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2012年8月30日木曜日

戦時中に日本が犯した人体実験

 誠に恥ずかしいながら、今年の終戦記念日に載せられたニュース記事を見て初めて下記の事件の内容を知りました。

九州大学生体解剖事件(Wikipedia)

 事件の概要を簡単に説明すると、1945年5月に日本を爆撃するため九州に飛んできた米軍のB-29が日本側によって撃墜され、搭乗員の米国兵士12名が捕虜となりました。この捕虜の扱いに困った日本軍は九州大学の医学部教授らの提案に従い、12名のうち8名を生体解剖、いわば人体実験に使用することで殺害しました。
 生体解剖するに当たって麻酔などが使用されたかどうかは定かではありませんが、結局のところ実験大将となった捕虜らは生きて帰るなく全員死亡しました。戦後にGHQがこの時の捕虜の処遇を調査したことによって初めて事実が明らかとなり関係者らが一斉に逮捕されましたが、首謀者の一人である石山福二郎教授は獄中自殺したことから、周辺関係者5人に絞首刑が判決され、そのほか立ち会った医師ら18人が有罪判決を受けることとなりました。ただ判決後に朝鮮戦争が勃発したことから、対日感情を考慮した米軍によって絞首刑判決者は獄中自殺した1名を除くすべて恩赦を受け後に出所しています。

 この事件の矛盾点は関係者も手記に記してありますが、本来人の命を守るべき医師が実験と称して奪う側に回ったということです。殺害された米兵らは健康診断を受けるものと思っていたらしいですが、非常にむごたらしい結果となったというよりほかがなく、また事件が調査され裁判は行われたものの政治的判断から減刑されたというのもなんとも皮肉なものです。

 歴史に詳しい方ならそろそろ頭に浮かんでいる頃かと思いますが、戦時中に日本が関与した人体実験とくれば何をおいても真っ先にあの悪名高き731部隊が挙がってくるでしょう。

731部隊(Wikipedia)

 先日も知人に731部隊について講義を行ってきましたが、この部隊の所業について私くらいの世代の日本人は大概がその存在すら知らないでしょうが、事件の舞台となったここ中国の人間は意外に多くの人間が知っており、過去にはこの部隊に関連して大規模な日本製品ボイコット運動も起こっております。
 そんな731部隊というのはどんな部隊かですが、上記の九州大の事件と同様に人体実験を行った、それも長期にわたって比べ物にならない人間を対象に行っています。色々と真偽について現代で疑問が出ていますが森村誠一氏がまとめた著書「悪魔の飽食」によると、部隊があったのは中国東北部にあるハルビン市で実験の対象とされたのは中国軍の捕虜や逮捕されたスパイで、中にはロシア人も含まれていたそうです。私が覚えている内容ですと12歳くらいの少年が麻酔をかけられ意識を失った状態で手術台に運ばれてきて次に手術室から出てきたときはすべての内臓が取り出されていたということや、拘束した状態で真冬に水の入ったバケツに足を入れさせ、凍傷となる経過を観察したといった行為があったそうです。

 仮に人道に対する罪があるとすれば、先の九州大学の事件同様にこの731部隊の所業こそが最も当てはまると私は思います。しかも九州大の事件はまだ正式に裁判が行われたものの、この731部隊については人体実験データを米軍に提供することで関係者らへの裁判はおろか処分は一切行われずに放免となりました。ただ悪い行為は悪い結果につながるというべきか、この時のデータから開発された血友病患者への非加熱製剤は後に薬害エイズ事件を引き起こすことになります。

 731部隊に関して既に政府も中国に謝罪しておりますが、真面目にこの件に関して私は今後も中国に対して謝罪し続ける必要があると思います。何故謝罪し続ける必要があるのかというと被害者を出した中国に対する申し訳のなさ、行為の残虐さもさることながら、人間はたがが外れるというか集団の異様な空気に飲み込まれると、日常からは考えられない行為を平気で行ってしまえるという教訓を意識し続ける必要があるからだと思うからです。
 先日も私は意思の強さというか空気を敢えて読まないこと、空気に支配されない人間の必要性みたいなことをわけがわからない文章で書きましたが、人間というのは本当にちょっとした環境の変化で倫理観などが一気にすっ飛ぶ危険性があると感じます。宮沢賢治じゃないですが、たとえ人生で損し続けるとしても、本当にあるかどうかはわかりませんが自分は自分の意思を保ち続けていたいというのが密かな願いです。

