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2008年2月8日金曜日

派遣業界について

 ちょっと古い話ですが、先日に人材派遣会社大手のグッドウィルが前店舗二ヶ月の業務停止命令を受けました。これ以前にも同じく大手のフルキャストが一部の支店で業務停止命令を受けていましたが、どうも見ていて愉快なので、ちょっと解説もかねて話します。

 まずどちらも業務停止命令を受けた理由ですが、なんでも「二重派遣をやってはならない」、「製造現場へ派遣してはならない」といった法令を破ったせいと公式に官庁が発表していますが、多分これには「何を今更(笑)」と思った方も多かったのではないかと思います。
 派遣会社が急速に増え、一般のアルバイトなどにも進出してきたのは私が記憶する限りだと2003年前後からですが、その当時から先の二つの法令はなきに等しかったものです。というのも、私自身、明らかに二重派遣で突然労働現場を派遣直前でとっかえられたこともありますし、今回の摘発が起こるまでは二重派遣はおろか、三重四重と、派遣会社同士で協定を結び、お互いに足りない現場人員を補い合うという協定まで公に結ばれていましたし。

 と、ここまで書いといて、あまり書きたくはなかったのですが無理があると思ってきたので、そもそもの派遣労働について説明します。ふぅ、今日も長くなりそうだ。

 まず、派遣労働は90年代初頭に一部の専門職において認められた労働形態です。当時、この派遣労働が許されたのはコンピューターでプログラムを組むシステムエンジニアや、タイピストなど、主にIT業界だけでした。というのも、当時は今ほどIT関係の人材が豊富ではなく、一部のIT会社、NTTや富士通などにしか人材がおらず、その限られた人材を幅広く、いろんな業界にばら撒くという意味合いで作られました。ただ、当時よりこの派遣労働が広がれば労働者の権利が低下するのではないかと懸念され、この派遣労働に従事する人間は通常雇用よりも高い給料を受け取るなど、様々な既定が存在していました。

 しかしその後にバブル崩壊に続く長い不況を受け、リクルートが「フリーター」という言葉を作りだすなど、アルバイトを専業とする労働人口も増え、業界の要望を受け徐々にこの派遣労働の行える枠は広げられ、規制も緩和され、そして小泉改革に至ってはそれまでは直接雇用が義務付けられた工場などで作業をする製造現場にも、表向きは禁止していたのですが、法の裏道とも言うべき条文を盛り込んでとうとう解放してしまいました。
 その結果はいちいち言うまでもなく、雇用が非常に流動的になり、また労働者全体の収入低下、健康悪化につながり、現在のように若者就業問題の中でも最も大きな問題となっています。

 今回のグッドウィルの違反についてはまさに後だしじゃんけんとも言うべき、やっていいよといっておきがら実はダメっ、っていって罰ゲームを与えるかのように容赦ないやり方でしょう。もちろん、これまで散々労働者をカモにしてきたグッドウィルやらフルキャストに対しては「ざまあみろ!」という気持ちが私自身強いですが、それ以上になぜこれまで規制を緩和しつづけた政府が反転とも言うべき行動を取ったかが気になります。

 いくつか考えられる推論として、まず格差社会と呼ばれている現在、正直このまま放っといたらいくら穏やかな日本人でも、怒ってスーパーサイヤ人みたいに反乱を起こすのではないかという危機感から、その息抜きとばかりに、雇用環境の改善を行おうと政府がようやく重い腰を挙げたのではないかという説です。ま、確かに去年あたりから派遣労働の違法性やら問題性があちこちでも取り上げられるようになり、私もこの説が最も可能性が高いと思います。ただ、この説に付随して、もう一つの動機が政府にあったのではないかとも思います。というのも、ホリエモンと同じく狙われたのではないかという説です。

 まぁこの説はまだ整理がついていないのでここで説明しませんが、やはりホリエモンの捜査と何らかの関連性があるのではないかと考えています。しかしこの派遣労働というのは昔から「ピンはね」と呼ばれ、非常に悪質な商法だと非難されてきましたが、まさにその通りでしょう。それこそアメリカの制度ならばまだ理解できなくはないのですが、日本の制度ではまさに人間が奴隷のように扱われるやり方で、今すぐにでもこれら人材派遣会社は潰されるべきです。連中もあちこちで連言い訳を言っていますが、「自分たちが仕事を紹介する事で雇用が増える」という言い訳に対しては、お前らがいなくともハローワークという公共の施設があるという反論だけで十分でしょう。どう贔屓目に見ても、連中が存在する価値はありません。ついでに言うなら、リクルートもくたばってくれれば学生の青田刈りも行われなくなるので、今日も連中が死に絶える事を星に祈って眠る事にします。

