のびのびになっていましたが、連載二回目です。
早速文化大革命についてあれこれ書いていこうと思いますが、前回の記事でも書いたように、この文化大革命は本当に複雑な事件なのです。私も今こうしてウィキペディアの記事を読み返していますが、何度も読んだはずなのになんかいまいちピンとこれずにいます。
そこで今回は最初の方ということもあり、文化大革命の概略とその流れについて書いてみようと思います。今後の連載でも恐らく読んでいる方は何度もわけがわからなくなると思いますが、そのたびにこの記事を読み返してくれればというつもりで書きます。
まずこの文化大革命は誰によって起こされたのかというと、それは間違いなく毛沢東です。こんなことを言うと中国では捕まるんじゃないか、という思われる方も多いでしょうが、今じゃちょっとわからなくなりましたがちょっと前だったらニュアンス的には間違っていないんじゃないというように、中国人にもちゃんと受け取ってもらえたと思います。ここで書いておきますが、日本の方は中国人を必ずしも侮らないように。きちんと彼らも隠し様のない事実くらいは理解しております。
日本の歴史教育だと毛沢東は中華人民共和国が成立して以降、一貫して権力者であったかのように誤解されがちなのですが、実際には彼は一度失脚しています。何故失脚したかというと、農業政策や社会政策などで明らかな失政を犯してしまい、一度鄧小平といった経済政策などに明るい政治家らに引退を迫られ、一旦は政権の中枢から降りています。しかし彼自身は未だ引退する気はさらさらなく、表面上は穏やかに政権の座を譲ったかのように見えましたが、その後自らは隠遁したふりを見せ、未だ政権に残っている自らの腹心を使い徐々に世論を誘導して、「鄧小平らは毛沢東を騙して政権から追い出した」、というような世論を作っていきました。
以前に大学の授業にて中国政治の先生がこの文化大革命のことを、毛沢東が権力を奪回させるために敢えて社会を混乱させたところ、終いには自分にも手がつけられなくなったと評しましたが、まさに的確な表現でしょう。毛沢東は民衆、特に精神的に純粋な十代の少年少女らを使い、自らを神格化させることによって見事鄧小平を追放し、政権の奪回に成功します。しかし少年少女らを扇動する際に毛沢東は、
「お前たちが正しい。しかし大人は間違っているから、お前たちが修正してやらなければならない」
といったような言葉で動員し、この言葉を真に受けた若者たちは一切権威を信じず、自ららが組織した団体の決定を強引に推し進め、更には本来それを取り締まる警察や軍隊は毛沢東らの中央政府の命令によって鎮圧ができずに静観するだけという、悪循環な環境を生んでいくことになります。
この時代について私に中国語を教えてくれた中国人教師の方などは、当時は軍隊が全く機能しておらず、子供だった先生は勝手に基地の中に忍び込んでは手榴弾を取ってきて投げて遊んでいたというくらいですから、その混乱振りがうかがえます。
このように、ごくごく一般の社会機能がほぼすべて失われ、当時の中国はさながら無政府状態のように、殺人があっても誰も気に留めず、また好き勝手に泥棒や強奪が頻発したらしいです。
毛沢東も途中からはこうした暴徒と化した若者を押さえにかかり、あの悪名高き農村への下放を推し進めていくのですが、それでも彼の存命中はこの混乱が収まることはありませんでした。
しかし毛沢東が死んで鄧小平が復権すると、やはり中国の民衆は当時の状態が間違っているということはきちんとわかっていたのか、鄧小平の指示の元に一気に体勢を立て直していくに至りました。
一説によると、この文化大革命の死者は1000万人を越し、生きていても社会的に大きな打撃を受けた者となると当時の中国人の半数以上とまで言われています。私の日本人の中国語の恩師は60歳を少し過ぎた年齢ですが、先生によると、中国には先生と同じ年代の学者はいないそうです。文化大革命中、少しでも学識のある人間は「知識分子」と呼ばれ、激しい批判や暴力を受けて社会的にほぼすべてが抹殺されたと言われ、ちょうどこの年代に当たる知識人層が何十年も立った今でもすっぽりと抜けているということを知った時、寒気にも似た気持ちを覚えました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年9月16日火曜日
リーマンブラザーズ破綻について
三年前のある日、後輩にこんなことを聞かれました。
「先輩、今一体どんな業種の会社が調子いいんですかね?」
「そうだなぁ。調子がいいと言えば自動車会社だろうけど、伸びているという意味では不動産証券化業界じゃないかな」
この話を思い出すにつれ、この時自分はちゃんと勉強していたんだなぁと我ながら感心しています。当時、確かにこの業界は非常に伸びて、伸びて、そして去年になって一気に縮んじゃいました。不動産証券化業界というのは日本語で、英語にするならば即ち、サブプライムと呼ばれる業界です。
今日は友人からリクエストがあったので、先日に破綻して今日はもう大騒ぎになっているリーマンブラザーズ社について書きます。本当は私などより別の友人のほうがこの問題にも詳しいのですが、まぁ情報を整理する意味合いで持てる情報と予測を書いてみようと思います。
まずこのリーマンブラザーズ社ですが、テレビなどでも昨日から散々報道されていますが、かつてはライブドアによるニッポン放送買収事件の資金源となるほどこの世の春を謳歌したアメリカの巨大ヘッジファンドでしたが、同様にサブプライムローンの総元締めでもあったために去年のサブプラムローン破綻でとんでもない額の損失を出し、この度アメリカ政府に対して破産申告をするにいたりました。順位的に言うならこのリーマンブラザーズ社はアメリカの証券会社の中で四位に位置し、敢えて卑近な例で比較するなら、かつて野村、大和、日興と並んで四大証券会社と呼ばれた山一證券の位置に属し、山一證券同様に破綻したという構図になります。何気に、破綻理由が実体のない不動産価格上昇に乗ってしまった故の損失という点でも一緒です。
次に破綻のきっかけになった理由ですが、報道されているのを見る限りアメリカの連邦準備理事会、通称FRBがリーマンブラザーズ社が公的資金の注入、いうなれば資金の救済を願い出たのを断り、また引き受け先としてリーマンブラザーズ社の買収を協議していた別の金融会社が救済をあきらめたという情報が入り、株価が下げとどまらなかったことが止めを刺したようです。
それでこのFRBなのですが先週に、同じくサブプライムで大損失を食らった別の銀行会社複数には公的資金を注入しております。先週に銀行を保護したことから当初、市場関係者らは今回もリーマンブラザーズ社は救済されるだろうと見ていたようなのですが、現実はさにあらず見事に袖にされてしまったようです。この対応の違いについて確か日経新聞が書いていましたが、FRBはこれ以上公的資金の注入を行うことによるドルの下落を恐れたというのが原因ではないかと予想していました。確かにただでさえ下がっているドル価格なのですから、これ以上流すと下がることは必定でしょう。
またまたこのFRB関連の情報ですが、やはりFRBとしてはこれ以上自前で金を出したくないようです。そこでFRBは米証券業界の一位と二位であるゴールドマンサックス社とJPモルガン社に対して他社を救済せよとハッパをかけているようです。それで早くも風評が飛び交っていますが、本当は書くべきじゃないんだけどこの次は米保険業界の大手であるAIGが破産する、もしくは買収されると言われております。風評を簡単に信じ込むのはどうかと思いますが、今回のリーマンブラザーズ社も先月辺りから危ない危ないと言われ続けてきているので、風評といえども今の状態では見逃すことはできません。
また救済をするようにと言われているゴールドマンサックス社とJPモルガン社はまだ今期の営業成績を発表しておらず、実際にはこの二社も相当な損失額を計上するのではないかとも言われています。さすがにゴールドマンサック社は……と思うのですが、仮にこの二社までとんでもない損失額を計上していたらアメリカ経済はえらいことになりますよ。
では、今回のこのリーマンブラザーズ社の破綻による日本への影響ですが、まさに太平洋を挟んでるからといって対岸の火と見てはいけないのではないかと思います。なぜなら、既に一部で報道されていますがあおぞら銀行を筆頭にいくつかの邦銀が相当額のリーマンブラザーズ社の社債を保持しており破綻のあおりを受けて損害を受けることが予想されています。また現在の日本企業で利益を上げている企業というのはすべて海外での取引によって儲け、国内では赤字という企業ばかりです。代表的なのはトヨタなどの自動車業界ですが、今後もアメリカ金融市場が混乱することによってドル価格は下落し、その分円高になるので輸出による儲けは全体的に落ち込むことは明白でしょう。
