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2015年1月10日土曜日

平成史考察~毎日デイリーニューズWaiWai事件(2008年)

 昨年、朝日新聞が従軍慰安婦を巡る報道で誤報があったこと、またその問題を池上彰氏がコラムに取り上げようとしたところ掲載を見合わせたことについて、編集に問題があったと認めた上、責任を取る形で当時の社長などが退任しました。もっとも報告書は変にぼかして「責任を感じての退任・更迭であって謝罪ではない」と、新聞記者にあるまじき妙な表現でぼかされていましたが。
 実はこの一連の朝日の妙な会見を見ながら私は、かつての毎日新聞の事件と比較する記事はいつごろ出てくるかと、他人には一切話さず虎視眈々と他のメディアの記事を眺めていましたがついぞお目にかかることなく年を空けてしまいました。誰もやらないなら自分がやるというのがモットーであるのと、そろそろ書かないと記憶から薄れるという危惧もあるので今日は久々の平成史考察で2008年に問題が発覚した毎日デイリーニューWaiWaiで起きた異常な記事問題とその後の毎日の無様な対応について取り上げます。

毎日デイリーニューズWaiWai問題(Wikipedia)

 覚えている人はまず皆無でしょうが、実は私は2007年に開設したこのブログでこの事件を当時に取り上げています。当時の記事を読み返すとなんか妙に読者へ語りかけるような文体で書かれてるため自分で読んでてイライラしてきますが冒頭にて、

「こうしてみると問題発覚から実に三ヶ月も過ぎております。光陰矢のごとしとは言いますが、あの頃時事問題として取り上げた記事を再検証にて再び使うことになろうとは三ヶ月前には思いもよりませんでした。」

 ということを書いていますが、まさか七年後にこのネタを掘り返す、しかも平成史という現代史ネタとして自らまた取り上げるなんて当時は夢にも思わなかったでしょう。それにしても、自分のブログも結構年季入ってきたな。

 話は本題に入りますが当時の事件を覚えてない人もいるでしょうから簡単に概要を説明すると、毎日新聞社が運営していた英字ウェブサイトにあったコラム「WaiWai」で長期間に渡り、裏付けの取れない性的で低俗な記事が掲載され続けていました。掲載されていた内容は文字に起こすのも嫌になるくらい汚い内容ばかりで興味のある方はウィキペディアのページに行ってみてもらいたいのですが一つだけ引用すると、「日本の女子高生は刺激のためにノーブラ・ノーパンになる」というのもあったようで、私に限らず日本人からしたら何を以ってこんな嘘を堂々と報じるのかと少なくない怒りを覚えるかと思います。

 このWaiWaiの問題の責任を毎日新聞が認めたのは2008年でしたが、実際にはネット上を中心にそれ以前からこのコラムの異常性、問題性を指摘する声は多数出ており、中には直接毎日新聞社に通知や抗議したもののまともな対応らしい対応はなかったとも聞きます。そうした毎日のまるで他人事のような杜撰な対応に関してはウィキペディアのページに詳しく書かれてありここでは省略しますが、敢えてここで私が槍玉に挙げたいのは問題を認めた後に毎日が行った関係者への処分内容です。

 確信犯で事実とは思えない異常な翻訳記事を書いていたライアン・コネルという記者は懲戒解雇されずに休職三ヶ月となりました。何の確認もなくあくまで私の勘ですが、まだこの人は毎日にいるんじゃないかな。
 そしてデジタルメディアを統括していた朝比奈豊常務(当時)は役員報酬の10%返上という処分を受けましたが、処分が発表された2008年6月27日の二日前の6月25日に毎日新聞社の社長に昇進しており、大きな問題を犯したにもかかわらずまともな処分が行われなかったばかりかまるで意に介さないかのような不可解な人事が取られています。そのほかの処分者に関しても大体似たり寄ったりです。なお朝比奈豊は現在TBSの取締役をしている模様です。

 通常、というかまともな会社なら不祥事を起こした当事者とその監督・責任者は更迭か、場合によっては解雇されるのが普通です。しかし毎日は上記の様に更迭どころか全く逆に昇進させており、誤報が許されないメディア企業としてみると理解のできない人事としか言いようがありません。
 なお日系メディアでこの辺の人事に関して最も厳しいのは共同通信だと断言します。誤報や間違った写真を載せた記者は即刻解雇され、それを見抜けなかった編集長も確実に更迭されます。実はそういう経緯で更迭されたばかりの編集長が自分の上司になったことがあったのですが、「なんでこんな立派な人が本人ではなく部下のミスで飛ばさなければいけないんだろう?」と思うくらいしっかりした人だったもので、共同通信は恐ろしいけど確かに凄い所だと畏敬の念を覚えました。それにしても自分も妙な体験多いな。

 話しは戻しますが、変な言い方となるものの上記の毎日の対応と比べるならまだ朝日の対応というか処分はまともだったなという気がします。もっとも朝日に対しても「あくまで謝罪ではない」など妙な言い訳したり、会見では池上氏のコラム不掲載について、「現場の編集長の判断」と説明したところ実際には社長の関与があったなどの点で強い不誠実さを覚えますが、何が問題なのかと言わんばかりの毎日のイカれた対応と比べれば非常にかわいいものです。

 ここだけの話、以前から私は毎日の記事を見ていてガバナンスの欠如というか、メディアとしてまともな会社じゃないという評価をしていました。というのも常軌を逸しているとしか思えない記事が普通に紙面に載っかって来ることが多く、いくつか例を出すとこのページにも紹介されていますが、2012年には満開の桜の写真と共に花見客が多いという記事が載せられましたが、実はこの桜の木は前年に台風で折れており、折れる以前に撮った写真をそのまま流用して存在もしない桜の木を取り上げていました。
 また2005年に起きた「JR羽越本線脱線事故」では、現場関係者や航空・鉄道事故調査委員会が脱線は予想のできない突風によるもので予見は不可能だという意見を出す中、この事件を取り上げた毎日の社説では、「この路線を何度も運転している運転士ならば、風の音を聞き、風の息遣いを感じられたはずだ」と書かれてあり、まるで運転士のミスであるかのように主張しています。風の息遣いを感じられるだなんて、書いた奴はゲームかなんかのやり過ぎじゃないのか。

