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2015年7月17日金曜日

三国志で打線組んでみた

 最近ホイールのクリック反応が悪かった私のロジクール製マウスですが、今日思い切って上蓋取っ払って中を見てみたところそもそもホイールスイッチは弄れない設計になってて意味がなく、仕方ないので投げたりしてました。多分に私がマウスを酷使しているということもありますが、どうもロジクールのマウスは値段の割にはやたら壊れやすいような気がしてなりません。前のマウスも一回投げたら壊れちゃったし、デザインも正直気にらないので無線キーボードとセットでなければ使わずに済むのにと思って仕方ありません。しょうがないからまたロジクール製で買い替えるけど。

 それで話は本題ですが、今日日本ではプロ野球のオールスターゲームが開催されていますが、それに触発されたので三国志の国ごとに打線というか野球チームを組んでみました。選考はあくまで私の視点によるもので、有名な武将を敢えて中心にして選んでおります。てなわけでまずは蜀からどうぞ。

<蜀>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 魏延 レフト 劉封
2 趙雲 ショート 孟達
3 関羽 三塁 廖化
4 張飛 一塁 沙摩柯
5 馬超 センター
6 黄忠 キャッチャー
7 馬岱 ライト
8 関平 二塁

(先発) (リリーフ)
諸葛亮 蒋琬
龐統 費禕
法正 馬良
徐庶 伊籍
姜維 馬謖

 まず蜀チームで特筆すべきは圧倒的といえるくらいの超重量打線でしょう。3番の関羽と4番の張飛を筆頭にどこからでもホームランが飛んできそうな打線でありながら、2番の趙雲の様に小技も効かせられる武将が多いのも特徴です。なおベンチの沙摩柯は助っ人外国人枠として敢えて入れてみました。
 一方、投手陣の方はというと先発は一見すると隙のない布陣に見えますが、龐統と法正はどちらも選手寿命が短く、徐庶もワンシーズン、下手すりゃ1試合限りのレンタル移籍要員ですので、姜維が育つまでは実質的にエースの諸葛亮がほぼフル登板しなくてはならないという、やたら史実に近い台所事情となっています。リリーフ陣は決して悪くないものの絶対的なストッパーはおらず、またこの中から先発に昇格させられそうなのもいません。馬謖に至っては登板するごとに炎上しそうなので運用に当たっては注意が必要です。
 それとどうでもいいけど、「伊籍が移籍」なんていうくだらないダジャレを思い浮かべたことがあれば、あなたはもう立派な三国志マニアです。

<魏>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 夏侯淵 ライト 李典
2 夏候惇 レフト 楽進
3 張遼 二塁 曹真
4 許褚 一塁 曹洪
5 徐晃 センター 于禁
6 張郃 ショート 曹彰
7 典韋 三塁
8 曹仁 捕手

(先発) (リリーフ)
荀彧 郭嘉
荀攸 陳羣
程昱 鍾繇
賈詡 満寵
司馬懿 劉曄
韓浩
楊修

 魏チームは野手、投手共に選手層がとにもかくにも分厚いという一言に尽きます。打線はさすがに蜀の超重量打線と比べると見劣りしますがそれでも一線級の武将たちで構成されており、また代打要員も粒揃いであるためスタメンの一次離脱があったとしても戦力の低下はほとんど起こり得ないでしょう。
 投手陣も盤石の一言に尽き、先発は一応五人揃っていますがリリーフの中からも先発に切り替えられる武将、っていうか文官もいるため、こちらも打線同様に欠員が出てもすぐ穴が埋まってしまうような充実ぶりです。なお郭嘉は先発にするべきか悩んだ挙句、抑えの切り札にしようと思ってリリーフに入れました。
 強いて弱点を挙げるなら、先発五番手の司馬懿が背信投球をやらかさないか監視が必要ってくらいでしょう。ってかこいつ、首が180度回ったっていうから二塁のランナー警戒する時は便利そう。

<呉>
(スタメン野手) (ベンチ野手)
1 甘寧 ライト 徐盛
2 朱桓 センター 丁奉
3 程普 二塁 蒋欽
4 周泰 三塁 朱然
5 太史慈 一塁 孫韶
6 凌操 ショート
7 黄蓋 レフト
8 韓当 捕手

(先発) (リリーフ)
周瑜 張昭
陸遜 張紘
呂蒙 諸葛恪
魯粛 闞沢
諸葛勤 虞翻

 呉チームは投手陣にいい選手が揃っており、先発が周瑜、陸遜、呂蒙の三本柱が君臨しているだけでなく、抑えも張昭、張紘のダブルストッパーが控えていて、下手すりゃ三国(三鷹~国分寺間)一と言っていいくらい充実しています。
 しかし打線はというと投手陣の充実ぶりとは対照的に一発の破壊力に乏しく、幸い足が早そうな武将(印象でしかないけど)が揃っているので小技を駆使して点を取っていくか、日ハムの大谷選手ばりに打つ方も投げる方も二刀流できそうな呂蒙を主力バッターに組み込んでいくといった大胆な戦術を取らざるを得ないでしょう。
 なお先発の魯粛は、好投しても味方の援護に恵まれなさそうな気がする。

<総評>
 上記のチーム編成案は大体10分くらいですぐに大枠が埋まるくらい簡単に作ることが出来ました。それほど意識して作ったわけじゃありませんが、案外実際の史実通りの国情に近いチーム構成になっており、このように野球チームに見立てて国家なり軍隊なりを分析比較するのも手法としてアリかもとやってて思いました。
 そもそもなんでこんなことを急に思いついてやったのかというと、以前流行った「もしドラ」こと「もしも高校野球部の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」という本を思い出し、「もしも高校野球部の女装マネージャーが孔明だったら」というくだらない想像をして、だったらチーム作った方が面白そうじゃんと思いついたことがきっかけでした。ぶっちゃけ、作っててそれなりに楽しかったです。

