確実に証明できる範囲での日本史の始まりはいつからだというと、それは間違いなく壬申の乱後に皇位についた天武天皇の時代からです。事実この天武朝から「日本」という国号の使用、我が国初の貨幣の「富本銭」の発行、そして「天皇」という呼び名が使われるようになったといわれており、その後の系譜においても天武系が奈良時代では主要な皇族となるなど古代史、ひいては日本史全体に天武天皇が与えた影響は非常に大きいといえます。
しかしこの天武天皇は確実に存在していてその施策などもはっきりしている一方で、有名なのにどうにもよく分からない存在、一体何がしたかったのかがはっきりしないのが天武天皇の兄の、中大兄皇子こと天智天皇です。
中大兄皇子とくると、「おかしいですよ」の後には必ず「カテジナさん」とVガンダム好きなら続くように、日本史では大化の改新が基本的にセットで必ず付きまとってきます。この大家の改新ははっきりいってこれまでの日本史研究では日本書紀などできちんとかかれているのだからといってほぼ自明の事実として取り上げられて来ましたが、平成に入った辺りから天皇史研究のタブーが薄れてきたのもあって徐々にその内容に疑問符が出てくるようになりました。
まず一般的に伝えられている大化の改新ですが、聖徳太子、推古天皇亡き後の大和朝廷では蘇我馬子に始まる蘇我氏が徐々に専横を振るうようになり、馬子の子である蘇我蝦夷とその息子の入鹿の代では聖徳太子の一族を滅ぼすなど天皇家すら脅かすようになり、これを憂えた中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された(乙巳の変)とされています。
しかし一つ一つ疑問を挙げると、まず第一に聖徳太子自体が本当に存在したのか怪しい存在です。私の友人などは、「十人の人間の訴えを聞き分けたとされる」という逸話から、当時の複数の人物を一つの人物としてまとめ上げられた存在なのではないかと言っていますが、私もこの説を採っていて、太子一族が蘇我氏に滅ぼされたというのはむしろ後付けで、蘇我氏が如何に悪者かということを宣伝するために作られた話ではないかと見ております。
第二に、中大兄皇子と蘇我氏の政策的対立点が見当たらない事です。
蘇我氏も中大兄皇子も、当時の豪族たちの連合政権だった大和朝廷を天皇を頂点とする中央集権体制に持って行こうと画策しており、目指すべき方向ははっきり言って全く同じものでした。しかも当時の天皇は中大兄皇子の母である皇極天皇で、何もいきなり暗殺を仕掛けるほど天皇家が危うい立場だったとは思えません。
そして何よりおかしいのが、このクーデター劇の主導者である中大兄皇子がその後、頑なに天皇の地位に就任していない事です。大化の改新後は孝徳天皇を初め次々と天皇が就任する傍から変わって行き、最終的には適当な人間がいなくなる事態にまで陥っているにもかかわらず中大兄皇子は「称制」といって、実質天皇と変わらないのですが皇太子の立場で政治を運営しており、最終的にはポケモンの進化じゃないけど天智天皇になりますがその過程には怪しい紆余曲折があります。
この天智天皇の行動については諸説あってWikipedia中でも一項が設けられていますが、やはり私が一番それらしいと思う説は彼の女癖です。なんでも近親相姦が割と盛んだった当時でもタブーであった実妹にも手を付けていたらしく、この妹の死後直後に天皇に就任していることから彼の女癖に対する周囲の批判から天皇になかなか就任できなかったという説があります。また天智天皇はその実妹との話の他に、元々弟の大海人皇子(天武天皇)の妻だった万葉歌人最高峰の額田王を無理矢理奪ったとも言われており、どうもこういうエピソードとかを聞いていると強引で、攻撃的な性格の持ち主というイメージが私の中では湧いて来ます。
そんな天智天皇の性格を考えると、大化の改新自体が自分が政治の主導権を握るための、いわば天智側から蘇我家への一方的なクーデターだったのではないかとも思えますし、検証できるかどうかは別として、そのような考えから蘇我氏こそが本当の天皇(豪族立ちの首領)だったという「蘇我氏天皇論」というのもあります。
こういったいろいろと怪しい所があることから、どうも私は日本書紀における天智天皇の記述も曖昧なものとなっているのではないかと思います。日本書紀はまさに天武天皇の正当性を強く出すために作られたような歴史書ですが、今回の大化の改新から壬申の乱のくだりまでがどうもちぐはぐな印象がぬぐえず、想像力を膨らませる内容となっております。
もっとも天武天皇自体も天智天皇の息子の大友皇子を壬申の乱で破って皇位についているので、クーデターを起こしたという点では天智天皇と一緒です。むしろ逆に、クーデターを起こした事に正当性を持たせるために敢えて、「天智天皇はクーデターを起こして実験を得たからクーデターによってその子孫は追われたのだ」という筋書きにしたのかもしれませんが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年5月10日月曜日
2010年5月8日土曜日
記憶に残る外国人野球選手
ちょっと思うところがあるので、日本にやってきた外国人プロ野球選手の中から記録よりも記憶に残る選手をここで一部紹介しようと思います。因みに選ぶ範囲は私が知っている中なので、年代としては90年代から00年代が主で、紹介する情報は基本的にWikipediaからの引用です。
1、マイク・グリーンウェル(阪神)
メジャーでも活躍した実績があるということで当時不振にあえいでいた阪神タイガースが破格の年俸にて契約したものの、シーズン前のキャンプ中に突然一時帰国し、チームに合流したのもシーズンも一ヶ月が過ぎた5/3でした。しかもその八日後の5/11には自打球で骨折し、これを「野球を辞めろとの神のお告げだ」として、なんとそのまま引退宣言を行うという問題児振りを見せ、十年以上経った今を以ってしても「最悪の外国人助っ人」とまで呼ばれております。
2、マイク・キンケード(阪神)
この人はほんの少し前(2004年)にいた人なので覚えている方もおられるかもしれませんが、2003年の阪神優勝時の功労者であるジョージ・アリアス選手に代わる後釜として阪神が獲得したもののわずか26試合の出場で退団となってしまいました。しかもその26試合でなんと12個もデットボールを受けており、当時は「当たり屋」とも言われ、あのまま行けばシーズン最多デットボール記録を間違いなく塗り替えられたでしょう。
何気に上のグリーンウェル選手同様に名前が「マイク」で、阪神と「マイク」にはなにか良くないジンクスでもあるのかと疑いたくなります。
3、郭源治(中日)
私が子供の頃によく遊んだファミコンゲームに「ファミリースタジアム」という野球ソフトがあり、友人らと遊ぶ中で人気のあった投手は「のも」こと野茂英雄選手と、「かく」ことこの郭源治選手でした。
