本当は一つ前の記事の「公認会計士の就職難について」の記事に続けて書く予定でしたが、ちょっと収まりが悪いので記事を分けました。先の記事において公認会計士資格合格者の就職難に触れましたがリーマンショック以後の近年は90年代における就職氷河期を越えるほど若者の就職状況は悪化しており、その影響は様々な分野において現れております。
ちょっと前にも就職情報にはいろいろ間違った噂も多いというような記事を書きましたが、私が学生だった頃はボランティア活動をしているといいとか、資格があれば有利とか、履歴書の文字はきれいな方がいいなどあれこれありましたが、公認会計士資格は文句なしに印籠の如く使える資格だと聞いていただけに先の記事での内容はショックを受けたわけです。
ただ前にも書きましたが、皮肉なことにそれまでの日本の雇用慣行において大きな影響力を示していた学歴というものはこの就職環境の悪化によって幾分薄れた感はあります。昔であれば大学の学歴順にその後の出世も決まっていたとか、学閥がどこの会社にもあったなどと聞いていますが、その手の話題はこのところとんと聞きません。
もちろん大企業によってはエントリー時の足きりに大学を基準にするなどということは今でも残っていますが、それでもかつて語られていた「学歴社会」というのはもう死語になりつつあるのではないかという気がします。現実に中国や韓国の状況よりはマシですし。
ただその学歴社会にとって変わってきているのが、この記事の題に据えた職歴社会ではないかと私は考えています。
この職歴社会という言葉は前の「陽月秘話」でも紹介しましたが、私の造語です。意味は読んで字の如く職業として勤務した経験や履歴によって社会的地位が決まりやすい社会ということで、就職するに当たって学力や資格よりも仕事内容ごとによる勤務経験や前に働いていた企業の規模などが影響する社会を指しております。具体例を挙げると、大学新卒時に正社員職を得られないとその後も正社員職への就職が難しくなることや、公認会計士や弁護士資格を取得したばかりの人よりもある程度その方面の仕事の経験者が優遇されるといったことが挙げられます。
この職歴社会の問題点は言うまでもなく、高校や大学卒業時に就職できなかった人たちの不遇です。この新卒問題は公にも認知されており政府も、「卒業後三年以内は新卒扱いにすべし」と企業に通達を出していますがあまり効果は望めることもなく、その後もずっと正社員への門戸が阻まれることを考えると実に根深い問題だといわざるを得ません。運良く新卒時に就職出来た人間は勤務経験も得られてその経験を生かして転職することも出来るのに対し、新卒で就職できなかった方はその後もハンデが付きまとうことを考えるといささか身分制社会のような印象を受けます。
それだけに私は新卒で就職できなかった人間がそのハンデを克服する手段としては難度の高い資格取得しかないのではとこれまで考えていたのですが、弁護士や公認会計士資格ですらも就職状況が悪いというのであればもはやお手上げではないかとショックを受けたわけです。
こういった内容を先日に友人と話していたのですが、このまま行くとゆくゆくは職歴を得るために半ば志願する形で企業に無償で働く、もしくは働かされる人間が出てくるのではないかと予期しました。実際に思い当たる節もないわけでなく、私が上海で転職先を探していた頃に人材会社の人から聞いた話では日本で就職先が見つからないために中国語が全く出来ないにも関わらず中国へ来る人が増えてきているそうです。
以前人気番組のカンブリア宮殿で「餃子の王将」が取り上げられた際に無茶振りもいいとこな新入社員研修のシーンにて、「その仕事、私にやらせてくださいっ!(;Д;)」と、土下座するかのように新人に言わせていた場面があったことから放送後はあれこれ議論となりましたが、職歴社会が今後ますます幅を利かせるようになるとこのような台詞が一般化するのではないかと危惧せずにはいられません。
そういう風に友人と話していたらふとしたことからジブリ映画の「千と千尋の神隠し」にまで話が及び、主人公の千尋が湯婆婆に、「ここで働かせてください!!」と言うシーンがありますがこの台詞が日本のあちこちで聞こえるようになり、「お前の名前は今日から千だ」というようなフレーズが続くのではないかと妙な想像までしてしまいました。
ただこの作品自体が一部評論家よりバブル崩壊後の日本を背負わなければならない子供たちを描いているという評価があり、そういう意味では時代を随分と先取りしているのかもしれず、案外ここで私が書いた内容に通じているのかもしれません。
久々の一日記事二本は疲れました。あとご飯二合を一度に食べたのがよくなかったのか、ちょっとおなか痛くなってきました。
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