2015年7月15日水曜日

書評「新・観光立国論」

 どうでもいいネタ挟む余裕ないのでいきなり本題ですが、例の冷凍たこ焼き好きの友人が「これを読め」というので、元ゴールドマンサックスのアナリストで現在は日本で文化建築物の修繕事業を営んでいるイギリス人のデービッド・アトキンソン氏による、「新・観光立国論」を紹介します。もっとも、結構売れてる本だからそこまで宣伝しなくてもいい気はしますが。
 この本では日本の観光事業について元アナリスト、というより日本在住歴の長いイギリス人としての観点からあれこれ物を語っています。全体の内容を一言で要約するならば、「独りよがりの自己満押し付けてんじゃねーよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と言ったところです。


1、日本の観光産業の立ち位置
 基本的には元アナリストらしく種々のデータを引用した上で日本の観光産業の立ち位置を説明した上で、現在の課題と日本人の無知ぶりを厳しく指摘しています。いくつかそのデータを引用すると、世界銀行がまとめたGDPに対する各国の観光収入の比率を最初に囲繞し、世界平均が1.8%であるのに対して日本はたった0.4%と極端に低い状態にあるとした上で、国別の国際観光客到着数のデータを連投しています。こちらのデータは下記に私も引用しましょう

<国際観光客到着数ランキング>
1位、フランス:8473万人
2位、アメリカ:6977万人
3位、スペイン:6066万人
4位、中国:5569万人
5位、イタリア:4770万人
12位、香港:2566万人
22位、韓国:1218万人
26位:日本:1036万人

 見てもらえばわかる通り、日本は他の先進国はもとより東アジアの中でもかなり下位に属する位置にあることがわかります。なお24位はクロアチア、25位はハンガリーですが、日本人からしたらこの国は観光的にはそれほど魅力があるようには見えないと思いますが、欧米人から見たら日本も同じ程度のレベルに見られていると作者は指摘しており、意訳するなら「身の程を知れっ(#゚Д゚)<JAP!」、といったところです。

2、観光大国の四条件
 ただ日本の観光産業がこれほどまで小さいということは「伸び代はあるってことだ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)とも語っており、その伸びしろを認識する上で重要な要素となるのが観光大国の四条件だと作者は述べています。その四条件とは「自然」、「気候」、「文化」、「食事」の四つだと述べ、観光大国フランスはもちろんこの条件を備えており、また日本もフランス同様に満たしていると太鼓判を押しています。なお作者の故国である英国は「気候」と「食事」に欠いており、残念ながらフランスに大きく劣ると認めてます。

 ただこの四条件ですが、日本人はほとんど認識していないどころかまともなPRすらできていないと厳しく断言されちゃっています。では日本は外国人観光客を誘致するに当たって何をPRしているのかというと、何故だか「国としての知名度」、「治安の良さ」、「交通インフラの充実」が最も多いとした上で、「三つとも誘致に当たって何の効果もねぇよ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と批判しています。
 一つ一つ述べてくと知名度があるからわざわざその国に行く奴なんていませんし、同様に治安がいいから観光に行くなんて、じゃあインドとかタイは日本より治安悪いのに何で観光客多いのか。でもって交通インフラが充実しているから見に来るなんて鉄道マニアくらいだと切って捨ててます。なおこの三つを三つともPR文に載せている意味の分からない会社として何故だか「星野リゾート」をここだけ名指しで批判しています。何か嫌なことでもあったのかなここに、俺もあるけど。

 総じて言えばPRのポイントが根本から間違えているとして、「逆にそういった点を少しずつでもいいから修正していけば、ポテンシャル自体は高いのだから高い成長を期待できるぞ(#゚Д゚)<JAP!」(意訳)と、フォローをきちんと入れる辺りは英国紳士です。

3、おもてなしに対する疑問
 恐らく友人が何でこの本を私に勧めたのかという理由の一つとして、この日本の「おもてなし」という言葉に対する作者の意見も大きかったんじゃないかと思います。作者はこの本の中ではっきりと、「もうおもてなしなんて言葉は使うな(#゚Д゚)<JAP!」と述べており、去年あたりからずっとこのブログで私が主張してきた内容と同じことを主張しています
 はっきりいますが日本人の言うおもてなしというのは自己満足そのもので、外国人からしたらそれ程質の高いサービスでもなければむしろ邪魔くさくて鬱陶しいマナーに見えることのが多いです。サービス対応一つとっても日本ではちょっとした注文というか変則オーダーですらやれ規定が、ルールが、上司がなどと言っては対応を断ることが多く、また飲食店などで英語がほとんど通じないというのも地味に問題です。私の方から断言してもいいですが、日本の「おもてなし」は上海市の一般的なサービス水準と比べても質が劣ります。

 更に作者はこうした「おもてなし」に代表される日本人の自己満足に外国人がケチをつけたり満足しなかったら、「あいつらはモノのわからない野蛮人だ(#゚Д゚)<鬼畜米英!」」などと逆批判をして、彼らが求めるサービスを探ったり、能動的に対応していこうとすることに無関心すぎるところがあると指摘してますが、はっきり言えば私もこれに同感です。結局、日本の価値観に合う外国人しか誘致しようとせず、折角誘致できる可能性の外国人を自ら排除して稼ぎ的に非常にもったいないことをし続けているのが日本人だと分析しているわけです。

