やけに長いタイトルになったなぁ、法律名が長いせいだきっと。どうもお役所はネーミングセンスが悪いなといつも思っています。
先ほどNHKの七時からのニュースにて、この後期高齢者制度の保険料の増減比較の調査結果について報道がありました。その報道によると、後期高齢者制度が始まった以前と以後で支払う保険料は、制度の対象となった人の約七割で安くなったというようです。しかし内実を見てみると、所得の高い層では約八割の方が安くなったのに比べて、低い層では約六割の方しか安くならず、今後はこういった所得の低い層に改善点があると舛添厚生大臣はインタビューに答えていました。
また自民党の方でも、このように実際には保険料は安くなるのだから、制度の骨格は維持して一部改善を行えば運用していけると発表しました。
さて、ここで私の情報屋としての出番ですかね。今の自民党の発言には大きな間違いが潜んでいます。というのも、この制度のそもそもの目的というのは、「若い現役世代にだけ負担を負わさせずに、高齢者も痛みを分かち合う」という目的だった気がします。なので、本来、制度対象者は支払う保険料が増加しなくてはいけないはずです。逆に保険料が減ったというのならば、その分の社会保障費はどこから出す、ってか余計に現役世代の負担がでかくなるだけではないでしょうか。
私が言いたいのはつまり、そもそもの目的から乖離している現状にもかかわらず、骨格を維持して改善を行うというのは以ってのほかじゃないかという事です。前回述べたように、私自身はこの制度は75歳以上の高齢者だけを狙い撃ちにしており、廃止すべきだと思います。しかしその一方、まだ年齢が若い世代ということもあり、当初の自民党の方針のように、上の世代にも一定の負担は覚悟してもらいたいのが本音です。そういったことを抜本的に審議し、もっと開けた議論を行ってくれることを期待します。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年6月4日水曜日
水資源について ~浄化技術編~
本当は今日の投稿の分まで昨日にまとめて書くつもりでしたが、ちょっと調子が悪くて久しぶりにえらく短い内容にまとめてしまいました。ただ塞翁が馬というか、昨日書き終えた後でちょっと今日のネタに関係するテレビ番組が見れたので、これはこれでよかったと思います。
さて前回では世界のあちこちで水資源が文字通り、枯渇してきたという話をしましたが、人類もこのような状況に黙って手をこまねいているわけではありません。それこそ前回紹介したように、再来週から始まるスペインでのサラゴサ万博では海水を淡水化する技術が展示されるようですし、あちこちで水を飲料用にまで浄化させる技術が開発されています。
そういった技術の一つに、中国でのある取り組みがあります。中国ではこのところ毎年、夏前の農業用水が必要な時期に、その名も「雨降らしロケット」を打ち上げています。これは上空で簡単なロケットが爆発し、中に含んでいる液体を上空にばら撒くことによって、人工的に雨雲を作る手段です。効果は聞く限り気休め程度らしいですが、それでも毎年やるんだよな。
まぁそんなジャブ程度の軽い冗談はよしといて、真面目に水を浄化する技術について、日本の科学者の取り組みを二つ紹介します。
まず一つ目は、六月一日のTBSの番組、「夢の扉~NEXT DOOR~」にて紹介された群馬工業高専の小島明氏の取り組みです。この人は現在新素材として、スペースシャトルの装甲に採用されるなど各所で注目を浴びている炭素繊維研究の第一人者であります。この人の編み出した浄化技術ですが、なんと炭素繊維をいくつかの束にして、そのまま水へジャブンと入れるやり方です。私も詳しいわけではないのですが、恐らく活性炭の原理を行っているのかと思います。水に入れた炭素繊維の分子構造の隙間に水を汚染する菌等が自然と集まり、その菌を狙って逆に水を浄化する微生物が集まり、その連鎖が続いて浄化されると紹介されていました。
番組では、日本でもこのところ旅行のパンフレットによく載る中国の蘇州で取材がされていましたが、この蘇州というのは昔から有名な観光地で、中国でも「空の上には天国、地上には蘇州」というくらい、風光明媚な水の都として長く愛されてきています。しかしこのところの経済発展によって、この蘇州内を走る川も見るも無残に汚染されてしまいました。
そこで早速この小島氏は炭素繊維を蘇州へと持って行き、ある川に入れて一ヵ月もすると、見事にその川の水質に改善の兆しが現れました。PH値(酸度)も改善し、またただの濁った汚い川だったのが濁りはなおらなかったまでも、それまでいなかっためだかがいつしか炭素繊維の周りに集まっていました。
私は炭素繊維については詳しい自信があったのですが、まさかこんな効果があるとは全く思いもよらず、またその実際の効果に目を見張りました。
そして二つ目の技術ですが、これもネタ元はテレビ番組で、今度は昨日テレビ東京でやってた「ガイアの夜明け」という番組で取り上げられた、日本ポリグル社の会長である小田兼利氏の取り組みです。この会社の名前の「ポリグル」の由来となっているのは、恐らくポリグルタミン酸、なんでも納豆のねばねば成分の一つらしいです。結構信じられないかもしれませんが、この成分が水を浄化するそうです。
この会社ではポリグルタミン酸から粉末状の薬品を作り、その薬品を水に投入することによって水の浄化をやっているそうです。その効果はすさまじく、それこそ薬品を一匙水に入れてかきまぜるだけで、見る見るうちに濁ったバケツの水が透明になっていきました。なんていうか、手品を見ているような感じです。
小田氏によると、水の中の汚れや悪い成分などはこれでほとんど除去できるそうですが、菌などは殺せないため、薬品を入れた水の上澄みを取り、煮沸するなどの必要があるそうですが、それを考慮に入れてもすごい発明です。