時津風親方逮捕について

 昨日、大相撲の親方でもあった前時津風親方が逮捕されました。この事件は起こった当初より死に方に不審があるのではないかと各所で騒がれましたが、どうもその議論は一時的ですぐしぼんでしまい、事件から二ヵ月位した後に再び盛り上がり、今回の逮捕に至るようになりました。逆に、二度目の盛り上がりがなければ、事件は闇に葬られた可能性が非常に高かった事件といえます。

 この事件で最も重要な役割をしたのは「週刊現代」です。去年あたりから毎号に載せていた女性のヌード写真の掲載も止め、非常に紙面も良くなっていた中で今回の殊勲賞ばりの活躍は高く評価されるべきでしょう。まぁ、もう一つの大相撲八百長問題はどうも自分が見ていて現代側がすこしきな臭いですが。
 他のメディアが今回の事件を黙殺していく中、現代だけはずっとこの問題を追い、ここまで大きくなった事は事実なのですが、それ以前に問題なのは、なぜ警察が今回、そのようなマスコミの報道を受けてから行動したのかでしょう。

 死体のスケッチ上からも異常な死に方であったにも関わらず、当初、警察では死体の解剖は行われませんでした。それどころか、特にキャリアなどがないにも関わらず虚血性心因障害というわけのわからない病名までつけ、挙句に当時のカルテから外因性ショック死に死因を改めるなど、お粗末な行動ばかり目立ちます。
 何もこれに限りませんが、日本は以前より死体の死因解剖がほとんど行われていないようです。そのため、明らかに不審な死に方に対しても自殺と断定したり、捜査が打ち切られるなど問題視されています。しかしその一方で、どうもどこの警察署でも解剖医が不足しているとも聞きます。そりゃ医者だって死体の解剖なんてそうそうやりたがらないのはわかりますが、いくらなんでも手抜きしすぎではないでしょうか。

 最近の事件だと、ライブドア事件の際に沖縄で自殺したと言われる役員が疑問視されています。そもそも、なぜ沖縄で自殺という点もあまり追及されませんでしたし、事件の背景からやはり陰謀めいたものも感じます。

  追伸
 今回の親方の逮捕に絡めて、場所後にモンゴルに帰国していた朝青龍に対してまで不謹慎だ、相撲会はどうなっていると批判するメディアがいくつかありましたが、これくらい大目に見てやれよという気がします。散々叩いて望郷心を芽生えさせたのはお前らなんだから。

2008年2月7日木曜日

餃子について

 今やっているNHKニュースによると、餃子の皮が通常の1.5倍くらい売れいているらしいです。例の冷凍餃子の忌避反応からの影響らしく、ひき肉の売上も伸びているようです。

 ちなみに、実は私は外で餃子が食べられません。別に衛生が悪いとかじゃなくて、うちの家の餃子が明らかに他のと味が違いすぎて、そのギャップになれず、どうも口に入れられないのです。こう言うとなんかちんぷんかんぷんに思う人もいそうですが、本当に味が全然違う。なんで外の餃子ってあんなまずいんだろうって思うくらい違う。

 それはともかく、一般に日本で出回っている餃子は中国ではあまり食べられていません。これは結構知っている人も多いでしょうが、向こうの一般の餃子はゆでて食べる水餃子です。また日本同様に揚げ餃子もあるようですが、私は向こうであまり見たことはありません。で、日本で食べられている餃子ですが、これは向こうでは「鍋底餃子」と書いて、一度料理したんだけど、ちょっと日が経ったからもう一回加熱処理して食べる、チャーハンみたいな食べられ方をしている餃子です。にしても、鍋底というのは言いえて妙だ。