 以上がこの本の主だった内容ですがこの記事の目的上、敢えて辛辣な文体で書いております。この文体に対して読者がどのように感じるかはさておきこの本の中で作者は実際には、卑屈なくらいにへりくだった文体で内容を説明しております。どれくらいへりくだっているのかというと、「私は日本が嫌いなわけではなく本当に大好きなんです。だからこそ潜在力の高い日本の観光産業はそのポテンシャルを生かし、大きく伸びてもらいたいのです」、といった内容の言葉が一体何回出てくるんだよと言いたくなるくらい繰り返されています。
 これは私と友人の想像ですが、多分作者は日本での駐在生活で相当苦労したんだろうなぁという気がしてなりません。会社の同僚に、「もう彼は半分中国人ですから」とリアルで言われたくらいに日本離れしている私に言わせると、きちんとデータに基づいた当たり前の内容を指摘すると何故だか日本人は強い拒否感を示した上で怒り出す傾向があります。この本に書かれている内容も徹頭徹尾、普通に考えたらその通りだと思える当たり前な内容で占められていますが、恐らく普通に口頭で話したら、「お前は日本を貶そうっていうのか?」とまず反感を買うことが私にも予想できます。それこそ、「日本のおもてなしは日本人の自己満だ」なんて言ったらどうなることやら。

 だからこそ作者は耳を傾けてもらうためにも卑屈なくらいに、「悪気はない、ただ君たちにはもっと良くなってもらいたいだけなんだ」という言葉を繰り返したのでしょう。しかし私としては外国人であるのだからここはびしっと、「いちいちめんどくせーんだよてめーら日本人はよ(#゚Д゚)<JAP!」、というくらいきつく言ってもらった方が案外日本人にとってよかったのではと思う節があり、敢えてこの記事では辛辣な文体に意訳しました。
 もちろん日本の観光産業について、当たり前だけど日本人は当たり前の事すらまともに言えないだけに貴重な意見をたくさん提供してくれてて非常に価値がありますが、それ以上にまともなことを普通に言っても日本人は全く聞いてくれないんだなということがこの本読んでて強く感じ、そっちの方が私の印象には強く残りました。ある意味、海外に出ている人間の方がこの本読んで思うこと多いんじゃないかな。

 勢いで一気に書きましたが、我ながら有り得ない書評になったなという気がしてなりません。




平成史考察~名古屋中学生5000万円恐喝事件(2000年)

 本題とは関係ありませんが、学生時代に私は喫茶店でアルバイトをしていたのですがたまたまそこのマスターが戦国武将の中川清秀の子孫ということを知り、同じ歴史好きの友人に教えてやろうとしたらこんな会話が生まれました。

花園「山口君、中川清秀って知ってる?」
友人「うん、(ゲームの「信長の野望」で)よく使ってるよ」

 他人の先祖を「使ってる」呼ばわりかよ、なんて思ってちょっと私の中で微妙な空気が流れました。

 そんな私のセンチメンタルな思い出は過ぎて今日の本題ですが、平成史ネタで今日は2000年に起きた「名古屋中学生5000万円恐喝事件を取り上げます。」

名古屋中学生5000万円恐喝事件(Wikipedia)

 事件概要を簡単に説明すると、当時名古屋市内の中学校に通っていたある中学生(被害者)が同じ学校の生徒数人(加害者)からいじめを受け、当初は暴行からでしたが次第に現金も恐喝されていくようになりました。被害者は言われるがままに加害者にお金を渡し、また被害者の母親も子供が暴行されて帰ってくることが忍びなく事故死した父親の生命保険で得たお金すら少年に渡してまで加害者の要求に答え続けました。
 加害者らは恐喝して得たお金をほぼすべて豪遊に使い、移動にはタクシーを使ってカラオケやパチンコ店で散財していたそうです。加害者の豪遊ぶりは周辺も見聞きしており、当時よく使われたタクシーの運転手がある日どこでそんなにお金を得ているのかと尋ねたところ、「パチンコ、パチンコ」などとほざいたとされています。
 もっともそんな加害者らも暴力団関係から恐喝を受けており、被害者から受け取っていた金を一部その関係者へ手渡していたという、二重恐喝の構造を持っておりました。最終的にはこの関係者も一緒に捕まるんですがね。

 話は被害者に戻りますが一方的に恐喝され続けた結果、被害者が渡した金額は累計で5000万円という常識では考えられない金額にまで達していました。しかし言われるままにお金を渡していたにもかかわらず暴行は収まるどころかむしろ激しさを増し、鼻や肋骨まで折られ病院に入院する羽目となり、しかも入院先の病院にまで加害者らは現れ被害者を屋上に連れて行くと、なおもお金を無心したと言われています。

 しかしそこが皮肉にも一つの転換点となりました。屋上に来ていた少年らに、被害者と同室に入院していたある青年男性が突然割って入り、加害者らを強い視線で凄みました。この男性は父親が暴力団組長ですが本人はホワイトという出自の人で、同室となった被害者の怪我を見て暴行されているのではとうすうす勘付いており、それ以前にも何度か被害者にトラブルを抱えているのではと尋ねていました。被害者は男性には暴行の事実を頑なに否定し続けおりましたが、突然やってきた被害者らに屋上へ連れて行かれるのを見るや後をつけ、絶好ともいう場面で現れ被害者の側に立ってくれたのです。
 男性に凄まれた加害者らは態度を急変してすごすごと去り、また心を閉ざしていた被害者もこの男性には心を開いて徐々に打ち合け、男性の側も被害者の気持ちに応えようと被害者の母親を交え対策を取ろうと動き出します。