この郭選手は台湾出身の選手で、かっこいい容姿から女性からの人気も高い選手でした。よく日本にやって来る外国人スポーツ選手は主に行きつけの飲み屋の女性から日本語を学ぶために話し言葉が女性っぽくなると言われており、郭選手もそうであったかまではわかりませんしそれが悪いわけではないのですが、インタビューの際は女性っぽい優しい口調で話すことも彼の人気を大きく押し上げた要因となっていたようです。
今思うと、ヨン様ブームの走りのような気もしないでもありません。
4、郭泰源(西武)
もうひとりの「かく」こと、郭泰源選手も私の子供時代は人気投手でした。
こっちの郭選手の何がすごいかって言うと、「オリエンタルエクスプレス」と称された最高時速156km/hの剛速球に加え、これまた異常に速度のある高速スライダーで、当時の動画を見ても惚れ惚れする投球振りです。
5、ダン・ミセリ(巨人)
巨人がクローザーとして獲得したこのミセリ選手ですが、彼がマウンドに立った際の安心感は絶大でした、巨人ファン以外は。
鳴り物入りで日本にやってきたもののオープン戦での成績はとても目も当てられず、開幕後も立ち直ることなくことごとく救援に失敗しては相手チームに勝利をもたらし、同点時には相手チームから「ミセリコール」が起こるほどでした。そのため一時期の防御率は天文学的数字にまで上り詰め、結局一ヶ月と経たずに退団する事になりましたが個人的にはパワプロに彼のデータが入っていなかったのが残念でした。
6、バルビーノ・ガルベス(巨人)
恐らく私くらいの世代の人間であれば、ガルベスと聞けばパッと思い出すことが出来ると思います。
このガルベス選手は巨人の外国人投手としては初めて開幕投手を務めたほど長くチームに貢献し、実力も最多勝を取るほどの折り紙つきでした。ただそういった成績面での彼の活躍よりも、苛立つと度々マウンドを蹴ったり、しょっちゅう乱闘を起こしたりするというプレイ外での彼の活躍の方が私の記憶に残っております。
特に一番すごかったのはWikipedia中にも書かれている98年の阪神戦での乱闘で、判定に不服を持った審判目掛けてボールを投げつける(当たらなかったけど)という暴挙を行い、子供ながらに外国人は怒らせたら恐いと私の心に深く刻み込む事件となりました。
先日に会った友人が、「夢の中でガルベスとキャッチボールをしてたんだけど」と言った事からこの記事を書こうと思ったのですが、いざ実際に書いてみるとなんか中途半端な文章になりやすく、短い紹介、批評文というのは以外に難しいものだということを痛感しました。またやる気があれば、続きを書くかもしれません。
1、マイク・グリーンウェル(阪神)
メジャーでも活躍した実績があるということで当時不振にあえいでいた阪神タイガースが破格の年俸にて契約したものの、シーズン前のキャンプ中に突然一時帰国し、チームに合流したのもシーズンも一ヶ月が過ぎた5/3でした。しかもその八日後の5/11には自打球で骨折し、これを「野球を辞めろとの神のお告げだ」として、なんとそのまま引退宣言を行うという問題児振りを見せ、十年以上経った今を以ってしても「最悪の外国人助っ人」とまで呼ばれております。
2、マイク・キンケード(阪神)
この人はほんの少し前(2004年)にいた人なので覚えている方もおられるかもしれませんが、2003年の阪神優勝時の功労者であるジョージ・アリアス選手に代わる後釜として阪神が獲得したもののわずか26試合の出場で退団となってしまいました。しかもその26試合でなんと12個もデットボールを受けており、当時は「当たり屋」とも言われ、あのまま行けばシーズン最多デットボール記録を間違いなく塗り替えられたでしょう。
何気に上のグリーンウェル選手同様に名前が「マイク」で、阪神と「マイク」にはなにか良くないジンクスでもあるのかと疑いたくなります。
3、郭源治(中日)
私が子供の頃によく遊んだファミコンゲームに「ファミリースタジアム」という野球ソフトがあり、友人らと遊ぶ中で人気のあった投手は「のも」こと野茂英雄選手と、「かく」ことこの郭源治選手でした。
この郭選手は台湾出身の選手で、かっこいい容姿から女性からの人気も高い選手でした。よく日本にやって来る外国人スポーツ選手は主に行きつけの飲み屋の女性から日本語を学ぶために話し言葉が女性っぽくなると言われており、郭選手もそうであったかまではわかりませんしそれが悪いわけではないのですが、インタビューの際は女性っぽい優しい口調で話すことも彼の人気を大きく押し上げた要因となっていたようです。
今思うと、ヨン様ブームの走りのような気もしないでもありません。
4、郭泰源(西武)
もうひとりの「かく」こと、郭泰源選手も私の子供時代は人気投手でした。
こっちの郭選手の何がすごいかって言うと、「オリエンタルエクスプレス」と称された最高時速156km/hの剛速球に加え、これまた異常に速度のある高速スライダーで、当時の動画を見ても惚れ惚れする投球振りです。
5、ダン・ミセリ(巨人)
巨人がクローザーとして獲得したこのミセリ選手ですが、彼がマウンドに立った際の安心感は絶大でした、巨人ファン以外は。
鳴り物入りで日本にやってきたもののオープン戦での成績はとても目も当てられず、開幕後も立ち直ることなくことごとく救援に失敗しては相手チームに勝利をもたらし、同点時には相手チームから「ミセリコール」が起こるほどでした。そのため一時期の防御率は天文学的数字にまで上り詰め、結局一ヶ月と経たずに退団する事になりましたが個人的にはパワプロに彼のデータが入っていなかったのが残念でした。
6、バルビーノ・ガルベス(巨人)
恐らく私くらいの世代の人間であれば、ガルベスと聞けばパッと思い出すことが出来ると思います。
このガルベス選手は巨人の外国人投手としては初めて開幕投手を務めたほど長くチームに貢献し、実力も最多勝を取るほどの折り紙つきでした。ただそういった成績面での彼の活躍よりも、苛立つと度々マウンドを蹴ったり、しょっちゅう乱闘を起こしたりするというプレイ外での彼の活躍の方が私の記憶に残っております。
特に一番すごかったのはWikipedia中にも書かれている98年の阪神戦での乱闘で、判定に不服を持った審判目掛けてボールを投げつける(当たらなかったけど)という暴挙を行い、子供ながらに外国人は怒らせたら恐いと私の心に深く刻み込む事件となりました。
先日に会った友人が、「夢の中でガルベスとキャッチボールをしてたんだけど」と言った事からこの記事を書こうと思ったのですが、いざ実際に書いてみるとなんか中途半端な文章になりやすく、短い紹介、批評文というのは以外に難しいものだということを痛感しました。またやる気があれば、続きを書くかもしれません。