2012年8月29日水曜日

野田首相への問責決議案可決について

 昨日はまた帰宅が夜遅くだったので今日に丹羽中国大使公用車のビーチフラッグ事件でも書こうかと思っていましたが、また日本の国会で動きがあったのでこっちを優先して書くことにします。それにしても会期末ということもあり、このところ政治ネタには事欠かない。

野田首相の問責を可決、3党合意批判で公明棄権(産経新聞)
<首相問責可決>焦点、9月の党首選へ(毎日新聞)

 敢えて産経と毎日の二社の記事をリンク貼りましたが、記事の質で見るなら今回私は産経に軍配を上げます。あまり同業の批判はどうかというか、もし自分がされたら短気なサイヤ人もびっくりなくらいに怒るのでしょうが敢えて苦言を呈すと、毎日の記事は問責可決という内容についてはあまり深く触れず、民主党、自民党それぞれの代表選の話を長々書いていて、どうも何を言いたいのか焦点がぼやけた記事になっているように見えます。しかもその総裁選話も政治家候補の名前を片っ端から挙げるだけあまり参考になるような話じゃないし。

 ひとまず本題に戻りますが、リンクに貼った産経の記事に書かれている通りに本日、野田伊首相に対する問責決議案がかつての福田元首相の時のように参議院で可決しました。ただこの問責決議案には強制力がなく、福田元首相時代も思いましたけど茶番としか思えず、こんなのやっても倒閣にあまりつながらないのだしもっと必要な議論を優先しろと野党には言いたいです。小泉元首相の時代は彼の発言がよくパフォーマンスだと言われましたが、この問責決議案こそパフォーマンス以外の何物でもないでしょう。

 ただ今回の問責提出はみんなの党とか中小野党が出すのはまだ理解できますが、今回この決議に自民党が賛成に回ったというのは私はどうにも腑に落ちません。産経の記事には書いてませんが午後7時のNHKニュースで自民党は今回の賛成理由について、「内政、外交面で野田政権は日本に対して大きな損失を与え続けている」と発表してましたが、TPPの問題でもそうですがこの手の議論に自民党は発言する資格は全くないと言っていいでしょう。まず内政というか財政についてはこれまで借金を重ねてきたのは自民党にほかならず、外交に関してもこれまで領土問題を棚上げにして問題を先送りしてきたし、挙句に今日出ている中国の新聞にもリアルに出てくるかの有名な「河野談話」を出した議員はどこの政党だと言いたいです。今の野田政権の外交が正しいかどうかは議論の余地があるものの、少なくとも今起こっている問題の種は野田政権が蒔いたものではなく自民党が蒔いたものだとははっきり言え、もうちょっとまともな賛成理由を出せよなと個人的に言いたいです。

 また今回のポイントは、自民党は野田政権の一体改革法案に対して賛成するというか協力することを公明党と一緒に合意(三党合意)していたという点です。こうした背景から今回公明党は決議を棄権しましたが自民党は野党と共に賛成票を投じており、民主党の前原議員が言っている通りにこれは明確な合意違反じゃないかと私も思います。前原議員はさらに踏み込んで、自民党が約束を破ったのだから近いうちに解散するという取り決めも無効化すると言っていますが、この点に関しては私も民主党の肩を持ち、もう無視してもいいと太鼓判を押します。
 そもそも解散時期を巡って自民党というか谷垣総裁の対応は見ていて呆れてきます。仮に合意を結ぶ前であれば一体改革法案に賛成する代わりに明確な解散時期を要求するのはあり、というか本来ならこの時期に要求するべきなのですが、合意を結んで衆議院で可決した後になって解散を約束しなければ参議院では賛成しないというのはなんか順番が違うのではと思えてなりません。挙句、具体的な時期こそ明らかにしなかったものの野田首相が一応解散を約束したそばから今回こうして問責決議に賛成するなんて、ちょっと都合よすぎないやしないかと思えてきます。

