一昨日から続いていたYahoo Japanを含む日本のサイトへのアクセス規制ですが、本日正午12時きっかりに復旧しました。理由は恐らく尖閣買取問題での嫌がらせだと思いますが、日本企業みんな揃って「業務に支障が出たぞ(#゚Д゚) プンスコ!」と言って各プロバイダ会社に損害補償を請求してもいいんじゃないかという気がします。大事になればなったで政府も二回、三回と出来なくなるだろうし。
話は本題に入って久々に社会学ネタですが、近年、日本人女性の間で専業主婦志向が高まっていると言われております。この論はこれまでにもパラサイトシングルなど様々な流行語を生んできた山田昌弘氏が主張しておりますが、山田氏のデータ以外にも各種の社会データがこの傾向を裏付けており、専業主婦志向が高まっているというのは間違いないでしょう。
では何故専業主婦志向が高まっているのか、この前も同僚に「我々の仕事は5Wの最後のW、Whyを書く仕事だ」と言われましたが、背景となる理由が一番求められているかと思います。そこで今日は専業主婦思考が高まっている理由を数字データの立証なしに私が思いつくままに上げてきます。
まず以前、と言っても2年前の関西某所で開かれた勉強会にて講演したある社会学教授の意見から紹介しますが、その教授曰く、「視界のなかにいる大人の女性」が大きな原因だと指摘してました。少し過去の話をすると90年代初頭は男女雇用機会均等法が成立した直後ということもあって、「結婚後も働きたい」というような質問にはその前後の年代と比べて「そうだ」とする回答が多い年代でした。実際にそれ以前と比べて現代は働く女性、管理職となる女性は確実に多くなっているのですが、その一方で婚活にいそしむ40歳前後の独身女性などの姿も多く見かけられるようにもなってきました。「そうした結婚より仕事を選んできた女性を見るにつけ現代の若い女性(大学生以下)は、専業主婦であった自分たちの母親の方が幸せに見えるのでは」とその教授は言っており、私もこの意見にほぼ同感です。
こうした「働く女性と専業主婦の女性」を見比べるという以外で私から理由を挙げると、単純に労働環境が以前より厳しくなっているというのも大きいでしょう。それこそ90年代であれば高い給料で且つ終身雇用で働くことが出来ましたが、現代は女性はおろか男性ですら薄給激務に追われ、また雇用の流動化も格段に進んでおります。そんな厳しい環境で働いてお金もらうくらいなら、旦那の給料だけで生活できるならそうしたいという単純な損得勘定も働いているとも言えるでしょう。なおこれは逆バージョンこと、「嫁さんの給料で生きてけるなら、この際主夫でもいい」という声が一部の男性からも出ており、女性だけの話ではありません。でもこれも考えようによっては、専業「主夫」志向の高まりとも言えるかも。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年6月17日日曜日
2012年6月16日土曜日
税の一体改革を巡る各党の思惑
昨日にも書きましたが現在中国ではYahoo Japanのサイトにアクセスすることが出来ません。恐らく規制だろうなと考えていましたが、時事通信がきちんと調べて書いてくれてました。
・日本の一部サイトに接続不能=ネット規制強化か―中国(時事通信)
別にYahooのニュースが見れない程度ならいいですが、Yahooメールが使えないのが地味に痛いです。折角友人に「さしこも終わったな」とメール出そうとしてたのに……。
ちょっと真面目な話をすると、前にも書いたとおりに中国のネット環境は遅いわ規制が多いわでひどいものです。そろそろこういったところを改善しないと、投資を呼び込むにも限界が来るかと思います。逆に香港が何であんなに欧米からの投資を集めるかというと、やっぱりネット環境はもとより英語が標準語という環境ゆえだと分析してます。なお今回のアクセス規制ですが、ちょっと試したところトヨタやホンダのHPもシャットアウトでした。恐らくほかの多くの日系企業も同じかと思われますが、中国メディア使って大々的に抗議とかしてくれないかな。
話は本題に貼りますが、現在与党民主党を中心に消費税の増税、社会保障制度改革の一体化議論が続けられております。詳しくチェックこそしていないものの既に民主党が検討している内容にに対して自民党も大筋で合意、公明党は一応まだ難色を示しているそうです。
まずこの増税議論に対して私の立場を書いておくと、基本的には賛成です。今の日本社会、ひいては経済状況を見るにつけ何が一番問題かというとそれは言うまでもなくデフレで、なんでデフレが進んでいるのかというと複数の要因があるものの、その中の大きな者の一つに将来の消費への不安があると私と周囲の友人間で一致しています。将来の不安というのは言うまでもなく年金をはじめとした社会保障で、なおかつ一向に減らない日本の債務残高。せめてプライマリーバランスを回復するだけでもまだ将来に希望が持てるもので、このような考え方から増税に賛成の立場を取っております。
さてこの増税案ですが、民主党にとって可決に当たって目下の敵は野党自民党ではなく身内こと、同じ民主党員というような状況になりつつあります。現在離婚報道も出ているんだから早くこの世から消えてほしい小沢を筆頭に一部民主党員が消費税の引き上げに反対という立場を取っておりますが、彼らが何故反対なのかというと、建前は景気によくないとか国民生活ともっともらしいことを言いますが、その実は増税に賛成してしまうと次の選挙で落選する可能性が高いからというのが本音でしょう。逆に自民党にとってすれば、一定の距離を置きつつ民主党に増税役を果たしてもらえれば次の選挙で勝ちやすく、なおかつ政権奪取に成功すれば税収が多い状態でスタートできるので恐らく通すでしょう。
最後に税金について一つ書くと、ただ額面だけ増やすのではなくもっと効率化についても議論してほしいのが本音です。税の三要素として公平性、効率性、簡易性というものがあり、言うなれば平等で効率よく取れて、なおかつ制度がわかりやすいというのがベストということです。私は公務員の中でも国税局(+公正取引委員会)の人たちはしっかり働いていると思いますが、それでも直近では鳩山元首相のようにまんまと脱税するいんげんは後を絶ちません。より効率的に脱税を逃さず、なおかつ誰でも理解できる税制度を組み立ててくれないかというのが以前からの願いです。