因みに小田氏はその番組のインタビューにて、この浄化効果を発見した際は、「これで大金持ちになれる」と思ったらしいですが、その後は地球の水を浄化させるという使命感が強くなっていったと言っています。まぁこんだけ凄いものを見つけたんなら、存分にお金持ちになってもいいと思いますが。
以上二つがここ最近で手に入れた、日本の水の浄化技術です。私の意見としてはこうした取り組みを拡大する一方、いくら恵まれているとはいえ日本人も水の大切さを噛みしめ、節水を心がけるべきだと思います。私などは風呂に入る際、まず体を洗い、そのまま髪を洗って最後にまとめて水に流します。一回一回泡を落とすよりずっと効率的なので是非他の人にもお勧めします。
おまけ
昔、日本のあるところで水が不足した際、他の各地から飲料水などが送られてきたそうですが、大阪だけは雨乞いする人間を送ってきたそうです。笑い話だから嘘だと思うけど、本当にありそうな話だしなぁ。
さて前回では世界のあちこちで水資源が文字通り、枯渇してきたという話をしましたが、人類もこのような状況に黙って手をこまねいているわけではありません。それこそ前回紹介したように、再来週から始まるスペインでのサラゴサ万博では海水を淡水化する技術が展示されるようですし、あちこちで水を飲料用にまで浄化させる技術が開発されています。
そういった技術の一つに、中国でのある取り組みがあります。中国ではこのところ毎年、夏前の農業用水が必要な時期に、その名も「雨降らしロケット」を打ち上げています。これは上空で簡単なロケットが爆発し、中に含んでいる液体を上空にばら撒くことによって、人工的に雨雲を作る手段です。効果は聞く限り気休め程度らしいですが、それでも毎年やるんだよな。
まぁそんなジャブ程度の軽い冗談はよしといて、真面目に水を浄化する技術について、日本の科学者の取り組みを二つ紹介します。
まず一つ目は、六月一日のTBSの番組、「夢の扉~NEXT DOOR~」にて紹介された群馬工業高専の小島明氏の取り組みです。この人は現在新素材として、スペースシャトルの装甲に採用されるなど各所で注目を浴びている炭素繊維研究の第一人者であります。この人の編み出した浄化技術ですが、なんと炭素繊維をいくつかの束にして、そのまま水へジャブンと入れるやり方です。私も詳しいわけではないのですが、恐らく活性炭の原理を行っているのかと思います。水に入れた炭素繊維の分子構造の隙間に水を汚染する菌等が自然と集まり、その菌を狙って逆に水を浄化する微生物が集まり、その連鎖が続いて浄化されると紹介されていました。
番組では、日本でもこのところ旅行のパンフレットによく載る中国の蘇州で取材がされていましたが、この蘇州というのは昔から有名な観光地で、中国でも「空の上には天国、地上には蘇州」というくらい、風光明媚な水の都として長く愛されてきています。しかしこのところの経済発展によって、この蘇州内を走る川も見るも無残に汚染されてしまいました。
そこで早速この小島氏は炭素繊維を蘇州へと持って行き、ある川に入れて一ヵ月もすると、見事にその川の水質に改善の兆しが現れました。PH値(酸度)も改善し、またただの濁った汚い川だったのが濁りはなおらなかったまでも、それまでいなかっためだかがいつしか炭素繊維の周りに集まっていました。
私は炭素繊維については詳しい自信があったのですが、まさかこんな効果があるとは全く思いもよらず、またその実際の効果に目を見張りました。
そして二つ目の技術ですが、これもネタ元はテレビ番組で、今度は昨日テレビ東京でやってた「ガイアの夜明け」という番組で取り上げられた、日本ポリグル社の会長である小田兼利氏の取り組みです。この会社の名前の「ポリグル」の由来となっているのは、恐らくポリグルタミン酸、なんでも納豆のねばねば成分の一つらしいです。結構信じられないかもしれませんが、この成分が水を浄化するそうです。
この会社ではポリグルタミン酸から粉末状の薬品を作り、その薬品を水に投入することによって水の浄化をやっているそうです。その効果はすさまじく、それこそ薬品を一匙水に入れてかきまぜるだけで、見る見るうちに濁ったバケツの水が透明になっていきました。なんていうか、手品を見ているような感じです。
小田氏によると、水の中の汚れや悪い成分などはこれでほとんど除去できるそうですが、菌などは殺せないため、薬品を入れた水の上澄みを取り、煮沸するなどの必要があるそうですが、それを考慮に入れてもすごい発明です。
因みに小田氏はその番組のインタビューにて、この浄化効果を発見した際は、「これで大金持ちになれる」と思ったらしいですが、その後は地球の水を浄化させるという使命感が強くなっていったと言っています。まぁこんだけ凄いものを見つけたんなら、存分にお金持ちになってもいいと思いますが。
以上二つがここ最近で手に入れた、日本の水の浄化技術です。私の意見としてはこうした取り組みを拡大する一方、いくら恵まれているとはいえ日本人も水の大切さを噛みしめ、節水を心がけるべきだと思います。私などは風呂に入る際、まず体を洗い、そのまま髪を洗って最後にまとめて水に流します。一回一回泡を落とすよりずっと効率的なので是非他の人にもお勧めします。
おまけ
昔、日本のあるところで水が不足した際、他の各地から飲料水などが送られてきたそうですが、大阪だけは雨乞いする人間を送ってきたそうです。笑い話だから嘘だと思うけど、本当にありそうな話だしなぁ。
2008年6月3日火曜日
水資源について
私が中国に留学した経験がありますが、留学から帰ってきて非常に痛感したことは水の貴重さでした。日本はそれこそ鉄、石油、果てには平地といった資源には一切恵まれてきませんでしたが、水という、もっとも貴重な資源には恵まれていてよかったと、心底思いました。
