2008年5月27日火曜日

日本の国語教育について

 この前かな、安倍前総理の怨念とも言うべき教育再生会議が最終答申を出したのは。ちょっと記憶が定かじゃないんですが、それくらい報道も少なかった気がします。まぁ実際、結局のところ何がしたかったのという具合で終わりましたし、答申も今後の教育会議につながる内容だったのかどうか、ヤンボコの義家氏はこれからどうなるのかさっぱりわかりません。

 そこで今日の本題の日本の国語教育についてですが、現在日本の読解力は有意に下がっていると断言できます。その根拠は毎年行われる国際学力テスト、通称PISAにおいて年々この読解力が下がっており、同時に国内の調査でもひと月あたりの読書数が下がってきています。
 私が思うに、日本の子供の学力が全体で低下しているのはこの国語教育が崩壊していることが原因だと思います。というのも、国語で伸びるのは理解力で、すべての学問の根幹ともなる部分です。この理解力が発達しなければ数学でも外国語でも、結局理解することができなくて一緒に成績が落ちていくのではないかと私は考えます。文系だからこんな事言うのかも知れないけど。

 では国語教育のどこが問題なのかというと、自分が見ていてまず一番おかしいと思うのはテスト問題です。たとえば、
「このとき、作者の心境はどんなものか。以下の中から選択して答えなさい」
 そんな作品ごとに作者は感想行っているわけでもないのに、この手の問題はごまんと巷に溢れています。しかも、こういった問題の大半が作者というより問題作成者の心境で、作品の中身より問題作成者の意図を読まねばならないというのが国語能力の発達を阻害している気がしてなりません。
 実際に、「蛍の墓」原作者である野坂昭如は、娘が学校の授業中に父の作品でこの手の問題が出されたから聞いてみたところ、「締め切りに追われて必死だった」と答えています。もちろん、そう答えたら間違っていると娘は先生に言われたそうです。

 多分この野坂昭如に限らず大抵の作家はこんなもんでしょう。こんなんで国語の力なんて伸びるわけありません。こんな感じで国語の成績というものは決まっていくもんだから、自然と生徒達もテクニックのような、模範的な解答しか出さなくなります。私なんて独特な解答にこだわったもんだから……。
 逆に、何が一番国語の能力を伸ばすのかといったら、なによりもまず作文を書かせることに限ります。日記でも小説でもいいから、原稿用紙百枚くらい文章を書かせたら人間一皮剥けます。私なんて中学生くらいの頃から何百枚も書いてましたし。また作文に限らず、長い文章を短く要約させるのも非常に効果があると思います。芥川龍之介の「河童」を原稿用紙一枚に要約、それができたら今度は二行に要約、というように。短いから簡単そうに見えますが、逆にこうされると、文字数がほしい、と大抵の人は思うようになります。そうして表現の方法を本人にあれこれ考えさせるのが一番いいと私は思います。

 このほか国語教育についてはまだまだ言いたいことはありますが、まずは書かせること、これに限ります。しかるに現在の日本では未だに読ませる教育しかしておらず、子供の能力が落ちていくのも自明でしょう。

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