最近何気なく中国のネットニュースを見ていたところ、以下のニュース記事を初めて見てびっくりしました。
・中国企業の独ロボット大手買収、難関は突破できたのか?―中国紙(人民網日本語版)
記事概要はというと、先日に東芝の白物家電部門を買収した中国家電大手の美的集団(Midea)が産業用ロボット世界大手の独KUKA(クカ)の買収に動いているそうです。買収額は45億ユーロ(約5200億円)でKUKAの株式76%を握り、既に合意は成されていることが美的の広告で示されており後は関係各国の独禁法に係る買収承認を待つだけの状態だそうです。上の記事はKUKA本国のドイツで承認が得られる見込みになったいうニュースで、これを見る限りだと話は軌道に乗っているように見えます。
私は最初この記事を見た時、てっきり中国のメディアが勝手な憶測記事を出したのではないかと正直疑いましたが、試しにネット検索をかけてみたところ今年5月の時点から報じられ始めており、中国以外にも香港や米国系メディアも事実と報じています。そう、日系メディアを除いた外国メディアで。
私が本当かどうか疑った大きな理由としては、「KUKAほどの大きな企業が中国企業に買収されるのであれば、絶対大きな話題になってるはずで自分が知らないはずはない」という意識からでした。私自身は産業用ロボット業界にはそんなに首突っこんだことはありませんが、KUKAといえば日本の川崎重工や安川機械と世界で凌ぎを削るロボット業界の名門中の名門企業であり、仮にこの買収が実現すればその産業シェアにも大きな影響を与えることは確実です。そんな会社の買収案件についてどこも報じないなんて有り得ない、なんて思ったのは私だけだったのかもしれません。
ざっとネットで調べたところ、買収報道の第一報がなされた今年5月に日刊工業新聞や産業用ロボット業界紙などが少し触れていますが、それ以外のメディアは日経を含めて全くヒットせず、どうやら日本ではほとんど報じられていなかったようです。試しに「冷凍たこ焼きなら加ト吉」と断言する私の友人にも確認した所、KUKAという企業についてはその影響力を含めもちろん知っていながらも、この買収ニュースについては全く知らなかったとのことです。
やや過剰に反応しているだけかもしれませんがこれほどの大きなニュース、はっきり言えば東芝の白物家電部門の買収なんて比較にならないほど大きなディールを日系メディアが揃って無視しているという現状を私は信じられませんでしたし、何故報じないのか不思議に思えてなりません。はっきり言えば、イカれてるとすら思いました。
中国の製造業は現在、鉄鋼を始めとしてどこも下向きながらも、産業用ロボット業界は中国の人件費が高まるにつれて需要は伸びており、実際にロボットメーカーでは新規設備投資の話をよく見ます。だからこそこの買収劇も起こったのでしょうが、これまで中国には外資系のロボットメーカーしかなかったところに中国系列メーカーが誕生することになり、恐らく顧客としては最大の自動車業界では美的+KUKAからの導入が増える可能性があります。ただでさえ中国とドイツの合弁自動車メーカーが多いわけですし、そうなれば中国に進出している川崎重工と安川機械も影響を受けるでしょう。
美的の東芝白物家電部門の買収額は約500億円でしたが、今回のKUKA買収はその約十倍なだけに、ニュースのデカさもそれくらい大きいし価値があると私は考えますが、必ずしもそれは多数派の意見ではないようです。誇張ではなく、いくら海外に目が向いていないとはいえ真面目に日系メディアは大丈夫なのかとこの一件では怒りを通り越して不安を覚えるほどで、もっと中国の新聞を真面目に読まなければと思い知らされました。
なお余談ですが前住んでた昆山には川崎のロボット工場があり、関連するハーネスメーカーなども多く進出していました。自分が付き合ってた人間は化学品関連メーカーが多かったというか今でも多いのですが、もし知り合いにいたらこの方面で取材出来ればよかったです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年8月28日日曜日
2016年8月26日金曜日
取るに足らない政治家と凄みを覚える政治家
元政治家の山崎拓氏がこのほど政治家時代を振り返った本を出版したとのことでネットニュースでも出版を期したインタビュー記事が散見されますが、それらを見てつくづくこの人は大した政治家じゃなかったんだなという印象を覚えます。細かい発言は取り上げませんがどの話も軽く、含蓄を備えた深い話というか指摘が全く見当たらず、またいくつかの政治事件に対するコメントも全く見当外れなように思えません。
同じように話を聞く度に深くがっかりさせられる政治家というか政治関係者として小泉元首相の秘書だった飯島勲氏がおり、在任中は小泉元首相の回答として各方面からの評価は高かったですがいざテレビや雑誌のコメントを見ると見当違いというか見識はずれも甚だしい事しか言っておらず、参考になるような話はついぞ一つも見当たりません。他の人は知りませんが少なくとも私の中で彼への評価は全くないと言っていいでしょう。
逆に、コメントとかインタビューを見ていてなるほどとため息をつかされた人間を挙げると、既に故人ですが宮澤喜一元首相が上がってきます。ただ彼の場合、言ってることはもっともらしいですがいざ自分が行政にタッチするというか行動する段になるとまるで役に立たず、日米繊維交渉も「私にお任せを!」と名乗り出てやったくせにこじれるだけこじらせて田中角栄元首相が後始末をする羽目となっており、首相や財務相在任中も言うことはもっともらしいですがまるで手は動いていない有様でした。
往々にしてこの手のタイプの政治家は少なくなく、いわゆる評論家タイプというか時勢の分析や説明に関しては非常に優れているものの実際の行政手腕が伴っていないパターンが多いです。このタイプの政治家の代表例としてもう一人上げると田中真紀子氏なんかまさに典型的で、なんだかんだ言いつつ現況や人間関係の観察はピカイチでそれらをわかりやすい言葉でうまく発言できていましたが、実際に自分が手綱を握る立場になると現場を混乱させるだけ混乱させることしかできず宮澤元首相を含め言ってしまえばはた迷惑な人間でした。
逆に、凄みを覚えた政治家となると在任中は批判的な目でしか見れませんでしたが野中広務氏です。現在官房長官として菅義偉氏が最年長人気を更新するとともに高く評価されており、彼に在職期間記録を更新された福田康夫元首相も官房長官時代の功績を否定する人間はまずいませんが、自分の中で最も官房長官として優れた能力を持って発揮したのはやはり野中広務氏だったと考えています。
党内の締め付けはもとより外交から内政までほぼ一手に引き受け、おまけに上にいたのが森喜朗元首相であっただけに余計なトラブルに苛まされながらも政権をきっちり運営維持し続けていました。逆を言えば森政権は実質的に野中政権であり、あまりの問題行動の連発にとうとう切れた野中氏が官房長官職を自ら引くと発言したことによって森政権は崩壊し、はっきりとした後任も準備できなかったことから総裁選となって小泉氏が首相になれたのですが。
その野中氏とは完全に対立してプライベートでもめっちゃくちゃ仲悪そうな小泉元首相も、この人は田中真紀子氏とは真逆で言ってる内容はめちゃくちゃで全く意味不明だけどやろうとする政治方針は非常にわかりやすく、なおかつその方針をぶれずに押し通し実行に移すという手腕は非常に優れ近年の首相としては明らかに傑出していました。息子の小泉進次郎氏は発言内容と場の盛り上げ方は父親を現時点で上回っており政治方針もぶれがほとんどなくこのまま間違いなく次の次の首相になるかと思われますが、実行力に関してはまだ未知数でもう少し見ていく必要があるでしょう。
それにしても最近の政治議論で本当につまらないことは、野党も与党も揃って政策論が安倍首相に賛成か反対しかないということです。かつてあった財政健全派と景気先行回復派の議論もなければ沖縄問題に対する意見も割れないし、対立軸があまりにもなくて評論のしようがなくマルクス的に盛り上がりに欠けます。どうでもいいけどこの前サイクリングのメンバーが「日和る(ひよる)」という単語を使ってましたが昔は赤い闘士だったのかもしれません。
憲法改正議論も一見すると九条を残すか否かが論点に見えますがいくら安倍首相でも九条を改正することなんてできっこないのでそもそも議論なるはずもないテーマで、もっと他のところ突っこめよと言いたくて仕方ありません。この前の都議選もトチ狂ったバカばかりが立候補して何にもまともな政策議論が生まれず、折角血税つぎ込んでいるんだからもっと面白いショーにしやがれこの野郎と一人自宅で吠えてました。
