なんかもう大分古い話になってしまうのですが、2005年のあるサッカーチームの話を今日はわざわざしようと思います。そのチームというのも、山梨県のプロサッカーチームであるヴァンフォーレ甲府についてです。
このヴァンフォーレ甲府というチームは元々有志の人間らによって設立されたクラブチームで他の多くのJリーグのチームと違って特定の企業がスポンサーとして初めからついていたチームではなかったために、J2が発足した際にリーグに加入したもののほぼ慢性的に経営難の状態が続いていました。しかもそんなチーム状態ゆえに優秀な選手を集めることもできず試合でもありえないくらいに敗北を重ね、J2加入から三年連続で最下位で終わってしまうなど絵に描いたような弱小駄目球団でした。そんなんだから観客もほとんど来ず、ウィキペディアによるとなんでも一試合の観客動員数が三桁に留まったこともざらだったそうです。
それゆえにこのまま赤字を垂れ流すのならばこの際解散するべきではと、一時は存続すら危ぶまれた時期がありました。その時のことについてもウィキペディア内の記事でよく取り上げられておりますが、有志のサポーターたちがこの経営危機の際に署名活動などで必死になって存続運動を起こし、そうしたサポーターらの行動がきっかけとなってそれまでそっぽを向いていた山梨県の人たちも徐々に球場にに足を運ぶようになり、山梨県や甲府市が存続のために球団に化した条件(かなり厳しい内容だったが)もなんとすべてクリアして存続することができました。
それからは地元からの協力体制がしっかりと築かれただけでなく大企業もスポンサーに続々と名乗りを上げ、何故だかプリンセス・テンコーまでもがスポンサー入りして大幅な債務が未だ残っているものの経営状態が大きく改善し、それに合わせて球団も毎年徐々に成績を上げていきました。
そして来る2005年、当時のJリーグはJ2の年間成績で1位と2位のチームが自動的にJ1の最下位、準最下位のチームとリーグが入れ替わり、さらにJ2の3位のチームとJ1の下から3番目のチームは入れ替え戦を行って先に二勝したほうがJ1に残るという入れ替え戦方式でした。この2005年、ヴァンフォーレ甲府はリーグの最終節においてその年にそれまで一勝もできないほど苦手としていた、すでにJ1昇格を決めていた京都パープルサンガを見事に破り入れ替え戦に望み、選手の年棒額に明らかに大きな差のあった柏レイソルとの入れ替え戦に望みました。
誰もが社会人サッカー時代からの名門チームであるレイソルの残留を予想する中、結果はなんと二戦連続でヴァンフォーレ甲府が勝ち、一時は存続まで危ぶまれたこの球団がJ1に昇格を果たしたのです。
私はこのニュースが流れた当時に中国に留学中でしたがインターネットでこのニュース知り、またその際にサポーターたちが存続運動を行っていたということも知ったので素直によかったなぁと思いました。さらにその後、下記のフラッシュを見てなおさらその気持ちが強くなりました。
・AA Jリーグ2005(U-KS Loggin')
もう作られてから大分経つフラッシュなのですが、今でも折に触れて見るたびに涙が止まらなくなることがあります。
残念ながら現在このヴァンフォーレ甲府は現在J2に落ちてしまっているのですが、あまりJリーグに詳しくなくて試合もほとんど見ない私ですが、陰ながらヴァンフォーレ甲府の再昇格を応援している次第であります。
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