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2009年1月23日金曜日

失われた十年とは~その二三、権威の失墜~

 次で終わりと言って結論まで書いておきながら、書きそびれていた内容があったのでぱぱっと書いちゃいます。
 まず前回に書いた結論ですが、私はあの失われた十年は前提としてノストラダムスの予言から来る漠然とした終末思想のようなものが薄く広く日本人の中にあり、そして実際に阪神大震災やオウム事件といった社会を震撼させる事件が起きただけでなくこれまで上昇一辺倒だった日本経済が大きく傾いたことにより、今までの概念を捨てなければこれからについていけない、今のままじゃ駄目だという意識が強まったために、とにかく以前の意識や概念とみなされるものを片っ端から捨てていき、さらにそれら以前の概念を否定するものほど新たな概念として迎え入れようと躍起になるという、一種のモラルパニックが起きていたのではないかというのが私の結論です。

 私がこの結論にたどり着くためにまず最初に「経済大国」という自負のあった経済力の崩壊の過程から書き始め、そのあとなんだかわけのわからないものが流行りだしたということを紹介し、社会を震撼させる大事件が起きるに至ってそれまでの概念が崩壊するに至ったという風にこの連載を進めてきました。実はこの過程で一つ抜けていたのが、今回の題となっている「権威の失墜」に当たる箇所です。具体的にどの箇所になるかと言うと、「社会を震撼させる大事件」とほぼ同時期にこれが来て、年代的には大体97~99年くらいの間です。

 では具体的にどんな権威が失墜したのかと言うと、十二回目に「左翼の失墜」で説明したように左翼政党を始めとして、警察、医師、教師、官僚、マスコミなどと、それまで強い権威を持っていた集団がこの時期に一挙にその権威を落としてしまっています。
 一つ一つ説明していくとまず警察ですが、これは新潟県警神奈川県警で起きた警察内部の不祥事に始まり、桶川ストーカー殺人事件栃木リンチ殺人事件、そしてこれは私も過去に取り上げた松本サリン事件での河野義行氏の例などと、ありありとわかるほどの警察の捜査怠慢が次々と明るみに出たことによります。我ながら、よくもこんなに細かい例を覚えているもんだ。

 次に医師ですが、先ほどの警察と比べてこれは本当に極一部で行われてしまった問題行動がマスコミによって過大に取り上げられ過ぎていわば無理やりに権威を落とされてしまっただけで、前の警察については確かに問題があるもののこちらの医師については私は非常に同情します。で、そのきっかけとなったのは東京女子医科大学で起きた医療事故で、この事件を皮切りに、現場で頑張っている医師はおざなりにされてマスコミから激しい取材バッシングが行われてしまいました。

 でもって今度は教師。これは教育問題が表面化していくとともに一時期流行った(?)教師の盗撮事件がきっかけだと思います。まぁ教師についてはそれまで問題のある教師をほっといたのが最大の原因だろうけど。
 そして官僚ですが、こちらは決定的に権威を失墜させたのがあの厚生省の「薬害エイズ事件」と大蔵省で起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ」で有名な「官官接待事件」が原因で、社会保険庁の問題などでこちらは現在進行で駄目になっていってます。

 最後が、これまた結構皮肉ですが散々よその権威を落としていったマスコミも、決定的に権威が駄目になるのは失われた十年の後からですがこの間ではオウム真理教による「坂本弁護士一家殺人事件」のきっかけとなった「TBSビデオ問題」が明らかになり、その後も私が先ほどの河野義行氏のリンクに張った自分の記事でも書いているように報道被害について世間の理解が進んだことにより、徐々に権威を落としていきました。
 あとこれは蛇足かもしれませんが、それまで嘘八百並び立てても売れれば許された芸能関係のゴシップ記事も、この時期くらいから段々と報道される芸能人らに損害賠償請求が行われて敗訴するようになり、徐々に勢いをなくしていきました。なおそういった動きが起きた初期に元巨人のプロ野球選手である清原選手が根拠のない記事を書かれたとして週刊誌を訴え見事に勝訴しましたが、その際に提訴される記事を書いたのはあの永田の偽メールを書いた人物だと以前に聞いたことがあります。問題のある人間はいつまでたっても問題があり続けますね。

 一気にまくし立てて書きましたがここで私が何を言いたいのかと言うと、こうしたそれまで尊敬と羨望のまなざしをもたれていた職業や集団が次々と不祥事を起こした挙句に権威を落としたことが、「このままじゃ駄目なんだ」というようなモラルパニックを助長させた一因になっているのではないかということです。
 この時期に権威を失った集団は医師を除けば未だにその権威を回復しているとはとても言い切れない状態で、中には官僚のように余計に信用を落としているのまでいます。そのせいか以前に後輩から、「今の時代、何を信じていけばいいんでしょうか」と聞かれたことがありましたが、その後輩の気持ちもわからないでもありません。なおその際には、「難しいかもしれないけど、自分で考えて行動するしかない。そのせいで不利益を被ることとなってもね」と、ちょっと厳しいことを言ってあげたのをよく覚えています。実際、今権威ある集団や職業って何なのかといったらピンと来ないですね。

 そういうことで、今度こそ最終回です。それにしても、この記事はウィキペディアのリンクのオンパレードですね。とてもウィキには足を向いて眠れない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 連載お疲れ様でした。確かに、花園さんの言うモラルパニックは起きていたでしょうね。そして、それが日本全体になんとなく蔓延していた。僕自身、ニュースとかを見ていてノストラダムスの予言をなんとなく意識していました。パソコンの表記とかが、99から00になるとかで一時期問題になってマスコミが騒いだことがありますが、すぎてみればなんてことなかったのではと思ってしまいます。騒いでいるわりには、なにも起こらなかった感じですね。失われた10年という時期は。マスコミは大げさ過ぎるという認識も、この時期を思い返してのことなのかもしれません。  なんとなくしかなかった認識をここまで分析してわかりやすくしてくれたことは評価に値すると思います。

花園祐 さんのコメント...

 お褒めの言葉、ありがとうございます。
 この次の記事でも書いていますが、サカタさんの言われるとおりにこの時代の漠然とした意識や記憶を読者の方にはっきりとさせることがこの連載の目的で、そうしてコメントしていただけると本当に自分の意が伝わっていると思え、とてもうれしく思います。

 私やサカタさんなんかはまさにこの時代に青春時代を過ごしている世代ゆえに、成人してから思い起こすといろいろ得るものがあると思います。改めて記事を読み返すあの頃と見方が変わったと実感させられます。