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2009年7月30日木曜日

三国志の主人公は誰だ?

 三国志の主人公が誰なのかと聞いたら、恐らく大半の人は劉備玄徳だと答えるでしょう。しかしこの三国志、読んでみると分かりますが前半に至っては劉備の出番は非常に少なくむしろ曹操が主人公なんじゃないかと思うくらいに彼のことばかり書かれています。それでも中盤になってくると劉備とその軍団の描写が完全に中心になるのですが、後半に入るところで劉備は死んでしまい、バトンタッチとばかりにそれからは諸葛亮がほぼ主人公として描かれていきます。

 後半の諸葛亮へのバトンタッチは劉備が死んじゃうのでまだわかるにしても、何故前半部は劉備ではなく、それも本来善玉の劉備の敵役となるべき悪玉の曹操の記述が多いかですが、これはひとえに実際の歴史が深く影響しております。
 三国志は後漢王朝が滅び始めるところから中国が三国に分裂した三国時代へと移り、最後に晋という次の統一王朝へと移るまでのお話です。その晋は三国のうちの魏、曹操の一族が建国した国を母体として成立した国家で、王朝の移り変わりで見るならば統一こそしていないものの歴史的には魏が正統な王朝として現在でも扱われております。

 ところが三国志は小説として成立する以前から講談家が話を大衆に聞かせると、どんなところでも劉備に人気が集まって曹操は逆に不人気だったそうです。そのため三国志の作者の羅貫中は敏感に空気を読んで劉備を主人公に、蜀を正統な王朝のようにして話を組み立てたのですが、それだと最後まで貫き通した場合にはやっぱり実際の歴史との間に無理が出てきてしまうため、後漢末の群雄割拠だった時代からやや勢力がまとまって華北をほぼ曹操が統一するまでは曹操が主人公かのように描かれたのだろうと各評論家より言われております。
 そういう意味では三国志の前半においてはその登場数といい、明らかに曹操が主人公としてだということになります。私の見方では始まりから官渡の戦いまでの前半部の主人公は曹操で、官渡の戦い後から劉備が大敗する夷陵の戦いまでの中盤の主人公が劉備で、劉備の死からその本人が死ぬまでの後半部の主人公が諸葛亮だと考えております。ちょっと下にまとめると、

前半:始まり~官渡の戦い
主人公:曹操

中盤:官渡の戦い~劉備の死
主人公:劉備

後半:劉備の死~諸葛亮の死
主人公:諸葛亮

エピローグ:諸葛亮の死~終わり
主人公:該当者なし


 という具合に見ております。
 ちなみにこれは話を大まかに三つに分けていますが、前半後半の二つに分けるとしたらちょうど中間点に当たる場面はこの前やってた「レッドクリフ」の「赤壁の戦い」だと思います。

 三国志は話全体で見れば確かに劉備が主人公として描かれているのですが、前半部の主人公なだけあって曹操も敵役でありながらむしろりりしく描かれている場面も少なくありません。一見すると冷酷で酷薄な性格に見える曹操ですが(実際にそうなんだけど)、不思議と彼の元にやってきた武将らはほとんどと言っていいほど彼を裏切っていません。典偉や許猪はもとより、賈詡や張遼といったそれまで何度も主君を変えている人間も曹操の下では最後まで忠節を尽くしております。
 また曹操が一時関羽を部下にした際も関羽へ異常なくらいに愛情を注ぎ、彼が辞去する際には最初こそ別れの挨拶をしようとする関羽との面会を断って暗に引きとめようとしたものの、

「一国の宰相として、君を快く送ってやろうとしなかったのを恥ずかしく思う」

 と述べて、最終的には追っ手も出さずに彼を劉備の元へ走らせております。
 恐らく日本人からしたら冷酷な一方で清々しいまでのさわやかさを持つ曹操のこの二面性がたまらないのだと思います。私自身も曹操贔屓の人間ですが、中国人には前にも言いましたがこれでもないかと言うくらいに嫌われております。単純な当て推量ですが、日本人には魅力的に映る曹操の二面性は逆に中国人には嫌悪の対象なのかもしれません。それだともし三国志が日本で小説ととして成立していたら、曹操が主人公で劉備が敵役になっていたのかもしれません。その場合だと諸葛亮と司馬懿のキャラも立ち変わるのかな、お互いにビームを撃てるのは共通してるけど。

2 件のコメント:

Madeleine Sophie さんのコメント...

中国の「正史」は新しい王朝が、前王朝から新しい王朝になった経緯を”公平に”描くの習わしだそうです。現王朝は自分の王朝に対する「正史」を書く権利が無いところが理性的だと思います。そして後の王朝も前のできごとについてできる限り”公平に”書くそうです。

三国志は魏が天下を取った後に書かれていますが、正史』を書いた陳寿は、はじめ蜀に仕えた文官だったそうです。それで、魏の正当性を保ちながら、蜀の美化があったとの解釈があるそうですよ。

フランスの日々: [書評] 三国志の英傑たち

『正史』を書いた陳寿は、はじめ蜀に仕えた文官だった。...(略)... 蜀へのシンパシーが目立たないように『正史』の中に隠されていたのだ。つまり『正史』における歴史的正当性は当然のように曹操、魏の側に置かれているのだが、その裏に曹操を「乱世の奸雄」に仕向けてしまうようなスパイスも盛り込まれていたのである。(p.25)

花園祐 さんのコメント...

 小説の「三国志演義」は陳寿が書いた魏を正統としている「正史」に、民間の伝承をまとめて全体的に蜀贔屓にまとめた裴松之の「注三国志」の二つを基盤に作られたとも言われています。ちなみに陳寿は諸葛亮に対しては嫌いだったのか、手厳しい評価をしていますね。

 最終的にどの王朝もなくなったというのがこうした解釈の違いを生んだのだと思います。それがゆえに三国志は面白いのでしょう。