・日本の一部サイトに接続不能=ネット規制強化か―中国(時事通信)
別にYahooのニュースが見れない程度ならいいですが、Yahooメールが使えないのが地味に痛いです。折角友人に「さしこも終わったな」とメール出そうとしてたのに……。
ちょっと真面目な話をすると、前にも書いたとおりに中国のネット環境は遅いわ規制が多いわでひどいものです。そろそろこういったところを改善しないと、投資を呼び込むにも限界が来るかと思います。逆に香港が何であんなに欧米からの投資を集めるかというと、やっぱりネット環境はもとより英語が標準語という環境ゆえだと分析してます。なお今回のアクセス規制ですが、ちょっと試したところトヨタやホンダのHPもシャットアウトでした。恐らくほかの多くの日系企業も同じかと思われますが、中国メディア使って大々的に抗議とかしてくれないかな。
話は本題に貼りますが、現在与党民主党を中心に消費税の増税、社会保障制度改革の一体化議論が続けられております。詳しくチェックこそしていないものの既に民主党が検討している内容にに対して自民党も大筋で合意、公明党は一応まだ難色を示しているそうです。
まずこの増税議論に対して私の立場を書いておくと、基本的には賛成です。今の日本社会、ひいては経済状況を見るにつけ何が一番問題かというとそれは言うまでもなくデフレで、なんでデフレが進んでいるのかというと複数の要因があるものの、その中の大きな者の一つに将来の消費への不安があると私と周囲の友人間で一致しています。将来の不安というのは言うまでもなく年金をはじめとした社会保障で、なおかつ一向に減らない日本の債務残高。せめてプライマリーバランスを回復するだけでもまだ将来に希望が持てるもので、このような考え方から増税に賛成の立場を取っております。
さてこの増税案ですが、民主党にとって可決に当たって目下の敵は野党自民党ではなく身内こと、同じ民主党員というような状況になりつつあります。現在離婚報道も出ているんだから早くこの世から消えてほしい小沢を筆頭に一部民主党員が消費税の引き上げに反対という立場を取っておりますが、彼らが何故反対なのかというと、建前は景気によくないとか国民生活ともっともらしいことを言いますが、その実は増税に賛成してしまうと次の選挙で落選する可能性が高いからというのが本音でしょう。逆に自民党にとってすれば、一定の距離を置きつつ民主党に増税役を果たしてもらえれば次の選挙で勝ちやすく、なおかつ政権奪取に成功すれば税収が多い状態でスタートできるので恐らく通すでしょう。
最後に税金について一つ書くと、ただ額面だけ増やすのではなくもっと効率化についても議論してほしいのが本音です。税の三要素として公平性、効率性、簡易性というものがあり、言うなれば平等で効率よく取れて、なおかつ制度がわかりやすいというのがベストということです。私は公務員の中でも国税局(+公正取引委員会)の人たちはしっかり働いていると思いますが、それでも直近では鳩山元首相のようにまんまと脱税するいんげんは後を絶ちません。より効率的に脱税を逃さず、なおかつ誰でも理解できる税制度を組み立ててくれないかというのが以前からの願いです。
2012年6月15日金曜日
オウム高橋容疑者の逮捕について
本日早朝、オウム真理教で指名手配されていた最後の一人、高橋克也容疑者が逮捕されました。これで一連のオウム事件はすべての容疑者が逮捕されたこととなり、名実ともに一つの区切りを迎えることとなりました。逮捕自体については取り立てて書くことはないのですが、今回の騒動を見て感じたこととしてはやはりテレビの力の絶大さに尽きます。先日から監視カメラの写真などが公開されていたことから恐らく逮捕は近いと予想していましたが、訪れていた漫画喫茶の店員からの通報が逮捕の決め手となったことから見てもここ数日の報道が大きな原動力となったと見て間違いないでしょう。以前に何かのテレビ番組で、今時戦闘に指名手配犯の写真や似顔絵を貼っても誰も集まらないし見ないので意味がなく、むしろ定期的にテレビで、「本日の指名手配犯の時間です」とばかりに報道した方が効果があるという意見がありましたが、今回の一件を見る限りだとさもありなんです。
あともうひとつ気になった点としては、あまり言いたくはありませんが警察は本当に真剣に捜査していたのかという疑問点です。既につかまっている平田信容疑者は出頭したにもかかわらず機動隊員に「よそ行って」と追い帰されるわ、菊池容疑者に至っては近所の人間から通報があったにもかかわらず黙殺するなど、これまで長きにわたって捕まらなかったのは警察の怠慢も影響しているのではないかと思わざるを得ません。私としては警察をあまり叩くよりは応援したい身ですが、一連の不手際で何か処分を出したとも聞きませんし、この件に関しては疑いの目を持ちます。
最後にどうでもいいことですが、なんかさっきからYahoo Japanだけ一切アクセスできません。多分中国政府がアクセスを禁止しているからでしょうが、なんでこうなるのか、理由が知りたいです。今やってるイベントとしては上海国際映画祭くらいしか浮かびませんが、豆知識ですがこの映画祭の期間は当局の検査も厳しくなるので海賊版DVD屋はどこも閉めて、終わったらまた開きます。どうせ私は利用しないけど。
あともうひとつ気になった点としては、あまり言いたくはありませんが警察は本当に真剣に捜査していたのかという疑問点です。既につかまっている平田信容疑者は出頭したにもかかわらず機動隊員に「よそ行って」と追い帰されるわ、菊池容疑者に至っては近所の人間から通報があったにもかかわらず黙殺するなど、これまで長きにわたって捕まらなかったのは警察の怠慢も影響しているのではないかと思わざるを得ません。私としては警察をあまり叩くよりは応援したい身ですが、一連の不手際で何か処分を出したとも聞きませんし、この件に関しては疑いの目を持ちます。
最後にどうでもいいことですが、なんかさっきからYahoo Japanだけ一切アクセスできません。多分中国政府がアクセスを禁止しているからでしょうが、なんでこうなるのか、理由が知りたいです。今やってるイベントとしては上海国際映画祭くらいしか浮かびませんが、豆知識ですがこの映画祭の期間は当局の検査も厳しくなるので海賊版DVD屋はどこも閉めて、終わったらまた開きます。どうせ私は利用しないけど。