 ただここがこの事件の一番の特徴なのですが、暴行の事実を打ち明けられた男性が被害者の母親に手を打とうと持ちかけたところ、この母親は当初拒否したそうです。母親は非常に大人しい性格の方だったらしく、戦うくらいならお金を出し続け嵐が過ぎるのを待つ方が良いと考えるような人だったと当時報じられており、それ故に被害金額が5000万円という途方もない金額にまで達した一つの要因となりました。
 しかし男性の熱心な説得を受け母親も最終的には対策を取ることに同意し、母親と男性、そして男性の知人らは加害者宅を回って恐喝され取られた金額の弁済を求めると共に、警察への通報も行ったことで事件は発覚しました。

 なお当時の報道では恐らく被害者を救ってくれた男性の出自からでしょうが、「恐喝された被害者が暴力団組員をつれて加害者を逆に恐喝してきた」という報道がありました。実際には弁済を求めただけなので恐喝なわけないのですが、結構誤った報道も大手を振って歩くというか報道なんていい加減なもんだなと思います。
 一方、息子が恐喝でとんでもない金額を奪っていたことを知った加害者の両親は弁済を求められて最初、その金額のとんでもなさに頭が真っ白になったと書いてありますが、まぁそりゃそうでしょう。そしてその弁済協議に当たって名古屋の緑署に相談へ行ったところ、「被害者から被害届が出ておらず、事件化していないから対応できない」などと意味の分からない対応されて、何にも相談に乗ってくれなかったそうです。なおこの緑署はそれ以前に少年と母親から恐喝について相談を受けたもののこれまた真面目に相手せず、結局この事件は中署が捜査して事件化して、事件後には警察庁も緑署の対応の不手際を認めています。

 事件が公になってからは立場が逆転というかワンサイドペースになり、全国から加害者とその家族への批判が大きく集まったほか、加害者らもほぼ全員が逮捕され処分が下されました。なお加害者家族への批判はほかの事件に劣らず激しかったそうで、中日新聞に至っては取材をしていないにもかかわらず加害者家族は反省の意識が低いと思わせるような記事を載せて発行してくださったそうです。まぁそういう新聞社だけどねあそこは。

 その後、この事件については続報がなくネットを見ると加害者らはきちんと被害者に弁済をしたのかどうかが少し議論となっていますがこれは確認の取りようがないので置いておくとして、加害者についてはその後の続報が出ました。何でも主犯格だった男二人は2002年に少年院を出所したものの定職には就かずまた変な連中と付き合いだし、2006年にパチンコ店の売上金を強奪する事件を起こして揃って逮捕され、揃って懲役刑を喰らいました。なおこの時強奪した金額は約1200万円で、クズは所詮はクズのままですが金額的にはスケールダウンしたんだなというのが私の印象です。

 今日になって一体何故こんな昔の事件を掘り起こしたのかというと、一言で言えば矢巾町の中学生自殺事件がきっかけです。この名古屋の恐喝事件もそうですが学校側は薄々いじめと恐喝の事実に気が付いていたものの何の対策や被害者への詳細な聞き取りを行わず、事件が発覚した後は「知らなかった」、「やるべき対策は取っていた」、「防ぎようがなかった」と、いわゆる「でも、だって、どうせ」の無責任三拍子が15年前も今も同じように繰り返されています。特に矢巾町の事件ではいじめで不登校になっていた女子生徒もいたっていうのに委員会への報告ではいじめはゼロってことにされていたとされ、まともな報告・連絡・相談の「ホウレンソウ(このフレーズは内心大嫌い)」という三拍子すらまともにできてないのかよと見ていて呆れます。大津の事件だって、そんな昔じゃないってのに。

 思うにこういういじめ事件は歪んだ教育とか家庭環境、あと受験ストレスが原因だなどとよく言われたりしますが、突き詰めれば目の前で起きている現実を直視するどころか放置する教育機関こと学校側に最大の原因があるのではないかと思えてきました。いくつかの例を見ていると、いじめる側も学校側が何の対策を取らないことを見て図に乗り、いじめられる側も学校側が何の対策を取らないことを見て心を閉ざしていくように見えますし。
 そういう意味ではいじめを根絶する上で真に教育を受けるべきは生徒ではなく平気で隠蔽しようとする教師たちでしょう。生徒に向かって「いじめはよくない」などと言うのではなく、教師に向かって「現実を見ろ!放置してたらお前をぶっ殺すぞ」と言った方が対策として効果ある気がします。もっともこう言ったら、「国からの強いプレッシャーがあって報告義務を……」なんて言い訳するのが出てくるんだから、案外そうでもないかな。

  参照サイト
--5000万円恐喝事件はなぜ起きた--名古屋の現場を歩く(ZAKZAK)
『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』(三日坊主日記)

2015年7月13日月曜日

猛将列伝~宇喜多秀家

 猛将と呼ぶにはやや戦場のエピソードが少ない人物ですが、かといってカテゴリから離す理由もないので今日はこのカテゴリで宇喜多秀家について語ります。

宇喜多秀家(Wikipedia)

 宇喜多秀家は備前の豪族である宇喜多直家の次男として1572年に生まれました。父親の宇喜多直家については以前、親族だろうがなんだろうが謀略の上に暗殺しまくってリアルにサイコパスな人物だったと評したことがありますが、息子の方は幸いというかそんなサイコパスな性格は受け継ぐことはなかったようです。
 なお予断ですが、昨年の大河ドラマの「軍師官兵衛」では宇喜多直家役を陣内孝則氏が演じ、老獪な策士という直家の役柄を存分に演じられて強い印象を覚えました。またこのほか高山右近役を演じた生田斗真氏も見ていて惚れ惚れする演技ぶりで、このドラマは総じて役者の質が高かったとつくづく思います。

