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2020年7月25日土曜日

無怪我で済んだ交通事故

 先ほどニトリで壁に就ける吸盤フックを購入後、自転車で帰宅していたらガチな交通事故に遭いました。状況は、自分が自転車レーンを直進していたら自分から見て右手にある建物エリア入口に入ろうとした車が正面から左折してきて、そのまま直進していた自分に気づかずぶつかってきました。
 車が近寄ってくるのに一切減速しなかったため、自分の方で自転車の速度をすぐ落としたのが功を奏して、車は自転車前輪にぶつかったものの自分の足などには直接ぶつからずに済みました。衝突後、ドライバーは車からは下りずに窓を開けて、自分の姿を見落としていたといって謝罪した上で、どこか悪くしてないかと尋ねてきました。

 前述の通り体は直接衝突しておらず、自転車の前輪にぶつかりましたがその箇所もぱっと見塗装とかも剥がれておらず問題なさそうなので特に問題ないと私が答えたところ、改めて不注意を謝罪され、お互い何もせずこれで別れることとしました。なお別れ際、「ミラーがぶつかった衝撃で畳まれちゃったから戻して」と言われ、仕方ないので戻してあげました。

 その後しばらく自転車で走っていたところ、前輪の回転がやや歪になっていることに気が付きました。恐らくぶつかった衝撃でスポークが曲がったのだろうと思って自転車屋に行ってまっすぐに調整してもらったところ、改めてみたら前輪のタイヤがフレームの中心線からやや右にずれていました。恐らく車が前輪にぶつかった際、フレーム自体が目視ではわからないもののやや歪んだのでしょう。
 後から気づいたため、連絡先も取っていなかったのでどうしようもないですが、さすがにこれくらいの賠償額として数百元くらいはもらっていた方が良かったかもしれません。とはいえ、今の自転車は4年半も乗り続けているもので、乗り換え時と言えば乗り換え時なのですが。

 明日にもまたGIANTのお店に行って、無理だと思うけどフレームの歪み直せるかを尋ねた上で、駄目ならもうこの際自転車を買い換えようと思います。ガチな話でこういう自動車への衝突事故は今回が初めてですが、被害が自転車だけで済んで身体には全く及ばなかったことは非常な幸運だと本気で思います。真面目にこのところは強運が付いて回っているおり、自転車は恐らく買い替えが必要になるとはいえ、前向きにこうして考えられるだけ精神的にも落ち着いているなと考えています。

2020年7月22日水曜日

コロナ議論の中心

ハイオク虚偽宣伝 消費者庁がコスモ石油を調査 景品表示法違反の疑い(毎日新聞)

 日本でどこまで注目されているかわかりませんが、普段馬鹿にしているけど毎日新聞の上記ハイオクガソリンの虚偽表示問題報道は実に見事だと思って読んでいます。よくスクープの毎日と言われていますが、この十年くらいでこれというスクープはほとんど見られず(実際には朝日のスクープの方が圧倒的に多い)、久々の面目躍如的なニュースだなと評価しています。

 話は本題ですが、一部からも語呂が悪いと言われているGo toキャンペーンが始まってこれからまたコロナウイルスが流行することとなるでしょうが、これまでの日本のコロナに関する議論を見ていて率直に感じた疑問を述べると、「なんでみんな補償のことばっか議論して肝心の予防対策は議論しないんだろう?」と前から感じてました。

 一応話の筋としては、予防のため営業自粛→自粛分の補償をどうする?という流れではあるのですが、前の部分より後ろの部分の方が日本では議論が大きくなってしまって、実際にどのような自粛がいいのかとか、自粛以外の感染対策は実際にどれが効果的なのかという議論があまりされていなかった気がします。
 私もこのブログで何度も書いていますが、やはりこれまでの各国の流行対策を見ていると、単純に一番効果があるのは都市封鎖で、外出を極めて厳しく制限することこそがシンプル且つハイグレードでしょう。次の手段としては私が見る限りやはり感染確認アプリで、日本でも一応それらしいものが配信されているようですが、まぁあんなのじゃ機能するわけないでしょう。