2012年6月14日木曜日
ストレスに対する人間の心理行動
先日訪問したある会社から、ストレスに対する人間の心理行動というのは決して1種類じゃないという話を聞きました。その人曰くストレスに直面した際に人間は、そのストレスの発生源となる問題を解決しようと動こうとするのと、その問題は大したものじゃない考えてストレスを軽減しようするのとで、大別して2種類に分かれるそうです。問題解決に取り組みつつストレス負担を下げるといった具合に、両方一緒にできるというのがベストだそうですが、日本人はどちらかというと問題解決にひたすら取り組もうとするところがあって、ストレス負担を高めてしまう傾向があるそうです。逆に中国人なんかはあまり大きな問題と取らずにストレス負担を小さくするのはうまいものの、問題解決をなかなか行おうとせずに長期にわたってストレスにさらされる傾向があるとのことです。
なかなか話を聞いてみると面白い内容で、確かにストレスに対する対応というのは人それぞれ異なる気がします。私などはまさに典型的な日本人パターンで、何か問題が起こるとすぐに処理したがり、逆に即座に処理できなければ不安で仕方がなくなって参ってしまうことが多いです。今すぐ思い当たるのだと、去年にシチズンの時計が壊れた際になかなか修理することができなくて、なんか途中で泣き出したりしましたし……。
そういう意味では日本人が苦手とする、問題をそれほど深刻に考えないという心理行動はまさに大事なもののように感じます。ちょっと古いですが以前に渡辺淳一氏が「鈍感力」という本を出して物事を必要以上に真剣に感じない能力、また過剰な敏感さや繊細さを捨てる努力の必要性を訴えましたが、友人も絶賛してたようにもっとこの言葉が普及するべきだと私も思います。
ただこの「鈍感力」という本を書いた後で渡辺氏は、「周囲に求められているにもかかわらず全く適切な対応ができなかった安倍首相(当時)は鈍感なだけだ」と批判し、必要なものを感じ取れないことについては問題だという見方をしていました。折角安倍元首相に登場願ったんだからもう少し政治の話をすると、今増税議論で盛り上がっていますが、本来ならばこの議論は十年前にやっておかなければならなかった議論であります。もちろん今のうちにやっておくに越したことはありませんが、この十年間、日本の政治は対処すべき課題、行うべき改善策というのは割とはっきりしていましたが、どの政治家もやろうとしなかったというか国民も敢えて目を閉じていたようなところがあります。早く処理すればそれで言い訳ではありませんが、問題を先送りしてきた付けというのがまさに今の世の中で、そういう意味では日本人も中国人と同じストレスの処理方法をしているのかもしれません。
なかなか話を聞いてみると面白い内容で、確かにストレスに対する対応というのは人それぞれ異なる気がします。私などはまさに典型的な日本人パターンで、何か問題が起こるとすぐに処理したがり、逆に即座に処理できなければ不安で仕方がなくなって参ってしまうことが多いです。今すぐ思い当たるのだと、去年にシチズンの時計が壊れた際になかなか修理することができなくて、なんか途中で泣き出したりしましたし……。
そういう意味では日本人が苦手とする、問題をそれほど深刻に考えないという心理行動はまさに大事なもののように感じます。ちょっと古いですが以前に渡辺淳一氏が「鈍感力」という本を出して物事を必要以上に真剣に感じない能力、また過剰な敏感さや繊細さを捨てる努力の必要性を訴えましたが、友人も絶賛してたようにもっとこの言葉が普及するべきだと私も思います。
ただこの「鈍感力」という本を書いた後で渡辺氏は、「周囲に求められているにもかかわらず全く適切な対応ができなかった安倍首相(当時)は鈍感なだけだ」と批判し、必要なものを感じ取れないことについては問題だという見方をしていました。折角安倍元首相に登場願ったんだからもう少し政治の話をすると、今増税議論で盛り上がっていますが、本来ならばこの議論は十年前にやっておかなければならなかった議論であります。もちろん今のうちにやっておくに越したことはありませんが、この十年間、日本の政治は対処すべき課題、行うべき改善策というのは割とはっきりしていましたが、どの政治家もやろうとしなかったというか国民も敢えて目を閉じていたようなところがあります。早く処理すればそれで言い訳ではありませんが、問題を先送りしてきた付けというのがまさに今の世の中で、そういう意味では日本人も中国人と同じストレスの処理方法をしているのかもしれません。
2012年6月13日水曜日
今日のサッカーオーストラリア戦
最近なんか自分のツイッターのフォロワーになってくれる人がやけに増えているのですが、生憎と中国からではツイッターにアクセスできないので更新することができません。もしこのブログを見てフォロワーになった方にはこの場を借りて、何も書く事ができないことを謝ります。その分、ブログはモリモリ書いてくけど。
話は本題に入りますが、本日夜はWカップの予選のオーストラリア戦があって、日本中が熱狂していたかと思われます。うちの会社の上司も、「今日はサッカーあるから早く帰るね」といって作業が残っている自分たちを置いてとっとと帰ってしまいました。もっとも上司は、「ほかの部署の連中にも、いざとなったらここのテレビ使えと言ってあるから」といって、暗に社内にある日本の番組が見られるテレビを使っても構わないという発言をしてくれてたので、遠慮なく自分も中継を見ておりました。
前回のヨルダン戦も同僚と一緒にスポーツバーに行って見ていましたが、このところの日本のサッカーの試合は段違いに強くなったのもあって、見ていて本当に面白いです。今回のオーストラリア戦は1-1の引き分けでしたが、アウェーということ、相手があのオーストラリアということを考えると立派な成績だと思います。
実は海外生活をしていて何が辛いかと言うと、こういうスポーツの試合でみんなと一緒に盛り上がれないのが辛いです。去年もアジアカップや女子Wカップで日本チームが大活躍した際も、ネットで結果だけしか見ることができず、なんだか楽しそうな雰囲気を遠くから見ているようで少し寂しかったです。幸いというか最近会社の同僚に同性で比較的年の近いメンバーが集まってきているので一緒に盛り上がれるようになりつつありますが、意外とこういう空気に乗れない寂しさというのも、海外に来て初めてわかるようになりました。