どうでもいいけど、今年の五月くらいに日本の自動車業界で唯一マツダの株価が上がりました。なぜかというと、調子の悪いアメリカへの輸出が最も少ない日本の自動車会社だから(その分ヨーロッパへの輸出でマツダは成り立っている)というだけで、市場がどれだけアメリカに対して警戒感を持っていたかというのがわかります。
私は今年の景気はオリンピック景気が終わることによる世界の工場たる中国の成長が止まり、中国を発端にして景気は後退するのかと思っていましたが、実際には逆でアメリカが原因で後退するに至りました。せっかく一時期は1バレル150ドルを超えていた石油価格が100ドル台、つまり三分の二まで戻ったのに、こんな風に景気が混乱するというのはなかなかに皮肉な結果です。アメリカ企業への投資はもう駄目だから再び金や石油に投資が集まるだろうという予測がありますが、私なんかはかえってこのタイミングで人民元とか買ってみたら面白いと思います。それにしても人民元も、四年前だったら日本で買うことできなかったのに時代は変わるもんだなぁ。
「先輩、今一体どんな業種の会社が調子いいんですかね?」
「そうだなぁ。調子がいいと言えば自動車会社だろうけど、伸びているという意味では不動産証券化業界じゃないかな」
この話を思い出すにつれ、この時自分はちゃんと勉強していたんだなぁと我ながら感心しています。当時、確かにこの業界は非常に伸びて、伸びて、そして去年になって一気に縮んじゃいました。不動産証券化業界というのは日本語で、英語にするならば即ち、サブプライムと呼ばれる業界です。
今日は友人からリクエストがあったので、先日に破綻して今日はもう大騒ぎになっているリーマンブラザーズ社について書きます。本当は私などより別の友人のほうがこの問題にも詳しいのですが、まぁ情報を整理する意味合いで持てる情報と予測を書いてみようと思います。
まずこのリーマンブラザーズ社ですが、テレビなどでも昨日から散々報道されていますが、かつてはライブドアによるニッポン放送買収事件の資金源となるほどこの世の春を謳歌したアメリカの巨大ヘッジファンドでしたが、同様にサブプライムローンの総元締めでもあったために去年のサブプラムローン破綻でとんでもない額の損失を出し、この度アメリカ政府に対して破産申告をするにいたりました。順位的に言うならこのリーマンブラザーズ社はアメリカの証券会社の中で四位に位置し、敢えて卑近な例で比較するなら、かつて野村、大和、日興と並んで四大証券会社と呼ばれた山一證券の位置に属し、山一證券同様に破綻したという構図になります。何気に、破綻理由が実体のない不動産価格上昇に乗ってしまった故の損失という点でも一緒です。
次に破綻のきっかけになった理由ですが、報道されているのを見る限りアメリカの連邦準備理事会、通称FRBがリーマンブラザーズ社が公的資金の注入、いうなれば資金の救済を願い出たのを断り、また引き受け先としてリーマンブラザーズ社の買収を協議していた別の金融会社が救済をあきらめたという情報が入り、株価が下げとどまらなかったことが止めを刺したようです。
それでこのFRBなのですが先週に、同じくサブプライムで大損失を食らった別の銀行会社複数には公的資金を注入しております。先週に銀行を保護したことから当初、市場関係者らは今回もリーマンブラザーズ社は救済されるだろうと見ていたようなのですが、現実はさにあらず見事に袖にされてしまったようです。この対応の違いについて確か日経新聞が書いていましたが、FRBはこれ以上公的資金の注入を行うことによるドルの下落を恐れたというのが原因ではないかと予想していました。確かにただでさえ下がっているドル価格なのですから、これ以上流すと下がることは必定でしょう。
またまたこのFRB関連の情報ですが、やはりFRBとしてはこれ以上自前で金を出したくないようです。そこでFRBは米証券業界の一位と二位であるゴールドマンサックス社とJPモルガン社に対して他社を救済せよとハッパをかけているようです。それで早くも風評が飛び交っていますが、本当は書くべきじゃないんだけどこの次は米保険業界の大手であるAIGが破産する、もしくは買収されると言われております。風評を簡単に信じ込むのはどうかと思いますが、今回のリーマンブラザーズ社も先月辺りから危ない危ないと言われ続けてきているので、風評といえども今の状態では見逃すことはできません。
また救済をするようにと言われているゴールドマンサックス社とJPモルガン社はまだ今期の営業成績を発表しておらず、実際にはこの二社も相当な損失額を計上するのではないかとも言われています。さすがにゴールドマンサック社は……と思うのですが、仮にこの二社までとんでもない損失額を計上していたらアメリカ経済はえらいことになりますよ。
では、今回のこのリーマンブラザーズ社の破綻による日本への影響ですが、まさに太平洋を挟んでるからといって対岸の火と見てはいけないのではないかと思います。なぜなら、既に一部で報道されていますがあおぞら銀行を筆頭にいくつかの邦銀が相当額のリーマンブラザーズ社の社債を保持しており破綻のあおりを受けて損害を受けることが予想されています。また現在の日本企業で利益を上げている企業というのはすべて海外での取引によって儲け、国内では赤字という企業ばかりです。代表的なのはトヨタなどの自動車業界ですが、今後もアメリカ金融市場が混乱することによってドル価格は下落し、その分円高になるので輸出による儲けは全体的に落ち込むことは明白でしょう。
どうでもいいけど、今年の五月くらいに日本の自動車業界で唯一マツダの株価が上がりました。なぜかというと、調子の悪いアメリカへの輸出が最も少ない日本の自動車会社だから(その分ヨーロッパへの輸出でマツダは成り立っている)というだけで、市場がどれだけアメリカに対して警戒感を持っていたかというのがわかります。
私は今年の景気はオリンピック景気が終わることによる世界の工場たる中国の成長が止まり、中国を発端にして景気は後退するのかと思っていましたが、実際には逆でアメリカが原因で後退するに至りました。せっかく一時期は1バレル150ドルを超えていた石油価格が100ドル台、つまり三分の二まで戻ったのに、こんな風に景気が混乱するというのはなかなかに皮肉な結果です。アメリカ企業への投資はもう駄目だから再び金や石油に投資が集まるだろうという予測がありますが、私なんかはかえってこのタイミングで人民元とか買ってみたら面白いと思います。それにしても人民元も、四年前だったら日本で買うことできなかったのに時代は変わるもんだなぁ。
2008年9月15日月曜日
ゲーム「ペルソナシリーズ」のレビュー
ちょっとまだ体がだるいので、気を抜くがてらにゲームのレビューです。今日やるのはアトラスから出ている「ペルソナシリーズ」です。
もともとこのシリーズはアトラスの人気シリーズである「女神転生シリーズ」から派生した作品でしたが、本家よりいつの間にかこっちのほうが人気が出てしまい、現在では一シリーズとして独立しています。
私がこのゲームをやりだしたのは最初の作品である「女神異聞録ペルソナ」が中古で安かったのと、同じくアトラスから出ている「グローランサー」というゲームをやったついでにという形で入りました。
これは多分私だけではないでしょうが、このシリーズの最高傑作と呼べるのはこの初代ペルソナでしょう。はっきり言ってゲームバランスは他のアトラスのRPG作品同様に崩れまくっており、この作品もご多分に漏れずレベルはなかなか上がらないわ、敵はむやみやたらに強いわでなんど放り投げかけたか。しかもレベルがかなり上がらないと使えないペルソナ……説明し忘れましたが、このゲーム、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる「スタンド」とまんま同じな「ペルソナ」というものを使って悪魔と戦うゲームです。このペルソナはいろいろ種類があってレベルがそのペルソナに設定されたものに達しないと使うことができないのですが、タダでさえレベルが上がりづらいのに普通にレベル80は行かないと使えないものがごろごろしていて、どれだけユーザーをなめているのかと何度思ったことか。
それでもこのシリーズが人気が出たのはやはり練りこまれたシナリオでした。漫画版も私は全部そろえましたし、なんかあちこちで評判を見ていると今でも高く評価されており、PS2でのリメイクも期待されています。そんなわけでいちおうクリアできて、また面白かったということもあって続編の「ペルソナ2 罪」が出たときはすぐに買ってやったのですが、なんと言うかこっちの終わった感想は非常に消化不足な感しか残りませんでした。一応前作の続編ということで、前作のキャラクターたちも出てくるのですが、これがまた申し訳程度で全然ストーリーに絡みはしないわ、新キャラクターは新キャラクターで、主人公からヒロインを含めて有名な声優は使ってはいるのですが、あからさまなミスキャストでゲームをプレイするたびに萎えさせるボイスでした。