若者と年長者の議論を見て
一昨日のテレビ番組の話ですが、またNHKが一般パネリストを集めて若者についての討論番組をやっていました。主な議題は年長の世代から見て今の若者はどうしてこんなに元気がないのか、草食系なのかという内容で、案の定というか若者と年長世代とでお互い議論が平行線となることが多かったです。
私はこの番組を七時半から八時過ぎにうちのお袋が「アンビリバボー」を見るまでほんの少ししか視聴していなかったのですが、見ていてちょっと面白かった議論で、どうして今の若者は定時になるとすぐに家に帰りたがるのか、飲み会などを嫌がるのかという年長世代からの質問に対して若者は、現代は競争が厳しくなって休める時間にしっかり休まなければならない、音楽やテレビといった自分の趣味を優先したいなどと回答があり、これについては年長世代の元銀行員の方も。自分たちの現役時より明らかに現代は忙しくなっているので最初の休みたいという理由には納得していました。
しかしそれにしたって会社に残って残業をしたり、先輩の教えを請うことだってあってもいいじゃないかとある年長世代の方が言うと、若者側からは今は残業しようにも残業制限が掛けられていたりして、また先輩に教えを請おうとすると、そんな事も分からないのかと怒られたり、追い返されたりすると反論してきました。
また番組内ではアンケート調査の結果を用いながら以前と比べて現代の若者は出世意欲が少なくなっていると紹介し、若者側は会社に尽くしたり出世したりするよりも個人の趣味を優先したいからだなどと理由を話していましたが、これについては私のほうから細くしておくと、今の時代は出世しても給料はほとんど上がらず、下手すりゃ残業代が加算されなくなって無制限に働かされるようになったり、果てには権限そのままで責任だけがでかくなるのを若者が見ているせいだと思います。実際に私が知っているある会社だと「担当部長」という職位があり、ある部署なんて部長以下全員が担当部長という笑える部署まであります。
そんなこんだでテーマこそ面白いものの議論にどうも盛り上がりがないなぁと見ていたのですが、この定時で早く帰ろうとする若者の議論の最後の方にて、ある若者がこんなことを逆に年長世代に質問していました。
「逆に、どうして会社に遅くまで残ろうとするのですか?」
この若者からの思わぬ質問に、呆気に取られたか年長側は一瞬の沈黙の後で一気に笑い出しました。
結局この質問に対して年長者側からは具体的な回答はありませんでしたが、物は確かに考えてみるもので、若者の側からすると現代の年長者は何かと会社に遅くまで残ろうとするように映るのかもしれません。主にフェミニストなどから一時期、日本の男性は高度経済成長期に仕事にばかりかまけて家庭を省みず、会社にしか居場所がないなどと言っては育児や家族サービスに参加するべきだなどと主張されてましたが、なんかこのやり取りを見て唐突に思い出しました。
私はこの番組を七時半から八時過ぎにうちのお袋が「アンビリバボー」を見るまでほんの少ししか視聴していなかったのですが、見ていてちょっと面白かった議論で、どうして今の若者は定時になるとすぐに家に帰りたがるのか、飲み会などを嫌がるのかという年長世代からの質問に対して若者は、現代は競争が厳しくなって休める時間にしっかり休まなければならない、音楽やテレビといった自分の趣味を優先したいなどと回答があり、これについては年長世代の元銀行員の方も。自分たちの現役時より明らかに現代は忙しくなっているので最初の休みたいという理由には納得していました。
しかしそれにしたって会社に残って残業をしたり、先輩の教えを請うことだってあってもいいじゃないかとある年長世代の方が言うと、若者側からは今は残業しようにも残業制限が掛けられていたりして、また先輩に教えを請おうとすると、そんな事も分からないのかと怒られたり、追い返されたりすると反論してきました。
また番組内ではアンケート調査の結果を用いながら以前と比べて現代の若者は出世意欲が少なくなっていると紹介し、若者側は会社に尽くしたり出世したりするよりも個人の趣味を優先したいからだなどと理由を話していましたが、これについては私のほうから細くしておくと、今の時代は出世しても給料はほとんど上がらず、下手すりゃ残業代が加算されなくなって無制限に働かされるようになったり、果てには権限そのままで責任だけがでかくなるのを若者が見ているせいだと思います。実際に私が知っているある会社だと「担当部長」という職位があり、ある部署なんて部長以下全員が担当部長という笑える部署まであります。
そんなこんだでテーマこそ面白いものの議論にどうも盛り上がりがないなぁと見ていたのですが、この定時で早く帰ろうとする若者の議論の最後の方にて、ある若者がこんなことを逆に年長世代に質問していました。
「逆に、どうして会社に遅くまで残ろうとするのですか?」
この若者からの思わぬ質問に、呆気に取られたか年長側は一瞬の沈黙の後で一気に笑い出しました。
結局この質問に対して年長者側からは具体的な回答はありませんでしたが、物は確かに考えてみるもので、若者の側からすると現代の年長者は何かと会社に遅くまで残ろうとするように映るのかもしれません。主にフェミニストなどから一時期、日本の男性は高度経済成長期に仕事にばかりかまけて家庭を省みず、会社にしか居場所がないなどと言っては育児や家族サービスに参加するべきだなどと主張されてましたが、なんかこのやり取りを見て唐突に思い出しました。
2010年5月7日金曜日
普天間基地移設問題の雑感
多分期待されている方もいるんじゃないかと思うので、今盛り上がっているこの沖縄普天間基地移設問題について私の見方を今日は紹介します。
そもそもなんで政治系ブログなのにこれまで全くこの問題を取り上げなかったのかというと、私自身がこの沖縄問題とその歴史についてこれまであまり勉強した事がなく、国防にも関わる事から中途半端な知識で書くべき内容ではないと考えていたからです。かといって他に取り上げる話題も充分に勉強しているわけじゃないのですが、大分進展もしてきているのでちょこっと書くくらいなら問題はないかと思って今日は書くことに決めました。
まず結論から言うと、ここまで民主党の対応が悪いとは私も思いませんでした。この問題の最前線に立っている岡田克也外務大臣が一部の雑誌メディアにはすでに話していますが、岡田外相は当初から現行案であったキャンプ・シュワブへの移設が最も望ましいと考えていたものの鳩山首相が腹案があるからといってこの案は採用されず、では一体どんな腹案なのかと思っていたら初めから鳩山首相は何も持っていなかったそうなのです。私はてっきり今日の鹿児島県徳之島の三人の町長との会談の際にもまた、「腹案があるよ(・∀・)」とでも言うのかと思っていましたが、さすがに事態がここまで来ると初めから実態のなかった「腹案」という言葉も出てこなくなってきたようです。
