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2010年5月10日月曜日

大化の改新とは一体なんだったのか

 確実に証明できる範囲での日本史の始まりはいつからだというと、それは間違いなく壬申の乱後に皇位についた天武天皇の時代からです。事実この天武朝から「日本」という国号の使用、我が国初の貨幣の「富本銭」の発行、そして「天皇」という呼び名が使われるようになったといわれており、その後の系譜においても天武系が奈良時代では主要な皇族となるなど古代史、ひいては日本史全体に天武天皇が与えた影響は非常に大きいといえます。
 しかしこの天武天皇は確実に存在していてその施策などもはっきりしている一方で、有名なのにどうにもよく分からない存在、一体何がしたかったのかがはっきりしないのが天武天皇の兄の、中大兄皇子こと天智天皇です。

 中大兄皇子とくると、「おかしいですよ」の後には必ず「カテジナさん」とVガンダム好きなら続くように、日本史では大化の改新が基本的にセットで必ず付きまとってきます。この大家の改新ははっきりいってこれまでの日本史研究では日本書紀などできちんとかかれているのだからといってほぼ自明の事実として取り上げられて来ましたが、平成に入った辺りから天皇史研究のタブーが薄れてきたのもあって徐々にその内容に疑問符が出てくるようになりました。

 まず一般的に伝えられている大化の改新ですが、聖徳太子、推古天皇亡き後の大和朝廷では蘇我馬子に始まる蘇我氏が徐々に専横を振るうようになり、馬子の子である蘇我蝦夷とその息子の入鹿の代では聖徳太子の一族を滅ぼすなど天皇家すら脅かすようになり、これを憂えた中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された(乙巳の変)とされています。

 しかし一つ一つ疑問を挙げると、まず第一に聖徳太子自体が本当に存在したのか怪しい存在です。私の友人などは、「十人の人間の訴えを聞き分けたとされる」という逸話から、当時の複数の人物を一つの人物としてまとめ上げられた存在なのではないかと言っていますが、私もこの説を採っていて、太子一族が蘇我氏に滅ぼされたというのはむしろ後付けで、蘇我氏が如何に悪者かということを宣伝するために作られた話ではないかと見ております。

 第二に、中大兄皇子と蘇我氏の政策的対立点が見当たらない事です。
 蘇我氏も中大兄皇子も、当時の豪族たちの連合政権だった大和朝廷を天皇を頂点とする中央集権体制に持って行こうと画策しており、目指すべき方向ははっきり言って全く同じものでした。しかも当時の天皇は中大兄皇子の母である皇極天皇で、何もいきなり暗殺を仕掛けるほど天皇家が危うい立場だったとは思えません。

 そして何よりおかしいのが、このクーデター劇の主導者である中大兄皇子がその後、頑なに天皇の地位に就任していない事です。大化の改新後は孝徳天皇を初め次々と天皇が就任する傍から変わって行き、最終的には適当な人間がいなくなる事態にまで陥っているにもかかわらず中大兄皇子は「称制」といって、実質天皇と変わらないのですが皇太子の立場で政治を運営しており、最終的にはポケモンの進化じゃないけど天智天皇になりますがその過程には怪しい紆余曲折があります。

 この天智天皇の行動については諸説あってWikipedia中でも一項が設けられていますが、やはり私が一番それらしいと思う説は彼の女癖です。なんでも近親相姦が割と盛んだった当時でもタブーであった実妹にも手を付けていたらしく、この妹の死後直後に天皇に就任していることから彼の女癖に対する周囲の批判から天皇になかなか就任できなかったという説があります。また天智天皇はその実妹との話の他に、元々弟の大海人皇子(天武天皇)の妻だった万葉歌人最高峰の額田王を無理矢理奪ったとも言われており、どうもこういうエピソードとかを聞いていると強引で、攻撃的な性格の持ち主というイメージが私の中では湧いて来ます。

 そんな天智天皇の性格を考えると、大化の改新自体が自分が政治の主導権を握るための、いわば天智側から蘇我家への一方的なクーデターだったのではないかとも思えますし、検証できるかどうかは別として、そのような考えから蘇我氏こそが本当の天皇(豪族立ちの首領)だったという「蘇我氏天皇論」というのもあります。
 こういったいろいろと怪しい所があることから、どうも私は日本書紀における天智天皇の記述も曖昧なものとなっているのではないかと思います。日本書紀はまさに天武天皇の正当性を強く出すために作られたような歴史書ですが、今回の大化の改新から壬申の乱のくだりまでがどうもちぐはぐな印象がぬぐえず、想像力を膨らませる内容となっております。

 もっとも天武天皇自体も天智天皇の息子の大友皇子を壬申の乱で破って皇位についているので、クーデターを起こしたという点では天智天皇と一緒です。むしろ逆に、クーデターを起こした事に正当性を持たせるために敢えて、「天智天皇はクーデターを起こして実験を得たからクーデターによってその子孫は追われたのだ」という筋書きにしたのかもしれませんが。

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