今後期待している論点というか対立としてはやはり小池百合子新都知事VS東京都議団と森の愉快な仲間たちです。真面目にちょっとつついたら自爆発言繰り返して自滅してくれるんじゃないかと今から期待で胸がわくわくしています。
同じように話を聞く度に深くがっかりさせられる政治家というか政治関係者として小泉元首相の秘書だった飯島勲氏がおり、在任中は小泉元首相の回答として各方面からの評価は高かったですがいざテレビや雑誌のコメントを見ると見当違いというか見識はずれも甚だしい事しか言っておらず、参考になるような話はついぞ一つも見当たりません。他の人は知りませんが少なくとも私の中で彼への評価は全くないと言っていいでしょう。
逆に、コメントとかインタビューを見ていてなるほどとため息をつかされた人間を挙げると、既に故人ですが宮澤喜一元首相が上がってきます。ただ彼の場合、言ってることはもっともらしいですがいざ自分が行政にタッチするというか行動する段になるとまるで役に立たず、日米繊維交渉も「私にお任せを!」と名乗り出てやったくせにこじれるだけこじらせて田中角栄元首相が後始末をする羽目となっており、首相や財務相在任中も言うことはもっともらしいですがまるで手は動いていない有様でした。
往々にしてこの手のタイプの政治家は少なくなく、いわゆる評論家タイプというか時勢の分析や説明に関しては非常に優れているものの実際の行政手腕が伴っていないパターンが多いです。このタイプの政治家の代表例としてもう一人上げると田中真紀子氏なんかまさに典型的で、なんだかんだ言いつつ現況や人間関係の観察はピカイチでそれらをわかりやすい言葉でうまく発言できていましたが、実際に自分が手綱を握る立場になると現場を混乱させるだけ混乱させることしかできず宮澤元首相を含め言ってしまえばはた迷惑な人間でした。
逆に、凄みを覚えた政治家となると在任中は批判的な目でしか見れませんでしたが野中広務氏です。現在官房長官として菅義偉氏が最年長人気を更新するとともに高く評価されており、彼に在職期間記録を更新された福田康夫元首相も官房長官時代の功績を否定する人間はまずいませんが、自分の中で最も官房長官として優れた能力を持って発揮したのはやはり野中広務氏だったと考えています。
党内の締め付けはもとより外交から内政までほぼ一手に引き受け、おまけに上にいたのが森喜朗元首相であっただけに余計なトラブルに苛まされながらも政権をきっちり運営維持し続けていました。逆を言えば森政権は実質的に野中政権であり、あまりの問題行動の連発にとうとう切れた野中氏が官房長官職を自ら引くと発言したことによって森政権は崩壊し、はっきりとした後任も準備できなかったことから総裁選となって小泉氏が首相になれたのですが。
その野中氏とは完全に対立してプライベートでもめっちゃくちゃ仲悪そうな小泉元首相も、この人は田中真紀子氏とは真逆で言ってる内容はめちゃくちゃで全く意味不明だけどやろうとする政治方針は非常にわかりやすく、なおかつその方針をぶれずに押し通し実行に移すという手腕は非常に優れ近年の首相としては明らかに傑出していました。息子の小泉進次郎氏は発言内容と場の盛り上げ方は父親を現時点で上回っており政治方針もぶれがほとんどなくこのまま間違いなく次の次の首相になるかと思われますが、実行力に関してはまだ未知数でもう少し見ていく必要があるでしょう。
それにしても最近の政治議論で本当につまらないことは、野党も与党も揃って政策論が安倍首相に賛成か反対しかないということです。かつてあった財政健全派と景気先行回復派の議論もなければ沖縄問題に対する意見も割れないし、対立軸があまりにもなくて評論のしようがなくマルクス的に盛り上がりに欠けます。どうでもいいけどこの前サイクリングのメンバーが「日和る(ひよる)」という単語を使ってましたが昔は赤い闘士だったのかもしれません。
憲法改正議論も一見すると九条を残すか否かが論点に見えますがいくら安倍首相でも九条を改正することなんてできっこないのでそもそも議論なるはずもないテーマで、もっと他のところ突っこめよと言いたくて仕方ありません。この前の都議選もトチ狂ったバカばかりが立候補して何にもまともな政策議論が生まれず、折角血税つぎ込んでいるんだからもっと面白いショーにしやがれこの野郎と一人自宅で吠えてました。
今後期待している論点というか対立としてはやはり小池百合子新都知事VS東京都議団と森の愉快な仲間たちです。真面目にちょっとつついたら自爆発言繰り返して自滅してくれるんじゃないかと今から期待で胸がわくわくしています。
2016年8月25日木曜日
日中韓で異なるビジネス上の騙し方
日本人の大半が中国人にいい感情を持っていない、っていうかはっきり言って嫌いだというのは各種統計からも間違いのない事実でありますが、一体何故中国人が嫌いなのかというと尖閣諸島問題を始めとする外交問題に加えビジネス上で中国人に騙されるということが多いことも大きいでしょう。ネットで検索でもすれば商売で中国人に騙されたというケースはいくらでも見つけることができるのですが、逆に日本人が中国人を騙したというケースは全く見つかりません。
厳密に言えば外国人研修制度を悪用した業者が何も知らない中国人労働者を騙して日本に連れて行き搾取しているという事実が存在しますが、こと企業間、ビジネス上の話に限れば日本人は中国人に騙されっぱなしでいいようにやられている一方です。これは中国国内でも同じで、ビジネスで中国人が日本人に騙されたという話は全く聞かず、むしろ騙される中国人がいるとしたら何か大きな欠陥抱えてるんじゃないかと心配にもなります。
では中国人はどんなふうにして日本人をビジネスで騙すのでしょうか。いくつか私が聞いたケースで話すと、やはり一番多い場面としては代金の支払い時で、あれこれ理由をつけて支払いを先延ばしにしようとしたり、一部代金をごまかそうとしたりすることが多いです。実際に友人が体験した話をすると支払日を過ぎても納金されないので催促をかけたところ、「円建ての商品なんだけど、今は円高だから円安になったら払うよ」と、「それっていつよ?」と言いたくなることを言われたそうです。
もっともこういう支払い時に揉めるというのは国籍関係なくどこでも日本人同士でもしょっちゅう起こることなのであまり文化的な影響は多くないと思います。では中国人に独特のビジネス上の騙し方というかズルの仕方としてどんなのがあるかですが、私が思うに代表的なのは契約で取り決めていない行為を平気でやるというのがあるという気がします。
具体例を出すと、ある日系メーカーが自社商品を中国で取扱い、販売する代理店契約を中国企業と結んだところ、その日系メーカー製の製品以外の製品にも日系メーカーのロゴや商標を貼り付けまくって販売していたという事例があります。こういう例はゴルフ道具やアパレル製品に多いのですが、知的財産権が緩い国なだけあって代理店契約を結んだだけなのに商標権まで図々しく勝手に使う傾向は明らかにあると思います。
もう一つ例を出すと、製品の現地加工を中国企業に委託してその加工方法や材料を詳しく指定した矢先、勝手に一部加工を省略したり、材料をほかの安いものに変えたりするケースも非常に多いです。しかも発覚した後でクレームを出したら、「性能的には問題ない」とか、「指定された材料よりも安くて儲かる(・`ω・)ドヤッ.」などと全く悪びれることがありません。っていうか後者に至っては、儲かるのは中国企業であって日系企業には一銭も入ってこないのに何故か一仕事やってのけたみたいに言ってきます。
契約できちんと指定したにもかかわらずこういうことをやらかすこともありますが、往々にして契約を拡大解釈したり、頼んでもないことを勝手にやったりサボったりして騙すケースが少なくありません。そして先ほども述べた通りに発覚した時には全く悪びれることがないのが大きな特徴で、この点が日本人からすると理解し辛いふてぶてしさで、最初目撃したら強い違和感を覚えると思われます。
ただこうやって日本人をビジネス上でよく騙す中国人ですが、上には上がいるというか彼らも相手が韓国人となると立場が見事に逆転し、韓国人に中国人が一方的に騙され続けるという話をよく聞きます。日本人が中国人を騙してのけるという話がないのと同様に、中国人が韓国人に騙してのけるという話はほとんど聞かれません。