 どちらの記事も掲載前の編集段階でどうしてストップをかけられなかったのか、載せたらまずいとどうして思えなかったのかが自分には不思議でしょうがありません。そう思えるほどに毎日の編集部はガバナンスがまるで聞いておらず、少なくとも朝日新聞を批判するような立場ではないでしょう。

毎日新聞秋田版がおわび掲載 「テカテカ光った自民県連幹部」問題(産経新聞)

 などという記事を用意していたら、またも毎日がガバナンスが効いていないことを証明するかのようなとんでもない誤報記事を掲載していたというニュースが入ってきました。この記事の文章も下品極まりないし編集は何を見てこんな汚い文章を紙面に載せるのか、もはやレベルが低いとかいう問題ではないでしょう。毎日はバイトにでも記事を書かせているのか、はたまた記者がバイトレベルなのかのどっちかであるというのが私の意見です。

フォントサイズの変更

 いつもこのブログを見に来られている方々にはすぐわかったかもしれませんが、文字フォントを一回り大きくしてみました。大きくした理由はやはりスマホなどの普及によってパソコン用モニターで見ない人からすると以前の文字サイズだときついのではないかと前々から思っていたからです。

 逆を言えば何故今まで多分普通のブログにしては割合小さいフォントサイズでこのブログを運営してきたのかというと、私の記事はどれも比較的文量が長く、なるべく一目で多くの文字数を見られるような構成にした方が私個人にとっては読みやすいように思えたからです。しかし技術の発達によって心霊写真がめっきり減ったように、このような小さいフォントサイズをいつまでも拘泥して維持し続けるべきかというのは難しい所で、思い切って今回大きくしてみました。

 といっても今後しばらく様子を見て、やっぱり具合が悪かったらまた小さいサイズに戻そうかなとも考えています。とりあえずは久々のレイアウト更新なので、何も言わないよりかは一言書こうと思った次第です。

2015年1月9日金曜日

抱えている案件

 前回前々回と林原という会社の破綻劇をテーマにした記事を上辞しましたが、どちらもそこそこ長い文量になって書き終えた後はけだるいような脱力感を覚えました。なもんだからどれくらいの文字数で書いたのかカウントしてみたところ二本合わせてちょうど一万字ちょっとで、四百字詰め原稿用紙換算で25枚という文量でした。15歳の頃は改行の多い小説とはいえほぼ毎日20枚以上書いていたことを考えるとこの程度で音を上げるようになったのは我ながら情けない限りです。

 話は変わりますがこの林原の記事は実は三ヶ月前の去年十月の時点から書くことを決めていました。逆を言えば書くまでにどうして三ヶ月もかかったのかですが、大まかなネタと話の内容自体は理解していながらも最低でも当事者の本を一冊読んでから書くべきだと思い、電子書籍でも読める兄貴の方の本を読もうと考えました。
 しかしこのところ読書時間が極端に少なくなっている上に山田風太郎の戦中日記が異常に長い分量であったためなかなか読み終わらず、つい先週に戦中日記を読み終えたことによって林原の本も読むことができ、ようやく執筆へと至れたわけです。

 この林原に限らず、書こう書こうと思いつつもなかなか執筆までにいたれないネタを常に多数抱えているのが現状です。なんでそうなるのかというと日々ほかのネタを書いたり、書くに当たって資料とかを多少なりともチェックしていたり、テンションが上がらずついつい先延ばしになってたりと理由は様々です。なので今日は自分の備忘録を兼ねて今抱えている案件というか書こうとしているネタを下記にまとめてみました。

・企業居点の精密機械企業のアップロード
 これはこっちのブログじゃないですが姉妹サイトの「企業居点」の方でこちらもまたつい先日、ようやく昨年中に調べ上げた日系企業の海外拠点データを全てアップロードすることに成功しました。その拠点数、実に一万八千件強。
 今後はまた拠点を調べつつアップロードする予定ですがまずは手薄な精密機械系企業をアップする予定で、明日から早速取り掛かる予定です。早ければ二週間程度で終わるかもしれませんが、遅れればまた一ヶ月とかかかりそう。

・???の再調査
 こちらはほぼ確実に一ヶ月以内に取り掛かり、このブログにアップするネタです。去年はなんだかんだ言って気持ちと暮らしと生活に余裕が出た甲斐あって実際に統計やらを調査する記事を数多くアップしてそこそこいい反応も得られました。近々去年やった一つの調査物のアップグレードに挑戦するつもりですが、調査サンプル数は多分200件を超すからストレスたまってきたらまた物への八つ当たり始めるだろうな。

・日米のヒーローの比較
 ネタはもう固まっておりあとはもう書くだけ。いつ書いても鮮度が落ちないから先延ばしされやすいネタです。

・平成史考察で2008年に起きたある事件
 これは火鍋でお腹を壊さない(一昨日の出来事)限りは明日にでも書きます。これは鮮度が命だからもう待ってらんない。そんなん言うなら思いついた一ヶ月前に書けよと自分でも思います。

・同族企業の類型比較
 友人に薦められて自分でも面白そうだと思うテーマです。しっかり書けば社会学の論文としても十分な内容に仕上げられるでしょうが、資料が手に入り辛い中国で書くとなるといつになることやら。

・戦前の女性経営者ネタ
 友人の、「マッサンに続け!」の一言で始動したタイトル。そもそもネタになる女性自体が少ないので多少の軌道修正もやむを得ないか、ってか本気でどこまで書けるかかなり不安。

・創業家列伝
 かなり放置しているけどまだまだ書きたい人はたくさん。鮎川義介当たりパッと書こうかな、ほかには樫尾四兄弟も悪くないけど。

・ディアドコイ継承戦争
 どっかの漫画の連載が遅いからもう先を調べちゃった的な歴史ネタ。書いてもいいけど西洋史ネタってあんまり反応良くないし、ほかにも詳しい人いるだろうから多分没にするでしょう。

・中華民国北伐史
 全く手垢のついていない超面白い中国史ネタ。手垢がついて無さすぎて逆に理解・整理するのに苦しんでるので詳しい人がいたらむしろ自分に講義してほしいくらいですが、持ち前のフロンティアスピリッツを発揮して自分が手掛けようかなと考えてるネタです。やるからには相当なガッツとテンションいるから実現は三ヶ月くらい先かも。

