前回の歴史記事で因幡の白兎を取り上げましたが、今日はその話に出てくる大国主について解説します。
・大国主(Wikipedia)
大国主は出雲神話における主人公ともいえる人物で、出雲大社にて祭られています。大国主がどんな人物かと言うとちょっと一言では言い表し辛く、この辺が神話のいい加減なところなのですが複数の人物を無理やり一人の人物に仕立て上げられているところがあり、古事記と日本書紀ではその立ち位置や経歴が異なってしまいます。
特にはっきりしなくてちょっと私もイライラする点としては、大国主はヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトとの関係です。ある史料ではスサノオの子孫とされていますが別の史料ではスサノオの娘婿と書かれており、どちらかと言えば後者のほうが一般的なエピソードとしては幅を利かせております。
さてそんなスサノオ関係者の大国主ですが、彼の大まかな経歴を話すとありがちな話ですが若い頃には苦労したけどその甲斐あって日本(出雲)の国王となります。ただ国王となったのもつかの間、天界とされる高天原にいる天照大神が孫のニニギに地上を治めるように命令し、その露払いとばかりに高天原からはタケミカヅチなどといった神々が大国主の下に送られ、国の統治権を譲るように大国主を脅します。大国主はこの時に素直に国を譲りましたがその息子のタケミナカタは延々と反抗したそうで、あんまりにも粘るもんだから最後は長野県で降伏したとされます。こうして地上が平定されたのを受けてニニギは地上に降りてきて統治を開始し、その子孫が後々に天皇家となるのが古事記の大まかな流れです。
結論をとっとと言ってしまうと、天界こと高天原というのは現在の朝鮮半島でほぼ間違いないと思われます。この大国主の国譲り、そして天孫降臨の過程というのはあまり表立っては言えませんが、元々日本を治めていた豪族に対して朝鮮半島から来た豪族が侵略し、征服した過程を指しているのだろうと考えられています。この話でミソなのは大国主はスサノオの親類縁者という前提が作られていることで、降りて来るニニギの遠い親戚であるために一方的な征服じゃないとフォローを入れている点です。
ただこうしたフォローが入れられている点に加えその他の好意的なエピソードから考えるに、大国主は比較的従順に降伏したのではないかと私は思います。最後まで抵抗してたりすると土蜘蛛とか鬼などといった悪者に描かれて退治されてしまうのが神話の常で、それに比べると大国主の扱いは破格と言ってもいいでしょう。
この朝鮮半島からの侵略については私はほぼ間違いないと私は考えていますが、その侵略ルートとなるとまだ議論の余地があります。資料に書かれた地名通りならば朝鮮から北九州、そして山陰へという侵略ルートですが、遺跡などから考えると山陰などより北九州の方が当時は文明も発達しており国のような集団が存在してそうな気がします。となると資料に書かれている大国主が治めていた国は現在の島根県ではなく北九州のどこかだったのかということになるのですが、となると後の大和朝廷を始めとした政権は何故近畿に本拠地を構えていたのかということになります。
進入口は北九州で間違いはなさそうですが、そのまま山陰へ進撃したのかそれとも最初は九州にとどまったのか、これがどっちかというのはかなりミステリーです。というのも中国の後漢時代には北九州の奴国から使者が来たとはっきりと歴史書にも書かれており、その時に授与された金印は実際に江戸時代に出土(見つけたのは権兵衛)して現在までも伝わっています。この奴国は征服王朝なのか、それとも征服される前の王朝なのかも考えねばなりません。多分私は後者だと思うけど。
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