この件について中国人に尋ねるとほぼ確実にみんな熱を帯びて、「そうなんだよ!いっつも韓国人に騙される」と力説し出して、多分ほっといたら30分は延々と話し続けてくれます。以前、名古屋へ左遷されたうちの親父と大連に旅行行った時にも中国人ガイドがまさにこのような説明をし他のですがこれを聞いてうちの親父は、「日本人を騙す中国人を騙すんだから韓国人は大したもんだ」と、妙に感心してました。
ではその韓国人は一体どのようにして中国人をビジネスで騙すのかというと、一番よく聞くのはいわゆる「とんずら」です。最初は小さく、確実に取引を行って信用を作り、大口の発注をして納品されるや代金を払わずに消えてしまうという夜逃げに近い騙し方ですが、こういう話はよく聞きます。また消えてしまわなくても、大口の発注で納品を受けるや代金を一切払わないというのも多いです。もちろん中国人も馬鹿じゃないので取り立てようとしますが、頑として一銭も払おうとせずに踏み倒すと言われ、あの中国人が泣きを見るというのですから相当なものなのでしょう。
以上の様になんだかんだ言いつつ国ごとにビジネスでの騙し方に違いがあるというか文化的な差があると共に、明らかな強弱関係があると思ったので今日はこんな記事を書いてみました。なお公平を期すため日本人の騙し方について最後少し触れると、基本は日本人同士での騙し合いになりますが私の感覚だと知らない振りをする、覚えていない振りをするというパターンが多いような気がします。
たとえば散々クレームをつけて代品とか届けた後で実は元々欠陥が無かったりした時とかに、「あれ、代品出せってそんなこと言いましたっけ?」とすっとぼけてごまかすパターンがやや典型的かなと考えています。こうなるのも割と日本人は契約書を重視せず口約束で物事を進める傾向が強いため、言った言わないでお互いにごまかし合ったり騙し合ったりしやすい環境にあり、しかも強くクレームを言わない大人しさがそうした傾向に拍車をかけていると思います。
厳密に言えば外国人研修制度を悪用した業者が何も知らない中国人労働者を騙して日本に連れて行き搾取しているという事実が存在しますが、こと企業間、ビジネス上の話に限れば日本人は中国人に騙されっぱなしでいいようにやられている一方です。これは中国国内でも同じで、ビジネスで中国人が日本人に騙されたという話は全く聞かず、むしろ騙される中国人がいるとしたら何か大きな欠陥抱えてるんじゃないかと心配にもなります。
では中国人はどんなふうにして日本人をビジネスで騙すのでしょうか。いくつか私が聞いたケースで話すと、やはり一番多い場面としては代金の支払い時で、あれこれ理由をつけて支払いを先延ばしにしようとしたり、一部代金をごまかそうとしたりすることが多いです。実際に友人が体験した話をすると支払日を過ぎても納金されないので催促をかけたところ、「円建ての商品なんだけど、今は円高だから円安になったら払うよ」と、「それっていつよ?」と言いたくなることを言われたそうです。
もっともこういう支払い時に揉めるというのは国籍関係なくどこでも日本人同士でもしょっちゅう起こることなのであまり文化的な影響は多くないと思います。では中国人に独特のビジネス上の騙し方というかズルの仕方としてどんなのがあるかですが、私が思うに代表的なのは契約で取り決めていない行為を平気でやるというのがあるという気がします。
具体例を出すと、ある日系メーカーが自社商品を中国で取扱い、販売する代理店契約を中国企業と結んだところ、その日系メーカー製の製品以外の製品にも日系メーカーのロゴや商標を貼り付けまくって販売していたという事例があります。こういう例はゴルフ道具やアパレル製品に多いのですが、知的財産権が緩い国なだけあって代理店契約を結んだだけなのに商標権まで図々しく勝手に使う傾向は明らかにあると思います。
もう一つ例を出すと、製品の現地加工を中国企業に委託してその加工方法や材料を詳しく指定した矢先、勝手に一部加工を省略したり、材料をほかの安いものに変えたりするケースも非常に多いです。しかも発覚した後でクレームを出したら、「性能的には問題ない」とか、「指定された材料よりも安くて儲かる(・`ω・)ドヤッ.」などと全く悪びれることがありません。っていうか後者に至っては、儲かるのは中国企業であって日系企業には一銭も入ってこないのに何故か一仕事やってのけたみたいに言ってきます。
契約できちんと指定したにもかかわらずこういうことをやらかすこともありますが、往々にして契約を拡大解釈したり、頼んでもないことを勝手にやったりサボったりして騙すケースが少なくありません。そして先ほども述べた通りに発覚した時には全く悪びれることがないのが大きな特徴で、この点が日本人からすると理解し辛いふてぶてしさで、最初目撃したら強い違和感を覚えると思われます。
ただこうやって日本人をビジネス上でよく騙す中国人ですが、上には上がいるというか彼らも相手が韓国人となると立場が見事に逆転し、韓国人に中国人が一方的に騙され続けるという話をよく聞きます。日本人が中国人を騙してのけるという話がないのと同様に、中国人が韓国人に騙してのけるという話はほとんど聞かれません。
この件について中国人に尋ねるとほぼ確実にみんな熱を帯びて、「そうなんだよ!いっつも韓国人に騙される」と力説し出して、多分ほっといたら30分は延々と話し続けてくれます。以前、名古屋へ左遷されたうちの親父と大連に旅行行った時にも中国人ガイドがまさにこのような説明をし他のですがこれを聞いてうちの親父は、「日本人を騙す中国人を騙すんだから韓国人は大したもんだ」と、妙に感心してました。
ではその韓国人は一体どのようにして中国人をビジネスで騙すのかというと、一番よく聞くのはいわゆる「とんずら」です。最初は小さく、確実に取引を行って信用を作り、大口の発注をして納品されるや代金を払わずに消えてしまうという夜逃げに近い騙し方ですが、こういう話はよく聞きます。また消えてしまわなくても、大口の発注で納品を受けるや代金を一切払わないというのも多いです。もちろん中国人も馬鹿じゃないので取り立てようとしますが、頑として一銭も払おうとせずに踏み倒すと言われ、あの中国人が泣きを見るというのですから相当なものなのでしょう。
以上の様になんだかんだ言いつつ国ごとにビジネスでの騙し方に違いがあるというか文化的な差があると共に、明らかな強弱関係があると思ったので今日はこんな記事を書いてみました。なお公平を期すため日本人の騙し方について最後少し触れると、基本は日本人同士での騙し合いになりますが私の感覚だと知らない振りをする、覚えていない振りをするというパターンが多いような気がします。
たとえば散々クレームをつけて代品とか届けた後で実は元々欠陥が無かったりした時とかに、「あれ、代品出せってそんなこと言いましたっけ?」とすっとぼけてごまかすパターンがやや典型的かなと考えています。こうなるのも割と日本人は契約書を重視せず口約束で物事を進める傾向が強いため、言った言わないでお互いにごまかし合ったり騙し合ったりしやすい環境にあり、しかも強くクレームを言わない大人しさがそうした傾向に拍車をかけていると思います。
2016年8月24日水曜日
暴力に対する認識差
恐らく、疲れているのだと思いますが先ほどからブログ執筆ページを開きながら30分以上も何もせずにパソコンでかけている音楽を聴き続けていました。このところやや仕事が忙しくはなっているものの体力的には暑さのピークを過ぎて余裕があり、返ってその余裕が出てきたせいか物事を異常なまでに深く考えることが増えており、感覚的にですがなにか猛烈な発想の転換が近く起こるんじゃないかという気がします。仮に起こるとしたら多分九月くらいから執筆内容がいろいろすごいことになるんじゃないかという予感があり、先週とか何度も強い頭痛に襲われたのももしかしたら軽いてんかん発作で、この時から頭の中で何か色々起こってたのかもしれません。
そんなわけで完全に読者置いてきぼりのわけわからない内容でも書こうかと思案に暮れた結果、先日に書いた「問題を探す力、発見する力」という記事の続編として暴力について少し書きます。前回の記事で私は表向き、受験エリートは問題解決能力には優れているが問題自身を捜す、見つける力は極端に低い傾向があると指摘しましたが、何故そのような傾向が生まれるのかという背景については敢えて一切触れませんでした。その背景とは非常に簡単で受験エリートは総じて体制側に組み入れられるからで、官僚とか大企業社員などその体制の中で恩恵を受ける立場となるため体制の維持に視点が向き、体制の秩序を崩すような不備や問題には関心を払わず維持に当たっての問題解決にのみ集中するためです。