それにしてもヤフーのコメントにもあったが、本田選手の髪の毛はいつも根元まで金髪で、黒い箇所が全くないのは何でだろう。
話は本題に入りますが、本日夜はWカップの予選のオーストラリア戦があって、日本中が熱狂していたかと思われます。うちの会社の上司も、「今日はサッカーあるから早く帰るね」といって作業が残っている自分たちを置いてとっとと帰ってしまいました。もっとも上司は、「ほかの部署の連中にも、いざとなったらここのテレビ使えと言ってあるから」といって、暗に社内にある日本の番組が見られるテレビを使っても構わないという発言をしてくれてたので、遠慮なく自分も中継を見ておりました。
前回のヨルダン戦も同僚と一緒にスポーツバーに行って見ていましたが、このところの日本のサッカーの試合は段違いに強くなったのもあって、見ていて本当に面白いです。今回のオーストラリア戦は1-1の引き分けでしたが、アウェーということ、相手があのオーストラリアということを考えると立派な成績だと思います。
実は海外生活をしていて何が辛いかと言うと、こういうスポーツの試合でみんなと一緒に盛り上がれないのが辛いです。去年もアジアカップや女子Wカップで日本チームが大活躍した際も、ネットで結果だけしか見ることができず、なんだか楽しそうな雰囲気を遠くから見ているようで少し寂しかったです。幸いというか最近会社の同僚に同性で比較的年の近いメンバーが集まってきているので一緒に盛り上がれるようになりつつありますが、意外とこういう空気に乗れない寂しさというのも、海外に来て初めてわかるようになりました。
それにしてもヤフーのコメントにもあったが、本田選手の髪の毛はいつも根元まで金髪で、黒い箇所が全くないのは何でだろう。
2012年6月9日土曜日
第二次上海事変に対する考察 後編
昨日に引き続き第二次上海事変について解説いたします。昨日は主に言語別の解説サイトで語られている内容にどう違うのか、というより日中がお互いに都合のいいことばかり書きあっているということを紹介しましたが、今日は事件の経過とともに、一番の問題の焦点となっている「どっちがどのような目的を持って、軍事衝突にまで発展したのか」という点について私の見解を書きます。
早速ですが、事件の経過を私なりに簡単にまとめると以下の通りとなります。なお年代はどれも1937年です。
7/7 盧溝橋事件が勃発。華北地域で日中間の戦闘が始まるが両政府ともに外交は不拡大方針を打ち出し、上海を含む華東地域にまで戦火は広がらなかった。
8/9 当時の虹橋空港周辺で上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が他殺体で発見される。
8/10 日本側は大山中尉の殺害を中国軍衛兵らの待ち伏せによる殺害と主張。中国軍側は大山中尉らが先に発砲したので正当防衛と主張し議論は平行線。ノルウェー総領事アールが各国領事と事件に対する共同会議を設けるべきと主張したが、何故か日本総領事の岡本は当初は拒否し、最終的に承諾。会議で中国軍は上海周辺から全面撤退するべきと主張した。また日本国内の閣議では陸軍の派遣が決定された。
8/11 蒋介石、中国軍の上海への進軍を命令。日本軍は海軍陸戦隊を上陸。
8/12 上海市長、かつて軍事衝突を引き越した前科(第一次上海事変)があるとして日本側の主張に抗議。上海市民は中国軍の治安統治を望んでいると主張。日中間の事件を巡る交渉は引き続き行われた。
8/13 虹口区で戦闘が開始。日本語ウィキペディアでは午前10時半頃に中国側から、百度百科では時間は記載せず日本側から攻撃を仕掛けてきたと記載。英語版ウィキペディアでは9時頃に中国側から攻撃開始と記載。(注:2018年7月現在、百度百科では「日本側から攻撃を仕掛けてきた」という記述はみられない。記事執筆時の誤読もしく削除された可能性あり)
8/14 中国軍機による市外への誤爆が起こり、民間人約三千人が死傷。また市街地で本格的な戦闘が起こるが、中国軍は兵力で日本の10倍以上と圧倒的に勝っていたものの、火力が致命的なまでに不足し日本軍の防御陣地を攻略できなかった。
8/18 英米仏政府が日中に停戦を呼びかけるが日中共にこれを拒否。
8/23 日本から派遣された軍が上海市北部に上陸。本格的な戦闘が11月まで行われ、両軍ともに激しい消耗戦となる。最終的に日本軍が上海周辺地域を制圧し、そのまま南京へ進軍することとなる。
大雑把にまとめると以上のようになります。日本語版ウィキペディアの記述を引用すると、「日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。」とのことで、決して楽勝な勝利ではなかったことがうかがえます。ただ英語版ウィキペディアにも書かれていましたが中国軍の火力が絶対的に不足していたのは事実なようで、緒戦では日本側の防御陣地が全く攻略できず、緒戦の失敗を蒋介石も後悔していたそうです。
また補足として、この戦闘で中国軍を指揮していたのは蒋介石ですが、その相談役にはドイツから派遣されたゼークト大将、ファルケンハウゼン中将がおり、ドイツ軍が深く介入しております。そもそも蒋介石の精鋭部隊を訓練したのはドイツの将校で、またこの戦闘自体、両者が築いた要塞線に日本軍を引き込んで一網打尽にするという作戦目的があったとも言われております。結果的にはこの要塞線はあっさり突破されたのですが、第一次大戦もあったし、やっぱりこの時はドイツも日本が憎かったんじゃないかと個人的に思います。
そろそろ本題に入りますが、この第二次上海事変は一体日中はどういう目的を持ち、どんな背景で起きたのでしょうか。日本側は「中国がケンカ売ってきた」と言い、中国側は「日本が侵略してきた」とお互いに言い合っており完全に食い違ってます。これはなにも日中だけじゃなくどこの世界も同じでしょうが。私はあくまで一素人であって具体的な検証はやはり歴史学者に任せるべきでしょうが、愚才ながら私の見解を敢えてここで書かせてもらうと、この第二次上海事変は日中両軍が望んだ戦争だと考えております。