・戦争体験者らが主張した科学的教育とは
 山田風太郎の日記ネタですが、案外重要なテーマかもしれません。中身がまだまとまってないからうまく説明できないけど。

・中国の汚職摘発状況
 時事ネタですが日本で見る限りだとほとんど注目もされていないしきちんとした解説も出ていないのでやる価値は高いです。書こうと思えばすぐ書けるけど、それが故に先延ばしになってしまうネタです。あと書くに当たって、「くっ、ガッツが足りない」(キャプテン翼)となるようなやや気力のいる記事ネタってのもあります。

・キリスト教の宗教改革とマルティン・ルター
 ちょっと興味を覚えて書いてみたいテーマ。

・グローカリゼーションの研究
 このまえぶち上げたオリジナルな経済概念のため、より具体化させるために実際例などをいくつか整理した上で研究を深めたいです。いくつか材料もあってすぐ書くこともできますが、なるべく誰か使って弁証法よろしく議論して内容を洗練させた上で書きたいテーマです。

 改めてまとめてみて思うこととしては、日本史ネタが今一本もないってことです。日本史に関しては書きたいネタはほぼ書き尽くした感もあり、どちらかというと書くネタが思い浮かばない時に間に合わせで書くことも多くなっています。だから砂金やたらと西洋史ネタに力入れるんだろうな。
 なおここだけの話、二次大戦下のフィンランドはなかなか反応が良かったですがロシアのラストエンペラーの記事は誰も話題に挙げてくれないほど不評でした。これだからロシアは駄目なんだよと一人で愚痴ってます。

2015年1月8日木曜日

林原家の兄弟

 先日の記事で私は、独自技術や特許を多数保有し実力派中小企業として評判の高かった化学原料メーカー、林原が経営破綻に至った経緯についてまとめました。本当に破綻する直前まで下手な大企業を凌ぐほど超優良企業と目されていた林原の突然の結末は非常にドラマチックであり話を追うだけでも面白く、そこそこ長い経緯を一つの記事にまとめるのは非常に難作業で書き終えた後はそれこそ魂を抜かれるくらいの脱力感に襲われましたが、我ながら前の記事はいい出来だと自負しております。
 ただこの林原の話、そもそもなんで私が興味を持ったのかと言うと友人から、「あそこの元社長はガチで霊が見えるらしい」と聞いたことがきっかけでした。実際、曲者ぞろいの同族企業家の中でもここの林原家は元社長の林原健氏を含めかなり面白い人ばかりだったので、前回が破綻の経緯だったのに対し今日は林原家という一族について記事を書きます。それにしても、最近の自分はほんとによく働くなぁ。

 早速社長の林原健氏について書きますが件の霊が見える件についてはその著書の「林原家 同族経営への警鐘」において、

「浮世離れついでに言えば、私には霊が見える。どのように見えるかというと、ブルース・ウィルス主演のハリウッド映画『シックス・センス』をイメージしてもらえばいい。街中のいたるところで、死んだ方たちが私の前に現れる」

 という具合で、前振りもなく突然スピリチュアルな内容について話し出してきます。その健氏によると子供の頃は周りにも霊が見えることを言ったりしてたそうですが気味悪がられるため途中からは全く言わなくなり、お坊さんに相談して霊が見えなくなるお経を教わって唱えたら一時的に見えなくなるものしばらくしたらまたぶり返すのでこっちも途中でやめちゃったそうです。っていうか、会社が破綻するまでの経緯も面白いけどこっちの方もかなり気になるからもう一冊本書いてくれないかな。
 そんな耳なし芳一も真っ青な健氏ですが、霊が見える特異体質もさることながらその人生は一般人と一線を画す、というよりもいろんな次元を超えていると言っていいほどかなり激しいものです。

 健氏は先代の社長であり戦後の復興期に会社を日本一の水飴メーカーに成長させた父、一郎の後継者として育てられましたが、林原家では「元武士の商家」という特別な矜持があり、江戸時代の長男よろしく一番上の男の子はかなり大事に育てられてきたそうです。ただ父の一郎はワンマン社長さながらの短気な性格だったこともあり教育において暴力を振るうことも多く、そんな父親に対抗するため健氏は自ら空手を始めたと述べています。
 なお余談ですが林原家は元々岡山を治めていた池田家の武士だったものの、池田家が鳥取に転封する際に希望退職者を募集した所、「お家のために」と自ら武士の身分を捨て、以後は池田家の御用商人としてやっていった家だそうです。

 健氏は父親から会社の跡取りとして育てられたものの本人は学問分野への興味が強く、会社経営者よりも研究者になりたいとずっと考えていたそうです。しかし健氏が慶応大学の学生だった頃、父の一郎が突然病気で亡くなったため自分の意に反しわずか19歳で林原の社長に就任することとなります。
 社長とはなったものの大学を卒業するまでは重役たちが切り盛りし、卒業後から正式に社長として勤務を始めた健氏ですが、当時の日本では米国からの粗糖輸入が自由化されたため水飴メーカーだった林原を含め業界は不景気そのもので、経営状態は決して良くなかったそうです。そこで健氏は二年かけて会社の新たな道を模索し、最終的に全社員の前で、「今後は化学原料メーカーとして転身を図る」と宣言しました。

 常識的な思考で物を言うならば、もしその場にいたらこの時の健氏に対して、「何馬鹿なこと言ってるんだこのボウズは」と、私も思ったことでしょう。実際、この宣言を受けて林原では全従業員の約半数にあたる300人近くが退職したそうですが、そのような逆風にも負けず林原は世界で初めて「マルトース」という原料の量産化に成功し、傾きかけていた会社を一気に立て直した上で独自技術を持つ「オンリーワン企業」としての第一歩を歩みます。
 その後も健氏は本人が研究部門をリードする形で独自開発、独自技術にこだわり、次々と成果を出して会社を盛り立てていきます。研究対象には敢えて長期の研究が必要なテーマを選び、そのような林原の経営姿勢について健氏は、大企業は短期で利益を追うから成果が出るまで十年以上かかるよう長期的な研究はできず、オーナーシップの強い同族企業だからこそこのような経営が出来たと同族企業ならではの強みを説明しています。この意見に関しては自分も同感で、同族企業のメリットとしてみても全く問題ないと思います。

