・山口淑子さん、「李香蘭」で銃殺刑の危機 イサム・ノグチとの結婚 波乱の人生(With news)
報道で知っている方も多いかと思いますが、戦時中に李香蘭の芸名で数多くの映画に出演し人気を博した山口淑子氏が先週亡くなられていたことがわかりました。山口氏、というよりは李香蘭の名前の方が有名ではありますが、中国においても知名度の高い人物なだけあって軽くネットを見回すと速報を出す中国メディアが数多く出ています。きちんとした記事は明日の朝刊に掲載されるでしょうが、やはり現代においても中国に強い影響力を持つ人物であったことを再確認されます。
今のところ中国で出ている速報ではそれほど特別な内容は書かれておらず、山口氏の経歴、特に戦時中に大スターとなったものの戦後は中国人と誤解され国家反逆罪に掛けられたが日本人であるという証明が得られ無罪となった経緯などが大まかに書かれてあります。強いて挙げれば国家反逆罪の裁判で、無知な若者だったため何もわからず日本に協力してしまったことを謝罪したということをきちんと書いてある辺りは中国だななどと思います。
さてこの山口氏ですが、経歴については私から説明するのも野暮だと思うものの一応やっておくと、山口氏は1920年に旧満州地域であった現在の遼寧省撫順市で日本人の両親から生まれます。その後、奉天市に移ってで育ちますが、満州鉄道会社(満鉄)で日本人に中国語を教えていた父親と交流のあった中国人李際春が、山口家との親睦を図る目的で山口淑子市を名目だけの養子に迎え、この際に「李香蘭」という中国名を得ます。
その後成長した山口氏は満州映画協会(満映)の映画に出演するのですが、その際に中国人に受け入れられるよう「李香蘭」の名前で出ます。たちまち大きな人気を得た山口氏は父親譲りの流暢な中国語(うらやましいなぁ)を使い、そのまま日本人であるという事実を隠しながら中国人として出演をし続けます。山口氏も何度か思い悩んでカミングアウトも考えたそうですが、その度に周囲から止められて、結局終戦まで隠し通し続けます。
そうして迎えた終戦後、山口氏は中華民国政府から日本の宣伝映画に協力したため国家反逆罪の疑いで逮捕されます。当時の新聞には判決は銃殺刑になるだろうとも報じられ山口氏も後年の手記で「生きた心地がしなかった」と書き残している程だったようですが、幸いにも判決直前、友人が日本から戸籍謄本を取り寄せ日本人であるという証明を得たことから、「日本人対して中国における国家反逆罪は適用されない」との裁判官の判断から一転して無罪を得ます。今日の中国のニュースではこの時に山口氏は「徳を以って怨みに報いる(以徳報怨)という中国の対応に感謝します」と述べたことがやっぱ強調されてました。もっとも、中国軍はさっきの「以徳報怨」という言葉を使って終戦直後に日本軍を追撃しないよう命令を出していてくれたことに日本人は感謝すべきかなとは私も考えてます。それに比べてソ連は……。
こうして無事日本の土を再び踏んだ山口氏は日本でも女優業を行い、戦後の映画界を引っ張るスターの一人として活躍します。その後、結婚、離婚、結婚を繰り返した後に一時引退しますが、ある程度年の重ねた頃に再びテレビの司会業などをこなし、また参議院選挙にも出馬して見事議員にも当選して政治活動も行っています。議員引退後はあまり表舞台に出ず、たまに自分も読んだような回想録みたいな手記を雑誌に発表するだけでしたが、今日の報道の通りに94歳での大往生を迎えたとのことです。
今日の報道を見て私が真っ先に思い浮かんだのは二人の人物で、最初は森繁久彌、次に甘粕正彦でした。森繁については2009年の彼の死去時、「これで残るは李香蘭だけか」と覚え、そして今回の山口氏の逝去を受けて甘粕正彦を知る人間、ひいては満映で活躍した主だった人物は潰えたかと嘆息しました。
知ってる人には有名ですが、関東大震災時に社会主義者の大杉栄を殺害(甘粕事件)した犯人である、当時憲兵だった甘粕はその後中国大陸に渡り、ラストエンペラー溥儀を北京から脱出させるなど007ばりのスパイ活動を担う重要人物となり、最後は満映の理事長となり「満州の陰の支配者」として恐れられていました。
ただ当時の満映にいた人物、まさに李香蘭と森繁などは甘粕について好意的な証言を残しており、森繁は「満州というでかい夢をみんなに見せて引っ張っていた」と述べています。もう一方の李香蘭こと山口氏は、仕事に悩み女優業をやめたいと直接甘粕に申し出たこともあったそうですが、「気持ちはよくわかる」と親身に話を聞いてくれ、その後も山口氏は女優業を継続しています。
このようなエピソード、いわゆる満州史についての重要な証言者がまた一人この世を去ったかというのが私の偽らざる今の気持ちです。そりゃ年月も大分経っているのだから当然と言えば当然ですが、満州という世界を知る人間が一人、また一人とされ、残された事実が歴史として今後形作られるのかと寂しいような大事なような妙な気持ちを覚えます。そういう自分もあと50年くらい経ったら、「改革開放期の中国で過ごし、やたら当時の中国について手記を書き残した人物」みたいに扱われるのかもなぁ。
4 件のコメント:
「李香蘭 私の半生」という手記を読んだことがあります。
当時の満州の様子や彼女の波乱万丈の人生にも引き込まれましたが、彼女の美しさにも驚きました。
アイドルがすっぴん写真をブログに載せて話題になったりする今、手記には、幼いころの写真もたくさん載っていたのですが、小さなときから、あのままの整ったお人形のようなお顔立ち。動画で、李香蘭さんの映画をみてみれば、あのきれいなお顔だちで、美しいソプラノで歌ってる!!昔のアイドルは、質が高いな~と思いました。花園さんのおきらいな松岡洋右の長男とのロマンスもあったりして、面白かったですよ。
松岡洋介の息子とのロマンスは知りませんでしたが、彼女の人生は彼女が演じてきたどのお話の女性よりも壮絶だったのではないかと思いつつこの記事を書き上げました。女優として知名度が高い一方で歌手としても人気だったとのことで、今じゃ少ない歌って踊れる芸達者な人だったと思うだに尊敬の念を覚えます。
良く考えたら、李香蘭氏は上海とあまり関係なく、上海人の中に人気が低いかと思いますわ。
やはり満州(東北地区)に有名ですわ。
せやろなぁ。自分も思ってた以上に中国の反応薄いように感じるし。
コメントを投稿