まず敢えて中国軍の目的から書いてきますが、中国軍、つまり蒋介石の腹としては華北地域で既に戦闘が始まっており、遅かれ早かれ日本とは全面戦争になると考えてたのだと思います。既に1936年12月に西安事件が起こって共産党との国共合作に動いていましたし、全面戦争になるのが見えているのなら先手を打って主要都市である上海を確保しておく、もしくは上に書いたように要塞線に引き込んで撃破しておこう、というのが私なりの見解です。
さらに付け加えると、当時に数多くの租界があった上海で実際に戦火を起こすことで欧米列強の目を日中戦に向けさせるというのも狙いだったと思います。下手すればわざと大敗して見せることで中国への同情を集めるという腹も持っていたと、可能性レベルなら言ってもいいでしょう。
このように考える根拠としては、既に国共合作に動いており敵は日本ということで方針が決まっていた、華北で戦闘が起こっていた、そして何より最初の大山中尉の殺害事件の後の中国軍の展開の早さの三点が挙がります。
これに対し日本側ですが、さすがに第一次上海事変(日本人僧侶に対し田中隆吉陸軍少佐が暗殺者を仕向け、中国のせいにして攻撃)のように大山中尉らをわざと殺したとは思い辛いですが、何か事が起こればそれを口実に中国への攻撃を開始したいと考えていたような節がある気がします。こう思う根拠として、大山中尉の殺害事件後に頑なに中国軍の全軍撤退を求めるという、殺害事件の処理を巡る外交にしてはかなり強圧的な内容であることと、8月10日の領事会議への参加を当初拒否したという、ちょっとよくわからない姿勢を見せているからです。また中国軍同様、といっても既に展開している中国軍の備えという言い訳は立ちますが、日本側もやけに対応が早いというか軍の派遣を決めるタイミングが機敏だったようにも感じます。軍事に疎いからこの辺どうなのかは断言しかねますが。
また日本軍については明確な前科があります。満州事変にしろ盧溝橋事件にしろ、政府の方針とは逆に現地の軍隊が勝手に攻撃や占領を行っても現地指揮官は処罰されるどころか逆に高く評価されており、この辺は歴史学者らもはっきり指摘しておりますが、結果が良ければ命令違反をしても許されるというジオン軍のジーンみたいな風潮がはびこっていたそうです。実際に南京への進軍は現地派遣軍が勝手に決めて、政府が追認するという有様でした。
そのため、当時の近衛文麿政権は確かに不拡大方針を持っていたかもしれませんが、少なくとも中国現地にいた軍はそうでもなく、攻める口実を待ち構えていたのでは、そしたら蒋介石軍が動いてきたのでよし来たとばかりに動いた、というのが第二次上海事変における日本軍への私の見解です。ただ一点付け加えるとしたら、日本軍としても列強の租界があってある意味戦いづらい上海に対し、こんなに早く中国軍が動いてくるとは予想外だったような気がします。結果的に日本人居留民を危険に晒すことにもなりましたし、多分日本軍は大山中尉の事件から少なくとも一週間くらいは猶予があると思って強気の外交に出たところ、急に攻撃されて慌てたのは事実ではないかと考えています。
自分がこの見解にたどり着いたのは、やはり英語版ウィキペディアを見てからでした。事実関係だけ追ってみてみるとなんか日本軍も中国軍も初めからかなり強気でやる気に見えてきて、お互い先制攻撃を先に受けたと主張しますが、逆を言えばそれだけどっちから攻撃が起こってもおかしくない状況だったわけで、そういう風に考えるとこうなるのではという具合にまとまっていきました。
昨日今日の休日は本当に何もせずにスターウォーズのゲームでジェダイを殺しまくってたので、気力体力ともに現在十分な状態です。さすがに手間のかかるネタだけあっただけにこういう状態じゃないと全く書く気が起きませんでしたが、その甲斐あっていい内容にまとまっているのではと自負します。
早速ですが、事件の経過を私なりに簡単にまとめると以下の通りとなります。なお年代はどれも1937年です。
7/7 盧溝橋事件が勃発。華北地域で日中間の戦闘が始まるが両政府ともに外交は不拡大方針を打ち出し、上海を含む華東地域にまで戦火は広がらなかった。
8/9 当時の虹橋空港周辺で上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が他殺体で発見される。
8/10 日本側は大山中尉の殺害を中国軍衛兵らの待ち伏せによる殺害と主張。中国軍側は大山中尉らが先に発砲したので正当防衛と主張し議論は平行線。ノルウェー総領事アールが各国領事と事件に対する共同会議を設けるべきと主張したが、何故か日本総領事の岡本は当初は拒否し、最終的に承諾。会議で中国軍は上海周辺から全面撤退するべきと主張した。また日本国内の閣議では陸軍の派遣が決定された。
8/11 蒋介石、中国軍の上海への進軍を命令。日本軍は海軍陸戦隊を上陸。
8/12 上海市長、かつて軍事衝突を引き越した前科(第一次上海事変)があるとして日本側の主張に抗議。上海市民は中国軍の治安統治を望んでいると主張。日中間の事件を巡る交渉は引き続き行われた。
8/13 虹口区で戦闘が開始。日本語ウィキペディアでは午前10時半頃に中国側から、百度百科では時間は記載せず日本側から攻撃を仕掛けてきたと記載。英語版ウィキペディアでは9時頃に中国側から攻撃開始と記載。(注:2018年7月現在、百度百科では「日本側から攻撃を仕掛けてきた」という記述はみられない。記事執筆時の誤読もしく削除された可能性あり)
8/14 中国軍機による市外への誤爆が起こり、民間人約三千人が死傷。また市街地で本格的な戦闘が起こるが、中国軍は兵力で日本の10倍以上と圧倒的に勝っていたものの、火力が致命的なまでに不足し日本軍の防御陣地を攻略できなかった。
8/18 英米仏政府が日中に停戦を呼びかけるが日中共にこれを拒否。
8/23 日本から派遣された軍が上海市北部に上陸。本格的な戦闘が11月まで行われ、両軍ともに激しい消耗戦となる。最終的に日本軍が上海周辺地域を制圧し、そのまま南京へ進軍することとなる。