 そんな健氏に対し経営破綻時に専務を務めていた五歳下の弟、林原靖氏は兄曰く、「真逆の性格」で、営業向きな社交的な性格で兄に続いて林原に入社して以降は一貫して経理・営業畑を歩み、ひたすら研究に没頭したい兄の足りない部分を互いに補うようにして二人三脚で会社を引っ張っていきました。弟について健氏は銀行との折衝を含めた営業・経理面は信頼できるほど実力が高かった上、実弟という条件から安心して会社の金庫番というか背中を任せることができたと語っています。テレビの「カンブリア宮殿」に出た際などは兄弟揃っての出演し、傍目には理想の兄弟みたいに映っていたかもしれません。

 しかし前回記事でも書いたように、バブル崩壊を受けて債務超過状態となった林原では弟の靖氏を中心に不正経理へと手を染めていきます。しかも「トレハロース」、「インターフェロン」を始めとした世界シェアナンバーワンの商品を多数抱えながらも本業の儲けは周囲が思うほど、さらには社長である健氏が思っていたほど大きくはなく、結局最後まで嘘を貫き通せぬままに不正が発覚した後の林原はあっけないほど短い間に破綻する羽目となります。

 破綻に至った経緯で健氏は、自分でほとんど財務状況を確認しないまま青天井で研究費をつぎ込み続けたことは経営者として失格であったとした上で、多少の借入金があったとしても保有する広大な土地を始めとする資産を売却すれば何とかなるという甘い考えがあったと述べています。また債務超過であることを知りながら兄の要求するままに研究費を捻出し続けた弟については一言、「弟にとって自分は逆らことのできない存在だったのだろう」とまとめています。
 初めにも書いた通りに林原家では兄を立てるという強い家風があり、健氏は弟をいじめることがあっても両親からは特に注意されなかったそうです。また成人後も社長就任直後で混乱する本社の様子を見せたくないがために弟には最初、関東など遠隔地で営業をやらせたり、骨肉の争いを避けるために将来は二人で会社を分割する方針も話していて、こうした行為が弟に疎外感を与え兄弟でありながらコミュニケーションの少ない関係を作っていたのかもしれないと反省の弁を述べています。そのため弟が不正経理に走ったのも、健氏は自分に多少なりとも責任があるとも認めています。

 この二人の兄弟のちょっと変わった関係ですが、健氏の言う通り家風などももちろん影響したでしょうが私が思うにそれ以上に、健氏が次男で靖氏が四男だったということの方が大きく影響していると思います。
 実は林原家には健氏の上に長男がいたのですがこちらは赤子の頃に夭折し、実質的に健氏は次男でありながら長男として育てられていました。そして健氏と靖氏の間にもう一人三男がおり、健氏によると非常に社交的で女性からもよくもて、兄の目から見ても気の置けないいい弟だったそうです。

 健氏は父親から会社を継ぐよう求められていたものの本人は全くその気はなかったことを述べましたが、健氏が高校生だった頃にこの三男に、「自分の代わりに会社を継いでくれ」と話したことがあり、三男も二言返事で承諾していたそうです。そのため父の急死によってやむなく社長職を継いだ健氏でしたが、弟が大学を卒業したらすぐに自分は社長職を譲り天文学者になるという夢を持っていたそうです。
 しかし不幸なことにこの三男は米国の大学に留学中、バイク事故で急逝してしまいます。事故直後に健氏は母親と共に三男が入院している病院を訪れ弟の死に目を看取りましたが、その際には弟が会社を継いでくれるという希望が打ち砕かれ本当に強い絶望感を覚えたと述べています。

 たまたまですが自分と同い年で仲のいい友人に三人兄弟なのが二人おり、片方は長男でもう片方は次男です。長男の方はそいつの弟の次男とも面識があるのですが、やはり話していて長男は次男についてあれこれ言及することはあっても三男への言及が極端に少なかった印象を覚えます。一方、次男の方は兄、弟それぞれについて事ある毎に話し、「兄ちゃんにはええ加減な所もあるけどよう面倒みてくれた」、「弟はかわいいんやけどなんかあいつには身長、成績を含め追い越されたくはないわ」、なんて聞き、同じ三兄弟でもどの位置にいるかでやっぱり交流する相手は変わってくるなという風に思いました。

 思うに林原家の三兄弟においては、なまじっか周囲からも強く期待されていた真ん中の三男坊がいたせいで、次男の健氏と四男の靖氏は兄弟といえども、間にぽっかり穴が空いてるような余所余所しさの感じる関係になったのかもしれません。その為に兄と弟で強力な従属関係ができてしまい、破綻の憂き目を見ることとなったのではと邪推します。

 最後に破綻後の調査委員会の報告によると、破綻の時点で健氏と彼の資産管理会社は林原本体から約16億円の負債があり、その額を聞いた本人もその時まで会社の金をそこまで引き出していたことを知らず、空いた口が塞がらなかったそうです。また靖氏も自分が保有する会社などに林原本体から合計数十億円単位の貸付金を出させて自分の事業に使ってた上、どうも母親名義でも会社から金を出させて(約13億円)使っていたようです。
 二人の母親は会社の破綻前から寝たきりで、破綻から一ヶ月後にその事実を知らないまま逝去されたそうです。健氏によると靖氏と最後に会ったのは母の逝去直前の病院だったらしく、その際に健氏は、

「おまえが会社にしたことは許してもいいと思っている。社長として私が至らなかった面も大きいからだ。けれどおまえが母さんを借金まみれにしたことだけは許すわけにはいかない。母さんの葬式も、一部の親戚に限定した家族葬にしようと思っている。親戚の前に顔を出したらやり玉に挙げられるから、おまえは来ないほうがいいだろう。いいか、今後一切、おまえと仕事をすることはない。会うこともない」

 と述べ、弟と決別したことが書かかれてあります。

 この記事の見出しは当初、「林原家の面々」で岡山一の甘党だったおじさんとかについても書くつもりでしたが主旨に合わないと判断し、林原兄弟に焦点を絞り「林原家の兄弟」という見出しに変えました。


  