更に致命的だったのは、この頃辺りから当時のアトラス作品のメインイラストレーターであった金子一馬氏の衰えが目立ち始めてきました。金子氏は悪魔を描かせたら日本一と言われるだけ世界中の神話のキャラクター達をこれまで写実化してきた偉大な人物ではありますが、それまでの作品では非常に癖のある絵でしたが、彼が描く人間のキャラクターには不思議な魅力があり、悪魔同様に大きな存在感がありました。しかしこの「ペルソナ2」の辺りからは非常に癖のある画風はそのままで、存在感だけがすっぽりと抜け落ちてきたように見えました。特にひどいのは人物画の配色です。各部位の色は基本一色で塗りたくり、なんというか全体的にのっぺりとした絵になってしまいました。「ペルソナ2」の主人公なんか、髪の毛を原色に近い茶色一色で塗りたくっているから、ヘルメットかカツラを被っているようにしか見えないし。
そしてこの作品の最大の失敗は、このシリーズの戦闘における最大の醍醐味である、悪魔との交渉が非常にめんどくさく面白みのないものとしてしまったことです。これは他のRPGにもいえますが、基本的にザコ敵との戦闘は一分以内に終わるものがベストです。一回の戦闘に三分以上かかるとレベル上げの作業が非常に面倒になるだけでなく、ゲーム全体のプレイ時間、テンポに大きく影響させてしまいます。ドラクエ、FFシリーズなどはどれも短く終わるように設計されており、逆に駄目なRPGほど戦闘時間は長いものが多いような気がします。
それでこのペルソナシリーズですが、大体一回五分くらいかかるのがざらです。なぜならこのゲームはドラクエ5以前に悪魔と交渉して敵を仲間にするシステムを導入しているため、戦闘中にあれこれ選択肢を選ぶように作られています。これが「ペルソナ1」の頃なんかは面倒と思うこともありましたがなかなか面白く、各キャラクターごとに「歌を歌う」とか「おだてる」などと交渉コマンドが決められており、キャラクターの個性化に成功したのですが、「ペルソナ2」になるとこの交渉がただただ面倒な作業になり果て、しかも交渉の結果得られるものが明らかに前作より少なく、前作以上にこの交渉を多くしなければならなくなるという不手際を犯してしまいました。
こんな感じでもうどうしようもなかったのですが、多分そうだろうなぁと思っていたら悪乗りして「ペルソナ2 罰」という作品まで作ってしまいました。しょうがないからやりましたけど、これもまた面倒なだけの作品で、「ペルソナ1」でよかったシナリオはどこ行ったのかと思うようなくだらない自己完結作品でした。またこれは「ペルソナ2」全体に言える事ですが、確かに「ペルソナ1」ほど不条理に満ちたゲームバランスではなくなり難易度も落とされているのですが、前作は難しいなりに、ボス戦などには抵抗属性などを用いた対策が非常によく効き、戦闘に戦略を持ち込むことができたのに対して「ペルソナ2」は全くそういったものがありませんでした。まぁ、「ペルソナ1」の場合は対策が効き過ぎて、私の場合ラスボス戦がノーダメージで終えられたというのがありますけど。
そんなわけで多分今後もこのシリーズは駄目だろうと、その後にアトラスは「女神転生Ⅲ」とか出しましたけど、私は一切手を出しませんでした。しかし全然知らなかったのですが一昨年に「ペルソナ2」の発売から七年も経過して、いつの間にやら「ペルソナ3」を出していたことをちょっと前に知りました。そしてあれこれレビューを見てみると非常に高評価だったので、ちょうど手持ち無沙汰だったのもあってつい最近に購入してやってみました。結論から言うと、前作よりは大分マシになっています。
まず悪魔のイラストはこれまでどおりに金子一馬氏ですが、キャラクターのイラストを副島成記に変えており、これは高く評価できます。私に限る話ですが、キャラクターに対して前作にはできなかった感情移入が非常にしやすいデザインとなっており、また声優陣もどれもキャラクターにあった人を選んでいます。
肝心のゲーム内容も、今作は「弱点システム」というのが搭載され、非常に戦略性が重視されるものになっており、現段階でなかなか評価できます。
まだやり始めている途中ですが、この作品はまだ人にも薦められる内容です。でもこれをやるよりも、やっぱり一作目をやったほうが全然いいと思ってしまいます。何もゲームに限るわけじゃないけど、早くに作品として完成させてしまうと、続編を作り続けるのが非常に難しくなってしまいます。同じような例だと、KOEIの「三国無双2」とかかな。これなんて2で完成しちゃったもんだから、その後はどんどんつまらなくなっていくし。特に「戦国無双シリーズ」の一作目に、本田忠勝を使用キャラに選ばなかったときはKOEIは頭がおかしくなったのかとすら私は疑いました。
もともとこのシリーズはアトラスの人気シリーズである「女神転生シリーズ」から派生した作品でしたが、本家よりいつの間にかこっちのほうが人気が出てしまい、現在では一シリーズとして独立しています。
私がこのゲームをやりだしたのは最初の作品である「女神異聞録ペルソナ」が中古で安かったのと、同じくアトラスから出ている「グローランサー」というゲームをやったついでにという形で入りました。
これは多分私だけではないでしょうが、このシリーズの最高傑作と呼べるのはこの初代ペルソナでしょう。はっきり言ってゲームバランスは他のアトラスのRPG作品同様に崩れまくっており、この作品もご多分に漏れずレベルはなかなか上がらないわ、敵はむやみやたらに強いわでなんど放り投げかけたか。しかもレベルがかなり上がらないと使えないペルソナ……説明し忘れましたが、このゲーム、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる「スタンド」とまんま同じな「ペルソナ」というものを使って悪魔と戦うゲームです。このペルソナはいろいろ種類があってレベルがそのペルソナに設定されたものに達しないと使うことができないのですが、タダでさえレベルが上がりづらいのに普通にレベル80は行かないと使えないものがごろごろしていて、どれだけユーザーをなめているのかと何度思ったことか。
それでもこのシリーズが人気が出たのはやはり練りこまれたシナリオでした。漫画版も私は全部そろえましたし、なんかあちこちで評判を見ていると今でも高く評価されており、PS2でのリメイクも期待されています。そんなわけでいちおうクリアできて、また面白かったということもあって続編の「ペルソナ2 罪」が出たときはすぐに買ってやったのですが、なんと言うかこっちの終わった感想は非常に消化不足な感しか残りませんでした。一応前作の続編ということで、前作のキャラクターたちも出てくるのですが、これがまた申し訳程度で全然ストーリーに絡みはしないわ、新キャラクターは新キャラクターで、主人公からヒロインを含めて有名な声優は使ってはいるのですが、あからさまなミスキャストでゲームをプレイするたびに萎えさせるボイスでした。
更に致命的だったのは、この頃辺りから当時のアトラス作品のメインイラストレーターであった金子一馬氏の衰えが目立ち始めてきました。金子氏は悪魔を描かせたら日本一と言われるだけ世界中の神話のキャラクター達をこれまで写実化してきた偉大な人物ではありますが、それまでの作品では非常に癖のある絵でしたが、彼が描く人間のキャラクターには不思議な魅力があり、悪魔同様に大きな存在感がありました。しかしこの「ペルソナ2」の辺りからは非常に癖のある画風はそのままで、存在感だけがすっぽりと抜け落ちてきたように見えました。特にひどいのは人物画の配色です。各部位の色は基本一色で塗りたくり、なんというか全体的にのっぺりとした絵になってしまいました。「ペルソナ2」の主人公なんか、髪の毛を原色に近い茶色一色で塗りたくっているから、ヘルメットかカツラを被っているようにしか見えないし。
そしてこの作品の最大の失敗は、このシリーズの戦闘における最大の醍醐味である、悪魔との交渉が非常にめんどくさく面白みのないものとしてしまったことです。これは他のRPGにもいえますが、基本的にザコ敵との戦闘は一分以内に終わるものがベストです。一回の戦闘に三分以上かかるとレベル上げの作業が非常に面倒になるだけでなく、ゲーム全体のプレイ時間、テンポに大きく影響させてしまいます。ドラクエ、FFシリーズなどはどれも短く終わるように設計されており、逆に駄目なRPGほど戦闘時間は長いものが多いような気がします。
それでこのペルソナシリーズですが、大体一回五分くらいかかるのがざらです。なぜならこのゲームはドラクエ5以前に悪魔と交渉して敵を仲間にするシステムを導入しているため、戦闘中にあれこれ選択肢を選ぶように作られています。これが「ペルソナ1」の頃なんかは面倒と思うこともありましたがなかなか面白く、各キャラクターごとに「歌を歌う」とか「おだてる」などと交渉コマンドが決められており、キャラクターの個性化に成功したのですが、「ペルソナ2」になるとこの交渉がただただ面倒な作業になり果て、しかも交渉の結果得られるものが明らかに前作より少なく、前作以上にこの交渉を多くしなければならなくなるという不手際を犯してしまいました。
