前回記事でフィンランド対ソ連の第一ラウンドに当たる冬戦争を取り上げましたが、今日は第二ラウンドの継続戦争を取り上げると共に、大国に立ち向かう小国の外交というものを自分なりに解説します。どうでもいいけど今マジで眠い(-.-)zzz
・継続戦争(Wikipedia)
前回の記事で書いたようにフィンランドはソ連に因縁をつけられるような形で侵攻を受けたものの、「白い死神」を筆頭とした民兵などの活躍によって見事撃退を果たしました。ただ戦争継続能力がなかったことからフィンランドはソ連に対して大幅な妥協を迫られ、国土の10%に当たる領土の割譲を余儀なくされ、失地回復の機会を虎視眈々と狙っていたことでしょう。
そんな冬戦争から約1年後の1941年6月、フィンランドとソ連を取り巻く環境は前年とは大きく変わっていました。何が起きたのかというとバルバロッサこと独ソ戦が始まり、ドイツがソ連領内へと攻め込んだためです。
当時のフィンランドはソ連との関係悪化から「敵の敵は味方」とばかりにドイツの関係が強くなっていました。この独ソ戦でも当初は中立を宣言していましたがその中立だった期間中もドイツ軍はフィンランド領内を通過してソ連に攻め込み、またソ連側もフィンランド領内へ空爆を行ったことからすぐにソ連へ宣戦布告を行い、ドイツ軍と共にソ連へと攻め込みます。
フィンランド側はこの参戦について、ドイツとの軍事同盟によるものではなく前回の冬戦争の延長上だとして「継続戦争」という言葉を用いました。何故このような主張をしたのかというとドイツと同じ側に立つことによって国交のあった米英から枢軸国と見られたくないとの思惑があったためですが、そのような主張は残念ながら通じずに米英からは間もなく国交断絶の通知を受けることとなります。
こうして始まった継続戦争ですが、フィンランドの戦略目標としては一にも二にも失地回復にあり、真っ先に冬戦争でソ連に割譲を余儀なくされたカレリア地方を奪い返し、冬戦争以前の国境線まで領土を再占領します。しかしその後、ドイツ軍のソ連領内での進軍にブレーキがかかるとともにフィンランドも進軍を止め、早いうちから防衛へと方向を変えます。これは元々失地回復が目的であってソ連への侵攻、特にドイツ軍と同じにされてはまずいとの外交判断からの方針だったのではないかと見ます。
このようにフィンランドはこの戦争では控え目な態度を見せたものの、周囲の状況が「控え目な結果」には終わらせてくれませんでした。1943年にドイツ軍が有名なスターリングラードの戦いで敗北するとソ連軍は一気に反撃へ打って出て、フィンランド領内へと逆攻勢をかけてきます。
フィンランド政府は早くにドイツ軍の敗北は濃厚と見てソ連など連合国に対して単独講和を行おうと動き出しますが、こうしたフィンランドの動きに対してドイツが真っ先に反応し、脅しとしてフィンランドへの食糧輸出を止めてしまいます。心ならずも枢軸国側に立ってしまったフィンランドとしては主要物資をドイツ一国に頼っている状況もあり、結局単独講和は放棄してドイツ軍と共にソ連と当たることでドイツも物資輸出を再開します。
ただこの時のソ連軍はかつての冬戦争時とは全く異なり、激しい戦闘を潜り抜けたこともあって兵卒や士官の質が大きく向上していました。冬戦争時は見事撃退したもののこの継続戦争ではフィンランド領内の奥深くにまで攻め入るほどでしたが、対するフィンランド軍も要所要所で一斉反撃に成功しており、この戦争の最終的な戦傷者数では今度もまたソ連軍がフィンランド軍を大きく上回っています。
しかしそれは一時的なもので、フィンランドにとって長引けば長引くほど不利になることに変わりはありませんでした。またソ連としても戦後秩序を睨んでドイツ領内への進撃を優先したいという思惑があり、またフィンランドの懐を鑑みて講話に応じる態度を見せていました。両者の思惑は「ともかく早く戦争を終わらせること」にあり、この点で一致したことからフィンランドは大統領のリュティが辞任し、冬戦争、継続戦争を指揮したマンネルハイム元帥が代わりに大統領に就任。ソ連との間で下記の条件を守ることで講和を結びます。
・フィンランド領内にいるドイツ軍の排除
・国境線を冬戦争後の状態に戻す
・賠償金の支払い
どれもフィンランドにとって非常に厳しい内容で、特に領内にいるドイツ軍の排除は下手すれば内戦にもなりかねないような内容であったために前大統領のリュティは呑み込むことが出来ませんでした。もっとも講和後、ドイツ軍もそれまでフィンランドと一緒に戦ってきた仲でもあったことから勧告に従い比較的すんなりとドイツへ帰っていったそうです。