これとは逆に非受験エリートは体制に組み入れられるどころか弾かれ、被差別階級に至ってはその体制にいることは不利でしかないため体制を否定したり破壊する問題点をむしろ探そうという風に動くのではと考えています。もっとも問題点を漁る方向に力を注力し過ぎるもんだからうまいこと革命や政権交代した所で今度は自分たちの体制を維持する能力が低く問題解決が上手くできないわけですが、言ってしまえばこれはいわゆる右翼と左翼、保守と革新の構図にそのまま当てはめることが出来ます。
この構図を裏テーマとして念頭に置きながら書いたところ、友人一人が見事にそれを指摘してきたわけで、明示しているわけじゃないから普通わかるはずないのに勘のいい人間はやはり食いついてくるんだなと驚くと共に、他にもはっきりと意識はできてはいないものの何となく感じていた人はいるのかなと少し考えました。
それは置いといて話しは変わりますが、以前に佐藤優氏が「左翼は個人の暴力はともかく、国家の暴力に鈍いし鈍感だ」というようなことを本の中で述べていたことを思い出しました。上記の体勢に対する意識の差と関係あるかは人それぞれですが、この佐藤氏の意見について私も同意見で、暴力に対する認識が右と左と庶民とで異なるなという風に考えています。
国家の暴力とは何かと言えばわかりやすいのは旧共産圏の言論弾圧や強制収容所で、個人ではなく国家権力によって個人へ行われる暴力の事です。いわゆる社会主義者たちは反体制側にいるときは国家の暴力に対して散々罵りますがいざ体制を握るや躊躇せずに存分に使い倒す傾向があることは過去の共産圏を見るだけでも火を見るより明らかです。かといって体制にいる資本主義者が国家の暴力を使わないというわけではなくこちらも国によってはガンガン使いますが、決定的に違うのは構成員がその暴力自体の恐ろしさをある程度は理解しているという点で、少なくとも自分がターゲットにならないように動くと私は考えています。
一方で庶民からすれば暴力と言ったところで中学高校で不良がいじめられっ子を殴るシーンやドメスティックバイオ連とかを想像するのではないかと思います。いわゆる交渉の手段として暴力を計算に入れ想像するのはヤクザとちょっとおかしな人くらいでしょうが、かえって「手段」として認識する方が上記例の「目的」として認識するよりは制限はあるかなという気がします。そして、自らがその暴力にさらされる可能性があると常に認識しているか否かも価値観の違いを生むでしょう
佐藤優氏なんかは実際にその国家の暴力にさらされたわけですが、彼ほど極端ではなくても暴力というのは予告なしで突然、思わぬ方向から理不尽に飛んでくるものだと私は考えており、対策をしていてもどうにかなるものではないもののなるべくさらされずに済むよう気は配っています。それでもさらされた場合はどうするのか、屈するのか抵抗するのか、抵抗するとしたらどうするのか、さすがにここまで深く考えているわけではないものの手段としての暴力は選択肢に入れています。
一般市民レベルではともかくとして政治や体制を見る上でこの暴力に対する認識の違いを把握することは団体や組織の傾向を掴む上では非常に有用で、その距離感、行使被行使に対する意識を見ることでどういった行動に出やすいのか、結論としてまともかまともでないかを認識する上で役に立ちます。具体的には、殴られる覚悟があって殴ろうとする人間が最もまともで、殴られる覚悟もないのに殴ろうとする人間がその対極です。
普通の日本社会では暴力はただ否定されるだけの存在ですが、否定されたところで社会から暴力の存在がなくなることはありえず、敬遠すべき概念とはいえそれがそこに存在することはしっかりと認識すべきというのが私の立場です。少なくとも、暴力のない世界だと騙して子供を社会に送り出したりは私はしたくありません。
何も考えずに書いているので非常にわかり辛い文章だと思いますが今回裏テーマは存在せず、言いたことは非常に単純で、やられたらやり返せばいいしそれで世の中は丸く収まり、暴力はよくないと言いながら平気で振るってくる奴は案外多いってことだけです。暴力のない社会と理想論を語るのは立派ですが、存在するものを直視しないのはただ愚かなだけでしょう。
そんなわけで完全に読者置いてきぼりのわけわからない内容でも書こうかと思案に暮れた結果、先日に書いた「問題を探す力、発見する力」という記事の続編として暴力について少し書きます。前回の記事で私は表向き、受験エリートは問題解決能力には優れているが問題自身を捜す、見つける力は極端に低い傾向があると指摘しましたが、何故そのような傾向が生まれるのかという背景については敢えて一切触れませんでした。その背景とは非常に簡単で受験エリートは総じて体制側に組み入れられるからで、官僚とか大企業社員などその体制の中で恩恵を受ける立場となるため体制の維持に視点が向き、体制の秩序を崩すような不備や問題には関心を払わず維持に当たっての問題解決にのみ集中するためです。
これとは逆に非受験エリートは体制に組み入れられるどころか弾かれ、被差別階級に至ってはその体制にいることは不利でしかないため体制を否定したり破壊する問題点をむしろ探そうという風に動くのではと考えています。もっとも問題点を漁る方向に力を注力し過ぎるもんだからうまいこと革命や政権交代した所で今度は自分たちの体制を維持する能力が低く問題解決が上手くできないわけですが、言ってしまえばこれはいわゆる右翼と左翼、保守と革新の構図にそのまま当てはめることが出来ます。
この構図を裏テーマとして念頭に置きながら書いたところ、友人一人が見事にそれを指摘してきたわけで、明示しているわけじゃないから普通わかるはずないのに勘のいい人間はやはり食いついてくるんだなと驚くと共に、他にもはっきりと意識はできてはいないものの何となく感じていた人はいるのかなと少し考えました。
それは置いといて話しは変わりますが、以前に佐藤優氏が「左翼は個人の暴力はともかく、国家の暴力に鈍いし鈍感だ」というようなことを本の中で述べていたことを思い出しました。上記の体勢に対する意識の差と関係あるかは人それぞれですが、この佐藤氏の意見について私も同意見で、暴力に対する認識が右と左と庶民とで異なるなという風に考えています。
国家の暴力とは何かと言えばわかりやすいのは旧共産圏の言論弾圧や強制収容所で、個人ではなく国家権力によって個人へ行われる暴力の事です。いわゆる社会主義者たちは反体制側にいるときは国家の暴力に対して散々罵りますがいざ体制を握るや躊躇せずに存分に使い倒す傾向があることは過去の共産圏を見るだけでも火を見るより明らかです。かといって体制にいる資本主義者が国家の暴力を使わないというわけではなくこちらも国によってはガンガン使いますが、決定的に違うのは構成員がその暴力自体の恐ろしさをある程度は理解しているという点で、少なくとも自分がターゲットにならないように動くと私は考えています。
一方で庶民からすれば暴力と言ったところで中学高校で不良がいじめられっ子を殴るシーンやドメスティックバイオ連とかを想像するのではないかと思います。いわゆる交渉の手段として暴力を計算に入れ想像するのはヤクザとちょっとおかしな人くらいでしょうが、かえって「手段」として認識する方が上記例の「目的」として認識するよりは制限はあるかなという気がします。そして、自らがその暴力にさらされる可能性があると常に認識しているか否かも価値観の違いを生むでしょう
佐藤優氏なんかは実際にその国家の暴力にさらされたわけですが、彼ほど極端ではなくても暴力というのは予告なしで突然、思わぬ方向から理不尽に飛んでくるものだと私は考えており、対策をしていてもどうにかなるものではないもののなるべくさらされずに済むよう気は配っています。それでもさらされた場合はどうするのか、屈するのか抵抗するのか、抵抗するとしたらどうするのか、さすがにここまで深く考えているわけではないものの手段としての暴力は選択肢に入れています。
一般市民レベルではともかくとして政治や体制を見る上でこの暴力に対する認識の違いを把握することは団体や組織の傾向を掴む上では非常に有用で、その距離感、行使被行使に対する意識を見ることでどういった行動に出やすいのか、結論としてまともかまともでないかを認識する上で役に立ちます。具体的には、殴られる覚悟があって殴ろうとする人間が最もまともで、殴られる覚悟もないのに殴ろうとする人間がその対極です。