こんな感じでもうどうしようもなかったのですが、多分そうだろうなぁと思っていたら悪乗りして「ペルソナ2 罰」という作品まで作ってしまいました。しょうがないからやりましたけど、これもまた面倒なだけの作品で、「ペルソナ1」でよかったシナリオはどこ行ったのかと思うようなくだらない自己完結作品でした。またこれは「ペルソナ2」全体に言える事ですが、確かに「ペルソナ1」ほど不条理に満ちたゲームバランスではなくなり難易度も落とされているのですが、前作は難しいなりに、ボス戦などには抵抗属性などを用いた対策が非常によく効き、戦闘に戦略を持ち込むことができたのに対して「ペルソナ2」は全くそういったものがありませんでした。まぁ、「ペルソナ1」の場合は対策が効き過ぎて、私の場合ラスボス戦がノーダメージで終えられたというのがありますけど。
そんなわけで多分今後もこのシリーズは駄目だろうと、その後にアトラスは「女神転生Ⅲ」とか出しましたけど、私は一切手を出しませんでした。しかし全然知らなかったのですが一昨年に「ペルソナ2」の発売から七年も経過して、いつの間にやら「ペルソナ3」を出していたことをちょっと前に知りました。そしてあれこれレビューを見てみると非常に高評価だったので、ちょうど手持ち無沙汰だったのもあってつい最近に購入してやってみました。結論から言うと、前作よりは大分マシになっています。
まず悪魔のイラストはこれまでどおりに金子一馬氏ですが、キャラクターのイラストを副島成記に変えており、これは高く評価できます。私に限る話ですが、キャラクターに対して前作にはできなかった感情移入が非常にしやすいデザインとなっており、また声優陣もどれもキャラクターにあった人を選んでいます。
肝心のゲーム内容も、今作は「弱点システム」というのが搭載され、非常に戦略性が重視されるものになっており、現段階でなかなか評価できます。
まだやり始めている途中ですが、この作品はまだ人にも薦められる内容です。でもこれをやるよりも、やっぱり一作目をやったほうが全然いいと思ってしまいます。何もゲームに限るわけじゃないけど、早くに作品として完成させてしまうと、続編を作り続けるのが非常に難しくなってしまいます。同じような例だと、KOEIの「三国無双2」とかかな。これなんて2で完成しちゃったもんだから、その後はどんどんつまらなくなっていくし。特に「戦国無双シリーズ」の一作目に、本田忠勝を使用キャラに選ばなかったときはKOEIは頭がおかしくなったのかとすら私は疑いました。
2008年9月14日日曜日
文化大革命とは~その一~
私が中国に留学中、授業時間が余ったのである程度中国での生活を過ごしてきた私たち外国人学生に対して、中国人の先生がある日、「あなたたちから見て、中国人はどんな風に映る?」と尋ねてきました。すると一人の学生が「行列に並ばない」、とお決まりのセリフを言いました。それに対し、他の数人の学生もうんうんと無言でうなずきました。
先生も苦笑しながらその通りねと言いながら続けて、「何で中国人は行列に並ばないのかしらね」と、逆に聞いてきました。すると間髪をいれずにドイツ人の学生(チャイニーズネームなら「郭焼磊」)が、「並んだところで、目当ての物が手に入らないことがわかっているからだ」と答え、先生も再びその通りと頷きました。
ここまで話すと先生は改めて私たち学生に向かって、こう話しました。
「少し前の中国は文化大革命といって、非常に社会が混乱した時期がありました。その頃は今言ったように、お金を持って並んでも何も手に入らない生活を中国人は強いられ、その時の体験から中国人は行列に並ばなくなったのだと、私は思っています」
この先生の言ったことは間違いなく正しいと私も考えています。よく中国人が行列に並ばなかったり信号を守らなかったり、果てには商取引上の約束を守らないことを中国人の大昔からの民族性だと言う人もいますが、日本人が古くから民族性と思っている習慣や行動形式の大半というのは、案外歴史が意外に浅かったりします。
たとえば日本人は逆によく自分たちは行列好きと自認している節がありますが、これもあれこれ調べてみたところ、どうも戦中の配給制で行列を作ることを強いられたことから始まったようです。イギリス人も全く同じですし。
このように、思考方法や行動形式はそれほど大きく歴史を掘り下げなくとも、割と近現代史をみることによって形成過程を追うことができます。そこで中国の場合ですが、現在の中国人に最も影響を与えたのはほかならぬ、これから連載して解説していくこの文化大革命に間違いありません。行列を守らないことから相手の意見に対する反応など、さらには現中国の国家体制からその存在意義もこの文化大革命を否定することで成り立っています。それほどまでに、文化大革命が中国に与えた影響は計り知れないのです。
それほど現代中国に大きな影響を与えた文化大革命ですが、その内実を詳しく知っている日本人というのは非常に少ないと私は思っています。私は留学中、中国に来た日本人の多くが中国に対する知識をほとんど持っておらず、中には満州事変すら何のことだかわからない日本人がいた事に怒りすら感じましたが、この文化大革命についてはわからなくてもしょうがないと納得します。何故そんな風に思うのかというと、それほどまでにこの文化大革命は問題が複雑で、大まかな流れだけでも政治学、歴史学、私の専門とする社会学のそれぞれの見地からで全然構造が変わってきてしまうからです。大学のある中国政治に関する授業においても講師が、もしこの文化大革命を取り上げるならば授業時間が一年あっても足りないと言うくらい、非常に理解が難しい問題であります。
実際のところ、私もどこまでこの問題を理解しているか自分でも疑問です。しかし中国との関わりが増えていく中、日本人でもこの文化大革命の知識を持つことは非常に重要になってきますし、また解説サイトはいくつか見受けられますが、やはり非常に読みづらいし理解し辛いものが多いので、自分の表現力で可能な限りわかりやすくできるように挑戦してみようと思います。
解説は基本、私の専門とする社会学的な見地で進めていきます。私の理解でも、この文化大革命は一大政治事件というよりは人類史上最高のモラルパニックというように見ております。参考資料はまたも安直にウィキペディアの「文化大革命」の解説ページと、現在も活動なされている中国人映画監督の陳凱歌氏の著作「私の紅衛兵時代」と、同じくこの時期に青春時代をすごしたユン・チアン氏のベストセラー作の「ワイルド・スワン」に拠ります。特に「ワイルド・スワン」は文化大革命の資料としては簡単に手に入れることができ、内容も一級品といってよい作品なので、もし本格的に調べたい方などがおられれば手にとることをお薦めします。
皮肉な話ですが、この連載は日本に来ている中国人留学生の方々に一番読んでもらいたいです。先ほども行った通りに現中国政権はこの文化大革命を否定することで成り立っており、比較的国内でも検証が進んでいるのですが、それでも聞くところによると、現代の中国の若者はこの辺の知識が全くないと言われています。個人的な見解ですが、やはり文革を経験した方からするとこの歴史は口をつぐみたくなる内容だからなじゃないからだと思います。また先ほどに挙げた「ワイルド・スワン」は世界中で売られていますが、中国語版は未だ出版されていません。なので一つの礎石という具合に、私のブログを活用していただければと思います。
先生も苦笑しながらその通りねと言いながら続けて、「何で中国人は行列に並ばないのかしらね」と、逆に聞いてきました。すると間髪をいれずにドイツ人の学生(チャイニーズネームなら「郭焼磊」)が、「並んだところで、目当ての物が手に入らないことがわかっているからだ」と答え、先生も再びその通りと頷きました。
ここまで話すと先生は改めて私たち学生に向かって、こう話しました。
「少し前の中国は文化大革命といって、非常に社会が混乱した時期がありました。その頃は今言ったように、お金を持って並んでも何も手に入らない生活を中国人は強いられ、その時の体験から中国人は行列に並ばなくなったのだと、私は思っています」
この先生の言ったことは間違いなく正しいと私も考えています。よく中国人が行列に並ばなかったり信号を守らなかったり、果てには商取引上の約束を守らないことを中国人の大昔からの民族性だと言う人もいますが、日本人が古くから民族性と思っている習慣や行動形式の大半というのは、案外歴史が意外に浅かったりします。