大雑把にまとめると以上のようになります。日本語版ウィキペディアの記述を引用すると、「日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。」とのことで、決して楽勝な勝利ではなかったことがうかがえます。ただ英語版ウィキペディアにも書かれていましたが中国軍の火力が絶対的に不足していたのは事実なようで、緒戦では日本側の防御陣地が全く攻略できず、緒戦の失敗を蒋介石も後悔していたそうです。
また補足として、この戦闘で中国軍を指揮していたのは蒋介石ですが、その相談役にはドイツから派遣されたゼークト大将、ファルケンハウゼン中将がおり、ドイツ軍が深く介入しております。そもそも蒋介石の精鋭部隊を訓練したのはドイツの将校で、またこの戦闘自体、両者が築いた要塞線に日本軍を引き込んで一網打尽にするという作戦目的があったとも言われております。結果的にはこの要塞線はあっさり突破されたのですが、第一次大戦もあったし、やっぱりこの時はドイツも日本が憎かったんじゃないかと個人的に思います。
そろそろ本題に入りますが、この第二次上海事変は一体日中はどういう目的を持ち、どんな背景で起きたのでしょうか。日本側は「中国がケンカ売ってきた」と言い、中国側は「日本が侵略してきた」とお互いに言い合っており完全に食い違ってます。これはなにも日中だけじゃなくどこの世界も同じでしょうが。私はあくまで一素人であって具体的な検証はやはり歴史学者に任せるべきでしょうが、愚才ながら私の見解を敢えてここで書かせてもらうと、この第二次上海事変は日中両軍が望んだ戦争だと考えております。
まず敢えて中国軍の目的から書いてきますが、中国軍、つまり蒋介石の腹としては華北地域で既に戦闘が始まっており、遅かれ早かれ日本とは全面戦争になると考えてたのだと思います。既に1936年12月に西安事件が起こって共産党との国共合作に動いていましたし、全面戦争になるのが見えているのなら先手を打って主要都市である上海を確保しておく、もしくは上に書いたように要塞線に引き込んで撃破しておこう、というのが私なりの見解です。
さらに付け加えると、当時に数多くの租界があった上海で実際に戦火を起こすことで欧米列強の目を日中戦に向けさせるというのも狙いだったと思います。下手すればわざと大敗して見せることで中国への同情を集めるという腹も持っていたと、可能性レベルなら言ってもいいでしょう。
このように考える根拠としては、既に国共合作に動いており敵は日本ということで方針が決まっていた、華北で戦闘が起こっていた、そして何より最初の大山中尉の殺害事件の後の中国軍の展開の早さの三点が挙がります。
これに対し日本側ですが、さすがに第一次上海事変(日本人僧侶に対し田中隆吉陸軍少佐が暗殺者を仕向け、中国のせいにして攻撃)のように大山中尉らをわざと殺したとは思い辛いですが、何か事が起こればそれを口実に中国への攻撃を開始したいと考えていたような節がある気がします。こう思う根拠として、大山中尉の殺害事件後に頑なに中国軍の全軍撤退を求めるという、殺害事件の処理を巡る外交にしてはかなり強圧的な内容であることと、8月10日の領事会議への参加を当初拒否したという、ちょっとよくわからない姿勢を見せているからです。また中国軍同様、といっても既に展開している中国軍の備えという言い訳は立ちますが、日本側もやけに対応が早いというか軍の派遣を決めるタイミングが機敏だったようにも感じます。軍事に疎いからこの辺どうなのかは断言しかねますが。
また日本軍については明確な前科があります。満州事変にしろ盧溝橋事件にしろ、政府の方針とは逆に現地の軍隊が勝手に攻撃や占領を行っても現地指揮官は処罰されるどころか逆に高く評価されており、この辺は歴史学者らもはっきり指摘しておりますが、結果が良ければ命令違反をしても許されるというジオン軍のジーンみたいな風潮がはびこっていたそうです。実際に南京への進軍は現地派遣軍が勝手に決めて、政府が追認するという有様でした。
そのため、当時の近衛文麿政権は確かに不拡大方針を持っていたかもしれませんが、少なくとも中国現地にいた軍はそうでもなく、攻める口実を待ち構えていたのでは、そしたら蒋介石軍が動いてきたのでよし来たとばかりに動いた、というのが第二次上海事変における日本軍への私の見解です。ただ一点付け加えるとしたら、日本軍としても列強の租界があってある意味戦いづらい上海に対し、こんなに早く中国軍が動いてくるとは予想外だったような気がします。結果的に日本人居留民を危険に晒すことにもなりましたし、多分日本軍は大山中尉の事件から少なくとも一週間くらいは猶予があると思って強気の外交に出たところ、急に攻撃されて慌てたのは事実ではないかと考えています。
自分がこの見解にたどり着いたのは、やはり英語版ウィキペディアを見てからでした。事実関係だけ追ってみてみるとなんか日本軍も中国軍も初めからかなり強気でやる気に見えてきて、お互い先制攻撃を先に受けたと主張しますが、逆を言えばそれだけどっちから攻撃が起こってもおかしくない状況だったわけで、そういう風に考えるとこうなるのではという具合にまとまっていきました。
昨日今日の休日は本当に何もせずにスターウォーズのゲームでジェダイを殺しまくってたので、気力体力ともに現在十分な状態です。さすがに手間のかかるネタだけあっただけにこういう状態じゃないと全く書く気が起きませんでしたが、その甲斐あっていい内容にまとまっているのではと自負します。
2012年6月8日金曜日
第二次上海事変に対する考察 前編
以前に友人の上海人を靖国神社についている博物館に連れて行った際、日中戦争のコーナーで「なんで上海事変の説明がないんだ」ということを言っていました。前からこのブログで書いているように日本史においては絶対の自信を持っている上に日中戦争に関してはほかの人より詳しいと自負していた私ですが、この言葉を言われた当初は「上海事変ってなんだっけ?」と、パッと内容を思い出すことはありませんでした。それもそのはずというか、上海事変は高校の日本史ではあまり取り扱われません。家に帰ってからいろいろ調べましたが、唯一確認できたのは予備校お手製のテキストにほんのちょっとだけという有様で、これなら自分が知らなくてもしょうがないなと自己満足しました。