普通の日本社会では暴力はただ否定されるだけの存在ですが、否定されたところで社会から暴力の存在がなくなることはありえず、敬遠すべき概念とはいえそれがそこに存在することはしっかりと認識すべきというのが私の立場です。少なくとも、暴力のない世界だと騙して子供を社会に送り出したりは私はしたくありません。
何も考えずに書いているので非常にわかり辛い文章だと思いますが今回裏テーマは存在せず、言いたことは非常に単純で、やられたらやり返せばいいしそれで世の中は丸く収まり、暴力はよくないと言いながら平気で振るってくる奴は案外多いってことだけです。暴力のない社会と理想論を語るのは立派ですが、存在するものを直視しないのはただ愚かなだけでしょう。
2016年8月22日月曜日
過去のステルスマーケティング事例
何故か続いてしまったステマ記事ですが、今回はこれまでに起きたステルスマーケティングの事例を紹介します。基本有名どころばかりになってしまいますが。
まず初めに、ステルスマーケティング(ステマ)の定義づけを先に行っておきます。これに関しては私の言葉で述べると、「組織的な広告・宣伝活動であると明示せず中立な第三者を装って商品やサービスを紹介・宣伝する。または競合先のネガティブキャンペーンを行う」といったところに落ち着きます。実際のところ、どこからどこまでがステマであるのか線引きについては議論の分かれるところで、今日書く記事はその線引きも敢えて意識して作っています。
・ソニー発のステルスマーケティング
1、デビッドマニング事件
2、ゲートキーパー問題
3、その他もろもろ
既に解説済みだし解説するのにも飽きているので詳細はリンク先を見てください。
・ペニーオークション詐欺(2012年)
こちらも有名な事件なので知ってる人も多いと思われますが、2012年に発覚したペニーオークションサイトを舞台にしたステマ事例です。
この事例の首謀者はペニーオークションと言って、入札ごとに入札料を支払うという形式のオークションを行うサイトを運営し、初めから一般の入札者が商品を落札できないようにプログラムを組んでいただけでなく、そもそも入札する商品も最初から仕入れてもいないという悪質極まりないサービスが展開されていました。どう見たって怪しいシステムだし全く入札できないという声が集まったことから警察の強制捜査が入り敢え無く御用となりましたが、事件化されたことによってこのサイトではステマが行われていたことが明らかとなりました。
この業者が逮捕される以前、グラビアアイドルを中心に「ペニオクで安くで商品買えちゃったー」という記事を個人ブログに掲載する芸能人が多数存在しました。当初からそのシステムの怪しさと芸能人らがやや組織立って推薦するような記事を書いていたことから怪しまれていましたが、案の定というか業者から芸能人に謝礼付きで、第三社を装って記事を書くようにと依頼を受けての行為でした。
事件化によってステマであったことが発覚し、これによりほしのあきや小森純などは騒動を謝罪したものの半引退に追い込まれ、グラビア仲間に「アルバイト」としてステマをあっせんした松金ようこに至っては芸能界から完全に引退する羽目となりました。業者の悪質さやステマの不法行為を考えると仕方のないものかと思われますが、私個人として一番の疑問は引き受けるのに抵抗を覚えなかったのかって点です。明らかに怪しい業者なんだし。
・ハレ晴れユカイ騒動(2006年)
これは当時リアルタイムで見ていたのでそこそこ詳しい自信があるのですが、当時大人気だった「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの主題歌「ハレ晴れユカイ」に対するステマがきっかけとなり非常に大きなネット騒動が勃発しました。
・第一次ブログ連戦争(ニコニコ大百科)
大まかな概略は上の記事にも書かれてありますが、今では当たり前の存在となっているいわゆる「2ちゃん記事まとめブログ」という、大手掲示板のスレッド内容を読みやすいように編集加工してのせる「まとめサイト」がこの時辺りからネットで増えていました。ただ当時のネット住民は「のまネコ騒動」でもみられたように無料公開されている2ちゃんねるの記事を商業利用することに対して強い嫌悪感を持っており、まとめサイトに対しても批判が少なくありませんでした。
そんな中、とあるまとめサイト管理人のmixi(SNSとしてはもはや死語だなぁ)での、他のまとめサイト管理人らとのやり取り内容がネットに流出し、その中には「ハレ晴れユカイをプッシュしよう!」というような内容が書かれていたそうです。ついでに書くと、「アフィうめぇ」というのもあったとも。
一体これはどういう事かというと、まとめサイトは基本的に自分のサイト内でアフィリエイト広告を掲示し、この広告へのクリックによる紹介料を収入としています。この当時、まとめサイトの管理人らがやろうとしたことは2ちゃんねるでの「ハレ晴れユカイ」に関するスレッドを意図的に多く掲載することによって各サイトにある同曲のアフィリエイト広告へと誘導するという方法で、実際当時いろんなまとめサイトを訪れていましたがこの時に「ハレ晴れユカイ」のプッシュのされようはブームというのを通り越すくらい異常に多かったです。
このステマで特徴的な点は二つあり、ステマ当事者はその商品・サービスの直接の販売者ではないということと、複数のサイト管理人が共謀してプッシュしていたということです。特に後者に関してはかねてから批判の多かったまとめサイト管理人同士の横のつながりがあったことがわかったことで2ちゃんねるを中心に猛烈な反発が起こり、各まとめサイトでコメント欄が炎上しただけでなく、管理人らの個人情報が暴露されて電話突撃なども敢行されたと聞きます。
こうした甲斐あって当時隆盛を誇ったまとめサイトの多くは消滅し、逆に当時はマイナーでこのステマに関わってなかったまとめサイトがメジャーに昇格するという現象が起こりました。当時、まとめサイトの老舗中の老舗である「痛いニュース」を除いて一番勢いがあったと思われる「ニャー速」も、この時の騒動では最大ターゲットとされ荒れに荒れた末に消滅しました。当時よく見てたからなくなった時はちょっと寂しかったですが。
以上、簡単にステマ事例を紹介しましたが必ずしもこうであるとは限らないものの、どれもインターネットを介したステマ事例となっており、ステマというのは本質的にネットを舞台に行われる違法なマーケティング手法と見ても間違いではないでしょう。またその線引きも曖昧であるため、ペニオク騒動の様に本人らの自覚のないままにステマに加担するような例も今後増えてくるのではないかという気がします。
私自身もこうした点には注意を払っており、たまにAmazonのアフィリエイト広告を貼っていますがこの際に貼る広告は必ず自分が読んだ本、遊んだゲームなど直接体験した物に限っています。読んでもない本を紹介するのはステマではないものの推薦するのにおかしいと考えるからですが、逆を言えば体験もしていないのに広告を貼る輩も多いと言ったところでしょうか。
まず初めに、ステルスマーケティング(ステマ)の定義づけを先に行っておきます。これに関しては私の言葉で述べると、「組織的な広告・宣伝活動であると明示せず中立な第三者を装って商品やサービスを紹介・宣伝する。または競合先のネガティブキャンペーンを行う」といったところに落ち着きます。実際のところ、どこからどこまでがステマであるのか線引きについては議論の分かれるところで、今日書く記事はその線引きも敢えて意識して作っています。
・ソニー発のステルスマーケティング
1、デビッドマニング事件
2、ゲートキーパー問題
3、その他もろもろ
既に解説済みだし解説するのにも飽きているので詳細はリンク先を見てください。
・ペニーオークション詐欺(2012年)
こちらも有名な事件なので知ってる人も多いと思われますが、2012年に発覚したペニーオークションサイトを舞台にしたステマ事例です。
この事例の首謀者はペニーオークションと言って、入札ごとに入札料を支払うという形式のオークションを行うサイトを運営し、初めから一般の入札者が商品を落札できないようにプログラムを組んでいただけでなく、そもそも入札する商品も最初から仕入れてもいないという悪質極まりないサービスが展開されていました。どう見たって怪しいシステムだし全く入札できないという声が集まったことから警察の強制捜査が入り敢え無く御用となりましたが、事件化されたことによってこのサイトではステマが行われていたことが明らかとなりました。