こう言うのも中国では今、水がとてつもなく不足しているからです。大都市部ではそれこそ湯水の如くジャンジャン使っていますが、その水は長い距離を越えて中国の内陸部の農村から運んできたものです。しかしそのせいで内陸の農村では農業用に使う水が足りなくなり、作物に水をやることすらできないというのです。
今回地震にあった中国四川省でも、もともとその名の通りに省内を川が縦横無尽に走り水が豊富そうな場所かと思いきや二年前に大干ばつに遭い、街中ではペットボトル一本の水が高値で取引されたという話すらあります。
このような状況は何も中国に限るわけではなく、オーストラリアでもここ何年かは毎年のように干ばつに遭い、農業用水が枯れるといった現象が起こっています。
こういった状況を反映してか、以前に行われた名古屋万博に続いて今月からスペインで開催されるサラゴサ万博のメインテーマは「水」で、海水を淡水化する技術が主に取り上げられるそうです。
これに対して日本はというと、蛇口をひねればすぐ飲料水は出るわ、毎日風呂に入るわで全然余裕です、よく断水になる四国の香川は違うけど。日本にいるとなかなか気づきにくいですが、日本というのは本当に水に恵まれた国です。ですからここでは逆に、この有り余る水資源を今後どう有効活用するかを考えるべきだと思います。
こう言うのも中国では今、水がとてつもなく不足しているからです。大都市部ではそれこそ湯水の如くジャンジャン使っていますが、その水は長い距離を越えて中国の内陸部の農村から運んできたものです。しかしそのせいで内陸の農村では農業用に使う水が足りなくなり、作物に水をやることすらできないというのです。
今回地震にあった中国四川省でも、もともとその名の通りに省内を川が縦横無尽に走り水が豊富そうな場所かと思いきや二年前に大干ばつに遭い、街中ではペットボトル一本の水が高値で取引されたという話すらあります。
このような状況は何も中国に限るわけではなく、オーストラリアでもここ何年かは毎年のように干ばつに遭い、農業用水が枯れるといった現象が起こっています。
こういった状況を反映してか、以前に行われた名古屋万博に続いて今月からスペインで開催されるサラゴサ万博のメインテーマは「水」で、海水を淡水化する技術が主に取り上げられるそうです。
これに対して日本はというと、蛇口をひねればすぐ飲料水は出るわ、毎日風呂に入るわで全然余裕です、よく断水になる四国の香川は違うけど。日本にいるとなかなか気づきにくいですが、日本というのは本当に水に恵まれた国です。ですからここでは逆に、この有り余る水資源を今後どう有効活用するかを考えるべきだと思います。
2008年6月2日月曜日
東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き
今日のネタは久々にレア度の高い内容です。レア度と言えば、今ゲームでモンスターハンターやってて、やっと飛竜のリオレウスを倒せてレア度の高いアイテムを奪い取りました。
そんなどうでもいいことはさておき、この東シナ海ガスでン問題とくればまず一般で言われている内容はというと、
「日中の国境線にまたがる海底ガス田に対して、中国は国際的に認知されている日中の国境線とは別に自らが定義した中国側に有利な国境線の範囲内にあるとして、このガス田の所有権は中国にあると主張している。そして実力行使とばかりにこのガス田の上に開発プラントを作り、現在すでにそのプラントは稼動し、採掘を始めている。なお、自らが定義した国境線とは名ばかりに、実際にそのプラントはこれまでの日中国境線ギリギリの中国側の領海に建てられたことから、実際には多少遠慮しているようである」
といった所でしょうかね。短く現状を説明したらこうなるかな。
さてそんな具合で日本のメディア、というより大新聞で唯一中国にやさしくない産経新聞系列などはこの中国の行為を「国際ルールから逸脱した行為」、「日本の資源を盗み取っている」などと報道されており、中には日本側も対抗して、向こうのプラントの真正面に別にプラントを建ててやれという声もあります。
確かに、状況が状況ならこういった意見に私も賛同していたと思います。しかし2004年の段階で、このガス田問題についてある情報を入手して以降、他とは違った意見を私は持っております。
まずその情報の内容ですが、ある中国の専門家からこのガス田について、
「実は東シナ海のガス田というのは言われるほど埋蔵量は多くないらしい。日本の高い技術を以ってしてもよくてコストと利益がトントンくらい。まして技術力のない中国ではコストの方が上回る」
という内容でした。私が確認する限り、この情報はあまり世の中に出回っていない気がします。それゆえ、情報管理の初歩ともいえる「別情報源からの確認」がなかなか行えないでいたのですが、ある日思わぬところから情報を入手できました。この情報の出所は「国家の品格」で有名な藤原正彦氏が、確か雑誌のインタビューで語っていた内容でしたが、
「すでに日本政府は日本の石油会社にこのガス田を調査させており、埋蔵量は多くないということがわかっている。だからあんなもの、中国に勝手に掘らせればいいんだ」
と、述べていました。先ほどの専門家の方も、「石油会社が調査した」と述べており、見事に情報が一致して、またどこかは忘れましたが、この二つとは別の情報源からも確認が取れ、現段階で私はこの情報を信じています。
信じる理由はなにも情報源が分かれているだけでなく、そうと取れる状況もあるからです。というのも最初の専門家の方が、
「……なので、日本側がこのガス田を開発することはまずないのだが、日本の政府(当時は小泉時代)はこのガス田問題をエサに使い、中国側が勝手に開発しているという報道を流して中国への反感を高めることによって、政権への支持率や愛国心の高揚を図っている。もっとも、中国側も同じだが」
と、言っておりました。実際、当時(2004年)はこの状況どおりだったと私は思ってます。
