ページ

2023年7月2日日曜日

Vガンダムとエヴァに共通したテーマ


 本題と関係ないですが上の動画見て、中国人はみんないつも映画でも撮影してんのかよと思いました。こういう突飛な映像がしょっちゅづ得てくるのが中国でしたが最近は見なくなり、久々に見ると凄く安心します。


 話は本題ですが、アニメのVガンダムに声優として出演した阪口大助氏と、カエルとおかんの声でおなじみの渡辺久美子氏の対談記事が出ていました。っていうかこの対談、主役張った坂口氏はともかくとして、ヒロインのシャクティではなくカテジナ役の渡辺氏を選ぶ辺り、企画した人は良くわかってるでしょう。

 この対談は結構裏話が多く、業界経験間もなく緊張でガチがちだった阪口氏をだましてパーマに欠けたりして、阪口氏がリアルで「おかしいですよ」とカテジナさんに言っているのが笑えました。
 ちなみに阪口氏は「アイドルマスター」の企画で出演声優の料理バトルを司会した際、合成着色料で青色に染め上げられた鶏肉も食わせられており、Vガンダムの主役のウッソといい女難な人だという気がします。

 話を戻すと、阪口氏は当時、演技指導として監督の冨野氏から鉄拳指導も受けていたと言われていましたが、この件に関しては事実ではないと否定されています。指導自体は居残りで厳しく行われたそうでしたが、殴られたりするほどではなかったそうです。ただ指導が曖昧な表現で言われるためわかりづらく、渡辺氏も対応に苦労したとも語っています。

 またVガンダムという作品について両氏とも、放映当時はピンとこなかったけど何度も見ているうちにだんだんわかってきたという風に話しているのが印象的でした。特に渡辺氏が自身が演じたカテジナについて、常にというわけではないものの、カテジナ同様にエキセントリックにおかしな行動を取ることが自分にもあることがわかってきたと話しており、これを聞いてようやくというか、この後に世に出て大ヒットしたエヴァンゲリオンとの共通テーマに気づきました。

 エヴァの監督である庵野氏はかねがね、かつて制作現場で直接指導も受けた冨野氏のこのVガンダムがエヴァの政策に大きく影響したと話していました。私はこの言葉について、世紀末的退廃的な90年代の世界観のことを言っているとこれまで思っていたのですが、今回のVガンダム対談を見て、「周囲の価値観がおかしく、自分でも気づかぬうちにどんどんおかしくなっていく」というのが、両作品に共通するテーマじゃないかと思うようになりました。

 このテーマはVガンダムの方が非常に顕著で、わずか13歳の主人公をMSの操縦がうまいという理由で、周りの大人たちがこぞって機体に乗せて戦わせようとします。主人公も周りに乗せられるままに相手の命を奪うようになり、作品が進むにつれ、殺害に対する呵責もどんどん失われていくようになっていきます。
 いわば少年兵の問題がこの作品上では一切問題視されない、それどころか大人ほど気にしない姿を見せます。それに対し「子供を戦わせるべきじゃない」と唯一否定していたのがヒロインのシャクティとカテジナさんでしたが、前者も相当ですが後者に至っては当初否定していた大人以上におかしくなり、死亡確実な作戦に部下を投入したり、だまし討ちしたりとガンダムシリーズの中でもやりたい放題を尽くすくらいの悪女となり果てます。

 なおケロロ軍曹の中で「トチ狂ってお友達にでもなりに来たでありますか?」というセリフを言ったことがあるらしいです。ケロロ軍曹もほんとやりたい放題だ。

 以上のように、Vガンダムは子供の目線で見ると頼りない大人を尻目に少年が目を見張る活躍で悪い奴らを一方的に打ちのめしていく作品ですが、大人の目で見るとみんな頭がおかしく、主人公もカテジナもそうしたおかしい価値観に染まってどんどん過激になっていくように見えてきます。

 翻ってエヴァについてはVガンダムほど露骨ではないものの、この作品も周囲の大人がおかしく、そのおかしな価値観に子供が翻弄されていく様が描かれています。わけのわからない怪物に対してロボットの操縦適性が子供しかないからという理由で子供を兵器に載せ、戦わせていくという流れです。
 当初でこそ主人公のシンジに対し周りは搭乗拒否権を認めていたというか、「できれば戦ってほしい」的な立場を取っていますが、回が進むにつれて、「乗って戦うのが当たり前」的に扱うようになり、よく突っ込まれるミサトさんなんかは「エヴァに乗るのがあんたの存在意義でしょう」的に、乗らなければカス的な見方を徐々にシンジに対しぶつけていくように見えます。これに対しシンジの方は何度か抵抗し、途中で一度ははっきりとした自分の意志で乗る姿を見せるも、結局は「抵抗しても無駄なんだ」的にあきらめて周囲のプレッシャーに潰される羽目となります。

 このシンジの姿を、子供の目線で見ると期待に応えられずうじうじした奴に見えなくもないですが、大人の目線でいえば上司や客先の圧力に潰される自分の姿のようにも見えなくもなく、「そりゃ14歳だもん、乗らなくなるよなぁ」的に妙に理解が増してきます。Vガンダムの比較で述べると、作中でもはっきり言われているように超人であるウッソはあらゆるプレッシャーを跳ね返して戦い続けるものの、常人代表のシンジは、世の中の多くがそうであるように強すぎるプレッシャーに潰れる様が描かれています。

 このように、周囲、特に大人の価値観が逸脱していて、それによって翻弄される子供もどんどん気づかぬうちにおかしくなっていくというテーマで、Vガンダムとエヴァは共通していたのかなと初めて気が付きました。なおエヴァの場合、カテジナに相当するのはシンジであり、流されておかしくなっていく点でウッソに相当するのはミサトさんな気がします。ミサトさんが私生活はともかくとして当初は常識持っていたのが、後半になるにつれて作中屈指のやばいキャラになっていく過程がなんとなくそう見えます。


 たまたまですが上記の自分の理解に通じると思うまとめ記事を見たので併記しておきます。ぶっちゃけこれ、アニメの中だけじゃなく日本の多くの中小企業や部活動に当てはまるんじゃないかな。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

子供向けだから子供が大人に勝る力を獲得して活躍する、というのがマジンガーZからのロボットアニメの伝統でしたが、富野監督はザンボットの時点でバトル中に壊される街並みの人々が主人公たちを批判する描写を入れたりして、こんなん現実にあったらこうだよねっていう視点を常に入れてきましたからね。

エヴァは宗教的なモチーフが強いという意味でもVガンダムの影響を受けてる気がします。90年代はオウムも含めて異常にスピリチュアルな時代だったと思いますね。宗教二世問題なんかは、その頃に生まれ育った世代の復讐が始まってる感があります。

花園祐 さんのコメント...

>子供向けだから子供が大人に勝る力を獲得して活躍する
 これなんかまさに、アニメを作る大人の側からしたら当たり前な感覚ですが、実際の戦争においては異常極まりない感覚で、そうしたものを勧善懲悪的に子供に見せていいものかっていうのを冨野監督も突きたかったのかもしれません。

 あの時代は今から考えると驚くほどオカルトが流行っていて、逆に現代において死海文書やヴォイニッチ手稿などといった単語は聞かれず、Xファイルも過去のものだといよいよ感じてきます。自分も割とオカルト好きですが、それに振り回されてきた宗教二世の問題を考えるとあまり面白おかしく取り上げるのもよくないなと思えてきます。