この業者が逮捕される以前、グラビアアイドルを中心に「ペニオクで安くで商品買えちゃったー」という記事を個人ブログに掲載する芸能人が多数存在しました。当初からそのシステムの怪しさと芸能人らがやや組織立って推薦するような記事を書いていたことから怪しまれていましたが、案の定というか業者から芸能人に謝礼付きで、第三社を装って記事を書くようにと依頼を受けての行為でした。
事件化によってステマであったことが発覚し、これによりほしのあきや小森純などは騒動を謝罪したものの半引退に追い込まれ、グラビア仲間に「アルバイト」としてステマをあっせんした松金ようこに至っては芸能界から完全に引退する羽目となりました。業者の悪質さやステマの不法行為を考えると仕方のないものかと思われますが、私個人として一番の疑問は引き受けるのに抵抗を覚えなかったのかって点です。明らかに怪しい業者なんだし。
・ハレ晴れユカイ騒動(2006年)
これは当時リアルタイムで見ていたのでそこそこ詳しい自信があるのですが、当時大人気だった「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの主題歌「ハレ晴れユカイ」に対するステマがきっかけとなり非常に大きなネット騒動が勃発しました。
・第一次ブログ連戦争(ニコニコ大百科)
大まかな概略は上の記事にも書かれてありますが、今では当たり前の存在となっているいわゆる「2ちゃん記事まとめブログ」という、大手掲示板のスレッド内容を読みやすいように編集加工してのせる「まとめサイト」がこの時辺りからネットで増えていました。ただ当時のネット住民は「のまネコ騒動」でもみられたように無料公開されている2ちゃんねるの記事を商業利用することに対して強い嫌悪感を持っており、まとめサイトに対しても批判が少なくありませんでした。
そんな中、とあるまとめサイト管理人のmixi(SNSとしてはもはや死語だなぁ)での、他のまとめサイト管理人らとのやり取り内容がネットに流出し、その中には「ハレ晴れユカイをプッシュしよう!」というような内容が書かれていたそうです。ついでに書くと、「アフィうめぇ」というのもあったとも。
一体これはどういう事かというと、まとめサイトは基本的に自分のサイト内でアフィリエイト広告を掲示し、この広告へのクリックによる紹介料を収入としています。この当時、まとめサイトの管理人らがやろうとしたことは2ちゃんねるでの「ハレ晴れユカイ」に関するスレッドを意図的に多く掲載することによって各サイトにある同曲のアフィリエイト広告へと誘導するという方法で、実際当時いろんなまとめサイトを訪れていましたがこの時に「ハレ晴れユカイ」のプッシュのされようはブームというのを通り越すくらい異常に多かったです。
このステマで特徴的な点は二つあり、ステマ当事者はその商品・サービスの直接の販売者ではないということと、複数のサイト管理人が共謀してプッシュしていたということです。特に後者に関してはかねてから批判の多かったまとめサイト管理人同士の横のつながりがあったことがわかったことで2ちゃんねるを中心に猛烈な反発が起こり、各まとめサイトでコメント欄が炎上しただけでなく、管理人らの個人情報が暴露されて電話突撃なども敢行されたと聞きます。
こうした甲斐あって当時隆盛を誇ったまとめサイトの多くは消滅し、逆に当時はマイナーでこのステマに関わってなかったまとめサイトがメジャーに昇格するという現象が起こりました。当時、まとめサイトの老舗中の老舗である「痛いニュース」を除いて一番勢いがあったと思われる「ニャー速」も、この時の騒動では最大ターゲットとされ荒れに荒れた末に消滅しました。当時よく見てたからなくなった時はちょっと寂しかったですが。
以上、簡単にステマ事例を紹介しましたが必ずしもこうであるとは限らないものの、どれもインターネットを介したステマ事例となっており、ステマというのは本質的にネットを舞台に行われる違法なマーケティング手法と見ても間違いではないでしょう。またその線引きも曖昧であるため、ペニオク騒動の様に本人らの自覚のないままにステマに加担するような例も今後増えてくるのではないかという気がします。
私自身もこうした点には注意を払っており、たまにAmazonのアフィリエイト広告を貼っていますがこの際に貼る広告は必ず自分が読んだ本、遊んだゲームなど直接体験した物に限っています。読んでもない本を紹介するのはステマではないものの推薦するのにおかしいと考えるからですが、逆を言えば体験もしていないのに広告を貼る輩も多いと言ったところでしょうか。
2016年8月21日日曜日
ステルスマーケティングの見分け方
昨夜ブログ書こうとしたら猛烈に頭痛くなってバタンキューしてました。冷房に当たりすぎたのかお昼にケーキ食べに高島屋へ自転車で行く途中に光化学スモッグ吸ったのかわかりませんが、右半身に血液通ってないような感覚になり、なんかふとんの上で寝転がるのも気分悪かったから何故か床の上に何も敷かず寝てました。ちなみに高島屋で示し合わせたかのように同僚二人と遭遇し、暑いからか何故かみんな自然と高島屋に集合してたようです。
話しは本題に入りますが、前回の記事で私はソニーのステルスマーケティング事例について紹介しましたが、ステルスマーケティングというのは概してそれがステルスマーケティングであるかどうか判別することが困難であることが大きな特徴といえます。それこそかつての事件の様に、ステルスマーケティングを行っていた業者が摘発された際に初めて明るみに出ることもすくなくなく、またネットの書き込みなどもソニーの拙い手法によるものでもない限りは明確な証拠を消費者が確認できる手段はほぼ皆無でしょう。
そこで今日はあくまで私個人の一意見として、ステルスマーケティングらしき広告文、書き込みの見分け方を紹介しようと思います。この見分け方はあくまで私個人の基準による、ステルスマーケティングと思しき書き込みの見分け方なので、絶対的な基準ではないということをあらかじめご了承ください。
1、投稿者の履歴
基本中の基本ですが、Amazonや食べログなどではレビュアーの過去の投稿を見ることが可能で、過去の投稿でも商品やサービスをやや過大に絶賛するコメントを延々と繰り返している人間はその手の業者の人間と見て間違いないでしょう。サイトなどもこうした人たちの規制を行ってはいるようですが、その辺はいたちごっこにならざるを得ないので消費者側もある程度判別する能力が求められてきます。
2、一から十まで内容の説明が入っている
これは漫画や小説などで顕著ですが、その本に収められている内容を最初から最後までびっしり説明しているものはほぼステマと見て間違いないと思われます。具体的には、「この巻にある第○話では××が~で、次の話では~で……」のような具合で、延々と説明が続くような形式です。感想というよりは説明文で、飲食店などに関しても必要以上と思われるくらいにメニューの金額がびっしり入っているものは疑ってかかるべきでしょう。
自分のライターとして経験から言わすと、無償でレビューをするに当たってびっしりと内容を説明しようとする人間はまずいません。逆に、有償でレビューしようとなると知らず知らずにこうした書き方になる可能性が高いです。理由はごく簡単で、手軽に字数が稼げるからです。
3、他人の評価を引用している
例えば飲食店で同席した友人の感想を入れるならまだありですが、そうではない知人や家族、他のネットでの評価を引用している場合もステマの可能性が高いような気がします。たとえば本に関してだと、「私の母も熱中して読んでました」等のように、「他の人間もはまっているんだぞ!」と主張するかのような書き方には気を付けるべきです。
これもライターとしての立場から言えば、企業のプレゼンといったマーケティングならともかく消費者としてのレビューで他人の評価を入れようとするのは自然には起こらない気がします。他のレビュアーの意見に賛同、反対する意見を自分のレビューに書くのはまだ自然ですが、その場にいない人間の評価を自分のレビューに入れ込もうとするのは不自然で、これに関しては以下でもう少し詳細に解説します。
4、同じレビューがシリーズの別の巻にも入れられている
これも本とかで多いですが全く同じレビュー文章が1巻から10巻まで書かれていることがあり、これは確実にステマと言えます。っていうかこれはやってる人間の気がしれない。
