王昭君を除いた三人は文字通り「傾国の美女」と言っていいほど国家の趨勢に大きく影響を与えております。翻って日本の歴史だとこれほど美貌によって国に影響を与えた美女というのは架空のエピソードでも存在しておらず、そういう点で中国はなんでもスケールが大きい国だと思わせられます。
 そんな日本の美女とくると有名なのは「戦国三大美人」のお市、茶々(=淀君)、細川ガラシャですが、お市は確かに美女だったとよく書かれていますが残り二人はそんなに激しい美女エピソードは聞かず、その流転ぶりによるエピソードでのし上がってきただけではないかと内心考えてます。むしろエピソード的に面白いのとなると、「とわずがたり」の作者の後深草院二条じゃないか、っていうか際立ち過ぎていると思います。なんつっても、後の南北朝対立の源流となる後深草天皇と亀山天皇というビッグ2との関係を赤裸々に書いてて、「とわずがたり」の内容を読んだ際に私は本気でのけぞりました。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

西施といえば 「ひそみにならう」の故事で有名ですね。ブスが美人のマネをしてもろくな事にはならない
という事です。 社民党の某女性議員が聞いたら「女性差別よ」といって怒り出しそうな故事ですが。

楊貴妃といえば、楊貴妃の骨を埋葬した男の元に楊貴妃の幽霊が現れて一晩中エロい事をしてもらった。
その話を聞いた別の男が人骨を埋葬した所、その夜筋骨隆々なウホッいい男が現れて一晩中アッー、
くそみそなことをされてしまったという笑い話がありましたね。

最後に私は 段文凝 氏が中国美女だと思います。

花園祐 さんのコメント...

 「ひそみにならう」は使うタイミングは溢れているものの、使い方を一歩間違えると即死しそうですね。
 楊貴妃のお話は「野ざらし」の元となったエピソードですね。実は自分もこの話は気に入ってて、この記事に付けようかとも思ったのですがそれだと楊貴妃だけでかなり長くなるため見送りましたが、やっぱり面白いしこの後の記事に書いてみます。
 最後に自分は「林志玲(リンチーリン)」が中国の女性だと一番好きです。中国というか台湾出身モデルだけど、あのプロポーションは本当にアジア人離れというか化け物じみてる……。

上海忍者 さんのコメント...

中国四大美男は誰でしょうか?ご教授頂きたく。

花園祐 さんのコメント...

 知らんがな。サモハン・キンポーとかが入るんじゃない?