 更にもう一言を加えれば、今回の問責が終わってしまえば野田首相を攻撃する材料はもうなくなるのではないかと思います。これは即ち今後の政局のイニシアチブは完璧に野田政権が握ることとなり、解散の時期決定はもとより国会閉会後の外交などかなり好き勝手動けるようになるという予想に繋がります。どうもこのところ小沢一派を追放したのが効いているのか野田首相もかなり独自色を出せるようになってきており、その手腕をこちらとしてもぜひじっくり見てみたいところです。

2012年8月27日月曜日

平成史考察~牛丼の販売停止(2004年)

 昨日から始めたこの「平成史考察」ですが、今日は昨日の日本でのBSEに続く形で米国でのBSE発覚とそれに伴う牛丼の販売停止騒動について書いていきます。本当は昨日の記事にまとめて書きたかったのですが、思ったようなリブ告発の話に私腹を取られてしまい分けることとなりました。

 事の発端は2003年末、既にBSEを発症した牛が確認されていた米国に対して安全基準が緩かったことから、日本政府は米国産牛肉の輸入禁止措置を取りました。ちなみにこの2003年末で今思い出せることというと、確か12月23日に友達集めて秋刀魚を焼きながらクリスマスパーティをしたということです。この年の秋刀魚はいろんな意味でおいしかったが、3尾まとめて買ってきて3日連続で夕食に秋刀魚を食べた直後はなんか辛かった。

 話を戻しますが米国産牛肉の輸入が停止されたことを受け、主材料としてきた牛丼販売チェーン各社は文字通り大打撃を受けることとなりました。当初は備蓄があったため販売が続けられましたが、翌2004年には各社で販売を打ち切り、代替メニューとして豚丼をはじめとした新商品が販売されることとなりました。
 こうさらっと書くといまいち緊張感がないのですが、人間というのは食べられなくなるとわかると途端に食べたくなるというべきか、販売停止が発表されるや各店舗に「食べられるうちに食べておこう」とばかりに大勢の客が押し寄せる事態となりました。その時にどれだけ混乱したかをうかがわせるエピソードとして吉野家のウィキペディアを除くと、販売停止直後の2月には茨城県と長崎県の店舗でそれぞれ、「なんでやめちゃうんだヽ(`Д´#)ノ」と酒に酔った客が暴れて逮捕されております。どんだけ牛丼食べたいんだよって言いたいです。

 当時の私から見た印象ですが、代替メニューはやはり代替でしかなく、周囲を見ても牛丼を売っていた頃と比べて足を運ぶ回数は減っていたと思います。大体メニューの中でも初めに出てきた豚丼なんかは今でも販売されてそこそこ成功している方ですが、当時は吉野家、松屋、すき家ともにカレー丼とかハンバーグ丼とかいろんな新メニューを出してきましたが、やはりどれも定着しないというか次々と入れ替わっていました。私自身はあまり牛丼屋に行かない口だったので今思うともう少しメニューを試しておけばよかった気がします。

 恐らくこのように大体メニューでは以前の売上げが取り戻せなかったことから、ゼンショー陣営の松屋とすき家ではそれぞれ中国産、オーストラリア産牛肉を代わりに使うことで比較的早くに牛丼の販売を再開しました。それに対して吉野家は頑ななまでに米国産にこだわり、輸入が再開されるまで牛丼はとうとう復活しませんでした。これについては初めから吉野家の総意だったらしく、1980年に一度倒産した際にコストダウンのため安い食材を使うレシピにしたところさらに売上げが減少し、また従業員もやる気を失ったという苦い経験があったことから、何が何でも米国産レシピを守るという意気込みだったそうです。

 最終的には2006年に米国産牛肉の輸入が解禁されたことで牛丼は完全に復活し、この大手三社は現在も営業を続けるなど元の鞘に収まった形です。影響としては各牛丼チェーンのメニューの多様化が進んだことと、普段食べられる食品ほど食べられなくなると暴動みたいな状況になるという教訓でしょうか。
 なお日本で牛丼の販売が停止されていた2005年、私は北京に留学中でしたが北京の吉野家で牛丼を食べております。今思い出すにつけ、あの時食べた牛丼の牛肉はどこの国の物なのか、ミステリーです。

