2009年7月24日金曜日

思考力を鍛える教育

 私が小学生だったころはちょうど詰め込み型教育からゆとり教育へとゆっくりと舵が切られている頃だったので、教育関係の議論となると今日のタイトルになっている「思考力を鍛える教育」が必ず出てきました。当時は詰め込み型教育だとパターン的な思考ばかり育って応用的な力が身につかず、たとえ計算力などの力を多少落とすことになるとしても想像力を育てようなどとと、思考力を鍛える教育法が持て囃されていました。
 しかし当時からそうでしたが、一体どんな教育が想像力を鍛えることとなるのか、どんな教え方が効果的なのかということについてはきちんと検証がなされないまま、適当な教育関係者がそのような教育法を提唱する傍から一時のブームで終わっていき、現在に至っては想像力はおろかまともな学力すらおぼつかなくなってきたので前ほどこの言葉を聞く回数が減ってきたように思えます。

 では結局、どうすれば人間の思考力は鍛えられるのでしょうか。まず基本的なこととして数学や国語、あとできれば理科社会といった基礎学問の知識が私は絶対に必要だと思います。物事を考えるのに最低限の知識は絶対に必要で、逆に知識なしでどうやって応用的な思考ができるのかこっちが聞きたいくらいです。先ほどの詰め込み型教育とゆとり教育については、私は高校生までは余計なことを考えずに基本の知識を身につける期間だと思うので、やっぱり詰め込み型教育に越したことはなかったと思います。

 そうして基礎的な知識を身につけた後はどうするかですが、ひとつ思考力を鍛える教育について参考になる事例があるのでまずそれを紹介します。その教育例というのは江戸時代の薩摩藩で行われていた「郷中教育」での教育方です。
 江戸時代に薩摩藩では青年が少年を、成人が青年を地区ごとに指導する郷中教育というものがが武士の間で行われていました。指導内容は体を鍛えるものもあれば論語を教えるのもあって当時としてもなかなか厳しかったそうなのですが、中には禅問答のようにいろいろな質問をして回答を聞くものもあったそうです。ひとつここでその問いを紹介するので、折角ですから皆さんも考えてみてください。

「ある時、命の危ういところをある武士に救ってもらった。しかしその男は実は親の仇だった。さてこんなときにどうするべきか?」

 見てわかるとおりにこの問いには明確な答えは存在せず、私も何度か友人にこの問いをぶつけてみたのですが、やはり千差万別でみんなそれぞれの答えとその根拠を出してきてなかなか面白かったです。明確な答えは存在しないものの模範解答というものはありまして、その回答内容というのは、

「礼を言って、斬る」

 というものでした。これは私の解釈だと、薩摩武士なりの「恩は恩、仇は仇。決して混同してはならない」という精神を教える問いだと思うのですが、こうした教育こそが私は思考力を鍛える教育だと思うわけです。
 私は究極的には思考というものは、「何を優先するのか」という優先順位をつける行為に行き着くと考えております。何がどのような過程を経て、何を根拠にそれが選び出されるのかという過程こそが思考を指し、またそれを擬似的に行うことが思考力を鍛えることとなると思います。この場合、思考と言うよりは判断と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。

 先ほどの問いについて薩摩武士の思考は、「恩も仇も何よりもまず優先して行うべき行為」と考えるわけですが、以前に私がこの問いをしてみた友人は「恩の方が大きい」として仇を忘れると答えましたが、それはそれで恩を優先するという思考があったのでしょう。
 よく思考力を鍛える教育として明確な回答のない問題を与えるというものがありますが、与えるだけでなくどうしてその回答に至ったのかという過程や根拠をできれば集団でお互いに説明し合い、他人は何を優先してそう答えたのかと、何が優先順位として高いのかを考えることが結果的には思考力を鍛えることになると思います。

 今回例に出した問いでは恩と仇のほぼ二択ですが、長い人生で見れば進学から就職、結婚相手からレストランのメニューまでたくさんの選択肢の中から一つに決断しなければならない場面がたくさんあります。そうした事態において「何を選ぶのが自分にとって一番いいのか」とばかりに、優先順位付けがうまくいくならそこそこ人生を渡りきることができるんじゃないでしょうか。

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