 一応、本格的に流行する前の3月とかなら手洗いうがいとか近づき過ぎないことなど、こうした予防面の議論がまだされていた気がします。しかし自粛期間が長期化して来てからはもう議論は完全に補償金額はどの程度か、どこが金出すのかという話ばっかになったように見えます。
 もっともこれは、「いくら予防しても流行を抑えきれない」というあきらめムードも後押ししているでしょうが。あと夏場になって、感染しても冬場より重症化しづらくなったという背景も、この手の議論を妨げる要因になっているでしょう。

 そういう意味で本当に議論すべきは、次の秋冬にどうやって抑え込むかという点に尽きると思います。現状から考えて、コロナ流行は来年も確実に続くだろうし、東京五輪も「AKIRA」の如く来年も中止と考えるのが筋です。これらのショックをどう抑えつつ、次の展望を開くのかという議論こそが求められていると思うのですが、私の周りでこんなこと言っているのは私一人なのが寂しいです。

2020年7月20日月曜日

明清三発目だが?

流されすぎた男、呉三桂の悲しきバッドエンド(JBpress)

 というわけで今日出た明清記事三発目ですが、見事にこけました。言い訳すると今日JBpressから配信された新記事が多かったので埋もれちゃったのかなという風に勝手に自己納得させていますが、それはそれで自分の実力不足が招いた事態でもあります。一回目と二回目が意外と好評だっただけに三回目もそこそこ期待してましたが、やはり反省点が少なくないです。

 今回目玉にした呉三桂ですが、個人的にはかなり魅力的な歴史人物ではあるものの、確かに日本だと知名度が薄く主役にするにはちょっと厳しかったかもしれません。また一回目と二回目は概略史的な説明で不安でしたが、逆を言えば概略史的であったからこそ意外と読まれていたのかもしれず、この辺も今後の反省として検討していく必要があるでしょう。
 にしても「反省として検討していく必要がある」って表現、無駄に長ったらしくていかにもお役所っぽい。

 記事内容に関しては書かれている通りで深く説明するところはなく、個人的には割と贔屓にしている康熙帝を持ち上げるように書いたところはあります。いわゆる康熙、雍正、乾隆の清の名君三代の時代は非常に安定した時代で、その一発目として出てきて清の支配を確立させた皇帝なだけに、もう少し日本でも知名度を持ってもらいたいという気持ちがありました。

 それにしても今回は有終の美と行かず、また放送していますが倍返ししてみたいものです。っていうかまた次の週末に次の記事書かないといけないのがかなり億劫で、真面目に二週間くらい何もせず過ごしたいです。。。

2020年7月18日土曜日

日本と中国で異なるキーボード配置

 どうでもいいですが見出しを打ちながら「舞-HiME」を思い出しました。いや、タイトルだけで中身全然知らないのですが。

 突然ですが今まで使っていた外付けキーボードのUSBレシーバーが突然壊れてしまいました。最初は電池切れかと思って半ギレ気味に電池とっ変えたりしましたが動かず、改めてレシーバーを上下に動かすと反応があり、しばらくは使えました。しかし改めて抜き差しを続けていると段々と反応が弱くなり、終いにゃずっと押してないと接続できなくなったので、そこでようやく諦めがつきました。
 ロジクールので、そこそこタッチ音が小気味よくて気に入っていたのですが、電子消費品なのでいつ壊れるかはわからないだけにこればっかりは仕方ないです。

 ならばとばかりに取り出したのは、確か去年日本に帰った時に買った、テンキーがなく、方向キーはついているというエレコムのスリムキーボードです。買ったはいいけど、押し込みの深さことキーストロークが従来のと違って慣れなくてすぐお蔵入りしたのですが、まさかここで再び日の目を浴びることになるとはだれも思わなかったことでしょう。