2012年8月26日日曜日

平成史考察~BSE騒動(2001年)

 以前から平成史をトピックごとにまとめて書きたいと考えていたので、本日より不定期にこの「平成史考察」という連載を開始します。イメージ的には昔やっていたテレビ番組「所さんの20世紀解体新書」みたいな具合で平成時代におけるヒット商品や象徴的な事件を自分の視点と共に扱っていこうと思っています。
 そんな栄えある第一回は、恐らく多くの人が「そんなのあったなぁ」と思うのではないかと思うBSE騒動を紹介します。

BSE問題(Wikipedia)

 BSEというのは正式名称は牛海綿状脳症で、通称として狂牛病と呼ばれております。ウイルス性の病気ではなく諸説出ておりますが現時点ではタンパク質の変異によって起こる病気とみられており、感染した牛の特定部位を食べることで人間も感染することが確認されております。といっても感染確率は非常に低く、また脳や脊髄といった特定部位以外であればほぼ感染しないといわれておりますが、この病気の何が怖いかというと艦船から症状が現れるまで5~15年以上はかかると言われており、いつどこで食べた物が原因なのか感染源がわかりづらい、知らないうちに感染しているという可能性が恐ろしがられております。
 このBSEが初めて大きく注目されたのはイギリスで、感染死亡者もイギリスに集中しております。なお余談ですがBSE感染牛が龍注していた頃のイギリスに渡航経験のある日本人は献血が禁止されており、時期が違ってもイギリスに渡航していればいろいろと細かく確認されます。私自身も2004年にイギリスに行ったことがあり、献血の度にきちんと申告して面談を受けておりました。

 このBSEが日本で初めて大きく取り挙げられたのは2001年で、国内で初めて感染牛が見つかったことからでした。感染ルートはイギリスで感染していた牛が処分された際、ミンチにされ肉骨粉と呼ばれる飼料となり、それを日本の牛が食べたことから感染したと言われておりますが可能性は高いと言ってもはっきり言って確証はありません。
 当時、一頭目が見つかった際のインパクトは非常に大きく、テレビ番組から書籍までBSEの症状やイギリスの事例の解説など文字通り一色となりました。またその後の追跡調査で立て続けに全国で感染牛が見つかり、感染牛を確認した獣医師が自殺するなど軽いパニックと言ってもいい状況だったと私も記憶しております。

 このパニックで影響を受けたのは言うまでもなく牛肉を取り扱っていた酪農家や外食産業で、各地の焼肉屋では閑古鳥が鳴きスーパーでも高級牛肉が安値で買い叩かれるなど、今思うと凄い状況でした。ちなみに地元の焼肉屋はこういう時こそ支えねばと当時の休日はうちの親父とよく訪れ、また高級牛には肉骨粉のような安いエサは使わないだろうから飛騨牛をお袋に毎日買ってこさせてたらふく食べてました。当時から十年経ちますがまだ症状は出てないから大丈夫だと考えてるけど。

 話は逸れましたが当時は国産牛を使った料理は完全に締め出されたと言ってもいい状況で、関連する業界では倒産が相次いだと言います。こうした状況から政府も救済策を出し、国産牛に限って政府が全量を買い取るという措置を出したところ、皮肉なことにこれがきっかけで雪印乳業のグループ会社であった雪印食品は倒産する羽目となりました。
 雪印食品はちょうどBSE騒動が起こる前年の2000年に雪印集団食中毒事件を起こしていたことから経営状況が悪く、制度を悪用する形で外国産の牛肉を国産と偽り政府に買い取らせようと図りました。もっともこの企みは雪印食品が偽装に利用しようとした冷蔵会社の西宮冷蔵から内部告発を受け発覚し、元々悪かった企業イメージが完全に潰れてしまいそのまま倒産へと追いやられることとなりました。ただこうした偽装工作は雪印食品に限らず、日本ハムも行っていたことから大なり小なりであちこちやられていたのが実態だと思います。日本ハムもこの時に企業イメージが相当悪くなりましたが、傘下球団のファイターズに2004年、新庄剛志選手が入団して劇的にイメージが刷新されたとうちの親父が分析してますが、私もこればっかりは親父の言う通りだと思います。

