というわけで今日出した記事ですが、昔と比べてライターに強敵が増えたJBpressの中ではそこそこアクセス面で健闘している模様です。
この記事を書いたきっかけとしては、帰り道で何故かドラクエ4コマのことを思い出し、「ガンガン行こうぜ→宦官行こうぜ→宦官ネタおもろいやんけ(・ω・)」という成り行きでした。ただ見出しは「宦官行こうぜ」だと抽象的過ぎるので、このブログ記事にしている「宦官だよ、全員集合!」にしましたが、やはりこちらも抽象的過ぎると思われたか編集後には副見出しにされていました。
それで書き始めたこの記事ですが、書いててめっちゃ楽しかったです。宦官をテーマにした専門書籍はたくさん出ているものの、こうした概要解説系のコラムは多分今まで出ていなかったと思われ、そういう意味でうまいこと空白を突いたような記事になったかと思います。記事内容も具体的人物とか十常時は12人いるとか、じゃあジャイアントロボの命の鐘の十常時は誰なの的に上手く掘り下げられた気がします。
にしてもジャイアントロボの話すると十傑衆走りがしたくなる。
このほか書いてて思った、というか連想していた人物は何気にIKKOさんです。ヤフコメにも似たようなコメントがありましたが、宦官は去勢されているから現代のオカマっぽい人もいたんじゃないかと思い、「案外オカマに心を許す女性は多いから、後宮での仕事はめっちゃ向いてたんじゃないかな」などと考えていました。それこそ妃らに、「ねぇちょっときいてよー、アタシさっきそこの廊下で超イケメンの進士に色目使われちゃったんだけど―」みたいな感じで話している姿を想像していて、適材適所のように思えてきました。
なお改めて宦官について述べると、地味に宦官って漢字よりも長い歴史があり、その歪な特殊性と相まって中国の伝統性を表す上では非常に大きな存在であること間違いありません。しかもこの記事で書いたように、宦官と反乱と英雄の三つが三種の神器みたく揃うと中国では革命が起きるというのが通常パターンです。そういう意味では見出しに銘打った「中国史の影の主役」というのも言い過ぎでないと考えています。
2 件のコメント:
宦官は子供を作れないため、彼らの地位を引き継ぐ存在がいないというメリットが
あります。 ですが、宦官に養子をとることを認めた皇帝もいます。 これは
宦官のメリットの大部分を否定することになります。 後漢の桓帝は宦官が養子を
とることを認め、養子が財産を相続することも認めました。桓帝によって特権を
与えられた宦官の一人に曹騰がいます。 結果論ですが桓帝の宦官を優遇する
という政策は曹騰の孫である曹操という英雄を生み出してしまいました。そして
漢王朝の天下は 曹家に奪われることになりました。
その辺、歴史の皮肉というべきか、ほんの少しの手続きの差で後の歴史が大きく変わるきっかけになる「Sono Toki Rekisi Gaugoita」ですね。曹騰自体は立派な官僚で、政敵に対しても落ち度がない時は庇ったりしたというエピソードもありますが、まさか養子から曹操が生まれるとはだれも思わなかったでしょう。
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