そもそもなんで鳩山首相は県外移設にこだわったのかと言えば、突き詰めて言うと私はマニフェストにそう書いてしまったからだと見ております。私自身、というより各種世論調査を見ているとその他大勢の方も初めから民主党のマニフェストには期待しておらず、子供手当てを初めとしてどちらかと言えば実行に反対という意見の方が多かったように思えます。ひとえに民主党が選挙で勝ったのは自民党への不信からで、国民としては旧来の構造から脱却、あとできれば年金などといった社会保障の改革さえしてくれればいいと考えていたとと、去年の衆議院選挙の民主党の大勝を私は分析しました。
しかし民主党としては、どうも支持率を維持するためにはマニフェストの完遂がどうしても必要と思ったのか、高速道路無料化は小沢氏の鶴の一声で見送りとなったものの、それ以外の政策についてはそれこそ財源の目処もないのに強行に実行しようとする節があります。今回の普天間問題も同じような傾向が見られ、マニフェストに県外移設と書いたという理由だけでどうも推し進めようとしている節があります。
これは言い換えるなら、なにかほかに必然とさせる理由をもたずに県外移設をしようとしているという風に考える事が出来ます。
確かに沖縄の基地負担を軽減しようとするという考えなどはあるかもしれませんが、その分どこがかわりに負担できそうなのか、また国防上どこに移設するのがベストなのか、そういった問題決定をする上での哲学は民主党には何もないように思えます。それがゆえに沖縄から近いという理由だけで、今回のように根回しも全くないまま徳之島移設案を唐突に打ち出してきたのでしょう。
私の友人なんかはこの際だから米軍の完全撤退も視野に入れて議論すべきだと主張していますが、それならそれで現代において領土に対しややいびつな価値観を持つ中国と本気でやりあう覚悟が必要になってきます。
私としては米軍基地を動かすのは難しいとした上で、沖縄の負担を減らすのに何が一番いいかといえば日米地位協定の更なる改定を求める事だったのではないかと思います。それこそ基地外での犯罪についてはすべて日本国法で裁き、証拠が揃っているのであれば身柄引き渡しは必ず行わなければならないなどとより厳しく定めるなど、こういったところで日米双方の不信を取り除くように動くのがまず先だったのではないかという気がします。
最後にこの問題で気になっていることとして、日本政治における最大のタブーとされる沖縄利権は今回の騒動で何かしら影響を受けるかどうかです。民主党がこの利権に切り込みを入れようとしているのか、はたまた乗っかろうとしているのか、ちょっと現段階では見えにくいので誰か分かる人がいたらコメントに書いてください。
そもそもなんで政治系ブログなのにこれまで全くこの問題を取り上げなかったのかというと、私自身がこの沖縄問題とその歴史についてこれまであまり勉強した事がなく、国防にも関わる事から中途半端な知識で書くべき内容ではないと考えていたからです。かといって他に取り上げる話題も充分に勉強しているわけじゃないのですが、大分進展もしてきているのでちょこっと書くくらいなら問題はないかと思って今日は書くことに決めました。
まず結論から言うと、ここまで民主党の対応が悪いとは私も思いませんでした。この問題の最前線に立っている岡田克也外務大臣が一部の雑誌メディアにはすでに話していますが、岡田外相は当初から現行案であったキャンプ・シュワブへの移設が最も望ましいと考えていたものの鳩山首相が腹案があるからといってこの案は採用されず、では一体どんな腹案なのかと思っていたら初めから鳩山首相は何も持っていなかったそうなのです。私はてっきり今日の鹿児島県徳之島の三人の町長との会談の際にもまた、「腹案があるよ(・∀・)」とでも言うのかと思っていましたが、さすがに事態がここまで来ると初めから実態のなかった「腹案」という言葉も出てこなくなってきたようです。
そもそもなんで鳩山首相は県外移設にこだわったのかと言えば、突き詰めて言うと私はマニフェストにそう書いてしまったからだと見ております。私自身、というより各種世論調査を見ているとその他大勢の方も初めから民主党のマニフェストには期待しておらず、子供手当てを初めとしてどちらかと言えば実行に反対という意見の方が多かったように思えます。ひとえに民主党が選挙で勝ったのは自民党への不信からで、国民としては旧来の構造から脱却、あとできれば年金などといった社会保障の改革さえしてくれればいいと考えていたとと、去年の衆議院選挙の民主党の大勝を私は分析しました。
しかし民主党としては、どうも支持率を維持するためにはマニフェストの完遂がどうしても必要と思ったのか、高速道路無料化は小沢氏の鶴の一声で見送りとなったものの、それ以外の政策についてはそれこそ財源の目処もないのに強行に実行しようとする節があります。今回の普天間問題も同じような傾向が見られ、マニフェストに県外移設と書いたという理由だけでどうも推し進めようとしている節があります。
これは言い換えるなら、なにかほかに必然とさせる理由をもたずに県外移設をしようとしているという風に考える事が出来ます。
確かに沖縄の基地負担を軽減しようとするという考えなどはあるかもしれませんが、その分どこがかわりに負担できそうなのか、また国防上どこに移設するのがベストなのか、そういった問題決定をする上での哲学は民主党には何もないように思えます。それがゆえに沖縄から近いという理由だけで、今回のように根回しも全くないまま徳之島移設案を唐突に打ち出してきたのでしょう。
私の友人なんかはこの際だから米軍の完全撤退も視野に入れて議論すべきだと主張していますが、それならそれで現代において領土に対しややいびつな価値観を持つ中国と本気でやりあう覚悟が必要になってきます。
私としては米軍基地を動かすのは難しいとした上で、沖縄の負担を減らすのに何が一番いいかといえば日米地位協定の更なる改定を求める事だったのではないかと思います。それこそ基地外での犯罪についてはすべて日本国法で裁き、証拠が揃っているのであれば身柄引き渡しは必ず行わなければならないなどとより厳しく定めるなど、こういったところで日米双方の不信を取り除くように動くのがまず先だったのではないかという気がします。
最後にこの問題で気になっていることとして、日本政治における最大のタブーとされる沖縄利権は今回の騒動で何かしら影響を受けるかどうかです。民主党がこの利権に切り込みを入れようとしているのか、はたまた乗っかろうとしているのか、ちょっと現段階では見えにくいので誰か分かる人がいたらコメントに書いてください。
2010年5月6日木曜日
ネット左翼は何故いないのか?