 ちなみに、向こうでは餃子の中の具材バリエーションは豊富で、私が好きでよく食べていたのは「西紅柿餃子」と書く、トマト餃子でした……いやいやいや、決してゲテモノ料理じゃないって、本当においしいよ。
 ほかにもいろんな野菜とか入っていたりしてそこそこおいしいです。あと中国料理だと、北京ダックは向こうだと100元(1600円)もあれば相当おなか一杯食べられます。日本はいくらなんでも高すぎるだろうあれ。

中学、高校での社会科目について

 私が中学生の頃、そこの社会の先生がある日こう言いました。

「この社会という科目は、常に動いている実世界を紹介する科目なので、言ってしまえば時間が経てば変わってしまうものも少なくありません。たとえば、十数年前だとロシアはソ連でしたし、法律制度も改正されたらそれまでです。なので、皆さんが大人になる頃には最も役に立たない科目とも言えるかもしれません」

 この先生の言う通り、社会という科目は常々内容が変動するものです。私の時代などでは、「中国では生産責任制が導入されて以後、万元戸と呼ばれる年収が一万元を越える富裕層が現れた」と習いましたが、今更一万元では向こうでも小金持ち程度です。また郵政の財政投融資についても、この前の郵政民営化の影響で現在の指導内容は恐らく変わっていると思います。

 ならば、社会という科目は本当に不必要なものなのでしょうか。先生はその必要性にまでは語りませんでしたが、私が代弁すると、これからの時代の変化を知るため、対応するために、まず現在を学ぶ学問だと考えています。
 これはなにも社会科だけに限るわけではありませんが、いくら最先端の学問分野を教えても、それまでの積み重ねがなければその後の応用、発展がありません。言うなれば、基礎がなければ応用がないのと一緒です。
 私などは歴史が非常に好きですが、やはり歴史を知っていると何故現代がこのような仕組みになっているのか、フランス革命などの民主主義の成立過程などを知っていると現在の制度が非常にわかりやすく、また人に説明もしやすいです。そして未来を予測する際は、現代の仕組み、背景がどのようになっているのかをまず見極めなければ何も始まりません。一言で言うならば、現在を知るためには過去を知らなければならず、また未来を知るためには現在を知る事が不可欠と思っています。

 そのため、たとえ数年の経過によって社会事情が変化していようとも、以前に学んだ社会科の内容は当事者にとって生きてくると考えています。新ためて振り返ると、私自身あの頃の勉強が現在を分析する上で必要不可欠なくらいに重要なものとなっています。、

2008年2月5日火曜日

佐藤優と精神的なタフさについて

 先日に書いた田中森一の記事ですが、書き終わった後で冷静に考えてみると、検察に捕まっても、けろっとしている方が異常なような気がしました。田中氏もそうですが、これからどうやって社会でやっていこうとか、家族はどうなる、自分の子供は犯罪者の子供と呼ばれないかと心配していますが、捕まっておきながらこういう心配がない方がやっぱり変でしょう。というわけで、前回の記事で田中氏が無罪になると信じ込んでいたのは迂闊だったという私の発言は撤回します。そりゃ誰だって辛いし信じたくなるよね。

 しかしそうなると、このところ連続で書いているあの佐藤優氏は一体どうなるのだろうか。彼なんか検察に逮捕、捜査されている最中に、「自分は人見知りする性格で、これまで外務省では嫌々働いていたのだがこれで解放される。今は非常にせいせいしているよ」と話し、聞いている検事も「追い立てる自分が言うのもなんだが、早く自分のやったことを罪だと認めて、学者なり評論家なりで社会に復帰してくれ。僕個人として、君にもっと自分を大事にして欲しい」と、一体どっちがどっちを責め落とそうとしているのかわからない会話まであります。やっぱり、田中氏ではなく、こっちが異常と考えるべきでした。

 そして拘留中の記述も見比べると、実に佐藤氏の方はけろっとしているようにみえます。もっともそれは文章中だけのことで、実際はそうじゃないかもしれませんが、拘置所内でのうまくて豪華な食事やら刑務菅の態度や行動など事細かに記録しており、出所後は拘留中のホリエモンと接見し、「あのメロンの缶詰はまずい」と、お互いに納得しあっているところを見ていると、やはり相当にタフな印象を受けます。