たとえば日本人は逆によく自分たちは行列好きと自認している節がありますが、これもあれこれ調べてみたところ、どうも戦中の配給制で行列を作ることを強いられたことから始まったようです。イギリス人も全く同じですし。
このように、思考方法や行動形式はそれほど大きく歴史を掘り下げなくとも、割と近現代史をみることによって形成過程を追うことができます。そこで中国の場合ですが、現在の中国人に最も影響を与えたのはほかならぬ、これから連載して解説していくこの文化大革命に間違いありません。行列を守らないことから相手の意見に対する反応など、さらには現中国の国家体制からその存在意義もこの文化大革命を否定することで成り立っています。それほどまでに、文化大革命が中国に与えた影響は計り知れないのです。
それほど現代中国に大きな影響を与えた文化大革命ですが、その内実を詳しく知っている日本人というのは非常に少ないと私は思っています。私は留学中、中国に来た日本人の多くが中国に対する知識をほとんど持っておらず、中には満州事変すら何のことだかわからない日本人がいた事に怒りすら感じましたが、この文化大革命についてはわからなくてもしょうがないと納得します。何故そんな風に思うのかというと、それほどまでにこの文化大革命は問題が複雑で、大まかな流れだけでも政治学、歴史学、私の専門とする社会学のそれぞれの見地からで全然構造が変わってきてしまうからです。大学のある中国政治に関する授業においても講師が、もしこの文化大革命を取り上げるならば授業時間が一年あっても足りないと言うくらい、非常に理解が難しい問題であります。
実際のところ、私もどこまでこの問題を理解しているか自分でも疑問です。しかし中国との関わりが増えていく中、日本人でもこの文化大革命の知識を持つことは非常に重要になってきますし、また解説サイトはいくつか見受けられますが、やはり非常に読みづらいし理解し辛いものが多いので、自分の表現力で可能な限りわかりやすくできるように挑戦してみようと思います。
解説は基本、私の専門とする社会学的な見地で進めていきます。私の理解でも、この文化大革命は一大政治事件というよりは人類史上最高のモラルパニックというように見ております。参考資料はまたも安直にウィキペディアの「文化大革命」の解説ページと、現在も活動なされている中国人映画監督の陳凱歌氏の著作「私の紅衛兵時代」と、同じくこの時期に青春時代をすごしたユン・チアン氏のベストセラー作の「ワイルド・スワン」に拠ります。特に「ワイルド・スワン」は文化大革命の資料としては簡単に手に入れることができ、内容も一級品といってよい作品なので、もし本格的に調べたい方などがおられれば手にとることをお薦めします。
皮肉な話ですが、この連載は日本に来ている中国人留学生の方々に一番読んでもらいたいです。先ほども行った通りに現中国政権はこの文化大革命を否定することで成り立っており、比較的国内でも検証が進んでいるのですが、それでも聞くところによると、現代の中国の若者はこの辺の知識が全くないと言われています。個人的な見解ですが、やはり文革を経験した方からするとこの歴史は口をつぐみたくなる内容だからなじゃないからだと思います。また先ほどに挙げた「ワイルド・スワン」は世界中で売られていますが、中国語版は未だ出版されていません。なので一つの礎石という具合に、私のブログを活用していただければと思います。
三笠フーズの事件の再考
なんか昨日今日とやけにだるいです。昨日友人と夜まであれこれ話していたからかなぁ。
そんなこんだでまた三笠フーズの汚染米事件についてです。時間の経過とともにだんだんとこの事件の背景も明らかになってきましたが、まず三笠フーズ側ですが社長を除き従業員を解雇し、今後は事件の後始末だけをするために活動を続けるようです。偽装をしたきっかけはやはり利益確保のためだったようです。
今回新たに明らかとなった事実の中で見逃せないのが、どうやら農水省側はかなり早い段階でこの偽装の事実を知っていたという事実で、私自身そうであってもおかしくはないと考えています。というのもかつての牛肉ミンチ偽装事件があったミートホープの例でも、内部通報者が農水省の監督部署に何度も連絡していたにもかかわらず、農水省側は全く調査に入らないどころかミーとホープの経営者側に内部通報があったという事実を逆に伝えていました。なので今回も発覚するかなり以前から農水省側が偽装の事実を知っていた可能性は高いでしょう。
そう考えれば、今農水省が必死で汚染米を摂取した場合の危険性が少ないと喧伝しているということも理解できます。なぜなら、もし実際に危険性が高いとしたら農水省の責任が大きくなり、今後省内で処分者を出さざるを得なくなるからです。こうした前後関係を考えれば考えるほど、仮に発覚以前に偽装を知らなかったといっても、偽装をした会社はもとより農水省の事件への責任も非常に重いということがわかってきます。
インターネットの掲示板でも指摘されていましたが、現農水大臣の太田誠一は今回の事件を以前に起きた中国餃子事件と比べ、あの餃子より残留していたメタミドホスの濃度は低いと発言しましたが、そんな農薬の量なんて比べる問題でもないし、また安全性がどうとかこうとかこの期に及んで弁明すべきではないでしょう。それだけ安全だと言いたいのなら、農水省の役人共々この汚染米を一年くらい食べ続けて自分の体で証明して見せたらいかがでしょうか。第一、福田首相辞任ですっかり追求報道がなくなってしまいましたが、この大田農水大臣は事務所の不正経理の疑いがもたれている中にありますし、この偽装事件はもとより、自分の事務所費でももっと国民が聞いて納得のできる回答を早くすべきでしょう。全く、パーなんだから。
それにしてもこう何度も食料の偽装事件が連続しますが、思い起こすと農水省は昔からこういう無様な対応ばかり見せております。かつては私の憎悪してやまない小渕政権時にO-157の事件の際、大した確証もないのにもかかわらず感染源をカイワレ大根と疑い大きな風評被害を起こしていますし、その頃から対して組織は変わっていない、何の反省もしていないのではないかと呆れるばかりです。
更に言うと、私の目からみてこうした明らかになった食品偽装はまだまだ氷山の一角だと思います。先日も自分の家で鹿児島産と銘打たれたうなぎを食べましたが、明らかに日本産とは味が違いました。何故こんなことを自信満々に言えるのかというと、私の場合は中国に一年行ってた位ですから汚染食品なんて何のそのとばかりに、うなぎはいつも決まって安い中国産しか食べないからです。たまたまうちのお袋が大そうな国産うなぎを買ってきたかと思ったら、どう噛んでも中国産の味しかしないし。しかもパックに入っていたもう一尾は全然違う味、こっちはちゃんとした国産の味をしてました。
牛肉の偽装もまた然りです。素人目、といわれてもしょうがないのですが、国産牛と書かれている牛肉でも明らかにそうと思えない形質をした肉がパックにされてよくスーパーに並んでいるのを目にします。まぁその分確かに値段も安いんだから文句は言えないんだけどね。
本当はこれに繊維業界の外国人研修生の問題と絡めてあれこれ書こうと思ってましたが、思ってた以上に長くなってきたのでそろそろ切ります。結論として私がこれらの問題に対して言いたいことは、処罰と監視をもっと厳格にすべきだということです。結局のところ真面目にやっているところはこのところのコスト高でどんどんと潰れていく一方で、こうした小賢しいインチキを行っているところは延々と儲け続けるなんて、そんな社会だったら潰してしまったほうがマシでしょう。
そんなこんだでまた三笠フーズの汚染米事件についてです。時間の経過とともにだんだんとこの事件の背景も明らかになってきましたが、まず三笠フーズ側ですが社長を除き従業員を解雇し、今後は事件の後始末だけをするために活動を続けるようです。偽装をしたきっかけはやはり利益確保のためだったようです。
今回新たに明らかとなった事実の中で見逃せないのが、どうやら農水省側はかなり早い段階でこの偽装の事実を知っていたという事実で、私自身そうであってもおかしくはないと考えています。というのもかつての牛肉ミンチ偽装事件があったミートホープの例でも、内部通報者が農水省の監督部署に何度も連絡していたにもかかわらず、農水省側は全く調査に入らないどころかミーとホープの経営者側に内部通報があったという事実を逆に伝えていました。なので今回も発覚するかなり以前から農水省側が偽装の事実を知っていた可能性は高いでしょう。
そう考えれば、今農水省が必死で汚染米を摂取した場合の危険性が少ないと喧伝しているということも理解できます。なぜなら、もし実際に危険性が高いとしたら農水省の責任が大きくなり、今後省内で処分者を出さざるを得なくなるからです。こうした前後関係を考えれば考えるほど、仮に発覚以前に偽装を知らなかったといっても、偽装をした会社はもとより農水省の事件への責任も非常に重いということがわかってきます。