その後、ずっと頭に気にかかっていたのでいつかは解説記事を書こうかなと考えていたのですが、先月になってネタ切れに及ぶにつれてようやく決心がつきました。そんなわけでまたネットを使っていろいろ調べていたのですが、調べている最中にいくつか疑問点が出てきたので調べてみると、いろいろと面白いことが互いにわかってきたので、今日はこの辺を一気に解説しようと思います。
まず上海事変とは日中戦争時に起きた上海での日本と中国の軍事衝突事件を指します。この衝突は1932年と1937年の二回あり、前者を第一次上海事変、後者を第二次上海事変と分けておりますが、上海事変ときて一般的に指されるものは日中戦争が本格化するきっかけとなった後者の第二次で、今回解説するのもこちらの方です。
この第二次上海事変がどういったものかを簡単にまとめると、1937年同年7月に起きた盧溝橋事件によって日中間で戦争が開始された後、日中両政府は建前は戦争不拡大方針を打ち出して外交での決着を図っていたのですが、盧溝橋事件から一ヶ月後の8月、日本の水兵が上海市で殺されたことをきっかけに両軍で戦闘が勃発。両政府ともそれまでの外交決着をあきらめ本格的に戦争を遂行する方針に切り替え、日中戦争が本格化する一手となった事件です。
ざっと書くとこれだけなのですが、私がウィキペディアで調べていて少し気になったのはやけに蒋介石の陰謀論が細々書かれていることです。そりゃウィキペディアなんだからあまり期待する方が間違っているものの、なんとなく日本の正当性を主張するかのような文言が目立ったので、それならどうせ中国語も読めるんだし、中国側がどうこの事件を取り扱っているかもこの際調べてみました。
すると面白いことに、ネット上の情報だけですが中国側は中国側で日本が無理な戦闘をけしかけてきたとこっちも正当性を主張している始末でした。中国がまた歴史捏造をしたということに済ませれば楽なことこの上ありませんが、果たして本当にそうなのか。そもそも事件の重大性に比べ日本の取り扱いが小さいことを考えるとそうとも言い切れないんじゃないかと思い、何か調べる方法はといろいろ考えた結果、もう頑張っちゃって英語版のウィキペディアも見比べてみようという結論に至りました。そういうわけで、参考した際とは以下の3サイトです。
・第二次上海事変(ウィキペディア)
・八一三事変(百度百科)
・Battle of Shanghai(Wikipedia)
百度百科というのは中国版ウィキペディアみたいなもんです。なんでここを参照したかというと、第二次上海事件に関して論じる中国の掲示板などで、ほとんどの人がここのサイトから情報を引用していたらからです。あと英語版ウィキペディアの記事についてですが、久々に長い英文を読んだ、しかも一般的でない単語多かったのでなんかしんどかったです。
まず特筆すべき点として、各サイトごとに参戦兵力と損害が異なっており、まとめると以下のようになります。
<参戦兵力>(括弧内は損害)
日本語:日本軍25万人(7万人)、中国軍60万人(15~20万人)
中国語:日本軍28万人(4万人)、中国軍は記載なし
英語:日本軍30万人(9.2万人)、中国軍60万人(33.3万人)
どれも本当に同じ戦闘を扱っているのかと言いたくなるように見事にばらけてます。歴史を一致させるというのは難しいですね。
まず言えることとして、中国のサイトが中国軍の参戦兵力を具体的に書かなかったのは意図的なものでしょう。百度百科以外でも探してみましたが見つからず、恐らくウィキペディアに書かれている60万人という数字が当たりでしょう。何故か書かなかったのかというと、2倍以上の兵力を投入したにもかかわらず負けたという事実を隠したいのと、出来るなら日本が不意打ちして中国軍は少ない兵力で抗戦したが負けてしまったという、中国は被害者という印象を作りたいためだと思います。こんだけネットの発達した時代なのにね。
次に気になった点、というより明確な意図を覚えた点として、中国軍の誤爆事件が百度百科にはやはり書かれていません。戦闘が開始後2日目に中国軍は日本の軍艦へと空爆を仕掛けるのですが、日本側の抵抗などを受けた結果、なんと市内のど真ん中、具体的にいえば現在も上海一の繁華街である南京路に誤爆するというとんでもない大ミスを犯しています。この結果、三千人以上の民間人が死傷しているのですが、日本語と英語のウィキペディアでは数字や場所について一致した記述があるのに対して百度百科は完全スルーです。これは中国贔屓の自分でも、見過ごすことのできない印象操作です。
そしてもうひとつ気になった点、というより三ヶ国語で調べようと思ったきっかけですが、第三国の反応についても三者バラバラです。私が最初日本語のウィキペディアを読んでいて非常に気になった点というのがここなのですが、「海外メディアの反応」というところで、海外メディアは日本側は戦争をギリギリまで回避しようとした、中国が無理に戦闘を仕掛けてきたと報じたと、日本にとって都合のいいところだけを如何にも切り取っているような印象を受けました。
それならばと百度百科はどうか。するとこっちはこっちで、西欧諸国はみんな日本の行動に憂慮したとか、上海にいるジャーナリストらは日本の帝国主義的行動を批判したなどと書いてあります。まぁ多分こうだろうとは思ったけど。
なら最後の砦の英語版ウィキペディアはどうだったのか。多分これが真相だと私は感じるのですが、「列強諸国はヨーロッパ事情に頭がいっぱいで、あまり感心を持たなかった」とのことです。そもそも他国のジャーナリストや新聞がどう報じたかを言い合っても、私はしょうがないと思うのですが。
なんかここまで書くとさも中国がまたねじくれたこと書いてるように思えるかもしれませんが、日本のウィキペディアにも記述が足りないと感じるところがあります。そのヶ所というのも、欧州諸国とは別にまだ余裕のあった米国はこの事件を通して、中国側に接近するようになっております。しかも上海事変後、中国側の提議によって米英を含む九カ国条約加盟国による国際会議が開かれ和平案が検討されますが、この点については日本語ではスルーされてます。まぁ何も決まらなかったのは事実ですが。
既に大分長くなっているので、上海事変の経過と、誰がどういった目的で起こしたかについての見解はまた次回に解説します。