2015年1月6日火曜日

林原の破綻を巡る経緯

 トレハロースインターフェロンという名前をどういうものかは具体的にわからないまでも耳にしたことがあるのではないかと思います。両者ともに糖質物質の名前で、前者は主に食品の甘味料として使われ、後者は主に医薬品として抗がん剤などに用いられています。
 この両物質の安価な量産法を確立したのはほかならぬ日系企業で、岡山県にある「林原」という会社でした。自らの技術開発によって量産法を確立したこともありこの二つの物質で林原は世界シェアをほぼ独占するような地位を築くなど岡山県を代表する会社でしたが、2011年に債務超過により経営破綻し、化学品専門商社の長瀬産業によって買収され現在に至っております。

 先日、私の知恵袋的友人から林原の破綻当時の社長であった林原健氏が出した「林原家~同族経営への警鐘」という本が面白いと推薦を受けて試しに読んでみたところ、これがなかなか面白く、非上場のオーナー企業であり独自技術を持つ超優良と思われた会社が破綻に至るまでの経緯は下手な小説よりずっとドラマチックでした。そこで今日はこの林原が破綻するまでの経緯と、林原健氏の書籍を読んで「ん?」と思った点を私なりに紹介しようと思います。
 書く前の段階ですが、詳細にやると文章長くなるし、かといって短くすると面白味が欠けるし、ほんのり気分が憂鬱です。可能な限り文字量を圧縮して伝えなきゃいけないから、腕の見せどころではあるけど。

<林原について>
 まず破綻前の林原についてですが、一般人を含めて超優良企業と誰もが目していた会社でした。独自技術によって世界シェアを独占する商品や生産特許を多数保有していただけでなく地元岡山県を中心に多数の優良不動産、岡山駅前の広大な土地や京都センチュリーホテルなど知名度の高い物も多く保有しており、見方によっては下手な大企業よりも実力も価値もある会社という風に見られていたと思います。多くの経済メディアも同じような視点だったようで、在任中に林原健氏は日経新聞の名物コラム「私の履歴書」に出ただけでなくテレ東の「カンブリア宮殿」にも実弟であり専務の林原靖氏と一緒に出演するなど、カリスマ経営者として高い知名度を持っておりました。

 それほどまでに優良視されていた林原は何故破綻したのか。先日にこの林原の話を大学の先輩に振ってみたところ、「知ってるよ。バブル期の不動産投資に失敗したんだろ。本業は順調だったのにさ」という答えが返ってきました。細かい数字を精査していない段階ではありますが、この先輩の見方は全く的外れでないものの、実態とは異なっているというか逆だと私は考えています。
 というのも林原の破綻後に行われた債務整理で、元社長の林原健氏の私財投入などもありましたが保有している土地や株式などの資産を売却したことによって抱えていた債務(=借金)の弁済率は93%を達成、つまり93%の借金を返すことに成功しているのです。通常の破綻後の債務整理だと弁済率は約10%程度とされるだけに、保有していた不動産などの資産が「不良債権」だったとは少なくとも言えないと思えます。

<破綻の原因>
 では何故林原は破綻したのか。結論から言えば放漫ともいえる研究費の支出と、本業ともいえるインターフェロンをはじめとする化学物質の販売が非常に悪かったこと、そして何よりも不正経理が発覚したためでした。

 順を追って書いていくと研究費については兄であり社長である林原健氏が全く金に糸目をつけず実験に必要な機器を研究員が要望するままに調達し、林原健氏自身も研究員に対して、「もっと高い機器を申請しろ」と発破をかけてたそうです。そうした購入申請に対して金庫番たる林原靖氏は兄の言うことに逆らえず、本業でほとんど利益が出ておらず流動資金にも事欠く状況でありながら言われるがままに研究費を支出し続けていました。

 次に本業の儲けについてですが、確かにインターフェロンは抗がん剤にも使われるなど用途がはっきりあり、なおかつ林原が世界シェアでトップとなる看板商品でしたが、弟の林原靖氏の著書「破綻 バイオ企業・林原の真実」によると、インターフェロン生産のために建設した吉備製薬工場の稼働率は2割を越えたことがなく、インターフェロン事業は赤字も赤字の大赤字で破綻の最大原因になったとまで言及しています。そのほかの物質の事業も大体そんな具合で、世界シェアこそ高かったものの営業利益で見たらそこまで会社を牽引する売上げではなかったそうです。

 そのように本業が駄目だったにもかかわらず膨大な研究費を林原はどうして支出し続けたのか。これには理由が三つあり、一つ目は兄の健氏の要求に弟の靖氏が逆らえなかったこと。二つ目は社長の健氏が研究者肌で経営には全く興味がなく、現状の売上げや純利益にも目もくれず経営状況を全くと言っていいほど省みなかったこと。三つ目は専務の靖氏が金策に走る傍らで不正経理に手を染めていたにもかかわらず、社長の健氏は不正経理の事実を全く知らず自社の経営状況がひっ迫していることに最後まで気付かなかったためでした。

<不正経理>
 林原の不正経理自体は破綻のずっと前、バブル崩壊の頃から始まっていたそうです。土地などの資産を多数持っていた林原はバブル崩壊の以前と以後で保有資産の価値が約1兆円から約1000億円と十分の一まで目減りし、この時から既に債務超過に至ってたそうです。当時から経理業務を担っていた靖氏は周囲のごく近しいメンバーとともに架空売り上げや付け替えといった錬金術によって銀行向けに見栄えのいい決算資料を作成し、そうした行為が破綻の直前に至るまで常態化していました。
 一方で社長の健氏は弟の手によって不正経理が行われているなんて全く知らず、自分が主導している研究が着実に成果を出し会社を潤わせていると信じ続け、「自分の経営方針は間違ってない」とばかりに高額な研究へどんどんとのめり込んでいったそうです。また靖氏もそんな兄に対し、世界的に評価される研究実績を確かに出していたこともあってか本当の台所事情を明かさず、兄が要求するままに研究費を調達することに明け暮れていました。

<不正発覚から破綻まで>
 2010年12月、社長の健氏は専務の靖氏からメインバンクの中国銀行から呼び出しを受けたと連絡を受けます。通常、銀行側から林原本社へやってくることが常だっただけにこの時点で健氏は奇妙に感じていたそうですが、靖氏共に実際に訪問するとサブバンクの住友信託銀行の人間もおり、林原が不正経理をしているという事実を明かされます。
 一体何故発覚したのかというと以前から両行は林原の財務状況に疑問を感じていたそうで、二行だけで提出されている財務資料を付き合わせてみたところ案の定差異が見つかったわけです。不正の事実を告げられたものの健氏は財務は弟に任せていただけに全くの寝耳に水でしたが、靖氏はその場で不正経理をしていたことを認めたため動揺しつつも事後策を練ることとなりました。