もう最近だとあまり言われなくなって死語となりつつありますが、ネット上では「ネット右翼」といって、一般に右系とされる意見や主張を強く主張する集団、もしくは傾向があるとかねてから言われております。
このネット右翼という言葉が初めて大きく取り上げられたのは今を遡ること六年前の2004年に起きたイラクでの日本人人質事件で、この時人質となった三名の方は最終的には解放されて無事に日本に帰国する事が出来たのですが、この事件の発生当時、外務省が戦争による治安の悪化から渡航禁止を呼びかけていたにもかかわらずわざわざイラクに行って誘拐されたとして、ネット上ではこの三名の方が人質となったのは自業自得だという意見が支配的と言っていいほど主張されていました。
この時に出た意見というのがこれまた最近めっきり使われなくなった「自己責任論」なのですが、この自己責任という言葉をめくって新聞やテレビといった大メディアの意見とネット上の意見が激しく対立し、大メディア側が、「ネット上には一部、右系の思想が強い集団がいる」と述べたことから、そのようなネット上の右系思想集団の事を「ネット右翼」と呼ぶようになりました。
折も折で小泉元首相の靖国参拝についてもあれこれ意見が交わされていたことで当時は盛んに議論されていましたが、最近だと何が右で何が左なのか、対立点が分かり辛くなっている事からあまり使われなくなっているように思えます。この辺については私が以前に書いた、「「右翼」、「左翼」という言葉の問題性」に詳しく書いております。
ただ「ネット右翼」という言葉が使われなくなったとはいえ、今でも右系(とされる)意見や主張をすれば好意的に受け止められ、左系(とされる)意見を言えば叩かれるという傾向はブログなりホームページの運営者ならば多かれ少なかれ認識しているかと思います。私のこの「陽月秘話」なんて小さいものですから反発こそ少ないものの、大きいブログだったらたとえどのような理由だとしても外国人参政権に一言でも賛成と言おうものならば激しく批判されるのは目に見えているでしょう。
ここで今日の本題ですが、一体何故「ネット右翼」という言葉はあっても「ネット左翼」という言葉はないのでしょうか。仮に現実世界も右系の世論一色であるのならば理解できますが、現実にはネット右翼に激しく糾弾される朝日新聞の熱心な購読者や左翼政党もまだ存在しており、ネット右翼ほど強烈でなくともネット上に左翼的な意見を持つ集団がいてもおかしくはないように思えます。
考え方はいろいろとありますが、ネット左翼が存在しない理由として私が持っている見識としては、わざわざネットで主張しなくとも他のメディアで誰かが意見を言ってくれるため、だからではないかと見ております。
今一番ホットな話題でもあるので左翼的だとネット上でよく言われる外国人参政権を例に取ると、産経新聞なんかは割と強く参政権付与に反対という主張を打ち出していますが、それ以外の大新聞だと、「国際化に遅れる」、「優秀な外国人がやってこないなど」と言っては賛成を主張するか、読者の反発を恐れて賛成反対双方の意見を軽く載せて中立を装うかのどちらかです。テレビの意見も大体は同様で、関西の「たかじんのそこまで言って委員会」とかならともかく、全体的には賛成派の知識人らを招いてそっちの方で意見をまとめようとします。
仮に自分が賛成派の立場であるならば、大メディアの主張が自分の意見と同じだと感じれば大きな安心感を得られて、殊更に自分でも何か主張しようという気は起きなくなります。逆に自分が反対派の立場であるならば、どうして自分の意見を大メディアは取り上げないのか、大メディアは自分の持っている意見や知識を知らないのではないかという風に覚え、何でもいいから主張したり伝えようという風に感じるのではないかと思います。
またもう少し卑近な例で説明すると、自分が不味いと思う料理を周囲の人も不味いと言うのであればあまり気にしないものの、周りはそれほど不味くないと言うのであればどれだけその料理が不味いのかをやけに熱心に説明しようとはならないでしょうか。
要はこのような感じで、公の意見とは別の意見を持つ者ほど自分の意見を強く主張したがるため、匿名性の強いネット上にて右系の意見が強くなるのではないかと私は思います。この場合、公の意見というのは多数派とかそういったものではなく、やはりテレビや新聞といった影響力の強い大メディアの意見のことを指しております。大メディアの意見が左系の物が多いかどうかまではわかりませんが、少なくともネット上の意見は大メディアに対して批判的なものが多いというのは間違いない気がします。
勘のいい人ならもうわかるでしょうが、私はネット右翼と呼ばれる集団は基本的に何か特定の思想に偏った集団ではないと考えております。ただ単にネット上の意見は宿命的に大メディアの意見と対立するものであって、ネット上の人間、もしくはネット人口が多い若者が右系(とされる)思想に偏りつつあるというのは間違いじゃないかという風に思います。
もう少し話は広げられますが、気絶しそうなほどに頭痛がひどいので今日はここまでです。校正も無理だ……。
このネット右翼という言葉が初めて大きく取り上げられたのは今を遡ること六年前の2004年に起きたイラクでの日本人人質事件で、この時人質となった三名の方は最終的には解放されて無事に日本に帰国する事が出来たのですが、この事件の発生当時、外務省が戦争による治安の悪化から渡航禁止を呼びかけていたにもかかわらずわざわざイラクに行って誘拐されたとして、ネット上ではこの三名の方が人質となったのは自業自得だという意見が支配的と言っていいほど主張されていました。
この時に出た意見というのがこれまた最近めっきり使われなくなった「自己責任論」なのですが、この自己責任という言葉をめくって新聞やテレビといった大メディアの意見とネット上の意見が激しく対立し、大メディア側が、「ネット上には一部、右系の思想が強い集団がいる」と述べたことから、そのようなネット上の右系思想集団の事を「ネット右翼」と呼ぶようになりました。
折も折で小泉元首相の靖国参拝についてもあれこれ意見が交わされていたことで当時は盛んに議論されていましたが、最近だと何が右で何が左なのか、対立点が分かり辛くなっている事からあまり使われなくなっているように思えます。この辺については私が以前に書いた、「「右翼」、「左翼」という言葉の問題性」に詳しく書いております。