その後、ずっと頭に気にかかっていたのでいつかは解説記事を書こうかなと考えていたのですが、先月になってネタ切れに及ぶにつれてようやく決心がつきました。そんなわけでまたネットを使っていろいろ調べていたのですが、調べている最中にいくつか疑問点が出てきたので調べてみると、いろいろと面白いことが互いにわかってきたので、今日はこの辺を一気に解説しようと思います。
まず上海事変とは日中戦争時に起きた上海での日本と中国の軍事衝突事件を指します。この衝突は1932年と1937年の二回あり、前者を第一次上海事変、後者を第二次上海事変と分けておりますが、上海事変ときて一般的に指されるものは日中戦争が本格化するきっかけとなった後者の第二次で、今回解説するのもこちらの方です。
この第二次上海事変がどういったものかを簡単にまとめると、1937年同年7月に起きた盧溝橋事件によって日中間で戦争が開始された後、日中両政府は建前は戦争不拡大方針を打ち出して外交での決着を図っていたのですが、盧溝橋事件から一ヶ月後の8月、日本の水兵が上海市で殺されたことをきっかけに両軍で戦闘が勃発。両政府ともそれまでの外交決着をあきらめ本格的に戦争を遂行する方針に切り替え、日中戦争が本格化する一手となった事件です。
ざっと書くとこれだけなのですが、私がウィキペディアで調べていて少し気になったのはやけに蒋介石の陰謀論が細々書かれていることです。そりゃウィキペディアなんだからあまり期待する方が間違っているものの、なんとなく日本の正当性を主張するかのような文言が目立ったので、それならどうせ中国語も読めるんだし、中国側がどうこの事件を取り扱っているかもこの際調べてみました。
すると面白いことに、ネット上の情報だけですが中国側は中国側で日本が無理な戦闘をけしかけてきたとこっちも正当性を主張している始末でした。中国がまた歴史捏造をしたということに済ませれば楽なことこの上ありませんが、果たして本当にそうなのか。そもそも事件の重大性に比べ日本の取り扱いが小さいことを考えるとそうとも言い切れないんじゃないかと思い、何か調べる方法はといろいろ考えた結果、もう頑張っちゃって英語版のウィキペディアも見比べてみようという結論に至りました。そういうわけで、参考した際とは以下の3サイトです。
・第二次上海事変(ウィキペディア)
・八一三事変(百度百科)
・Battle of Shanghai(Wikipedia)
百度百科というのは中国版ウィキペディアみたいなもんです。なんでここを参照したかというと、第二次上海事件に関して論じる中国の掲示板などで、ほとんどの人がここのサイトから情報を引用していたらからです。あと英語版ウィキペディアの記事についてですが、久々に長い英文を読んだ、しかも一般的でない単語多かったのでなんかしんどかったです。
まず特筆すべき点として、各サイトごとに参戦兵力と損害が異なっており、まとめると以下のようになります。
<参戦兵力>(括弧内は損害)
日本語:日本軍25万人(7万人)、中国軍60万人(15~20万人)
中国語:日本軍28万人(4万人)、中国軍は記載なし
英語:日本軍30万人(9.2万人)、中国軍60万人(33.3万人)
どれも本当に同じ戦闘を扱っているのかと言いたくなるように見事にばらけてます。歴史を一致させるというのは難しいですね。
まず言えることとして、中国のサイトが中国軍の参戦兵力を具体的に書かなかったのは意図的なものでしょう。百度百科以外でも探してみましたが見つからず、恐らくウィキペディアに書かれている60万人という数字が当たりでしょう。何故か書かなかったのかというと、2倍以上の兵力を投入したにもかかわらず負けたという事実を隠したいのと、出来るなら日本が不意打ちして中国軍は少ない兵力で抗戦したが負けてしまったという、中国は被害者という印象を作りたいためだと思います。こんだけネットの発達した時代なのにね。
次に気になった点、というより明確な意図を覚えた点として、中国軍の誤爆事件が百度百科にはやはり書かれていません。戦闘が開始後2日目に中国軍は日本の軍艦へと空爆を仕掛けるのですが、日本側の抵抗などを受けた結果、なんと市内のど真ん中、具体的にいえば現在も上海一の繁華街である南京路に誤爆するというとんでもない大ミスを犯しています。この結果、三千人以上の民間人が死傷しているのですが、日本語と英語のウィキペディアでは数字や場所について一致した記述があるのに対して百度百科は完全スルーです。これは中国贔屓の自分でも、見過ごすことのできない印象操作です。
そしてもうひとつ気になった点、というより三ヶ国語で調べようと思ったきっかけですが、第三国の反応についても三者バラバラです。私が最初日本語のウィキペディアを読んでいて非常に気になった点というのがここなのですが、「海外メディアの反応」というところで、海外メディアは日本側は戦争をギリギリまで回避しようとした、中国が無理に戦闘を仕掛けてきたと報じたと、日本にとって都合のいいところだけを如何にも切り取っているような印象を受けました。
それならばと百度百科はどうか。するとこっちはこっちで、西欧諸国はみんな日本の行動に憂慮したとか、上海にいるジャーナリストらは日本の帝国主義的行動を批判したなどと書いてあります。まぁ多分こうだろうとは思ったけど。
なら最後の砦の英語版ウィキペディアはどうだったのか。多分これが真相だと私は感じるのですが、「列強諸国はヨーロッパ事情に頭がいっぱいで、あまり感心を持たなかった」とのことです。そもそも他国のジャーナリストや新聞がどう報じたかを言い合っても、私はしょうがないと思うのですが。
なんかここまで書くとさも中国がまたねじくれたこと書いてるように思えるかもしれませんが、日本のウィキペディアにも記述が足りないと感じるところがあります。そのヶ所というのも、欧州諸国とは別にまだ余裕のあった米国はこの事件を通して、中国側に接近するようになっております。しかも上海事変後、中国側の提議によって米英を含む九カ国条約加盟国による国際会議が開かれ和平案が検討されますが、この点については日本語ではスルーされてます。まぁ何も決まらなかったのは事実ですが。
既に大分長くなっているので、上海事変の経過と、誰がどういった目的で起こしたかについての見解はまた次回に解説します。
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