インターネットの掲示板でも指摘されていましたが、現農水大臣の太田誠一は今回の事件を以前に起きた中国餃子事件と比べ、あの餃子より残留していたメタミドホスの濃度は低いと発言しましたが、そんな農薬の量なんて比べる問題でもないし、また安全性がどうとかこうとかこの期に及んで弁明すべきではないでしょう。それだけ安全だと言いたいのなら、農水省の役人共々この汚染米を一年くらい食べ続けて自分の体で証明して見せたらいかがでしょうか。第一、福田首相辞任ですっかり追求報道がなくなってしまいましたが、この大田農水大臣は事務所の不正経理の疑いがもたれている中にありますし、この偽装事件はもとより、自分の事務所費でももっと国民が聞いて納得のできる回答を早くすべきでしょう。全く、パーなんだから。
それにしてもこう何度も食料の偽装事件が連続しますが、思い起こすと農水省は昔からこういう無様な対応ばかり見せております。かつては私の憎悪してやまない小渕政権時にO-157の事件の際、大した確証もないのにもかかわらず感染源をカイワレ大根と疑い大きな風評被害を起こしていますし、その頃から対して組織は変わっていない、何の反省もしていないのではないかと呆れるばかりです。
更に言うと、私の目からみてこうした明らかになった食品偽装はまだまだ氷山の一角だと思います。先日も自分の家で鹿児島産と銘打たれたうなぎを食べましたが、明らかに日本産とは味が違いました。何故こんなことを自信満々に言えるのかというと、私の場合は中国に一年行ってた位ですから汚染食品なんて何のそのとばかりに、うなぎはいつも決まって安い中国産しか食べないからです。たまたまうちのお袋が大そうな国産うなぎを買ってきたかと思ったら、どう噛んでも中国産の味しかしないし。しかもパックに入っていたもう一尾は全然違う味、こっちはちゃんとした国産の味をしてました。
牛肉の偽装もまた然りです。素人目、といわれてもしょうがないのですが、国産牛と書かれている牛肉でも明らかにそうと思えない形質をした肉がパックにされてよくスーパーに並んでいるのを目にします。まぁその分確かに値段も安いんだから文句は言えないんだけどね。
本当はこれに繊維業界の外国人研修生の問題と絡めてあれこれ書こうと思ってましたが、思ってた以上に長くなってきたのでそろそろ切ります。結論として私がこれらの問題に対して言いたいことは、処罰と監視をもっと厳格にすべきだということです。結局のところ真面目にやっているところはこのところのコスト高でどんどんと潰れていく一方で、こうした小賢しいインチキを行っているところは延々と儲け続けるなんて、そんな社会だったら潰してしまったほうがマシでしょう。
2008年9月12日金曜日
人の痛みを我が物とする人たち~後編~
昨日今日と延々データ入力作業をやってて正直しんどい上に、気合のいる記事の執筆なので、ちょっとYoutubeでスパロボの曲とか聞いてます。結構元気になるもんだ。
そんなどうでもいいことはほっといて、早速昨日の続きです。まず最初に私の経験を話します。
これは私の友人の話ですが、彼はインターネットのヘビーユーザーに分類されるくらい毎日ネットをして生活しており、話す話題も大体ネットで流れている情報ばかりです。そんな彼と話をしていたある日、なんかの拍子で現実に存在する某利権団体の話題になった際、その友人は非常に感情的になって激しい言葉でその団体に対する批判をまくし立て始めました。そこで一通り彼の意見を聞き終えた後、私は彼に対してこう尋ねました。
「ところで、君はその団体から直接的な被害を被った事はあるのかい?」
別に隠す必要もないのでその団体名もこの際挙げますが、その友人が批判していたのは音楽著作権管理団体のJASRACです。友人はJASRACが汚い手段で金を儲け、アーティストなどを圧迫させているし多くの一般人を困らせているなどとあれこれ例を挙げて言うのですが、私の目からするとまるで路上で誰かによって突然殴られたかのようなほどの激しい剣幕で怒るのに奇妙さを感じ、改めてこう言いました。
「君がJASRACに怒りを覚えているのはよくわかった。しかし私にそんなことを伝えたところでどうにもならないし、具体的に君がどうしたいのかがいくら聞いても見えてこない」
私がその友人に一番奇妙さを感じたのは、まるでその友人自体がJASRACによって被害を被っているかのように話す点でした。これはその友人に限るわけじゃないのですが、一般的に人間は、何かしらの攻撃に対する抵抗であれば、どんなことをしてもいいという前提があるような気がします。大きな例だと9.11後のアメリカの中東世界への対応、卑近な例だとモンスターペアレントに代表されるクレーマーですが、被害者という立場を得ると人はまるで免罪符を得たかのように途端に攻撃的になる気がします。
今後はどうなるかはまだわかりませんが、少なくとも現段階でそういった感情を持つことは別におかしくはないように私は思いますし、世間も被害を受けての抵抗ならば何をしてもしょうがないというような認識を持っているように思えます。
しかし、それが許されるはあくまで当事者の場合です。今に始まったことではありませんが、当事者でないにも関わらず、社会事件などに激しく批判する人間というのは本質的に邪悪だと私は考えています。
特に一番それが顕著に現れたのが姉歯元建築士による強度偽装事件でした。事件が発覚するや実際に強度が偽装されたマンションに住んでいた方々などは非常に不憫でしたし、事件の関係者に対して怒る気持ちもよくわかるのですが、連日の報道ではまるで知った風な口調でコメンテーターなどが事件の関係者を非難し、またネット上でも激しい暴力的な批判が毎日のように並びたてられました。
しかし、こうした批判が行われた結果はどうだったのでしょうか。そういった世間の批判に答える形で改正された建築基準法によって今度はなかなか建築許可が下りなくなり、土建屋を中心とした経済活動などでは目に見える形で悪影響を受けました。私は土建屋やゼネコンに対して談合問題などがあった背景から批判的ではありますが、この制度改正によって真面目に仕事を行ってきた土建屋の方々はどうなったのかと思うとこれもまた不憫に思います。
そしてなにより、この事件では明らかに連日のパッシングが原因で姉歯元建築士の夫人は自殺に追い込まれています。
これもちょっと以前にコメント欄などで話をしましたが、社会事件などで激しい批判が行われるために、何の罪もない犯人の近親者が学校の転校を迫られたり、仕事を退職せざるを得なくなったりと、いわゆる報道被害というものがよく発生します。特に最近だとインターネットを通して根も葉もない情報から大きな被害を被る方も現れ、問題の重大性が拡大しているようにも思えます。
こうした背景にある心理として、「犯罪者になら何をしても許される」というような前提があるのも一つの要因ではないでしょうか。しかし昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、社会悪などに対して個人的な怒りの感情をぶつけるべきではなく、何をどうすればその問題の対策になるのか、純粋にどの行為に対して怒りを持つのかと、私なりに言えば冷静な怒りが要求されると思います。
そこで最初の話です。人間は一旦自分が被害者だと思うと、非常に攻撃的になります。これは数十年かそこらでは恐らく絶対に変わりっこない前提です。にもかかわらず今じゃ社会事件などに対するテレビの報道などでは明らかに視聴者に対して被害者意識を煽りたてるような報道ばかりします。今の三笠フーズの事件だって、焼酎を飲んで病気になったのはこいつらのせいだと言わんばかりの報道です。
私が言いたいのは、部外者であればあくまで部外者という立場を認識して事態を見つめるべきだということです。決して報道に乗らず、自分も被害者であるように思い込んで問題の本質を外した批判を行うべきではありません。真にそういった社会問題を解決する手段は一時の激昂ではなく、継続した批判であると私は思います。なので今でも解決されない問題を常に忘れないよう、障害者自立支援法やトービン税などの問題を機会あるごとに取り上げていき、周りにも喚起していくつもりです。
人に同情することは別に悪いことではありません。しかしあまりにも同情するあまり、自分も被害者だと思い込むようになったら話は別です。今、アメリカがアフガニスタンとイラクで苦しんでいるのはまさにこれが原因であると思います。
こんなえらそうなことを言ってはいますが、私自身もかつてはそんな人間でありましたし、今でも完璧に切り分けられる自信はありません。しかしできないまでも心に深く刻み、忘れない心がけとして持って、明日もまた社会批判を行っていくつもりです。
そんなどうでもいいことはほっといて、早速昨日の続きです。まず最初に私の経験を話します。