ただ「ネット右翼」という言葉が使われなくなったとはいえ、今でも右系(とされる)意見や主張をすれば好意的に受け止められ、左系(とされる)意見を言えば叩かれるという傾向はブログなりホームページの運営者ならば多かれ少なかれ認識しているかと思います。私のこの「陽月秘話」なんて小さいものですから反発こそ少ないものの、大きいブログだったらたとえどのような理由だとしても外国人参政権に一言でも賛成と言おうものならば激しく批判されるのは目に見えているでしょう。
ここで今日の本題ですが、一体何故「ネット右翼」という言葉はあっても「ネット左翼」という言葉はないのでしょうか。仮に現実世界も右系の世論一色であるのならば理解できますが、現実にはネット右翼に激しく糾弾される朝日新聞の熱心な購読者や左翼政党もまだ存在しており、ネット右翼ほど強烈でなくともネット上に左翼的な意見を持つ集団がいてもおかしくはないように思えます。
考え方はいろいろとありますが、ネット左翼が存在しない理由として私が持っている見識としては、わざわざネットで主張しなくとも他のメディアで誰かが意見を言ってくれるため、だからではないかと見ております。
今一番ホットな話題でもあるので左翼的だとネット上でよく言われる外国人参政権を例に取ると、産経新聞なんかは割と強く参政権付与に反対という主張を打ち出していますが、それ以外の大新聞だと、「国際化に遅れる」、「優秀な外国人がやってこないなど」と言っては賛成を主張するか、読者の反発を恐れて賛成反対双方の意見を軽く載せて中立を装うかのどちらかです。テレビの意見も大体は同様で、関西の「たかじんのそこまで言って委員会」とかならともかく、全体的には賛成派の知識人らを招いてそっちの方で意見をまとめようとします。
仮に自分が賛成派の立場であるならば、大メディアの主張が自分の意見と同じだと感じれば大きな安心感を得られて、殊更に自分でも何か主張しようという気は起きなくなります。逆に自分が反対派の立場であるならば、どうして自分の意見を大メディアは取り上げないのか、大メディアは自分の持っている意見や知識を知らないのではないかという風に覚え、何でもいいから主張したり伝えようという風に感じるのではないかと思います。
またもう少し卑近な例で説明すると、自分が不味いと思う料理を周囲の人も不味いと言うのであればあまり気にしないものの、周りはそれほど不味くないと言うのであればどれだけその料理が不味いのかをやけに熱心に説明しようとはならないでしょうか。
要はこのような感じで、公の意見とは別の意見を持つ者ほど自分の意見を強く主張したがるため、匿名性の強いネット上にて右系の意見が強くなるのではないかと私は思います。この場合、公の意見というのは多数派とかそういったものではなく、やはりテレビや新聞といった影響力の強い大メディアの意見のことを指しております。大メディアの意見が左系の物が多いかどうかまではわかりませんが、少なくともネット上の意見は大メディアに対して批判的なものが多いというのは間違いない気がします。
勘のいい人ならもうわかるでしょうが、私はネット右翼と呼ばれる集団は基本的に何か特定の思想に偏った集団ではないと考えております。ただ単にネット上の意見は宿命的に大メディアの意見と対立するものであって、ネット上の人間、もしくはネット人口が多い若者が右系(とされる)思想に偏りつつあるというのは間違いじゃないかという風に思います。
もう少し話は広げられますが、気絶しそうなほどに頭痛がひどいので今日はここまでです。校正も無理だ……。
2010年5月5日水曜日
戦前の日本人の天皇観について
本当かどうかは知りませんが、太平洋戦争中、捕虜となった日本兵をからかってやろうとアメリカ兵がこんな事を言ったそうです。
米兵「お前ら、ダーウィンの進化論ってのを知っているか? ダーウィンによるとお前らが神様と崇めている天皇もサルから進化したんだってよ( ゚∀゚)」
日本兵「それくらい知ってるよ。で、それがどうかしたの?(・д・` )」
米兵「あれっ?( ゚д゚)」
恐らく米兵としては、日本人が神様、もしくは神様の子孫と崇めている対象が下等生物とみなしているサルから進化したのだと言われると、日本人は馬鹿にされてカチンと来るか相当なショックを受けるだろうと考えていたのだと思います。しかし言われた日本人はそんな当たり前のことを何を今更といった様に受け取った、というのがこのお話ですが、多分実際に会話があったとしてもこういうことになったんじゃないかと私も思います。
戦前、日本は極端な皇民化教育が行われてそれまでの日本史上においても極めて高いレベルにまで天皇の神格化もはかられていましたが、私は終戦後のマッカーサーを初めとしたGHQによる大転換があれほどスムーズに行われたことを考えると、口では激しく天皇の神性を述べながらも、日本人は内心では天皇も自分たちと同じ人間だと認識していたように思えます。一時期に外国人からよく日本人のわからないところとして、口で言っていることと心に思っていることが一致していないというものがありましたが、私は戦前の天皇観も日本人お得意の本音と建前がきちんと分けられていたのではないかと考えています。
このような日本人の面従腹背というような態度は日本に限らず中国などといった東アジア圏ではよく見られますが、欧米人からしたらなかなかに理解できない態度なのかもしれません。またそもそもアメリカでは今に至るまでダーウィンの進化論に懐疑的で、公教育で教えるべきかどうかについて激しく議論されるほどだそうです。
話は戻り戦前の日本人の天皇観ですが、私は現代で一般的に思われている以上に当時の日本人はクールに捉えていたように思えます。また天皇制を熱烈に信奉していたとされる旧陸軍幹部や右翼活動家らも、実際には天皇制を最も軽視していたのではないかと思われる節があります。
最近は右翼活動をしても寄付金が集まらなくなって街宣車なども見なくなるほど右翼活動家もなりを潜めるようになったため、こうした戦時の歴史についてもかなりきわどい所まで調べる事が出来るようになりましたが、最近の研究だと天皇制を最も信奉して忠実であったと思われていた陸軍がどのように天皇制を見ていたかについて徐々に明らかになってきました。
結論から言うと陸軍は戦時中、天皇制の維持以上に陸軍という組織の維持に腐心していた節があり、昭和天皇がもし独断で終戦工作に動こうものなら無理矢理取り除いて天皇の弟(第一候補は秩父宮)の中から新たに天皇を立ててでも戦争を継続しようという、なんというか本末転倒のような計画までも持っていたそうです。
こうした状況である事は昭和天皇を含め天皇の周りにいる侍従らも理解しており、迂闊に終戦工作を行おうものならクーデターを起こされるとの認識があり、あの鈴木貫太郎内閣の御前会議へとつながったのかと思います。
