今日は簡単に、北京の都市としての歴史を紹介します。
現在でこそ中華人民共和国の首都として名だたる国際都市の一つとなっている北京ですが、中国史の大部分においては一地方都市としてであった時代の方がずっと長くありました。都市として成立したのは紀元前の春秋戦国時代で、当時の燕国の首都として成立したのが初めてでした。その当時の北京は「薊」という名称でしたがその次の秦の時代になると「北平」(発音はペイピン)と変わり、しばらくはその名で主に北方の対異民族部隊の中心基地のような役割でその後数世紀を経たところ、その当の対抗相手の異民族であるモンゴル民族が建てた元の時代になると「大都」と改名された上、歴史上初めて中国の首都となりました。その後、何度も壊されてはいますが、現在の紫禁城も元の時代に作られています。
そして元の次の王朝である明の時代になると成立当初は首都は南京へと移ったのですが、なんとも皮肉というか、初代皇帝が逝去して二代目皇帝の時代に入るや北平にいた皇族がクーデターを起こして政権を奪い、明の三代目皇帝として即位したのです。この皇帝は「永楽通宝」で日本でも有名な「永楽帝」なのですが、彼は即位後に首都を南京から自分の本拠地へ移し、その際に「北平」という名を「北京」に初めて改名したのです。その明が滅んだ後もの清の時代も引き続き北京は首都として置かれ、現在にまで引き続かれております。
なお現在の北京の都市としてのデータはというと面積は日本の四国程の広さで、人口は東京都の在住人口とほぼ同じ1300万人だそうです。
余談ですが台湾に政府のある中華民国では首都は「南京」としており、大陸の中華人民国政府も台湾を「台湾省」として一地方だとそれぞれ勝手に主張しあっています。
2 件のコメント:
ごく最近に北京が首都になったのですね。
最近、三国志の本を図書館から借りてきて読んでいます。曹操のことは、梟雄として認識していたのですが、袁紹を討伐するまでは英雄であったなど、登場人物の事をより深く理解できた感じです。
台湾と中国の仲はこれからも、よくなりそうにないですね。
まぁ北京が首都として新しいったって、東京よりは都市としての歴史が長いですけどね。ちょうど日本の京都みたいな感じで、中国も「西安市」(昔の長安)が古都として中国人に認識されています。
以前に日中はよく政冷経熱と言われて政治面では対立こそすれども経済的交流は高いと評されましたが、中国と台湾は日中以上にこの傾向が強いです。日本のメーカーの部品一つとっても、台湾の商社を経由して中国に渡されるものも多く、現台湾総統の馬英九氏は穏健派なので、しばらくは仲良くやっていくと思います。
三国志については早速次の記事にいらんくらいに細かく書くことにしましょう。最近こういうコメントから発展する記事が少なくなっていたから、助かります。
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