これは私の友人の話ですが、彼はインターネットのヘビーユーザーに分類されるくらい毎日ネットをして生活しており、話す話題も大体ネットで流れている情報ばかりです。そんな彼と話をしていたある日、なんかの拍子で現実に存在する某利権団体の話題になった際、その友人は非常に感情的になって激しい言葉でその団体に対する批判をまくし立て始めました。そこで一通り彼の意見を聞き終えた後、私は彼に対してこう尋ねました。
「ところで、君はその団体から直接的な被害を被った事はあるのかい?」
別に隠す必要もないのでその団体名もこの際挙げますが、その友人が批判していたのは音楽著作権管理団体のJASRACです。友人はJASRACが汚い手段で金を儲け、アーティストなどを圧迫させているし多くの一般人を困らせているなどとあれこれ例を挙げて言うのですが、私の目からするとまるで路上で誰かによって突然殴られたかのようなほどの激しい剣幕で怒るのに奇妙さを感じ、改めてこう言いました。
「君がJASRACに怒りを覚えているのはよくわかった。しかし私にそんなことを伝えたところでどうにもならないし、具体的に君がどうしたいのかがいくら聞いても見えてこない」
私がその友人に一番奇妙さを感じたのは、まるでその友人自体がJASRACによって被害を被っているかのように話す点でした。これはその友人に限るわけじゃないのですが、一般的に人間は、何かしらの攻撃に対する抵抗であれば、どんなことをしてもいいという前提があるような気がします。大きな例だと9.11後のアメリカの中東世界への対応、卑近な例だとモンスターペアレントに代表されるクレーマーですが、被害者という立場を得ると人はまるで免罪符を得たかのように途端に攻撃的になる気がします。
今後はどうなるかはまだわかりませんが、少なくとも現段階でそういった感情を持つことは別におかしくはないように私は思いますし、世間も被害を受けての抵抗ならば何をしてもしょうがないというような認識を持っているように思えます。
しかし、それが許されるはあくまで当事者の場合です。今に始まったことではありませんが、当事者でないにも関わらず、社会事件などに激しく批判する人間というのは本質的に邪悪だと私は考えています。
特に一番それが顕著に現れたのが姉歯元建築士による強度偽装事件でした。事件が発覚するや実際に強度が偽装されたマンションに住んでいた方々などは非常に不憫でしたし、事件の関係者に対して怒る気持ちもよくわかるのですが、連日の報道ではまるで知った風な口調でコメンテーターなどが事件の関係者を非難し、またネット上でも激しい暴力的な批判が毎日のように並びたてられました。
しかし、こうした批判が行われた結果はどうだったのでしょうか。そういった世間の批判に答える形で改正された建築基準法によって今度はなかなか建築許可が下りなくなり、土建屋を中心とした経済活動などでは目に見える形で悪影響を受けました。私は土建屋やゼネコンに対して談合問題などがあった背景から批判的ではありますが、この制度改正によって真面目に仕事を行ってきた土建屋の方々はどうなったのかと思うとこれもまた不憫に思います。
そしてなにより、この事件では明らかに連日のパッシングが原因で姉歯元建築士の夫人は自殺に追い込まれています。
これもちょっと以前にコメント欄などで話をしましたが、社会事件などで激しい批判が行われるために、何の罪もない犯人の近親者が学校の転校を迫られたり、仕事を退職せざるを得なくなったりと、いわゆる報道被害というものがよく発生します。特に最近だとインターネットを通して根も葉もない情報から大きな被害を被る方も現れ、問題の重大性が拡大しているようにも思えます。
こうした背景にある心理として、「犯罪者になら何をしても許される」というような前提があるのも一つの要因ではないでしょうか。しかし昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、社会悪などに対して個人的な怒りの感情をぶつけるべきではなく、何をどうすればその問題の対策になるのか、純粋にどの行為に対して怒りを持つのかと、私なりに言えば冷静な怒りが要求されると思います。
そこで最初の話です。人間は一旦自分が被害者だと思うと、非常に攻撃的になります。これは数十年かそこらでは恐らく絶対に変わりっこない前提です。にもかかわらず今じゃ社会事件などに対するテレビの報道などでは明らかに視聴者に対して被害者意識を煽りたてるような報道ばかりします。今の三笠フーズの事件だって、焼酎を飲んで病気になったのはこいつらのせいだと言わんばかりの報道です。
私が言いたいのは、部外者であればあくまで部外者という立場を認識して事態を見つめるべきだということです。決して報道に乗らず、自分も被害者であるように思い込んで問題の本質を外した批判を行うべきではありません。真にそういった社会問題を解決する手段は一時の激昂ではなく、継続した批判であると私は思います。なので今でも解決されない問題を常に忘れないよう、障害者自立支援法やトービン税などの問題を機会あるごとに取り上げていき、周りにも喚起していくつもりです。
人に同情することは別に悪いことではありません。しかしあまりにも同情するあまり、自分も被害者だと思い込むようになったら話は別です。今、アメリカがアフガニスタンとイラクで苦しんでいるのはまさにこれが原因であると思います。
こんなえらそうなことを言ってはいますが、私自身もかつてはそんな人間でありましたし、今でも完璧に切り分けられる自信はありません。しかしできないまでも心に深く刻み、忘れない心がけとして持って、明日もまた社会批判を行っていくつもりです。
2008年9月11日木曜日
人の痛みを我が物とする人たち~前編~
前々から何度か書こうとしては匂わせるだけで終わらせてきたこのネタですが、今日あたり腹をくくって書くことにします。まず結論から言うと、被害者意識ほど暴力的な感情はないということです。
よくインターネットを見ていると、社会悪や政治的問題などに対して義憤や公憤を通り越して、自らの私憤を吐き出すかのような強い口調で批判する記述が多く見られます。しかしそれらの記述を見る限り、どう考えてもその記述をしている人間が怒りの対象から直接的な被害を被っているようには見えませんし、怒っているのはわかるが、果たしてその怒りの対象にどうなってもらいたいのかというのもよく見えてきません。
こういった例に一番代表的なのは中国や韓国への罵倒です。確かに私自身も政治的問題などでこの二カ国に対して腹の立つことがよくありますし、過去に書いた「東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き」の記事のように批判したりもします。
しかし、この二カ国へのネット上の批判は八つ当たりに近いものも多く、中には事実のはっきりしない情報を元に滅茶苦茶なくらいにこの二カ国を見下げたり、罵倒したりするものもあれば、呆れるくらいにお粗末なことを言い出したりする人までいます。
最近に私が一番呆れたのは、北京オリンピックを前にして景観をよくするために中国は枯れた芝などに緑のペンキを撒いている、中国人はなんて遅れた連中なのだ……という記事が今年の三月だか四月くらいにあちこちで流布されていましたが、知らない人のために言っておきますが、こんなの日本でもあちこちで行われています。特に行われているのはゴルフ場などで、冬でも芝がきれいな緑色なのはこれが理由です。中国を馬鹿にした人間は、一体どんな神経をして言っているのか不思議でしょうがなかったです。
それに続いて流布されたのは、中国で風水のために山を黄色のペンキで染めたという記事でも中国を嘲笑する記事が多く目立ちましたが、あれこれ調べてみたところ、現地の人間もペンキで山を染めた人間に呆れており、現地警察などは染めた人物を取り締まったという情報もあったので、このニュースでもって中国人全体を嘲笑するべきではない事件だと私は思いました。もしこれでいちいち馬鹿にしていたら、スイカが腐ってたか腐ってなかったかで裁判になり、八百屋へ賠償金額800円(たしかこれくらい)が申し渡された事例を元に、日本も馬鹿な国だと言われてもしょうがないじゃないですか。
ちょっと話が脱線しましたが、このようにネット上、果てには通常の世界でも社会悪や政治問題に対して、まるで自らが実害を被っているかのような、当事者のようなやや感情的とも取れる怒りの発言がこのところ目立つようになってきたと私は思っています。
しかし韓国を批判する人、中国を批判する人たちはなにか実際にそれらの国の人にひどい目に遭わされているのでしょうか。私の想像だと、恐らくネット上で批判している人の大半はほとんど接触らしい接触を、私のように中国人に実際にハニートラップを喰らわされた経験を持つ人なんていないでしょう。にもかかわらず、彼らはこの二カ国を憎んでいる。この構図、なにか見覚えはないでしょうか?