ではなぜ中国はコストの方が大きいのに、ガス田を採掘しているのでしょうか。その答えは簡単で、それだけ今の中国はエネルギーが不足しているからです。それこそ天然ガスのように貯蔵の効くエネルギーはのどから手が出るほどほしく、採掘する費用の方が大きくとも採掘せざるを得ないというようです。
そこで、少しでもその費用を節約するために、日本側の技術協力も中国はのどから手が出るほど欲しいらしいのです。ですから中国としては如何にして日本をこの採掘に引きずり込むかを考え、強引に採掘に着手して、日本側が対応せざるを得ないようにという狙いを持ってプラントを建てたというのが実情のようです。
こう考えてみると、状況と一致する事実がたくさん出てきます。まず一つに、このガス田問題について中国政府側が何かしら言及する際、必ず「日本側との共同採掘」という提案が出てきます。冷静に考えてください、「お前の物は俺の物」的なジャイアニズム思考の中国側から「共同採掘」なんて言葉が出てくるなんて、何か裏があるに決まってます。案の定というか、この前の胡錦濤ことチンタオさんの来日時もこの共同採掘について言及されています。あの小泉時代ですら毎回毎回言っておりましたから、相当日本を採掘へ誘い込みたいのは明白です。これは私は断言できます。
前回の投稿でチンタオさんが日本との関係修繕を本気で考えていると書きましたが、その背景の一つにこのガス田問題があると私はにらんでいます。まぁそれ以前に一つ前の江沢民氏がめちゃくちゃ日本が嫌いだった反動もあるのでこれだけに限るわけじゃないんですがね。
そんなわけでこのガス田問題について私の結論は、
「中国が採掘するのを放っておけ、そして絶対に共同採掘の話に乗るな」
といったところです。
しかし唯一の懸念として、採掘を黙って見過ごすことによって結果的にあの付近の海域の領土を中国側が握るということを黙認、とまでは行かなくとも相手にそう思わせてしまう可能性があります。なにせあの付近は尖閣諸島問題でももめてるくらいなので、中国側の採掘を非難し続ける事は、領土を主張することにつながるので一貫して続けるべきだと思います。というより、続けなきゃいけないと言うべきですかね。はー、長かった。
そんなどうでもいいことはさておき、この東シナ海ガスでン問題とくればまず一般で言われている内容はというと、
「日中の国境線にまたがる海底ガス田に対して、中国は国際的に認知されている日中の国境線とは別に自らが定義した中国側に有利な国境線の範囲内にあるとして、このガス田の所有権は中国にあると主張している。そして実力行使とばかりにこのガス田の上に開発プラントを作り、現在すでにそのプラントは稼動し、採掘を始めている。なお、自らが定義した国境線とは名ばかりに、実際にそのプラントはこれまでの日中国境線ギリギリの中国側の領海に建てられたことから、実際には多少遠慮しているようである」
といった所でしょうかね。短く現状を説明したらこうなるかな。
さてそんな具合で日本のメディア、というより大新聞で唯一中国にやさしくない産経新聞系列などはこの中国の行為を「国際ルールから逸脱した行為」、「日本の資源を盗み取っている」などと報道されており、中には日本側も対抗して、向こうのプラントの真正面に別にプラントを建ててやれという声もあります。
確かに、状況が状況ならこういった意見に私も賛同していたと思います。しかし2004年の段階で、このガス田問題についてある情報を入手して以降、他とは違った意見を私は持っております。
まずその情報の内容ですが、ある中国の専門家からこのガス田について、
「実は東シナ海のガス田というのは言われるほど埋蔵量は多くないらしい。日本の高い技術を以ってしてもよくてコストと利益がトントンくらい。まして技術力のない中国ではコストの方が上回る」
という内容でした。私が確認する限り、この情報はあまり世の中に出回っていない気がします。それゆえ、情報管理の初歩ともいえる「別情報源からの確認」がなかなか行えないでいたのですが、ある日思わぬところから情報を入手できました。この情報の出所は「国家の品格」で有名な藤原正彦氏が、確か雑誌のインタビューで語っていた内容でしたが、
「すでに日本政府は日本の石油会社にこのガス田を調査させており、埋蔵量は多くないということがわかっている。だからあんなもの、中国に勝手に掘らせればいいんだ」
と、述べていました。先ほどの専門家の方も、「石油会社が調査した」と述べており、見事に情報が一致して、またどこかは忘れましたが、この二つとは別の情報源からも確認が取れ、現段階で私はこの情報を信じています。
信じる理由はなにも情報源が分かれているだけでなく、そうと取れる状況もあるからです。というのも最初の専門家の方が、
「……なので、日本側がこのガス田を開発することはまずないのだが、日本の政府(当時は小泉時代)はこのガス田問題をエサに使い、中国側が勝手に開発しているという報道を流して中国への反感を高めることによって、政権への支持率や愛国心の高揚を図っている。もっとも、中国側も同じだが」
と、言っておりました。実際、当時(2004年)はこの状況どおりだったと私は思ってます。
ではなぜ中国はコストの方が大きいのに、ガス田を採掘しているのでしょうか。その答えは簡単で、それだけ今の中国はエネルギーが不足しているからです。それこそ天然ガスのように貯蔵の効くエネルギーはのどから手が出るほどほしく、採掘する費用の方が大きくとも採掘せざるを得ないというようです。
そこで、少しでもその費用を節約するために、日本側の技術協力も中国はのどから手が出るほど欲しいらしいのです。ですから中国としては如何にして日本をこの採掘に引きずり込むかを考え、強引に採掘に着手して、日本側が対応せざるを得ないようにという狙いを持ってプラントを建てたというのが実情のようです。