 少し話が長くなりますが、この時の牛肉偽装でハンナンの浅田満元会長も2004年に逮捕されることとなります。私も以前にブログで記事を書きましたが浅田氏は知る人ぞ知る部落団体の幹部で、彼が事件で逮捕されることはおろかメディアに名前が出ること自体がある意味奇跡だったという指摘があります。また私見ながら浅田元会長の逮捕以降、奈良、大阪、神戸の部落三都物語ともいうべき部落出身の市役所職員の問題行動が急にメディアで報じられるようになり、この牛肉偽装事件が一つのブレイクスルーとなったのではないかと私は見ております。

 あともう一件、これは雪印食品の事件ですが内部告発を行った西宮冷蔵ですが、告発後に偽装に関与したとして7日間の営業停止命令を受けることとなりました。営業再開後も取引先からの受注はなくなり、本当に変でおかしな話としか言いようがありませんが不正を許さずに内部告発をしたがゆえにそのまま休業へと追い込まれることとなりました
 私はこの事実を後年にテレビで報じられたドキュメンタリーで初めて知りましたが、正直に言ってショックでした。西宮冷蔵の社長によると、従業員が雪印食品の強い懇願を受けて独断で偽装工作に手を貸したそうですが、朝日新聞がそれを嗅ぎ付けて接触してきたことから初めて事実を知り、当初は雪印食品に「国産牛と外国産牛を間違えてしまった」と申告させることで穏便に済ませようと図ったそうです。ただこの提案を雪印食品は拒否し、告発すれば会社は多大なダメージを受けることはわかっていたもののそれでも告発に踏み切ったそうです。なお告発後、雪印食品の社員は謝罪に来られたそうで、社長が言うには「怒られるかと思っていた」そうです。

 その後の西宮冷蔵ですが、梅田駅前でカンパを募り見事に営業再開にこぎつけ現在も活動を続けております。ただ現在においてもそうですが日本は内部告発者を保護する法律がなく、むしろ情報遅漏罪で捕まりかねないくらいに法整備が遅れております。ウィキペディアを見ますとやはり今でも内部告発者の指名を告発対象者にばらすなどといった事例が相次いでおり、十年前から何も変わっていないのかとげんなりさせられます。先の部落問題といい、本筋とは別に現代社会に通じるものが多い事件だったというのがこのBSE騒動に対する私の感想です。

2012年8月25日土曜日

野田首相の評価と次回総裁選の予想

 今日はこの後引っ越しがあるのでささっとかける政治ネタを午前中に出しときます。それにしても政治ネタをささっとと言うのもなぁ。

 2002年の文系春秋に「小泉首相の通信簿」という各論者の小泉元首相への評価をまとめた記事があって結構気に入っており、今回もまた野田首相に対して私の評価をまとめようと思います。まず10段階評価で言えば7か8、パーフェクトでないにしろ高く評価しております。具体的な評価ポイントとしては以下の点が挙がってきます。

1、消費税増税
2、TPP交渉の参加姿勢
3、尖閣諸島への中国人活動家上陸事件に対する落ち着いた対応
4、小沢一郎の民主党からの追放
5、野党対策

 1と2に関してはこれまでも書いているので省略しますが、3についてはまさに完璧だったと大きく太鼓判を押してもいいくらいの見事な対応でした。繰り返しになりますが日中ともにこの問題でいがみ合っても得することはなく、しかも中国の経済成長が鈍化してやや微妙なこの時期に影響を与えるのは大きな損失につながりかねません。私が見る限り中国側もなるべく穏便に済ませるようなメッセージを出しており、それに野田首相はきちんと応えて立件せず活動家を送り返したことから2010年の通関停止みたいな事態を避けることに成功したのはほかの人が批判しても私は称賛します。ただ東京都の石原知事がなにやら上陸に意欲を示していますが、私としては前にオリンピック招致にも失敗しているし、石原知事は既に終わった政治家だと思います。もういい加減に静かにしていてほしい、というか政府の邪魔立てしないでほしいのが本音です。