 話は戻りますが父の直家は秀家が9歳の頃に逝去したため、幼かった秀家は当時中国地方を攻略中だった秀吉の元で、ほかの加藤清正や福島正則といった子飼いの武将らと共に育てられます。そういう意味で今様に言えば「羽柴チルドレン」ともいうべき武将となったのですが、成人してからは朝鮮出兵などで武功を立てるなど宇喜多家の当主としてしっかり活躍しています。
 ただ秀家を語る上で外してはならないのは、ほかの羽柴チルドレンを差し置いて、徳川家康や前田利家らと共に五大老に任命されているという点です。元々秀吉の直参に近い立場であったことは間違いなくしっかりと信頼できる人間として任命されたことはまだわかりますが、同じく羽柴チルドレンの黒田長政や片桐且元などを置いて秀家が任命されたということは、やはりそれだけ秀吉から信頼されていたのかもしれません。なお秀家は五大老であったことから、在任中は領地になぞらえて「備前宰相」などと呼ばれていたそうです。

 このように出世街道を歩んだ秀家ですが、関ヶ原の前年に当たる1599年に家中で「宇喜多騒動」といって家臣内の内部分裂が起こり、勢力を大きく弱体化させてしまっています。なんかこの騒動についてはいろいろと軋轢があったと書かれてありますが、時期が時期だけに徳川家が仕掛けた謀略なんじゃないかなぁという気も少しします。

 そしてここが本題なのですが宇喜多騒動の翌年に当たる1600年、秀家は関ヶ原の合戦に自ら出陣します。彼が属したのは石田三成率いる西軍ですが一体何故彼は西軍についたのか、一説によれば同じく秀吉子飼いの武将だった大谷吉継同様にプライベートでも三成と仲が良かったため、彼に準じるような形で参戦したとなど言われており、率いた兵力は西軍中でも最大の1万7千人だったことからその熱意は相当なものだったでしょう。
 この関ヶ原の合戦で西軍に参加した部隊の中で真面目に戦闘を行っていた部隊としてよく、三成直参の島左近隊、そして敗北を見越した上で参戦した大谷吉継隊だけだったと言われますが、この秀家の舞台も最前線で福島正則の部隊とぶつかり合うなど激しい戦闘を行っております。よく大谷吉継ばかりが三成との友情に準じたとばかり言われますが、私個人としては秀家も吉継同様にそれなりに熱い思いでもって西軍に参加したのではないかと思います。

 ここで話は石田三成について触れますが、よく三成は賢かったものの偏狭で鼻にかけるところがあり人望がなかったなどと言われます。しかし上記の大谷吉継や宇喜多秀家の様に、彼との友情に殉じて骨身を惜しまず支援してくれる人物も案外多く、多くの史料中に、「嫌な奴だった」、「友達少なかった」とはっきり書かれていることは事実であるものの、仲良くなる相手とはとことん仲良くなれる人物でもあったのではないかという気がします。直接関が原には参加してないものの、あの上杉家の直江兼続も三成と一緒に行動しているわけですし。

 話は秀家に戻りますが、結果的には関ヶ原で宇喜多隊は壊滅して秀家も落ち延び、島津家に一時身を寄せます。しかし居所が幕府にばれたことによって出頭し、妻・豪姫の出身家である前田家や匿ってくれた島津家のとりなしもあって死罪は免れましたが宇喜多家は改易の上、八丈島に流刑となりました。
 八丈島では島の主としての身分が認められたもののそこはさすがに流刑地、生活は非常に厳しかったようで前田家からは毎年米70俵の支援を受けていました。そんな生活を秀家はなんと1655年に84歳で没するまで続け、既に時代は4代将軍家綱が治める頃となっていました。なおこの関ヶ原に参戦した武将としてはこの秀家が最も遅くまで生きていたこととなります。

 最後にまとめとして述べると、大谷吉継だけでなくこの宇喜多秀家も石田三成との友情に殉じ、なおかつ合戦中もそこそこ奮戦していることから、もっと評価されてもいいのではないかと思いこうした記事を書きました。なおこの記事を書くきっかけとしては、八丈島に流された後も宇喜多家は細々と命脈を保ち、明治の時代に至って現在の千葉県浦安氏に移り住んでからも続いてて徳川家などと同様に現代にも残っていることを最近知ったからです。現在の当主も2009年の岡山城の築城400年式典に参加されたそうですし。

  おまけ
 最近読んでいる漫画で長谷川哲也氏による「セキガハラ」という漫画があります。この漫画のあらすじを簡単に述べると、戦国武将が一人につき一つの超能力を持ってて豊臣秀吉の死去から関ヶ原の合戦に至るまでの間にあれこれ戦ったりする漫画なのですが、主人公はほかならぬ石田三成だったりします。
 この漫画の三成は自分の賢さを鼻にかける傲慢な性格でまだテンプレ通りの三成ではあるのですが、そのほかのキャラクターはさにあらず、一つの特徴がやたら大きくデフォルメされててとにかくみんなすごいことになっています。