こう考えてみると、状況と一致する事実がたくさん出てきます。まず一つに、このガス田問題について中国政府側が何かしら言及する際、必ず「日本側との共同採掘」という提案が出てきます。冷静に考えてください、「お前の物は俺の物」的なジャイアニズム思考の中国側から「共同採掘」なんて言葉が出てくるなんて、何か裏があるに決まってます。案の定というか、この前の胡錦濤ことチンタオさんの来日時もこの共同採掘について言及されています。あの小泉時代ですら毎回毎回言っておりましたから、相当日本を採掘へ誘い込みたいのは明白です。これは私は断言できます。
前回の投稿でチンタオさんが日本との関係修繕を本気で考えていると書きましたが、その背景の一つにこのガス田問題があると私はにらんでいます。まぁそれ以前に一つ前の江沢民氏がめちゃくちゃ日本が嫌いだった反動もあるのでこれだけに限るわけじゃないんですがね。
そんなわけでこのガス田問題について私の結論は、
「中国が採掘するのを放っておけ、そして絶対に共同採掘の話に乗るな」
といったところです。
しかし唯一の懸念として、採掘を黙って見過ごすことによって結果的にあの付近の海域の領土を中国側が握るということを黙認、とまでは行かなくとも相手にそう思わせてしまう可能性があります。なにせあの付近は尖閣諸島問題でももめてるくらいなので、中国側の採掘を非難し続ける事は、領土を主張することにつながるので一貫して続けるべきだと思います。というより、続けなきゃいけないと言うべきですかね。はー、長かった。
2008年6月1日日曜日
四川大地震と自衛隊派遣誤報について
前々から書こうとしていた内容でしたが、情報が整理される段階をまっていたので、やや遅れた感じでの今日の投稿です。
さてその四川大地震ですが、大きな被害となっているようです。ただ日本の側とすれば、今回災害救助隊が派遣され、そして現地の中国人に高く評価されたのは前向きに見るべきでしょう。というのも、今回の券でどうやら中国のトップ、胡錦濤(フーチンタオ)ことチンタオさんが日本との関係修繕に大分本気であるということがわかりました。
これまで日本は中国に対して相当な額のODA、政府開発援助を行ってきました。このODAから支出された予算を使い、中国では各地の地下鉄や鉄道が整備されたという歴史があるのですが、これまで中国国内にはそういった事実は一切報道されてきませんでした。その理由というのも言うまでもなく、中国が日本の援助で作ったというより、自力で作ったと言った方がカッコがつくからと、他でも言われているように日本をヒール役にすえておき、いざというときの国民のガス抜きに使うためです。
ですから当初私は、今回日本の災害救助隊が派遣されたとしても、あまり活動は報道されないのではないかと危惧していました。ところが実際は大々的に報道され、向こうの各新聞のアンケートでも好感を持つようになったという結果が大勢を占めるようになりました。
よく、中国人は人の恩がわからない民族だなどと誹謗する人もいますが、これまで日本に対してODAの額に比べて反感を抱き続けてきた理由は他でもなく、現地で悪く報道しかされなかったという理由以外ありません。逆を言えば、今回こういった報道を許したことから、前々から謀りかねていたのですが、少なくとも現段階で、中国政府はにほんのとの関係修復を真剣に考えていると思ってもいいと思います。まぁ、思い当たる節もありますし……。
逆に、今回のこの過程でお粗末だったのはタイトルにもある自衛隊派遣についてです。
当初、中国政府から要請があったと官房長官までもが発表したにもかかわらず、実際には中国の少佐クラスの一官僚が、「自衛隊が来てくれたらうれしいなぁ」と言ったのを過剰に外務省が反応してしまったというオチのようです。そんなんだから自衛隊派遣提案が報道された当初、日本のメディアも日本政府発表を鵜呑みにしてしまい、中国側の秦剛報道官が、「日本から自衛隊派遣の提案があった」と発表した際に、「中国側は自分たちから自衛隊を要請したことを隠して発表した」、というように、夕方のニュース番組等で報道してしまいましたが、結果を見ると中国政府の発表の方が正しかったようです。しょうがないとはいえ、マスコミももうちょい気をつけろよなぁ。
ではなぜ今回日本側がフライングとも取れる失敗を犯してしまったのでしょうか。まず一つ目の理由として最初の災害救助隊派遣が予想以上に向こうで受けたという背景があるでしょう。それだったら、人助けとして自衛隊とかも派遣しても問題ないのでは、そういう風に少なからず思っていた背景が大きいのではと私は予想します。
二つ目の理由は単純に、外務省や政府が功を焦ったからでしょう。それこそ自衛隊を派遣して災害救助を行えば、昔の敵は今の友とばかりに日中の関係修復を内外にアピールでき、政府としても支持率アップにつながることが予想されます。特にこのところ福田政権はいいところが全くありませんし、ここでポイントを稼いでおきたかったのが本音でしょう。そして外務省としても、よく取りざたされるのはチャイナスクール(ここの自民党の領袖は加藤紘一)ですが、外交的な歴史の一ページに関わるというのは非常にうれしいことらしく、むしろ率先的にこのフライングに乗っかったと見るべきでしょう。それにしても、少佐クラスの人間の言うことを真に受けるとは……。
現時点で日本側、中国側の双方が日本の「中国側から要請があった」という発表は誤報だったと示しており、その誤報が生まれた背景などもきちんと報道されていることからこの事実に間違いはないと考えています。確かに陰謀めいたように考えることもできますが、というよりむしろ陰謀があって誤報と発表するより他がなかったと信じたいくらいですが、今回は非常にお粗末な三文芝居を日本が一人で演じたようです。
追伸