結果論から言うとフィンランドはこの継続戦争で失地回復を達成できなかったばかりか、戦争に伴う消耗、そして賠償金の支払いを負うこととなり事実上、敗北と言っていい結果に終わりました。しかし私としてはフィンランドが失地回復を求め、それが望めるような状況に行動を取ったというのはおかしい判断だとは思えず、またドイツ軍の敗退という状況の変化に合わせ不利な条件を呑み、すぐ講話に動いたというのは国家として素晴らしい判断だったように思えます。
これと好対照だったのは言うまでもなく日本で、どうあがいても勝利を得ることが不可能な状況になりながらも講話へと全く動かなかったばかりか、追い詰められた後にはあろうことか今も約束を守ることのないソ連を仲介して少しでもいい条件で講和に持ち込もうとするなど、こういってはなんですが敗北する際の覚悟が全く足りません。それこそドイツが完全な敗北を無かる1945年4月以前、ないしは1944年の間にも講話へと動いていれば、戦後の日本の状況は史実と大きく異なっていたことでしょう。
もう一つこの時のフィンランドについて触れると、よく日本は中国や米国という大国に挟まれるという地政学的に恵まれない国だという意見をたまに目にしますが、少なくともフィンランドとは違って陸続きで大国に接していない、しかもわけわかんないソ連とは陸続きでない点で相当恵まれている気がします。なんだかんだ言って日本はどの国とも海峡に挟まれて陸続きじゃないので、地政学的には結構楽な方に見えます。もっともそのせいでやや保守的なきらいがあるが。
4 件のコメント:
なるほどなるほど。
当時では普通のことだったのでしょうがフィンランドさんに同情してしまいますね、これは…。
しかし人はより豊かになることを求めるものですし、人の集合である国もまた同じであるのは然り。仕方のないことかも知れません。
個々が望む望まざるに関係なく生き物というのは必ず何らかの競争に巻き込まれているものだと思います。ですから自衛の手段を持たなければいけないですね。
などとザリガニとメダカとヌマエビを一緒に飼育してみて感じています(笑)。メダカはバクバクとザリに捕食されるんですけど、ヌマエビは色んな隙間に隠れて上手いことやりすごしてるんです。そこで自然は厳しいなぁ、でも人間も自然の内のひとつだもんなぁと考えてみたり。尤もメダカが食べられるのは私が投入するからですのでメダカくん達やメダカ好きな人には悪いんですけど…。それも生きるということの一部ですから。
私は自分が興味を持った分野にしか首をつっこまないタチですが、幸運にもこのブログに興味を持ったことで様々なことを勉強させていただいております。頻繁に更新をしていただきありがとうございます。
これからの更新も楽しみにしています。
この話題は自分でも気に入っており、書き切れなかった点もあるのでまた続きも書いてくつもりです。
自分でもマイナーなネタをよく扱ってると思ってますが、何かしら知識のお役にたてていれば幸いです。
第2次世界大戦下のフィンランドのことは全く知らなかったので、とても為になります。
ソ連の怖さがよくわかります;;
フィンランドは、たとえ負けた戦争でも「戦った理由」「正義」「ヒーロー(白い死神)」など、国民に自虐でない面が強調して伝えられていて、いいな~、と思いました。
最近では変わってきているのかもしれないですが、私が学校で習った一昔前の歴史では、「負けるとわかっていた戦争に参加した日本はバカだった。」「侵略を広げた欲張りで、アジアに迷惑をかけた」と、悪い面が強調されていました。記事を読んで、フィンランドが意図せずに枢軸国側になってしまった様子もよくわかりましたが、日本も、アメリカに対抗していたら、枢軸国側になったけど、決してファシズム国家ではなかったのに、フィンランドのように、枢軸国側になった経緯も明確に説明されてない気がします。
このフィンランドの例は日本と比較する上で非常にいい材料、というよりは好対照だと思い、自分でもいい記事がかけたと思います。まぁソ連の恐ろしさをもっと日本人に伝えたいってのもありましたが。
日本も何故枢軸国になったのか、この点の解説は確かに不足していますね。当時の外交はこういっては何ですが対米しか頭になく、ドイツと組んで何の意味があったのか、何故ロシアを信用したのか、そういった視野の広い考察が足りません。もうちょっと落ち着いたらまたマンネルハイム元帥の記事書くので、この当たりの内容もつっこんでみます。
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