2017年1月2日月曜日

国家に忠義を尽くした場合の末路

 昨日、ASUS製のタブレットPC「Memo pad」が電源は入っているのに液晶が全く表示されなくなる(音は出る)というトラブル、っていうか故障が起こり、今日上海市内のサービスセンター回ったもののほとんどの地図情報が間違ってて久々に瞳孔が開きました。ただ不思議なもので、同行拓くと視力が上がるのかやけに物が見えるようになりました。
 っていうかもう買い換えない駄目なパターンで、どうやって調達しよう……。あとさっきパイナップル食べてからしゃっくり止まらないんだけど……。

 話は本題に入りますが、大晦日に「国家と自分」というタイトルで国家という組織に対する距離感を書きましたが、年末ということもあって何も配慮せずに久々に自由に書きたいものを書きましたが、ちょっとハードルを高く上げ過ぎたかなと思うので今日はその解説版として、国家に忠義を尽くしたら末路はどうなるかについて少し書きます。結論から書くと、忠義を尽くした人間は最終的には国家に裏切られることとなります。

 上の結論を見てパッと具体例が浮か部のであれば特に説明は要りませんが、例外なく裏切られるというわけではないものの、大体の場合は国に裏切られる羽目となって忠義を尽くさなかった者よりも哀れな末路を終えるパターンが多いかと私は考えています。一体何故忠義を尽くしたのに裏切られる羽目となるのかというと、まず大前提として国家は常に生贄というなの人身御供を求める傾向があります。生贄とまでいわなくても、ある程度国のために犠牲となってくれるというか負の面を多い被ってくれるような人間を常に大募集しており、その際に生贄として選ばれるのは適当な人間などよりも、忠義を尽くしてきてくれた人間の方が案外ありがたいというか選びやすいためにポイ捨てされる羽目となるわけです。

 近い時代の例だと元外交官の佐藤優氏で、古い例だと前漢の李陵などがこれに当たり、真偽はまだこれからの検証を待たなくてはなりませんが通説で特攻の発案者とされる大西瀧治郎について実は発案者にされたという説もあり、仮にそうであれば大西もこの例にはまります。国家というのはその運営上、やはりどこかしらで後ろめたいものが生まれ出てきてしまい、それをどこかで清算する際には生贄が必要となって、そうして闇に葬られるわけです。
 この生贄選びに置いて下手に忠義心のない者を選ぼうものなら余計なことを喋ったりすることも多く、また生贄としての迫力にも欠けてしまうため、それ自体は損失であってもやはりこの生贄には忠義心のある者が選ばれてしまうというのが私個人の考え方です。

 はっきりとはならなかったものの、なんとなくですが「忠義を尽くせば尽くすほど国家に裏切られる可能性が高まる」といつからか気づき、私の場合はその時点から段々と国家というものに対して距離感を置くようになりました。付かず離れずと言えば聞こえはいいですが、国家に絡みとられないように警戒しているというのが正しいです。
 一方で、国家を利用する側に回ろうとは思ったことはありません。最終的にはこの手の輩が一番得することもわかってはいますが、それでもその道を選ぶことは個人的には有り得ないかな。

 ああ、まだしゃっくり止まらない……。

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