 林原健氏、靖氏、そして中国銀行と住友信託銀行は当初、ADRという民事再生法によって致命的な破綻を避ける方向で臨むことを決めました。民事再生法とは言うなれば債権と債務を持つ者同士で話し合って一部債務を放棄する代わりに会社を存続させる、裁判で言うなら「和解」のようなものです。ただこの民事再生法を成立させるには関係する当事者すべての同意が必要で、林原は両行を含め計28行の金融機関と取引があったため初めから困難な交渉になると予想されました。
 案の定というか内密に取引銀行関係者のみを集めた最初の会合は紛糾し、特に債務超過の事実に先に気がついていた中国銀行と住友信託銀行が林原の保有資産に対し抜け駆け的に抵当権を設定(担保を取る)していたため、他の取引銀行からは平等ではないなどと批判が集まり合意を得るどころではなかったそうです。補足的に説明しておくと、抵当権があると林原が破綻したとしても二行はほぼ確実に債権を回収できますが、ほかの銀行はその割りを食って回収できる債権が目減りするためみんな怒ったわけです。

 このように一回目の会合は不調に終わり二回目の会合はどうなることやらと思っていたら、本来秘密にしていなければならないこの会合と、林原がADRに動いているということがメディアによって報じられてしまいます。情報の遅漏元はこの時の銀行関係者なのか林原の内部からなのか未だ明らかになっていませんが、「林原が倒産間際」と報じられたことによって林原の原料仕入れ先や販売先には動揺が走り、仕入れ先の中には即日取引を停止するところも現れたそうです。

<突然の会社更生法申請>
 このようなドタバタな状況の中で開かれた第二回の会合ですが依然として住友信託銀行とほかの銀行間の対立は収まらず全く合意が得られないままだった最中、ある銀行関係者が突然立ち上がり、こう言い放ちました。

「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」

 その場にいた靖氏によるとこの発言によって会場は大混乱となり、悲鳴や怒号が鳴り響く中でADRは不成立という結論に至ったそうです。
 補足説明をすると、ADRが「民事再生手続き」であるのに対し会社更生法は「法的再生手続き」となります。前者は関係者同士が話し合ってある程度自由な形で債務の減免や資産の処理などが行えますが、後者は法律の規定に則りルールに従って債権の処理が行われます。まぁ端的に言えば、銀行関係者としては前者の方がありがたかったと理解してもらえばOKです。

 靖氏は会社更生法を申請をするなんてこの時全く知らなかったそうで、顧問を請け負っていた西村あさひ法律事務所がADRが不成立に終わると見て、抜け駆け的に行った行為だったと述べています。その上で破綻処理に伴う顧問料や資産売却に関する仲介料などを目的に行った、いわば破綻処理ビジネスのため意図的に林原を倒産させたのではと著書で指摘しております。その後の弁済率が93%だったことを考えると、全く考えられなくはないねと私も思いますが。

 こうして林原は不正経理が発覚してからわずか二ヶ月後の2011年2月、会社更生法の手続き開始によって正式に経営破綻することとなりました。

<両者意見の食い違い>
 上記の会社更生法の申請に至るまでの過程は林原のウィキペディアのページの情報、そのネタ元である靖氏の著書「破綻 バイオ企業・林原の真実」を下地にして書いております。まぁ読んでてなかなか面白い展開だと思うしPwCが出てくるなど陰謀論的な推理は思わず引き込まれます。しかし、これが兄の健氏の著書「林原家~同族経営への警鐘」を読むとこの場面について異なる内容が書かれてあり、一言で言って強い違和感を覚えました。

 先に書いておきますが健氏の「林原家~同族経営への警鐘」は今日1日で読みましたが、靖氏の「破綻 バイオ企業・林原の真実」はKindleで売っておらず、生憎まだ読んでおりません。中国にいるがゆえのハンデと思いウィキペディアの記述を信じてこのまま書き続けますが、健氏はその著書でこの時の状況について以下の様に書いております。

 私はすぐにADRの担当弁護士に来てもらった。
「ADR申請を取り下げ、会社更生法に切り替えてください」

 前後の記述を読むと、健氏はADRに関する報道が出たことによって納入を停止する仕入れ先も現れ、そうなると林原の製品を原料に使っている業者に大きな影響が出ると考え、混乱を早期に収めるためにも会社更生法の申請を決断したと書いてあります。なおその日程は2月2日で、靖氏の著書にある「第2回ADR債権者会議」が行われていた日程と確かに一致するものの、健氏の著書では、

「ADRの第1回債権者会議が予定されていた日、林原はADRを取り下げると同時に、会社更生法の適用を申請し、私と弟は職を辞した。」

 と書かれてあり、第1回か第2回なのか、なんかちぐはぐな印象を受けます。
 もっともそれ以上に健氏は会社更生法の申請を自ら決断したと書いてあるのに対し、靖氏は顧問弁護士事務所が勝手に行ったことで自分は知らなかったと書いてあり、両者で内容が一致しません。となるとどっちかが自分の著書で嘘を書いていることとなるわけですが、さすがにその現場にいたわけでもないし資料も手元に少ないことから私には判断できません。ただ一つだけ言えることは、健氏はその著書の中で申請を決断したことを弟に伝えたということは書いていません。
 結構気になる点だというのに、日経ビジネスの記者はわざわざ健氏にインタビューしておりながらこの点を突っこんでいません。ここが一番肝心だと思うんだけどなぁ。

 と、非常に長く書いてて自分ももうへとへとなのですが、そもそもなんで林原というか健氏の著書を手に取ろうと思ったのかそのきっかけはというと最初に書いたように友人の推薦からでしたが、その推薦を受けた時の会話は以下のようなものでした。