 何気に海外で暮らしていて地味に困るのが、このキーボードだったりします。というのもキーボードのキー配置は各国によって異なっており、中国だと中国仕様の配置が刻印されたキーボードしか手に入らず、日本で購入したPCの入力と微妙にずれたりします。OS上で中国仕様の配置に変えることもできますが、これまで私は自宅では日本仕様、会社では中国仕様のキーボードを使用して、それぞれ使い分けていました。

 具体的にどんな風にキー配置が違うのかというと、一番頻繁に押し間違えるのだと「(」と「)」の位置です。どちらも一つ右にずれるため、よく打ち間違えます。このほか「~」の波線は、全角/半角キーに何故かあります。
 なお地味に中国仕様のキーボードでいいのは英単語の省略形に使う「‘」の記号が、ワンタッチで出せることです。日本仕様だとみての通り「@」キーをShift付きで押さないと出てきませんが、英文書くときなんかこれが非常に面倒くさいなんので、日本もどこかで「‘」専用キーを作るべきだと思います。最有力候補は「Insert」キーでしょう、これは存在そのものが悪としか思えない極悪キーだと私は考えています。

 明日また友人と食事に出かけるのですが、会社のキーボードももう5年近く叩き続けてボロボロなため、この際だから外付けキーボードを一気に2本買いしようかなとも考えています。地味に今年に入ってからコロナの影響と休日出勤の大幅増もあって、自宅勤務する日数が異常に増えており、会社のノートPCで仕事するため自宅のキーボードも中国仕様にした方がいいのではと考え始めています。ところ変わればなんとやらというべきか。

 にしても冒頭に挙げたエレコムのキーボードですが、段々打つのに慣れてきました。たださっき打ってて気が付いたけど、自分って地味にテンキーについているEnterキーをよく押す癖があったのか、さっきから何もない空間を右手薬指でしょっちゅう叩いています。

2020年7月15日水曜日

現代の大本営発表

日銀決定会合で大規模緩和を継続、黒田総裁「日本経済は底を打った」、年後半に回復へ(産経新聞)

 さすがにこの発言は個人的にどうかと思って、残業続き、っていうかほとんど休みないまま疲れた状態ですがまた家でもキーボード叩いています。
 たとえどんなに厳しい現状でも、現実から直視することを避ける人間には未来がないというのが私の持論です。そうした目線に立つとこの黒田総裁の発言はいくら何でも願望が出過ぎていると思え、如何なものかと思う次第です。

【GoTo】 日本政府「今更やめられないという結論に至った」(痛いニュース)

 同様にこちらのGoToキャンペーンも、これだけ新規感染者が増えているという状況なのに予定通り強行しようとする考えが理解できません。ただでさえ苦しんでいる観光や宿泊関係者が余計に苦しむということはわかってはいるものの、ここで流行を広げたら結局無駄金に終わってしまうだけに、臥薪嘗胆の思いでここは延期すべきだろうと私は思うのですが、どうも政府はそうでもないようです。
 まとめ記事中には見出しにも掲げた「大本営発表」という言葉のほか、現状をインパール作戦とたとえている人もいますが、あながち間違いでもないでしょう。

 なおあまりよそで誰も言いませんがコロナ流行当初と大体4月あたりは、「コロナウイルスは高い湿気に弱いから梅雨に入れば一発解消だ」という声が結構よく聞かれました。もっとも私は武漢で流行しだした1月の時点で、当時の武漢の湿気が非常に高かったことからこうした見方は間違いだし、気温の高い華南でも感染者が出ていたことから夏場も勢力を一定度保つとみていましたが。
 何が言いたいのかというと、結局のところコロナは夏場でも流行が続くことからほぼ一年中感染者が出続けるということです。そのため流行が静まるのは抗体保有者が一定比率に達するか、効果的なワクチンができるかを待つ以外はなく、やはり今後3年くらいは今年のような状況が続くとみるべきでしょう。