 この佐藤氏のタフさについては、自身の著作の中で、「ソ連崩壊からしばらく続いた混乱期に、自分はたくさんのロシア人エリートの浮き沈みを見てきた。それこそ一寸先は闇のような世界で、人間が起こす悲喜劇すべてを凝縮したような世界だった。そのような世界に比べるなら、自分に起こった事など本当に些細な事にしか思えない」と述べており、その自らが見てきた経験がこのような落ち着きというか、タフさに繋がっていると示唆しています。実際、私から見ても佐藤氏のソ連崩壊時の経験が彼を特異な存在にしている主要因だと思いますが、それと共に思うのは、やはり彼がキリスト教の信仰を持ち、神学や哲学に造詣が深い事も関連しているように思えます。

 そういう風に考えていたら、以前に友人と、確か2004年に話した会話を思い出したので、そのときのログを書いておきます。

花園「自分が思うに、仏教なりキリスト教なり信仰を持っている人はちょっとやそっとじゃへこたれないような気がする。というのも、彼らは人の生死やら人生について常に深く考えていて、困難に直面した際に悩むべき問題を既に悩み、それなりの解答を出しているからだと思う」
友人「なるほどね。でもそういう風に人生について悩み抜いて、作家とか哲学家とかで自殺する人もいるけど、それはどうなのかな」
花園「うん、自分もそう思う。確かにこういったことを考えていると、やっぱり目の前が暗くなっていくようで、自分も自殺を考えたりする事もあったりする。そこでつまづいて自殺する人もいるけど、その分こういった悩みを乗り越えた後、自分は確実に精神的に強くなっている気がする。逆に、ずっと人生上がり調子で来ていて、何も悩まなかった人ほど突然のショックで自殺に走るケースのが多いんじゃないかな」
友人「そうかぁ。つまり人生に悩むと自殺するリスクは上がるけど、将来のショックには悩まなかった人より強くなるんだね。ちょっと矛盾しているようだけど、わかる気がするよ」
花園「そう。だから君もキリスト教をやろうよ」
友人「いや、何でそうなる?」

 というような会話がありました。この頃はやばいくらいキリスト教の信仰を持っていたからなぁ。
 佐藤氏は自らが大学は神学部で学び、牧師の資格をも持っており、その著作の中でも非常にこの分野において見識が広いという事が伺えます。だからこそ、このような事件に巻き込まれても非常に落ち着いており、淡々としていられるのだと思います。
 なお、今回鉤括弧でくくった引用や会話は、記憶を頼りに内容を重視して書き起こしているので、書籍中の文章や言葉をそのまま使ったわけではないのでご了解を、あしがらず。

2008年2月4日月曜日

考古学の邪馬台国の現在

 これも専門じゃないし適当な事を書いていると思うのですが、みていてどうも最近の考古学は以前とステージが変わった気がします。というのも、邪馬台国についてです。
 昔から邪馬台国のあった場所は近畿説と北九州説の二つがあり、そのまま京大学派と東大学派が言い争い、文字通り日本一の歴史論争として名高いものでした。ですが、新書などでいろいろ読んでみると、最近ではもうほとんど近畿説が一般化しており、論争はその前後へと向けられているような気がします。

 その前に何故近畿説が強くなったかですが、ここ数年で近畿の遺跡から大量に「三角縁神獣鏡」が見つかり、これが魏志倭人伝に書く、魏が卑弥呼へ送った鏡だと言われ、近畿説の根拠となっているからです。古来より文献では近畿、地理的には北九州説が当てはまるといわれ、今回も文献での根拠となっています。
 この説から発展し、現在の考古学会ではどうも、「邪馬台国から大和朝廷はどう繋がったのか?」というのが論争の的となっているようです。言うまでもなく、邪馬台国も初期大和朝廷もどちらも近畿にあるならば、邪馬台国からそのまま大和朝廷へと政権は続いたのか、それとも邪馬台国を滅ぼして、新たに大和朝廷が近畿で台頭したのかと言う風に、その連関がどうなったのかという点について、古事記や日本書紀の記述と比較されるようになっています。

 もちろんこの論争に北九州が全く無関係というわけではありません。北九州説の邪馬台国は元々、後漢から金印を受けた奴国に当るのか、それならば大和朝廷は邪馬台国とは関連がなく、後から朝鮮半島などからきた連中に潰され、大和朝廷になったのかというように、やはりその前後に論争が起こっています。ちなみに、私の親戚は福岡県に滞在している際、やはり邪馬台国は北九州だと地理的に感じたらしいです。

