確かWEBマンガの「ヘタリア」だったと思うけどそこの日本の紹介文で確か、「意外に世間知らずで、他国から見るとびっくりするようなことを平気でやっていたりする」というような内容が書かれていたと思うのですが、この紹介文を見てうまいとこ突いているなぁと私は納得しました。別に日本に限るわけではないでしょうが自国では当たり前でも他国では当たり前じゃないという制度や慣習というのは本人たちにはなかなか気づき辛いもので、国境を陸地で接していない島国の日本ではそういうものが他国よりは多いような気がします。
そうした例として私が体験したものとしては、まぁ無難な例としては信号に対する意識が出てきます。まず中国では車も歩行者も全く信号を守りません。それこそ隙あらば付け入るとばかりに車も歩行者もこれでもかといわんばかりに飛び出してきますし、それが向こうでは当たり前の世界として広がっています。また中国ほどひどくなくともイギリスでも歩行者はほとんど信号を守らず、左右から車が来ていなければ皆平気でずんずん渡り始めてしまいますので、日本じゃよく大阪の交通マナーが悪いとは言いますが中国やイギリスに比べれば随分とマシなんじゃないかと思ってしまいます。
この二国以外でもいろいろ人に聞くと、アジア諸国を筆頭として信号を日本人ほど守る国はそれほど多くない気がします。ですが日本人は環境的に自分たちくらい信号を守るのが普通だと思っているのか、仕方が無いとは思いますが他国に行くと「こいつらは信号を全然守らない」として憤懣やるかたなく愚痴を漏らしがちで自分たちの方が少数派であるということをそれほど意識しません。
もっとも信号ルールくらいの意識の違いは大きな問題ではないでしょうが、これがこと商取引や法律となるとグローバル化の昨今ではいろいろと摩擦を引き起こしてしまいます。特に商取引については日本と中国では根本から意識が違うせいでしょっちゅう問題になりますし、犯罪に対する価値観の違いからも思わぬ事件が起きたりします。
折角なのでここで書いておきますが、中国では麻薬の所持だけでも死刑が科せられます。というのも南部の麻薬汚染が余りにも大きいがために政府も厳罰を以って望んでおり、そのため最近よくある闇サイトでの仕事斡旋で知らず知らずのうちに麻薬の運搬役となって見つかってしまった場合は本当に言い訳がきかないので、絶対にこういうことに手を出してはなりません。
ここで話は変わりますが、日本社会ではいろんなところで「マナー」って奴があります。労を労う際に相手が目上の人間であれば「お疲れ様でした」、目下の人間であれば「ご苦労様でした」と同じ意味の言葉でも使い分けねばなりません。このほかにも客先への訪問時にお茶やコーヒーが出されても客先の担当者が口につけるまでこっちは手を出してはならない、ついでに言えば椅子も相手より先に座ってはならない。ほかにも名刺を差し出すときは相手より低い位置から差し出すという、背の高い奴にはどうしろってんだといいたくなるようなものまであります。
今挙げたルールはほぼ間違いなく日本だけのローカルルールで、私からしたらお互いにこんな細かくくだらない差なんて気にしなければいいじゃないかと思う例です。私なんか後輩から「ご苦労様でした」と言われても別になんとも思わないし、相手がどのように自分を思ってどんな意図を伝えたいのかを考えれば言葉の違いを気にする方のが異常だと思います。
私は別にマナーすべてを否定する気はありません。ですが狭い範囲でしか通用しないルールを構成員に互いに強制し合って互いに縛り合うというのは非常に無駄な作業だと思うし、細かいことを互いにいちいち気にしないで接し合う社会の方が優れている気がします。
そして一番始末が悪いのは、ローカルルールとグローバルルールが真っ向から食い違っている場合です。日本企業の品質重視主義など優れたルールは逆に世界へ広げていくべきだとは思いますが、前にも一度書いた「犯罪者の家族への社会的制裁」にて触れたように、過剰な集団主義的な価値観を改めて欧米のような個人主義的な価値観も取り入れていくべきだと思います。
勢いで一気に書いたのでこの記事はあまりまとまりがありませんが、坂本龍馬風に言えば要するに、日本という小さな国の中での違いを気にするよりもっと広い世界に目を向けるべきだぜよ、ってところです。
2 件のコメント:
逆に日本ほど信号を守る国があるのなら、興味深いですね。
先月、上海・杭州を旅行しましたが、インド・東南アジアに比べたら、信号のマナーは比較的まともに思いました。やはり発展した沿岸地域は特別なのでしょうかね。
インドの道路は確かに凄かったですね。
上海に比べたら北京はやっぱり田舎なので、ロックマンさんの言う通りに経済状態というのが信号に及ぼす影響は強いのかもしれませんね。
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