2020年7月13日月曜日

明清二発目

 最近発見したけど、クリームパンとバナナを一緒に食べると丸ごとバナナの食感が得られる(´~`)モグモグ

北京陥落、首つり自殺を遂げた明朝最後の皇帝(JBpress)

 そういうわけで今日配信の明清記事二発目ですが、正直に言って想定外なくらい読まれました。ヤフコメの件数は先週の一発目を確実に上回っており、JBpressサイト内のアクセスランキングも朝一で見たら2位に入っててマジビックリしました(;゚Д゚)
 また連載記事の妙味こと他の関連記事のアクセスもこちらの想定以上に引っ張ってくれており、前回の一発目やその前の宦官記事もランキング順位に入るなどアクセスをうまく誘導できているようです。先週このブログに書いていますが、ヌルハチや袁崇煥などはっきりした人物像を描いた一発目と比べるとこの二発目は概略的説明が多いためアクセスは振るわないと予想していたのですが、この結果は意外この上ありませんでした。

 話を記事本体の解説に映すと、明清の流れを三回に分けて書くに当たり、一発目はヌルハチと袁崇煥が死ぬところまでですんなり決まったものの、残りの二回と三回をどこまで、というよりもどの人物を中心に描くかで実は悩んでました。第二回は明が亡ぶ辺りまでになるだろうと辺りを付けた上で、であれば明を滅ぼした李自成が主人公として一番的確だと考えて、当初は李自成が死ぬところまでを描こうと考えていました。
 しかし実際に書き始めると、李自成自体は細かいエピソードはいろいろあるものの、どれも細かすぎて、いちいち紹介していたらただのエピソード集で終わるような展開が予想されました。また李自成単体だと他の歴史の流れは追えず、また微妙に他の回とも内容が被ってきそうなところがあり、仕方ないので主人公は「明朝」にして、明朝が如何にして最後亡んだのかを中心に描くことに方針を変えました。

 そもそもこの連載自体、「I♥首吊」こと崇禎帝のエピソードが個人的に好きで、彼のエピソードを紹介したいと考えたことから企画が始まっていることから、魏忠賢と王承恩の両極端な宦官同士を対比させつつ、崇禎帝をクローズアップして今回書いてみることにしました。そしたら熱が入り過ぎてしまったのか、崇禎帝のエピソードに思った以上に文字数を消費してしまい、本当はもうちょっと先の歴史まで書く予定が、李自成が北京を制圧したところで文字数を切らしてしまいました。こんな感じで方針がかなりブレブレで書いた記事だっただけに、読み手もあまり面白く感じないだろうなとか思っていたので自信が持てませんでした。

 ヤフコメを見る限りだとそこそこ高評価をいただけており、またこの記事をきっかけに中国の王朝の衰退関連議論が盛り上がっているのもみられ、それなりに話の種というかエンタメを提供できたかなという満足感はあります。ただ中には耳の痛い意見もあり、特に「キャスティングボート→キャスティングボード」の間違いは今回初めて知りました。これは私の完全な誤用で、反省するしかない次第です。

 ただ、それ以上に耳の痛いコメントとして多かったのは、「次はいよいよドルゴンだ(;゚∀゚)=3ハァハァ」といったコメントです。結論から言うと、ドルゴンは次回もそれほど取り上げていません。
 理由は何故かというと、ドルゴンを取り上げると一気に紙幅が取られてしまうからです。真面目に明清時代において最重要人物を挙げるとしたら、李自成、呉三桂、そしてこのドルゴンの三人に絞られ、人気といい影響力といいナンバーワンを挙げるとすればやはりドルゴンだと私も思います。