 島左近はグラサン掛けた上にひげを蓄えたラッパー風になってて「誰これ?」状態ですし、今日取り上げた秀家は「友情こそ至高」という言葉が口癖のまんまフランス貴族な見た目してて、武器もサーベルです。そして大谷吉継は恐らく、包帯をまといながら関ヶ原に参戦したエピソードからでしょうが、包帯を操るミイラ男になっています。
 このほかだと徳川家康は健康オタクだったことから鍛錬好きな超ムキムキマッチョに描かれ、加藤清正に至っては虎退治どころではなく虎そのもの、淀君もすごいボディコンなくのいちに描かれてて、歴史漫画はこれまでたくさん読んできたけどこれほどいろんな意味ですごいデフォルメされた戦国武将を見るのはこの漫画が初めてです。


     

2015年7月11日土曜日

新国立競技場の建築費膨張問題について

 本題とは関係ありませんが昨日の中国株式市場は一昨日に続いて続騰し、まだまだ油断はできませんがひとまず今回の山は越えたのではないかと思います。それにしてもたかだか株式市場が落ち込んだくらいで他のマクロデータも分析せず、「これで中国は崩壊する」などと散々騒いでた連中は一体何だったのか。以前にも記事にしていますが「今年こそ中国は崩壊する」という本を毎年同じ人間が出版しており、昔のゲームのセリフを引用するなら「ハエのよーにうるさい奴らね」という印象を個人的に覚えます。前の繰り返しになりますが願望は予測する上で最大の障害で、冷静な思考すら持てない人間はそもそも予測などするべきではないでしょう。

 話は本題に移りますが、オリンピックにも使う新国立競技場の建築費が当初予想より大きく膨らむことについて大きく注目されております。別に私がここで語らなくてもほかの人がこの問題についてはあれこれコメントしてくれるので放っておいてもいいのかなという気がしますが、論点を少し整理する必要があるというかほかのメディアがあまりやっていないので、一つこのブログで整理するとともに、誰も言おうとしない数字の裏をこの私が突いておこうと思います。

1、建築費は何故膨らんだのか
 新国立競技場の建築費は昨年5月の基本設計段階では1625億円になると見積もられておりましたが、着工に当たって土建屋とそろそろ契約を結ばなければならない今年に入って突然、実際には2520億円くらいかかりそうだということが明らかになりました。
 膨らんだ建築費は差し引き895億円(以下、約900億円)ですが、建築費がこれほど膨らんだ理由について政府は、東日本大震災以降は建設ラッシュが続いているため人件費や資材費が高騰していることに加え、もうみんなにとってもお馴染みの「キールアーチ」と呼ばれる屋根部分の施工が非常に難しい設計になっており、高価な特殊鋼が大量に必要である上に施工費用も半端なく、実質的にこれ一つが原因となって大きく高騰したと説明されています。

2、どのタイミングでわかったのか
 建築家などの業界間ではもしかしたら早い段階からわかっていたのかもしれませんが、私の記憶する限りだと建築費がこれほどまで膨らむことが初めて公になったのは、5月に政府から舛添東京都知事へ建築費用を東京都にも一部負担するよう申し入れがなされたタイミングだったと思います。この時申し入れられた負担額は580億円ですが、報道を見ている限りだとこの数字には具体的な根拠はなく、政府としてはなるべく多く、受け入れてもらえる範囲でこの数字を舛添都知事に持ってきたのでしょう。
 あまりこの点を突いた報道は見かけませんが、基本設計の見積もりが昨年5月に出来上がっていたことを考えると、この都への費用負担のタイミングはあまりにも遅すぎます。何が言いたいのかというと、恐らく政府は早い段階で建築費用が半端なく膨らむことがわかっていた、時期的には昨年内にはわかっていたのではと私は睨んでいます。にもかかわらず今年5月まで黙って発表しなかったのは、急いで契約しなければならないタイミングに明かすことで強引に押し通そうとしたのではと勘繰っています。
 仮にそうだとしたら、このサボタージュによって設計を見直せたかもしれない折角の時間を空費したこととなります。こうした点を検証するためにも一体いつの段階で建築費が膨らむ事実がわかっていたのか、はっきりさせるべきだと思うのは自分だけなのかな。

3、誰がこんなクソ設計案を採用したのか
 恐らくこれが今一番議論となっている点でしょうが、今回の新国立競技場の設計は2012年の民主党政権時代に国際コンペにかけられた上でザハ・ハディド氏という今一番ホットな外国人のデザイン案に決定されました。このコンペ自体は建築予算は1300億円として募集が掛けられていたようですが、それが応募者にちゃんと伝わっていたのか、選定段階で予算内に入るかどうかを審査したのかがいまいちよくわかっていません。「よくわかっていない」という言葉はこの政治の世界では、「不手際があった」と同義でありますが。
 ただこの問題におけるいわゆる「戦犯」が誰なのかは私も興味があるところで、差し当たっての候補ナンバーワンと目されたのは有名建築家の安藤忠雄氏でした。安藤氏はこのデザイン案を決める審査委員会の委員長を務めており、一部報道では安藤氏の推しが決定打となってこのザハ案が決まったとされています。このように批判が出始めている中、安藤氏は7日に開かれたデザインを一部見直すための有識者会議を急遽欠席し、下村博文文化相からは実質的に、責任逃れなどせずきちんと出てきて説明しろ、とコメントされる始末でした。
 私自身も反論もせずこのタイミングで欠席するということは安藤氏は自覚ありなんだなと思ってましたが、本日放送されたテレビ番組にFAXを寄せ、以下のようなコメントを出されました。