 同じ外交だと今ちょうど韓国とあれこれ揉めていますが、この点でも発言と方針が例の李明博大統領の「天皇謝罪発言」から一貫しており私個人としては好感が持てます。首脳の親書を送り返すという韓国政府の行動はちょっと如何なものに思え、まだしばらくは日本は強気に押し続けていいでしょう。ネット上で誰かが「高岡蒼甫は時代が早すぎた」と言っていましたが、ほんとにそんな気がします。これも前に書きましたが、韓流エンターテイメントはこれで完全に終わりでしょうが、やらせっぽさが強く感じるブームだと思っていただけに私もこれから少し良くなるのではないかという気がします。

 4については解説するほどの物ではありませんが、一体改革法案で小沢一郎をはじめとしたグループを民主党から追放、といっても勝手に出て行ったのですが、私見ですが小沢がいなくなってからというものの野田首相は党内に妙な遠慮がなくなり、外交を始め積極的な発言をすることが増えてきているように思えます。また5の野党対策ですが、3党合意の破棄を迫ってきた自民党に対し妙な譲歩をしなかったのもなかなかと思え、解散をなかなか約束しないことから自民党などが今秋から委員会審議を拒否するようになりましたが、かつて民主党が審議拒否した際に強引に国会運営をしてきたのはほかならぬ自民党だったことを考えると、藤原拓海風に言うなら「譲る気分じゃねぇな」といった印象を受けます。

 逆に野田首相に対する不満点というか私が評価していない点は、財政規律という立場から増税して歳入を増やすのはわかるにしても、支出を減らす努力がまだ全然足りないという点です。代表的なのは子ども手当で、個人に配るという膨大な管理コストを支払うくらいなら保育所の整備や関連事業の職員らへの給与に補助金を出すべきでしょう。更に言えばかつての小泉政権のように、スライド式に社会保障費を削っていかなければ絶対に財政は持ちません。もっともこんな政策出したら支持率落ちて何も実行できないうちに政権倒れるので、必要性がわかっててもやれないのは十分理解できるし、それが民主主義の弱点というのもわかるのですが。

2012年8月23日木曜日

これまでにやらかした神経的に痛い体験

 このブログではたまにホラーゲームのレビューを書くことがありますが、ゲームに限らず昔からホラーやスプラッター映画を見る回数は多い方でした。ただ日本の幽霊的ホラーはあまり好みではなく、ハリウッドのスプラッター満載のホラーの方が映画ではよく見る方なのですが、この手の映画は如何に視聴者に対して「痛そう」と感じさせるのが肝だと思います。
 そんなことを今日考えてたら、せっかくだからこれまでに私が体験した「痛い」体験をちょっと紹介しようかなと突然思いつきました。最近固いネタばかりだったし、ちょっと息抜きがてら早速書いてきます。

1、バスタブに腰を強打
 これは大学時代の話ですが、確かパソコンで音楽聞きながら隣に声聞こえること前提で散々歌った後、テンション高いまんまシャワーを浴びてたら見事なまでに足がツルッと滑ってしまい、バスタブの思い切り腰を強打したことがありました。当たる直前、っていうか半分体が宙に浮いた状態で「これはマズイことになる」と感じたのですが、当たってみるとそれほど痛みはなく、「よかった、ちゃんと体鍛えてて」などと安心してたら、次の日当たりにじりじりと痛みが出てきました。全体重がかかってぶつかったんだから当然でしょうが。

2、ハードルで足の甲を強打
 これは小学生時代の話ですが、当時陸上部にいた私はハードルの練習をしてました。この競技はハードルとハードルの間をなるべく3歩で走らないといけないのですが、設置の仕方が悪かったのか、なんかその日はみんな3歩で渡ることが出来ませんでした。ただこの時から妙に負けん気が強い自分はなんとしても3歩で渡りきろうと無理矢理ジャンプしたのですが、やはり渡りきれずちょうどハードルを下から救い上げるように左足を強打し、マジで号泣するほど痛かったです。別に骨折までは至りませんでしたが、気のせいか当時ぶつけたヶ所は右足と比べると、はれているようになんか脹らんでます。