「つうか、霊感のある経営者とかおらんのかな?」
「いるよ」

 と言って友人が紹介してきたのが「林原家~同族経営への警鐘」でした。実際に友人が言う通りにこの本の中で健氏は、「子供の頃から霊が見えていた」と普通に書いており、ビジネス本かと思いきやいきなりスピリチュアルな世界に突入するなどかなり個性の強い人のようです。このほかにも健氏というか林原家の面々は面白い人が多いので、兄弟間の関係を含め続きはまた今度書きます。今日ちょっとあまりにも長く書いたからしばらくは呼吸置きたいけど。


 

中国の先生に対する付け届け

 今日は気温が上がって日中は20度近くにまで上がっただけあって夜もやけにあったかく今窓を開けながら記事書いてます。夜風が素晴らしく気持ちいい。
 ただ久々に気温が上がったせいか非常に強い眠気も覚えてて、もう記事書かずに寝ちゃおうかな(8時くらいに)なんて思ったりしましたが、二日休むのは本意ではないので頑張って書きます。ちなみに中国の仕事始めは昨日4日日曜からなので、連休明けのストレスは日本人と比べて現在低いことでしょう。

 そういうわけで話は本題に入りますが、めったにないけど自分が日本に一時帰国する際、会社の中国人同僚からあれこれ日本で買ってきてほしいものを依頼されます。購入代金は人民元で直接自分がその同僚から受け取って、購入する品物はあらかじめアマゾンで購入し自宅へと送っておき、中国に帰る際に持って帰るというのが通常の算段なのですが、その買ってきてほしい品物というのがちょっと妙なものが多かったりします。

 依頼をするのは子持ち女性の同僚が多いのですが、子供用のJINSのメガネなどはまだ理解できるものの、アメリカ製の妙な栄養剤とか小さい電気マッサージ器、美顔用の家電とかなんかいまいち用途のわからないものがこれまで多かったです。そこでこの前、「これ何に使うの?」と聞いてみたところ、「子供の教師への付け届けに使う」という思わぬ答えが返ってきました。
 なんでもアメリカ製の妙な栄養剤は最初病気の母親に使ったそうですが、少し余ったのを子供の教師に挙げたら「もっとくれ!」と要望があり、それでまた今度買ってきてほしいと言ってきたわけです。美顔用の家電なども同様に先生への付け届けに使ったそうで、その同僚によると、「こうした付け届けは非常に金がかかる」とのことです。

 では何故付け届けをするのか。単純に言って一種の賄賂です。

 これは何もその同僚から話を聞く前にも数多くの子供を持つ中国人から聞いていたことですが、中国では中学、高校はおろか、小学校どころではなく幼稚園の先生にも何か理由つけて贈り物をしないとその親の子供を授業とかで無視するらしいです。しかもこの要求はかなり具体的で、「あんたの所からは500元の贈り物しか受け取ってないが1500元に達さないと基準満たさないよ」なんて堂々と言ってのける教師(幼稚園)もおり、本当にお金がかかるとうちのスタッフも悔しげに文句言っていました。
 また中学生の息子を持つ同僚は、「うちはその時期はもう終わったから」と話すものの、中学校の教師が正規の授業では敢えて肝心な部分を教えず、放課後のお金払って受けれる特別な授業で初めて肝心な部分を教えているらしく、「中国の教育は間違っている!」とたまに憤っています。中国人本人が言うんだからなぁ。

 そんな会話をした際に逆に中国人の同僚から、「日本ではこういうことはあるの?」と聞かれ、部活の顧問とかは別としてもちろんないと言い、「むしろもらってたら問題になる」と話すと「さすが日本」という感じでうんうんうなずいてました。
 それにしても教育の現場に至るまで徹底した資本主義が浸透しているあたりはさすが、「社会主義にも市場があったっていいじゃない」と言ってのけた国だけあります。真面目な話、資本主義という概念においては中国の方が日本より進んでいると自分は本気で考えています。

 ただこうした中国の教育を日本は他山の石と見ていていいのかとなると自分は疑問です。人づてに聞いた話ですが日本の教育現場では教職員の組合なり組織に加入している教師が強い発言権を持ち、そうでない教師や新人教師に対して土日の部活顧問や行政への報告書作成など面倒な作業を押し付ける傾向があると聞き、中国ほど競争原理はないのかもしれませんがいじめの構造は結構深いと聞きます。最近に至っては人件費削減のあおりで契約教師も多いし。

 オチらしいオチがありませんが、中国はいつでもどこでも競争原理、資本主義が働いているという事だけわかってくれれば幸いです。じゃあ日本は平等主義かな、と言いたいところですが実態的にはスクールカーストなどに代表される属性主義かも。

2015年1月3日土曜日

グローカリゼーション

 00年代における経済学の主要な議論はグローバル化に対する態度、言うなればグローバル化を肯定する勢力とそれに反対するアンチグローバル派の対立でした。当時大学生であった私はアンチグローバル派に属してこのブログの設立当初はそのような立場を明確に打ち出した記事投稿が多かったのですが、このグローバル派(新古典派)VSアンチグローバル派(旧ケインズ派)の対立は現在においてはほぼなくなったと言っていいでしょう。

 何故争いがなくなったのかというと理由は単純明快で、2008年にリーマンショックが起こったからです。このリーマンショックによって金融取引を野放図にさせていれば一国の経済はおろか世界経済全体に対しても甚大な悪影響を与えることがはっきりとわかり、現在もこの時の負債によって欧州各国は不景気にあえいでいますが、現時点においては「極端な規制緩和は確実に問題であり、グローバルな取引拡大は是認しつつも一定の規制は必要」という考え方が米国を含む全世界で定着しているように思えます。
 このような結果論で言えば両者の対立はアンチグローバル派の勝利と言えそうですが、少なくとも現在の世界はかつてアンチグローバル派が主張していたほど国際取引に規制が作られているわけではなく、またFTA領域の拡大などグローバル化は現在もなお促進しており一方の勢力の完全勝利と言い切れる状態ではありません。恐らくこんな言葉を使う日本人ももはや私一人だけですが、「トービン税」の導入に至っては議論すらなくなっています。
 ひとまず現在においては不透明で過剰な取引に関しては規制を、その上でFTAの拡大と国際分業を促進していくというのが一つのトレンドです。なお以前あった「グローバル化の促進に伴う貧富の格差拡大」に対する懸念は、欧州各国が貧富の格差以前にみんな失業してきたのでもうどうでもいいやとばかりに一顧だにされなくなってきています。