・建築予算が1300億円だということはきちんと伝えてあり、応募者も理解していた。
・総工費とデザイン費用を別々にしてはいない。

 また安藤氏とどうも個人的に付き合いのある番組司会の辛坊治郎氏によると、以下の様にも発言していたそうです。

・デザイン決定後の基本設計などには一切かかわっていない。
・何故これほど費用が膨らんだのかわからない。

 更にその上で辛坊氏は、安藤氏がいろいろ出てきて話したいこともあるそうですが周囲に止められていると話していることを明らかにしました。

 仮にこの番組での安藤氏のコメント内容が事実であるとすれば、誰が戦犯なのかやっぱりわからなくなります。私個人の意見を述べると、少なくとも基本設計後に予算が膨らんでいる事実を隠していた人間は確実に存在するのでまずそいつを叩きだした上で、設計者のザハ・ハディド氏と安藤氏をこの際国会に証人喚問して真実を確かめた方が良いかと思います。やり過ぎではと言われるかもしれませんが、これによって900億円近くの金が動くことを考えると決してやり過ぎだとは私は思いません。
 仮にゴルゴ13が一人の暗殺を5000万円で引き受けるとしたら、900億円あればなんと1800人もゴルゴ13に暗殺してもらえる計算となります。私はこうした計算を勝手に「ゴルゴ指数」と呼んでどれだけその金額が途方もないのかを考える目安にしているのですが、1800人もゴルゴ13で暗殺できる費用ということを考えると一人や二人の人生とか経歴とか命とかを無視してでもきちっと区切りをつけるべきだと思います。
 なおこの知恵袋によると、ゴルゴ13の平均依頼料は20万米ドルだそうです。だからなんだと言われたら困りますが。

4、何故膨らんだ費用は895億円という数字なのか
 恐らくこんなことを取り上げるのは私くらいでしょう。こんな風に見るのも案外中国にいるせいかもしれませんが、この「895」という数字に強い作為を私は感じます。どんな作為かというと、数字を小さく見せるための作為で、言うなれば「900億円」と言うよりは「895億円」と言えば実質的な差額は5億円でも見た目の印象からするともっと低いように見えます。逆に言えば、膨らんだ費用が「約900億円」ではなく「約1000億円」だったら、見る人の印象はもっとずっともっと違ったんじゃないでしょうかね。
 何が言いたいのかというと、増加した建築費用は現時点の見積もりであっても実際にはもっと大きいのではないかと疑っています。それこそ1000億円は軽く超えているものの、世論の反発を恐れて桁数を一段低くして、さらに「900億円強」とせず「900億円弱」とするためもう一回り小さくした、なーんて言う風にみえて仕方のない数字が「895」です。
 そもそもこういう箱物建築は予算を上回ることが当たり前で、断言してもいいですが最終的にかかる建築費用は2520億円を必ず上回り、下手すれば3000億円以上(ゴルゴ指数で6000人以上)になるかもしれません。だからこそ後腐れのないよう、こんなクソな計画を立てた責任者は今のうちにいろんな世界から退場してもらわなければならないと強く考える次第です。

 最後にやや期待し過ぎな言い方なのかもと自分でも思いますが、小泉元首相だったら設計見直しを即決断していただろうなという考えが頭をよぎります。それこそ、「どう考えたっておかしいじゃないかこれは」なんて言いながら。

2015年7月10日金曜日

ノンタンが出来上がるまで……

 先ほど冷凍たこ焼き好きの友人から、以下のサイトを紹介されました。

「二人はノンタン」(備忘録)

 上記サイトは個人ブログでリンク先の記事には日本人なら多分誰でも知ってる絵本の「ノンタン」の作者について書いているのですが、自分もこの記事で初めて知りましたがノンタンは当初、夫婦二人の合作で製作されていたそうです。ただ愛があるからこそ別れもあるというべきか、ノンタンの生みの親である父親と母親は離婚をして、しかもその後でノンタンの著作権を巡って裁判にまで発展しております。
 裁判自体は係争中に夫であった大友康匠が逝去されたこともあってか妻であったキヨノサチコ氏が勝利し、現在もノンタンはキヨノ氏が原作者と名義されております。

 この泥沼のような裁判だけでも一考に値するのですがそれ以上に面白いのは、夫婦で合作していた頃もノンタンの製作を巡って激しく対立していたという点です。そのあたりの下りが上記リンク先に詳しく書いているのですが、ノンタンの動作一つとっては「ノンタンはこんなことしない!」、「いいや、お前はわかっていない!」などと激しく言い争っていたようで、こうした制作関係者のいろんな意味での努力もあってか立派な作品は作られていたのだなとなんか妙に納得させられました。
 なおリンク先の執筆者によると、キヨノ氏が単独で製作するようになってからはやはりそれ以前とは少し趣が変わっているようで、具体的には背景がやや薄っぺらくなったのと、ストーリーにややまとまりがなくなっていると指摘した上で、「天真爛漫で天才肌のキヨノ氏にブレーキかけていい作品に仕上げていたのが大友氏では」というような推論を立てています。やっぱアクセルとブレーキは両立しないとね。

 それとこのノンタンの話を読んで、私が以前に書いた「作品に宿る『負のオーラ』」という記事を思い出しました。私はこの記事で焦りとか不安とか殺意といった負の感情があると芸術というのは案外その輝きを増すと主張しましたが、このノンタンについても夫婦間のドロドロした対立があったからこそいい作品になっていったのではないか、なーんて考えちゃいます。
 でもそう考えると、芸術家や芸能人が華やかな活動を続ける一方でプライベートでは仮面夫婦であったりするケースというのは案外必然なような気もしないでもありません。森鴎外なんてある意味その典型ですが、彼の場合は「ヰタ・セクスアリス」でそれを小説のネタにまでしてしまうあたりは凡人じゃないでしょう。