なお余談ですが、戦後初めて自民党を下野させる事に成功した細川護煕元首相の父親である細川護貞氏はまさにこの戦時中に昭和天皇の侍従を務めており、当時の状況を「細川日記」にて詳細に記しております。その日記によると、悪化する戦局にも関わらず依然と戦争を継続しようとする東条英機に対し、「もはや東条を刺殺するより他がない」と言ったものの同じ侍従の木戸幸一に滅多な事を言うなと口止めされ、部屋を出た途端に足ががくがくと震えてきたと記しております。
更についでに書くと、息子の護煕氏が総理就任時にインタビューを求められ、「息子は飽きっぽい性格だから長続きしないだろう」と述べているあたり、観察眼のある人だったのだろうという気がします。
米兵「お前ら、ダーウィンの進化論ってのを知っているか? ダーウィンによるとお前らが神様と崇めている天皇もサルから進化したんだってよ( ゚∀゚)」
日本兵「それくらい知ってるよ。で、それがどうかしたの?(・д・` )」
米兵「あれっ?( ゚д゚)」
恐らく米兵としては、日本人が神様、もしくは神様の子孫と崇めている対象が下等生物とみなしているサルから進化したのだと言われると、日本人は馬鹿にされてカチンと来るか相当なショックを受けるだろうと考えていたのだと思います。しかし言われた日本人はそんな当たり前のことを何を今更といった様に受け取った、というのがこのお話ですが、多分実際に会話があったとしてもこういうことになったんじゃないかと私も思います。
戦前、日本は極端な皇民化教育が行われてそれまでの日本史上においても極めて高いレベルにまで天皇の神格化もはかられていましたが、私は終戦後のマッカーサーを初めとしたGHQによる大転換があれほどスムーズに行われたことを考えると、口では激しく天皇の神性を述べながらも、日本人は内心では天皇も自分たちと同じ人間だと認識していたように思えます。一時期に外国人からよく日本人のわからないところとして、口で言っていることと心に思っていることが一致していないというものがありましたが、私は戦前の天皇観も日本人お得意の本音と建前がきちんと分けられていたのではないかと考えています。
このような日本人の面従腹背というような態度は日本に限らず中国などといった東アジア圏ではよく見られますが、欧米人からしたらなかなかに理解できない態度なのかもしれません。またそもそもアメリカでは今に至るまでダーウィンの進化論に懐疑的で、公教育で教えるべきかどうかについて激しく議論されるほどだそうです。
話は戻り戦前の日本人の天皇観ですが、私は現代で一般的に思われている以上に当時の日本人はクールに捉えていたように思えます。また天皇制を熱烈に信奉していたとされる旧陸軍幹部や右翼活動家らも、実際には天皇制を最も軽視していたのではないかと思われる節があります。
最近は右翼活動をしても寄付金が集まらなくなって街宣車なども見なくなるほど右翼活動家もなりを潜めるようになったため、こうした戦時の歴史についてもかなりきわどい所まで調べる事が出来るようになりましたが、最近の研究だと天皇制を最も信奉して忠実であったと思われていた陸軍がどのように天皇制を見ていたかについて徐々に明らかになってきました。
結論から言うと陸軍は戦時中、天皇制の維持以上に陸軍という組織の維持に腐心していた節があり、昭和天皇がもし独断で終戦工作に動こうものなら無理矢理取り除いて天皇の弟(第一候補は秩父宮)の中から新たに天皇を立ててでも戦争を継続しようという、なんというか本末転倒のような計画までも持っていたそうです。
こうした状況である事は昭和天皇を含め天皇の周りにいる侍従らも理解しており、迂闊に終戦工作を行おうものならクーデターを起こされるとの認識があり、あの鈴木貫太郎内閣の御前会議へとつながったのかと思います。
なお余談ですが、戦後初めて自民党を下野させる事に成功した細川護煕元首相の父親である細川護貞氏はまさにこの戦時中に昭和天皇の侍従を務めており、当時の状況を「細川日記」にて詳細に記しております。その日記によると、悪化する戦局にも関わらず依然と戦争を継続しようとする東条英機に対し、「もはや東条を刺殺するより他がない」と言ったものの同じ侍従の木戸幸一に滅多な事を言うなと口止めされ、部屋を出た途端に足ががくがくと震えてきたと記しております。
更についでに書くと、息子の護煕氏が総理就任時にインタビューを求められ、「息子は飽きっぽい性格だから長続きしないだろう」と述べているあたり、観察眼のある人だったのだろうという気がします。
2010年5月4日火曜日
中国人が意外にはまっている日本文化
上海万博が始まったことからこのGW中のトップニュースはそれこそ中国一色でしたが、その中でも万博開始前に上海市政府が住民に対し、「パジャマで外を出歩くな」という呼びかけなどといった紹介をよく見たように思えます。これなんて私も今まで知らなかったのですが、なんでも中国ではパジャマは富の象徴でよくパジャマを着たまま外に出歩いたり買い物をしたりする人が多かったそうなのです。言われてみると、そんな格好をしたような人が朝方なんてよくいたような気がします。
このパジャマの例を筆頭に、近いのに、いや逆に近いがゆえに日中ではお互いの文化や生活習慣について意外に知られていない内容が数多くあります。ご多分に漏れず私も決して中国の生活習慣などについて詳しいというわけじゃないのですが、中国の若者が日本に対してどのように考えているか、または日本の文化をどれほど知っているかについて、日本人は知らずに損しているなと思う事が多くあります。そこで今日は幾つか、といっても私の中国人の知り合いから得た日本への見方について紹介しようと思います。
1、熱血高校
ある日私の中国人の友人と一緒に歩きながらゲームの話をしていると、「熱血高校って知ってる?」と唐突に聞かれました。最初は何のことだか分からなかったのですが詳しく話を聞いてみると、どうやらかつてテクノスという会社から出ていた「熱血高校くにおくんシリーズ」というゲームのことを言っているのだとわかりました。
このゲームは私くらいの世代なら何かしら触れた事のある、ファミコンからスーパーファミコン時代における代表的なパーティーゲームのシリーズです。あいにくこのゲームを作っていたテクノスが倒産した事から続編が作られなくなってしまったのですが、仁義ある不良のくにおくんがいろんな人の求めに応じて他校の友人(元ライバル)の彼女を救いに殴りこみに行ったり、ドッヂボールで戦ったり、果てには時代劇で空中電気あんまを披露したりなどと、下手したら今の最新のゲームなんかよりずっと自由度の高いゲームでした。