フジテレビがやっている「ニュースJAPAN」にてこの前、社民党の福島瑞穂党首がこの中国への自衛隊派遣について記者会見で「反対です」と言った後、記者会見も終わってもうカメラが回っていないと勘違いしたのか周りの社民党の人達に、「まぁいいや、社民党そういう所で突っ張とかないと」と、もらしたのをしっかり写され、放映されてました。やるなぁフジテレビ。
さてその四川大地震ですが、大きな被害となっているようです。ただ日本の側とすれば、今回災害救助隊が派遣され、そして現地の中国人に高く評価されたのは前向きに見るべきでしょう。というのも、今回の券でどうやら中国のトップ、胡錦濤(フーチンタオ)ことチンタオさんが日本との関係修繕に大分本気であるということがわかりました。
これまで日本は中国に対して相当な額のODA、政府開発援助を行ってきました。このODAから支出された予算を使い、中国では各地の地下鉄や鉄道が整備されたという歴史があるのですが、これまで中国国内にはそういった事実は一切報道されてきませんでした。その理由というのも言うまでもなく、中国が日本の援助で作ったというより、自力で作ったと言った方がカッコがつくからと、他でも言われているように日本をヒール役にすえておき、いざというときの国民のガス抜きに使うためです。
ですから当初私は、今回日本の災害救助隊が派遣されたとしても、あまり活動は報道されないのではないかと危惧していました。ところが実際は大々的に報道され、向こうの各新聞のアンケートでも好感を持つようになったという結果が大勢を占めるようになりました。
よく、中国人は人の恩がわからない民族だなどと誹謗する人もいますが、これまで日本に対してODAの額に比べて反感を抱き続けてきた理由は他でもなく、現地で悪く報道しかされなかったという理由以外ありません。逆を言えば、今回こういった報道を許したことから、前々から謀りかねていたのですが、少なくとも現段階で、中国政府はにほんのとの関係修復を真剣に考えていると思ってもいいと思います。まぁ、思い当たる節もありますし……。
逆に、今回のこの過程でお粗末だったのはタイトルにもある自衛隊派遣についてです。
当初、中国政府から要請があったと官房長官までもが発表したにもかかわらず、実際には中国の少佐クラスの一官僚が、「自衛隊が来てくれたらうれしいなぁ」と言ったのを過剰に外務省が反応してしまったというオチのようです。そんなんだから自衛隊派遣提案が報道された当初、日本のメディアも日本政府発表を鵜呑みにしてしまい、中国側の秦剛報道官が、「日本から自衛隊派遣の提案があった」と発表した際に、「中国側は自分たちから自衛隊を要請したことを隠して発表した」、というように、夕方のニュース番組等で報道してしまいましたが、結果を見ると中国政府の発表の方が正しかったようです。しょうがないとはいえ、マスコミももうちょい気をつけろよなぁ。
ではなぜ今回日本側がフライングとも取れる失敗を犯してしまったのでしょうか。まず一つ目の理由として最初の災害救助隊派遣が予想以上に向こうで受けたという背景があるでしょう。それだったら、人助けとして自衛隊とかも派遣しても問題ないのでは、そういう風に少なからず思っていた背景が大きいのではと私は予想します。
二つ目の理由は単純に、外務省や政府が功を焦ったからでしょう。それこそ自衛隊を派遣して災害救助を行えば、昔の敵は今の友とばかりに日中の関係修復を内外にアピールでき、政府としても支持率アップにつながることが予想されます。特にこのところ福田政権はいいところが全くありませんし、ここでポイントを稼いでおきたかったのが本音でしょう。そして外務省としても、よく取りざたされるのはチャイナスクール(ここの自民党の領袖は加藤紘一)ですが、外交的な歴史の一ページに関わるというのは非常にうれしいことらしく、むしろ率先的にこのフライングに乗っかったと見るべきでしょう。それにしても、少佐クラスの人間の言うことを真に受けるとは……。
現時点で日本側、中国側の双方が日本の「中国側から要請があった」という発表は誤報だったと示しており、その誤報が生まれた背景などもきちんと報道されていることからこの事実に間違いはないと考えています。確かに陰謀めいたように考えることもできますが、というよりむしろ陰謀があって誤報と発表するより他がなかったと信じたいくらいですが、今回は非常にお粗末な三文芝居を日本が一人で演じたようです。
追伸
フジテレビがやっている「ニュースJAPAN」にてこの前、社民党の福島瑞穂党首がこの中国への自衛隊派遣について記者会見で「反対です」と言った後、記者会見も終わってもうカメラが回っていないと勘違いしたのか周りの社民党の人達に、「まぁいいや、社民党そういう所で突っ張とかないと」と、もらしたのをしっかり写され、放映されてました。やるなぁフジテレビ。
2008年5月31日土曜日
経済学とはどんな学問か
社会学にもメタ理論といい、社会学自体は一体どんな学問なのかということを追及する分野があります。そこで今日はこのメタ理論を経済学に適用して話を進めようと思います。
まず経済学はいつ、どのように始まったのかという事が重要になってきます。そのいつ始まったか、つまり起源ですが、それは誰も疑うことなく経済学の祖、アダム・スミスが彼の著書「諸国民の富」を出版した時期でしょう。ではそのアダム・スミスとはどんな人物なのでしょうか。
ここではいちいち細かく取り上げないのでできればウィキペディアを見てもらいたいのですが、恐らく経済学部の学生でもほとんど誰も知らないアダム・スミスの事実として、彼の前歴があります。彼が大学で何をやっていたのかというと、実は道徳学の教授をやっていました。