2015年7月9日木曜日

世界遺産登録会議での韓国の行動について

 この件について書くつもりはなかったのですが昨日友人から尋ねられたのでちょこっとだけ見解を書いておくことにします。

 先日の世界遺産登録会議において韓国側が日本との事前の約束を保護にして日本国内の候補地の登録に反対したことは皆さんの記憶にも新しいかと思います。この約束は日韓の外相間ではっきり確認されていたものですが、日本の報道によると韓国側ではうまいこと出し抜くことが出来たと報じられているとされ、少なくとも韓国政府の対応を批判するような声は少ない気がします。
 それに対し日本側ではメディア、市民揃って今回の韓国の行動に強く憤っており、ネット上に至っては韓国の口車にまんまと騙されて、あの国を信じるなんて以ての外だなどと外務省を批判する声も出ております。

 この件に対する私の見解を述べると、少なくとも日本、韓国の候補地は登録に至ったのでそれはそれとして、恐らく日本側はこの件の怨みをそうそう簡単には忘れないだろうと思います。

 近年の日韓関係悪化に関して最も致命的だったのは李明博全韓国大統領の「天皇土下座発言」であって間違いないですが、この一件はかねてから日本人から嫌われていた朴槿恵政権をさらに嫌う一打になることは想像に難くなく、予想で述べればこの前決まったばかりの日韓首脳会談も多分流れるのではないでしょうか。仮に予定通り行ったところで、日本では安倍首相への批判が増えることでしょう。

 ただこれだけの内容であれば誰でも語れるのでこの件についてこれまで触れなかったのですが、少し深く掘り下げるというべきか、この事件において真に議論すべき点は「どうして韓国はあからさまに日本に嫌われるような行動を取ったのか?」という点ではないかと思います。普通に考えて外相間ではっきり約束した内容を土壇場で保護にする(ギリシャは首相が反故にしたが)というのは国際外交上では失礼極まりない行為に思え、私からすればどう考えたってあのまま素直に賛成票投じていた方が総合的にプラスだったのではと思えて仕方ありません。にもかかわらず何故日本側の態度を硬化させるような行為に出てきたのか、韓国だからと言われればそれまでですが、私はこの背景には案外、朴槿恵大統領が直接関わっているのではと考えています。

 本来なら韓国政治の専門家でもない野次馬的な立場の私が述べるべきだとは思わないのですが、一個人のたわごとだということ前提にして述べると、朴槿恵大統領の決断の仕方には私は一つの特徴があるように感じます。朴大統領が日本を嫌っているということは言うまでもなくこれまでも告げ口外交をアメリカに注意されるまで続けてきたことは誰もが知っている事実で、今回の土壇場での登録反対もそうした流れで起こったと言われても自然です。
 しかし一度は外相間で賛成票を投じ合うという約束を行っており、私は少なくとも約束が交わされた時点では横紙破りをするつもりはなかったのではと思います。何故なら、初めから裏切るつもりなら初めからそう言っておけばいいだけで、そもそも最初から約束なんてしない方が日本側に批判する口実を与えずに済むからです。なら何故土壇場で方針をひっくり返したのか、理由はほんとそのまんまで、土壇場で「やっぱり反対しよう」と考え直したからではないかと私は考えます。

 このように考えるのも、朴大統領を見ているとはこれまでの任期中で異常なくらいにドタキャン行動が多いからです。他国要人との会談欠席はもとより会見や式典も予定されていたものをしょっちゅうドタキャンしており、本人が「必ず出席する」と述べていたセウォル号事件から1周年の哀悼式典にも直前になって外遊の予定を入れてすっぽかすなど、友達にいたら「t.A.T.u」ってあだ名つけられそうな位な常習犯です。一体何故これほど多いのか、本当に勝手な予想ですが、こうした行動を取るのは朴大統領が最後に会った人の話を聞くタイプの政治家だからじゃないかと考えています。

 たまにこういうタイプの政治家ってのが世に出てくるのですが、どれだけ事前にメリットやデメリットなどを総合的に説明して本人も、「わかった、それでいこう」と承諾しながらも、最後にあった人が「いや、こうした方が良い」というと、「わかった、それでいこう」と決断をひっくり返す政治家というのがいつの時代にもおります。私が見ている限りだと朴大統領もこのタイプであるように思え、一度決めた内容を最後まで貫徹するのではなくその場その場で言われる度に考えを変えるタイプじゃないかと、側近政治と批判されている点を取っても感じられます。
 笑えないのは日本にも鳩山由紀夫というそのようなタイプの政治家がいたってことです。まぁこの人に至っては他人に言われなくても自分一人で決断を180度ひっくり返すことも多かったが。

 なので今回の世界遺産登録会議の事件も、外相同士が約束した後で恐らく、「会議の際に反対しても日本側は態度を硬化させない。でもって国内では支持が上がる」なんて入れ知恵が直前でなされたんじゃないかと勝手に疑っています。決断したのは朴大統領なのか側近なのかはわかりませんが、少なくともこの政権はドタキャンのデメリットを全く考慮せず躊躇なくやってくる政権だと見て間違いありません。

 その上で述べると、仮に朴大統領がそのような「最後に会った人の話を聞く」タイプの政治家であるとすれば、日本にとってはこの上なく都合のいい大統領で、なるべく長く政権が維持できるよう陰ながら応援するべきだと思います。何故ならこういうタイプの政治家だと動きが読みやすく、またゆさぶりなどの戦術も効きやすいからです。
 反例と言ってはなんですが、全く人の話を聞かないタイプの政治家ときて真っ先に思い浮かぶのは小泉純一郎元首相です。彼なんか外国の首脳からしたらかえって扱い辛かったろうな。