ちょっと古いニュースの記憶ですが、今年に私立中学を受験する小学生の数が歴代で最高になったと聞いたことがあります。ちょうど今日は二月三日で、中学受験の山場の最終日(関東では二月の一日から三日に私立中学の受験集中する)ということもあるので、その辺について軽く書こうと思います。
まず最初に断っておきますが、私もかつて中学受験を行い、中高一貫の学校に行った口であります。まぁぶっちゃけあまり楽しくない学校だったので後悔していますが、当時に中学受験を行ったのは三十四人学級の中で私を含めて四人だけで、率にして8%弱でした。しかし去年に見たニュースによると、既に述べたように近年は少子化で子供全体の数は減っているにもかかわらず毎年中学受験を行う小学生の数は過去最高を更新しているようで、都市圏の小学校のクラスによっては半分くらいの児童が受験するとまで聞いています。
ではなぜこれほどまでに受験者数が増えているかですが、単純に言って義務教育での指導要領を減らしたことが原因でしょう。別に義務教育のレベルを落としたところで受験の最終的な本丸に当たる大学受験のレベルが一緒にカクンと落ちるわけじゃないため、指導要領が落とされれば落とされるほど公立校が不利になって私立校が有利になるのは目に見えているので子供を持つ親としては私立校に入れようとするでしょう。
実際に私も今のぺらぺらな教科書見てたら不安になりますし、あまり私立校にいい思い出のない自分ですら今の子を持つ親が私立校を受験させようとするのも理解できます。文部科学省はゆとり教育といっては学習指導要領を減らすことによって子供に時間的なゆとりを与えようとしましたが、結果は学校の後に予備校に行くようになり、ますます子供にゆとりがなくなるという最低な結果となっています。
じゃあ一体何をすればゆとり教育の本来の目的が達成できたのかですが、もし文部科学省の言う通りに勉強に追い立てられて日本の子供がゆとりをもてなかったというのなら、その最大の原因は勉強させられる量というよりも学歴社会といわれるほど出身大学によってその後の人生が左右されるという社会性にあったと私は思います。言うなれば学歴社会という概念がなくなれば、受験戦争の熱を冷ますことになるんじゃないかと思います。
そういうわけで今も中学受験が続いているのは、学歴社会が以前ほどではないにしろ残っているせい、と言えれば単純明快ですが、これはあくまで一つの要因で、他にもいろいろ原因が複合されているのが今の現状でしょう。
最後に学歴社会についてですが、現代は以前よりは確かにこの要素は薄まった分、中途半端な職業の流動化によって「前職がなんだったのか」というのが大きく影響する「職歴社会」という概念が出始めています。前に本屋で「今こそ三流大学に行くべきだ」なんて感じのタイトルで、三流大学での意外に充実した授業や資格をとる生活の方がずっと将来にいいみたいな感じで紹介されていましたが、「Fランク大学の風景」ってのを見ると必ずしもそうもいえないんじゃないかなぁという気がします。そもそも、自分で努力出来るのなら大学に無理していく必要もないんだし。
6 件のコメント:
職歴社会というのはそれぞれの職業自体に評価が固定されているんでしょうか?それとも採用する会社によって求める職種が違うのである会社ではシステムエンジニアは職歴の上位だけどある会社では下位だということでしょうか?
この場合は職種です。やはり銀行などの金融系は入社三年以内に半分の新人がやめると言われていますが、財務や経理に使えるとして再就職のあてが多いと言われています。まぁ、今年からはそれでも勢いはなくなるでしょうけど。
逆に営業職なんかだと、中途半端に知識とか物になれていることから敬遠されがちです。それと職種以上に空白の期間がどれだけあるか、つまり休職期間やフリーターの期間がものすごい足を引っ張るという事もこの職歴社会という言葉に込めています。
三流大学に行くべきというのは僕もおすすめしません。
リンクにもありましたが大学の雰囲気がそうなっているのでそれが先生にまで波及し、たとえそのひとにやる意思があっても講義は望めるものではなくなっていることが多いと思います。
なので三流大学に行く意味は学業の面では皆無で、無駄な時間となり損する結果となります。
僕のいる大学でも楽な講義、単位が簡単にとれる講義などそういった基準で講義を選らんでいるひともいます。隣りで聞いていてあきれていますが。
そういったことが僕のいる大学にもあるのでよくわかります。とても雰囲気のいい講義もありますしそうでないのもありますので。
これは苅谷剛彦の研究によると「能力のある学生」ではなく、「学歴のある大学生」を採用する傾向があるそうです。よって三流大学にいっても決していいことがありません。しかし(個人的に趣味の範囲で)学問をするのであればその限りではないかもしれません。研究者となるのであれば、やはりコネや設備などが必要なので、やはりいい大学を出ないといけませんね。
質が悪い授業というのは、一流大学でもあると思いますし、むしろわかりやすく教えてくれるのは三流大学のほうかもしれません。一流大学だと、自分だけでやって当然みたいに教授が黙々とただ黒板を板書するだけっていうのもあるみたいだし。ただ、僕が思うのは三流大学に来る人のなかには目的意識の高い人物は限りなく少ないということです。そういう人たちの中で授業をすることが、はたしていい結果をもたらすのかといったらそうではないことが多いでしょう。そこが一番問題だと思います。
僕なんか、そう思って早々授業よりも自分が気になることを調べたほうが良いだろうなって思った口ですし。授業は、単位とれればいいかなって感じで。そっちのほうが自分のためになるんちゃう?みたいな。過程は違うかもしれないけど、そこに落ち着きました。それに、能力の高い人物がわざわざ下の大学に行くなんてそもそもナンセンスだと思います。
学歴社会がなくなれば、受験戦争がなくなるというのは僕も、そう思います。しかし、学歴社会がなくなった場合、企業はどうやって学生の質を見分けるかが重要になってくるでしょう。その方法を考えなければいけませんよね。
記事中でははっきり書かなかったものの、私も正直に三流大に若者は行くべきではないと思います。なんだかんだいって一流大にはいろんな人材が集まってくる分、授業内容は確かに二流や三流の大学でもいいところはいいのですが、周囲の人材から受ける知的刺激を考慮すると明らかに一流大は三流大よりいい環境と断言できます。
まぁそれを言ったら、大学の枠にとどまらない交友関係が広げられたら一番なのですがね。このブログもそういう意味での補完を考えてやってるところもあるし。
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