実際、アダム・スミスは「諸国民の富」を発表する前に「道徳感情論」という、道徳学の本を先に出版しています。一説によるとアダム・スミスが「諸国民の富」を書いたのは、当該社会、彼にとってはイギリス社会にある富を如何に公平に分け隔てなく分配するかを考えたためと言われています。当時は今の格差社会も真っ青な貴族社会。一部の人間に富が集中し、集めた連中がそれを浪費してしまうことを憂えていたと言われています。
よく一般で言われている内容を見ていると、どうも経済学というのはお金儲けの学問と捉われがちな気がします。しかし実際のその起源や成り立ちから考えると、私の中では社会システムを研究する学問だと思います。つまり、社会に蔓延する貨幣を中心におき、それを如何に効率よく使い、分配するかというシステムを考える学問という事です。同じように働く人には同じ分の報酬を与えたり、一箇所に富が集中しないように税金をそういった人に多くかけるといった税体系などのシステムを考える、という具合に。事実、これまでの経済学というのは実際そんな学問だった気がします。
然るに、現在の経済学はというとこれまでの原理原則とは逆に、如何にして自分のところへ富を集中させるかということを考える学問に成り下がってしまいました。去年に死んでくれたフリードマンとその一派なんてその典型でしょう。これは前々から思っていたことですが、どうも最近の経済学は商学と比べて、何も代わりがないように思います。実際アメリカの大学で安売りされまくっているMBAというと、経済学の修士号のように思われていることが多いですが、実際には「経営学修士号」で、範囲で言ったら経済学と商学の中間、というより商学の範囲だと思います。
誤解されがちですが、経済学というのは本来、平等主義の元に生まれてきた学問です。だからこそ社会主義やら共産主義についても研究がされたのですが、このところは本当にこの手の分野は金にならないこともあり疎かにされています。もし現在学んでいる方がこれを読んでいるのなら、こういった点に注意して今後は学んでください。
まず経済学はいつ、どのように始まったのかという事が重要になってきます。そのいつ始まったか、つまり起源ですが、それは誰も疑うことなく経済学の祖、アダム・スミスが彼の著書「諸国民の富」を出版した時期でしょう。ではそのアダム・スミスとはどんな人物なのでしょうか。
ここではいちいち細かく取り上げないのでできればウィキペディアを見てもらいたいのですが、恐らく経済学部の学生でもほとんど誰も知らないアダム・スミスの事実として、彼の前歴があります。彼が大学で何をやっていたのかというと、実は道徳学の教授をやっていました。
実際、アダム・スミスは「諸国民の富」を発表する前に「道徳感情論」という、道徳学の本を先に出版しています。一説によるとアダム・スミスが「諸国民の富」を書いたのは、当該社会、彼にとってはイギリス社会にある富を如何に公平に分け隔てなく分配するかを考えたためと言われています。当時は今の格差社会も真っ青な貴族社会。一部の人間に富が集中し、集めた連中がそれを浪費してしまうことを憂えていたと言われています。
よく一般で言われている内容を見ていると、どうも経済学というのはお金儲けの学問と捉われがちな気がします。しかし実際のその起源や成り立ちから考えると、私の中では社会システムを研究する学問だと思います。つまり、社会に蔓延する貨幣を中心におき、それを如何に効率よく使い、分配するかというシステムを考える学問という事です。同じように働く人には同じ分の報酬を与えたり、一箇所に富が集中しないように税金をそういった人に多くかけるといった税体系などのシステムを考える、という具合に。事実、これまでの経済学というのは実際そんな学問だった気がします。
然るに、現在の経済学はというとこれまでの原理原則とは逆に、如何にして自分のところへ富を集中させるかということを考える学問に成り下がってしまいました。去年に死んでくれたフリードマンとその一派なんてその典型でしょう。これは前々から思っていたことですが、どうも最近の経済学は商学と比べて、何も代わりがないように思います。実際アメリカの大学で安売りされまくっているMBAというと、経済学の修士号のように思われていることが多いですが、実際には「経営学修士号」で、範囲で言ったら経済学と商学の中間、というより商学の範囲だと思います。
誤解されがちですが、経済学というのは本来、平等主義の元に生まれてきた学問です。だからこそ社会主義やら共産主義についても研究がされたのですが、このところは本当にこの手の分野は金にならないこともあり疎かにされています。もし現在学んでいる方がこれを読んでいるのなら、こういった点に注意して今後は学んでください。
2008年5月29日木曜日
首相公選制の是非
現在アメリカでは大統領選で非常に盛り上がっていますが、日本は韓国やアメリカのように、最高権力者である首相を先の二国と違って国民の直接投票では決めず、議会での最高勢力を誇る政党の中から代表を選ばせて決めています。この制度はいちいち名前を挙げるのも恥ずかしいくらい当たり前ですが「議院内閣制」といい、これは明治期にイギリスの政治制度を模倣したことから日本に定着しています。なお、タイでも同じそうです。
目下の所この制度に不満を呈す人はいませんが、かつての90年代後半、政治汚職事件が続き政党政治に不満が持たれた頃はものすごい批判を受けまくっていました。その時代というのも小渕敬三元首相が首相に就任した際で、参議院では現在のように野党が多数派となって衆議院では小渕氏を指名したにもかかわらず、参議院では現在もなおがんばっている菅直人氏が指名され、ちょうど自民党も人気がなかった頃で、その晩のニュースステーションでの電話アンケートでは確か十倍ぐらい差が開いて菅直人氏がいいという結果になってました。
そんなもんだから、当時各メディアもアメリカのように、「最高権力者くらいは直接投票で決めるべきだ」という論陣を張り、この首相公選制の必要性が叫ばれました。