5、過大に褒めちぎる
これも解説する必要あるのかと思うくらい単純なポイントですが、これでもかと言わんばかりに絶賛の限りを尽くし、しかもそのようなレビューが次の人間以降も延々と続くケースは怪しいです。一人や二人なら絶賛し続けることもあり得ますが、普通は少なからず欠点を指摘する人間も段々と混ざるため、レビューが絶賛一色なのは言うまでもありませんが不自然でしょう。
6、主観か客観か
ある意味これが一番の見分けポイントで3番にもつながりますが、商品やサービスのレビューは基本的に主観で以って書かれるものであり、レビュー文章が客観的に書かれてある場合は疑ってかかるべきです。考えても見ればわかりますが人はレビューを書く時、誰かに頼まれるわけでもなく自発的に書くわけで、基本的にその文章はレビュアーの主観が色濃く反映されます。具体的にはどの点が気に入ったかどの点が気に入らないのかが盛り込まれることが多く、その後の文章もそうした点の説明に終始するのが自然な書かれ方です。
それに対し、3番で述べたように自身の評価というよりは周囲の評価を引用したり、他でも取り上げられているといった事例を書き並べるような書き方や、「高い売上げ」だとか「ランキング上位」などと客観的データを引用する書き方するのは普通のレビュアーはまず書かれることは有り得ないと思われます。比較サイトや個人ブログであればそうした客観的な書き方もされることもあり、というよりなくちゃだめですが、商品ページの口コミや書き込みにそこまで書こうとするのは何らかの意図が無ければ有り得ない行為だと、ライターとして思うわけです。
以上が私のざっとしたステマ書き込み・レビューの見分け方です。一番のポイントはやはり6番の主観か客観かで、変によそよそしく距離を置いた書き方については注意された方がいいというのが私の意見です。
折角なので続きの記事ではこれまで確認されたステマの事例を一気にまとめあげようと思います。意外と記録に残っていないステマ事例もあるし、いいまとになるんじゃないかな。
話しは本題に入りますが、前回の記事で私はソニーのステルスマーケティング事例について紹介しましたが、ステルスマーケティングというのは概してそれがステルスマーケティングであるかどうか判別することが困難であることが大きな特徴といえます。それこそかつての事件の様に、ステルスマーケティングを行っていた業者が摘発された際に初めて明るみに出ることもすくなくなく、またネットの書き込みなどもソニーの拙い手法によるものでもない限りは明確な証拠を消費者が確認できる手段はほぼ皆無でしょう。
そこで今日はあくまで私個人の一意見として、ステルスマーケティングらしき広告文、書き込みの見分け方を紹介しようと思います。この見分け方はあくまで私個人の基準による、ステルスマーケティングと思しき書き込みの見分け方なので、絶対的な基準ではないということをあらかじめご了承ください。
1、投稿者の履歴
基本中の基本ですが、Amazonや食べログなどではレビュアーの過去の投稿を見ることが可能で、過去の投稿でも商品やサービスをやや過大に絶賛するコメントを延々と繰り返している人間はその手の業者の人間と見て間違いないでしょう。サイトなどもこうした人たちの規制を行ってはいるようですが、その辺はいたちごっこにならざるを得ないので消費者側もある程度判別する能力が求められてきます。
2、一から十まで内容の説明が入っている
これは漫画や小説などで顕著ですが、その本に収められている内容を最初から最後までびっしり説明しているものはほぼステマと見て間違いないと思われます。具体的には、「この巻にある第○話では××が~で、次の話では~で……」のような具合で、延々と説明が続くような形式です。感想というよりは説明文で、飲食店などに関しても必要以上と思われるくらいにメニューの金額がびっしり入っているものは疑ってかかるべきでしょう。
自分のライターとして経験から言わすと、無償でレビューをするに当たってびっしりと内容を説明しようとする人間はまずいません。逆に、有償でレビューしようとなると知らず知らずにこうした書き方になる可能性が高いです。理由はごく簡単で、手軽に字数が稼げるからです。
3、他人の評価を引用している
例えば飲食店で同席した友人の感想を入れるならまだありですが、そうではない知人や家族、他のネットでの評価を引用している場合もステマの可能性が高いような気がします。たとえば本に関してだと、「私の母も熱中して読んでました」等のように、「他の人間もはまっているんだぞ!」と主張するかのような書き方には気を付けるべきです。
これもライターとしての立場から言えば、企業のプレゼンといったマーケティングならともかく消費者としてのレビューで他人の評価を入れようとするのは自然には起こらない気がします。他のレビュアーの意見に賛同、反対する意見を自分のレビューに書くのはまだ自然ですが、その場にいない人間の評価を自分のレビューに入れ込もうとするのは不自然で、これに関しては以下でもう少し詳細に解説します。
4、同じレビューがシリーズの別の巻にも入れられている
これも本とかで多いですが全く同じレビュー文章が1巻から10巻まで書かれていることがあり、これは確実にステマと言えます。っていうかこれはやってる人間の気がしれない。
5、過大に褒めちぎる
これも解説する必要あるのかと思うくらい単純なポイントですが、これでもかと言わんばかりに絶賛の限りを尽くし、しかもそのようなレビューが次の人間以降も延々と続くケースは怪しいです。一人や二人なら絶賛し続けることもあり得ますが、普通は少なからず欠点を指摘する人間も段々と混ざるため、レビューが絶賛一色なのは言うまでもありませんが不自然でしょう。
6、主観か客観か
ある意味これが一番の見分けポイントで3番にもつながりますが、商品やサービスのレビューは基本的に主観で以って書かれるものであり、レビュー文章が客観的に書かれてある場合は疑ってかかるべきです。考えても見ればわかりますが人はレビューを書く時、誰かに頼まれるわけでもなく自発的に書くわけで、基本的にその文章はレビュアーの主観が色濃く反映されます。具体的にはどの点が気に入ったかどの点が気に入らないのかが盛り込まれることが多く、その後の文章もそうした点の説明に終始するのが自然な書かれ方です。
それに対し、3番で述べたように自身の評価というよりは周囲の評価を引用したり、他でも取り上げられているといった事例を書き並べるような書き方や、「高い売上げ」だとか「ランキング上位」などと客観的データを引用する書き方するのは普通のレビュアーはまず書かれることは有り得ないと思われます。比較サイトや個人ブログであればそうした客観的な書き方もされることもあり、というよりなくちゃだめですが、商品ページの口コミや書き込みにそこまで書こうとするのは何らかの意図が無ければ有り得ない行為だと、ライターとして思うわけです。
以上が私のざっとしたステマ書き込み・レビューの見分け方です。一番のポイントはやはり6番の主観か客観かで、変によそよそしく距離を置いた書き方については注意された方がいいというのが私の意見です。
折角なので続きの記事ではこれまで確認されたステマの事例を一気にまとめあげようと思います。意外と記録に残っていないステマ事例もあるし、いいまとになるんじゃないかな。
2016年8月18日木曜日
ソニーのステルスマーケティング
本題と関係ありませんがこのところの日ハム大谷選手の活躍には本気で目を見張ります。今年一年の活躍を以ってしても、彼は日本野球界で殿堂入りする資格があるとすら思えるほどです。
話は本題に入りますが私が中学、高校生だった頃、日本社会で最もブランド力の高い会社はトヨタでも野村証券でも日本テレビでもなく、間違いなくソニーでした。ただそのソニーは2003年の株価大暴落、いわゆるソニーショック以降はその評価が大きく下がり現在の様に「日系エレキ大手の一角」までその地位は落ちましたが、それ以前のソニーは誇張でもなく桁違いのブランド力で、「ソニー製でなければ家電にあらず」と言ってもいいくらいブイブイ言わせていました。実際、私が中学生の頃にパイオニア製ポータブルMDプレイヤーを買ったところ周りから、「ソニー製じゃないの?だっせー」とリアルで言われていました。
ついでに書くとこの時は野外でも音楽聞いてましたがなんか段々と鬱陶しくなり、高校出てからは外で音楽聞くことは一回もなく、i-Podもとうとう一度も持つことなく終わり現在に至ります。
