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2008年5月19日月曜日

黒船がこなけりゃ、徳川幕府は続いたか?

 このブログを始めた最初の頃に、もし戊辰戦争で幕府軍が勝ったらどうなっていたのかという予想を書きましたが、今回もその系列でずばり黒船が来なくて鎖国が維持されていたら、徳川幕府の幕藩体制は続いたのかということを今日解説します。

 まず、言うまでもなく徳川幕府崩壊の最大のきっかけとなったのはペリーの黒船来航でしょう。中国の清でもそうですが、最終的に国が滅ぶきっかけとなった事件は確かに大きな事件として当時も扱われはしましたが、まさかその事件がきっかけで急速に国が滅ぶとは誰も思わなかったようです。清の場合はアヘン戦争と太平天国の乱ですが、確かにそれまで何百年も続いた王朝がある事件をきっかけに数十年後に滅ぶことになろうとは、誰も想像できなかったでしょう。

 では徳川幕府が滅ぶきっかけとなった黒船来航ですが、実はそれまでの日本はシャレにならないくらい平和でした。徳川幕府成立後、正確には江戸時代初期の島原の乱以降、日本は二百年くらい一度も戦争がないという、世界史上でも稀に見る平和を維持しました。その原動力となったのは話すと長くなりますが、徳川幕府の幕藩体制にあります。参勤交代といい身分制といい、非常に安定感のある政策でこの恒久ともいえる平和を維持しました。

 しかし黒船来航を機に欧米からの外圧を受け、日本国内で意見が分かれる中で最終的に徳川幕府は薩長に滅ぼされることになりました。ですがもし、それこそ欧米が余計なちょっかいを出さずに日本国内で完結し続けてさえいれば、それまでの政策が続くことになりこの平和は維持されたのではないかと以前に考えたことがあります。言うなれば、外圧にどう対抗するかで意見が二分したのですし、それまではずっと平和だったのだから、そっとしておいてくれればずっと良かったんじゃないかということです。
 そこで結論から言いますが、私はもし黒船が日本に来なくとも、遅かれ早かれあの時代で徳川幕府は終わったと考えます、ここまで引っ張っておいてなんですがね。

 確かに黒船の来航が徳川幕府の寿命を縮めたことに間違いはないと思います。しかし当時の時点ですでに幕藩体制には限界が見えており、徳川本家をはじめとして諸大名はほとんどすべて借金漬けの財政となってていました。また尊王攘夷論の根拠となった天皇中心論を主張する国学も力をつけ、藩政改革を断行した薩長を筆頭とする、徳川家を凌駕しかねないほどの雄藩が力をつけていたという背景があります。
 こういった背景を考慮に入れると、遅かれ早かれ徳川幕府はあの時代のうちに内乱によってなくなったと思います。実際に、財政を立て直すために密貿易までやっていた薩摩藩に対し、力でそれを取り押さえる力は当時の幕府にすでにないと老中阿部忠之は考えていたといわれ、それならば恩を売っておけとばかりに島津斉彬を藩主に据えてやったといいます。

 そういう風に考えるのならば、黒船来航は一つの時代の転換点として日本にとって非常によい契機となったのではないかと思います。結果論から言うと、その後に明治維新が行われて日本は急速に国力を伸ばすようになりましたが、逆を言うならあの時点で革命が起こらなかったら、それこそ日本はどうなっていたかわからないものです。
 それにしても、盛者必衰とは言いますが永遠の安定と平和っていうものはやっぱりないものですね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

とてもいい考えだと思います

匿名 さんのコメント...

good idea