結論から言うと、私はこの首相公選制には反対です。というのも日本の首相、というより官邸はかねてより権力が弱いとされ(小泉時代にえらく強くなったが)、現在のように議会でねじれ現象が起こるととたんに足を取られて何も決定できなくなる可能性が高いからです。実際、アメリカや韓国はほとんどの時期を大統領の与党と対立する野党が議会で多数派を敷いているねじれ状態にもかかわらず何とかやっていっています。
何だかんだいって、この議院内閣制というのは安定性という面には非常に力強さがあります。その分、急激な改革や決定ができなくなるマイナス面もあるのですが、現状はこのままのほうがいいと私は思います。それこそ首相公選制をやるというのならまず、首相の権力をまず拡充する必要があります。
しかしだからといって国民の望まない最高権力者を抱えねばならないというのは非常に不幸なことです。かつての森政権時代なども先ほどの小渕政権の初期同様、首相公選制の必要性が叫ばれましたが、確かにあんなのがでてくると考えさせられます。
そこで、これは人の受け売りですが中間を取るいい方法があります。あえて言うなら、「首相予告選挙制」とでも言うべきでしょうか。この方法とは実に簡単で、国民の意思を問う衆議院選挙の際に、議会で多数派を勝ち取った場合に誰を首相に指名するか、各党にあらかじめ予告させるのです。
たとえば、現時点で衆議院選挙が起こった場合、自民党は選挙日前までに多数派を勝ち取った場合、現総裁の福田氏を指名すると宣言します。これに対して民主党は小沢氏を指名すると宣言し、他の泡沫野党は独自に候補を立ててもよいですし、民主党に協力するとして小沢氏に同意するのもありです。
この方法で何がいいのかというと、その予告する首相候補がそのまま選挙の顔となるとともに、ねじれ現象を回避しながらも国民が間接的に首相を選べるという二点です。さらに政党に対してあまりに国民の不興を買うような候補を立てさせないとともに、国民もその当該政党は嫌いだがその首相候補は応援したいという場合に気兼ねなく投票ができるようになります。その逆も然りで、自民党は嫌いだが、小沢が首相になるのはもっと嫌だという場合にも存分にその意思を発揮することができます。
実際には単独与党を作れない場合などもあり、必ず実行できるとは限らないのですが、マニフェストなんかよりこうした方がずっと顔の見える選挙、もとい政策方向の見える選挙となりそうなので、個人的に推進したいと思っています。
目下の所この制度に不満を呈す人はいませんが、かつての90年代後半、政治汚職事件が続き政党政治に不満が持たれた頃はものすごい批判を受けまくっていました。その時代というのも小渕敬三元首相が首相に就任した際で、参議院では現在のように野党が多数派となって衆議院では小渕氏を指名したにもかかわらず、参議院では現在もなおがんばっている菅直人氏が指名され、ちょうど自民党も人気がなかった頃で、その晩のニュースステーションでの電話アンケートでは確か十倍ぐらい差が開いて菅直人氏がいいという結果になってました。
そんなもんだから、当時各メディアもアメリカのように、「最高権力者くらいは直接投票で決めるべきだ」という論陣を張り、この首相公選制の必要性が叫ばれました。
結論から言うと、私はこの首相公選制には反対です。というのも日本の首相、というより官邸はかねてより権力が弱いとされ(小泉時代にえらく強くなったが)、現在のように議会でねじれ現象が起こるととたんに足を取られて何も決定できなくなる可能性が高いからです。実際、アメリカや韓国はほとんどの時期を大統領の与党と対立する野党が議会で多数派を敷いているねじれ状態にもかかわらず何とかやっていっています。
何だかんだいって、この議院内閣制というのは安定性という面には非常に力強さがあります。その分、急激な改革や決定ができなくなるマイナス面もあるのですが、現状はこのままのほうがいいと私は思います。それこそ首相公選制をやるというのならまず、首相の権力をまず拡充する必要があります。
しかしだからといって国民の望まない最高権力者を抱えねばならないというのは非常に不幸なことです。かつての森政権時代なども先ほどの小渕政権の初期同様、首相公選制の必要性が叫ばれましたが、確かにあんなのがでてくると考えさせられます。
そこで、これは人の受け売りですが中間を取るいい方法があります。あえて言うなら、「首相予告選挙制」とでも言うべきでしょうか。この方法とは実に簡単で、国民の意思を問う衆議院選挙の際に、議会で多数派を勝ち取った場合に誰を首相に指名するか、各党にあらかじめ予告させるのです。
たとえば、現時点で衆議院選挙が起こった場合、自民党は選挙日前までに多数派を勝ち取った場合、現総裁の福田氏を指名すると宣言します。これに対して民主党は小沢氏を指名すると宣言し、他の泡沫野党は独自に候補を立ててもよいですし、民主党に協力するとして小沢氏に同意するのもありです。
この方法で何がいいのかというと、その予告する首相候補がそのまま選挙の顔となるとともに、ねじれ現象を回避しながらも国民が間接的に首相を選べるという二点です。さらに政党に対してあまりに国民の不興を買うような候補を立てさせないとともに、国民もその当該政党は嫌いだがその首相候補は応援したいという場合に気兼ねなく投票ができるようになります。その逆も然りで、自民党は嫌いだが、小沢が首相になるのはもっと嫌だという場合にも存分にその意思を発揮することができます。
実際には単独与党を作れない場合などもあり、必ず実行できるとは限らないのですが、マニフェストなんかよりこうした方がずっと顔の見える選挙、もとい政策方向の見える選挙となりそうなので、個人的に推進したいと思っています。
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