3、左足付け根の腫物除去
 これは高校時代の話ですが、座り方が悪かったとか自転車に乗ることが当時から多かったからかもしれませんが、なんか左足のお尻の付け根当たりがやけに腫れ上がりました。この状態で座ると痛みが出るほどだったので近くの整形外科に行ってみてもらったところ、どうもばい菌が入って晴れているようなので切って中の膿を出すこととなりました。
 切るだけとはいえ一応手術。尻を丸出しにしてベッドに横たわり、先に部分麻酔の注射をしてもらい実際見てないからわからないけどメスか何かで患部を切ってもらいましたが、これが滅茶苦茶痛かったです。なんていうか、包丁とか刃物がゆっくり刺さるってあんな感じかなって思うくらいの痛みで「麻酔いみねーじゃん」って心の中で激しく思いました。ただ膿を出した後は先ほどまでのはれが驚くくらいに小さくなり、その後の経過も順調でした。ただ問題だったのは、大体半年後にまた同じ症状起こし、もう一回切ってもらったということですが。

4、エアインディアの機内食食中毒
 これは大学時代の話ですが、インドに旅行した際に「空飛ぶ棺桶」というドラクエに出てきそうな異名を持つ航空会社、エアインディアの帰国便に乗った際、機内食が間違いなく食中毒ものでした。というのも機内食を食べた直後から自分と友人のお腹が痛みだし、気が付いたら機内のトイレに長蛇の列が出来上がっていました。けどエアインディアだったから、補償問題には一切ならなかったけど。
 当時飛行機に乗っている間も痛いっちゃ痛かったですが本当の地獄は帰国してからで、大体帰国から一週間くらいはずっとお腹が痛かったです。腹痛というのはなかなか収まらないから辛いのですが、この時は非常に長引いて友人ともども「きつい一週間だった」と今は振り返ってます。なおこの前、こっちの日系コンビニエンスストアのチキンカレーを食べた直後から腹痛が始まり、こちらも一週間近く悩ませられました。

5、木の枝で……
 これは小学生時代の話ですが、体育の時間にほかのチームがサッカーの試合をしている最中に脇でサッカーボールを蹴っていたのですが、ちょうどそのあたりに小さい木があり、これまたちょうど自分の背丈くらいにいい感じで枝が伸びてました。まぁ何が起きたのかというと、その伸びてた枝が見事に左目に直撃し、この時はほんと地面を転がりまわるくらいに悶えました。
 幸い刺さったのは白目部分で視力には影響なかったですが、当時鏡で見るとちゃんと刺さった痕というか傷口が確認することが出来ました。後から知りましたが眼球というのは圧迫神経とか熱を感じる神経がなく、全部痛覚だけらしいです。さすがにみっちり痛覚なだけありこの時の痛みは本当にシャレにならず、多分経験した中では断トツの痛みでした。なお刺さった時、「俺も伊達正宗みたいに独眼竜となるのか」とリアルに考えただけに、将来の楽しみな小学生だった気がします。

6、自然気胸の手術
 これは大学時代の話、っていうかほぼ万遍なくどの時代でも注意力が足りないのか生傷の絶えない人生送ってますが、就職活動中に肺に穴が開く気胸症状を起こしてしまいました。最初に痛みを感じた時はそうでもなかったのですが後輩が同じ症状を過去に起こしており、話を聞いて病院に行ったらまさにビンゴでそのまま即入院、手術と運びました。
 この気胸、何で起こるか原因はまだわからないのですが、若いやせ形の男しか起こらない症状です。医療系の仕事についている親戚からは「ほんま君やったらうってつけの体しとるわ」と言われましたが、少し脱線しますがスーツを買いに行ってウエスト合わせる度に、「凄い細い……」と言われ、先週も新しいベルト買って店員に調整してもらってたら「まだ合わないの!?」と言われるくらい細い体してます。
 話は戻って気胸ですが、ちょうど肺の上部辺りに痛覚が集中しているところがあって、手術は10分程度、しかも手術室じゃなくて普通のベッドの上でやりましたがこの時は麻酔でそれほど気にならなかったものの、麻酔が切れた後は文字通り地獄でした。痛みだけで気絶するんじゃないかと思うくらいで、ナースコールして麻酔量を増やしてもらいましたが、真面目にもう気胸は起こってもらいたくないです。