 ただドルゴンの活躍期は比較的短く、またその退場の仕方からも後世への個人としての影響力が限られています。こうした事情から、彼に関しては自分として腑に落ちない気持ちを抱えつつ敢えてスルーすることで第三回を描いています。まぁここまで書けば第三回が誰が主役かはもうみんなわかるでしょうが。
 逆に、前も少し触れましたがドルゴン自体は個人的人物としては非常に魅力に溢れた英雄であり、今回の連載とは別に単独で記事を書いてみるの手かなとは考えています。まぁ書くとしたら人気がある人物だけに、またいろいろと資料を漁らなくてはならないのですが。

2020年7月11日土曜日

かつての金曜の夜

 また随分と交信が開きましたが理由は単純に忙しいだけです。今週土日もずっと休日自宅勤務で楽しいな(ヽ''ω`)

 さて今これ書いているのは金曜の夜ですが、金曜の夜になるとよく思い出すのが日本でサラリーマンしてた頃の金曜夜です。具体的には十年ちょっと前ですが、新卒で入った会社はあまりにも仕事がなく毎日定時で帰宅していましたが、仕事なさ過ぎて勤務中もずっと椅子に座っているだけの日々でした。

 誇張ではなく「焼肉のタン」じゃなく「髀肉の嘆」状態で、給与とかそれ以前に自分の才覚や能力が全く活かせないことが苦痛で仕方ありませんでした。逆に今はピークシーズンに残業とか休日出勤がめちゃあるけど、自分のパフォーマンスを最大限に活かせている感覚があるので精神的にはそれほど苦ではありません。パワプロで言えば自分はきっと「逆境〇」だと思うのだけれど、パワプロの中の人はこの能力をどんな基準でつけてるんだろうか

 話を戻すと不完全燃焼なんだろうって感じで毎週金曜の夜を迎えており、今もそうですが無駄遣いしないことでお金自体はそこそこあるものの、夜遊びにも興味なく、ブログ書いたあとは正直暇でした。
 仕方ないので今みたいな気温の高い夏の頃なんかはブログを書いた後、一時期は自転車に乗ってよくゲームセンターに行き、ひたすらメダル落としゲームで遊ぶ頃がありました。あのゲームの何がいいかというと何も考えずにひたすらメダルを落とすだけなので、余計なことを考えずに済むということです。それ以外だと家の近くの中古ゲーム屋か古本屋行って商品眺めるとかして、翌日の土曜午前に漫画喫茶で気になった漫画を読むということが多かったです。

 何故か知んないけどそうした、何も危うげのない日々における金曜夜の過ごし方をよく思い出します。傍目には幸せそうかもしれませんけどあの頃は閉塞感でいっぱいであり、土日の休日が来るのがかえって気分的に嫌だったのだと思います。土日だからと言ってやることもなく、PS2の中古ゲームとかを漁るような日々だったし、グダグダ書いていますがとにもかくにも不満でいっぱいでした。
 なんでそんな不満たらたらな日々を今でもよく思い出すのかというと、やはり今仕事が忙しいながらも充実感を感じているからでしょう。なんとなくですが、あのころと比べても今の方がお金を使っていても楽しい実感があり、逆にあの頃は大した仕事もしてなかっただけに給料で得たお金を使うことに罪悪感を感じてた節があります。まぁ今現在もそんなお金使っているわけじゃないですが、最初上海に来て記者やってた頃(年収200万円以下)と比べると抵抗なく外食を選ぶようになった辺り、セレブな身分になった気はします。

 ついでに書くと今ぽろっと言った年収200万円以下って点ですが、この年収額でも中国では比較的高給取りな部類になります。それだけまだ日中間の給与格差は大きいのですが、やはり中国を見てしまうと日本人は大して働かないくせに高い給与もらい過ぎだという気がしてなりません。
 もっともそれは大手上場企業幹部役員の方が激しく、東芝を始め全く責任を取らないくせにあの年収はないなとよく思います。日本人はもっと給与のありがたみを感じるか、グローバルな給与体系に甘んじるべきなんじゃないかと割と本気で自分は考えています。