 少しややこしい前置きを書きましたが、私が何を言いたいのかというと00年代には盛んに繰り広げられた経済議論がリーマンショック以降の現代においては全くなくなっており、今後の世界はどうなっていくのか予想する経済学議論がこのところはほとんどなく、こういってはなんですがやや面白味に欠ける状態となっております。ただ単に私がこのところ勉強していないから知らないだけでもしかしたらちゃんとした議論があるのかもしれませんが、折角だから自分自身で今後の世界の成り行きについて三週間前に30分くらい考え、当たるかどうかは別として一つの議論の柱になりそうだと思いついたのが今日の記事の表題に掲げた「グローカリゼーション」という考え方です。

 グローカリゼーションという言葉は読んで字の如く、「Global」と「Localization」を組み合わせた私の造語です。パッと検索したら教育学とかその辺で一部で使われているようですが、こういう経済学議論で使うのは多分私が日本じゃ初めてでしょう。
 このグローカリゼーションという言葉がどんな意味を成すのかというと、一言で述べるなら今後の世界は国家の枠内にある各地域がそれぞれ分立、独立的な傾向を持ち始め、それぞれ国家システムを飛び越えて独自に国際取引などグローバルシステムに参加しようとする傾向になると見え、そうした流れを敢えて一語にまとめるとこの言葉になります。横文字でやや気に入りませんが、無理矢理日本語にしようとしても「地域環球化」と冴えない言葉になるのでやむを得ません。

 一体何故このような予想を立てたのかというと、一番大きなきっかけは昨年に住民投票まで行われたスコットランド独立問題です。それまで英国の連邦制に属していたスコットランドが英連邦から独立しようとしたこの動きは最終的に過半数の賛成を得られず流れましたが、こうしたスコットランドの動きを受けてか他国でも同じように現在存在する国家の枠内から単独の地域で独立しようとする動きが見られ、スペインのカタルーニャ地方などかねてから火種のあった所でも独立運動が一時盛り上がったと聞きます。
 こうした動きは日本も他山の石というわけではなく、実現性はほとんど限りなくありませんが、沖縄県の選挙で公然と沖縄独立を掲げる候補者が出てメディアにも露出するなどかつては考えられない動きが出てきております。

 こうした国家から地域が独立しようとする動きと合わせて見逃せない存在なのが、勘のいい人なら想像がつくでしょうがイスラム国ことISISです。元々イランやイラク、シリアなど中東は国境線が緩く国家の概念が弱い地域であったものの、これらの地域で現在活動しているISISは既存の国家の枠では考えられない組織として現在も活動を続けております。
 あまり詳しく解説するのは本意ではありませんが、ISISはイスラム教を主是とした組織でありながら同じイスラム教徒をほぼ無差別に襲うこともあり、また日本や欧州、米国などからも参加者が出るなど民族の枠も非常に緩い組織です。一見するととんでもなく統率がなく中心のない組織に見えますがそれでもこれだけ勢力を伸ばして今も活発に活動を続けているあたりは考察に値する存在です。

 ISISに何故参加者が集うのか。これについては一概に言い切れるものはありませんが恐らく各人各様で、イスラム教の原理主義が好きだったり、米国が嫌いだったり、暴れたいだけだったりと別々でしょうが、そうしたバラバラな思想の集まりでありながらこうして一つの塊となってしまうのがかつてはなかった現代世界の傾向じゃないかと思います。その上でこうした組織は国家の概念が全く適用できないばかりか、何を以って区分するのかという意味では非常に難しい存在です。

 私の予想では今後、ISIS程とまではいかないまでもこうした国家や民族、文化、言語、経済範囲に縛られず活動する組織なり地域也は増えていくと思います。更にそうした組織や地域は国家の法律やシステムを無視して国際取引だったり人的移動を行い、国家の権力や縛りは今後どんどん緩くなるのではないかとも考えます。
 二次大戦以降の世界では大体、民族と文化と言語はほとんど1セットになってそれが国家という枠になっていきましたが、今後はこの枠を飛び越える、何かしらの一つの概念が一点突破的に集団をつくりそれが独自性を帯びていくのではないかと思います。

 何故そのように一点突破的な動きが成立するのか、これは仮説ではありますがネットの発達に伴うグローバル化による影響だと思います。それこそISISを例えても昔ではそんな組織の存在や活動を報道で映像を見るのも難しかったですが今ではYoutubeなりを使えば簡単に見ることが出来ます。また特殊な趣味、たとえば珍しいお茶を愛好する人がいたとしたらネットで同じような人を捜せば簡単に見つかり、同好会にも参加できるようになり、以前と比べ距離や時間、民族言語文化をすっ飛ばして集結することができ、それによって一点突破も可能になってくるのではないかと思います。

 またグローバル化の発展に伴い、海外の品物も簡単にインターネットで買えてしまうなど、江戸時代の朱印状みたいに規制する存在がなくなったばかりか国家のシステムを経由せずともこうした国際取引や国際交流が簡単に出来るようになりました。こうした種々の動きがあり、無理して国家に所属せずとも気の合う人間同士で小さくまとまりたい、そんな考えが上記のようなグローカリゼーションの動きを後押しするのではないかと言いたいわけです。
 更に言えば、日本を含め国家のルールを押しつけられたくない、負債を負いたくないと考える動きもあるかもしれません。実際自分だって日本の年金いらないから払いたくないし。

 最後に改めてまとめると、国家以下の組織、または個人が国家の枠を超えてグローバルにつながろうとする傾向が今後より強くなるのでは、そのような傾向をグローカリゼーションと言いたいのがこの記事の骨子です。その上で述べると、仮にこの傾向が強まるとしたら米国はより強くなる可能性があると見ています。何故かというと米国は合衆国せいで国家枠内の地域分立がかなり確立されているからで、こうした流れの傾向の影響をほとんど受けずに動じないのではと思えるからです。
 日本はどうかとなるとせいぜい言って沖縄の中で独立を叫ぶ勢力がやや強まる程度でそんな変わんないと思います。道州制の動きは増すかもしれませんが、日本は地域的なつながりよりも利益共同体、敢えて言うなら企業グループ間の紐帯のが圧倒的に強いのでそっちの方を弄った方が面白いかもしれません。