勘のいい人ならすぐ理解できると思いますが、これは伝え聞くところの韓国や中国の人が日本を憎むという構図と似ているように私は思います。この二カ国の人、この際若者と言った方がいいですが、自分たちが直接日本との戦争体験をしたわけでもないのにも関わらず、過去の戦争の門で日本を激しく責める、憎むという構図です。自分たちは何も日本人に銃を持って追いかけられたというわけでもないのに、軍国主義日本は悪だという認識を持ち続ける、自分たちが日本との戦争の被害者だと思い続ける。
こうして考えると不思議なものです。日本と中国、韓国の人間はお互いに接触がないのに、何故だか互いに憎み合う。しかもそのどれもが被害者意識を持ち、やれ政治的に圧迫をかけられただの、相手国の犯罪者が日本でひどいことをしているなど、どれも抽象的で自らの体験による具体的な例がどれも欠けます。
こうした事を言うと、じゃあお前は中国や韓国に日本が好き放題にやられても黙ってろと言いたいのか、とか、同胞がひどい目に遭わされているのに同情するなと言いたいのか、と言われそうですが、それでも敢えて私はこうした批判をする人間に対して批判を行います。
私は何も、社会悪や政治的な問題に対して怒りを持つな、同情するなと言いたいわけではありません。しかし最初に言った通りに、怒りにはそれぞれ正しい持ち方があり、特にこうした社会的な問題に対しては被害者に同情するあまり、感情的な怒りを持つのは非常によくなく、またそれ自体がひどい暴力性を持ってしまうことに対して警告がしたいのです。
自分とてこのブログで結構きつい表現で何かを批判することがあり、必ずしもこうして自分が言っているようにできていない所もありますが、それでも冷静に社会悪に対して怒るよう心がけています。
多分今晩一晩、何気に帰宅したのが九時を過ぎていたので無理だろうと考えていましたが、案の定書ききれなかったので、何故この過度な被害者意識を持つことが危険なのかについては、また明日に細かく書きます。
よくインターネットを見ていると、社会悪や政治的問題などに対して義憤や公憤を通り越して、自らの私憤を吐き出すかのような強い口調で批判する記述が多く見られます。しかしそれらの記述を見る限り、どう考えてもその記述をしている人間が怒りの対象から直接的な被害を被っているようには見えませんし、怒っているのはわかるが、果たしてその怒りの対象にどうなってもらいたいのかというのもよく見えてきません。
こういった例に一番代表的なのは中国や韓国への罵倒です。確かに私自身も政治的問題などでこの二カ国に対して腹の立つことがよくありますし、過去に書いた「東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き」の記事のように批判したりもします。
しかし、この二カ国へのネット上の批判は八つ当たりに近いものも多く、中には事実のはっきりしない情報を元に滅茶苦茶なくらいにこの二カ国を見下げたり、罵倒したりするものもあれば、呆れるくらいにお粗末なことを言い出したりする人までいます。
最近に私が一番呆れたのは、北京オリンピックを前にして景観をよくするために中国は枯れた芝などに緑のペンキを撒いている、中国人はなんて遅れた連中なのだ……という記事が今年の三月だか四月くらいにあちこちで流布されていましたが、知らない人のために言っておきますが、こんなの日本でもあちこちで行われています。特に行われているのはゴルフ場などで、冬でも芝がきれいな緑色なのはこれが理由です。中国を馬鹿にした人間は、一体どんな神経をして言っているのか不思議でしょうがなかったです。
それに続いて流布されたのは、中国で風水のために山を黄色のペンキで染めたという記事でも中国を嘲笑する記事が多く目立ちましたが、あれこれ調べてみたところ、現地の人間もペンキで山を染めた人間に呆れており、現地警察などは染めた人物を取り締まったという情報もあったので、このニュースでもって中国人全体を嘲笑するべきではない事件だと私は思いました。もしこれでいちいち馬鹿にしていたら、スイカが腐ってたか腐ってなかったかで裁判になり、八百屋へ賠償金額800円(たしかこれくらい)が申し渡された事例を元に、日本も馬鹿な国だと言われてもしょうがないじゃないですか。
ちょっと話が脱線しましたが、このようにネット上、果てには通常の世界でも社会悪や政治問題に対して、まるで自らが実害を被っているかのような、当事者のようなやや感情的とも取れる怒りの発言がこのところ目立つようになってきたと私は思っています。
しかし韓国を批判する人、中国を批判する人たちはなにか実際にそれらの国の人にひどい目に遭わされているのでしょうか。私の想像だと、恐らくネット上で批判している人の大半はほとんど接触らしい接触を、私のように中国人に実際にハニートラップを喰らわされた経験を持つ人なんていないでしょう。にもかかわらず、彼らはこの二カ国を憎んでいる。この構図、なにか見覚えはないでしょうか?
勘のいい人ならすぐ理解できると思いますが、これは伝え聞くところの韓国や中国の人が日本を憎むという構図と似ているように私は思います。この二カ国の人、この際若者と言った方がいいですが、自分たちが直接日本との戦争体験をしたわけでもないのにも関わらず、過去の戦争の門で日本を激しく責める、憎むという構図です。自分たちは何も日本人に銃を持って追いかけられたというわけでもないのに、軍国主義日本は悪だという認識を持ち続ける、自分たちが日本との戦争の被害者だと思い続ける。
こうして考えると不思議なものです。日本と中国、韓国の人間はお互いに接触がないのに、何故だか互いに憎み合う。しかもそのどれもが被害者意識を持ち、やれ政治的に圧迫をかけられただの、相手国の犯罪者が日本でひどいことをしているなど、どれも抽象的で自らの体験による具体的な例がどれも欠けます。
こうした事を言うと、じゃあお前は中国や韓国に日本が好き放題にやられても黙ってろと言いたいのか、とか、同胞がひどい目に遭わされているのに同情するなと言いたいのか、と言われそうですが、それでも敢えて私はこうした批判をする人間に対して批判を行います。
私は何も、社会悪や政治的な問題に対して怒りを持つな、同情するなと言いたいわけではありません。しかし最初に言った通りに、怒りにはそれぞれ正しい持ち方があり、特にこうした社会的な問題に対しては被害者に同情するあまり、感情的な怒りを持つのは非常によくなく、またそれ自体がひどい暴力性を持ってしまうことに対して警告がしたいのです。
自分とてこのブログで結構きつい表現で何かを批判することがあり、必ずしもこうして自分が言っているようにできていない所もありますが、それでも冷静に社会悪に対して怒るよう心がけています。
多分今晩一晩、何気に帰宅したのが九時を過ぎていたので無理だろうと考えていましたが、案の定書ききれなかったので、何故この過度な被害者意識を持つことが危険なのかについては、また明日に細かく書きます。
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