 なおこの気胸を起こした際は10日程度入院し、学校から近い病院だったので左胸から胸骨部にたまった空気抜くためのチューブ出したまま授業に出たりしてました。たださすがに就職活動は完全に休まざるを得ず、この時に本社での二次面接(多分最終面接)が決まっていたところがあったのですが、電話して入院の予定を伝えると、「後でまた連絡する」と言われたっきりなにも返事がありませんでした。
 さすがに一ヶ月経ったところでまた確認したら、やっぱり今回はお流れで……と言われました。当時はほかの選考者にも影響でるしなぁと思いましたが、この話をするとみんな、「それってひどくない?」て言いますし、自分でも改めて考えると予定日の翌週には退院して面接行けたんだから普通は待てるよなぁという気がしてきました。そこらへん、カノークスさんはどう考てるんだろ。っていうかこの時の担当者はきちんと上に報告してたのかな?

2012年8月22日水曜日

今日の中国ニュース雑感

 凄い忙しいというわけではないのですがちょっとちまちまやる作業があるので、今日も記事はさらりと書ける中国ニュースネタです。

 まず昨日に日本でも報じられたシリアでの邦人記者の殺害事件ですが、驚いたことにここ中国のメディアも大きく取り扱っており、中には一面で写真入りで報じているところもありました。無粋な話ですがほかの誰も言わないので私が言うことにしますが、殺害された記者が男性であれば中国はもとより日本でもこれほど大きくは取り上げたりはしないでしょう。
 あと今回の事件をきっかけにシリアの内戦に関する報道が急激に増えておりますが、事件発生以前からもシリアでは大きな内戦が起きているのに日本人の関心は薄過ぎるという人を何度か見かけましたが、変なこと言いますがシリアに関する話題なら日本の一般人は無関心でもいいのではないかと私は思います。というのも国と国との距離も遠いことから日本の外交に大きな影響を与える可能性も少なく、外交関係者や専門家ならまだしも一般人に対して「関心が足りない!」というのはやや酷な気がします。関心を持つべき話題、それこそ日本の社会保障政策やTPPに関しては一般人もいろいろ考えた方がいいと思いますが、必要以上に余計なことを考え込むのはあまり良くないとかねてから思います。無視すべき話題は無視し、考えるべき話題は考えるべきといったところでしょうか。

対日軍事衝突に準備を 中国紙、政府に要求(共同通信)

 もう一つ取り上げる話題はまさに今ホットな尖閣関係ですが、前にも書きましたがこの記事の引用元となっている「環球時報」は中国でも一番過激な新聞で、中国の世論を反映しているとなると非常に怪しい新聞です。にもかかわらずこの環球時報を引用する日系メディアは後を絶たないわけですが、何故それほど多いのかというと書かれている話題が過激でニュースになるからです。これは言い換えるなら実態からかけ離れていても関心が引ければいいというようなもので、こればかり引用しているメディアはそろそろ見下げようと私は考えています。
 ではほかの新聞はどうか。たとえば昨日月曜日付の新聞だと日曜日に中国各地で反日デモが行われたのは事実ですが、日本人数人が尖閣に上陸したことは報じてもデモについて報じる新聞ははっきり言ってほとんどありませんでした。これは自分の目でも確認しましたし、他のメディアも全く同じこと言っていたので自信が付きましたが、反日デモを写真入りで報道していたのは英字紙のChina dailyのみだけでした。

 私が思うに中国側も今回の件はブレーキをしっかり踏もうとしているように見えます。目下、ネット上では反日発言を自由に許していますが、主要メディアではあまり取り上げないように手配するなど締めるところは締めているようです。こうした中国側の対応に日本側はどう応えるか、そして環球時報の社説以外をどう報じるかというのが個性の見せどころでしょう。

 最後にちょっとあまりにも気に入ったので以下のニュースを紹介します。

【中国】日本製品ボイコット運動にキヤノンのカメラで参加した人物が話題に / 中国人「すごく中国らしい」(ロケットニュース)

 記事の内容を簡単に書くと、反日デモらしきものに参加してTシャツにも「日本製品ボイコット!」とはっきり書いているにもかかわらず、首にキヤノン製のカメラをかけている人が激写されてます。なんか中国人のコメントにも「中国らしい」と書いてあって、この人には悪いですが自分も爆笑しました。環球時報なんかよりこっちの方がずっと今の中国の実態を示しているような気がします。