話は戻りますがソニーはどうして絶頂からそこまで凋落したのか。理由は一つではなくいわゆるソニータイマーなどの製品品質への不信、業績の悪化、当時CEOだった出井伸之氏の路線失敗などいくらでも挙げられますが、地味に大きかったのではと今更ながら思うものとしてステルスマーケティングの行使があるのではと考えています。
・ステルスマーケティング(Wikipedia)
ステルスマーケティングについてもうこの際説明しませんが、そもそもこの言葉が日本で定着したきっかけもソニーの影響が大きいと思われます。
ソニー絡みで日本で一番話題となったステルスマーケティングはいわゆる「ゲートキーパー問題」で、これは大手掲示板サイトなどで組織的に、ソニーのゲーム製品を持ち上げる一方で任天堂製品を批判する書き込みがなされていたという事件で、プロバイダーを探ってったところどの書き込みもソニー本社からなされており、しかもホスト名が「gatekeeper??.Sony.CO.JP」と見たまんまだったことから明るみとなりました。詳しく確認してませんがソニー自身はこの問題について「ノーコメント」と無言の肯定していることからほぼ伝聞事実で間違いなく、かなりお粗末なステルスマーケティングをソニーがやっていたということになります。
なおこのゲートキーパー問題が明るみに出た当時はやはりネット上でのソニーへの批判は非常に大きかったと覚えています。逆を言えばゲームをせず、ネット掲示板もあまり見ない人からすれば事件の存在自体知らなかったと思われ、世間の認知度はそれほど高くないのではとも見ています。
仮にこのゲートキーパー事件だけであれば「魔が差した」と見ることもできますが、実際にはソニーはかなり古くからステルスマーケティングを組織的に運用しており、こういってはなんですが抵抗なくやってると思う節すらあります。
そんなソニーの別の代表的なステルスマーケティング例として米国での「デビッド・マニング事件」というものがあり、これは架空の映画評論ライター「デビッド・マニング」にソニーピクチャー製の映画を絶賛させていた事件です。当初からその言動が怪しまれ架空のライターではないかと噂されたためわざわざソニーは合成音声を使ってラジオにまで出演させましたが最終的にはばれてしまい、裁判にまで発展してプッシュされた映画を見たという人に5ドルずつ賠償する羽目になっています。っていうか5ドルで映画見られるんだなアメリカって。
上記以外にもウィキペディアの「ソニーのステルスマーケティング事件」の項目を見るとこれでもかと言わんばかりにステマを繰り返しており、内心見ていて反省しない奴らだなと呆れてきます。もっともソニーに限らず多かれ少なかれの大企業ではこの手のことをやっていますが、ソニーだけこんだけばれるってことは世間からも強く疑われているのと、ゲートキーパー問題を始めステルス性が極端に低いということでしょう。メタルギアソリッドはプレイステーション用ソフトなのに。
なお以前、ネット広告サービス会社に取材した時、日本では景品表示法などでステルスマーケティングに対する取り締まりも実際に行われているが、中国だとまだこの方面で緩いところがあるので必要に応じてやることもあるということをこそっと教えてくれました。記事には書かないでくれとは言われたので当時は書きませんでしたが、話してる感じだと広告関係者の間では「ばれなければ大丈夫」な手段として認知されているような感覚を覚えました。
実際、今の日本においても、というよりネット書き込みが発達した今だからこそステルスマーケティングはそこらかしこで展開されていると断言できます。そこで次回はいくらか実例を出して、ステルスマーケティングと思しき書き込みを紹介しようかなと思います。
話は本題に入りますが私が中学、高校生だった頃、日本社会で最もブランド力の高い会社はトヨタでも野村証券でも日本テレビでもなく、間違いなくソニーでした。ただそのソニーは2003年の株価大暴落、いわゆるソニーショック以降はその評価が大きく下がり現在の様に「日系エレキ大手の一角」までその地位は落ちましたが、それ以前のソニーは誇張でもなく桁違いのブランド力で、「ソニー製でなければ家電にあらず」と言ってもいいくらいブイブイ言わせていました。実際、私が中学生の頃にパイオニア製ポータブルMDプレイヤーを買ったところ周りから、「ソニー製じゃないの?だっせー」とリアルで言われていました。
ついでに書くとこの時は野外でも音楽聞いてましたがなんか段々と鬱陶しくなり、高校出てからは外で音楽聞くことは一回もなく、i-Podもとうとう一度も持つことなく終わり現在に至ります。
話は戻りますがソニーはどうして絶頂からそこまで凋落したのか。理由は一つではなくいわゆるソニータイマーなどの製品品質への不信、業績の悪化、当時CEOだった出井伸之氏の路線失敗などいくらでも挙げられますが、地味に大きかったのではと今更ながら思うものとしてステルスマーケティングの行使があるのではと考えています。
・ステルスマーケティング(Wikipedia)
ステルスマーケティングについてもうこの際説明しませんが、そもそもこの言葉が日本で定着したきっかけもソニーの影響が大きいと思われます。
ソニー絡みで日本で一番話題となったステルスマーケティングはいわゆる「ゲートキーパー問題」で、これは大手掲示板サイトなどで組織的に、ソニーのゲーム製品を持ち上げる一方で任天堂製品を批判する書き込みがなされていたという事件で、プロバイダーを探ってったところどの書き込みもソニー本社からなされており、しかもホスト名が「gatekeeper??.Sony.CO.JP」と見たまんまだったことから明るみとなりました。詳しく確認してませんがソニー自身はこの問題について「ノーコメント」と無言の肯定していることからほぼ伝聞事実で間違いなく、かなりお粗末なステルスマーケティングをソニーがやっていたということになります。
なおこのゲートキーパー問題が明るみに出た当時はやはりネット上でのソニーへの批判は非常に大きかったと覚えています。逆を言えばゲームをせず、ネット掲示板もあまり見ない人からすれば事件の存在自体知らなかったと思われ、世間の認知度はそれほど高くないのではとも見ています。
仮にこのゲートキーパー事件だけであれば「魔が差した」と見ることもできますが、実際にはソニーはかなり古くからステルスマーケティングを組織的に運用しており、こういってはなんですが抵抗なくやってると思う節すらあります。
そんなソニーの別の代表的なステルスマーケティング例として米国での「デビッド・マニング事件」というものがあり、これは架空の映画評論ライター「デビッド・マニング」にソニーピクチャー製の映画を絶賛させていた事件です。当初からその言動が怪しまれ架空のライターではないかと噂されたためわざわざソニーは合成音声を使ってラジオにまで出演させましたが最終的にはばれてしまい、裁判にまで発展してプッシュされた映画を見たという人に5ドルずつ賠償する羽目になっています。っていうか5ドルで映画見られるんだなアメリカって。
上記以外にもウィキペディアの「ソニーのステルスマーケティング事件」の項目を見るとこれでもかと言わんばかりにステマを繰り返しており、内心見ていて反省しない奴らだなと呆れてきます。もっともソニーに限らず多かれ少なかれの大企業ではこの手のことをやっていますが、ソニーだけこんだけばれるってことは世間からも強く疑われているのと、ゲートキーパー問題を始めステルス性が極端に低いということでしょう。メタルギアソリッドはプレイステーション用ソフトなのに。
なお以前、ネット広告サービス会社に取材した時、日本では景品表示法などでステルスマーケティングに対する取り締まりも実際に行われているが、中国だとまだこの方面で緩いところがあるので必要に応じてやることもあるということをこそっと教えてくれました。記事には書かないでくれとは言われたので当時は書きませんでしたが、話してる感じだと広告関係者の間では「ばれなければ大丈夫」な手段として認知されているような感覚を覚えました。
実際、今の日本においても、というよりネット書き込みが発達した今だからこそステルスマーケティングはそこらかしこで展開されていると断言できます。そこで次回はいくらか実例を出して、ステルスマーケティングと思しき書き込みを紹介しようかなと思います。
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