その友人は子供の頃、この熱血高校シリーズを友人同士でやっては楽しく遊んでいたそうです。まさかこんなゲームを日中で共有していたとは思いもせず、妙なショックを受けました。
2、スラムダンク
さすがに今の中高生くらいだとちょっと知名度が落ちてくるかもしれませんが、現在「バガボンド」を連載中の井上雄彦氏がジャンプ黄金期に連載した「スラムダンク」という漫画は、今に至るまでの日本におけるバスケットボールの地位や人気へと大きく押し上げる原動力となったと間違いないでしょう。最近少し思うところがあってこのスラムダンクを読み返しており、連載当時に私は小学生だったのですが、そこそこ年のいったこの年齢で改めて読んでみると小学生時代とはまた違った視点で読め、実に良く出来た漫画だと再認識をしております。「バガボンド」はそんなに好きじゃないんだけど。
それでこのスラムダンク、恐らく日本以上に中国では大きな影響力を持っているのではないかと私見ながらに思っております。なんでも例の私の中国人の友人に聞くと、中国でもこのスラムダンクは大ヒットしてバスケットボールを始める中高生が続出したそうで、実際にその後中国ではアメリカのNBAでも活躍する選手を輩出するほどバスケットボール熱は高まり、今でもこのスラムダンクは中国では経典の如く扱いを受けているそうです。
3、浜崎あゆみ
日本では往年ほどの勢いはなくなっている歌手の浜崎あゆみですが、さすがに今はどうなっているかまでは分かりませんが、ちょっと前までは中国人も非常に愛好しておりました。今回の万博直前の岡本麻夜の音楽パクリ騒動といい、日本のアーティストは中国でも全般的に受けがよく、私の留学時代などはよく街中でKiroroの曲を耳にしておりました。
ただ浜崎あゆみが中国で権威を持つのは彼女の曲が中国人に受けるからというだけでなく、彼女流のメイクが中国の都市部の若者に非常に受けがいいという理由も大きく絡んでおります。私なんかは彼女のメイク方はちょっとけばく思えてそんなに好きではないのですが、件の友人に言わせると浜崎流の日本人女性のメイクは世界一だなどと聞いててこそばゆくなるほど誉めておりました。
4、村上春樹
これは中国に限るわけじゃないのですが、村上春樹の小説はかねてより中国でも高く認知されております。この前に出版された「1Q84」も相当売れたそうですが、私が留学した頃は「海辺のカフカ」が大ブレイク中で街の至る本屋どこでも平積みにされていたほどでした。また例によって、私はそんなに好きじゃないんだけど。
このパジャマの例を筆頭に、近いのに、いや逆に近いがゆえに日中ではお互いの文化や生活習慣について意外に知られていない内容が数多くあります。ご多分に漏れず私も決して中国の生活習慣などについて詳しいというわけじゃないのですが、中国の若者が日本に対してどのように考えているか、または日本の文化をどれほど知っているかについて、日本人は知らずに損しているなと思う事が多くあります。そこで今日は幾つか、といっても私の中国人の知り合いから得た日本への見方について紹介しようと思います。
1、熱血高校
ある日私の中国人の友人と一緒に歩きながらゲームの話をしていると、「熱血高校って知ってる?」と唐突に聞かれました。最初は何のことだか分からなかったのですが詳しく話を聞いてみると、どうやらかつてテクノスという会社から出ていた「熱血高校くにおくんシリーズ」というゲームのことを言っているのだとわかりました。
このゲームは私くらいの世代なら何かしら触れた事のある、ファミコンからスーパーファミコン時代における代表的なパーティーゲームのシリーズです。あいにくこのゲームを作っていたテクノスが倒産した事から続編が作られなくなってしまったのですが、仁義ある不良のくにおくんがいろんな人の求めに応じて他校の友人(元ライバル)の彼女を救いに殴りこみに行ったり、ドッヂボールで戦ったり、果てには時代劇で空中電気あんまを披露したりなどと、下手したら今の最新のゲームなんかよりずっと自由度の高いゲームでした。
その友人は子供の頃、この熱血高校シリーズを友人同士でやっては楽しく遊んでいたそうです。まさかこんなゲームを日中で共有していたとは思いもせず、妙なショックを受けました。
2、スラムダンク
さすがに今の中高生くらいだとちょっと知名度が落ちてくるかもしれませんが、現在「バガボンド」を連載中の井上雄彦氏がジャンプ黄金期に連載した「スラムダンク」という漫画は、今に至るまでの日本におけるバスケットボールの地位や人気へと大きく押し上げる原動力となったと間違いないでしょう。最近少し思うところがあってこのスラムダンクを読み返しており、連載当時に私は小学生だったのですが、そこそこ年のいったこの年齢で改めて読んでみると小学生時代とはまた違った視点で読め、実に良く出来た漫画だと再認識をしております。「バガボンド」はそんなに好きじゃないんだけど。
それでこのスラムダンク、恐らく日本以上に中国では大きな影響力を持っているのではないかと私見ながらに思っております。なんでも例の私の中国人の友人に聞くと、中国でもこのスラムダンクは大ヒットしてバスケットボールを始める中高生が続出したそうで、実際にその後中国ではアメリカのNBAでも活躍する選手を輩出するほどバスケットボール熱は高まり、今でもこのスラムダンクは中国では経典の如く扱いを受けているそうです。
3、浜崎あゆみ
日本では往年ほどの勢いはなくなっている歌手の浜崎あゆみですが、さすがに今はどうなっているかまでは分かりませんが、ちょっと前までは中国人も非常に愛好しておりました。今回の万博直前の岡本麻夜の音楽パクリ騒動といい、日本のアーティストは中国でも全般的に受けがよく、私の留学時代などはよく街中でKiroroの曲を耳にしておりました。
ただ浜崎あゆみが中国で権威を持つのは彼女の曲が中国人に受けるからというだけでなく、彼女流のメイクが中国の都市部の若者に非常に受けがいいという理由も大きく絡んでおります。私なんかは彼女のメイク方はちょっとけばく思えてそんなに好きではないのですが、件の友人に言わせると浜崎流の日本人女性のメイクは世界一だなどと聞いててこそばゆくなるほど誉めておりました。
4、村上春樹
これは中国に限るわけじゃないのですが、村上春樹の小説はかねてより中国でも高く認知されております。この前に出版された「1Q84」も相当売れたそうですが、私が留学した頃は「海辺のカフカ」が大ブレイク中で街の至る本屋どこでも平積みにされていたほどでした。また例によって、私はそんなに好きじゃないんだけど。
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