社会学にもメタ理論といい、社会学自体は一体どんな学問なのかということを追及する分野があります。そこで今日はこのメタ理論を経済学に適用して話を進めようと思います。
まず経済学はいつ、どのように始まったのかという事が重要になってきます。そのいつ始まったか、つまり起源ですが、それは誰も疑うことなく経済学の祖、アダム・スミスが彼の著書「諸国民の富」を出版した時期でしょう。ではそのアダム・スミスとはどんな人物なのでしょうか。
ここではいちいち細かく取り上げないのでできればウィキペディアを見てもらいたいのですが、恐らく経済学部の学生でもほとんど誰も知らないアダム・スミスの事実として、彼の前歴があります。彼が大学で何をやっていたのかというと、実は道徳学の教授をやっていました。
実際、アダム・スミスは「諸国民の富」を発表する前に「道徳感情論」という、道徳学の本を先に出版しています。一説によるとアダム・スミスが「諸国民の富」を書いたのは、当該社会、彼にとってはイギリス社会にある富を如何に公平に分け隔てなく分配するかを考えたためと言われています。当時は今の格差社会も真っ青な貴族社会。一部の人間に富が集中し、集めた連中がそれを浪費してしまうことを憂えていたと言われています。
よく一般で言われている内容を見ていると、どうも経済学というのはお金儲けの学問と捉われがちな気がします。しかし実際のその起源や成り立ちから考えると、私の中では社会システムを研究する学問だと思います。つまり、社会に蔓延する貨幣を中心におき、それを如何に効率よく使い、分配するかというシステムを考える学問という事です。同じように働く人には同じ分の報酬を与えたり、一箇所に富が集中しないように税金をそういった人に多くかけるといった税体系などのシステムを考える、という具合に。事実、これまでの経済学というのは実際そんな学問だった気がします。
然るに、現在の経済学はというとこれまでの原理原則とは逆に、如何にして自分のところへ富を集中させるかということを考える学問に成り下がってしまいました。去年に死んでくれたフリードマンとその一派なんてその典型でしょう。これは前々から思っていたことですが、どうも最近の経済学は商学と比べて、何も代わりがないように思います。実際アメリカの大学で安売りされまくっているMBAというと、経済学の修士号のように思われていることが多いですが、実際には「経営学修士号」で、範囲で言ったら経済学と商学の中間、というより商学の範囲だと思います。
誤解されがちですが、経済学というのは本来、平等主義の元に生まれてきた学問です。だからこそ社会主義やら共産主義についても研究がされたのですが、このところは本当にこの手の分野は金にならないこともあり疎かにされています。もし現在学んでいる方がこれを読んでいるのなら、こういった点に注意して今後は学んでください。
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