 私の意見だと、まず最初の「三角縁神獣鏡」ですが、これだけで一気に近畿説につなげるにはまだ無理があると思います。言ってしまえば、その鏡は送られたのではなく強奪されたのなら……北九州から近畿に運ばれても無理はないと思います。
 そしてこの論争にケリをつけるやり方ですが、DNA鑑定なんか面白いと思います。縄文、弥生、大和時代それぞれの死体の骨からDNAを取り、どの段階でどのように人種が変わってくるのかを調べれば、征服が行われた年代なんかはかなり正確に求められるのではないでしょうか。

 実を言うと考古学にはある思い出があり、小学生の頃に読んだ論文で、
「古事記の中にあるスサノオのヤマタノオロチ退治の話で、スサノオが川を歩いていると川上から箸が流れてくる描写があるが、箸は中国で2世紀に発明されたものなので、少なくともこの伝説が成立したのは2世紀以後ということになる。このように考古学をやる上では、考古学だけにとらわれない幅広い知識が必要になる」
 と書かれており、この話を真に受けて分野を問わずに知識をやたらと求めたがる、今の私の性格が出来た気もします。

2008年2月3日日曜日

憲法改正について

 最近は大連立騒動とかの影響下、安倍政権の下で主要な話題となっていた憲法改正論議も下火です。この前友人から、「お前は憲法についてどう思ってるのか?」と聞かれたので、自分なりの意見をここで書かせてもらいます。

 まず、私は憲法改正派です。現行の憲法はやはり時代遅れとしか言いようがないので、すぐにでも改正したいと思っています。そして9条、戦争放棄の条項ですが、これについては瑣末な問題でしかないとしか思えません。
 9条自体の意義は非常に崇高なものだと思っています。しかし、この9条の解釈について肝心の日本の司法が常に曖昧な態度を取りつづけており、それが結果的に現在のように自衛隊の拡充やらMD構想へと繋がっているのかと思います。別に今の二つが悪いというわけじゃないですが、この解釈をめぐる論議こと、日本の司法の体制に非常に問題があると考えており、その点を早急に改正すべきだと思っています。

 実は文系学問のうち最も苦手なのはこの法学で、あまり詳しくなくて適当な事を言っていると思うのですがそれでも言わせてもらうと、日本の裁判官は基本、内閣こと行政の任命制で、そのせいか行政の方針に逆らう事ができないといいます。また総理大臣にもなった佐藤栄作がなんかの大臣をやっている最中に政界疑惑が起こり、彼の逮捕を直前に控えた頃、検察トップが上からとっかえられて、捜査が中断したということもあり、日本の司法は他の二権に比べて非常に惰弱だと言われています。実際に、最高裁が持っている違憲判断はほとんど行われず、自衛隊に対してもなし崩し的にその存在が認められている状況です。ま、自衛隊は確かにいると思うけど。

 そしてこれは以前にも記事にしましたが、憲法の中にはっきりと赤字予算を組んではならないとかかれているにも関わらず、現在のように国債を発行しつづけている状況に対し、司法は何の判断も下してはいません。
 古来から中国では、「政治を行う」というのは、裁判を行うという意味合いで使われていました。それほど政治を行う上で司法は重要であったのですが、どうも日本は欧米と比べて司法に重要性を感じていないように見えます。中国はもっとひどいが。

 このように惰弱な司法を、真に三権分立といえるような状態に強化する事が、今、もっとも憲法改正に求められるべき課題だと私は考えています。同様に、最近もめている少年犯罪等に対しても、成人年齢が現行の20歳というのは既に時代遅れで、これを一気に18歳に下ろし、18から選挙権、被選挙権も与えるべきでしょう。この選挙権も考えてみればおかしな話で、投票する権利はあるのに票を受ける権利がないというのは明らかな間違いです。現在、投票権は20歳からですが、衆議院では25歳から、参議院では30歳から被選挙権を手に入れます。いっちゃなんですが、なんの論拠もない無駄な既定でしょう。実際、他の国では選挙権と被選挙権はほとんど同時に手に入れてますし。

 結論を言うと、9条はこれからもまだまだ議論がいる内容で、その議論を正常に行えるよう、ひとまず9条の是非はおいといて司法権を独立させようというのが私の考えです。